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2014年11月21日 (金)

天皇・皇室と「武の精神」

『現行占領憲法』三原理つの一つであるいはゆる「戦後平和主義」は、我が国の独立と平和と安全を根底から揺さぶり続けてきただけでなく、国民精神を堕落せしめた原因である。自分さへ安穏な生活をしていればいい、みんなのため、国家のために身を捧げるなどといふのは真っ平だといふ思考が蔓延した原因は実に「戦後平和主義」にあったと考へる。

 

戦ひの精神を忘却した国と国民は、他国から侮りを受ける。今の日本がまさにさうである。好戦的な国民になるべきだと言ふのではない。しかし、我が国を無法に攻撃し侵略し支配しやうとする外敵に対してはこれと果敢に戦ふ姿勢は絶対に必要である。その意味で『現行占領憲法』の「似非平和主義」は否定されるべきである。

 

日本伝統精神の「和」の精神、そして歴代天皇の仁慈の大御心を説くのは結構なのであるが、戦後の天皇・皇室論において、天皇・皇室には「武」の精神が無かったやうに誤解される論議があることを残念に思ってゐる。

 

日本國が本来的に和を尊ぶ國であり、天皇・皇室が武力を以て民を支配する御存在ではあらせられないといふことを強調するために、天皇・皇室と「武」との関係を軽視したりあるいは否定してしまふ論議がある。さういふ論議が『現行占領憲法』の誤れる「平和主義」と結びつける人もゐるやうである。

 

天皇が「武」の道統の継承者であらせられることは歴然たる事実である。「三種の神器」に「剣」があることがそれを明白に証明している。「三種の神器」(やまとことばでは、みくさのかむたからと申し上げる)とは、皇位の「みしるし」として、御歴代の天皇が伝承する三つの「神器」である。「神器」とは神の依代(よりしろ・神霊が出現するときの媒体となるもの。神霊の寄りつくもの)を意味する。八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)をさす。

 

古代日本における劔・矛・弓などの武器は、鎮魂の祭具であり神事的意味を持つ。「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」は、須佐之男命が、『記紀神話』では出雲國簸川上(ひのかわかみ)で八岐大蛇(やまたのおろち)を切った時に、その尾から出現したと傳へられる剣である。「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」とも称される。

 

女性天皇も例外ではない。「武」の道統の継承された。天照大神は武装されたし、斉明天皇は百済救援のために全軍を率ゐて出陣された。このことを正しく理解し認識しなければならない。天皇・皇室の「和」のご精神は戦後の似非平和主義とは無縁である。

 

 皇祖天照大御神は、女性神であらせられるが、須佐之男命高天原にまゐ上りたまひし時、「背には千入(ちのり)の靭(ゆき・武具の一つ。細長い箱形をなし、中に矢をさして背に負ふたもの)を負ひ、腹には五百入りの靭を附け、また臂(ただむき・ひじから手首までの間)には稜威(いつ・勢いの激しいこと。激しい力のあること。また、尊厳な性質があること)の竹鞆(たかとも・弓を射る時、左の腕に結び付けて手首の内側を高く盛り上げる弦受けの付けもの)を取り佩ばして、弓腹振り立てて、堅庭(堅い地面)は向股(股のこと)に蹈みなづみ、沫雪なす蹶(く)ゑ散(はららか)して、稜威の男建(をたけび・男らしい勇ましい武勇をふるふこと)、蹈み建びて、待ち問ひたまひしく」と語られてゐるやうに、武装され戦ひの姿勢を示された。

 

神武天皇以来歴代天皇は、文武両面における皇室の道統を継承されてきたのである。これが天皇・皇室の本来の姿であって、「武の否定」は國體の本義・皇室の伝統に反する。

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