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2014年12月31日 (水)

この頃詠みし歌

同級生の女性が夫に支へられ夕暮の道を歩み行くなり

 

電車の中 皆それぞれの表情で 立ってゐる人坐ってゐる人

 

天上の世界に憧れ見上げれば星が二つ三つ瞬きてゐる

 

テレビ画面の食べ物を取りてくれと言ふ母の言葉のあやに悲しき

 

神棚の御前に額づき心こめ祝詞をば唱へれば命燃え立つ

 

母上の苦しみたまふ姿をば見るにも耐えぬ生みの子われは

 

肩の骨を折りたる母の痛々しき姿を見れば胸迫り来る

 

骨折せし母をいとしみ今日もまた語らひてをり施設の一室

 

老いし母は痛々しくも包帯を巻かれて過ごす師走の日々を

 

しめ縄を買ひ来てかざる師走の日 この年もまた過ぎてゆくなり

 

父も母もゐまさぬ部屋を掃除する帰り来たらぬ日々思ひつつ

 

懐かしき友の面影浮かび来ぬ 年賀状を書きてゐる時

 

幾年も逢へざる友は年賀状やり取りのみがよすがなりけり

 

夕暮の朱色の社がゆかしくも光りに浮かぶ根津の神垣(根津神社へお札治め)

 

老いませるわが母上を護りたまへと根津の大神の深く祈れり

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千駄木庵日乗十二月三十日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理、明日からの旅の準備。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、原稿執筆など。

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2014年12月29日 (月)

渡辺利夫拓殖大学総長による「どう解く、日中・日韓の縺れ」と題する講演の内容

十月四日午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて開催された『アジア問題懇話会』における渡辺利夫拓殖大学総長の「どう解く、日中・日韓の縺れ」と題する講演の内容は次の通り。

 

「習近平のステイトメントのキーワードは『中華民族の偉大な復興が中国の夢』。阿片戦争敗北以来の屈辱をすすぐべき時が来たという感じ。二〇〇一年、中国はGDPでは日本を超えた。世界第二位の経済大国になったという事で、中華民族の復興をつかまんとする直前にいるというナショナリスティックなステイトメントを出している。偉大な復興すべきものが過去にあって再生させたいという願望。要するに大国意識ルネッサンス。十四世紀のイタリアの古典・古代への文芸復興という感覚ではない。

 

習近平の考えている偉大なる過去とは、大清帝国。清は十七世紀中ごろに生まれた王朝。清の領土と富は圧倒的であった。世界の富の三割から四割を占めた。明王朝より三倍近い領土。チベット・ウイグルなどを併合した。偉大なる中国=清に戻りたい。『領海法』制定、領空識別圏設定という対応をしているのは、傳統的観念を現代に復元させようという考え。

 

傳統中国の国際秩序観念は『華夷秩序』。これは中華を中心にして同心円的に広がり、周縁に位置する人種や民族ほど文明度が低いという価値観念。冊封体制とは、中華の礼式に復させ、見返りに王位を与えてその王に領土と領民の支配をゆだねるという伝統的国際秩序観念。

 

日本は、中国の影響は受けたが独立していた。服属関係にはなかった。朝鮮は清朝と君臣関係にあった。李氏朝鮮の開祖・李成桂(イソンゲ)は『小を以て大に事(つか)ふるは保國の道なり』いう『事大主義』標榜し、明国による王位・国号の承認、慶弔使の派遣、中国の使者を受け入れた。ソウルには中国からの使者を迎える『迎恩門』というのがあった。中国の使者をその門のところまで迎えに行った朝鮮の王は、『三跪・九叩頭の礼』を取った。対等の関係ではない。

 

ヒマラヤを水源とする黄河の下流から中流域、河南省・鄭州を中心に広い平原がある。ここが漢民族発祥の地。ここが中華であり中原。そこの支配者が天子で、ここを中心にして広がっていく。ある限界を超えると蛮族の世界。北狄はモンゴルで、騎馬・狩猟民族。獰猛な存在。東夷は漁労・農耕。南蛮は畑作・漁労。西戎は牧草地域。人間の顔をしていても人間ではない。蕃夷。中国はランキング・序列を好み重視する。真中が価値が高く、外へ行けば行くほど価値は低くなる。これを華夷秩序・中華思想と言う。

 

清国は満州族・女真族の征服王朝。少数の満州族が巨大な漢民族を支配するのは無理だった。次第に同化された。漢民族の満州への移入は法律で禁止された。

 

台湾は化外の地。李鴻章は伊藤博文に『阿片と土匪で苦労するよ』と言った。拓殖大学は台湾近代化のために努力する。

 

習近平は、アメリカがハワイの東、中国が西を支配すると言い出した。中国の『領海法』によると東南アジア諸国は外洋をすべて失ってしまう。中国は『領海法』第二条で、『中華人民共和国の陸地領土は、中華人民共和国大陸およびその沿海島嶼、台湾および釣魚島(尖閣諸島)を含む附属各島、澎湖列島、東沙群島、西沙群島、中沙群島、南沙群島およびその他すべての中華人民共和国に属する島嶼を包括する』と規定している。日本はこの法律制定の時に口頭注意しただけ。この『領海法』が制定された年の十月に、両陛下が御訪中された。日本の対中外交の奇妙さが浮かび上がる。この『領海法』の『その他すべて』は中国が解釈する。

 

朝鮮にとって蛮族たる満州族によって明朝が滅亡した。清朝は満州族なので中華思想の原理に合わないという事で、李氏朝鮮は面従腹背・内心軽侮のダブルスタンダードになった。鬱屈した国家観のみで生きて来たイデオロギー国家。朝鮮は中華より中華的であることを誇りにしている。現実の国際関係において朝鮮は清国に服属。その儀礼は守りながら、民族心理の深層においては清朝を軽侮する生き方を選択。表層と内面の葛藤、圧倒的なイデオロギー社会でありイデオロギーのみで生存し得た王朝が朝鮮。

 

中華より見れば、日本を国と見做していなかった。日本を卑小な存在と見做した。それなのに日本は朝鮮を併合するとは何事かということになる。韓国は昔から反日。今の韓国そのメンタルが表面に出て来た。日韓の所得水準はそんなに開きはない。物価も同じくらい。日韓の相対的力関係は狭まっている。伝統的に事大してきた中国が大きくなっててる。韓国は安んじて反日気分を露呈できる。

 

アメリカの力の低下によって、中韓は連携して反日になっている。日中関係のロジックは非常にはっきりしている。反日的センチメントを恒常的に醸成するために、尖閣を利用している。日本の対応は、ハードウェアの充実。自衛隊部隊の南西へのシフト。韓国の反日に対しては手の打ちようがない。日韓関係ほど和解がきかない関係は世界にない。厄介な二国関係。韓国と交渉する人はそういう絶望感を持ちつつ交渉すべし。日本の世論の分裂が敵に塩を送っている。

 

中国人自身中華民族という民族が存在するとは思っていない。モンゴロイドを漢民族とも思っていない。人種・エスニックとしての中華はあり得ない。人種と言語が同一地域と一致するという日本は例外的。韓国の若者は北朝鮮への篤い思いを持っている。北に武装解除しているところがある。韓国には建国の物語がない。出自に対する釈然としない気持ちを持っている。独立闘争の物語がない。北には嘘ではあるがパルチザン闘争をしたという独立闘争の物語がある」。

 

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千駄木庵日乗十二月二十九日

午前は、諸雑務。室内整理。

午後は、新年への準備。

この後、根津神社参拝。お札納め。

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根津神社

上野桜木にて、大阪より来られた友人ご夫妻と懇談。

帰宅後は、原稿執筆など。

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日本國體とは

日本國體とは、<天皇を祭祀主とする精神的信仰的生命的共同体>のことである。単なる「國家の体制」のことではない。「体制」とは、ものの組み立てられた状態という意であり、単に組織、機構、機関、組織、システムのことである。したがって、「國家の体制」とは、無機的な権力機構としての國家組織のあり方即ち統治権力の運用する仕方に関する形式のことである。これは「政体」と表現すべきであって、伝統的な日本國體を「國家の体制」と表現する間は誤りである。

 

 國體とは、日本國の國柄・國の本質のことを言う。三潴信吾氏は、「國體とは、各國家の國柄、品格のことをいふのであって、その國の成立事情によって定まる。」「我が國にあっては、皇祖を日の神(天照大神)と仰ぎ、その和魂を継承されつつ、一切の天神地祇、八百萬神々を祭り、これといよいよ一心同体たらせ給ふ天皇が、御代々を通じて御一人(一系)として天下を治ろしめすといふ國體を保有してきた」「政体とは、政治権力の組織制度のことを云ふ。」(『國體と政体について』)と述べられている。

 

小森義峯氏は、「國體とは、平たくいえば、『くにがら』という意味である。その國をその國たらしめている、その國の根本的性格をいう。」「皇祖天照大神と霊肉共に『萬世一系の天皇』を日本國の最高の権威(権力ではない)の座に頂き、君民一体の姿で民族の歴史を展開してきた、という点に日本の國柄の最大の特質がある。」(『正統憲法復元改正への道標』)と述べておられる。

 

「國體とは戦前の天皇主権の國家体制を表す言葉で、治安維持法のキーワードだった」という主張があるが、全く間違っている。『帝國憲法』の何処にも天皇に主権があるなどとは書かれていない。そもそも國家の意思を最終的に決定する権力という意味での「主権」という概念と言葉は、天皇中心の神の國である日本には全くそぐわないのである。 

 

日本天皇と日本國民は相対立する権力関係にあるのではない。天皇と國民とは、天皇が民の平安と五穀の豊饒そして世界の平和を祈って行われる祭祀を基とした信仰的一体関係にある。

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千駄木庵日乗十二月二十八日

午前は、諸雑務。

午後は、書状執筆。

この後、施設に赴き、母に付き添う。骨折したところが痛むので、元気がない。心配である。

帰宅後も、書状執筆、原稿執筆など。

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2014年12月28日 (日)

天皇のいまさない日本國はあり得ない

マスコミなどにおける皇室論議は、真に皇室の御安泰を願う議論なのであろうか。むしろ、天皇及び皇室の尊厳性を冒瀆する議論が横行しているように思える。

 

 今日の日本國の中には、天皇を中心とした國體を破壊せんとする勢力が存在する。マスコミなどの「世論調査」でいわゆる「天皇制支持」が國民の八十%に達しているところから、表向きは「天皇制打倒」を広言しないだけで、「天皇及び日本國體を何とか無化し解体しようとする策謀」が渦巻いている。『朝日新聞』の皇室に対する「敬語不使用」はその典型である。

 

 建國以来三千年の歴史を有する日本という國家は、天皇及び皇室を中心とした信仰共同体國家である。天皇のいまさない日本國はあり得ない。

 

 以前ある友人が、「我々は『天皇陛下をお護りする』とよく言うことがあるが、実は我々こそ天皇陛下にお護り頂いているのだ」と語ったことがある。私はこの言葉に感銘した。蒙古の侵略・幕末・明治初期における欧米列強による侵略の危機・大東亜戦争をはじめとして、わが日本は建國以来さまざまに國難に遭遇した。しかし、如何なる困難に直面してもわが國家・民族が滅亡しなかったのは、日本國及び日本國民が、常に國家の安泰と國民の幸福を神に祈られる天皇にお護り頂いて来たことによるのである。天皇がいましてこそ、これまでの、そして今日の、さらに将来の日本國及び日本國民があるのである。

 

 日本天皇は、日本國及び日本國民を、武力や權力によって護って来られたのではない。天皇の持ちたまえる神聖なる權威によって護って来られたのである。そしてその神聖權威は、天皇が常に日本の神を祭り神に祈られる祭祀主であらせられるところから発する。蒙古襲来の時も大東亜戦争の時も、天皇は御一身を神に捧げられる御心で神に祈られた。

 

 何故、天皇は神聖なる御存在であるのか、それは天皇が、天照大神の地上に於ける御代理であらせられるという「神話の精神」によるのである。また、何故天皇が日本國の統治者であらせられるのか、それは天皇が、天照大神より日本國を統治せよと御命令を受けておられるという「神話の精神」によるのである。それ以外に理由はないのである。このことをまず以て確認しなければならない。古代から今日に至るまで様々な時代の変遷があったが、このことは決して変わることはないのである。

 

 したがって『現行占領憲法』第一章の「天皇の地位は日本國民の総意に基づく」という条項は天皇の御本質を正しく表現していない。

 

 「神話の精神」と言うと非科學的だとか歴史的事実ではないと主張してこれを否定する人がいる。しかし、神話は荒唐無稽な伝承ではない。「神話」において語られているのは、一切のものごとの生成の根源であり古代人の英知の結晶であり、神話的真実なのである。「神話」には日本民族の中核的思想精神・根本的性格(國家観・人間観・宇宙観・神観・道義観・生活観など)が語られているのである。それは、天地自然・生きとし生けるもの一切の中に、神の命を見るという信仰精神である。

 

 そうした「日本神話の精神」は、は西洋科学技術文明及び排他独善の一神教を淵源とする闘争的な西洋政治思想の行きづまりが原因となった全世界的危機を打開する力を持っている。

 

 しかも日本民族の「神話の精神」はただ単に『古事記』『日本書紀』といった文献だけでなく、「天皇の祭祀」という「生きた行事」によって今日まで継承され語られているのである。「神話」には時間を超えた永遠の価値がある。日本民族の伝統的思想精神の結晶である「神話」への回帰こそが、現代の混迷を打開する方途である。

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千駄木庵日乗十二月二十七日

午前は、諸雑務。『政治文化情報』発送作業。作業終了。購読者の皆様には、週明けにお届けできると思います。

午後からは、『年賀状』執筆、室内の整理。

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2014年12月27日 (土)

日本國家論

人間は、よほど特殊の場合を除いて、たった一人では生きるなどということはあり得ないし、不可能である。人間は、多くの人々が助け合い、いたわり合ってこそ生きて行ける。つまり人は、人間関係の中にあってこそ、人として生きて行けるのである。

 

多くの人々が助け合って生きている場を共同體という。そうした有機的生命體としての共同體が成長発展したものが國家である。國家があってこそ人間は生きて行けるのである。人間がこの世に生きている以上共同體國家はなくてはならない存在である。

 

 個人の自由や幸福はできるだけ実現されなければならないが、人間は、道義を重んじ、他者を愛しいたわり、他者と協力する心があると共に、道義を忘れ、他者を憎み迫害し、他者と競争する心があるので、しばしば他人の自由や幸福と衝突する。その場合各自の自由や權利そして幸福の追求を調整しなければならない。その役目を果たすのが國家なのである。

 

國家は、國民の道義心を基本として、國民同士の愛と信頼と協力を促進せしめる役割を果たすと共に、國民の道義心の忘却による、憎悪と不信と闘争を抑止する役割を担う。個の尊重とか人間の權利とか自由というものも、共同體國家の中においてこそ守られるのである。

 

つまり、人間は共同體國家と一體であり、人間は共同體國家を離れては生存することができないのである。そしてその共同體は、人間の生活の場であり、人間は文化を創造し、言語や信仰や道義心を持つ。だから、そこに生きている人々の信仰、文化、言語、そしてその共同體が存在する場所・気候・風土によって個性ができる。ゆえに世界に個性を持った共同體國家が多数存在しているのである。

 

したがって、國家というものを權力機構であるとか、階級支配の道具であるとして一方的にこれを否定し、死滅に追いやろうとするのは不可能である。 

 

 

 しかしながら、國家というものは有機的精神的な共同體としての本質を持ちながらも、一方において、權力機構としての側面を持つのも事実である。ただしその權力機構は國民と対立するのではなく、國民を守るのである。

 

