« 2014年10月 | トップページ | 2014年12月 »

2014年11月30日 (日)

現御神信仰は今日唯今においても「生きた真実」である

天照大神は、日本民族の農耕生活にとって最も大切な太陽に神であられると共に、その太陽神を祭られる祭り主であられる「すめらみこと」=天皇の祖先神であられる。そして天照大神は日本民族の親神として崇められて来た。

 

歴代の天皇は、玉體は替わられても、「やすみししわが大君 高照らす日の御子」といふ神聖なる本質・神格は全く同じなのである。これを「歴聖一如」と申し上げる。

 

大嘗祭は、天孫降臨といふ元初の事實の繰り返しであり、歴代の天皇が天照大神の御神霊と一體になられるおまつりであり、天皇の神としての御資格の再生であり復活のみ祭りである。大嘗祭は、持統天皇の御代から行はれるやうになったと承る。

 

『萬葉集』の大歌人・柿本人麻呂はその長歌で「やすみしし わが大君 高光る 日の御子」と歌っている。「四方八方をやすらけく御統治あそばされるわが大君、高く光る日の神の御子」というほどの意で、天皇は、天照大神の御子としての無上の神格を持たれるという現御神信仰を高らかにうたいあげているのである。

 

天皇を「日の御子」「天津日嗣日本天皇」と申し上げるのは、天皇が日の神の御神威を継承して日本國を統治されるお方であるということである。「天津」は高天原からの天津神から継承されている神聖なという意で、「日嗣」は天照大神から伝えられた「日霊」を継承するという意である。

 

天皇は、日の神=天照大神の神威・霊威を体現される御存在であられ、天照大神の「生みの御子」すなわち「現御神」として君臨されているのである。

 

天皇は血統上は先帝から今上天皇が皇位を継承するのであるが、信仰上は歴代の天皇お一方お一方が天照大神の「生みの御子」であらせられる。皇祖・天照大神との御関係は、邇邇藝命・神武天皇・今上天皇も同一である。これを「歴聖一如」と申し上げる。

 

地上に天降られた邇邇藝命は肉身としての皇統の祖として祭られ、南九州に御陵が鎮まっている。天照大神は皇祖神として伊勢の神宮に祭られている。

 

この尊い事実を會澤正志斎は、「神州は太陽の出ずる所、元気の始まる所にして、天日の之嗣、世(よよ)宸極(しんきょく)を御し、終古易(かは)らず」(新論)と言った。日蓮も「日本國の王となる人は天照大神の御魂の入代らせ給ふ王なり」(高橋入道殿御返事)と言っている。現御神信仰・現人神信仰は決して近代日本において人為的オロギーとして作られたものではないのである。

   

 

昭和天皇は、昭和三十五年に、

 

 さしのぼる 朝日の光り へだてなく 世を照らさ むぞ わがねがひなる

 

と歌われ、同三十四年には

 

 あなうれし 神のみ前に 日の御子の いもせの契 り 結ぶこの朝

 

と詠ませられている。この二首の御製は天皇および皇太子は「天照大神の生みの子」即ち「日の御子」であるという御自覚を歌われているのである。

 

これらの御製を拝すれば、昭和天皇が「昭和二十一年元旦の詔書」においていわゆる「神格」を否定され「人間宣言」をされたなどという説が大きな誤りであることが分かる。

 

天皇が現御神であらせられるということは古代日本人がつくりあげた「虚構」ではなく、今日唯今においても「生きた真実」なのである。  

 

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十一月三十日

午前は、諸雑務。

午後は、施設に赴き、母と共に過ごす。

午後六時より、春日の文京シビックセンターにて、『ジャパンライジングプレゼンツ 晩秋の大勉強会ー来近くて遠い過去、大日本帝国の時代』開催。瀬戸弘幸・山岸崇両氏及び小生が講演。

帰宅後は、原稿執筆。

| | トラックバック (0)

2014年11月29日 (土)

ブルース・ストークス氏(ビュー・リサーチセンター国際経済世論調査部門ディレクター)の講演内容

九月二十四日行われた「東京財団フォーラム・『好き嫌いと経済連携』-アジアにおける対米・対中感情と経済連携の行方」におけるブルース・ストークス氏(ビュー・リサーチセンター国際経済世論調査部門ディレクター)の講演内容は次の通り。

 

「日本はアメリカにとって一番大事。日米関係は最も重要な関係。中国にどう対応するかが問題。日米は緊密に連携していく必要あり。中国は日米共通の課題。『ビュー・リサーチセンター』はワシントンにあるシンクタンク。民主主義のための情報を出す役目を果たす。アメリカの調査機関としてはアメリカ一。

 

アジア系のアメリカ人は最もリッチで最も高学歴の移民。八十二か国で四万八千人に調査を行った。日本では毎年調査している。アジア人は、中国よりアメリカに好感を持っている。中東はアメリカより中国に好感。日本とベトナムは中国が大嫌い。アメリカの若い人は年長者に比べて中国に好感している。アジアは若者よりも年長者が中国を好感している。バングラディシュは、中国が経済力を強めているのは良いことだと言う。ベトナム、フィリッピン、インドは脅威を感じている。二〇〇五年以来、中国人が嫌いと言うアメリカ人が増えている。日本人はアメリカ人よりももっと中国が嫌い。一〇人のうち九人が嫌いと答えている。日本人の七%しか中国人を好感していない。

 

ブッシュの時代、世界で反米が強かった。フィリッピン人はずっとアメリカを好感して来た。それなのにクラーク基地は何故追い出されたのか。日本人は好感度の上下変動が激しい。東日本大震災の時。アメリカへの好感度が急騰した。パキスタン人はアメリカが嫌い。ベトナムとタイの七十五%の人がアメリカを好感している。中国の若い人もアメリカを好感している。ブッシュの人気は高くなかった。オバマ政権で潮目が変わった。日本では六十%がオバマ政権を支持。アメリカでは四十%。アジアの人々は圧倒的にアメリカが世界最大の経済大国と思っている。ヨーロッパでは、中国が世界最大の経済大国と答えた。

 

ベトナム、フィリッピン、マレイシアは、日本を高く評価。中国はアメリカを追い抜いて世界の超大国になると答えている。日本と貿易を増やしたいと答えている。中国よりも日本と近くなりたいと答えている。アメリカの若者はアジアこそ未来と思っている。

 

アメリカの若い人はTPPに賛成している。低所得層もTPPへの支持が高い。貿易に関わる職業についている人が少ないからである。日本人の五八%は外国資本や外国人がやって来ることに嫌悪している。ドイツと日本は固有文化を破壊されることを嫌っている。

 

中国はアメリカが脅威。アメリカはロシアが脅威。日本はアメリカと強力な関係を望む。パキスタンは中国と強力な関係を望む。中国の領土問題が戦争になると六十二%が答えている。最も心配するべきこと。こういう人は昨年より増えているし普遍化している。

 

四十四か国、六十八の言語で今年の調査を行った。インドは言語が多い。シリアが何処にあるかを正しく答えた人は二十五%。どんな政策も持続させたいのなら国民の支持が必要。世論が大事。経済が原動力なら、日本人の中国好感度は高いはず。しかし、領土問題などがあり、中国に対する嫌悪感が広がっている。それが経済関係に影響する。

 

世論調査はアートであってサイエンスではない。我々の調査は一般的感情を調査する。人間は無制限に同時に相反する事、矛盾した事を考える。二律背反になる。人間は矛盾の塊。共和党がアメリカ上院を牛耳ることになるであろう。ヒラリーが大統領になるかどうかははっきりしない、共和党の方が貿易には良いと思っている。有権者の構成がどんどん変化している。民主党支持者には女性と少数民族が多い。人口構成が変化しているから党員の構成も変化」。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十一月二十九日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』などの原稿執筆。明日の講演の準備など。

| | トラックバック (0)

この頃詠みし歌

日々(にちにち)をつつがなく過ごすを喜びて観音堂に参る夕暮

 

今日もまた心ゆたかに過ごさんと神仏の前に坐して祈れり

 

量販店の雑踏の中を歩きつつ生きてゐることを確かめてゐる

 

心やさしき征夷大将軍実朝の歌を繰り返し口ずさみをり

 

東海林藤山霧島田端今は亡く動画を見ては懐かしみをり

 

年老いし人々が並ぶ食堂にわが母も車椅子に坐したまふなり

 

わが部屋のトイレ洗面所を掃除して身も清めるが朝(あした)の習ひ

 

ひたすらに生き行く人の多ければ我一人怠惰に生き行くべきや

 

遠くより我を励ます声聞こゆ神の声かと力湧き来る

 

若き日のすめらみことの御姿を写真に拝する有難さかな(『天皇陛下傘寿記念特別展「天皇陛下 昭和28年欧米14か国の旅~新たな感動と出会い~」』)

 

ハワイ北米の日系人が歓喜せる写真を見つつ胸迫るなり()

 

日の本の光を世界にしらしめすわが大君の尊き御姿()

 

天地と共に輝く日の本の天津日の御子の御稜威かしこし()

 

神々しく皇居の森は紅葉して美しきかも日本の秋

 

東御苑の色づきし木々を眺めつつすめらみ国に生れし幸を思ふ

 

仕事を終へ家路につける人々と共に揺れつつバスに坐しをり

 

母と別れて乗りたるバスは走り行くさみしき心の我を乗せつつ

 

友どちとおでんをつつき語らへる初冬の夕べはひそやかにして

 

漂泊の思ひなど我にはさらに無しこの賑はへる東京を愛す

 

朝は神に夜は仏に祈りつつ日々を過ごせる我にしありけり

 

ゆったりと飛行船は空を動き行く 我は忙しなく地上に生きる

 

頑張って下さいと言へば頑張りますと答へし代議士溌剌として

 

わが部屋の窓を開きて朝の風を招き入れたる爽やかさかな

 

わが部屋に風通らせて布団たたみ新しき日が始まらんとす

 

諏訪台の木々の紅葉を眺めつつこの年もやがて過ぎ行くを知る

 

仏前に供へし黄色の百合の花 咲ききはまれば散るを惜しめり

 

み佛と先祖の御霊に手を合はせ 夜更けに一人経を誦しをり

 

友ら集ふみまつりの庭に今日坐して心新たに國を祈れり(三島由紀夫・森田必勝両烈士顕彰祭)

 

命懸けし二人の烈士を偲びつつ檄文奉読を慎みて聞く()

 

西の空に浮かべる雲を見はるかし西方浄土を戀ほしみてをり

 

赤きリンゴ皮をむき食する嬉しさよ甘き実は喉を通り行きたり

 

柔和なる顔となりたる母の前に座りてうれしき我が心かも

 

雨に濡れ風に吹かれて歩み行く施設に過ごす母に逢はんと

 

我と会ひ拍手して喜ぶ母上をいとしと思ふ生みの子われは

 

色づきし神宮の森を歩み行き都の眞中の自然に親しむ

 

初冬の夜 更けゆく時に 暖房にぬくもりにつつ書を讀みてをり

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十一月二十八日

午前は、諸雑務。

昼は、知人と懇談。

この後、施設に赴き、母と過ごす。

帰宅後は、『伝統と革新』原稿執筆。

| | トラックバック (0)

2014年11月28日 (金)

『宮中の和歌―明治天皇の時代』展を拝観して

本日拝観させていただいた宮内庁宮内公文書館・明治神宮共催展示『宮中の和歌―明治天皇の時代』展は、「本展示では,ご生涯で約93千首余りの御製をお詠みになり和歌を大切にされた明治天皇が,伝統を踏まえ,また時代の変化に対応しどのように和歌を受け継がれたかを,明治神宮宝物殿と宮内庁宮内公文書館に所蔵されている資料でたどっていきます。

 

 まず,明治に至るまでの歴代の天皇の御製を展示し,皇室の歴史の中で天皇が和歌を詠まれることが伝統的な営みであったことを紹介します。

 

 次いで,新年の歌会始について資料を展示し,明治天皇が皇族や公家などが天皇に和歌を奉るという伝統的な形式を受け継ぎつつも,広く国民から詠進を募るという新たな制度を確立され,現在の歌会始の基礎を築かれたことを示します。

 

 また,新年だけでなく毎月決まった日に明治天皇が催された月次歌会に関する資料や,さらに明治天皇の御製,昭憲皇太后の御歌の紹介などを通して,明治天皇の和歌に対するお志や宮中において和歌がご生活の一部となっていたご様子がしのばれるような展示会とします」との趣旨で開催された。(案内書)

「後桜町天皇宸翰和歌懐紙幅(図書寮文庫所蔵)」「孝明天皇宸筆懐紙掛軸」(宮内庁所蔵)「明治天皇宸筆御製 孔明(明治神宮所蔵)明治天皇宸筆の御製御色紙」「歌会始の図(宮内公文書館所蔵)」明治23年(1890)に行われた歌会始を元に描かれた図。二世五姓田芳柳(ごせただほうりゆう)作。「鳳凰の間装飾下絵(宮内公文書館所蔵)歌会始が行われた明治宮殿「鳳凰の間」の壁面装飾下絵。明治25年(1892)の作」「御歌所日記(宮内公文書館所蔵)天皇の御製・皇后の御歌や歌会始に関する事務などを掌った御歌所で作成された事務日誌」「歌会始詠進懐紙(宮内公文書館所蔵)明治14年(1881)に詠進された,有栖川宮幟仁(たかひと)親王の御懐紙(かいし)」「明治天皇御製(宮内公文書館所蔵)明治天皇の御製を御歌所寄人などが色紙に書き付けたものを,手鑑(てかがみ)帖に仕立てた資料。大正~昭和初期頃に作成された。全12枚の色紙が収められている」などを拝観。

 

『明治天皇御幼時御詠草』を拝観したが、孝明天皇が御自ら添削されてゐた。明治天皇におかせられては、御幼少の砌、孝明天皇より直接和歌のご指導をお受けになられたのである。明治天皇がはじめて詠まれた御製を記させていただく。

 

「月見れば 雁がとんでゐる 水のなかにも うつるなりけり」

 

明治天皇が、ご生涯で約93千首余の御製を詠まれたのは、御幼少の頃、孝明天皇の慈愛に満ちたご教導の賜物であると拝察する。日本天皇の国家統治の道統は、祭祀と和歌が基本である。和歌は天皇統治と一体てれある。和歌は単に趣味や芸能の一分野ではなく、『古今和歌集』の序に「民の心を和らぐる道」とあるように、国を平和に治める基本であった。

 

天皇は、神の御心のままに國を治められると共に、臣下・民の心を良くお知りになり、お聞きになって、この國を統治あそばされるのである。

 

