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2014年10月31日 (金)

最近寄贈していただいた書籍

最近寄贈していただいた書籍を紹介します。

「憲法改正、最後のチャンスを逃すな!」 田久保忠衛氏著 並木書房 著者より

最近寄贈された書籍を紹介します。

「憲法改正、最後のチャンスを逃すな!」 田久保忠衛氏著 並木書房 著者より

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千駄木庵日乗十月三十日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、施設に赴き、母に付き添う。看護師さんによると食欲が旺盛であるとのこと。嬉しい。

夕刻、谷中にて地元の友と懇談。谷中寺町に浮かぶ三日月が美しかった。

帰宅後は、書状執筆。明日のインタビューの準備など。

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『尊皇討幕』の明治維新の精神と現代の危機打開

今日の日本も内憂外患を除去するために、明治維新の精神に回帰し、明治維新と同じように、日本的変革の原理たる「天皇中心の國體の明徴化」の理念を基本とした大変革即ち平成維新を断行しなければならないと信ずる。

 

日光東照宮の陽明門をはじめ各所に、後水尾天皇の御宸筆とされる勅額が掲げられている。戊辰戦争の折、日光東照宮の焼き討ちを要求する薩摩藩を説得する理由の一つとして、土佐藩の板垣退助がこの勅額が掲げられていることを挙げたという。

 

幕府は徳川家康を神格化するために、天皇及び朝廷の神聖権威を利用したのである。後水尾上皇は、度重なる徳川幕府とりわけ、徳川秀忠の圧迫と不敬行為に耐えられ、朝廷の権威を守られた。京都のある寺院で、後水尾上皇御宸筆の『忍』という色紙を拝したことがある。徳川幕府の横暴に対する御心を示されたと拝される。

 

幕末期、欧米列強の侵略の危機を打開し、日本の独立を維持するためには、徳川幕府が、天皇及び皇室の神聖権威に対抗すべく不遜不敬にも創出した「東照大権現」の神威では、とても國民的統一の信仰的核にはなり得なかった。

今谷明氏は、「東照大権現の神威は、武家階層はともかく、民衆レベルに浸透したとはとうてい考えられない。反面、大衆の間に天皇祖神を祭る伊勢の神威が高まっていくのは、よく知られているとおりである。伊勢と日光の勝負はもはやついて居た。」(『武家と天皇』)と論じてゐる。

 

もともと戦國時代の武士の覇権争いの勝者・覇者にすぎなかった徳川氏は、覇者たるのを喪失したのである。端的に言えば、徳川氏は「征夷大将軍」(夷狄を征伐する大将軍)の任に堪えられなくなったのである。

 

現御神信仰・尊皇精神の興起は、勤皇の志士たちのみならず、一般庶民においても旺盛であった。伊勢の皇大神宮への民衆の集団参拝(いわゆる御蔭参り)が行われ一般庶民の皇室の御祖先神に対する信仰が大きく復活してきていた。天保元年(一八三〇)には、御蔭参り参加者が閏一月から八月までで五百万人に達したという。

 

國家の独立と安定と統一を保持するには、日本の伝統と自主性を體現される御存在=神聖君主日本天皇を中心とした國家體制を確立しなければならなくなった。欧米列強の侵略から祖國日本を守るための國家體制は、神話時代からの伝統的君主である天皇を中心とする國家でなければならないということが全國民的に自覚されるようになった。そして、一君万民の國體を明徴化する明治維新が断行されたのである。

 

西欧列強の日本侵略から日本を守りぬくためには、全国的な統一国家建設が絶対必要条件であった。封建的各藩の分立を廃して統一国家を建設しなければならない。国家の中心を正しく確立しなければならない。もっともっと強力な国家統一・国家体制強化の牽引力が必要であった。この牽引力は、単に権力・軍事力に依拠するのでは駄目である。もともと戦國時代の武士の覇権争いの勝者・覇者にすぎなかった徳川氏は、その力を喪失してしまえば、国を支配者たるの地位も失うのである。徳川氏は征夷大将軍の任に堪えられなくなったのである。

 

東照大権現などとその神聖性を強調しても、たかだか二百余年前に天海という僧侶によってつくりあげられた権威ではとても全国民的に精神的統一の中心とはなり得なかった。全国民が真に日本民族としての運命共同意識を強く保持し燃え立たせ得る精神的な基盤に依拠しなければならない。そうした精神的基盤は、神代以来の神聖権威の体現者・保持者であらせられる日本天皇への尊崇の念即ち尊皇精神であらねばならない。

 

国家の中心者は神代以来の伝統的権威を保持する天皇以外にあり得ない。日本伝統信仰の祭祀主・現御神日本天皇以外にあり得ない。統一国家の中心者・君主は、武力のよって権力と土地と富を占有している覇者では駄目である。覇道・強いもの勝ちの武家政権ではなく、現御神日本天皇の神聖権威が国家の統一を実現する。それが尊皇倒幕即ち明治維新であった。