 國家の規模が大きくなり、共同體の仕組みが複雑になると、共同體を運営する機構が必要になる。そしてその權力機構は、安定した國民生活を維持するのである。また様々な力(経済力・暴力・自然破壊力等々)が國民の自由と幸福とを脅かす場合に、國民を守るのが國家權力の役目である。國家權力というと國民を圧迫するだけと考えるのは事実に反する誤った考えである。むしろ國家權力は、國民の自由と幸福の擁護者であるというのが理想の姿である。

 

 しかし、人口も増加し文明や産業も発達した巨大な國家においては、權力機構が非常に強大化して、國民を抑圧する場合がある。國家なくしては人間は生活できないが、國家によって國民が圧力や迫害を受けてきたという両面が人類の歴史にはあるである。つまり國家權力というものは性善でもなければ性悪でもなく、多面的であり両義的なのである。ここに國家と國民とが相対立するという思想が生まれる原因がある。    

 

 そこで、精神的な共同體と權力機構という二つの性格を持つ國家を正しく発展せしめ、國家と共に生きる國民の幸福を図るためには、國家・國民の道義性を高めねばならない。特に、愛國心が希薄になり、國家を否定する思想が流布され、國家は憎むべきもの、破壊すべきものと考えている人が多くなって来ている今日において、そのことはきわめて重要である。國家權力を否定し憎悪する勢力が、破壊活動を展開することがかえって國家權力を強大ならしめているという現実があるだからそれは尚更である。

 

 「權力無き國家」などということは幻想である。しかし、權力悪・國家悪というものは消滅させなければならない。そのためには、國家というものは単なる權力機構・支配組織であり國家と國民とは相対立する存在であるという思想を徹底的に払拭すべきである。そして、國家の權力組織を成り立たせている基盤に、その國家独自の道義精神というものがあるということを國民全體が強く自覚しなければならない。つまり、正しい道義國家精神の自覚が必要なのである。

 

 國家には、そこに生きている人々の信仰、文化、言語そして國家が存在する場所・気候・風土によって個性ができる。ゆえに、日本という國にも文化的信仰的風土的に自ずからなる個性がある。日本國は、主體的な歴史性・風土性・信仰精神を基盤とした伝統的な道義觀・価値觀を國家存立の基礎に置くべきなのである。

 

 個人においても國家においても道義が実現されなくてはならない。いくら日本が腐敗し堕落しているといっても、日本民族全體が全く道義精神を喪失したわけではない。我々が愛する國家とは、國民を抑圧する國家ではないし、官僚が腐敗し政治家が勝手なことをやるような國家ではない。わが日本は本来、天皇を中心とする歴史と伝統と道義の國日本である。その日本國の本姿を開顕することが今日最も大切なのである。

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千駄木庵日乗十二月二十六日

午前は、諸雑務、室内整理。

午後は、年賀状執筆。

この後、施設に赴き、母に付き添う。施設内にインフルエンザが流行っているとのこと。困ったことである。何とか母が感染しないように祈る。

帰宅後も、年賀状執筆。プリンターを変えたので手間取る。

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2014年12月26日 (金)

精神性を重視した世界観・文明観の確立を

 人間は理論や理屈では死ねないし、世界は理論や理屈では動かない。学問や芸術のみならず、歴史そのもののも、人間の情念によって動いてきた。歴史の根底を支えてきた我々の祖先は、政治思想や政治技術によっては容易に動かず、心性を揺さぶる情念によって動かされてきたし、自己の情念が美しいと感じたものに対して命を捧げてきた。己れの「美学」が死をも厭わぬ行為に駆り立てるのである。  

 

 つまり今日の人類の危機を打開するためには、合理的発想を重んじるとともに、科学技術・物質文明に偏した考え方を改めて、人間の精神性の復活・内面から発する情念の正しき統御が大事なのである。合理主義やある一人の人の説く教義で全ての世界が説明できるという傲慢な考えを捨てて、壮大なる宇宙の神秘=無限の可能性は、人間の理性や知能によって全てが説明できるものではないという謙虚な姿勢を持つべきである。ここに宗教の必要性が生じてくる。

 

 先進諸国の<近代合理主義>を根底に置いた物質文明及び経済至上主義の行きづまりによる今日の混迷を打開するためには、正しき「宗教精神」への回帰が大切である。

 

 しかし、「宗教精神」への回帰とは、安易にしていかがわしい神秘主義や狂信的な教団宗教へのよりかかりであってはならない。むしろそうしたものを厳しく否定しなければならない。

 

 一個人を教祖とし、教団を組織する教団宗教は、往々にして排他独善の姿勢に陥りやすい。世界の宗教史は宗教戦争の歴史といっても過言ではない原因はここにある。そして今日それが日本国内においても世界においてもますます激化してきている。

 

 日本伝統信仰すなわち神道には教祖がいない。教典もない。ただ「神への祭り」を行い、「神の道」に随順して生きる事を大切にしている。これが、わが国の伝統的な信仰精神の基本である。つまり日本神道の本質は、特定の人物によって書かれた教条・教義の中には無いのである。文字通り「神」及び「道」のそのものの中にあるのである。我々日本人は、その「神」を祭り「神の道」を現実に生きることによって宗教的安穏を得るのである。

 

 今日の日本人には、西洋精神の影響を受けて自然への畏敬の念を失ってしまった人が多いが、古来、日本人は自然を神として拝み尊んでいた。これは一種の神秘思想と言っていい。そうした日本民族が継承してきた伝統的な正しき信仰精神を正しく継承し現代において生かす事が必要なのである。

 

 日本の伝統信仰は自然神秘思想であることは間違いないが、全てを神や仏という絶対者の支配に任せ、科学的思考・合理的思考を拒絶するという考え方ではない。

 

 古来日本の伝統精神を「道」と称してきたのは、日本の伝統精神はある特定の人物によって説かれた「法」でもなければ「教義」でもないからである。「道」というものは、釈迦や孔子などが出現して法や教条を説く以前からする以前から厳然として存在していたのである。

 

日本の古代から継承されてきた「道」は、人間の作り出した科学技術や人間が発見した<合理的法則>というものが全てを解決するという傲慢な考え方を否定するのである。

 

 「神への回帰」「自然への畏敬」という精神性を重視した世界観・文明観を確立することが、これからの人類の生存のために不可欠である。であるがゆえに、神道(神ながらの道)という精神伝統を保持する日本が、新しい文明を切り開いていく可能性が非常に高いのである。

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千駄木庵日乗十二月二十五日

午前は、諸雑務。

午後は、病院に赴き、母と共に施設に帰る。施設長の人と共なり。

帰宅後は、室内整理、年賀状執筆など。

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2014年12月25日 (木)

故三潴信吾氏の國體論・憲法論

平成十一年五月八日に開かれた『憲法懇話会』にて、故三潴信吾氏が「自主憲法制定の基本方針」と題して講義され、次のように語られた。

「憲法改正より自主憲法制定が正しい。吉田茂首相は自主憲法制定の意志があった。『二十八年の主権回復と共に、自由党として自主憲法制定をする』とはっきり言って、自主憲法制定の組織を作るように岸信介氏に命じた。吉田茂は憲法に手を付ける意図がなかったというのは真っ赤な嘘。高柳委員會以前に自由党の憲法調査會があった。

 

日本の祭政一致が外國人にはよく分からなかったので、祭祀は皇室の私的行事であり、國家公共機関がやってはならないとした。明治のはじめに立憲政体になった時、神祇官を太政官の下に置いたのが間違い。

 

『帝國憲法』には『万世一系の天皇が統治する』と書かれている。憲法は祖宗の皇統・國體に基づく政体規定。天皇条項は『祖宗の皇統としての天皇』を明確にすべし。美濃部達吉氏は『天皇は政体においては一つの機関だ』と言った。國體の天皇を機関だと言ったのではない。美濃部氏は戦後『帝國憲法の第一条・第二条は変えるべきはではない』と言った。憲法はステート(國家権力機関)の基礎法。ステートと憲法の拠って立つ基本が國體。

 

西欧デモクラシーは数だけで考えるから衆愚政治になる。質をチェックする必要があるので上下両院が設けられた。衆議院は量、貴族院は質に重点を置く。数を質で評価する機関が枢密院。宮中に内大臣府があり、天皇の大御心を基として質的柱が立っていた。

 

國會は内閣が招集し、最高裁に違憲立法審査権があるのだから、國會を國権の最高機関というのはおかしい。

 

皇祖皇宗へのお祭りは決して私事ではない。國家の行事としての祭祀である。

 

エンペラーの語源は最高権力者であるから天皇をエンペラーと訳してはならない。

 

元号法は次の元号決定の手続き規定。元号は慣習法に根拠がある。

 

英國・デンマーク・オランダという王制の國に行って『貴國は民主主義國家ではない』と言ったら笑われる。

 

現行憲法には、『帝國憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる』とあるにもかかわらず、『日本國民は…主権が國民にあることを宣言し、この憲法を確定する』と書かれているように、天皇が公布せしめたのに國民が確定したという嘘が最初から書いてある」と語られた。  

 

千駄木庵主人曰く。「君主制國家が民主國家ではない。君主制はやがてなくなる」という議論は現実によって完膚なきまでに否定されている。民主主義・人民を國家の名称にまで用いている國(朝鮮民主主義人民共和國)が世界中で最も独裁的・侵略的な國であり人民が貧困と飢えに喘ぎ餓死している。ソ連・支那・ラオス・イランなどを見て明らかなように王制・君主制を打倒した國は民主國家になるどころか全く正反対の独裁専制國家になっている。三潴先生には本当に色々貴重なこと大切なこと教えて頂いた。心よりご冥福を祈らせていただきます。

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千駄木庵日乗十二月二十四日

午前は、諸雑務。

午後は、室内整理。

この後、病院に赴き、母に付き添う。痛みは無いようなので安心する。

帰宅後も、室内整理、『政治文化情報』発送準備、年賀状の準備。

ともかく忙しい。

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2014年12月24日 (水)

萬葉古代史研究會のお知らせ

小生が講師となり「萬葉集」を勉強する會が次の通り開かれます。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。

 

日時 一月十四日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

東京都豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 山手線駒込駅北口徒歩二分

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

 

初参加の方は、テキストはなくても結構です。初めての方でも分かりやすい内容です。

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コンラート・アデナウアー財団日本事務所主催『国際会議・エネルギー効率ー日欧における今後の可能性』における登壇者の発言

九月三十日午後五時より、永田町のザ・キャピトルホテル東急にて、コンラート・アデナウアー財団日本事務所主催『国際会議・エネルギー効率ー日欧における今後の可能性』開催。

登壇者の発言は次の通り。

コンラート・アデナウアー財団代表・パウル・リナーツ氏「安全で手頃な値段のエネルギーは大事。『今世紀はアジアの世紀』が実現するとこの世の中は大変。インド・中国・フィリッピンの国民が欧米諸国と同じように自動車を買うと、エネルギー消費は大変。先進工業国のエネルギー市場の改革について考えたい。政治的法的側面も見て行きたい」。

 

山崎琢夫氏(経済産業省資源エネルギー庁電力・ガス事業部電力改革推進室企画官)が「日本におけるエネルギー市場の改革」と題して講演し、「三・一一以来五十基の原発が全て閉鎖された。電力小売価格も高騰。化石燃料のコストが上昇。国民は原発ゼロを主張したがっている。何時、何基が再稼働するか分かっていない。古いガス炊きの発電所に取って代わられている。それによってエネルギーの効率稼働によってどうにか埋め合わされている。日本には十社の電力会社がある。一部自由化を進めている。周波数が二種類ある。日本の市場はあまり競争力がない。三・一一以前から改革が必要とされていた。西から東へ送電することができないのが最大の問題。競争力が本当に重要。日本の電気料金の高コスト構造を無くすことは極めて重要。競争と安定供給を図る。エネルギー自給率が低い中で、バランスの取れた多様なコストの低い電力を供給したい。北海道は最初のステップは再生可能エネルギーで豊富なエリアにならなければならない。水力のエリアには北海道は適していない。経産省においては基本的に新たな技術で原発の安全性を高めるために努力して来た」と語った。もし東電が倒産したら日本国民が非常に大きなコストを負担しなければならない。だから政府は東電を支援する目的で福島の被災者への支払いを決定した。東電が倒産したら、福島人々がより困難に陥る。日本は五十年ガバナンスを失って効率性を失ったので改革を決意した。電力会社・原子力発電を減らすことは明確にしている」。

ボール・ミッドフォード氏(ノルウェー科学技術大学教授)は「欧州における再生可能エネルギー開発ースカンジナビアを例にー」と題して講演し、「日本はコンセンサスとしては原発廃止が多い。再生可能エネルギーの割合を上げるためには貯蔵の問題を解決しなければならない。太陽光発電はコストが下がってきている。洋上風に力を入れている。日本は太陽光のキャパが伸びている。ノルウェーは九八%が再生可能エネルギーになっている。電力を輸出している。ノルウェーには大規模の水力発電がある。北欧三国と電力供給がつながっている。安倍氏は原発について楽観的であった。出来るだけ活用していこうとしていた。しかし国民の支持を失いたくないので、国民の反対を呼び起こすことはしないと思う。日本の電力市場の自由化が重要。競争を導入することによって一社が倒産すれば他社が代れば良い。日本は原子力のシェアをもっと下げて再生可能エネルギーのシェアを高めるべし。これはそんなに難しい事ではない。ソーラー発電も大きく成長している。日本は政策を変えるのは早い。三・一一以後六カ月で原子力政策は大きく変った。我々は日本を羨望の目で見ている。日本は早く意思決定できる」。

 

ゲルハルト・ファーソル氏(ユーロテクノロジー・ジャパン代表取締役社長)は「日本のエネルギー効率ーヨーロッパの視点と協力の可能性」と題して講演し次のように語った。「日本国内の原子力発電を予測するのは難しい。しかし日本企業は日本企業は国外における原発に行動的。日本は発電と蓄電の特許を多く持っている。もっと大きな実験的再生エネルギー蓄電の工場をつくるべし。水力発電の貢献度を日本全国で二倍にすればいい。ヨーロッバの鉄道は惨憺たるもの。日本はうまく行っている。政府が鉄道会社を援助している。福島事故の後、日本国民はエネルギーは自分自身の問題だと分かった。自治体同士がどうやって協力してエネルギーを責任を持って供給していくかを考えるようになっている。日本はバッテリー・電気自動車などかなりの技術を持っている。三・一一以後停電が無かったのは国民の規律がとれてゐたから。日本人は尊敬できる」。

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千駄木庵日乗十二月二十三日

午前は、病院に赴き、母に会う。

午後一時より、靖国神社参集殿にて、『堀米正弘廣氏をねぎらう会』会開催。水谷浩樹氏が司会。発起人を代表して小生が挨拶。堀米正廣氏が挨拶。昇殿参拝。そして記念写真の撮影が行われた。

この後、再び病院に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、原稿執筆・室内整理・『政治文化情報』発送の準備。

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2014年12月23日 (火)

この頃詠みし歌

うち並ぶマンションの窓の灯り見て 住みゐる人々の生活(たつき)を思ふ

 

ありし日の笑顔が鮮明に浮かび来る松本健一氏の訃報を聞きて

 

歌にすることすら辛き思ひなり わが父晩年の一年(ひととせ)のこと

 

佳き人が贈りくれたる羊羹を母は美味しと食べたまふなり

 

永久(とは)の光放つ半月見上げつつ人の命のはかなさを思ふ

 

古き茶房のオーギョーチーといふを食したり藤山一郎が坐りしといふ席で

 

戊辰戦争激戦の跡と傳へらる谷中三崎坂で半月を仰ぐ

 

国民を励まさむとて 玉体を西へ東へと運ばせたまふ

 