そして、天皇と民の心をつなぐものが「やまとうた」=和歌である。天皇は御製によってその御心を民に示したまひ、民もまた歌を捧げることによって民の心を天皇にお知りいただくのである。その傳統は、毎年行はれる「新年歌會始」に継承されてゐる。

 

天皇統治とやまとうたは切り離し難く一体なのである。君民一体の國柄は和歌によって保たれてきた。神代の昔より、今日に至るまで、高下貴賎の区別なく継承されて歌はれて来た文藝が和歌である。かかる優雅にして清らかなる君民一体の國柄は他の國には見られない。

 

小田村寅二郎氏は、「遠い遠いところに居られるやうに感じてゐた御歴代の天皇がたが、御歌を拝読するわれわれの目の前に、身近にお姿を現され、お聲をかけてくださるやうな気さへしてくる。『詩歌』とはまことに不思議なものであり、とくに『和歌』を介しての作者と読者とは、時空の隔たりを超えて心一つに通ひ合ふことができさうである。」(『歴代天皇の御歌』はしがき)と論じてゐる。

 

 天皇・皇室は、神代以来、祭祀を継承されると共に、和歌の道を連綿として継承されてきた。そもそも和歌の起源は、皇室のご祖先であられる神代の神々のお歌に遡る。わが國の文藝(歌・物語)の起源は祭詞から発生した。わが國は祭祀國家であり、天皇はわが國の祭祀主であらせられる。天皇の國家統治は、祭祀と和歌がその基本である。

 

天皇主宰のもとに行はれる「勅撰和歌集」の編纂が、和歌の継承に不可欠であった。今日、「勅撰和歌集」が編纂されなくなってゐるのは、わが國の國柄が正しく開顕してゐないといふことである。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十一月二十七日

午前は、諸雑務。

午後は、明治神宮文化館にて開催中の「宮中の和歌―明治天皇の時代」拝観。拝観を終えて、本殿に参拝させていただこうと思ったら、午後四時にて、閉門とのことで参拝できなかった。

141127_145902

明治神宮参道

帰宅後は、資料の整理など。

| | トラックバック (0)

2014年11月27日 (木)

自民党と公明党の連立政権は野合である

 安倍総理は、「戦後レジームからの脱却」と言っていたが、最近はあまり言わな  くなった。その最大の理由は、連立相手である創価学会・公明党が、安倍氏が脱却を目指す「戦後レジーム」の中で生まれ成長して来た政党だからであろう。それは公明党の「現行憲法」擁護・似非平和主義・対共産支那外交姿勢に端的に表れている。

 

 

 

 創価学会公明党は、池田大作=創価学会が国家を支配することを最終目的とする集団であり、そのためなら手段を選ばない。創価学会を批判する勢力は徹底的にこれを排除し抹殺せんとする。日蓮正宗宗門や池田批判を行った竹入義勝・矢野絢也両氏などへの猛烈なる迫害・攻撃を見ればそれは明白である。自由民主党の基本理念たる「自由民主主義」と全く相容れない教団・政党が、創価学会・公明党である。

 

 

 

 安倍晋三総理及び安倍氏を支持する人々は、「外国人参政権法案」や「人権擁護法案」に関して国益を害すると反対してきた。しかし、創価学会・公明党はこの二つの「法案」成立に積極的である。

 

 

 

 『尖閣諸島シナ漁船衝突事件』でにおける民主党政権による不当不法な「シナ人船長の釈放」を歓迎したのみならず、支那船舶の暴虐を記録した「ビデオ映像」の公開にも「日中関係に問題を起こす」として一貫して反対していたのが公明党である。(時事通信(2010924日付)が、「公明党では、山口那津男代表が、『釈放は一つの転機になる。法的な主張をぶつけ合うより、政治的な解決をしていく場面に転じた。釈放判断は必ずしも否定するべきではない』と評価した」と報道。後者についても同じく時事通信(2010105日付)が、「【尖閣】公明党、ビデオ公開要求に反対 日中関係に『問題起こす』」という見出しで報じている)

 

 

 

 

 

 創価学会・公明党は、「平和」だ「福祉」だ「人権」だと唱えながら、世界最大・最悪の侵略国家、好戦国家、人権侵害国家=共産支那と節操のない無批判な「友好関係」にあるのが創価学会・公明党である。

 

 

 

 自由民主党は、「自主憲法制定」を党是とし、「改憲試案」まで作っている政党である。ところが、創価学会・公明党は、「加憲」などという事を唱えてはいるものの、本質的には、『現行占領憲法』擁護を党是とし、憲法改正・自主憲法制定には反対である。国家基本問題中の基本問題たる「憲法」でまったく意見が異なる政党が連立政権を組むなどという事まさに典型的な野合である。創価学会・公明党は、自民党が提言した「憲法96条の先行改正」についても「慎重に議論すべき」と反対した。公明党の憲法問題に対する姿勢は、「左翼護憲派」と全く同じであり、「自主憲法の制定」を党是とする自民党とは全く相容れない。

 

 

 

 

 

 「教育基本法」改正の際、「愛国心」の表現をめぐって公明党は「戦前の国家主義を連想させる」として、改正基本法から「愛国心」の言葉を外すよう抵抗を続けた。その結果、「愛国心」の「心」が外され「態度」と変更された。「心」でなく「態度」であれば「内心の自由、心の問題に踏み込まない」と公明党は主張したという。「態度」は「心」の表現である。公明党の主張は言葉の遊び以外の何ものでもない。「愛国心」を教育の場で教えるという肝心要の事に文字通りイチャモンをつける政党が公明党なのである。

 

 

 

 安倍内閣が、「河野談話」「村山談話」の白紙撤回はおろか、見直しすら出来ないのは、公明党が反対しているからではないか。

 

 

 

以上述べてきた如く、自公連立政権は、自民党支持者のみならず、国家国民、そして自由と民主主義を蔑にする行為である。

 

 

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十一月二十六日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆。

この後、施設に赴き母に付き添う。元気なり。有り難し。

帰宅後は、資料の整理。原稿執筆・脱稿・送付。

| | トラックバック (0)

2014年11月26日 (水)

戦勝国から押しつけられた「現行憲法」を無効にしなければ主権独立はない

 「現行憲法」は本質的に「占領行政基本法」であるから占領終了後停止すべきであった。防衛は米軍が全部やってやるという占領時代の憲法をいまだに持っているのはおかしいし、「現行憲法」が存続する限り日本は独立と安全と平和を守ることはできない。

 

 「現行占領憲法」は、日本が主権を持っていなかった時期に戦勝国によって押しつけられたのだから、主権を回復した時に無効とすべきであった。一条一条を取り上げて改正を論じたり、その是非をあげつらっているだけでは、何の解決にもならない。

 

 部分改正論は、小さな一時一局の政治問題の解決がその目的とされており、日本の真の自主独立、戦後の敗北思想からの解放を目的としたものではない。

 

「現行占領憲法」は、その「前文」を見ても明らかな如くその根本において日本弱体化のための憲法なのである。効力を失わしめなければ駄目なのである。

 

 国防という国家存立の基本が、いわゆる「解釈改憲」で成り立っている状況は何としても是正されなければならない。現在の政府の国防論は国会答弁用の国防論である。国防に関しては、日本は法治国家ではない。国を守る義務を憲法でキチンとしておかなくてはならない。解釈憲法論・国防論が全ての混乱の根源である。

 

 ともかくも、戦後日本が被った化けの皮を剥がすことが大事である。戦勝国から押しつけられた「現行憲法」を無効にしなければ主権独立はない。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十一月二十五日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆の準備など。

午後六時より、紀尾井町のホテルニューオータニにて、『村上正邦を生かしてくださった友情に感謝する会』開催。

南丘喜八郎氏が司会。平沼赳夫・下村博文・アントニオ猪木・山口敏夫・園田博之・亀井静香・中村慶一郎・木村三浩の各氏などがスピーチ。村上正邦氏が挨拶を行った。多くの同志・友人・知人にお会いした。

村上氏は、すでに議員を辞しておられ、囹圄の身にもなった方であるが、盛大な会合であった。人徳ゆえであろう。まだまだ政界に大きな影響力を持っている。小生が高校生の頃、生長の家の活動を熱心にしていた時、生長の家の推薦で参院全国区に立候補した故玉置和郎氏の秘書をしておられた村上氏と知り合った。その後、村上氏自身も参院議員となられ大活躍された。労働大臣・参議院議員会長などを歴任され、参議院のドンとまで言われた実力者になられた。拓殖大学出身で閣僚になったのは、村上氏と鈴木宗男氏のお二人だが、どういうわけか、お二人とも囹圄の身となられた。しかし、これまたお二人とも、逆境をはねのけ、今日、大活躍している。

帰宅後は、資料の整理。

| | トラックバック (0)

2014年11月25日 (火)

「ジャパンライジング プレゼンツ 晩秋の大勉強会」のお知らせ

下記のような会合が開かれますのでご案内申し上げます。尚、案内文は主催者が作成したものです。

 

 

 

ジャパンライジング プレゼンツ

 


晩秋の大勉強会

 


「近くて遠い過去、大日本帝国の時代」

 


11
30()18時開始

 

 

 

会場 文京シビックセンター、5AB会議室(5階の会議室A及び会議室B)

 

     東京都文京区春日一丁目16の21、電話03-5803-1100

 

参加費1,000円

 

 

 

講師 四宮正貴 (四宮政治文化研究所代表)

 

    瀬戸弘幸 (せと弘幸BLOG『日本よ何処へ)

 

    山岸崇 (梓弓 顧問) 

 


年末を迎えるにあたり本年の総決算となる勉強会を開催致します。

 

ジャパンライジングでは日本の病巣である憲法についての勉強会やデモを行ってきました。

 

有難いことに参加者も増え、少しずつですが前進していると感じております。

 

しかし、もう少し分かりやすいものに出来ないかと自問自答する日々でもありました。

 


この勉強会の題名もなかなか決まりませんでした。
伝えたいことがありすぎるからです。
当たり障りの無い題名に決まりかけましたが、この題名にしました。
我々は戦前について、大日本帝国についてどのくらい知っているでしょうか。
当時の日本人の生き方や考え方。
社会の様子。
それを知らなくては敵国に作られた憲法に含まれる毒素にも鈍感になります。
我々が守らなくてはならないのは現在の領土や財産だけではなく日本の伝統・国柄なのです。
領土や財産は奪い返せますが伝統・国柄をうしなってしまっては日本は終わりです。

今回はジャパンライジングの勉強会では初となる行動保守の重鎮、瀬戸弘幸氏も登壇されます。

大日本帝国とはどのような国だったのか。

 

國體(伝統・国柄)、憲法や皇室典範のこと。

 

天皇陛下と我々国民との関係などなど。。。

 

皆さんと共に学びたいと思います。

 

この勉強会で学んだことは同志諸君の戦場において必ずや精神の背骨となるだけでなく、

 

メタル兄弟が主催するのだから楽しい会になることも約束しよう。

 

 

 

皆に会えるのを楽しみにしているぜ。

 


ジャパンライジング

 

メタル兄弟

 


We
 Rock!

 

| | トラックバック (0)

萬葉古代史研究會 のお知らせ

四宮正貴が講師となり「萬葉集」を勉強する會が次の通り開かれます。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。

 

 

 

日時 十二月十日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

 

 

 

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

 

東京都豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 山手線駒込駅北口徒歩二分

 

 

 

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

 

 

 

 

初参加の方は、テキストはなくても結構です。初めての方でも分かりやすい内容です。

 

 

 

 

| | トラックバック (0)

柿本人麻呂が歌った「天皇のご本質」と『現行占領憲法』の國體隠蔽

『萬葉集』の代表歌人柿本人麻呂は、「輕皇子(かるのみこ・後の第四十二代・文武天皇)の安騎野(あきのの)に宿りましし時、柿本朝臣人麻呂の作れる歌」といふ「長歌」冒頭において、 日本天皇の御本質を次のやうにうたひあげてゐる。

 

「やすみしし わが大君 高照らす 日の皇子(みこ) 神(かむ)ながら 神(かむ)さびせすと…」(やすらけくたいらけく四方八方を御統治あそばされるわが大君、高く照らすわが日の神の皇子は、神様であるままに、神様らしく振る舞はれるべく…、といふほどの意)

 

 

「やすみしし わが大君」は、萬葉仮名では「八隅知之」と書かれてゐる。「四方八方を知る」といふ意である。「天皇は空間的に日本國の四方八方をしろしめしたまふ」といふことである。或いは、「安見知之」とも書く。これは「やすらけくこれを見、知る」といふ意で、「天皇は空間的にたいらけくやすらけく日本國をしろしめしたまふ」といふことである。

 

 「高照らす 日の皇子」は、「高く照っておられる日の神の皇子」といふ意である。これは、日の神であらせられる天照大神が、生みの御子であられる邇邇藝命を地上に天降らせたまひて天の下を統治せよと御命令になって以来、邇邇藝命の子孫である天皇が日本國を統治されてゐるといふ時間的事實を言った言葉である。

 

 つまり、「やすみしし わが大君 高照らす 日の皇子」といふ対句表現(語格や意味の相対する二つ以上の句を対照的に並べて表現する修辞的技巧)は、現御神として時間的連続性・空間的統合性に基づいて日本國を統治される天皇の御本質を、神話的・詩的に美しく表現した言葉なのである。かうした表現は、『日本書紀』の歌謡の中に現れてをり、『古事記』では景行天皇記の日本武尊の御歌の中に「高光る 日の御子」といふ言葉がある。

 

 「日本國の象徴」「日本國民統合の象徴」と規定している『現行占領憲法』の「天皇条項」は、「やすみしし わが大君」といふ空間的統合性・精神的統一性はある程度表現してゐるが、「高照らす 日の皇子」といふ時間的連続性・歴史的伝統性は表現されてゐない。

 

 天皇は武力で空間を制圧して國家を治められてゐるのではなく、天照大神(太陽の神)の御子としての神聖なる権威によって治められてゐる。そしてその根幹は天神地祇を祭られる<天皇の祭祀>である。日の神信仰はわが國だけに傳へられてゐる信仰ではないが、稲作生活を営む日本民族にとって太陽はなくてはならぬ存在であるので、わが國では、日の神信仰(太陽信仰)はより強固なものであった。その日の神の御子が祭り主日本天皇であらせられる。

 

 天皇は國民を統率して、國民を代表して、神様に祈り、神を祭り、神の御命令を民に傳へる役目を果たされる。ゆへに、民から仰ぎ拝すれば、天皇は地上における神の御代理即ち現御神であらせられるのである。  

 

