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2014年10月 2日 (木)

木曽御嶽山登山の思ひ出

私は、二十代前半の頃だったと思ふが、木曽の御嶽山に登ったことがある。私の小中学校の同級生の家族・親族の方々が、御嶽山信仰の集まりである「御嶽講」に入ってゐて、その方たちが誘はれて登山したのである。

 

一緒に行った方たちは、いはゆる「山登り」といふ感覚ではなく、信仰上の聖地への参拝といふ感覚であった。随分昔の事であるので、秋に行ったのか春に行ったのかさへ覚えてゐない。しかし佳き天候に恵まれたことは覚えてゐる。自然景観の美しさは一生忘れることはないであらう。

 

頂上でご来光を拝んだ。だから山頂の山小屋に泊まったことは確かである。先達の方に導かれながら、山道を登って行った。私は幼少の頃から、運動神経は活発ではなかったので、三千メートル以上の山に登ったのは標高三〇六七メートルの木曽の御嶽山だけであろう。岩手の早池峰山にも、中河与一先生と共に登ったが、早池峰山は標高一九一七メートルだから、御嶽山は、私が登った山では最も高いといふことになる。

 

御嶽山は、急峻な山ではなく、なだらかな山道が続いてゐたので、登山が苦しかったといふ思ひ出はない。先達の方から「山道に唾を吐いてはいけない」「山頂を指差してはいけない」といふ注意を受けた。それだけ御嶽山を神聖視してゐるのであらう。そしてその先達の方は、一般の登山者たちがテントを張って泊まりゴミを残していくなど、山に対する畏敬の念がないといふことを深く嘆いてゐた。

 

「サンゲサンゲ、六根清浄、お山は晴天、六根清浄」と唱へながら登るのである。何とも清々しいと言ふか、清浄な心になった。

 

その時にいただいた『御嶽山要集』といふお教本を今も大切にしてゐる。毎晩寝る前のその教本に収められてゐる『般若心経』と『祈願』を唱へてゐる。

 

その教本の内容は、まさに神仏混淆であり、「不浄の祓」「座付きの祓」「天地清浄の祓」といふ御祓ひの言葉、「御膳神酒祝詞」「天津祝詞」「中臣の祓」などの祝詞、仏教の「光明真言」「仏説聖不動経」「摩呵般若波羅蜜多心経」などのお経が収められてゐる。

 

この教本の巻頭には「千早振る ここも高天の 原なれば あつまり給へ 四方の神々といふ歌」が記されてゐる。木曽御嶽山の山頂は高天原であるといふ信仰である。さらに巻末に「南無帰命頂礼大日天子、天照坐日大御神爲度衆生故。普照衆生故」といふ「合唱唱文」が書かれてゐる。

 

木曽御嶽山は日本山岳信仰の聖地である。そしてその信仰は、日本伝統信仰そのものである。その懐かしくも有難い御嶽山で、悲しくも凄惨なる自然災害が起こってしまった。お亡くなりになった方々のご冥福を心より祈念申し上げます。

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