両陛下の深き慈愛はまことにも大日の本の誇りなりけり

 

窓ガラス拭けば陽光燦然と映りてまぶしき今日の朝かな

 

日清日露も侵略とほざく政党がいまだに蠢くことの愚かさ

 

今更に共産主義を標榜する政党が日本にある不思議さよ

 

ソ連中共北鮮と結び日本を赤化せんとせし日本共産党

 

暗き道をのぼり行く人の後ろ姿 異界への道をたどるが如し

 

熱海なる湯宿の集ふ友どちは 楽し楽しと花火見上げる

 

久しぶりに俵星玄蕃を歌ひたり友らの集ふ師走の宴

 

冬の朝 青空を仰ぎ湯につかるこのひと時ぞ嬉しかりける

 

スカイツリーの人工の光より なんと美しき月の光よ

 

寒々と日が暮れてゆく時にしもバスを待ちゐるさみしき心

 

母上はテレビに映る食べ物を取りてくれろとせがみたまへり

 

空腹を訴へる母 幼子(をさなご)の如くになりし いとしその母

 

父と母が暮らしたまひしマンションの一室は人がゐなくなりたり

 

わけの分からぬ短歌が多くなりにけり 何回読んでも意味が分からぬ

 

歌詠むはつぶやくにあらず魂の訴へなりと強く思へり

 

靴買ひていそいそと上野の街を行く 師走の夜の賑はひぞ良し

 

たまきはる命尊し久しぶりに会ひたる友は病(やまひ)に勝てり

 

散り敷ける落ち葉の道を歩みつつ菱田春草の絵を思ひをり

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千駄木庵日乗十二月二十二日

午前は、諸雑務。

午後は、室内の整理。

この後、病院に赴き、母に会う。医師と相談。「高齢なので全身麻酔が必要な手術はできない。左手のの機能は失われるかもしれないが、このままにしておいた方が良い。病院内はインフルエンザが蔓延しているので、なるべく早く退院し、施設が過ごした方が良い」とのこと。患者・医師・看護師が全員マスクをしていた。母は一年前、インフルエンザに罹り、飯田橋の厚生年金病院に入院してノロウイルスに院内感染し、一挙に体力が衰え、老化が進んだ。その恐怖を思い出した。一日も早く退院させねばならないと思う。息子としては神仏に祈るしかない。

帰宅後は、資料の整理など。

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2014年12月22日 (月)

儒教について

『論語』には確かに素晴らしい言葉が書かれてゐる。『論語』に書かれてゐる言葉を実践すれば立派な人物になることは確かである。しかし、「論語読みの論語知らず」といふ言葉があるが、『論語』が生まれた国である支那は尖閣問題などを見ても明らかな如く、今日全く『論語』に書かれてゐることを忘却してゐる。これは一体どうしたことか。

 

支那の駐日大使をしていた王毅氏は、小泉純一郎総理大臣の「靖国神社参拝」に関して、「隣の人の迷惑になることをしない』といふのが東洋道徳」だとか言って批判した。しかし、隣国の迷惑になること、嫌がることばかりしてゐる支那といふ国ではないのか。さういふ国の大使にそんなことを言う資格はない。

 

『論語』『孟子』など支那の古典は実に立派なことが書かれてゐる。日本思想史への影響も大きい。しかし、現実の支那の歴史は、極めて残虐なる闘争と殺戮の歴史であった。

 

改革開放後の「人民中国」はますます道義精神を忘却した。鄧小平は、「黒い猫も白い猫も鼠を捕るネコが良い猫だ」と言った。これは、教条主義を批判した言葉だったのだが、今の民衆には現実には、「金儲けのためなら何をしても良い」という意味に理解されてゐるといふ。

 

支那近代では儒教は専制思想であり近代化の妨げになると批判された。中華人民共和国では儒教は完全に否定された。しかし最近は、儒教は世界に誇る「中国伝統文化」とされてゐる。『論語』が現代支那で再び持ち出されたのは、今の現代支那が倫理を喪失しつつあるからであらう。

 

明治時代の漢学者林泰輔氏は「中国においては『論語』を挙業(文官選抜)の試験に用いたるがゆえに、盛は則ち盛なりと雖も、名利のためにこれを読みこれを誦し、あるいはその粗を咀(す)いて、その精を棄つるの憾みあり。我が邦人のこれを読むは、則ち然らず。その外皮を棄ててその神髄を取る、ゆえに国本培養の効を奏することを得たるなり」(『論語年譜』)と論じてゐる。

 

儒教は国家体制の中に組み込まれ、官僚採用試験である科挙の試験科目に儒教が入った。支那の官吏は科挙(隋から清の時代まで行はれた官吏登用試験)に合格した者から任用される。科挙とは、儒教の経典『四書』(「論語」「大学」「中庸」「孟子」の朱子による注釈)である『四書大全』を教科書とした暗記試験であった。科挙は、広大な地域から権力の意志を忠実な人材を集めるのに有効であった。

 

つまり、支那においては儒教そして『論語』は「君子」のための道徳律であった。一般民衆とは本来関係はなかったのであらう。わが日本では寺子屋などで子供たちも『論語』を学んだが、支那の一般庶民は『論語』を読むことはなかったのではないか。

 

日本の儒教では「君子」とは、徳の高い人といふ意味として来た。しかし、支那における「君子」の原義は、朝廷の会議に参列できる貴族たちの総称であり、「身分の高い人」「支配者」「官僚」「貴族」といふ意味が原義である。その原義が延長して「貴族のふさわしい教養・品位」のことをさすようになったといふ。

 

一方、「君子」の対義語である「小人」とは、日本儒教では、教養や道徳心に欠ける人間を意味する。しかし、支那における「小人」の原義は単に身分の低い人間、被支配者のことである。

 

『春秋左氏伝』(孔子の編纂と伝へられる歴史書) の桓公十年に、「小人罪なし、玉を抱きて罪あり」といふ言葉がある。「小人であっても最初から罪を犯すものではなく、分不相応な宝を持ったり位についたりすると、ついふらふらと魔がさして悪い事をして罪を犯すようになるものだ」といふほどの意味である。

 

さらに、『論語』には女性は基本的に出て来ない。ただ一カ所「子曰く、唯女子と小人養ひ難しと為すなり。これを近づくれば則ち不遜、これを遠ざくれば則ち怨む」(第十七陽貨篇。女子と器量の小さい者とは節度をわきまへず扱いにくい、近づければなれなれしく無礼になり、遠ざければ怨みを抱く)とあるのみである。

 

これは身分差別思想であり、男尊女卑思想である。一君万民のわが國體とは相容れない。だからわが国においては「君子」「小人」の意味を読み変えたのである。

 

儒教は、「君子」即ち貴族・官僚の身分道徳であった。貴族・官僚が政治と生活において民衆の規範になるやうに人格を磨き、倫理・礼節を守るといふ基本観念はあった。しかし基本的には巨大帝国を管理支配する思想であり、体制維持のために必要とされた思想であった。

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千駄木庵日乗十二月二十一日

午前は、諸雑務。

午後は、広尾の山種美術館で開催中の『東山魁夷と日本の四季』展参観。

帰宅後は、資料の整理。

夜、母が入居し生活している有料老人ホームから、母が居室で転倒し救急車で病院に搬送されたとの連絡あり。すぐにその病院に赴く。医師によると「肩の骨が折れている。明日専門医が手術をするかどうか決める。高齢なので全身麻酔ができるかどうかが問題」とのこと。車椅子生活の母がどうしてベッドから起き出して転倒してしまったのか。施設によく事情を聴きたいと思っている。

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2014年12月21日 (日)

宗教について

日本には西洋のやうな宗教戦争はありませんでした。切支丹禁圧・廃仏毀釈・大本教弾圧があったではないかといふ疑問を持たれる方があるかもしれません。しかし、それらは、欧州や中近東などにおける一神教同士の凄まじい宗教戦争や弾圧とは本質的に全く異なります。また規模も比較にならないくらい小さなものです。

近世初期に日本に入って来たキリスト教は、神社仏閣の焼き討ちなどを行なひました。また当時のキリスト教はスペインなど西欧諸国の世界制覇の手先となっていた面が大いにありました。これに危険を感じた武家政権が禁圧したのです。国家民族の独立と傳統を守るためには致し方なかったと思ひます。

 

明治初期の廃仏毀釈は、徳川幕府が仏教及び寺院を民衆支配の道具にしてゐたこと、そして神道を圧迫したことに対する反発が多くあったのです。それがいっぺんに噴き出したのです。だから数年を経ずして終息しました。多くの人々が虐殺されたり宗教戦争が起こるといふこともありませんでした。

 

昭和十年代の宗教界に対する権力の圧迫は、近代化の過程において、西洋覇道思想が流入し、一神教的独善思想が政府の宗教政策に悪影響を及ぼした結果です。日本本来の姿ではありません。また、創価教育学会や大本教弾圧は、伊勢の神宮の神札を焼いたり、皇室に対する不敬言動があったといふことがその原因でありました。残虐なる拷問などやり過ぎの面があったことは確かですが、数多くの人々が虐殺されたといふ事は全くありませんでした。ただし、凄惨なる拷問による獄死者はゐました。『治安維持法』で死刑になった人はゐないと言はれますが、残虐な拷問で死に至らしめた人は多数ゐます。

 

大本教は天皇機関説排撃運動を行なひ愛国団体と提携して国家革新を唱へました。創価教育学会は、天皇現人神信仰を唱へ法華経を国教にしなければ聖戦は貫徹できないと主張しました。戦後になって大本教も創価教育学会もまたひとのみち教団も再建されました。

 

一國の宰相が戦没者慰霊のために靖國神社に参拝することに対して、内外から反対の声があがることくらい不思議なことはありません。また、裁判所で違憲判決が出ることはまことにおかしなことと思ひます。

この問題の根本は、歴史問題と現行占領憲法の「政教分離規定」にあります。そもそも政治権力と教団宗教が一体になることを禁じるといふ政教分離思想は、一神教同士の凄惨なる闘争の歴史を持つ欧米諸國の思想であります。わが國の神社神道は、排他独善の一神教でもないし、教団宗教でもありません。

 

むしろ「政教分離」を声高に主張し、総理の靖國参拝に反対してゐる勢力(左翼革命勢力・一部のキリスト教団・創価学会など)こそ、信教の自由を侵害し宗教弾圧を行ふ危険のある排他独善思想を持つ勢力であります。共産國家には信教の自由はありません。キリスト教はこれまで宗教戦争を繰り広げてきました。創価学会は他の宗教をすべて邪教と罵ってゐます。

 

神社神道ほど平和的な宗教はありません。また靖國神社には昭和殉難者は祀られてゐても戦争犯罪人は祀られてゐません。

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千駄木庵日乗十二月二十日

朝は、諸雑務。

午前十時より、母のお世話になっている施設にて、『施設運営懇談会』開催。この後、母と過ごす。

午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、『アジア問題懇話会』開催。池田維元交流協会台北事務所代表が「台湾統一地方選挙」と題して講演。質疑応答。

帰宅後は、原稿執筆など。

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2014年12月20日 (土)

日本天皇の国家統治は祭祀・歌・武がその根幹になってゐる

 『古事記』には、神武天皇の御事績について、「荒ぶる神どもを言向(ことむ)け和(やは)し、伏(まつろ)はぬ人どもを退(そ)け撥(はら)ひて、畝火(うねび)の白檮原(かしはら)の宮にましまして、天の下を治(し)らしめしき」と語られてゐる。

 

 荒ぶる神に対しては、言葉で説得して鎮魂し帰順させたが、従はない人たちに対しては武力を用いて追ひ払はれたのである。

 

 

これについて夜久正雄氏は、「これは、爾後の古代の御歴代天皇の行動原理となったのである。…地上を騒がせ民をまどわす『荒ぶる神』は、ことばのちからによって、なだめしたがえ…君徳に反抗する者どもは撃攘するほかない。前者はいうまでもなく宗教・文化であり、後者は武力・軍事である。つまり、文武両面にわたって国家の統一を押し進めたというので、これが建国であり初代天皇の御即位であったと『古事記』は記すのである」(『神話・伝説の天皇像』)と論じてゐる。

 

文武両面による国家統治が、神武天皇以来のわが国の道統である。わが国の国民の「和と統一・政治の安定・文化の継承と興隆・すべての生産の豊饒」は、上に天皇がおはしますことによって実現してきたのである。「軍事」「武」のみが、天皇・皇室と無関係であるはずがない。

 

神武天皇は、秩序も法もなく、力の強い者が長(をさ)となった集団が跳梁跋扈し、それがまたお互ひに相争ってゐた状況を、神の御命令によってまさに「神武」を以て平定し、日本国の統一と平和を達成されたのである。

 

その「神武」の御精神を歌はれた神武天皇の御製が

 

「みつみつし 久米の子らが 粟生(あはふ)には 臭韮(かみら)一茎(ひともと) そねが茎 そね芽繋ぎて 撃ちてしやまむ」

 

である。

 

夜久正雄氏は、「この民謡風軍歌のゆたかなつよい表現を、初代天皇の御歌と信じた『古事記』の伝誦者たちは、この御歌のようにゆたかにしてたくましく、おおしい人格としての天皇を思い描いたにちがいないのである」(同書)と論じてゐる。

 

御歴代の天皇が継承され体現された「武の精神」は、単なる「武」ではない。それは諡号を拝して明らかな如く、「神武」であり「天武」であり「聖武」なのである。

 

 

 第四十五代・聖武天皇は、

 

「ますらをの行くとふ道ぞ凡(おほ)ろかに思ひて行くな丈夫(ますらを)の伴」(ますらおの行くべき道だ。いい加減に思って行くな。ますらをたちよ、といふ意)

 

 

と詠ませられた。

 

 天平四年に、節度使(聖武天皇の御代、天平四年および天平宝字五年の二度、東海・南海・西海道にそれぞれ設置された軍隊の訓練、軍備充実の役割を果たした職)を諸道に遣はされた時の御歌である。この時節度使となった者は、東海東山二道が藤原房前、山陰道が多治比眞人(たじひのまひと)、西海道が藤原宇合(うまかひ)である。宮中で御酒を賜った時の御製である。玉音豊かにお詠みあそばされたと御推察申し上げてよい。

 

 聖武天皇は、仏教を尊崇し、各地に国分寺・国分尼寺を建て、奈良に大仏を造立された。それとともに、丈夫の行くべき道・あるべき姿を示されてゐる。天皇の臣下を思はれ、国の礎が揺るぎなさを示される雄渾な機略を感じさせる。これは、御歴代の天皇御製に伝来する特質であり、君民一体の国柄が麗しく歌はれてゐると拝する。

 

 『萬葉集』の「皇神のいつかしき国、言霊の幸(さき)はふ国」とは、上代祖先の国民的自覚であったが、同時に天皇の御本質として理解された。日本天皇の国家御統治は祭祀・歌・武がその根幹になってゐるのである。

 

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千駄木庵日乗十二月十九日

午前は、諸雑務。

午後からは在宅して、室内の整理、原稿執筆、校正など。

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2014年12月18日 (木)

天皇・皇室と「武の精神」

『現行占領憲法』三原理つの一つであるいはゆる「戦後平和主義」は、我が国の独立と平和と安全を根底から揺さぶり続けてきただけでなく、国民精神を堕落せしめた原因である。自分さへ安穏な生活をしていればいい、みんなのため、国家のために身を捧げるなどといふのは真っ平だといふ思考が蔓延した原因は実に「戦後平和主義」にあったと考へる。

 