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十一月二十四日

午前は、諸雑務。

午後二時より、ホテルサンルート高田馬場にて、『三島由紀夫・森田必勝両烈士顕彰祭・記念講演会』開催。島田康夫氏が斎主。祭詞奏上・献詠奉唱・「英霊の声」拝聴・「檄文」朗読・遺詠奉唱・玉串奉奠なとが執り行われた。そして木村三浩一水会代表が主催者挨拶。この後、安田光敦日本武道教育新聞社編集主幹が記念講演を行った。山浦嘉久氏の発声で「聖壽万歳」を行い、閉会した。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、資料の整理・原稿執筆。

| | トラックバック (0)

2014年11月24日 (月)

天孫邇邇藝命御降臨の御精神

 天皇による日本の祭祀的統一といふ歴史を背景として成立した『日本神話』には、天皇の御祖先である邇邇藝命が高天原から地上に天降られる時に、天照大神からの御命令(御神勅)が下されたと記されてゐる。

 

 それには、「豊葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の國は、これ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。爾(いまし)皇孫(すめみま)、就(ゆ)きて治(し)らせ。行矣(さきくませ)。寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、當(まさ)に天壤と窮まりなかるべし」(豊かな葦原で秋になると稲穂がたくさん稔る國は私の生みの子が統治すべき地である。なんじ皇孫よ、これから行って統治しなさい。元気で行きなさい。天の日の神の靈統を継ぐ者が栄えるであらうことは、天地と共に永遠で窮まりないであらう、といふほどの意)と示されている。

 

 さらに、「吾が高天原に所御(きこしめす)斎庭の穂(いなほ)を以ちて、また吾が兒(みこ)に御(まか)せまつるべし」(私の高天原に作っている神に捧げる稲を育てる田の稲穂を私の子に任せよう、といふほどの意)といふ御命令を下された。

 

 天孫降臨神話の意味するところは、穀物を實らせる根源の力である太陽神の靈力を受けた天邇岐志國邇岐志天津日高日子番能邇邇藝命(アメニギシ・クニニギシ・アマツヒコ・ヒコホノ・ニニギノミコト)が、地上に天降り稲穂を實らせるといふことである。それがわが日本の始まりなのである。そして、天照大神の神靈をそのまま受け継がれた「生みの子」たる邇邇藝命及びその御子孫が永遠に統治される國が日本であるといふことを端的に表現してゐるのである。

 

 天邇岐志國邇岐志天津日高日子番能邇邇藝命という御名前は、「天地に賑々しく實ってゐる太陽神の御子であり立派な男児である稲穂の靈の賑々しい命」といふほどの意である。邇邇藝命とは、太陽神の御子であるとともに稲穂の神の神格化である。この國の人々の生命の糧である稲穂が毎年豊かに實るやうに、といふ古代日本人に共通する切なる願ひが天孫降臨神話を生んだのである。   

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十一月二十三日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後も、原稿執筆・脱稿・送付。続いて書状執筆。

| | トラックバック (0)

2014年11月23日 (日)

『解散詔書』奉読について

伊吹文明前衆院議長が萬歳をすべき時について注意したのは良いが、何ゆえ、「詔書」を捧げ持って奉読しなかったのか。また、「詔書を朗読します」ではなく、「奉読します」と申し上げるべきであった。

| | トラックバック (0)

2014年11月22日 (土)

古代日本の統一は祭祀的・信仰的統一であった

 日本國の本質は、祭り主・天皇を中心にした國民の信仰的・精神的共同體である。農耕生産の共同生活を営む人々の祭祀がその中核である。祭り主である天皇の祭祀が及ぶ範囲が広がって行って生成された國である。これを『日本神話』は「神が日本國を生みたもうた」と表現した。

 

 したがって、日本といふ國家の本質は権力者が國民を支配するための機関すなはち権力國家ではないし、日本國の君主たる天皇は、武力や権力を以て國民に命令を下す権力者ではない。また、多数の個人が契約を結んで作った國でもない。さらに、世界の多くの國々のやうな征服や革命によって人為的に成立した國家でもない。だから我が國の國體を「萬邦無比」といふのである。

 

 日本民族の生活の基本たる稲作に欠かすことのできない自然の恵みが、太陽であり大地である。日本民族は太陽と大地を神として拝んだ。その太陽の神が天照大神である。また大地の神は國津神として祭られた。また稲穂そのものも神の靈が宿ってゐるものとして尊んだ。そして、古代日本人は太陽神・天照大神を最も尊貴なる神として崇めた。

 

 天照大神をはじめとする天津神、大地の神である國津神、稲穂の靈をお祭りされ、國民の幸福と五穀の豊饒を祈られる祭り主たる天皇は、天照大神の御子即ち日の御子として國民から崇められた。そして、天照大神は、太陽の神であると共に、皇室の御祖先神であると信じられた。

 

 そして、祭り主たる天皇を、稲作を営む古代日本人の共同體の統合と連帯の中心者として仰いだ。

 

 つまり、古代日本の統一は、日の御子たる天皇が行はれる祭祀を中心とし、その祭祀が地方の祭祀を次第に全國的に統一されることによって實現したのである。つまり、古代日本の統一(日本國の生成)は、祭祀的統一である。各部族間の武力闘争はあったにしても、その有限的にして相対的な勝利は、最終的には神への祭祀によって聖化された。

 

 大和朝廷による祭祀的統一によって、日本民族が狭い部族的あるいは地縁的な共同體の分立から、今日の日本國の原形である全體性を確立した。その中心にあったのが<天皇の祭祀>である。これが「祭」と「政」の一致なのである。かかる意味において、日本國は天皇を中心とした信仰共同體(神の國)なのである。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十一月二十二日

午前は、『政治文化情報』発送作業、作業終了。購読者の皆様には週明けにはお届けできると存じます。

午後は、諸雑務。

この後、施設に赴き母に付き添う。

午後六時より、神田学士会館にて『憲法懇話会』開催。高乗正臣平成国際大学副学長が座長。小生が「國體論」について報告。活発な討論が行われた。終了後、出席者と懇談。

帰宅後は、原稿執筆。

| | トラックバック (0)

、『現行占領憲法』の欺瞞的・亡国的「平和思想」から一日も早く脱却しなければならない

「憲法の前文もね、以前は『あんなわかりにくい、英語で読んだほうがわかりやすいような文章は日本語じゃない、本当の日本語に変えるべきだ』と思っていたんですけど、中曽根さんが書いたやつとか、その後舛添さんが書き直したのとかを読むと、今のもののほうがまだ格調高くていいなあ、と()」。

 

これは、私が高校生の頃から、宗教活動・民族運動の先輩としてお世話になっていた方の発言である。しかし、残念ながら私は『現行占領』の「前文」が「格調が高くていいなあ」などとは決して思わない。

 

北方領土は、旧ソ連が武力によって侵略し占領した。竹島は、韓国が武力によって侵略し占領した。尖閣・沖縄も、支那が武力によって、侵略しようとしている。弱肉強食・強い者勝ちが冷厳な国際社会の原則である。『占領憲法』前文に書かれている「人間相互の関係を支配する崇高な理想」などというものは、少なくとも南北朝鮮・支那・ロシアは持ち合わせていない。共産支那も南北朝鮮もまともな国ではない。そういう国が相手だから祖国防衛の固めはしっかりとすべきである。

 

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」などということは、全くの空想であり、夢物語であるばかりでなく、きわめで危険な思想である。力がない國は侵略され、滅ぼされるのである。わが國固有の領土南樺太・全千島を七十年近くも占拠したままのロシア、そしてチベット・東トルキスタン・満洲・蒙古などを侵略支配し台湾及び尖閣諸島などのわが國固有の領土・領海を侵略せんとしている共産支那のどこに「公正と信義」という立派なものがあるのか。

 

さらに「前文」には「日本國民は…政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうに決意し…平和を愛する諸國民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とある。これは「日本は東條内閣の行為によって侵略戦争を起こしましたが、二度とそのような事はしないことをお誓いします。今後はアメリカ様、ソ連様、中國様など戦勝國の皆様の公正と信義に信頼して、侵略を行なった悪い國であるわが國とわが國民の生存と安全を保持してまいります。今後は何をされても決してお手向かいを致しません」という『詫び証文』である。

 

「わが國は侵略戦争をした悪い國であり、中國や南北朝鮮からどんなに主権を侵害されても、内政干渉をされても、文句を言ったり反撃してはならない」という観念がまさに「現行占領憲法」の基本精神なのである。この『わび証文』の精神を実践しているのが今日の日本の外交である。「憲法守って國滅ぶ」という言葉はまことに真実である。「現行憲法」否定なくして真の主権回復はあり得ない。

 

『現行占領憲法』の「平和主義」とは、「我が國は侵略戦争をした悪い國であった。今後は、武力・戦力・國軍は持たないし武力の行使はしないし戦争はしない」という思想である。つまり、『現行占領憲法』は、日本國および日本國民は戦勝國に手向かった悪者であり、戦勝國は公正の信義の國であるという文字通りの嘘八百を基本精神にしているのだ。

 

有り体に言えば「日本は軍隊や武力を持たせるとなにをするかわからない」という戦勝国側の考え方が根底にある。そして「わが國以外の國はすべて公正と信義を持っているのだから、日本を侵略しようなどという國は何処にも存在しない」という虚構が作られた。その虚構の上にわが國の國防という基本國策が立てられているのだ。『現行占領憲法』「前文」の「平和主義」を否定し廃棄しない限り、わが国は自分自身の手で祖国を守ることはできないのである。わが国は、『現行占領憲法』の欺瞞的・亡国的「平和思想」から一日も早く脱却しなければならない。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十一月二十二日

午前は、諸雑務。

昼は、知人と懇談。

午後三時より、永田町の衆議院第二議員会館にて、『日本再生同志の緊急役員会』開催。中村信一郎氏が司会。小田村四郎会長が挨拶。西村真悟衆院議員がスピーチ。全員で討論。

終了後、同志と懇談。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備。原稿執筆の準備など。

| | トラックバック (0)

2014年11月21日 (金)

天皇・皇室と「武の精神」

『現行占領憲法』三原理つの一つであるいはゆる「戦後平和主義」は、我が国の独立と平和と安全を根底から揺さぶり続けてきただけでなく、国民精神を堕落せしめた原因である。自分さへ安穏な生活をしていればいい、みんなのため、国家のために身を捧げるなどといふのは真っ平だといふ思考が蔓延した原因は実に「戦後平和主義」にあったと考へる。

 

戦ひの精神を忘却した国と国民は、他国から侮りを受ける。今の日本がまさにさうである。好戦的な国民になるべきだと言ふのではない。しかし、我が国を無法に攻撃し侵略し支配しやうとする外敵に対してはこれと果敢に戦ふ姿勢は絶対に必要である。その意味で『現行占領憲法』の「似非平和主義」は否定されるべきである。

 

日本伝統精神の「和」の精神、そして歴代天皇の仁慈の大御心を説くのは結構なのであるが、戦後の天皇・皇室論において、天皇・皇室には「武」の精神が無かったやうに誤解される論議があることを残念に思ってゐる。

 

日本國が本来的に和を尊ぶ國であり、天皇・皇室が武力を以て民を支配する御存在ではあらせられないといふことを強調するために、天皇・皇室と「武」との関係を軽視したりあるいは否定してしまふ論議がある。さういふ論議が『現行占領憲法』の誤れる「平和主義」と結びつける人もゐるやうである。

 

天皇が「武」の道統の継承者であらせられることは歴然たる事実である。「三種の神器」に「剣」があることがそれを明白に証明している。「三種の神器」(やまとことばでは、みくさのかむたからと申し上げる)とは、皇位の「みしるし」として、御歴代の天皇が伝承する三つの「神器」である。「神器」とは神の依代(よりしろ・神霊が出現するときの媒体となるもの。神霊の寄りつくもの)を意味する。八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)をさす。

 

古代日本における劔・矛・弓などの武器は、鎮魂の祭具であり神事的意味を持つ。「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」は、須佐之男命が、『記紀神話』では出雲國簸川上(ひのかわかみ)で八岐大蛇(やまたのおろち)を切った時に、その尾から出現したと傳へられる剣である。「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」とも称される。

 

女性天皇も例外ではない。「武」の道統の継承された。天照大神は武装されたし、斉明天皇は百済救援のために全軍を率ゐて出陣された。このことを正しく理解し認識しなければならない。天皇・皇室の「和」のご精神は戦後の似非平和主義とは無縁である。

 

 皇祖天照大御神は、女性神であらせられるが、須佐之男命高天原にまゐ上りたまひし時、「背には千入(ちのり)の靭(ゆき・武具の一つ。細長い箱形をなし、中に矢をさして背に負ふたもの)を負ひ、腹には五百入りの靭を附け、また臂(ただむき・ひじから手首までの間)には稜威(いつ・勢いの激しいこと。激しい力のあること。また、尊厳な性質があること)の竹鞆(たかとも・弓を射る時、左の腕に結び付けて手首の内側を高く盛り上げる弦受けの付けもの)を取り佩ばして、弓腹振り立てて、堅庭(堅い地面)は向股(股のこと)に蹈みなづみ、沫雪なす蹶(く)ゑ散(はららか)して、稜威の男建(をたけび・男らしい勇ましい武勇をふるふこと)、蹈み建びて、待ち問ひたまひしく」と語られてゐるやうに、武装され戦ひの姿勢を示された。

 

神武天皇以来歴代天皇は、文武両面における皇室の道統を継承されてきたのである。これが天皇・皇室の本来の姿であって、「武の否定」は國體の本義・皇室の伝統に反する。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十一月二十日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、施設に赴き、母と過ごす。

帰途、上野にて、友人と懇談。

帰宅後は、『政治文化情報』発送の準備。

| | トラックバック (0)

2014年11月20日 (木)

