« 千駄木庵日乗十二月十六日 | トップページ | 千駄木庵日乗十二月十七日 »

2014年12月17日 (水)

再び『今即神代』の信仰について

日本伝統信仰には、「今即神代」「高天原を地上へ」といふ信仰がある。わが國傳統信仰における「神代」「高天原」と「地上」とは交流し連続してゐて、隔絶してゐない。日本各地に高天原伝説がある。宮崎県の宮崎県高千穂町、奈良県御所市などである。私は高千穂と御所はかつて訪ねた。若き日に登った木曽御嶽山の山頂も、御嶽講の教本の巻頭に「千早振る ここも高天の 原なれば あつまり給へ 四方の神々」といふ歌が記されてゐるとおり、「高天原」と信じられてゐるのである。

 

今年十月に訪れた岡山県真庭市蒜山にも「高天原伝説」がある。私は四カ所目の高天原伝説の地を訪ねたことになる。太古から豊かな水と緑が、変りなくゆっくりと流れる時間の中で豊かな営みを続けてゐる蒜山地方が、神話の時代に連なる古い歴史を持つ地域であることは事実であらう。

 

神々の子孫は現代に生きてゐる。我々自身が、神代の神々、即ち八百万の神たちの子孫である。今我々が生きてゐる地上も高天原の地上における写しなのである。

 

「高天原」はたしかに天上の世界であるが、この世と次元の異なる世界ではない。日本傳統信仰は天地一体・今即神代・神人一体の信仰である。それはわが国の天地自然はあまりにも美しく、気候も温和であることからかかる信仰が生まれのであらう。

 

神代とは遠い昔の時代でもないし、人間の行くことのできないはるか高いところにあるのでもない。現御神日本天皇が統治される「今・此処」がそのままが「神代」なのである。これを「今即神代」「神代即今」と言ふ。神代とは遠い昔のことでもなく、はるか高い天上の世界のことでもなく、眼前の信仰的真実である。だから柿本人麻呂は「今此処が神代である」と歌ったのである。

 

今・此処が神代と思ふ信仰、自然を神として拝ろがむ信仰は、自然が美しく穏やかな日本國であればこそ生まれてきた信仰である。自然と対立せず、自然を征服しようとしないで、自然の中に包まれ自然と共にて生きる日本人の國土観・自然観である。

|

« 千駄木庵日乗十二月十六日 | トップページ | 千駄木庵日乗十二月十七日 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/121949/60821868

この記事へのトラックバック一覧です: 再び『今即神代』の信仰について:

« 千駄木庵日乗十二月十六日 | トップページ | 千駄木庵日乗十二月十七日 »