戦ひの精神を忘却した国と国民は、他国から侮りを受ける。今の日本がまさにさうである。好戦的な国民になるべきだと言ふのではない。しかし、我が国を無法に攻撃し侵略し支配しやうとする外敵に対してはこれと果敢に戦ふ姿勢は絶対に必要である。その意味で『現行占領憲法』の「似非平和主義」は破棄すべきである。

 

日本伝統精神の「和」の精神・歴代天皇の仁慈の大御心を説くのは結構なのであるが、戦後の天皇・皇室論において、天皇・皇室には「武」の精神が無かったやうに誤解される論議があることを残念に思ってゐる。

 

日本國が本来的に和を尊ぶ國であり、天皇・皇室が武力を以て民を支配する御存在ではあらせられないといふことを強調するために、天皇・皇室と「武」との関係を軽視したりあるいは否定してしまふ論議がある。さういふ論議が『現行占領憲法』の誤れる「平和主義」と結びつける人もゐるやうである。

 

天皇が「武」の道統の継承者であらせられることは歴然たる事実である。「三種の神器」に「剣」があることがそれを明白に証明している。女性天皇も例外ではない。天照大神は武装されたし、斉明天皇は百済救援のために全軍を率ゐて出陣された。このことを正しく理解し認識しなければならない。天皇・皇室の「和」のご精神は戦後の似非平和主義とは無縁である。

 

皇祖天照大御神は、女性神であらせられるが、須佐之男命高天原にまゐ上りたまひし時、「背には千入(ちのり)の靭(ゆき・武具の一つ。細長い箱形をなし、中に矢をさして背に負ふたもの)を負ひ、腹には五百入りの靭を附け、また臂(ただむき・ひじから手首までの間)には稜威(いつ・勢いの激しいこと。激しい力のあること。また、尊厳な性質があること)の竹鞆(たかとも・弓を射る時、左の腕に結び付けて手首の内側を高く盛り上げる弦受けの付けもの)を取り佩ばして、弓腹振り立てて、堅庭(堅い地面)は向股(股のこと)に蹈みなづみ、沫雪なす蹶(く)ゑ散(はららか)して、稜威の男建(をたけ

び・男らしい勇ましい武勇をふるふこと)、蹈み建びて、待ち問ひたまひしく」と語られてゐるやうに、武装され戦ひの姿勢を示された。

 

「三種の神器」(やまとことばでは、みくさのかむたからと申し上げる)とは、皇位の「みしるし」として、御歴代の天皇が伝承する三つの「神器」である。「神器」とは神の依代(よりしろ・神霊が出現するときの媒体となるもの。神霊の寄りつくもの)を意味する。八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)をさす。

 

古代日本における劔・矛・弓などの武器は、鎮魂の祭具であり神事的意味を持つ。「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」は、須佐之男命が、『記紀神話』では出雲國簸川上(ひのかわかみ)で八岐大蛇(やまたのおろち)を切った時に、その尾から出現したと傳へられる剣である。「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」とも称される。

 

『古今和歌集』の「仮名序」に、「人の世となりて、素盞鳴尊よりぞ三十文字あまり一文字はよみける」と書かれ、須佐之男命がお詠みになった

 

「八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣つくるその八重垣を」

 

といふ御歌が、和歌(三十一文字)の起源であると説かれてゐる。この御歌は、須佐之男命が八岐大蛇を退治されたあと妻を娶られたときにお詠みになった御歌である。須佐之男命は、皇祖・天照大御神の弟神であらせられ、且つ、「武の神」であり、和歌を始めてお詠みになられた御方である。和歌は神詠であるといふ古来よりの信仰はここから生まれた。和歌と武とは一体なのである。これを「剣魂歌心」といふ。この事は、女性天皇におかせられても何の変りはない。

 

『古事記』では、天照大御神が日子番能邇邇藝命(ひこほのににぎのみこと)に「八尺の勾璁(やさかのまがたま)、鏡、また草薙(くさなぎの)剣」をお授けになる。『日本書紀』第一の一書には、「天照大神、乃ち天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)に、八尺瓊の曲玉及び八咫鏡・草薙剣、三種(みくさ)の宝物(たから)を賜(たま)ふ」と記されてゐる。

 

つまり日本天皇は、国家統治者として、祭祀(鏡)・軍事(剣)・豊饒(玉)の三つのご権能を体現される。神代以来、天皇・皇室は「剣」に象徴される「武・軍事」の権能を保持されてきたのである。「三種の神器」は日本天皇の国家統治言ひ換へれば日本民族の指導精神の象徴である。絶対にこれを軽視したり無視してはならないと信ずる。

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千駄木庵日乗十二月十八日

午前は、諸雑務。

昼は、知人と懇談。選挙後の情勢などについて意見交換。

この後、施設に赴き、母と共に過ごす。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆・脱稿・送付。

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日本の國家観と西洋國家観とは根本的に異なる

日本の國家観と西洋國家観とは根本的に異なる。日本國は、「数多くの個としての人間」が寄り集まって契約を締結して人為的・人工的に作った権力機構・契約國家(これを「國家法人説」と言ひ換へてもいいと思ふ)とはその本質が全く異なる。「國家法人説」を日本國に当て嵌めることはできない。

 

「國家法人説」とは、國家を法的な主體としての法人と考へる理論である。そして「法人」とは「自然人以外で法律上の権利義務の主體となることができるもの。一定の目的の下に結合した人の集団あるいは財産についてその資格が認められてゐる集団」とされてゐる。

 

つまり、國家は人間が集まって文字通り人為的に作られたといふのが西洋の國家観である。國家とは、社団法人や財団法人のやうに多くの人々が一定の目的のために契約を結び人為的に造られたものだといふのが「契約國家論」「國家法人説」なのである。

 

天皇中心の信仰共同體たる日本は断じてそのやうな國家ではない。日本といふ國家の本質は、権力者が國民を支配するための機関すなはち権力國家ではないし、日本國の君主たる天皇は、武力や権力を以て國民に命令を下す権力者ではない。また、日本國は多数の個人が契約を結んで造った國ではない。さらに、征服や革命によって人為的に成立した國家でもない。日本國は古代において自然に「生まれた」國である。日本といふ國家は、人の魂が結び合って生まれてきた生命體なのである。日本民族の農耕を中心とする傳統的生活の中から培はれた信仰(自然信仰と祖霊崇拝・自然と祖霊を神として拝む心)が根幹となって生まれてきた生命體が日本國なのである。そしてその〈むすび〉の中核が日本傳統信仰の祭祀主である天皇である。これが三島由紀夫氏の言ふ「祭祀的國家」としての日本なのである。

 

「むすび」の語源は、「生()す」である。「草が生す」「苔が生す」といわれる通りである。つまり命が生まれることである。故に母から生まれた男の子を「むすこ」(生す子)といひ、女の子を「むすめ」(生す女)といふのである。

「むすび」とは命と命が一體となり緊密に結合するといふことである。米のご飯を固く結合させたものが「おむすび」である。そして日本傳統信仰ではその米のご飯には生命・魂が宿ってゐると信じてきた。

 

「庵を結ぶ」という言葉があるが、日本家屋は様々な材木や草木を寄せ集めこれらを結び合はせて作られた。結婚も男と女の結びである。故にそのきっかけを作った人を「結びの神」という。そして男女の〈むすび〉によって新たなる生命が生まれる。日本の家庭も〈むすび〉によって成立しているのである。日本國土は、伊邪那岐命と伊邪那美命との「むすび」によって生成されたのである。

 

我々はまず以て「國家観」を正しく確立しなければならない。日本と欧米とは歴史・文化・宗教・社会構造・人間関係を異にしているのだから、日本國の憲法は近代西欧流の國家法人説・國家暴力装置説などの「國家観」を基礎にしてはならない。

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千駄木庵日乗十二月十七日

午前は、諸雑務。

午後一時半より、芝の駐健保会館にて、「大行社幹部会」開催。顧問の一人としてスピーチ。

この後、六本木にて、忘年会。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2014年12月17日 (水)

再び『今即神代』の信仰について

日本伝統信仰には、「今即神代」「高天原を地上へ」といふ信仰がある。わが國傳統信仰における「神代」「高天原」と「地上」とは交流し連続してゐて、隔絶してゐない。日本各地に高天原伝説がある。宮崎県の宮崎県高千穂町、奈良県御所市などである。私は高千穂と御所はかつて訪ねた。若き日に登った木曽御嶽山の山頂も、御嶽講の教本の巻頭に「千早振る ここも高天の 原なれば あつまり給へ 四方の神々」といふ歌が記されてゐるとおり、「高天原」と信じられてゐるのである。

 

今年十月に訪れた岡山県真庭市蒜山にも「高天原伝説」がある。私は四カ所目の高天原伝説の地を訪ねたことになる。太古から豊かな水と緑が、変りなくゆっくりと流れる時間の中で豊かな営みを続けてゐる蒜山地方が、神話の時代に連なる古い歴史を持つ地域であることは事実であらう。

 

神々の子孫は現代に生きてゐる。我々自身が、神代の神々、即ち八百万の神たちの子孫である。今我々が生きてゐる地上も高天原の地上における写しなのである。

 

「高天原」はたしかに天上の世界であるが、この世と次元の異なる世界ではない。日本傳統信仰は天地一体・今即神代・神人一体の信仰である。それはわが国の天地自然はあまりにも美しく、気候も温和であることからかかる信仰が生まれのであらう。

 

神代とは遠い昔の時代でもないし、人間の行くことのできないはるか高いところにあるのでもない。現御神日本天皇が統治される「今・此処」がそのままが「神代」なのである。これを「今即神代」「神代即今」と言ふ。神代とは遠い昔のことでもなく、はるか高い天上の世界のことでもなく、眼前の信仰的真実である。だから柿本人麻呂は「今此処が神代である」と歌ったのである。

 

今・此処が神代と思ふ信仰、自然を神として拝ろがむ信仰は、自然が美しく穏やかな日本國であればこそ生まれてきた信仰である。自然と対立せず、自然を征服しようとしないで、自然の中に包まれ自然と共にて生きる日本人の國土観・自然観である。

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千駄木庵日乗十二月十六日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆、明日のスピーチの準備など。

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2014年12月16日 (火)

今日思ったこと

西村眞悟氏の落選はまことに残念である。しかし、西村氏はこれまでも幾度となく大変な苦難・苦境を乗り越えてきた方である。今回も不死鳥の如く甦るであろう。そして祖国日本国のために獅子奮迅の戦いを行うであろう。私はそう願い、そう信じています。

 

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『今即神代』の信仰と日本人の自然観

わが國傳統信仰における「神代」「高天原」と「地上」とは交流しゐて、隔絶してゐない。日本傳統信仰は天地一体・今即神代・神人一体の信仰である。

 

『天香具山』の「香具」(かぐ)とは「輝く」を短くした言葉で、香具山は輝く山・神聖な山として信仰の対象となってゐる。後世のかぐや姫とは「輝く御姫様」といふ意である。天香具山とは「天に通じる輝く山」といふ意で、高天原と直結する山と信じられたのである。

 

 高天原にある天香具山について、『古事記』には、天照大神が天の岩戸に隠れになった時、大神に岩戸からお出ましを願ほうとした八百萬命が相談して、天児屋命(あめのこやねのみこと)と布刀玉命(ふとたまのみこと)が取って来た天香具山の男鹿の肩胛骨を波波迦の木で焼いて占ひを行って、天香具山に茂った賢木(さかき)に勾玉(まがたま)や鏡などを付けて捧げ持ち、天宇受売命(あめのうづめみこと)が天香具山の日影蔓(ひかげかづら)を手襁(たすき)に懸け、真拆(まさき)を鬘(かずら)として、天香具山の小竹の葉を手に持ち、岩戸の前で桶を踏み鳴らして神憑りしたと傳へられてゐる。

 

 また、神武天皇が御東征を終へられ大和に都を開かれる時のお祭りで用いられた神具の土器は、天香具山の土で作られたと傳へられてゐる。國土には地の靈(國魂)が籠ってゐるといふ信仰があり、大和の都を開かれるにあたっては、大和の國の靈を鎮めなければならない。そのために大和の地の靈を象徴し大和の國魂が宿ってゐて、天と地とをつなぐ神聖なる天香具山の土を、土器にして祭祀に用いたのである。それによって、神武天皇は大和國を治められる靈的なお力を備へられたのである。天香具山の土を手に入れることが大和全体を掌握することになるといふ信仰である。

 

 折口信夫氏は、「天香具山の名は天上の山の名である。同時に地上の祭時に當って、天上と一つの聖地-天高市(アメタケチ)-と考へられた土地の中心が此山であった。だから平常にも聖なる地として天なる称號をつけて呼ぶ様になったのだ」「大和なる地名は、當然宮廷のある地を意味する。天は、宮廷の真上にあり、宮廷のある處は、天の真下である。即ち、國語に於ける天が下(アメガシタ)の確かな用語例は、宮廷及び宮廷の所在を示すことになる。だから、宮廷の存在なる狭義の大倭は、天が下であり、同時に天其物と觀じることが出来た。天香具山は、地上に於ける聖地の中心であった。即ち、大倭の中心である。この山の埴土(四宮注きめの細かい黄赤色の粘土)は、大倭の國魂の象徴にもなる…。」(大倭宮廷の靱業期)論じられてゐる。

 

 天皇のゐます宮は「天」(高天原)であり「聖地」である。その中心が天香具山なのである。このやうな神聖な所を神座(カミクラ・神のゐますところ)といふ。

 

日本伝統信仰は、神代とは遠い昔の時代でもないし、人間の行くことのできないはるか高いところにあるのでもない。現御神日本天皇が統治される「今・此処」がそのままが「神代」なのである。これを「今即神代」「神代即今」と言う。神代とは遠い昔のことでもなく、はるか高い天上の世界のことでもなく、眼前の真実として「今此処が神代である」と信じられてきたのである。

 

今・此処が神代と思う信仰、自然を神として拝ろがむ信仰は、自然が美しく穏やかな日本國であればこそ生まれてきた信仰である。自然と対立せず、自然を征服しようとしないで、自然の中に包まれ自然と共にて生きる日本人の國土観・自然観である。

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千駄木庵日乗十二月十五日

午前は、諸雑務。

午後は、「政治文化情報」の原稿執筆。

この後、施設に赴き母と共に過ごす。食欲があるので有り難い。

午後六時半より、平河町の高池法律事務所にて、『國體政治研究会幹事会』開催。中村信一郎氏が座長。今後の運営などについて討議。

千駄木に帰り、小中学校の後輩と懇談。

帰宅後も、原稿執筆。

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2014年12月15日 (月)

今日思ったこと

私は選挙中、「私がもっとも危惧するのは、自公政権の勝利によって、自民党の真正保守の政治家たちがますます埋没し、封じ込められ、やりたいことができなくなり、言いたいことを言えなくなるのではないかという事だ。どうしても、「次世代の党」に頑張って貰わねばならない。また、亡国メディアは、過去の些細な事を持ち出して、真正保守政治家攻撃をこれからますます強めるであろう。朝日新聞・NHK・テレビ朝日などの亡国メディア、反日マスコミを徹底的に批判しなければならない」と書いた。

 

まさにそういう事態になるのではないか。國體転覆を図り、北朝鮮・共産支那の同根の政党・日本共産党が大幅に議席を増やした。また「自民党のブレーキ役」になる即ち「足を引っ張る」と公言する公明党も議席を増やした。そして、真正保守の立場の「次世代の党」が壊滅状況となった。西村・三宅・中山の三氏が国会から去るというのはどうにも悔しい。

 

こうなると、テレ朝・朝日新聞と言う亡国メディア・共産党への批判を一層強めねばならない。

 

安倍さん自身は、改憲への意欲を見せたらしいが、公明党と連立を組んだままでは改憲は無理であろう。たとえ改憲したところで、ろくな改憲にはならない。憲法は変えればいい。新しい憲法を作れば良いというわけではない。國體条項・国防条項を本当に正しいものにしなければならない。