『天皇陛下傘寿記念特別展「天皇陛下 昭和28年欧米14か国の旅~新たな感動と出会い~」』を拝観して

昨日拝観した『天皇陛下傘寿記念特別展「天皇陛下 昭和28年欧米14か国の旅~新たな感動と出会い~」』は、「天皇陛下は,昭和286月に行われた英国エリザベス2世女王陛下の戴冠式に,昭和天皇のご名代として参列され,その機会に欧米各国をご訪問になりました。陛下は,前年の1110日に18歳で成年式,立太子の礼をあげられました。そして,このご旅行は,ご出発当時19歳の陛下にとって初めての海外ご訪問であり,ご名代の大任を果たされる一方で,諸外国の事情について見聞を広められる大きな機会となりました。330日に日本を出発され,米国を経由してカナダを最初の訪問国とするご旅行は,英国に一月余りご滞在になった後,フランスなどの西欧諸国を巡られて再び米国に戻られるまでの14か国に及び,ご帰国は1012日となりました。前年に平和条約が発効してようやく独立国として歩み始めたとはいえ,大戦の傷跡はいまだ深く,我が国に対する諸外国の国民感情には厳しいものがありましたが,このご旅行によって,各国との関係改善に尽くされ,友好が促進されました。また,陛下が,若き日に日本とは異なる生活,文化,自然に触れられたことは,国際情勢に関するご見識を高められるとともに,国や社会の在り方についてのお考えを深められる上で貴重なご経験となりました。今回の展覧会は,天皇陛下傘寿の節目に当たり,80年のご足跡の中でも大きな意義を持つこのご旅行をご日程に沿って振り返ります。当時のご訪問を巡る諸外国の状況にも触れつつ,今日まで続く陛下と王室を始めとする人々との出会い,見聞を広められた様々なご訪問,陛下がお目を留められた欧米の日常と自然を,当時の報道や写真,記念の品々,陛下が時々に発表されたお気持ちやお撮りになったお写真等で紹介します。このご旅行が,陛下ご自身にとっての貴重なご体験であったばかりでなく,今日の我が国の国際親善にいかに寄与するものであったかをご理解いただければ幸いです」(案内文)との趣旨で開催された。

 

展示は,ご旅行に於ける陛下のご様子を,日程を追いながら,写真を中心に新聞記事などの資料を加えて紹介するとともに、その後現在に至るまでのご交流におけるお品等も紹介されていた。ご旅行の旅程に沿って,当時の報道各社による戴冠式やご旅行の様子を伝えるお写真のほか,陛下ご自身のご撮影によるお写真や随員による写真も加えて紹介されていた。

 

英国への途上、訪問されたハワイ・サンフランシスコ・カナダにおいて、日系人が熱狂的に歓迎する様子の写真、チャーチル首相と握手される写真、平成十年に贈られた英国ガーター勲章、天皇陛下御成婚の折フランスのド・ゴール大統領より贈られた壁掛け「ポリネシア 海」、スペインのフランコ総統とのご会見写真、マドリッドの子供たちとのお写真、ローマ法王ピウス十二世・ヨハネパウロ二世とのお写真、オランダ国ベアトリックス女王より贈られたチューリップ花瓶、英国・ノルウェー・デンマーク・オランダ・スウェーデン各国の王族とのご交流のお写真、そしてご帰国あそばされる直前、陛下御自ら上空から撮影あそばされた皇居の写真などを拝観させていただいた。

 

若き日の天皇陛下が、戦後間もない時期に、欧州と米国をご訪問あそばされたことは、この地域との友好関係の樹立のために実に意義深い事であった。

 

わが日本によってアジアにおける植民地支配から追放された英国・オランダは特に反日感情が強かったが、皇室と王室との友好関係は強く長く保たれ続けてきた。

 

             〇

 

天皇陛下の御製を謹んで記させていただきます。

 

昭和二十八年の御製

 

荒潮の うなはらこえて 船出せむ 広く見はらむ とつくにのさま(船出)

 

夜ふけて 街を歩けば 歩道の上は こよひを明かす 人々にうまる(戴冠式前夜)

 

街をいづれば 草まだらなる 丘また丘 い照る日のもと 車走らす(スペイン)

 

幾十里 走れど景色は 変り来ず 緑の色なき 荒野は続く(米国ワイオミング州)

 

半年の 旅より帰り いま望む 雲の合間の 日の本の土(帰国)

 

平成十年御製

 

戦ひの 痛みを越えて 親しみの 心育てし 人々を思ふ(英国ご訪問)

 

平成二十四年

 

若き日に 外国(とつくに)の人らと 交はりし 戴冠式を なつかしみ思ふ(英国ご訪問)

 

 

| | トラックバック (0)

2014年11月19日 (水)

千駄木庵日乗十一月十九日

午前は、諸雑務。

午後二時半より、『大行社幹部会』開催。顧問の一人としてスピーチ。

午後六時より、グランドアーク半蔵門にて、『南丘喜八郎君 出版記念会』開催。坪内隆彦氏が開会の辞。亀井静香衆院議員・上田清司埼玉県知事・佐藤優・塚本三郎元民社党委員長の各氏らが祝辞を述べた。西原春夫元早大総長の音頭で乾杯を行い盛宴に移った。多くの同志・友人・知人とお会いし歓談した。

帰宅後は、原稿執筆など。

| | トラックバック (0)

全てを祓い清め永遠の生命を甦らしめることが日本伝統信仰の根本

常に全てを祓い清めて新生を繰り返し永遠の生命を甦らしめるというのは、日本伝統信仰の根本である。日本は長い歴史を有する国であるが、ただ古さを誇りとするのではなく、伝統を顧みつつ常に新生を繰り返してきたところに素晴らしさがあるのである。単に歴史が長いというのなら支那・朝鮮・エジプト・ギリシアなどの国々も長い歴史を有している。しかし、それらの国々の古代民族信仰は皆滅びたり、大きく変質し、今日残っている神殿なども廃墟と化し、ただ観光施設として見物の対象になっているのみである。

 

 ところがわが日本おいては、これだけ科学技術が進歩し物質文明が豊かになっている今日においても、古代信仰・民族信仰が脈々と生きており、伊勢の神宮をはじめとした全国各地で神社で毎日のようにお祭りが行われている。のみならず日本伝統信仰の祭り主であらせられる天皇は多くのみ祭りを厳修され、国家の平安・国民の幸福・五穀の豊饒を神に祈り続けられている。そしてその祭り主たる日本天皇は日本国家の中心者として君臨あそばされている。このようにわが祖国日本は永遠の生命を保ちつつ革新を繰り返してきている国である。これが世界に誇るべき日本の素晴らしさである。

 

 維新といい、日本的変革というも、要は日本国そして日本国民一人一人を新生せしめ、清浄化し、天皇国日本の本来の姿そして「み民われ」としての日本国民本来の姿を回復することによって現状の革新を行うということである。大化改新も明治維新も建武の中興もそういう精神に基づいて断行された。

 

 影山正治氏は「我々は神前に大祓の祝詞を至心に奏上することによって御國の罪・穢を祓ひ清めて神國の本来に還へらむ事を祈り、また我の罪・穢を祓ひ清めて神我の本領に還へらむことを祈るのである。…今こそ全日本人が朗々と大祓の祝詞を斉唱しつつ、皇國の維新、全世界の維新に當らねばならない」(正続古事記要講)と論じておられる。

 

 現代日本の汚れを祓い清め、正しき国の在り方・日本人としての正しき姿を取り戻すことが維新である。日本は伝統と変革が共存し同一なのである。だから維新を<復古即革新>というのである。

 

 この場合の「復古」とは単に時間的過去に逆戻りすることではない。古代の伝統精神の新たなる発見である。古代からの日本の伝統精神を復活せしめ硬直し腐敗した現代を一新する。これが維新である。古事記の編纂もかかる維新の精神の基づいて行われたのである。太安萬侶(おおのやすまろ)は古事記序文において「古を稽(かむがへ)て風猷を既に頽れたるに繩(ただ)したまひ、今を照して典教を絶えなむとするに補ひたまはずといふこと無かりき」(いつの時代にあっても、古いことを調べて、現代を指導し、これによって衰えた道徳を正し、絶えようとする徳教を補強しないということはありませんでした、というほどの意)と述べている。これが復古即革新の精神である。

 

 大化改新も明治維新も、神武建国への回帰・神武建国の精神の復興がその原基であった。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十一月十八日

午前は、諸雑務。

午後は、皇居東御苑の三の丸尚蔵館にて開催中の「天皇陛下傘寿記念特別展・天皇陛下昭和二八年欧米一四か国の旅~新たな感動と出会い~』拝観。

この後、丸の内の出光美術館にて開催中の「仁清・乾山と京の工芸」展参観。

141118_1630010001_2

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備。明日のスピーチの準備など。

| | トラックバック (0)

2014年11月18日 (火)

現代日本は「生命尊重」のみで魂が死んでしまい、頽廃と残虐の時代になってしまった

 三島由紀夫氏は次のように論じた。「われわれは戰後の革命思想が、すべて弱者の集團原理によって動いてきたことを洞察した。…不安、嫌惡、嫉妬を撒きちらし、これを恫喝の道具に使ひ、これら弱者の最低の情念を共通項として、一定の政治目的へ振り向けた集團運動である。」と(反革命宣言)。

 

 革命思想のみならず、戦後日本全体を覆ってきた精神が、「不安、嫌惡、憎惡、嫉妬」である。自分よりも富める者・幸福に見える者を憎み、嫉妬し、これを引きずり下ろそうという精神が國民に横溢している。それを煽り続けているのがマスコミである。

 

 三島由紀夫氏は、『瀧ヶ原分とん地は第二の我が家』(昭和四五年九月二五日発表)という文章で、「ここでは…利害關係の何もからまない眞の人情と信頼を以て遇され、娑婆ではつひに味はふことのない男の涙というものを味はった。私にとってはここだけが日本であった。娑婆の日本が失ったものがことごとくここにあった。日本の男の世界の嚴しさと美しさがここだけに活きてゐた。われわれは直接、自分の家族の運命を氣づかふやうに、日本の運命について語り、日本の運營について憂へた。……ぢかに足で踏みしめる富士山麓の日本の大地の足ざはりを以て、日本の危機と困難と悲運について考へることができた。……私は、ここで自己放棄の尊さと嚴しさを教へられ、思想と行爲の一體化を、精神と肉體の綜合の厳しい本道を教へられた。」

 

 これは、自決直前の昭和四十五年九月十日から十二日まで、陸上自衛隊富士學校瀧ヶ原分屯地學生五十名と共に体験入隊した時の文章である。

 

 三島氏は、祖國防衛のために一身を捧げる訓練をする自衛隊の中にのみ、「利害關係の何もからまない眞の人情と信頼」「自己放棄の尊さ」即ち眞の倫理精神、道義精神が生きており、戦後日本が失ったものがことごとくあるとし、自衛隊分屯地の中だけが日本である、と断じている。この三島氏の文章は、現代社會の腐敗・混乱・堕落の根源にあるものを示唆している。

 

 軍と武を否定した「平和と民主主義の國・戦後日本」には、眞の日本も、眞の道義精神も、武士道も、大和魂も、なくなっているでのある。

    

 三島氏はさらに言う。「文學・藝術の故郷は非合法の行動の暗い深淵に求められていくことになるであらう。…法はあくまでも近代社會の約束であり、人間性は近代社會や法を越えてさらに深く、さらに廣い。かつて太陽を浴びてゐたものが日陰に追ひやられ、かつて英雄の行爲として人々の稱贊を博したものが、いまや近代ヒューマニズムの見地から裁かれるやうになった」(行動學入門)と。

 長い日本の歴史の中で、須佐之男命・日本武尊という神話時代の英雄、さらに中古中世の鎮西八郎為朝、源義経、さらに近世・幕末における赤穂四十七士、井伊直弼を撃った水戸脱藩浪士の行動、さらに大東亜戦争における特攻隊員を始めとした兵士たちの行為などは、「英雄」と讃えられた。しかし、戦後日本は、そうした英雄の行為を「非合法」「反ヒューマニズム」として裁き日蔭に追いやった。

 

 「國のため敵を撃つ」「大君の御為に身命を捧げる」「仇なすものを討つ」などということは、「平和と民主主義」と絶対相容れない「行為」として、「日蔭」に追いやられ続けている。

 

 大和魂・武士道を否定し、「生命の尊重」が最高の道徳とされ、「平和と民主主義」を謳歌している今日の日本において、戦前どころか有史以来見られなかった凶悪にして残虐なる犯罪、殺人事件が続発している。

 

 三島由紀夫氏は、昭和四十五年十一月二十五日、市ヶ谷台状で自決された際の『檄文』で、「生命の尊重のみで、魂が死んでもよいのか」と訴えられた。まさに、現代日本は「生命尊重」のみで魂が死んでしまい、頽廃と残虐の時代になってしまった。

 

 『檄文』に曰く「軍の名を用ゐない軍として、日本人は魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因をなして来てゐるのを見た。もっとも名誉を重んずべき軍が、もっとも悪質の欺瞞の下に放置されてきたのである」。

 

 魂の腐敗と國家の欺瞞は、軍國主義國家であったという戦前の日本にはあり得なかったような、人命軽視という言葉すら空しくなるような、残虐なる殺人が日常茶飯事になった現代社會を現出させた 

 

 國家を守ることこそ、國民の道義精神の要である。軍と國家、國防と道義は不離一体の関係にある。國を守る使命、言い換えれば、兵役の義務・國防の義務がない國民は、國民とはいえない。國民は運命共同体であるところの國家を生命を賭けて守る使命感・義務観念があってこそ、國民である。

 

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十一月十七日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理。

この後、施設に赴き、母に付き添う。食欲も旺盛であり、元気である。有り難い。

帰宅後は、資料の整理、原稿執筆。

| | トラックバック (0)

2014年11月17日 (月)

日 本 国 の 始 源 は 神 話 の 世 界 に あ る 

  日本国は権力や武力を持った者が人工的に作り上げた国家ではない。また人と人とが契約を交わして作り上げた国でもない。美しき自然の豊饒に包まれ、人々が相和し、平穏に生きてきた日本民族の悠遠の歴史と信仰の中から自然に生まれて来た国である。ゆえに、日本国の始源は神話の世界にある。   日本神話の精神(伝統信仰)は古代日本人の生活から生まれてきたものである。日本人の主食は米である。ゆえに米の豊作を神に祈る祭り事を大切にして来た。日本国の生成は、稲作生活において行われる祭祀を根幹とする国土・国民の信仰的あるいは祭祀的統一である。

  日本国の基盤には農耕生産という共同生活を行った人々から生まれた共通の信仰・祭祀があった。その中心に祭り主たる天皇が在ますのである。稲作生活が祭祀を生み、その祭り主が天皇であり、日本という国は祭り主日本天皇を中心とする信仰共同体なのである。

 信仰共同体の祭り主は、共同体を代表して神意をうかがい知り、農作物の豊饒と民の幸福を祈念する。祭祀において神の意志をうかがいそれを民に伝えるために祝詞・宣命を下す方が祭り主たる日本天皇である。神の意志を民の伝える言葉が祝詞・宣命である。ゆえに、日本(やまと)という国は、「大倭根子天皇」(おほやまとねこすめらみこと・大倭根子とは大和の大地にしっかりと根を張る天皇の御地位を象徴する尊称)の祝詞(のりと)の下る範囲内を示す言葉あるといわれている。

 

 従って、日本国は、人間と人間とが契約を交わして成立した人工的な国でないし権力支配組織でもない。天皇を中心とした祭祀国家である。ゆえに日本天皇は、武力や権力によって命令を下す外国の君主(皇帝・国王)とは全くその本質を異にする。天皇は西洋の国家法人説による権力国家・利益国家の代表としての元首ではない。

