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2014年10月 4日 (土)

日本における「法」の起源

日本における「法」の起源とは、「のりごと」である。祭祀において祭祀主から人々に「宣()り下される言葉」である。「宣()り」は、祭祀主を通して神の御意志として示された言葉である。日本国家全体の祭祀主であらせられる天皇が神の意志として述べたまふ言葉即ち「仰せ言」「宣命」「詔(みことのり)」が、わが国の「法」の起源である。

 

「のりと」の「のり」には「宣り聞かせる」といふ意味もある。そしてその「のり」は「則(のり)」「法(のり)」と同意義なのである。神の御意志を宣せられた「すめらみこと・日本天皇」の「のりごと」「みことのり」が、わが日本の法なのである。

 

西洋特に英国では「王は民の上にあり、されど法は王の上にあり」「国王と雖も法の下にある」「法の上にある者は神だけである」といふ法思想がある。これが『法の支配』の原点であるとされる。

 

しかし、わが日本においては天皇の御意志は即ち絶対的な「法」なのである。何故ならば、天皇は、「祭祀国家日本の祭祀主」すなわち「神の御代理」であり、民から仰ぐと「現御神」であらせられるからである。

 

聖徳太子の『十七条憲法』の第三条「承詔必謹」(みことのりをうけたまりては、かならずつつしめ)といふ精神はここにある。

 

しかるに、今日施行されてゐる『日本国憲法』といふ名称の「占領憲法」は、十七世紀、十八世紀の欧米の市民革命の基礎理論であった「社会契約論」に立脚してゐる。その上、戦勝国アメリカの占領下に、強制的に押し付けられた憲法である。従って、この「現行占領憲法」には思想的にも制定過程においても全く正統性がないのである。

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