« 「攘夷」とは | トップページ | 千駄木庵日乗十月十四日 »

2014年10月14日 (火)

国家的危機とやまと歌

蒙古襲来は中世における一大国家危機であった。蒙古は文永十一年(一二七四)と弘安四年)一二八一)の二回にわたって来襲したが、いずれも日本軍の奮戦と暴風雨(これを世の人は神風と信じた)によって撤退した。これにより日本国民はナショナリズムを燃え立たせ神国意識を益々強固ものとした。

 

そして

 

「西の海寄せくる波も心せよ神の守れるやまと島根ぞ」(春日若宮者の神職中臣祐春の歌。『異国のこと聞こえ侍るに神国たのもしくて』との詞書がある。日本国が神国であるとの信念を吐露した歌)

 

「勅として祈るしるしの神風に寄せ来る浪ぞかつくだけつる」(藤原定家の孫藤原為氏が亀山上皇の勅使として蒙古撃退・敵国降伏を祈願するためにお参りした時の歌)

 

という歌が生まれた。

 

外来宗教の仏教の禅の僧侶宏覚も蒙古襲来という国難の時期にあって六十三日間蒙古撃退の祈願を行いその祈願文の最後には、

 

「末の世の末の末まで我国はよろづの国にすぐれたる国」

 

という歌を記した。こうしたナショナリズムの勃興がやがて建武中興へとつながっていくのである。

 

 このように日本民族は古代から平安朝そして中世と脈々と愛国心及びそれと一体のものとしての尊皇心を継承してきているのである。徳川時代の末に至りペリーの来航から明治維新の断行までの内憂外患大変革の時期は、その愛国心・日本ナショナリズムは火の如く燃え上がり、数々の歌に表現された。

 

 幕末の動乱期に「尊皇攘夷」の戦いに挺身した人々の述志の歌はそれぞれに憂国の至情が表白され、「魂の訴え」という和歌の本質そのものの歌ばかりである。特に「君が代」「国」を思う心を直截に歌った歌を挙げてみる。

 

 藤田東湖(水戸藩主徳川斉昭と肝胆相照らし熱烈な尊皇攘夷論を主張し尊攘運動に大きな影響を与えた)の歌。

 

「かきくらすあめりかひとに天つ日のかがや く邦のてぶり見せばや」(心をかき乱すよ うなアメリカ人がやって来たが、天日が照り輝く日本の國風を見せてやればよい、という意)

 

 伴林光平(文久三年(一八六三)攘夷断行・天皇親政実現のために挙兵した天忠組に参加し敗れて刑死した)の歌。

 

「君が代はいはほと共に動かねばくだけてかへれ沖つ白浪」(天皇国日本は巌のように不動であるから日本を侵略しようとする国々は沖の白波のように砕けて帰ってしまえ、という意)

 

 梅田雲濱(若狭国小浜藩士。尊皇攘夷運動を行い安政の大獄で捕えられ獄死した)の獄中で病気になった時に詠んだ歌。

 

「君が代を思ふ心のひとすぢに吾が身ありとはおもはざりけり」

 

 吉田松陰は

 

「討たれたるわれをあはれと見む人は君を崇めて夷攘へよ」

 

と詠み、平野國臣は

 

「君が代の安けかりせばかねてより身は花守となりけむものを」

 

という歌をのこしている。

 

|

« 「攘夷」とは | トップページ | 千駄木庵日乗十月十四日 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/121949/60480281

この記事へのトラックバック一覧です: 国家的危機とやまと歌:

« 「攘夷」とは | トップページ | 千駄木庵日乗十月十四日 »