 

 日本神話によれば神武天皇が大和橿原の地に都を開かれる過程において、「荒ぶるもの・順はぬもの」に対して「言向和平」(ことむけやは)したと記されている。これは言語の力を以て「荒」なるものを和やかに鎮めることを意味している。その結果邪神や反抗するものが恭順するというのである。信仰的に言えば荒ぶる神を和魂(にぎみたま)で鎮めたということである。これは平和的・宗教的に国家を統一したことを意味している。

 

 世界各地の神話では、人類最初の男女神は人間を生んでいる。しかし、日本神話では始源の男女二神たる伊耶那岐命・伊耶那美命はまず国を生んでいる。ここに日本神話の大いなる特質がある。日本神話においては神が最初に生んだものが国なのである。しかも創造したのではなく生んだのである。また人は神の子孫であるとされている。神と國・神と人とは親子関係にあるのである。ゆえに、日本国においては神と國と民とがその根源において一体なのである。そして神と國と民とを精神的に統合し一体化する御存在が祭り主たる天皇なのである。

 

 ところがキリスト教の神話においては神が最初に創造したものが人間であるとされている。「創造する」ということは創造者と被創造者との間は絶対的に隔絶しているということである。しかも神によって創造された人間は原罪を背負う。神と隔絶し原罪を背負った罪人である人間同士が契約を結び、かつその罪人である人間の中で武力・権力が優越している者が君主となって国を治めるというのである。ゆえに、国家は人工的な存在であり本来罪を背負っている。また本来罪人である国民同士の信頼関係は希薄である。君主も国民を力で強制することによって国家を治めるのである。このキリスト教の国家観・人間観が西洋国家法思想・法思想の根幹となっている。

 このように日本と外国との国家観・君主観の違いは大変大きい。そのことを端的に示したのが、北畠親房の『神皇正統記』冒頭の「大日本は、神國なり。天祖始めて基を開き、日神長く統を傳へ給ふ。我が國のみ此の事あり。異朝には其の類無し。此の故に神國といふなり」という文章である。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十一月十六日

午前は、諸雑務。

午後一時半より、母が利用している施設にて、『在宅訪問医に関する説明会』開催。施設側や医師から口頭の説明があった。しかし出席者の多くから「よく内容が分らない。書面による詳細な説明が行われるべきだ」という要望が強く出された。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備、資料の整理など。

| | トラックバック (0)

2014年11月16日 (日)

天皇の国家統治とはいかなることか

 日本天皇は人としての「徳」よりももっと深い「祭り主としての神聖権威」日本伝統信仰の言葉で言えば「御稜威」(みいつ)によって国家を統治したもうのである。御稜威とは天皇の有される神霊の威力というべきものである。

 

折口信夫氏は「御稜威」について、「みいつといふ語の語根いつといふ語は、稜威といふ字をあてる…いつのちわき・いつのをたけびなどといふ風につかってゐます…天子に傳り、これが内にある時は、その威力が完全に発現するところの権威の原動力なる魂の名でありました。」(神々と民俗)「天子には天皇霊といふべき偉大な霊魂が必要であって、これが這入ると、天子としての立派な徳を表されるものと考へられてゐました。その徳をみいつといふ語で表してゐます。…これは天皇靈の信仰上の名稱でした。」(鳥の聲)と論じておられる。そしてその御稜威(天皇靈)は大嘗祭において新しき天皇のお体に入るとされる。

 

 歴代天皇には「人」としての徳がいかにあられようと歴聖一如の「御稜威」によって国家を統治したまうのである。今上天皇におかせられても、大嘗祭を執行されて現御神となられ御稜威を保持されている。昭和天皇もしかりである。つまり昭和二十一年元旦の詔書において、天皇が神格を否定され『人間宣言』をされたなどということは、「みまつり」という厳粛なる事実によって否定されるのである。

 

 天皇が日本国を統治されるということは、決して権力によって支配されるということではない。三潴信吾氏は「帝国憲法第一条の『統治ス』は、政治に限らず、国家・国民の活動の一切にわたっての根源者、総親たらせ給ふの意で、ここでいふ「統治」は権力作用たる『統治権』のことではない。日本古来の伝統的『やまとことば』で云ふ『しろしめす』のことである。」(日本憲法要論)と論じておられる。

 

 それでは「やまとことば」の「しろしめす」(「しらしめす」ともいう)とは一体いかなる意義なのであろうか。「しろしめす」は「知る」の尊敬語である「知らす」にさらに「めす」という敬意を添える語を付けた言葉である。『續日本紀』に収められている文武天皇の宣命には「現御神と大八島國知ろしめす天皇」とある。また『萬葉集』では「御宇天皇代』と書いて「あめのしたしらしめししすめらみことのみよ」と読んでいる。この場合の「知る」とは単に知識を持っているという意ではない。もっと深い精神的意義を持つ。天下の一切のことを認識し把握するというほどの意であろう。

 文武天皇の宣命には「天津神の御子ながらも、天に坐す神の依さし奉りし随(まにま)に、聞こし看し(め)し来る此の天津日嗣高御座の業と現御神と大八島國知ろしめす倭根子天皇命の授け賜ひ負せ賜ふ…」と示されている。また「萬葉集」巻十八所収の大伴家持の長歌に「葦原の 瑞穂の國を 天降り しらしめしける 天皇の 神の命の 御代重ね 天の日嗣と しらし来る 君の御代御代…」とある。

 

 「しらしめす」即ち<天皇の統治>とは、天津神の御命令で日本に天降って来られて、天津神の御委任で天津神の日の神の霊統を継承される現御神として、天津神の命令のままに天の下をお知りになる(お治めになる)という、きわめて宗教的というか信仰的な意義があるのである。天皇の統治は決して権力行為ではない。

 

 天下の一切の物事を「お知りになる」ということは、<無私>の境地であられるということであり、天下の一切の物事に対して深い<慈愛の心>を持たれているということである。<無私>と<慈愛>の心が無くては対象を深く認識し把握する事はできない。

 

 先帝昭和天皇陛下が、よく「あっそう」というお言葉を仰せになられたのは、まさに無私と慈愛の心で相手の言う事をお聞きになられお知りになったということである。有難き限りである。

 

 「大日本帝国憲法」において「しらしめす」の漢語表現として「統治」という言葉を用いたのである。そしてこの「統」という言葉は統べる(統一する)という意であり、「治」は治める(本来の位置に置く)という意である。明治天皇が明治元年三月十四日に発せられた『明治維新の宸翰』に「天下億兆一人も其處を得ざる時は、皆朕が罪なれば…」と仰せになっている。このお言葉こそまさしく「治める」の本質なのである。無私と慈愛というまさに神の如き御心で日本を統治されるお方が日本天皇であらせられるのである。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十一月十五日

午前は、諸雑務。

午後は、『政治文化情報』発送準備。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

午後七時より、東陽の江東区民センターにて、『民族革新会議「機関紙」創刊記念「真姿日本を創成する会」講演会』開催。犬塚博英民革議長が基調講演。大原康男・藤井厳喜・山田恵久・犬塚博英の四氏が登壇し、パネルディスカッションが行われた。大変重要なことが語られた。

帰宅後は、資料の整理。

| | トラックバック (0)

2014年11月15日 (土)

『進撃の阪神巨人演歌コンサート』を鑑賞

今日鑑賞した『進撃の阪神巨人演歌コンサート』の第一部は、深見東州氏が、「北の宿から」「哀しみ本線日本海」「天城越え」「カスバの女」「ベッドで煙草を吸わないで」「高校三年生」「黒い花びら」「伊勢佐木町ブルース」「函館の女」「星降る街角」など懐かしい歌を披露した。

 

深見氏は能楽師であると共にオペラ歌手でもあるので、朗々とした歌声であった。「哀しみ本線日本海」「天城越え」がとても心に響いた。「黒い花びら」は大ヒットした極であるがあまり歌われることがない。今日は久しぶりに聞いた。「高校三年生」は私が高校三年生の時にヒットしたので大変印象深い歌である。また、ジャズ調で歌った「カスバの女」も良かった。「カスバの女」は、私の好きな曲で。「ここは地の果てアルジェリア どうせカスバの夜に咲く 酒場の女の薄情け」という歌詞が印象的である。エト邦枝という女性歌手が懐メロ番組で歌っていたのを懐かしく思い出した。また、京王線か小田急線沿線のある駅のそばで「エト邦枝歌謡教室」という看板が出ていたのを思い出した。深見氏が熱唱した「星降る街角」も良かった。

 

第二部は、小林旭氏が、「自動車ショー歌」で登場し、「アキラのズンドコ節」「昔の名前で出ています」「熱き心に」などを歌った。やはり「熱き心に」が一番胸を打った。正直に言って、私は小林旭のことを昔は全く好きではなかった。しかし、年を重ねられた小林旭氏は、重厚な感じになっていて、好感を持つようになっている。それは宝田明、津川雅彦両氏と同じである。最近は俳優と言うよりも歌手として大活躍しているが、息の長い芸能人である。

 

私は歌が好きで、昔はカラオケスナックに毎日のように通った。歌った歌は殆どが演歌であり懐メロであった。渡辺はま子先生、田端義夫氏、そしてコロムビアトップ氏ご存命中は、よく歌謡曲の舞台を見に行った。渡辺先生、トップ師匠と親しくさせて頂いたので、関係者のような顔をして、楽屋や舞台の袖で、歌謡ショーを鑑賞した。お二方が他界された後は、全く見に行くことはなくなっていた。今日は本当に久しぶりに歌謡曲のリサイタルを観賞した。

| | トラックバック (0)

2014年11月14日 (金)

千駄木庵日乗十一月十四日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆。

午後六時半より、渋谷公会堂にて行われた『進撃の阪神巨人演歌コンサート』鑑賞。

帰宅後も、原稿執筆。

| | トラックバック (0)

日本の伝統精神・国家観・人間観を回復するべし

「くに(国)」という言葉は色々な意味に使われる。「国のために尽くす」とか「国を愛する」と言う場合の「国」とは、「精神共同体」=道義国家たる「国」である。一方、「国に税金を取られる」とか「国に対して訴訟を起こす」という場合は「権力機構」としての「国」である。

 

 今日この「国」という言葉が非常に混乱して使われている。「大して国民のためにもならないのに沢山の税金を取るような国、国民から訴訟を起こされるような国を愛することは出来ないし、そんな国に尽くすことは出来ない」という考えを持つ人がいる。

 

 しかしこれは「国」というものを混乱して考えているのである。我々国民が愛するべき国、尽くすべき国とは、単なる権力機構でもないし利益共同社会でもない。信頼と正義と愛と真心によって結ばれた精神的道義的共同体なのである。

 

 現代日本の多くの人々は、愛国心を喪失し、自分さえ良ければ他人はどうなってもいいなどという利己的な精神に冒されたかに見える。そうした文字通り「亡国的状況」を是正するためには、正しき国家観の確立が行われなければならない。

 幾億人と存在する人間というものにもそれぞれ個性があるように、国家というものも、世界の多くの国々にはそれぞれに個性があり特殊性がある。

 

 日本という国には民族的個性がある。と言うよりもむしろ民族的個性を離れては国家は存立し得ない。日本という国そして日本人という民族の主体的歴史性、風土、信仰精神の意義を正しく把握してこそ、正しき国家観を持つことができるのである。

 

 人間の道義精神・道義に則った生活の実現も、そして道義国家・人倫国家の回復も、抽象的な「人類普遍の原理」などによって為され得るものではない。道義精神は、それぞれの国の歴史伝統・民族信仰の中から培われるものである。

 

 倫理・道義とか信仰精神というものは、それぞれの民族精神としてのみ表現されてきている。民族的歴史性・個性を通して表現されない普遍の原理などというものはありえない。たとえあると錯覚しても、それは抽象的な観念に過ぎない。その意味において「人類普遍の原理」などと言って欧米民主主義思想を基本原理としている『現行占領憲法』は無国籍憲法なのである。 

 

 日本という国家には日本の長き歴史の中から生まれてきた立国の精神というものがある。日本という国は、日本民族の生活と自然環境・風土の中からの生成して来た。日本民族の生活の基本は稲作である。日本人の主食は米である。

 

 稲作に欠かすことのできない自然が太陽であり大地である。その太陽と大地を神として拝んだ。その太陽の神が天照大神である。また大地の神は国津神として祭られた。また稲穂そのものも神の霊が宿っているものとして尊んだ。

 

 天照大神をはじめとする天津神・国津神および稲穂の霊をお祭りされ、国民の幸福と五穀の豊饒を祈られる祭り主が、「すめらみこと」即ち日本天皇であらせられる。

 

 そして天照大神は太陽神であるのみならず、天皇の御祖先でるあると信じられた。天照大神は「日本国に沢山稲を実らせなさい」という御命令を与えられてその御孫神であられる邇邇藝命を地上に天降らせられた。その邇邇藝命の御子孫が神武天皇であらせられ、大和橿原の地に都を開きたまい、初代天皇に御即位あそばされた。

 

『教育勅語』に示されている「皇祖皇宗」の「皇祖」とは、天照大神及び邇邇藝命の御事であり、「皇宗」とは神武天皇の御事である。 日本国家の存立の精神的中核はこのような信仰精神にあり、日本という国家は天皇を祭祀主とする信仰共同体なのである。ゆえに日本国は天皇国といわれるのである。

 

永遠の維新を繰り返す日本国は永遠に不滅である。而して、我々の目指す維新とは、国家の日本的変革である。天皇中心の信仰共同体としての国家を回復せしめることが今日における国家変革即ち維新なのである。

 

 麗しき日本の自然は破壊されつつあり、人間の命すら科学技術文明・機械文明によって蝕まれつつある。こうした状況を打開するには、真に生命を尊重する精神を国民一人一人が保持しなければならない。そのためには日本人が古来抱いて来た自然の中に神の命を観るという信仰精神を回復することが大切である。

 戦後七十年、物質至上主義・営利至上主義・快楽主義に汚染され続けてきた日本及び日本国民の頽廃を救うには、日本の伝統精神・国家観・人間観を回復する以外に道はない。

| | トラックバック (0)

2014年11月13日 (木)

千駄木庵日乗十一月十三日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆・脱稿・送付。

| | トラックバック (0)

天皇の日本國御統治・國土経営の理想

天照大御神は邇邇藝命に『天壤無窮の神勅』と共に『斎庭(ゆにわ)の穂(いなほ)の神勅』をお下しになった。

 

