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2014年10月11日 (土)

丸山和也参議院議員の講演内容

八月十一日に開かれた『一水会フォーラム』における丸山和也参議院議員の講演内容は次の通りです。

                          ◎

「気概とは何ぞや。哲学でもイデオロギーでも思想でもない。戦後日本はGHQの占領を経て今に至り、気概を持てない状況になっている。堂々と国歌を掲げ国歌を歌う事ね憚られる。このような風潮が七十年つづいて来た。

 

頭山満は西郷隆盛に会っていないが、後年、頭山満が鹿児島を訪ねた時、西郷がその本がぼろぼろになる迄愛読していた大塩平八郎か書いた『洗心洞箚記』に出会った。大塩平八郎の詩に『鏡に対し鬢髪の乱るるを憂えず、ただ一心の乱るるを懼れよ』という言葉がある。西郷隆盛の詩にも『我が髪なお断つべし、我が心截つべからず』という言葉がある。身だしなみよりも心を大切にする心性。こうした精神は大塩平八郎・西郷隆盛・頭山満へと流れていた。

 

玄洋社は哲学・思想で集まったのではない。左翼と右翼とは顔つきが違う。心の在り方が違う。右翼は『心』の人。左翼は『理性』の人。これは東洋と西洋との違いとも通底する。東洋的なものの考え方が『心』とすれば、西洋的なものの考え方は『頭』が根底にある。

 

鈴木邦男さんと対談した時、鈴木さんは『もう右翼はいりませんよ』と言われたことがある。これには驚いた。右翼も左翼もなくなれば、功利主義だけが残る。まさに今は功利主義の時代。誰かのために一緒に死のうという人は少ない。魂で結びつくエネルギーが現代社会では弱くなっている。高杉晋作は野山の獄に投獄された時、『先生を慕うて漸く野山獄』という歌を詠んだ。師・吉田松陰がかつて投獄されてゐた野山獄にようやく自分の入ることができたという喜びを詠んだ歌。このように惚れた人物と命を賭して一体化することに喜びを感じる心性をかつて日本人は持ってゐた。こういう心性を失っては駄目。

 

気概という言葉は『頑張ろう』という心。教育の場で日本人としての気概を教えるべし。日本人は教育、歴史認識問題で気概を持つべきだ。その根底にあるのは『日本人としての誇りを取り戻す』である。安倍総理は去年七月十日の参院選公示の日の街頭演説で、このことを訴えた。

 

聖徳太子が優れていたのは、隋の煬帝への『親書』で『日出づる処の天子、書を日没するところの天子に致す』と書いたこと。煬帝は『世界に天子はおれ一人』と思っていたので怒った。聖徳太子は七世紀のはじめにこのような気概のある外交を行った。聖徳太子の定めた『十七条憲法』の第一條は、『和を以て貴しの為す』である。『十七条憲法』には、ある種の民主主義の原理・根幹が書いてある。強い者が力を持って統治するという西洋的発想とは違う。

 

日本の良さは世界で分かりにくい。『マグナカルタ』が近代憲法の祖。日本と西洋とは憲法に関する考え方が違う。専制君主に歯止めをかけようというのが西洋憲法の発端。血で血を洗う流血の末に生まれたのが西洋の憲法であり、『和を以て貴しとなす』の『十七条憲法』とは全く違う。

 

民主主義は正しいというのが常識。『民主主義はけしからん』とは『産経』でも書かない。民主主義は実体無し。『民主主義とは何か』という問いに答えられる人はあまりいないと思う。第一次世界大戦まで民主主義と言う言葉は定着しなかった。『民主主義の勝利である』という戦勝国を正当化する言葉、道具として『民主主義』という言葉を使った。民主主義はいかさまだが、自由主義は深い。人間の尊厳に立脚している。しかし民主主義がはびこる現代においてはこの概念に肉づけをして育てて行くしかないであろう。

 