 

國體を護持し、さらに日本の本来の姿を回復することによって現状を変革する。真正保守の政治家そして政党が強力にならねばならない。

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レイシズムについて

レイシズムといふ言葉が最近わが國において頻繁に聞かれるようになった。日本語で言へば人種差別・人種主義のことだといふ。歴史上もっとも典型的な人種差別は、白人による有色人種に対する差別・迫害である。オーストラリアや北米・南米における先住民殺戮・迫害、黒人奴隷の売買・使役、ユダヤ人迫害虐殺などのことをレイシズムと言ふのである。レイシズムは規模が大きく計画的であり長期間に及ぶ。レイシズムは人類発生以来歴史的に存在して来たと言へる。

 

アジアにおいても支那民族による他民族の差別・迫害が最も顕著であり大規模であり長期間に及んでいる。有史以来と言っても良い。共産支那によるチベット侵略・支配によって百二十萬人のチベット人が命を失った。これはチベットの人口の五分の一に相当するといふ。さらに、共産支那による東トルキスタン侵略・支配によって、「計画生育」といふ名目で八百五十萬人もの人々が強制中絶させられ、五十回もの核実験によって七十五萬人の人々が放射能中毒で死亡し、「政治犯」として五十萬人もの人々が処刑されたといふ。支那民族は全体として過酷残忍な性情を持ってゐることは、史家が指摘してゐる通りであるし、事実である。

 

「小中華」と言はれる韓国・朝鮮も他民族に対する差別は根強い。ベトナム戦争の時、南ベトナムに派兵された韓國軍は、三十萬人を超すベトナム人を虐殺したとも言はれ、ベトナムでは村ごとに『「ダイハン(註・大韓のこと)」の残虐行為を忘れまい』と碑を建てて韓國軍の残虐行為を忘れまいと誓ひ合っているといふ。

 

レイシズムとはこのような共産支那のチベット・東トルキスタンにおける大量虐殺、韓國軍のベトナムにおける大量虐殺のことを言ふのである。

 

わが國は今日、共産支那によって尖閣・沖縄侵略の危機にさらされてゐる。韓國によって竹島を奪はれてゐる。北朝鮮によってわが国民が拉致されてゐる。これに対して抗議運動が首都東京において行はれるのは当然である。今日わが國しかも東京の新大久保といふ町で限られた人数で行はれてゐる反支那・反韓國朝鮮デモで一部過激な言動があったからとて、それをレイシズムと決めつけることはどうか。在日韓國・朝鮮・支那人及び日本を訪問してゐる韓國・朝鮮・支那人を大量虐殺したわけでもないし、暴力的迫害してゐるわけでもない。今日、わが國内で、行はれてゐる反支那・反南北朝鮮デモなどをレイシズムと規定することが誤りだと思ふ。我々日本人が、レイシズムに対して批判の声をあげるのなら、支那・韓國に対してあげるべきである。

 

日本民族は、國家的危機に瀕した時に、日本を侵略せんとする他の民族・他の國家と果敢に戦った。しかし、わが国においては特定の民族・人種に対する計画的に長期間にわたる大規模な迫害・殺戮は全く行はれなかった。つまりわが國はレイシズムとは無縁である。

 

日本の主権を侵害し、日本の領土を奪ひ、日本國内で反日活動を行ってゐる支那人、朝鮮人に対する反撃といふか、抗議活動である。行き過ぎた言動はやめるべきであるが、これをレイシズムと規定するのなら、支那韓國で行はれてゐる反日デモもそして政府要人、マスコミ人などによる反日発言はもっと過激なレイシズムといふ事になる。支那・韓國の暴虐には目をつぶり祖国日本における外国への糾弾活動のみを批判することは許されない。

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千駄木庵日乗十二月十四日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

午後六時より、春日の文京区民センターにて、『日本の心を学ぶ会』開催。小生が「八紘為宇・四海同法の精神と民族主義」と題して講演。質疑応答。

帰宅後は、選挙報道を見る。

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2014年12月14日 (日)

日本人の「よみがへり」の信仰

死後の世界は、まだ行ったこともなく見たこともないが、やがては必ず行くことになる「他界」である。従って人が死んだことを「他界した」と言ふ。そして死んだ人は草葉の蔭から生きている人を見守ったり祟ったりするのである。といふことは、死後の世界と現世は遮断してゐないで交流し連動してゐるといふことである。

 

日本人は、丁寧な言ひ方をする時には「死んだ」とか「死ぬ」と言はない。「身罷る」「逝く」「神去る」「隠れる」と言ふ。肉体は滅びても生命・霊魂は生き続けるといふ信仰に基づく言葉である。「亡きがら」「遺体」とは言っても「死体」とは言はない。

 

春秋二回のお彼岸は仏教行事であるが、本来的には日本人の他界信仰・祖霊信仰から生まれた日本固有行事である。春と秋の昼と夜の長さが同じ日に「あの世」から「この世」へ祖先の霊が訪ねてくると信じてきた。「彼岸」とは向かふ岸といふ意であり、日本人の他界観念とつながる。

 

日本民族が古代から抱いてきた死生観は、宗教教義として文字によって継承されてきたのではない。生活の中に生きて傳へられて来た。日本人は、常に先祖の霊を祀り感謝する行事を日常のこととして行ってきた。日本の精神風土には、古代信仰の息吹が永遠に生きてゐる。

 

日本人は、生の世界と死の世界は絶対的に隔絶してゐない。人が死んでも、その魂をこの世に呼び戻すことができると信じてゐる。「よみがへり」の信仰がそれである。

 

「よみがへり」とは、「黄泉(よみ)の國から帰って来る」ことである。黄泉の國に行かれた伊邪那美命を訪問しこの世に帰って来られた伊邪那岐命は、「よみがへられた」のである。『萬葉集』では、「よみがへり」といふ言葉に「死還生」(死の世界から生きて還るといふ意であらう)といふ文字を当ててゐる。

 

日本人が死者は必ずよみがへると信じたといふことは、日本人にとって絶対的な死は無いといふことである。人は永遠に生き通すと信じたのである。

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千駄木庵日乗十二月十三日

午前は、諸雑務。

午後一時半より、信濃町ビジネスセンターにて、『アジア太平洋交流学会』開催。久保田信之氏が挨拶。王明台湾獨立建國聯盟日本本部委員長が「台湾統一地方選挙の結果と今後の日台関係」と題して講演。活発な質疑応答が行われた。王明理さんは、台湾獨立運動の指導者、故王育徳先生の令嬢である。小生は、王育徳先生には、生前色々とご指導をいただいた。王育徳先生の兄上は「二・二八事件」で国民党政権によって逆殺された。王育徳先生は、日本に亡命され、日本で台湾独立運動に挺身された。台湾が民主化される前に逝去されたので、ついに台湾に帰国することができなかった。心からご冥福を祈る。

午後五時より、新橋の新橋亭にて、『呉竹会忘年会』開催。広瀬義道氏が司会。頭山興助氏が挨拶。藤井厳喜・木村三浩の両氏など、そして小生がスピーチ。盛宴に移った。

帰宅後は、書状執筆、明日行われる「日本の心を学ぶ会」における講演の準備など。

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2014年12月13日 (土)

『今即神代』の信仰

日本伝統信仰は、神代とは遠い昔の時代でもないし、人間の行くことのできないはるか高いところにあるのでもない。現御神日本天皇が統治される「今・此処」がそのままが「神代」なのである。これを「今即神代」「神代即今」と言う。神代とは遠い昔のことでもなく、はるか高い天上の世界のことでもなく、眼前の真実として「今此処が神代である」ということが歌ったのである。

 

今・此処が神代と思う信仰、自然を神として拝ろがむ信仰は、自然が美しく穏やかな日本國であればこそ生まれてきた信仰である。自然と対立せず、自然を征服しようとしないで、自然の中に包まれ自然と共にて生きる日本人の國土観・自然観である。

 

「神話」において語られているのは、「一切のものごとの生成の根源」であり「古代人の英知の結晶」であり、「神話的真實」なのである。「神話」には日本民族の中核的思想精神・根本的性格(國家観・人間観・宇宙観・神観・道義観・生活観など)が語られている。日本には、今日唯今も、神話の世界が生きている。そして日本人は神話の世界に生きている。

 

「神話の精神」は今日唯今、「天皇の祭祀」に脈々と継承され生きてゐる。わが国には、「今即神代・神代即今」「高天原を地上へ」といふ言葉がある。

 

西田幾多郎氏は、「神皇正統記が大日本者神国なり、異朝には其たぐいなしという我国の国体には、絶対の歴史的世界性が含まれて居るのである。我皇室が万世一系として永遠の過去から永遠の未来へと云うことは、単に直線的と云うことではなく、永遠の今として、何処までも我々の始であり終であると云うことでなければならない。天地の始は今日を始とするという理も、そこから出て来るのである。慈遍は神代在今、莫謂往昔とも云う(旧事本紀玄義)。日本精神の真髄は、何処までも超越的なるものが内在的、内在的なるものが超越的と云うことにあるのである。」(世界新秩序の原理・「西田幾多郎全集 第十二巻」所収)

 

「日本精神の真髄は、何処までも超越的なるものが内在的、内在的なるものが超越的と云うことにある」といふことが非常に重要である。わが民族は、神代・天上の理想国を地上・今の代と隔絶した存在とは決して考へなかったのである。神代は時間を超越した実在である。今此処が神代なのである。「神代今に在り、往昔と謂ふ莫れ」とはさういふことを意味する。それは観念的論議ではない。日本の天地自然の中に神々は生きてゐたまふといふわが国の傳統信仰である。

 

「神代即今」「今即神代」の理想を継承し顕現させることによって、現代を祓ひ清め変革するのである。これが真の「復古即革新」すなはち維新である。「復古」の「古」とは「元初の日本」「永遠にして常に新しい神代」のことである。

現状の穢れを祓ひ錆を落とすために、「元初の清浄なる日本」に帰ることが維新である。

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千駄木庵日乗十二月十二日

午前は、諸雑務。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

午後五時より、『伝統と革新』編集実務担当者と打ち合わせ。

帰宅後も、原稿執筆。

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2014年12月12日 (金)

今日思ったこと

共産党支持の近所のおばさんが、「自民党一人勝ちだと、戦争になります。安倍の暴走を食い止めましょう」と真顔で言っていた。思わず吹き出しそうになった。まだこういう人たちがいるのに驚く。こういう人たちがいる以上、共産党の一定の支持を得ることは間違いない。

私がもっとも危惧するのは、自公政権の勝利によって、自民党の真正保守の政治家たちがますます埋没し、封じ込められ、やりたいことができなくなり、言いたいことを言えなくなるのではないかという事だ。どうしても、「次世代の党」に頑張って貰わねばならない。

また、亡国メディアは、過去の些細な事を持ち出して、真正保守政治家攻撃をこれからますます強めるであろう。朝日新聞・NHK・テレビ朝日などの亡国メディア、反日マスコミを徹底的に批判しなければならない。

 

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日本民族の「天上の世界」と「海の彼方」への憧れ

 日本人は「常世」「妣の国」「ひなの国」は何処にあると信じたのであろうか。日本人にとっての「他界」とは、海の彼方であり、天上である。海の彼方を龍宮界と言い、海の神々の住む不老の世界として憧れた。天上の世界を高天原と言い、天の神々の住む世界として仰いだ。そして、海の神は海の彼方から来たり海の彼方に去り、天の神は天に昇ったり天から降ったりするのである。

 

古代日本の神話にそれは記されている。天津日子であられる邇邇藝命は「筑紫の日向の高千穂の霊(く)じふる峰に」天降られたのである。この神話は如何に日本人が天上の他界を憧れていたかを証明する。古代日本人は天に憧れていたがゆえに、大和地方において神聖な山と仰がれている大和三山の内最も神聖であるとされる香具山は、「天香具山」と言われわざわざ「天」の字を上に乗せている。香具山は天に通じる山であると信じられたのである。

 

天への憧れを端的に表現した歌は、平安時代の女性歌人・和泉式部の

 

「つれづれと空ぞ見らるる思ふ人天降り来むものならなくに」(ただ茫然と空を眺めている。恋い慕っている人が天から降ってくるわけでもないのに、というほどの意)

 

という歌であろう。天への憧れと恋人への思慕の情が合体した歌である。

 

 日本民族の主神であり皇室の御祖先神である天照大神は、伊耶那岐命が海辺での禊で右目を洗われた時に生まれられた神であるという神話がある。これは日本人が海を神聖なる世界として憧れていたことを証明する。

 

 日本民族は、東南アジアから海を渡って来た人々と、山の多い内陸アジアから朝鮮半島を経て渡って来た人々との混合であると言われている。海への憧れは遠い海の彼方の東南アジアから渡って来た人々の抱いた他界へのロマン精神であり、天上への憧れは内陸アジアから渡って来た人々の抱いた他界へのロマン精神であろう。

 

 日本人は、「海」と「天」に憧れ、「海」と「天」を一つのものとして把握したので、海で働く「海士・海女」を「アマ」と言い、天を「アマ」と言うのである。

 

 海の果ては空の果てと同じなのである。それは海岸に立って水平線を眺めると、天と海が分かち難く一続きに見える事からも想像される。海の彼方の理想国・永遠の世界即ち「常世」は、水平線を越えて、天空につながったのである。そして山間に住む人々の天上への憧れと一つのものとなったのである。

 

この二つの系統が日本人の他界観に流れているのである。前者を水平型思考他界観と言い、後者を垂直思考他界観と言う。日本人の他界への憧れはそれが重層的な重なっている。海の彼方への憧れが「浦島太郎の説話」などを生んだのである。天上への憧れ・ロマンが高天原神話を生んだのである。つまり日本神話及び日本人の他界観には、北方アジア的要素と南方アジア的要素が混淆しているのである。

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千駄木庵日乗十二月十一日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆の準備。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2014年12月11日 (木)

日本人の他界観

 まだ見たこともなく、また行ったこともない世界を憧れるのは人間の自然な心である。日本人は古くから、この世とは別の世界即ち「他界」への憧れ・ロマンを強く持っていた。日本人の他界へのロマン精神は、神話の世界からのものであり、外来思想の影響を受けながら発達し、日本人の生活と宗教の根本にあるものなのである。さらに、世の中の変革を求める心もまだ見ぬ世界即ち他界への憧れと言っていい。       

 

 死後の世界は、まだ行ったこともなく見たこともないが、やがては必ず行くことになる「他界」である。従って人が死んだことを「他界した」というのである。それは平安時代の歌人・在原業平が

 

「つひにゆく道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを」(最後には行かなくてはならない死出の旅路だとは思っていたが、それが昨日今日と差し迫っているとは思わなかった、というほどの意)

 

と詠んでいる通りである。そして死んだ人は草葉の蔭から生きている人を見守ったり祟ったりするのである。ということは、死後の世界と現世は遮断していないで交流し連動しているということである。それは『古事記』に記されている伊耶那岐命と伊耶那美命の黄泉国(よみのくに) の神話を拝すれば明らかである。

日本人は基本的に、人間は肉体は死んでも魂はあの世で生き続けるという信仰を持っている。死後の世界は、次第に理想化・光明化されていき、神々の住みたもう世界と信じられるようになった。なぜなら、自分の親や愛する人などが、あの世に行って苦しんでいるなどと考えることに耐えられないからである。

 

 古代日本人は生活全般が信仰心を基本としていた。天地万物に神や霊が宿っており、森羅万象は神や霊の為せるわざであると信じていた。だから「他界」にももちろん神や霊が生きていると信じた。しかし、反面、穢れた他界も想定された。そこには鬼や妖怪や魑魅魍魎が住んでいると信じられた。

