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2014年10月22日 (水)

「やむにやまれぬ大和魂」

「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」

 

 吉田松陰の歌である。安政元年(一八五四)、松陰が二十五歳の作である。江戸獄中より郷里の兄杉梅太郎に宛てた手紙に記されていたという。同年三月、伊豆下田にてアメリカ艦船に乗り込まんとして果たせず、江戸へ護送される途中、四月十五日高輪泉岳寺前を通過した時赤穂義士に手向けた歌である。

 

赤穂義士は吉良上野之介義央を討てば死を賜ることとなるのは分かっていても、やむにやまれぬ心で主君の仇を討った。松陰自身もまさしくやむにやまれぬ心で米艦に乗ろうとした。ゆえに赤穂義士に共感したのである。松陰が國法に触れることは分かっていても、國家を思うやむにやまれぬ心で米艦に乗ろうとしたことと、赤穂義士が、吉良上野之助義央を討てば、自分たちも死を賜ることは分かっていたが、やむにやまれぬ思いで吉良を討った精神と共通する思いであった。

 

幕末志士の歌で結句を「大和魂」にした歌は多いが、この歌が最も多くの人々の心を打つ。あふれるばかりの思いとはりつめた精神が五・七・五・七・七という定型に凝縮されている。かかる思いは和歌によってしか表現され得ないであろう。

 

 片岡啓治氏は「詩的精神、いわば自己自身であろうとし、もっとも固有な心情そのものであろうとする心のあり方が自らを語ろうとするとき、日本にもっとも固有な詩の形式を借りたのは当然であろう。そこには、自己自身であり、日本に同一化することがそのまま詩でありうるという、文学と現実の幸福な一致がある」(維新幻想)と論じている。

 

日本固有の文学形式によって自己の真情が吐露できるということは、日本人が神から与えられたまさに最高の幸福である。

 

 吉田松陰は、安政五年(一八五八)正月十九日、月性(幕末の勤皇僧。周防妙円寺住職。攘夷海防を論じた)に宛てた書簡で、前年の安政四年に米駐日総領事ハリスが、江戸城に登城し、幕府に米公使江戸駐在を認めさせたことを憂い、「ミニストル(公使のこと)を江都(江戸のこと)におき、万國(ここでは國内各藩のこと)の通商、政府に拘らず勝手に出来候へば、神州も実に是きりに御座候。何とも一措置なくては相済み申すべきや。幾重に思ひかへ候ても、此時大和魂を発せねば最早時はこれ無き様覚へ申し候。」と記している。大和魂を発揮して幕府の軟弱外交を糾弾すべきことを論じているのである。

 

 『萬葉集』に収められている大伴家持の長歌に、「海ゆかば 水づく屍 山ゆかば 草むす屍 大君の 辺にこそ死なめ 顧みはせじ」という句がある。

 

 大君の御為に自らの命を捧げることを最高の名誉とするというのが日本武士道精神なのである。この精神こそが大和魂であり、「朝日ににほふやまざくら」が潔く散っていく姿そのものなのである。

 

武士道精神は禅や儒教から生まれたのではないし、近世の武家社会から発したのでもない。いわんや近代日本において強制された観念でもない。古事記・萬葉の昔から継承されてきた精神である。大和魂・大和心は戦闘者の精神・武士の心・軍人精神・維新者の根幹となる心なのである。

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