『斎庭の穂の神勅』には、「吾が高天原(たかあまはら)の所御(きこしめす)す斎庭(ゆにわ)の稲穂を以て、亦吾が兒(みこ)に御(まか)せまつる」(わが高天原でつくってゐる神に捧げる稲を育てる田んぼの稲穂をわが子にまかせよう、といふほどの意)と示されてゐる。

 

『斎庭の穂の神勅』は、日本民族の生活様式が水田耕作の上に立ってゐることを物語る。そして、天皇の日本國御統治・國土経営の理想を示してゐる。

 

『斎庭の穂の神勅』は、「高天原で神々が行はれてゐる米作りをそのまま地上でも行ひなさい」といふ御命令である。皇祖神・天照大神は、稲穂を邇邇藝命に伝持させ、その稲穂を地上において栄えさせるといふ使命を歴代の天皇に与へられたのである。

 

天照大神から皇孫・邇邇藝命に「斎庭の穂(ゆにわのいなほ)」を授けられたのは、高天原の稲を地上に移し植えて日本國を「豊葦原の瑞穂の國」とするのが、天皇のご使命であり民族の使命であるといふことを示してゐる。

 

稲の種子を伝へるといふことは、米作りの生活を伝へることである。「米作り」といふ「くらし」の伝承である。これは、米作りを基盤とする文化が日本文化であることを証ししてゐる。

 

古代日本人は、天上から伝へられた斎庭の穂を地上に稔らせることによって、地上と天上とが等しくなると信じたのである。神々の米作りの手振り・くらしを、地上に生きる人々が神習ふ信仰である。神々の理想を地上において実現することである。

 

「天孫降臨神話」は、稲穂がにぎにぎしく稔る國を地上に実現することが天皇のご使命であり日本民族の理想であることを物語ってゐる。

 

「高天原を地上に」「今を神代に」といふのがわが國の國家理想であり、天皇はその国家理想現成の中心者であらせられるの。このやうに素晴らしい國は世界に日本しかない。これを萬邦無比といふ。

 

「天孫降臨神話」は、まさに日本人の「米作りのくらし」の中から生まれてきたのである。高天原から天降られた永遠の生命は、一粒の稲穂の命・一人の人の命の中に宿られてゐると信じたのである。

 

邇邇藝命は天つ神がお授けになっ稲穂を奉持して、真床追衾(まとこおふふすま)に包(くる)まれて地上の高千穂の峰に天降られた。

 

「真床追衾」とは、床を覆ふ夜具で、おくるみ(赤ん坊を抱く時、衣服の上からくるむもの)のやうなものとされる。

 

つまり、天照大御神は、「おくるみ」に包まれた邇邇藝命に稲穂を託され、葦原中国(地上)にたくさんこの稲穂を稔らせなさいと御命令になったのである。そのことが、天皇国日本の肇国なのである。何とも平和的にして、ゆかしくも麗しい神話である。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十一月十二日

午前は、諸雑務。

午後はも『政治文化情報』の原稿執筆。

この後、施設に赴き、母に付き添う。ケアマネージャーの方と相談。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究会』開催。小生が、山部赤人・笠金村の歌を講義。質疑応答。終了後、出席者の方と懇談。

帰宅後も、原稿執筆。

| | トラックバック (0)

2014年11月12日 (水)

この頃詠みし歌

むらぎもの心晴れ晴れと仰ぐなる大日輪のとことはの光

 

はるばると見晴るかすなる山々は 日の本の國の神々の山

 

一人暮らし慣れに慣れたる朝にしてテレビを見つつトースト食す

 

部屋の中を掃除してゐるわが耳に聞こえ来るなるボレロといふ曲

 

秋空の澄みてすがしきこの朝(あした)大きく息を吸ひ込みにけり

 

時の流れの早きを思ひ為すべきこと為し行くが良しと自らに誓ふ

 

一日をせはしなく過ごせし夜なれば静かに坐して唱歌聞きをり

 

暴虐の支那を駆逐し大アジア平和の海を取り戻すべし

 

博物館の大樹が色づき東京に冬が来たるをしみじみと知る

 

群なして飛べる鳥たちを仰ぎ見てヒッチコックの映画を思へり

 

丹波なる友から贈られし松茸を大事に大事に焼きて食せり

 

ともかくもこのひと時を大事にせむ九十四歳の母との語らひ

 

太りたる猫がゆっくりと歩みゐる秋の日差しの柔らかな路地

秋の日の光やさしく街を照らすこの朝にして心やすらぐ

 

秋の日の上野の山の黄葉を楽しみにつつ歩む夕暮

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十一月十一日

午前は、諸雑務。

午後は、明日行われる『萬葉古代史研究会』における講義の準備。

午後六時、お茶の水にて、『伝統と革新』編集実務担当者と打ち合わせ。

帰宅後も、『萬葉集』講義の準備。『政治文化情報』原稿執筆。

| | トラックバック (0)

最近贈呈していただいた書籍

下記の書籍を贈呈していただきましたのでご紹介申し上げます。

              〇

「戦没者の慰霊と遺骨収集」 所功氏著 社団法人国民会館発行 著者より

...

「日本国憲法『天皇』の再検討」 所功氏著 社団法人国民会館発行 著者より

 
下記の書籍を贈呈していただきましたのでご紹介申し上げます。

              〇

「戦没者の慰霊と遺骨収集」 所功氏著 社団法人国民会館発行 著者より

「日本国憲法『天皇』の再検討」 所功氏著 社団法人国民会館発行 著者より

| | トラックバック (0)

2014年11月11日 (火)

晩秋の大勉強会 「近くて遠い過去、大日本帝国の時代」 のお知らせ

11月30日(日) 18時開始

文京区シビックセンター

東京都文京区春日一丁目16の21、電話03-5803-1100

 

参加費1,000円

 

講師 四宮正貴     瀬戸弘幸     山岸崇 他

 

年末を迎えるにあたり本年の総決算となる勉強会を開催致します。 ジャパンライジングでは日本の病巣である憲法についての勉強会やデモを行ってきました。 有難いことに参加者も増え、少しずつですが前進していると感じております。

しかし、もう少し分かりやすいものに出来ないかと自問自答する日々でもありました。 この勉強会の題名もなかなか決まりませんでした。 伝えたいことがありすぎるからです。 当たり障りの無い題名に決まりかけましたが、この題名にしました。

我々は戦前について、大日本帝国についてどのくらい知っているでしょうか。 当時の日本人の生き方や考え方。 社会の様子。 それを知らなくては敵国に作られた憲法に含まれる毒素にも鈍感になります。 我々が守らなくてはならないのは現在の領土や財産だけではなく日本の伝統・国柄なのです。 領土や財産は奪い返せますが伝統・国柄をうしなってしまっては日本は終わりです。

今回はジャパンライジングの勉強会では初となる行動保守の重鎮、瀬戸弘幸氏も登壇されます。 大日本帝国とはどのような国だったのか。 國體(伝統・国柄)、憲法や皇室典範のこと。 天皇陛下と我々国民との関係などなど。

皆さんと共に学びたいと思います。 この勉強会で学んだことは同志諸君の戦場において必ずや精神の背骨となるだけでなく、 メタル兄弟が主催するのだから楽しい会になることも約束しよう。 皆に会えるのを楽しみにしているぜ。

ジャパンライジング メタル兄弟

We Rock!

| | トラックバック (0)

正統なる憲法を回復した時、はじめて『立憲主義』が正しく確立する

『現行憲法』が諸悪の根源である。その認識に立った上で、『現行憲法改正論』『現行憲法無効論』『自主憲法制定論』『大日本帝國憲法復原論』などがある。法律論、憲法論は、理論が色々立てられ、甲論乙駁が繰り返されてきた。

  

『大日本帝國憲法』に回帰しそれを復元することが正道であると思ふ。『現行占領憲法』は形式的には『大日本帝國憲法』を「改正」したものだから、次の改正では、いったん『大日本帝國憲法』に回帰して、それを改正するのが正しいと思ふ。原点に回帰するといふことである。

 

 

 『現行憲法』が『大日本帝國憲法』を改正したものだなどといふこと自體が欺瞞だから『現行占領憲法』は制定当初から正統性がなかった。天皇大権が占領軍の「隷属の下」にあった占領期間中の「改憲」は「摂政を置くの間之を変更することを得ず」といふ『帝國憲法』の条項に明確に違反してゐる。

 

 

 『現行占領憲法』は、その「制定過程」そのものが全く違法にして理不尽なものである。戦勝國アメリカが國際法を踏みにじって押し付けた憲法をその改正条項に従って改正するのは、「押し付け」といふ行為を肯定し、『占領憲法』に正統性を持たせることとなる。戦勝國の押し付けといふ根本的欠陥を引きずったままの「改憲」では改正された憲法にも正統性がなくなる。

 

 

 大変畏れ多いことであるが、「天皇及日本國政府ノ國家統治ノ権限ハ本降伏条項ヲ実施スル為適当ト認ムル措置ヲ執ル聯合國最高司令官ノ制限ノ下(「subject to」)ニ置カルルモノトス」(バーンズ回答・正しくは「隷属ノ下」と訳されるべきといふのが定説である)とされてゐる時期の「天皇のご裁可」「天皇による公布」は、「自由に表明された御意志」即ち「大御心」によるものとは異なると私は思ふ。

 

 

 『大日本帝國憲法』に回帰した上での改正となれば、先帝陛下の「上諭」に背くことにもならないと思ふ。『大日本帝國憲法』に回帰し、それを改正するのが正しい道であると思ふ。

 

 

 

國の基本法についてはあくまでも正義を貫かねばならない。ともかく、『現行占領憲法』は、その制定過程ばかりでなく内容もアメリカ製である。この憲法がなくならない限り日本は真の独立國とは言えへないし、日本の真の再生はあり得ない。それどころか『現行憲法』がある限り國體破壊が進行していく危険がある。

 

 

 

憲法は「不磨の大典」と言はれるが、「不磨」であるべきなのは、「國體法」である。「政體法」は必要に応じて改正されるべきである。即ち、天皇を君主と仰ぐ國體は絶対に変革されてはならない。しかし、政體は民の幸福のためになるのならどんどん変革すべきである。

 

 

 

ともかく、正統なる憲法を回復した時、はじめて『立憲主義』が正しく確立するのである。

 

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十一月十日

午前は、諸雑務。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

この後、施設に赴き、母に付き添う。元気なり、有り難し。

帰途、谷中の酒房にて、地元の友人と懇談。

帰宅後も、原稿執筆。

| | トラックバック (0)

2014年11月10日 (月)

日本國體は『現行占領憲法』の國家観とは基本的に相容れない

現在施行されてゐる『日本國憲法』といふ名称の『占領憲法』は、十七世紀、十八世紀の欧米の市民革命の基礎理論であった「社会契約論」に立脚してゐる。國の生成・成り立ちが欧米とは全く異なり、市民革命も経験してゐないわが日本国が、西洋国家思想である「社会契約論」を基礎にした憲法を持ってゐるのである。

 

日本といふ國家の本質は権力者が國民を支配するための機関すなはち権力國家ではないし、日本國の君主たる天皇は、武力や権力を以て國民に命令を下す権力者ではない。また、日本國は多数の個人が契約を結んで作った國ではない。さらに、征服や革命によって人為的に成立した國家でもない。日本國は古代において自然に「生まれた」国である。

 

ところが日本に憲法を押し付けたアメリカは、一七七六年七月四日に独立を宣言して人為的に作られた國である。「生まれる」と「作られる」とでは絶対的な違ひがある。「生む」は日本伝統信仰の観念であり、「作る」はキリスト教の観念である。伊耶那岐命伊耶那美命は日本國土をお生みになったのであり、キリスト教の神(ゴッド)は人間を作ったのである。キリスト教の神はなぜか國家は作らなかった。

 

國家は神によって造られた人間が集まって文字通り人為的に作られたと言ふのが西洋の國家観である。日本の国家観と西洋国家観の違いは実にここから発する。

 

日本国は、数多くの「個としての人間」が寄り集まって人為的に契約を締結して作った権力機構・政治形態としての契約国家(これを「国家法人説」と言ひ換へてもいいと思ふ)とはその本質が全く異なるのである。

 

「国家法人説」とは、国家を法的な主体としての法人と考へる理論で、いはゆる「天皇機関説」の基礎をなす理論とされてゐる。また「法人」とは「自然人以外で法律上の権利義務の主体となることができるもの。一定の目的の下に結合した人の集団あるいは財産についてその資格が認められている集団」といはれてゐる。国家とは、社団法人や財団法人のやうに多くの人々が一定の目的のために契約を結び人為的に造られたものだといふのが「契約国家論」「国家法人説」なのである。天皇中心の信仰共同体としての日本は断じてそのやうな存在ではない。「国家法人説」を日本国に当て嵌めることはできない。

 

日本天皇の國家統治の本質は、権力・武力による國家・國民支配ではない。天皇の祭祀主としての神聖なる権威による統治(すべおさめる。しろしめす。きこしめす)である。むしろ、天皇の神聖なる権威が権力者・為政者の権力濫用を抑制するのである。それがわが國の建國以来の國體であり歴史である。

 

日本國は信仰共同體であり國民が契約を結んで人工的に作った國ではない。そして祭祀主である天皇は國民と対立してこれを力によって支配する御存在ではない。天皇と國民と國土の関係は、対立関係・支配被支配の関係にあるのではない。契約関係・法律関係にあるのでもない。精神的一體関係にある。これを「君民一體の國柄」といふ。これが日本肇國以来の國柄であり國體である。

 

つまり、日本の歴史と傳統そして日本國體は、西洋の契約思想や人間不信を基盤とした国民主権論や西洋近代の成文法、そしてその申し子であるところの『現行占領憲法』の国家観とは基本的に相容れないのである。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十一月九日

午前は、諸雑務。

午後十二時半より、多数の同志の方々と靖国神社に昇殿参拝。午後一時半より、靖国会館にて、『故 小島石根氏を偲ぶ会』開催。國分正男氏・山口申氏・加瀬英明氏・大原康男氏が追悼の辞を述べた。阿形充規氏の発声で献杯が行われた。

帰途、同志諸氏と懸案事項について相談・打ち合わせ。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆など。

| | トラックバック (0)

2014年11月 8日 (土)

「現行憲法三原理」の否定なくして「憲法改正」にも「自主憲法制定」にもならない

アメリカ製の『現行占領憲法』が、諸悪の根源になっていることは、多くの人々が指摘する通りである。それは『現行憲法』が、日本の傳統や文化とは相容れない西洋政治思想(主權在民論・契約國家思想・權力國家思想・西洋的君主論・個人主義・物質主義)に基づいており、日本國體・日本傳統精神を隠蔽しているからである。

 