 

 すばらしい聖なる世界・清らかな他界は高天原と呼ばれ、穢れた他界・恐ろしき他界は夜見の国・根の国と呼ばれた。これが後に仏教の輪廻転生の倫理観と結合し、西方極楽浄土及び地獄の思想が多くの日本人に信じられるようになったのである。

 

 春秋二回のお彼岸は今日仏教行事のように思われているが、本来的には日本人の他界信仰・祖霊信仰から生まれた日本固有行事なのである。春と秋の昼と夜の長さが同じ日に「あの世」から「この世」へ祖先の霊が訪ねてくると信じてきたのである。「彼岸」とは向こう岸という意味であり、日本人の他界(よその世界・まだ行くことのできぬ世界)観念とつながる。

  

 「他界」の事を、古代日本人は、「常世」(とこよ)・「妣(はは)の国」・「ひなの国」・「夜見(よみ)の国」などと呼んだ。

 

 「常世」とは、明るい永遠の生命を保つことのできる理想世界のことである。「とこ」とは永遠とか絶対とか不変とかいう意味であり、「よ」は世であり齢でもある。不変にして老いず死なない世ということである。逆に暗い世界を「常夜」(とこよ)と言った。これは今で言う地獄ということであろう。

 

 「妣の国」とは、母のいる故郷のことである。故郷を遠く離れたものにとって、そこは憧れの対象であり、やがては帰って行きたいところである。望郷の念を持つ人は故郷のことを「母国」という。なぜか「父国」とは言わない。母を慕う気持ちがそうされたのであろう。母が「産み」の本源であるからであろうか。

 

 「ひな国」の「ひな」とは、山や海の彼方の遠い異郷・聖なる世界のことである。「ひなびた」というと都から遠い世界即ち田舎らしい感じがするという意味である。お雛(ひな)様とは、遠い国から訪れた男女一対の高貴な霊というのがそのもともとの意味である。庶民にとって皇室は遠くて高貴な憧れの対象だったのである。

 

 「夜見の国」とは、死んだ人が行く世界であり、黄泉国とも書く。穢れた死の世界とされている。夜見の国から帰ることを「甦り(よみがえり)」という。

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千駄木庵日乗十二月十日

午前は、諸雑務。年賀状の準備。

午後三時半、千代田区の先輩の事務所訪問。懇談。選挙情勢など内外の諸情勢について貴重なお話を伺う。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究会』開催。笠金村、山部赤人の歌を講義。質疑応答。

帰途、出席者と懇談。

帰宅後は、原稿執筆など。

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2014年12月 9日 (火)

日本民族の道義心・倫理觀の根幹

日本人は、死んだらご先祖が草葉の陰から子孫を守って下さるといふ信仰がある。靖國神社そして各県の護國神社に鎮まりまします護國の英靈は今日唯今もわが祖國をお護り下さってゐるのである。

 

 それは皇后陛下が「終戰記念日」と題されて、

 

「海陸(うみくが)のいづへを知らず姿なきあまたの御靈國護るらむ」

 

 と、詠ませられてゐる御歌を拝しても明らかである。

 國家も國民も現に今生きてゐる者たちのみによって成り立ってゐるわけではない。わが國建國以来、この國に生まれこの國に生きこの國に死んでいった人々の御靈、とりわけ國のために命を捧げた尊い英靈たちの御蔭によって今日のわが國そしてわが國民の存在があることを忘却してはならない。

死後の世界は、まだ行ったこともなく見たこともないが、やがては必ず行くことになる「他界」(よその世界・まだ行くことのできぬ世界)である。従って人が死んだことを「他界した」と言ふ。亡くなった人は草葉の蔭から生きてゐる人を見守るといふことは、死後の世界と現世は遮断してゐないで交流し連動してゐるといふことである。それは『古事記』に記されてゐる伊耶那岐命と伊耶那美命の黄泉(よみの)(くに) の「神話」に明らかである。

死後の世界は、次第に理想化・光明化されて行き、神々の住みたまふ世界と信じられるようになった。なぜなら、自分の親や愛する人などが、あの世に行って苦しんでゐるなどと考えへることに耐へられないからである。しかし、反面、穢れた他界も想定された。そこには鬼や妖怪や魑魅魍魎が住んでゐると信じられた。素晴らしい聖なる世界・清らかな「他界」は高天原と呼ばれ、穢れた他界・恐ろしき「他界」は夜見の国・根の国と呼ばれた。

 春秋二回のお彼岸は、本来的には日本人の他界信仰・祖霊信仰から生まれた日本固有行事である。春と秋の昼と夜の長さが同じ日に「あの世」から「この世」へ祖先の霊が訪ねて来ると信じてきた。「彼岸」とは向かふ岸といふ意味であり、日本人の他界観念とつながる。

 この世を去った方々の御靈に感謝すると共に、現世に生きる者たちを護りたまへと祈ることが、わが國の傳統信仰として今日まで生き続けてゐる。それは、日本民族の道義心・倫理觀の根幹である。

 

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千駄木庵日乗十二月九日

れ午前は、諸雑務。

午後は、明日行われる『萬葉古代史研究会』における講義の準備。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、資料の整理、書状執筆など。

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現御神信仰について

小堀桂一郎氏は次のやうに論じてゐる。「天皇はもちろん生身の人間であらせられます。しかし天皇が神事を執行せられ、祭儀の司を勤められてゐる時、ご自身は皇祖神の、或いは國民の全てが齋き祀る産靈の神の生ける依代として、現人神になってをられるわけなのです」「柿本人麻呂が,持統天皇の雷丘に遊ばれた際に供奉して〈大君は神にしませば天雲の雷の上にいほらせるかも〉と詠じた作例をはじめとして、〈大君は神にしませば〉と歌出した短歌が五、六首あります。それは神々を祀る祭主としての天皇は即ちそれ故に神でもあるといふ讃仰の感情の素直な表現なのです」(『昭和天皇論』)

 

 小堀氏が引用された柿本人麻呂の歌には、わが國の伝統的な天皇信仰・現御神信仰を表白されてゐる。

 

「大君は 神にしませば  天雲の雷の上に いほら せるかも」

 

通釈は、「大君は神であられるので、天雲の雷の上に仮の廬を結んでをられることだ」といふほどの意。持統天皇が雷の丘にお出ましになった時に、人麻呂が高らかにうたひあげた歌である。

 

「雷岳」は、奈良県高市郡明日香村にある標高一〇五㍍、麓から約十㍍程のきはめて低く小さな丘と言はれてゐる。『日本書紀』の雄略天皇七年七月の条に、雄略天皇がこの丘に来られて、「この山には雷がゐると聞いた。その雷の姿を見たい」と仰せになり、小子部栖軽(ちいさこべのすがる)に雷を捕らへさせた。するとその雷は大蛇に変身しすごい光を発して目が赤く光ったといふ。恐怖を感じられた天皇はその神を元の山に帰したといふことが記されてゐる。

 

 十㍍しかない丘の上に天雲がかかり、雷様が住むわけがないから、今日の明日香村の雷丘がこの歌に歌はれてゐる「雷岳」ではなく、甘橿丘(奈良県高市郡明日香村豊浦にある丘)を中心とした一帯の丘陵地全體をこの歌に歌はれた「雷岳」といふ説もある。甘橿丘から見渡す景色は今も絶景である。

 

「いかづち」とは「厳槌」の義で、雷鳴は神が巨大な槌を転ばす音であると信じられた。「いほらせるかも」とは、直訳すれば「仮の庵を結ぶ」意であるが、この歌の場合は、天皇が祭り主として聖なる神の山・雷の丘で國見をされ祭事を齋行されることをいふ。つまり、「いほり」とは「齋」(いつき・斎戒<心身を清めて言行・飲食などの行為をつつしむこと>して神をまつること)の意味である。これは國歌『君が代』の意義にも関連する。

 

 「國見」とは、単に國土を望見されるといふのではなく、天皇が國土を眺望され國土の繁栄と五穀の豊饒を祈る祭祀儀礼であり、天皇が國見をされることにより國土は新生する。古代人にとって「見る」とは魂の結合を意味した。

 

この歌は、「聖なる山の上でまつりごとをされる天皇は、この世における神であられ、あらゆる神霊を従へたまふ御稜威(神聖なる霊的威力)輝く御存在である」といふ「現御神信仰」即ち天皇信仰を歌ってゐる。

 

この信仰は人麻呂個人のものではなく古代日本人に共通する信仰であった。前述した通り、神を祭られる天皇はこの世における神であるといふのが日本人の「現御神信仰」である。

 

また、自然を神として拝んだ古代日本人は「雷」も神として仰いだ。それが後世の天神(菅原道真の御霊を祭った神社)信仰につながる。「神」といふ漢字は、祭りの対象の意味を表す「示」(神への捧げ物を置く台の象形文字)と、音を表す「申」(稲光の象形文字)とからなる形声字であると言ふ。(加藤常賢・山田勝美著『当用漢字字源辞典』)つまり、古代支那においても、雷を天の神と考へたのである。

 「輕皇子(かるのみこ) の安騎野(あきのの)に宿りましし時、柿本朝臣人麻呂の作れる歌」の冒頭には「やすみしし わが大君 高光る 日の御子」と歌はれてゐる。「四方八方をやすらけく御統治あそばされるわが大君、高く光る日の神の御子」といふほどの意で、天皇は、天照大神の御子としての神格を持たれるといふ信仰である。

 

『萬葉集』には「現御神信仰」を歌ひあげた崇高なる柿本人麻呂の「大君は神にしませば…」の歌の次に、次の二首の歌が収められてゐる。

 

「天皇、志斐嫗(しひのおみな)に賜へる御歌一首

 

いなと言へど強()ふる志斐のが強(しひ)(がたり)このごろ聞かずて朕(われ)戀ひにけり                   (二三六) 

 

志斐嫗、和(こた)へ奉(まつ)れる歌一首

 

いなといへど語れ語れと詔()らせこそ志斐いは奏(まを)せ強(しひ)(がたり)と言()る                     (二三七)

 

持統天皇の御製と志斐嫗の歌である。持統天皇は志斐嫗と言ふ老女の語り部に「嫌だと言ふのに、強ひる志斐の老女の強ひて聞かせる物語、この頃聞かないので恋しくなったなあ」といふ御歌を贈られた。それに対して志斐嫗は「嫌です、語りません、と言っても、陛下が語りなさい語りなさいと仰せになるので、志斐はお話し申し上げるのです。それなのに強ひて聞かせられる物語などと言はれるのはあんまりです」とお答へしたのである。

 

「強語(しひがたり)」が具体的にどのやうなものであったかは明確ではない。今日の落語・講談の原型ではないかといふ。無理矢理聞かせる話といふ意味と共に、こじつけ話・とんち話といふ意味もあらう。豊臣秀吉に御伽衆として仕へユーモラスな頓知で人を笑はせた曽呂利新左衛門を連想する。

 

持統天皇と志斐嫗とはお互ひに親密なる愛情をもって接してをり、この二首は、掛け合ひ漫才のやうな応答歌になってゐる。ある日の女帝と老女官の微笑ましい交歓であり心の交流である。

 

このユーモラスな二首の歌が、「現御神信仰」を高らかに歌ひあげた柿本人麻呂の「大君は神にしませば…」の歌の次に収められてゐるところに、『萬葉集』の素晴らしさがある。それは『萬葉集』の素晴らしさであるばかりでなく、わが國の國體の素晴らしさである。つまり、天皇と臣下の関係は、権力的上下関係、支配被支配関係でなく、あたたかな心と心のむすびの関係であることを示してゐる。天皇が「現御神」であらせられるといふのは、天皇が全知全能にして無謬の絶対神であらせられるといふのではない。この二首の歌を拝しても明らかな如く、天皇は、祭司主として無上に神聖なご資格を持ってをられると共に、人としての普通の生活感覚を持ってをられるのである。

 

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千駄木庵日乗十二月八日

午前は、宿舎を出発。桃山町のМOA美術館にて開催中の「第十九回 МOA岡田茂吉賞」作品展鑑賞。澤龍氏と共なり。

午後、新幹線で帰京。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事。原稿執筆・校正など。

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千駄木庵日乗十二月七日

午前は、諸雑務。

午後、新幹線で熱海へ。

午後三時より、東海岸町の古屋にて、『日本を糺す会』開催。荒井清壽氏が主催者挨拶。山口申・山田恵久両氏が、スピーチ。全員で討論。

続いて、懇親会が行われ、小生が乾杯の音頭を取り、盛宴に移った。小生が長編歌謡浪曲「俵星玄蕃」を熱唱。

この後、熱海の海岸で行われた花火大会を鑑賞。

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2014年12月 7日 (日)

明治維新について

わが国の天皇及び皇室は、実に三千年の歴史を有する。明治維新前夜の国家的危機に際して、日本民族は自然に、日本國家・民族としての一體感・運命共同意識中心に古代からの國家の統一者である天皇を仰ぎ國内的統一を達成して國を救はんとしたのである。

 

國民の同胞意識・連帯感、そして外敵に抗するナショナリズムの中心には天皇を仰いだ。それは決して偏狭なナショナリズムではない。言って見れば開かれたナショナリズムである。外国の優れたところをどんどん取り入れた。ただ、日本の伝統を尊び、日本の独立を守ると言う精神はきわめて強固であった。

 

明治維新後に、新政府が攘夷から一転して開國に踏み切った背景には、幕末期からこうした思想があったからである。表面的には、明治政府が徳川幕府と同じ開國政策を取るのなら、幕府を倒す必要はなかったと思えるかもしれない。しかし、決してそうではなかった。開國政策に転換するにせよしないにせよ、それを実行する主體的力量を日本という國家が持たなければならなかった。徳川幕藩体制ではそれが最早できなくなっていたのである。だから徳川幕府は打倒されねばならなかった。真の攘夷のためには海外の接触し「彼の長を取る」事も必要であるというのである。これが明治維新を目指した人々の精神である。

 

耐え難きを耐えて努力し、外國の長所を取り入れてみずからの國を強國にして、外國からの辱めを晴らして名誉を挽回しなければならないと維新を目指した人々は考えた。そしてそれにそって明治新政府の国策が作られた。維新後、外國との交際を一切行わないという頑なな攘夷論は姿を消し、外國の侵略を撃退し日本の自主独立を守るために西欧の文物を学ばなければならないという強い意志を持った。これを「開國攘夷」という。ここに日本民族の柔軟性・優秀性があると言える。

 

徳川幕藩体制から天皇中心の統一国家への転生とは、体制変革のみならず、精神の変革をともなうものであった。日本國家の発展と安定の基礎は、天皇中心の信仰共同体としての日本(日本國體)が、現実の國家運営の基盤として正しく機能していることにある。

 

歴史的に見て、近代のみならずわが国の歴史が始まって以来、日本という統一された社会・國家を象徴する<核>が天皇であった。急速な変化と激動の中で、わが國が祖先から受け継いだ伝統を守り、かつ変革とを為し遂げた<核>が、天皇のご存在であった。

 

大化改新・元寇・明治維新・大東亜戦争などのような困難な時期においても、日本國家・日本民族が常に伝統を守り、統一体としての國家民族を維持し、かつ、新しいエネルギーを結集して國家変革を行った。その<核>が天皇であった。その最も元初の変革が大化改新であった。大化改新の時にも朝鮮半島からの外圧の危機があった。

 

天皇中心の國體を正しく開顕し、天皇を國家の中心に仰いでこそ、日本國の主體性の確立が行われ、外國の侵略を撃退し祖國の独立を維持することができたのである。それは明治維新後の日本の歴史を見れば明らかである。

