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2014年12月13日 (土)

『今即神代』の信仰

日本伝統信仰は、神代とは遠い昔の時代でもないし、人間の行くことのできないはるか高いところにあるのでもない。現御神日本天皇が統治される「今・此処」がそのままが「神代」なのである。これを「今即神代」「神代即今」と言う。神代とは遠い昔のことでもなく、はるか高い天上の世界のことでもなく、眼前の真実として「今此処が神代である」ということが歌ったのである。

 

今・此処が神代と思う信仰、自然を神として拝ろがむ信仰は、自然が美しく穏やかな日本國であればこそ生まれてきた信仰である。自然と対立せず、自然を征服しようとしないで、自然の中に包まれ自然と共にて生きる日本人の國土観・自然観である。

 

「神話」において語られているのは、「一切のものごとの生成の根源」であり「古代人の英知の結晶」であり、「神話的真實」なのである。「神話」には日本民族の中核的思想精神・根本的性格(國家観・人間観・宇宙観・神観・道義観・生活観など)が語られている。日本には、今日唯今も、神話の世界が生きている。そして日本人は神話の世界に生きている。

 

「神話の精神」は今日唯今、「天皇の祭祀」に脈々と継承され生きてゐる。わが国には、「今即神代・神代即今」「高天原を地上へ」といふ言葉がある。

 

西田幾多郎氏は、「神皇正統記が大日本者神国なり、異朝には其たぐいなしという我国の国体には、絶対の歴史的世界性が含まれて居るのである。我皇室が万世一系として永遠の過去から永遠の未来へと云うことは、単に直線的と云うことではなく、永遠の今として、何処までも我々の始であり終であると云うことでなければならない。天地の始は今日を始とするという理も、そこから出て来るのである。慈遍は神代在今、莫謂往昔とも云う(旧事本紀玄義)。日本精神の真髄は、何処までも超越的なるものが内在的、内在的なるものが超越的と云うことにあるのである。」(世界新秩序の原理・「西田幾多郎全集 第十二巻」所収)

 

「日本精神の真髄は、何処までも超越的なるものが内在的、内在的なるものが超越的と云うことにある」といふことが非常に重要である。わが民族は、神代・天上の理想国を地上・今の代と隔絶した存在とは決して考へなかったのである。神代は時間を超越した実在である。今此処が神代なのである。「神代今に在り、往昔と謂ふ莫れ」とはさういふことを意味する。それは観念的論議ではない。日本の天地自然の中に神々は生きてゐたまふといふわが国の傳統信仰である。

 

「神代即今」「今即神代」の理想を継承し顕現させることによって、現代を祓ひ清め変革するのである。これが真の「復古即革新」すなはち維新である。「復古」の「古」とは「元初の日本」「永遠にして常に新しい神代」のことである。

現状の穢れを祓ひ錆を落とすために、「元初の清浄なる日本」に帰ることが維新である。

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