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2014年11月 4日 (火)

わが國の傳統的な美感覚「もののあはれ」とは

「もののあはれ」は、日本人特有の美感覚である。「もののあはれ」の「もの」は、外界の事物。「あはれ」は、「あゝ」と「はれ」が結合した言葉。「あゝ」も「はれ」もすぐれて見事なことを見た時に発する感動の言葉。「あっぱれ」は、「あはれ」の転であり、「あはれ」は悲哀に限らず嬉しいことなど物事に感動した時に発する。

「もののあはれ」は、日本の文學精神の主流になった感性であり、自然・芸術・恋愛など人生の出来事に触発されて生ずるしみじみとした趣き・情感のことと定義される。

「もののあはれ」という言葉が最初に登場したのは『土佐日記』の船出の悲しさを語ったところである。

藤原俊成(『新古今和歌集』の代表的歌人)は、「恋せずば人は心もなかるべしもののあはれもこれよりぞ知る」(恋をしないのは人の心がないのと同じだ。もののあはれも恋をすることによって知る、という意)と詠んだ。

近世の國學者・本居宣長はこの俊成の歌を解説して、「大方歌の道はあはれの一言に帰す。さればこの道の極意を尋ぬるにまたあはれの一言よりほかになし。伊勢物語も源氏物語もあらゆる物語もその本意を尋ぬればあはれの一言にてこれをおほふべし」と論じてゐる。 宣長は「もののあはれ」は日本文芸の一番大事な基本精神であると説いた。

宣長は、「よきことにまれ、あしきことにまれ、心の動きてああはれと思はるることがもののあはれ」と説いた。そして宣長自身「ことしあればうれしたのしと時々に動くこころぞ人のまごころ」(『玉鉾百首』)と詠んだ。

紀貫之が執筆した『古今和歌集』の序は、「鬼神をもあはれと思はせるものが和歌である」と説いている。

「もののあはれを知る心」とは、外界の事物に対する自分の心の態度のことであり、自然な心の動である。それが日本文芸の原点である。 しかし「もののあはれ」をやや客観的に見て美しい調べにして表現しなければ藝術としての歌にはならない。自分の情念を客観視して調べに乗せて表現し他者に美しく傳へ他者をも感動させる文藝、それが和歌である。

文藝とは深遠なる哲理や理論・教条を説くものではない。「もののあはれ」を訴えるものである。人間が物事に感動した思ひといふものを、和歌や物語の形式で美しく表現する、それが文藝である。

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