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千駄木庵日乗十二月六日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、来週水曜日に行われる『萬葉古代史研究会』における講義の準備、書状執筆など。

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2014年12月 6日 (土)

『政治文化情報』平成二十六年十二月号のお知らせ

四宮政治文化研究所発行・『政治文化情報』平成二十六年十二月号のお知らせ

 

『政治文化情報』は、昭和五十九年創刊以来、小生の論考、時局問題などに関する主張、活動状況の報告、各方面から得た様々な情報などを掲載し、それなりの評価を得て来たと自負致しております。
多くの心有る皆様方のご購読をお願い申し上げます。
見本誌御希望の方はご遠慮なくメールでお申し込み下さい。
 

メールアドレス m-shinomiya@max.hi-ho.ne.jp

 

購読料
年間 12000
半年 6000

平成二十六年十二月号(平成二十六年十一月二十日発行)の内容

〈皇都の一隅より〉

 

立憲主義と『現行占領憲法』

 

正統性のない『現行憲法』に立脚した「立憲主義」は間違ってゐる

 

『現行占領憲法』には内容的にも制定過程においても全く正統性がない

 

『現行占領憲法』の「主権在民論」は日本國體を隠蔽し破壊する元凶

 

「國民主権論」はもっとも徹底した「反君主制」の理論として確立された

 

『現行占領憲法』から導き出される悪逆不逞の國體破壊思想

 

「天皇陛下の政治利用」「習近平引見の強要」といふ大罪を犯した民主党政権

 

 

憲法は立國以来の歴史の中に培はれてきた傳統的國家観に立脚してゐなければならない

 

千駄木庵日乗

 

袴田茂樹新潟県立大學教授「今回のロシアのクリミア併合はポストモダニズムと逆の現象。ポストモダニズムの甘さが露呈した」

 

ジェイムス・スタインバーグ氏(シラキュース大學マックスウェル行政大學大學院院長・前米國國務副長官)「中國は自制心が欠けている。軍事予算をどんどん増やしていることに対し、アメリカは対処せねばならない」

 

マイケル・オハンロン氏(ブルッキング研究所シニアフェロー)「中國への先制攻撃の準備をしておかねばならない」

 

この頃詠みし歌

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第四十六回日本の心を学ぶ会のおしらせ

第四十六回日本の心を学ぶ会のおしらせ

案内文は主催者が作成したものです。

 

ヘイトスピーチ規制法を考える

 

今年は「ヘイトスピーチ」という言葉が一気に広まった一年でした。

新大久保周辺の騒乱が報道されるなかで広まった「ヘイトスピーチ」と呼ばれる問題は、国連人権委員会でも取り上げられ、「差別をあおる街宣」を規制するよう勧告されました。

 さらに今回の衆院選で民主党はマニュフェストのなかで、「ヘイトスピーチ対策法」の制定を訴えております。ヘイトスピーチという問題は、国政選挙の争点の一つとして取り上げられる政治問題となったようです。

 このように法律による規制が求められているヘイトスピーチですが、厳密な定義はないようです。しかし人権に関するいくつかの国際条約を参照すると大まかヘイトスピーチと呼ばれる行為の輪郭が見えて来ます。ヘイト(hate)という言葉が「憎悪」と訳されたことから憎悪感情を持った発言をヘイトスピーチと呼ぶと誤解されがちですが、憎悪感情の有無はへイトスピーチであるか、ないかとは関係ありません。

「特定の人種的、民族的集団、本人の努力では変更不能な属性を持つマイノリティへ向けられた、人間の尊厳と平等を否定した差別と暴力を扇動するあらゆる表現」がヘイトスピーチと呼ばれる行為です。

そして、ヘイトスピーチは直接的な暴力(ヘイトクライム)を誘発すとされ、最終的にジェノサイドへつながる「憎悪のピラミッド」の最下層を構成する」とされています。

 

このようなヘイトスピーチを法的に規制することにはさまざまな意があり、「言論の自由」との関係や、形を変えた「人権法」であるなど、慎重論も含めてさまざまな議論が行われております。

ヘイトスピーチ」と非難される活動に対して、「保守、愛国運動を貶める」「日本社会を傷つける」などの批判があるのは事実です。

しかし、われわれの運動が目指すところは決してジェノサイドの実行でも民族差別の扇動でもありません。

神武天皇建国の精神である、八紘為宇の精神 や歴代天皇のご事績、パリ講和会議での人種差別撤廃提案などは日本の歴史と伝統精神が人種差別やジェノサイドと正反対であるということを示しております。

「ヘイトスピーチ規正法」が議論されている今こそ、日章旗を掲げるにふさわしい国民運動のあり方について議論したいと思います。

(瀬戸弘幸先生は都合により欠席です)

 

【日 時】平成261214日(日)午後600分より

【場 所】文京区民センター会議室 3-C会議室

東京都文京区本郷4-15-14 

地下鉄春日駅 下車1分(大江戸線、三田線)

後楽園下車3分(丸の内線、南北線)JR(水道橋)

【講 演】

 

「八紘為宇 四海同法と民族主義」 四宮正貴 先生 四宮政治文化研究所

 

【司会者】林大悟

【参加費】資料代500円終了後、近隣で懇親会(3千円くらいの予定です)

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395

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造化の三神について

 『古事記』冒頭の「天之御中主神」をいかに把握するかは古来日本神道上非常に重大な問題である。『古事記』冒頭には、「天地初發の時、高天原になりませる神の名は、天之御中主神。次に高御産巣日神、次に神産巣日神。この三柱の神は、みな独神になりまして、身を隠したまひき」と示されている。

 

 日本神話においては神の御名が大きな意義を持つ。古代日本人は、神秘的信仰的な感動をもって神の名を付つけたのである。「天之御中主神」という御名は、日本人の壮大な神観・宇宙観を表している。「天」の「御中」の「主」の神である。大國主・大物主という神がいますごとく、日本人は「主(ぬし)」に対する尊敬心が深かった。天之御中主神は、「大宇宙の中心にいます主宰神」と申し上げて良いと思う。

 

 しかもこの神は、「天地初發の時」に「高天原になりませる神」である。天と地が初めては開かれた時に高天原に成りました神である。天地を創造したのではなく、天地と共に「なりませる(遍在する)」神である。「創造」は創造する神と創造された物が隔絶した関係となるが、「生成」(なりませる)は神と天地萬物萬生は根源的に一体関係であるとして把握される。つまり、天之御中主神は「天地の生成の本源神」として把握されている。したがって単に日本民族特有の神あるいは単なる祖先神・自然神として把握されるべきではない。仏教の久遠の仏、キリスト教などの絶対神(怒りの神・妬みの神ではなく愛の神としての絶対神)と本質的には同じ存在であると把握すべきである。

 

 さらに『古事記』には、天之御中主神の次に高御産巣日神、神産巣日神の名が示されている。そして「この三柱の神は、みな独神になりまして、身を隠したまひき」と示されている。天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神の三神は、独り神すなわち“唯一絶対神”であり、宇宙の根源神としてと書かれている。この三柱の神は「造化の三神」といわれるが、宇宙根源神・絶対神の「中心帰一」「多即一・一即多」「むすび」の原理を神の名として表現したのである。

 

 この三柱の神は、天地宇宙の萬物萬生の普遍的根源神であるから、特定の個別化されたお姿を現されることはなく御身を隠されるのであるのである。だから、「みな独神になりまして、身を隠したまひき」と示されているのである。日本國の神社には、太陽神・皇室の祖先神であられる天照大御神や、その弟神で豊饒神であられるの須佐之男命などをお祭りした神社は多いが、天之御中主神を個別神として祭った神社は非常に少ない。

 

 換言すると、天之御中主神は、唯一絶対神という概念に凝り固まって祭祀や・祈りの対象になりたもうことはないのである。唯一絶対神であると共に八百萬の神々の「御親神」であられる。<一即多・多即一>の神であり、最高唯一神であるとともに萬物・萬生包容の神である。無限の可能性を有する大いなる宇宙主宰神・宇宙本源神が天之御中主神である。八百萬の神々は天之御中主神が無限の姿に現れ出られた神々である。

 

 天之御中主神と一体の関係にある高御産巣日神、神産巣日神は、ムスビの神であり結合の原理であって、結びということが可能なのは“本来一つ”であるからなのである。この“結びの原理”(それは愛・和合・調和・合一と言い換えても良いと思う)というものが絶対神の中に、既に内包されているのである。天之御中主神は単なる理念の神ではなく、愛・和合の神と一体のである。

 

 また、日本神話においては、神が天地を創造するのではなく、天地は神と共に「なりませる」存在なのである。天地・國の生成は、絶対神のうちに内在する“結びの原理”の展開としてあらわれてくるのであって、日本的思惟においてはすべて“一”をもって“創造の本源”とし、そこから無限の生きとし生けるもの・ありとしあらゆるものが生成するのである。そこに、多即一・一即多・中心帰一という大らかにして無限の包容性を持つ文字通り「大和(やまと)の精神」たる日本的思惟の根元が見出されるのである。

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千駄木庵日乗十二月五日

午前は、諸雑務。原稿執筆・脱稿・送付。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事。原稿執筆。書状執筆など。

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2014年12月 5日 (金)

萬葉古代史研究會

小生が講師となり「萬葉集」を勉強する會が次の通り開かれます。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。

 

日時 十二月十日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

 

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

東京都豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 山手線駒込駅北口徒歩二分

 

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

 

初参加の方は、テキストはなくても結構です。初めての方でも分かりやすい内容です。

 

四宮正貴拝

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『萬葉集』とはいかなる歌集か

 大伴家持は、日本の国の国柄の素晴らしさを後世に伝えなければいけないという使命感を持って、「萬葉集」の編纂に関わり、自らも歌を数多く詠んだのである。「萬葉集」は平穏無事の時代に編纂されたのではない。大化改新・壬申の乱などという大変革・大建設の時代に、日本の国の理想・國體の本姿を語り伝へるために「萬葉集」は編纂された。

 

 しかし、支那と比較すればわが国は平穏に歴史を経過して来た。支那は「易姓革命」といって、王室の姓が変わる革命が繰り返された。「易姓革命」とは、儒教の政治思想の一つで、天子は天命により天下を治めてゐるのであって、天子に不徳の者が出れば、天命は別の有徳の者に移り、王朝が交代するといふ思想である。わが国の天皇統治の道統には一切さういふ思想はない。天皇その方が天の神の地上における御代理・御顕現であり、現御神(うつし身として現れられた神)である。天皇の御意志そのものが天命なのである。一系の天子が永遠にわが国を治められるのである。だから支那のやうな王朝の交代とそれに伴ふ国家の分裂や興亡は起こらなかったのである。

 

 近代以前には、「古事記」「日本書紀」「萬葉集」など日本の古典を研究して、わが国の伝統的な思想・精神を究めようとする学問を国学といった。江戸中期に興った学問である。荷田春満・賀茂真淵・本居宣長・平田篤胤の四人がその代表的な学者とされ「国学三大人」と呼ばれた。

 

 近代になって国文学は西洋的学問方法で研究された。文献学を重視したといって良いと思ふ。学問を自然科学・人文科学・社会科学といふやうに分類し、国文学は人文科学の中に入れられた。それに刺激されて、実作の面では、自然主義文学が起こった。

 

 和歌には古今集以来の伝統があった。近代まではこの古今集以来の伝統が非常に重んじられた。古今集の発祥は大伴家持である。恋愛歌が多かった。「うらうらに照れる春日に雲雀あがり情(こころ)かなしも一人し思へば」「春の野に霞たなびきうらがなしこの夕かげに鶯鳴くも」といふやうな歌が古今調に近い。

 

 明治以後になって、西洋の自然主義文学が入って来て、和歌の世界でも、自然をありのままに描写する写生歌が尊重されるやうになった。その代表が、正岡子規である。子規は、優雅さを尊び言葉の遊び的な面も出ていた古今集以来の伝統を否定した。子規は、「古今集はくだらない歌集だ」とまで言った。これを「短歌革新」といふ。

 

 そして子規およびその系列の「アララギ派」の歌人たちは、「萬葉に戻れ」と唱へた。萬葉といっても、家持などの優美な世界ではなく、天地自然の美しさを雄大に歌ひあげる人麻呂などの初期萬葉の世界を良しとした。

 

 しかし、「萬葉集」から始まるわが国の和歌文学・敷島の道は、大らかさと優雅さを兼ね備へたものである。どちらだけが良いといふのではない。

 

「言葉の遊び」に過ぎるやうになった和歌を変革した「短歌革新」はいいことだったのだけれども、古今集の美学である優雅さ・みやびの伝統を全く否定してしまったのはやはり良くない。初期萬葉には初期萬葉の、家持には家持の、「古今集」には「古今集」の良さがある。

 

 明治以後の自然主義の影響を受けた和歌文学に対抗するものとして、与謝野晶子・鉄幹夫妻等の浪漫主義的な和歌文学が生まれる。

 

 写実を重んじる自然主義でなければ駄目だとか、情緒・西洋の文学概念・方法論でわが国の文学を研究することは全然誤りではないけれども、わが国の文学特に和歌は西洋にはないものだから、やはりわが国伝統の考へ方を尊重して研究し、創作すべきである。

 

 三十七文字の短歌(和歌)、十七文字の俳句といった短詩形で定型文学は外国にはない。芭蕉の「荒海や佐渡によこたふ天の川」という俳句は、雄大な景色をわずか十五文字に歌ひあげてゐる。わが国文学の素晴らしさは、そこにある。                        

 

 「萬葉集」には天皇国日本が様々苦難を経ながら国家体制が確立した時期である大和時代から飛鳥奈良時代を経て平安朝初期にかけての「時代精神」「国民精神」が歌はれてゐる。上は天皇から下万民に至るまでの歌が収められている。

 

 雄略天皇の御製から始まり、大伴家持の賀歌を以て終わる「「萬葉集」」は、天皇の御代を讃える歌集であるとともに、わが国の永遠の栄えを祈る歌集である。実におめでたい歌集なのである。そして、天皇中心の日本の国家体制確立の中核精神があますところなく表白されてゐるのである。

 

 「萬葉集」という名称は、色々な説がある。万(よろづ)の葉を集めたという説がある。「葉」とは「言の葉」のことであるとして「多くの人の言葉を集めた」という説である。一方、「葉」を時代と解釈して、「万代まで天皇の御代が続くことを祈る」といふ意味であるといふ説がある。いづれにしてもめでたい歌集であるといふ意味であるには変りはない。この頃は和歌を「言の葉」といふことはなかったといはれてゐるし、「萬葉集」の歌の内容や配列などを見ると、後者の説が有力である。

 

 「萬葉集」という名称は、国民の表白した歌を祝福すると同時に、天皇の御代・天皇国日本を祝福する意義を持ってゐるといふことである。

 

全二十巻の「萬葉集」が、何時、誰によって編纂されたかといふことはなかなか断定しがたい。「萬葉集」の原本は一巻づづ巻物でできてゐて、途中から読むには不便であるが挿入削除には便利である。糊と鋏で歌を入れればいいので、ある程度形が整った後もまた新たに歌が加えられたり、削除された可能性があるので、全体が今の形に完成した時期を特定するのは難しい。

 今日、伝へられてゐる「萬葉集」が完成したのは平安朝の初期といはれてゐる。秘府(図書寮・宮中の書庫)に「萬葉集」が収められたのが、天平宝字三年(七五九)から宝亀二年(七七一)迄の十三年間のいずれかの年であると推定されてゐるので平安初期に完成したとされるのである。結局、「萬葉集」は一時に成立したのではなく長い年月の間に次第に成立していったと見るべきである。

 