日本の右翼の流れには『陽明学』の『知行合一』がある。この『知』とは知識ではなく『心』『信』である。心性を大事にする一方で、理性・知性も否定しなかった。割合にすれば七対三くらいであったと思う。『知』」と『行』の分離のもたらすものが自己喪失であり、それが現代人の気概の喪失につながっている。現代の政治家、評論家は理性だけで議論する。現代の政治は、人物は求められない。政策・演説・政治的駆け引きで評価される。李登輝氏は『戦後日本の政治家が小粒で駄目になったのは人としての修業をしなくなったからだ』と言った。そして人としての修業とは『精神の修業であり、その一例として便所の掃除とか人に嫌がることを自ら進んでやることである』と説明している。今の政治家は口が達者でべらべらしゃべる人ばかり。

 

政治家が国益よりも自己保身に走った典型的な例は、民主党政権における尖閣沖漁船衝突事故への対応である。中国人船長をあっさりと釈放した。私は釈放した日に当時の仙谷由人内閣官房長官に電話でただした。彼が『どうしたらええんや』と言うから『淡々と起訴して実刑判決を下し、強制送還すべきだ』と言ったら、彼は『そんなことをしたらエイペックが吹っ飛んでしまう』と言った。『それでは日本は属国みたいではないか』と追及すると、『日本は今でもそんなもんやないか』と答えた。その後、彼は記者会見で私の事を『あんないい加減な弁護士の事は相手にしない』と言い放った。これは私だけの問題ではなく日本としての気概に関わる問題として捨て置けないので、訴訟を起し、まだ係争中である。

 

何故中国人船長を釈放したのか。あれは一種の指揮権発動だった。官房長官が那覇地検の検事にやらせた。検事は会見で『日中の外交関係を配慮した苦渋の決断』と言った。外交関係を考慮するのは検事の仕事ではない。政治家の仕事。あの結果、日本の権威は国際的に失墜した。あの当時、管内閣は小沢一郎派との内紛に勝利して政権が出来た直後で、官房長官の仙谷氏は、尖閣事件で菅政権が崩壊するのを恐れたのであろう。権力を維持するために国益を踏み躙ったのである。私は義憤を感じた。これは理屈ではなく心性から来るものである。この義憤という感情は日本人の普遍的なもので、歴史の節目節目で義憤にかられた行動があらわれる。資本主義・新自由主義・グローバルスタンダードの世界では合理性・功利主義優先される。

 

戦時中の朝鮮における民間人徴用問題で、韓国で裁判が起こされている。昭和四十年の『日韓請求権協定』で『財産・請求権の問題は協定により完全かつ最終的に解決済み』とされており、訴訟の都度、日本でも韓国でも『解決済み』として却下されていた。しかし、李明博政権の頃から韓国で『賠償は有効だ』という判決が続いている。これは『日韓請求権協定』に違反している。韓国は司法が政治に介入する事態になりつつある。韓国には憲法裁判所という憲法問題を独自に扱う裁判所がある。そこが『植民地時代の被害救済について政府は義務を尽くしていない』という判決を出し、政府にプレッシャーをかけている。韓国は心性を失っている。過去の歴史問題を利用した反日運動が盛んになり、かつて日本の朝鮮統治に協力した人々を罪に問うという『親日反民族特別法』という無茶苦茶な法律まで制定された。

 

日本の朝鮮統治は欧米の植民地統治とは比較にならないくらいインフラ整備に寄与した。それは日本国民の税金で賄った。一説には朝鮮統治予算の七割に相当したという。イギリスのインド支配は収奪・搾取。日本の朝鮮統治は、朝鮮を日本と同じレベルにしようとした。日本は説明が下手。海外への発信が弱い。政府・外務省が消極的。韓国は国家予算を使って欧州にも発信している。日本人は闘争しない。しつこさが無い。中国は一年間に四万人が弁護士資格に合格している。日本は千五百人。戦い方が違う。既に戦争に突入している。勝たねばならない。安倍総理は靖国神社に毎日参拝すれば良い。『村山談話』も見直すべし。『村山談話』に書かれている『過去の一時期』とは何時か。『国策』とは何か。『安倍談話』を出すべし」。

            ◎

丸山和也氏の深い見識に感銘した。

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