戦後日本は「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」を絶対的価値、最高の目標としてきた。それは『現行占領憲法』の基本原理となっている。しかし、戦後約七十年を経過して、人権が侵害され、人命が軽視され、国民の平和が侵される残虐無比の事件が日常茶飯事になるというまったく逆の結果を生み出した。

 

「人権擁護」とか「人命尊重」とか「平和」とかがいくら麗々しく憲法の原理として書かれていても、それは空念仏にすぎなかった。むしろそういう原理に基づく戦後教育は、自分さえよければ良いという観念を養い、他人や国のために尽くす、親に孝養を尽くすという人倫の根本を忘却せしめた。そして、己の権利のみを主張する精神が横溢した。こうしたことが今日の日本を作り出した。

 

今日の日本を混迷に陥れている根本原因である『現行占領憲法』の「国民主権」という國體破壊思想、「恒久平和主義」といふ名の侵略誘発の敗北思想、「基本的人権の尊重」という欲望民主主義・利己思想という三原理に要約される「戦後精神」を徹底的に祓い清めなければならない。日本國の根幹を揺るがせ、日本国民の道義心を低下せしめている『現行憲法』の三原理を肯定したままで一部の条項を変えるだけの「改憲」では駄目である。

 

憲法は「不磨の大典」と言われるが、「不磨」であるべきなのは、「國體法」である。「政体法」は必要に応じて改正されるべきである。すなわち、天皇を君主と仰ぐ國體は絶対に変革されてはならない。しかし、政体は民の幸福のためになるのならどんどん変革すべきである。

 

今日、『現行憲法』の「三原理」が「不磨の大典」のように論じられている。近年各方面から出された「改憲草案」はそのほとんどが「現行憲法」の「三原理」を継承している。

 

自民党の「日本国憲法改正草案」には「国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の三つの原則を継承しつつ、日本国の歴史や文化、国や郷土を自ら守る気概などを表明」などと書かれている。戦勝國によって押し付けられた理念であり、わが國の國體と合致せず、戦勝國に対する敗戦国日本の詫び証文である『現行占領憲法』の「前文」に書かれた「三原則」を「不変の価値として継承する」などといふのでは、憲法改正でも自主憲法制定でもない。この草案通りの憲法が制定されれば、日本を混迷に陥れた「三原則」が押し付けではなく、國民の意志によってこれを憲法理念とすることとなる。まさに亡國のはじまりである。

 

法治国家の国民である以上、法は守らねばならない。しかし、今日の日本は成文法の根幹たる「憲法」が正統性を失っているのである。現代日本の混迷と堕落と危機の根本原因の一つはここにある。

 

『現行占領憲法』は制定当初から正当性がなかったのである。それは、現行憲法が帝国憲法を改正したものだなどという自体が欺瞞だからである。天皇大権が占領軍の隷属の下にあった占領期間中の改憲は「摂政を置くの間之を変更することを得ず」という帝国憲法の条項に明確に違反しているのである。

 

終戦後六十年以上を経過して、愈々益々終戦直後の、戦勝国によるわが國の伝統破壊・弱体化政策を原因とする様々な問題が噴出してきている。しかもそれは、わが国存立の根幹をも揺るがしかねない事態となっている。

 

しかし、『現行憲法』の「主権在民論」=国民主権論こそ、日本の國體を隠蔽し破壊する元凶である。「国民主権論」は、西洋や支那大陸のような君主と人民とが「國家意思を最終的に決定する権限」を奪い合った歴史は全くない君民一体の信仰共同体たるわが國の國柄と絶対相容れない國體破壊につながる思想である。

 

『現行憲法』の「平和主義」「国際協調」とは、「我が國は侵略戦争をした悪い國であった。今後は武力・戦力・國軍を持たない。侵略阻止のための武力行使はしないし、国防戦争もしない」という敗北思想である。これこそ、日本の国防体制確立を阻害し日本国をして他国の属国たらしめる元凶である。

 

『現行憲法』の道義精神不在の「人権論」=「基本的人権の尊重」は、人権尊重・個の尊重を全てに優先させることによってかえって人権を蹂躙し、個人の尊厳性を奪うことになった今日の我が國の荒廃の根本原因の思想である。

 

「現行憲法三原理」の否定なくして「憲法改正」にも「自主憲法制定」にもならない。『占領憲法』の無効を確認することが最も正しい道である。

 

 

 

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十一月八日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆・脱稿・送付。

この後、施設に赴き母に付き添う。元気を回復ていた。

帰宅後は、原稿執筆の準備、資料の整理など。

| | トラックバック (0)

『日本国宝展・祈り、信じる力』を参観して

本日参観した『日本国宝展・祈り、信じる力』は、

「日本には、美術的、歴史的に貴重な意義を有する文化財が数多くあり、中でも世界文化の見地から、高い価値をもつものを、類い稀な国の宝として、「国宝」に指定しています。

 

 本展覧会は、これら国宝の中で、人々の篤い信仰心が結実した文化的遺産を集め、日本文化形成の精神を見つめ直すことを試みた壮大な展覧会です。祈りをテーマに、仏や神と、人の心をつなぐ役割を担ってきた絵画・彫刻・工芸・典籍・考古資料などを展示し、日本文化の粋の結集をご覧いただきます。人々の祈り、信じる力が、どのような形を結び今に伝わるのか、国宝と私たちとの、時空を超えた対話が始まります。

 

 本展覧会には、正倉院宝物が特別出品されます。祈りを込めて東大寺大仏に捧げられた品々は、長い歴史の中で大切に継承され、まさに国の宝として価値高いものといえるでしょう。天皇陛下の傘寿を記念する年にあたり、国の宝の数々を、ひろく多くの方々にご覧いただければ幸いです。」(案内書)との趣旨で開催された。

 

「普賢菩薩像」(平安時代・12世紀)、「寝覚物語絵巻」(平安時代・12世紀)

、「土偶 合掌土偶」(縄文時代後期)」、「土偶 縄文のビーナス」(縄文時代中期)、「後醍醐天皇(北畠親房)仏舎利奉請状」(鎌倉時代・正中元年)、「支倉常長像」(17世紀)、「観音菩薩坐像()・勢至菩薩坐像()(阿弥陀如来および両脇侍のうち。平安時代・久安4)、「善財童子立像」(文殊菩薩および侍者のうち、鎌倉時代)、「興寺極楽坊五重小塔」(奈良時代)などを参観。

 

日本の美術が、いかに宗教と関連が深かったかを実感した。これは日本に限らないかもしれない。ヨーロッバの美術もキリスト教徒殆ど一体と言っても過言ではない。

 

日本の彫刻は、近代は別として、その殆どが仏像である。本日参観した時、とても面白い現象を見た。大変に多くの人々が参観していたのであるが、同じ部屋に仏像・仏画と共に、地獄絵の巻物が展示されていた。参観者は地獄絵の方に数多く群がっていた。こういうのを、「怖いもの見たさ」と言うのだろうか。

 

木偶などを観るとも日本の歴史はとても古いという事も実感した。紀元前二千年から三千年頃に既に優れた美術が創作されていたのである。

 

さらに、聖徳太子が佩用されていたと伝わる「刀」も展示されていた。錆びておらず、実に見事な光を放つ直刀であった。また姫路藩主・池田輝から徳川家康に献上された日本刀も美しかった。武器が本当に美しい美術品になっているというのも不思議であり、日本だけの現象ではなかろうか。

 

立冬を過ぎた上野山は木々が色づいていた。

141107_1437010001_3

東京国立博物館本館と色づき始めた樹木


| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十一月七日

午前は、諸雑務。

午後は、上野公園の東京国立博物館にて開催中の『日本国宝展』参観。

帰宅後は、原稿執筆。

| | トラックバック (0)

2014年11月 7日 (金)

平忠度における風雅・みやびの心と武の精神

 

平忠度

 

「ささ波や 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山櫻かな」(ささ波やは、枕詞。志賀(琵琶湖西南海岸)の古き都の跡は荒れ果てたけれど、山櫻は昔のままに咲いてゐるなあ)

 

 

平忠度(たいらのただのり)は平安末期の武将。歌人。天養元年(一一四四)伊勢平氏の棟梁である平忠盛の六男として生まれる。清盛の弟。薩摩守。藤原俊成に師事して和歌をよくした。源頼朝討伐の富士川の戦ひ、源義仲討伐の倶利伽羅峠の戦ひ等に出陣。寿永三年二月七日、一ノ谷の戦ひで源氏方の岡部忠澄に討たれた。享年四十一歳。

 

「故郷花といへる心をよみ侍りける」と題された歌。この場合の「故郷」とは、古き都のこと。天智天皇が造営された大津の都は「壬申の乱」で滅亡し荒れてしまったが、日本の美の象徴である山櫻は滅びないで今も咲き盛ってゐるといふことを歌ってゐる。平家の滅亡と大津の都の滅亡とを連想させてゐる美しくも悲しい歌である。

 

『千載和歌集』(平安末期の勅撰和歌集。二十巻。藤原俊成撰)撰進を知った平忠度は、平家西走の途中、京都に引き返して歌道の師・藤原俊成に託した詠草の中の一首である。忠度は朝敵とされたため『千載集』には「詠み人知らず」としてこの一首が収められた。『平家物語』巻七「忠度都落」にもその間の事情が記されてゐる。

 

萬葉の大歌人・柿本人麻呂の「ささ波の 志賀の辛崎 幸くあれど 大宮人の 船待ちかねつ」、高市黒人の「ささ波の 國つ御神の うらさびて 荒れたる都 見れば悲しも」を継承してゐる歌。

 

和歌は先人の美感覚を継承しつつ新しき美を創造して人々の感動を呼ぶ。わが國においては傳統の継承と新しき創造は一体であった。忠度といふ武人がいかに和歌を愛し、日本の道統に対してすぐれた感覚を持ってゐたかを証しする歌である。

 

平家および忠度自身の滅亡の運命と眼前の山櫻の美を対照させてゐる。即ち、栄枯盛衰・盛者必滅の世の定めと変化せざる自然とを対照させてゐるのである。

 

日本人は、櫻の花を理屈なしに美しいと感じた。それは、櫻は未練がましく咲き続ける花でも醜く萎れていく花でもなく、見事に咲いて潔く散っていく花だからであらう。まさに武人の精神と行動の潔さと相似なのである。

 

朝敵とされた平家の武人も、勅撰和歌集に自分の歌が選ばれることを切に望んだ。わが國柄の素晴らしさは實にここにある。日本文藝史は皇室と共にあった。文藝に限らずわが國の文化は皇室を中心にして継承され創造されてきた。

 

また、我が國の美の道統である風雅・みやびの心は武と一体であった。我が國文化の素晴らしさもまたここにある。命懸けの行動を行なふ人こそ真の美の創造者たり得るのである。これを「剣魂歌心」といふ。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十一月六日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理。

この後、施設に赴き、母に付き添う。少し疲れているようだった。

帰宅後も、資料の整理。

| | トラックバック (0)

2014年11月 6日 (木)

日本武尊の戦闘的恬澹・捨身無我の精神

人間が命懸けになった時、素晴らしい歌が生まれる。それは明治維新の志士たちが大事を実行するに当たって決意を込めた歌を詠んだことや、大東亜戦争の時特攻隊員が和歌に自分の最後の思ひを託して死地に赴いて行ったことを見ればわかる。詩歌は「命懸け」の精神と行動の美的表現なのである。

 村上一郎氏は、文学及び詩歌を定義して「詩的な言語表現をもってする人間の生き死にの道の表現である」(『明治維新の精神過程』)と語ってゐる。人間の「生き死にの道」の表現を言語で行ふことは、言語といふものの価値を最高に認めるといふことである。

日本武尊御歌

「孃女(おとめ)の 床の辺(へ)に 吾が置きし つるぎの大刀 その大刀はや」(乙女の床のそばに私の置いてきた太刀、あの太刀よ)

 

 本朝最古の辞世歌である。日本武尊は景行天皇のご命令により九州の熊襲建を平定して大和に帰られるが、さらに東國を平定せよとのご命令を受け、それを終へた帰りに、尾張で結ばれた美夜受姫(みやずひめ)のところに、叔母君であった倭姫命から授けられた草薙の劔を預けて出発され、熊煩野(三重県亀山市)で急病になられた時の御歌である。 守護霊が宿る神剣を美夜受姫に預けたために、急病となられたことを嘆かれた御歌である。ご自分の命を見つめながら歌った哀切極まりない絶唱である。慎みの欠如・傲慢さから剣を置いて素手でも勝てると思って出発したのが間違ふのもとといふ物語である。

  剣や玉など呪器に籠る霊力を振はせることによって、人間などの力を復活させることを「魂触り」と言ふ。御神輿が練り歩くのも、神体等を揺り動かすことにより神霊を活性化させる意義がある。それと同じく剣を振る事によって本来活力を失った魂を再生し活力を再生させる。鎮魂は、ミタマシズメ・ミタマフリと言ひ、枯渇した人間の魂を振り起し、復活させ、衰微した魂の生命力を再生し復活させる行事である。

 「刀は武士の魂」として大切にされて来たばかりでなく、神社の御神体即ち祭祀と礼拝と祈りの対象となってゐる。 この御歌は乙女への愛と武の心が渾然一體となってゐる。そしてその奥に天皇への戀闕の心がある。日本武尊の悲劇の根本にあるのは、武人の悲劇である。神との同居を失ひ、神を畏れなくなった日、神を失って行く時の悲劇である。 英雄にして大いなる歌人(うたびと)であられた日本武尊の辞世の歌にふさはしいロマンと勇者の世界が歌はれてゐる。文字通り「剣魂歌心」の御歌である。

  この御歌には、恋愛詩と英雄詩が一つに結合融和して現れてゐる。この精神こそ、戦ひにも強く恋にも強い大和民族の原質的民族性であり、日本武士道の本源となっている。これを「剣魂歌心」といふ。 日本武尊は、上代日本の武人の典型であると共に詩人の典型であらせられた。日本の英雄は歌を愛した。「ますらをぶり」は優美さを否定するものではない。

  もののふのこころ・ますらをぶりとは、清明心と表裏一體の精神であり、天皇のため國のためにわが身を捧げるといふ「捨身無我」の雄々しい精神でもある。その精神の体現者が日本武尊であらせられる。「たけるのみこと」とは猛々しさを表す御名である。

  新渡戸稲造氏は、吉田松陰の歌「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」を引用して、「武士道は一の無意識的なるかつ抵抗し難き力として、國民および個人を動かしてきた」(『武士道』)と論じてゐる。 新渡戸氏はさらに、「(『武士道』については)精々口傳により、もしくは数人の有名なる武士や學者の筆によって傳えられたる僅かの格言があるに過ぎない。むしろそれは語られず書かれざる掟、心の肉碑に録されたる立法たることが多い」と論じてゐる。