 「萬葉集」に収められた歌で、年代的に一番古い歌は、第十六代・仁徳天皇の皇后であらせられる磐姫皇后(いはのひめのおほきさき)の御歌である。しかし、この御歌は伝承歌とされてゐてる。故に、作者が確実にはっきりと判明してゐる歌は、もっと後世の大化改新の頃の歌が最も年代的に古い歌であるとされてゐる。

 

 最も新しい歌は、前述の天平宝字三年(七五九)の正月に大伴家持が詠んだ「新しき年の始の初春の今日ふる雪のいや重け吉事」であるとされてゐるが、「萬葉集」には作られた年代がはっきりしない歌が収められてゐるので、この家持の歌が最も新しいと確実に断定することもできない。

 

 「萬葉集」には、大化改新(西暦六四五)頃から天平宝字三年(七五九)までの約百二十年間に詠まれた歌が収められてゐることのなる。

 

 初期の萬葉と後期の萬葉とではその歌の性質が異なってゐるのは当然である。文化面も、白鳳文化と天平文化とでは大きく異なったものがあるし、政治面も大化改新の時期と奈良朝初期とでは大きく異なってゐる。

 

 編者にも色々の説があって確定できない。全二十巻が一人の人によって編纂されたとは考へられず、また、巻毎に別人によって編纂されたとも考へにくい。少なくとも五、六人、多ければ十数人の手によって、時を異にして編纂されたと見るべきである。しかし、「萬葉集」には大伴一族のことについての記述が多く、大伴家持の歌が「萬葉集」四千五百首の十分の一を占めてゐることから、家持が編纂に大きく関ったことは確実である。

       

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千駄木庵日乗十二月四日

午前は、諸雑務。

 

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

 

この後、施設に赴き母と過ごす。

 

午後六時半より、赤坂の日本財団ビルにて、第86回「日中若手研究者が語り合う新たな両国関係」開催。登壇者は次の通り。【スピーカー】加茂具樹(慶應義塾大学総合政策学部准教授)<中国政治>呉懐中 (中国社会科学院日本研究所政治室主任)<日本政治外交、安全保障>【コメンテーター】-日本-小嶋華津子(慶應義塾大学法学部准教授)<中国政治、外交>星野真(早稲田大学政治経済学術院助教)<中国経済>小黒一正(法政大学経済学部准教授)<日本経済>上神貴佳(高知大学人文学部准教授)<日本政治>三原岳(東京財団研究員)<日本医療介護>-中国-楊伯江(中国社会科学院日本研究所 副所長)<中日関係、日米中関係>胡澎(中国社会科学院日本研究所日本社会研究室主任)<日本女性史、日本社会文化>徐梅(中国社会科学院日本研究所研究員、経済研究室主任)<日本経済、日中経済関係>王春光(中国社会科学院社会科学研究所社会政策室主任)<中国国内人口流動、都市化問題>黄金栄(中国社会科学院法学研究所副研究員)<中国法制>張明(中国社会科学院世界経済と政治研究所国際投資研究室主任)<国際金融、中国マクロ経済>【モデレーター】小原 凡司(東京財団研究員)<外交、安全保障>。なかなか興味深い内容であった。後日報告します。

 

帰宅後は、原稿執筆。

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2014年12月 4日 (木)

天照大御神はなにゆゑ伊勢の地に祭られたのか

天照大御神は、丹波・紀伊・吉備などの各地をお巡りになった後、第十一代・垂仁天皇二十六年の九月、皇女・倭姫命が御杖代となられ、伊勢の五十鈴川上の現在地に祭られるやうになった。

 

宮中には、宮中用の御鏡が鋳造せられ、それを御神体として賢所・内侍所と称される神殿に奉斎され、今日に至る。

 

天照大御神はなにゆへ伊勢の地に祭られたのであらうか。それは、伊勢の地が、大和朝廷の都があった大和盆地の東方にあたり、「日出づる地」であったからであり、大和国の日の神信仰の聖地である笠縫邑から東方に直線で結ばれる地であるからあらう。

 

伊勢の地は、まさしく日の神を祭祀するにふさはしい地であった。事実、伊勢・志摩地方には古くから太陽神祭祀を行っていた形跡があるといふ。

 

『日本書紀』には、天照大御神御自ら、「是の神風の伊勢國は、常世(とこよ)の浪の重波(しきなみ)歸(よ)する國なり。傍國(かたくに)の可怜(うま)し國なり。是の國に居らむと欲(おも)ふ」(この神風の伊勢の國は、永遠の世からの波がしきりに打ち寄せる國である。大和の脇にある麗しい国である。この国に居りたいと思ふ)と宣言されたと記されてゐる。

 

東から太陽が昇る国であると共に、常世の国から波がしきりに打ち寄せる國である事を喜んでをられる。わが国古代人は、海の彼方への憧れが強かった。常世とは、海の彼方にある永遠の国のことで、龍宮伝説につながる。

 

日本人は太古から自分が今生きてゐる世界とは異なる世界すなはち異郷への憧れの心・「他界」へのロマン精神を持ってゐた。日本人は、遠くはるかな水平線の彼方に聖なる神々の世界があると信じた。その世界を「常世」「妣(はは)の国」といふ。そこは不老長寿の世界であり、創造の本源世界と信じられた。龍宮界伝説はその典型である。「海」は「生み」に通じるのである。

 

天照大御神の伊勢鎮座の伝承には、日本人が古来から持ってゐる「常世」「妣の国」=生命の本源への回帰・永遠の世界への憧れの思ひが自然に表白されてゐるのである。

 

伊勢の神宮は、日本伝統信仰の最尊最貴の聖地であり、日本伝統精神がそこに現実のものとして顕現しているとはいかなるものかを実感するには、伊勢の神宮に来て神を拝ろがめば良いのである。理論理屈はいらない。日本伝統信仰が自然に伊勢の神宮といふ聖地と聖なる建物を生んだのである。それは太陽神への無上の信仰であり、皇室への限りなき尊崇の情であり、稲への限りない感謝の心である。

 

天武天皇は、壬申の乱の時、朝明郡迹太川(とほかわ)で伊勢の神宮を遥拝された。柿本人麻呂の高市皇子への挽歌では、伊勢の神風を称へてゐる。

 

西行(平安末期・鎌倉初期の歌人、僧)は、治承四年(一一八〇)六十三歳のときに三十年ほど過ごした高野山から伊勢に移り、伊勢の神宮で

 

「何ごとのおはしますかはしらねどもかたじけなさになみだこぼるゝ」

 

と詠んだ。

 

葦津珍彦氏は、「伊勢に鎮まります天照大御神の神宮は、荘厳にして高く貴い。しかもいささかの人工的な飾り気がなく、誠のおごそかさを感じさせるが威圧感もない。ただ清らかで貴い。この清らかさ貴さは、天照大御神を皇祖神として信奉される天皇の御信仰の気風の自らなる流露でもあるかと察せられてありがたい。」(『皇祖天照大御神』)と論じてゐる。

 

昭和四十二年の秋、イギリスの歴史学者、アーノルド・J・トインビーが夫人と共に参宮された時、内宮神楽殿の休憩室で「芳名録」に記帳し、

 

「この聖地において、私は、あらゆる宗教の根底をなすものを感じます」

 

と書いた。

 

人類は様々の宗教を信じてゐる。そしてそれらの宗教はそれぞれ特色があり、人類に救いと安穏をもたらしてゐる。しかし半面、人類の歴史は宗教戦争の歴史であったともいへる。それは今日に至るまで続いてゐる。神を拝み神を信じる人々による凄惨なる殺しあひが行はれて来た。

 

しかし、宗教の根底にあるものは同じなのである。それは、天地自然の中の生きたまふ大いなるものへの畏敬の心である。伊勢の神宮はまさに、最も純粋に最も簡素にその大いなるものをお祭りしてゐる聖地なのである。

 

 吉川英治は、昭和二十五年十二月に参宮した時、

 

「ここは心のふるさとか そぞろ詣れば旅ごころ うたた童にかへるかな」

 

といふ歌を詠んだ。 

 

日本国民の伊勢の大神への崇敬の心は、教義教条に基づくのではない。日本人としてごく自然な大いなるものへの畏敬の心である。だからこそ、仏教徒もそして外国人も伊勢の神宮に来ると大いなるものへの畏敬の心に充たされ心清まる思ひがするのである。

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千駄木庵日乗十二月三日

午前は、諸雑務。『伝統と革新』編集の仕事。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』原稿執筆、校正。書状執筆など。

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2014年12月 3日 (水)

神道の基本行事たる祭祀について

神道の基本行事は、神を祭ること即ち祭祀である。「祭り」とは神に奉仕(仕へ奉る)し、神の御前において自己を無にして神の御心に従ひ奉ることである。つまり神と自己との一體を確認し、神の御心のままに勤めることをお誓ひする行事である。祭祀は、神人合一の行事である。

 

「祭祀」とは、「始まりの時」に行はれた行事を繰り返し行ふことによって、「始まりの時」に回帰する行事である。日本神道の祭りは、お祓ひ、祝詞奏上、玉串奉奠などを行ふことによって、罪けがれを祓ひ清めて、人としての本来の姿に立ち帰るといふ行事である。言ひ換へると、一切の私利私欲を禊祓ひ去って生成の根源に回帰するといふことである。「無私」になって神に一切を「まつろふ」(従ひ奉る)から「まつり」といふのである。

 

「祭り」の語義に関しては次のやうな説がある

折口信夫氏は、「祭りごととは、食物を獻上する事に關する行動儀式といふ事であるらしい。…神の命令によって、與へられた種子を田に下して作った結果をば、神に奉り、復命する事がまつろふなのだから、まつりごとは、神に食物を食物を獻上する事である」(『祭りの話』)と論じてゐる。

 

柳田國男氏は、「神の大前に侍座して暫く時を過ごす意。根本は尊敬せられるものとの対座面會、後世の語で意へば拝謁に近い語であったかと思ふ」(『神社のこと』)「マツルは…マツラフといふ語と別のものではない。今でいふならば『御側に居る』である。奉仕と謂っても良いかも知らぬが、もっと具體的に言へば御様子を伺ひ、何でも仰せごとがあれば皆承はり、思し召しのまゝに勤仕しようといふ態度に他ならぬ。たゞ遠くから敬意を表するといふだけではないのであった」(『先祖の話』)と論じてゐる。

 

山口悌治氏は、「(まつりとは・四宮註)一切の私利私欲を禊祓ひ去って生成の根源に還ること。…『無私』こそまた『まつり』の本義なのである。したがって『無私』がまた日本の天皇の御本質なのである。…『無私』であるからこそ天意の継承者として天津日嗣にましますのではないか。」(『萬葉の世界と精神』)と論じてゐる。

 

人は、はじめから神に生かされ、神と離れた存在ではなく神と一體の存在であった。しかし、様々の罪穢が、神との一體観・神と共に生きる姿勢と心を隠蔽してしまった。禊によって罪穢を祓ひ清め、祭りと直會(神と共に供へ物を食する行事)によって神との一體観を回復する。これが神道行事の基本である。

 

つまり、人の本来の姿を回復することが「祭り」の原義である。『古事記』に示されてゐる「天地の初発(はじめ)の時」(天地宇宙の始まりの時)に回帰する行事が祭りである。

 

神祭りは、日本傳統精神の原点であり日本傳統文化の祖型である。神祭りでは、共同飲食=神人共食が非常に重要な意味を持つ。「同じ釜の飯を食ふ」といふ言葉があるやうに、共同飲食は、人と人との共同意識・合一感を形成する。

 

祭祀において、神饌を神に差し上げて、これを人も頂戴して、飲食する「直會」が不可欠な行事である。座を変えてものをすることを直るといふが、祭祀を終えて座を変え神からのお下がりを頂戴するので直會といふのであらう。直會とは、「なほり(直)あひ(合)」の変化とも、「なほる(直)」に反復・継続の助動詞「ふ」のついたものの名詞化ともいふ。忌(い)みの状態から平常になほることの意で、そのしるしの飲食をいふ。

 

「直會」は神人共食の行事であり、神と同じものを人が食べることによって神の魂・力・生命が人と一體になるといふ信仰である。神人共食=直會には、人の命を神に帰一し奉る意義がある。神に供へた物を人が食することによって、人は神の生命力を身に付け人の生命力を強化する。この神人共食が、日本の祭りの根幹である。

 

「祭り」とは神への奉仕であり服従であり自己を無にして神の御心のままに行動することであり、神人合一の行事として間違ひではあるまい。「まつろふ」とは、神のご命令に従ひ奉仕しさらに實現しその結果をご報告するといふ意味である。神と合一され、神のみ心を實現されるお方が天皇であらせられる。

 

「祭祀・まつり」は、「元初の時」すなはち日本神話冒頭の「天地初発之時」への回帰である。天地生成の神聖なる時間を今に再生することが祭りである。祭祀は毎年周期的に元初のままに現實の歴史を超越して無関係に永遠に繰返される。

 

「祭祀・まつり」といふ行事によって罪穢れを祓ひ清めるられる。それが現實生活の倫理的精神的な秩序維持となる。現實生活の中における精神・魂そして生活の新生である。

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千駄木庵日乗十二月二日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、施設に赴き、母と過ごす。

帰宅後も、『伝統と革新』編集の仕事。書状執筆。

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2014年12月 2日 (火)

神代に発生し日本の道統を継承する最高の文藝が和歌である

 明治天皇は「まごころを歌ひあげたる言の葉はひとたびきけばわすれざりけり」「世の中のことあるときはみな人もまことの歌をよみいでにけり」「天地をうごかすばかり言の葉のまことの道をきはめてしがな」「ことのはのまことのみちを月花のもてあそびとはおもはざらなむ」と詠ませられてゐる。

 

 ところが徳川幕府が、皇室に対し奉り、規制的意味を以て制定した不敬千万な許し難い反國體的文書である『禁中並びに公家諸法度』(別名『禁中方御条目十七箇条』)に「和歌は、光孝天皇より未だ絶えず、綺語たりの雖も、我が國の習俗なり。棄て置くべからず」などと記されてゐる。

 

 「綺語」とは、美しく表現した言葉といふ意味であると共に、仏教教義上の「十悪」の一つで真実に反して飾り立てた言葉といふ意味である。徳川幕府の和歌といふ日本傳統文學に対する理解がいかに浅かったかを証明してゐる言葉である。

 

 和歌は決して遊びごとでもないし単なる美辞麗句を連ねたものでもない。「月花のもてあそびと」では断じてなく、まさに「まごころをうたひあげたる言の葉」なのであり、「世の中のことあるときによみいでる」ものなのであり「天地をうごかす」力を持つものである。神代の昔に発生し日本の道統を継承する最高の文藝が和歌である。戦國時代の覇者である徳川氏はそのことを全く理解してゐなかったのである。

 

日本國民の草莽の心としての思想・精神とりわけ國體観念は、和歌によって表白せられ傳承されて来た。幕末維新期の志士の歌などを見てもそれは明白である。これを「意識した草莽の精神」と言ふ。

 元寇・明治維新・大東亜戦争など、我が國は國家的危機の時に、國民的な尊皇愛國の精神が燃え上がる。そしてそれと一體ものとして「まごころを歌ひあげる言の葉」即ち和歌が勃興する。それが『萬葉集』であり、幕末維新の志士の歌であり、大東亜戦争で散華した英靈たちの歌である。 

 

今日のおいても、欺瞞的な「戦後平和主義」を排して、「もののふのこころ」「やまとうたの精神」を復興せしめねばならない。

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千駄木庵日乗十二月一日

午前は、諸雑務。『伝統と革新』編集の仕事。

午後は、原稿執筆・脱稿送付。

午後六時より、湯島にて同志三氏と懸案事項について討議。終了後、懇談。

帰宅後は、書状執筆など。忙しい一日であった。

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