  日本武尊は武人の典型であると共に詩人の典型であらせられ、武士道精神の祖であらせられる。戦闘的恬澹・捨身無我の精神は後世の武士に強く生かされる。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十一月五日

午前は、諸雑務。原稿校正。

午後三時より、丸の内の日本倶楽部にて、小田村四郎拓殖大学前総長にインタビュー。『伝統と革新』掲載のためなり。

いったん帰宅。

午後六時半より、湯島にて三人の同志と懸案事項について討議。

帰宅後は、原稿執筆。

| | トラックバック (0)

2014年11月 4日 (火)

わが國の傳統的な美感覚「もののあはれ」とは

「もののあはれ」は、日本人特有の美感覚である。「もののあはれ」の「もの」は、外界の事物。「あはれ」は、「あゝ」と「はれ」が結合した言葉。「あゝ」も「はれ」もすぐれて見事なことを見た時に発する感動の言葉。「あっぱれ」は、「あはれ」の転であり、「あはれ」は悲哀に限らず嬉しいことなど物事に感動した時に発する。

「もののあはれ」は、日本の文學精神の主流になった感性であり、自然・芸術・恋愛など人生の出来事に触発されて生ずるしみじみとした趣き・情感のことと定義される。

「もののあはれ」という言葉が最初に登場したのは『土佐日記』の船出の悲しさを語ったところである。

藤原俊成(『新古今和歌集』の代表的歌人)は、「恋せずば人は心もなかるべしもののあはれもこれよりぞ知る」(恋をしないのは人の心がないのと同じだ。もののあはれも恋をすることによって知る、という意)と詠んだ。

近世の國學者・本居宣長はこの俊成の歌を解説して、「大方歌の道はあはれの一言に帰す。さればこの道の極意を尋ぬるにまたあはれの一言よりほかになし。伊勢物語も源氏物語もあらゆる物語もその本意を尋ぬればあはれの一言にてこれをおほふべし」と論じてゐる。 宣長は「もののあはれ」は日本文芸の一番大事な基本精神であると説いた。

宣長は、「よきことにまれ、あしきことにまれ、心の動きてああはれと思はるることがもののあはれ」と説いた。そして宣長自身「ことしあればうれしたのしと時々に動くこころぞ人のまごころ」(『玉鉾百首』)と詠んだ。

紀貫之が執筆した『古今和歌集』の序は、「鬼神をもあはれと思はせるものが和歌である」と説いている。

「もののあはれを知る心」とは、外界の事物に対する自分の心の態度のことであり、自然な心の動である。それが日本文芸の原点である。 しかし「もののあはれ」をやや客観的に見て美しい調べにして表現しなければ藝術としての歌にはならない。自分の情念を客観視して調べに乗せて表現し他者に美しく傳へ他者をも感動させる文藝、それが和歌である。

文藝とは深遠なる哲理や理論・教条を説くものではない。「もののあはれ」を訴えるものである。人間が物事に感動した思ひといふものを、和歌や物語の形式で美しく表現する、それが文藝である。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十一月四日

午前は、諸雑務。

午後二時より、六本木の国際文化会館にて、伊藤隆東京大学名誉教授にインタビュー。『伝統と革新』掲載のためなり。

帰宅後は、『月刊日本』連載中の「萬葉集」評釈原稿執筆・脱稿・送付。

| | トラックバック (0)

最近贈呈していただいた書籍

最近贈呈していただいた書籍を紹介させていただきます。

『ウイグル十二ムカームーシルクロードにこだまする愛の歌』 萩田麗子氏翻訳/解説 集広舎発行 三浦小太郎氏より 

最近贈呈していただいた書籍を紹介させていただきます。

『ウイグル十二ムカームーシルクロードにこだまする愛の歌』 萩田麗子氏翻訳/解説 三浦小太郎氏より 

| | トラックバック (0)

萬葉古代史研究會

萬葉古代史研究會

小生が講師となり「萬葉集」を勉強する會が次の通り開かれます。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。

日時 十一月十二日(毎月第二水曜日) 午後六時半より 

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

東京都豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 山手線駒込駅北口徒歩二分

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』。

初参加の方は、テキストはなくても結構です。初めての方でも分かりやすい内容です。

| | トラックバック (0)

2014年11月 3日 (月)

明治維新の基本精神は「尊皇攘夷」「復古即革新」

明治維新の基本精神は、「尊皇攘夷」即ち肇國以来の天皇を君主氏仰ぐ國體の本姿および日本民族の傳統信仰を回復して國家體制を革新し外國からの侵略を防ぐといふ精神である。それは復古即ち神代への回帰は現實の革新と一體であるといふ「復古即革新」の理念である。維新は革命ではないといはれる所以である。鎌倉幕府以来の武家政治・強いもの勝ちの覇道政治を否定し天皇統治の皇道政治の回復を目指した変革が明治維新である。

かうした明治維新の根本精神は、『王政復古の大号令』と『五箇条の御誓文』に示されてゐる。 明治天皇が慶応三年(一八六七)十二月九日に発せられた『王政復古の大号令』には、「諸事神武創業ノ始ニ原(もとづ)キ、縉紳(しんしん:公家)、武弁、堂上、地下(ぢげ)ノ別ナク、至当ノ公議ヲ竭(つく)シ、天下ト休戚(きゅうせき)ヲ同シク遊(あそば)サルヘキ叡慮ニ付キ、各(おのおの)勉勵、舊来ノ驕惰ノ汚習ヲ洗ヒ、盡忠報國ノ誠ヲ以テ奉公致スヘク候事。」と示されてゐる。天皇國日本の原初即ち神武創業に回帰することが明治維新の基本精神であった。 また、明治天皇が慶応四年(一八六八)三月十四日、天神地祇に新しい國家の方針を誓はれた『五箇条の御誓文』には、「我國未曽有ノ変革ヲ為サントシ,朕躬(ちんみずから)ヲ以テ衆ニ先ンジ,天地神明ニ誓ヒ,大ニ斯國是ヲ定メ萬民保全ノ道ヲ立ントス。衆亦此旨趣ニ基キ協力努力セヨ」と示されてゐる。

さらに、『五箇条の御誓文』の制定にあたって、明治天皇が神祇に捧げられた祭文中には、「今ヨリ天津神ノ御言寄(コトヨサシ)ノ随(ママ)に、天下ノ政ヲ執行(トリオコナ)ハムトシテ…」と示されてゐる。

明治維新は、神武創業への回帰、道統の継承、「祭政一致」の回復が第一義であった。日本傳統信仰即ち天神地祇への祭祀を根本とし、神武創業の精神に回帰しつつ、徹底した大変革を行ふのが、明治維新の基本精神であった。まさに「復古即革新」である。

「復古即革新」といふ明治維新の精神は、公卿や武士や學者といふ当時の指導層のみが志向したのではない。全國民的な傳統回帰精神の勃興でありうねりであった。山口悌治氏は、「伊勢参宮運動が、明和八年には、四月八日から八月九日までの間に、二百七萬七千四百五十名。文政十三年には三月から五月までの三ヶ月間に四百萬人を超えたといふのである。明治維新は勤皇の志士達を中心とする下級武士達と私は思ってゐたが、實はこのやうな一般庶民の圧倒的な伊勢参宮運動が、覇道政権への抵抗として全國にその土台をすでに充分成熟せしめてゐたのである」(『萬葉の世界のその精神』)と論じてゐる。

さらに、慶応三年(一八六七)七、八月頃、には「ええじゃないか」といふ民衆運動が起こった。これは、伊勢神宮の神符等が降下したことを発端として乱舞を伴ふ民衆信仰的な民衆運動である。名称は、民衆が踊りながら唱へた文句が「ええじゃないか」「よいじゃないか」「いいじゃないか」等があったことに由来するといふ。発生地は、畿内、東海道を中心とした全國約三十カ國である。囃し言葉は、「日本國の世直りはええじゃないか」「今年は世直りええじゃないか」といふやうな世直しを期待する文句であった。

伊勢参宮運動=お蔭参りの傳統を継承した世直しを希求する民衆運動である。 このやうな民衆の復古的・信仰的な世直し運動が明治維新の原動力の一つだったのである。まさに明治維新は全國民的な「復古即革新」運動だったのである。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十一月三日

午前は、諸雑務。

午後は、明日と明後日に行われるインタビューの準備。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後も、インタビューの準備、原稿執筆など。

| | トラックバック (0)

真庭・庄原・安藝高田への旅の歌 その二

走り行く自動車より見ゆる湖は秋の日の下紺碧にして

 

山奥の茶屋に働くをみな二人語らひながら落ち葉掃きゐる

 

日の光降りそそぐ山の頂の大いなる巖に神ゐますといふ

 

天津日を面上げて仰ぐ山の上 日の本の国に生まれ来し我

 

雨の降る山のいで湯に友どちとしみじみとして語り合ふ幸

 

耕して天に至るといふ言葉そのままの眺めに手を合はせたり

 

稲刈りが終りし田んぼのそばに建つ小さきみ社を拝ろがみにけり

 

遠く来て高き山登り仰ぎたる大いなる巖は神宿ると言ふ

 

山頭火の句を思ひつつ青き山重なる景色を眺め行く旅

 

雨の中杉の大樹を仰ぎたり 命の柱の如き大樹を

 

広らなる山々の景色眺めつつ自動車に乗り走り行く旅

 

登り行く山道に響く川の音強く激しく清らなりけり

               ○

 

秋の夕日はつるべ落としといふ言葉肯ひにつつ暗き道を帰る

 

政治的論議を交はせし後にして萬葉の歌を讀みてやすらふ

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十一月二日

午前は、諸雑務。

午後は、週明けに行われるインタビューの準備。

この後、施設に赴き、母と過ごす。

帰宅後も、インタビューの準備、原稿執筆など。

| | トラックバック (0)

2014年11月 2日 (日)

この頃詠みし歌

「天地玄黄」といふ言の葉を繰り返し書きたることを思ひ出しをり

 

都の空 秋とはなりて晴れわたり 青さ目にしみる心地良さかな

 

「光あるうちに歩め」といふ言葉しばらく繰り返し口ずさみをり

 

朝な朝なベランダに立ち太陽を仰げば命あらたまるなり

 

新たなる日を迎へたる朝にして太陽の光燦々と照る

 

夜の更けに中天に浮かぶ満月を仰ぎて一茶の句を思ひ出す

 

秋津島大和の国は台風の多く来る國まさきくありこそ

 

台風は汚穢を祓ひ清むると見直し聞き直し神に祈らむ

 

みんなみより上り来るなる台風が日本列島を祓ひ清める

 

三波春夫の「五輪音頭」を口ずさみ五十年前を偲びつつをり

 

母上と語らひながら菓子を食すこのひと時の楽しかりけり

 

買ひて来し菓子を美味しと食したまふ母の心をうれしと思ふ

 

富士山が冠雪したりといふニュース見つつ思へり御嶽山頂

 

真青き空仰ぎてさやかな秋の午後 谷中霊園に友ら集へり(来島恒喜烈士墓前拝礼)

 

晴れわたる青空の下 谷中なる霊園はのどかに光あふるる()

 

わが部屋は書物だらけとなりにけり二十近くを住み続け来て

 

桜咲き晴れわたりたる四月十日 昨日の如くに思ひ出さるる

 

我はしも中学一年生たりし時 御成婚に国民歓呼す

 

丹波なる友より贈られし松茸を美味し美味しと食す朝かな

 

谷中寺町夜空に浮かぶ三日月を仰ぎつつ歩む静かなる時

 

友の営む骨董店の前を通り谷中の町を酒房へと急ぐ

 

争ひと対立の世の秋の夜 弓張月は静かに浮かぶ

 

友と二人もつ焼き食し語らへる秋の夜にはお湯割りが良し

 

おのづから汗は出で来る 深まりし秋なれど吾は肥満体ゆゑ

 

暑き日も寒き日も机に向かひつつもの書きてゐる我にしありけり

 

 

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十一月一日

午前は、諸雑務。

午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、『アジア問題懇話会』開催。

岡崎研究所理事・金田秀昭(元護衛艦隊司令官)が「集団的自衛権行使で隙のない防衛を」と題して講演。質疑応答。内容は後日報告します。護衛艦隊司令官とは戦前の連合艦隊司令長官である。

帰宅後は、週明けに行われるインタビューの準備、原稿執筆など。

| | トラックバック (0)

2014年11月 1日 (土)

最近聞いた話

 

「わが国は神々の子孫が地上の君主として君臨される世界でも稀有な国である」

 

「資本主義経済・市場経済は限界に来ている。政治・経済・宗教は一つの思想・教義・制度に『これでなくてはいけない』とするのは危険」

 

「平均寿命が延びているが、七十歳、八十歳になって幸せでない人がどんどん増えている」。

 

「コンピューター・インターネット・携帯電話に人間が振り回されている。これらは皆アメリカの兵器産業から来ている」

 

「与野党の足の引っ張り合いは愚かな事。日本の官僚は世界一。よく働く。清潔。日本国家百年の大計を出すのが政治家の役割」。

 

「東京は世界一の一極集中都市。安全・安心の都市」。

 

「日本人は自分の國の歴史を知らない人が多い。自信と誇りを持って世界に対峙せよ」。

 

「日本の水道水くらいきれいでおいしい水は無いのに、わざわざ飲料水を欧州から輸入している。トイレで温水で尻を洗浄するの国は世界で日本のみ」。

 

「アジア主義は思想としては成り立つが、外交政策としては成り立たない」

 

「交戦権が憲法で否定されているから外交が出来ない。占領憲法の縛りが効いている」

 

「人材派遣会社は置屋」。

 

「本当は警察が北朝鮮に行って拉致問題解決の交渉をすべきだ。外交の目的達成の為には情報機関が必要」。

 

「韓国には建国の物語がない。出自に対する釈然としない気持ちを持っている。独立闘争の物語がない」。

 

「アメリカの力の低下で中韓が提携して反日になっている。日本の世論の分裂が相手に塩を送っている」。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十月三十一日

朝は、諸雑務。

午前十一時より、日本橋のライフコーポレーション東京事務所にて、清水信次氏にインタビュー。木村三浩氏が同席。終了後、懇談。

この後、施設に赴き、母に付き添う。元気なり。

午後六時半より、春日の文京シビックホールにて、「國體政治研究会第六十七回例会」開催。小生が司会。佐藤健二氏が「思想家としての山鹿素行―『中朝事実』の今日的意義」と題して講演。質疑応答。中村信一郎代表幹事が挨拶して終了。

帰宅後は、原稿執筆。

| | トラックバック (0)

« 2014年10月 | トップページ | 2014年12月 »