 

 

和辻哲郎氏は、「明治維新は尊皇攘夷という形に現わされた国民的自覚によって行われたが、この国民的自覚は日本を神国とする神話の精神の復興にもとづき、この復興は氏神の氏神たる伊勢神宮の崇拝に根ざしている。原始社会における宗教的な全体性把捉が高度文化の時代になお社会変革の動力となり得たというような現象は、実際、世界に類がないのである。」「(註・明治維新で)封建制度は再び顛覆せられた。中央集権的国家は再び形成せられた。永い封建制度の間を通じて権力なき権威であった天皇の権威は、依然として将軍の権力よりも上にあり、依然として国民の全体性を表現するものである、ということが明白に示された。原始的な信仰は決して死んではいなかった。」(『風土』)と論じておられる。

 

祖先神たる天照大御神は神として神社に祭られると共に、天皇がその地上におけるご代理としての役目を果たされた。

 

日本民族精神の基礎となるものは、天皇中心の國體を護持する精神である。日本國民の國を愛する心の特質は、「尊皇攘夷」「尊皇愛國」といふように萬邦無比といわれる日本國體の精神即ち天皇尊崇の心と一体であるところにある。

 

日本の民族意識・日本ナショナリズムの基礎は、一君万民の共同体即ち天皇中心の國體を護持する精神である。民族主義・愛國心・ナショナリズムは、天皇中心の歴史意識と不離一体である。日本民族の歴史を我々一人一人の精神の中で甦らせて、自己の倫理観・道義感の基本に置くことによって日本民族の意識・ナショナリズムが形成される。

 

日本ナショナリズムの基礎にはわが國の古代からの伝統精神への回帰があった。これを復古即革新という。日本人における愛國心は、日本人一人一人が静かに抱き継承してきた天皇を尊崇し日本の自然を慈しむごく自然な心である。「恋闕心」(「みかどべ」を恋ふる心)であり「麗しき山河即ち自然を慈しむ心」である。どちらも「愛」の極致である。

 

皇室は、神代以来の悠久の歴史を有する。明治維新前夜の國家的危機に際して、日本民族は自然に、日本國家・民族としての一體感・運命共同意識中心に古代からの國家の統一者である天皇を仰ぎ國内的統一を達成して國を救わんとしたのである。國民の同胞意識・連帯感、そして外敵に抗するナショナリズムの中心には天皇を仰いだのである。徳川幕府を打倒し天皇中心の日本國本来の在り方に回帰する変革即ち明治維新によって日本は國難を打開したのである。

現代における維新も、基本原理は全く変わらない。国内の反国体勢力を一掃し、天皇帰一の國體を明らかにして、外圧の危機を打開しなければならない。

 

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最近寄贈していただいた書籍

最近寄贈していただいた書籍を紹介します。

『立ち直れない韓国』 黄文雄氏著 扶桑社発行 著者より

『富士さん、2200年の秘密』 戸矢学氏著 かざひの文庫 著者より

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『立ち直れない韓国』 黄文雄氏著 扶桑社発行 著者より

『富士さん、2200年の秘密』 戸矢学氏著 かざひの文庫 著者より

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2014年10月30日 (木)

最近寄贈していただいた書籍

最近寄贈していただいた書籍を紹介します。

『吉田松陰が復活する!』 宮崎正弘氏 並木書房 著者より

『韓国人は、なぜノーベル賞を獲れないのか!』 山本峯章氏著 著者より

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『吉田松陰が復活する!』 宮崎正弘氏 並木書房 著者より

『韓国人は、なぜノーベル賞を獲れないのか!』 山本峯章氏著 著者より

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日本の古代祭祀と支那の古代祭祀の決定的な違ひ

わが國は天皇を祭祀主と仰ぐ古代祭祀國家が今日も生きてゐる

 

「古代支那」における自然神や死者の霊に對する「祭祀儀禮」が支那の「禮文化」の起源である。そして古代共同体ではその祭祀=禮が共同体秩序の根幹であった。この「禮文化」を組織化した抽象的理論として教学大系にまで高めて完成させたのが、孔子の儒教であるとされてゐる。

 

加藤常賢先生は、「古代に於いては、『禮』とは『儀禮』の意であって、この儀禮を實行することによって、後世の法律・政治・道徳・宗教などの役割を果たした。であるから、禮とは儀禮の實行に外ならないが、それが社會に對する時には、今日の法律・政治・道徳・宗教・經濟の社會的効用の全てを綜合した力を持って社會を規正したのである。言わば各文化に分かれない綜合的文化であったのである。この綜合未分化の當體を禮と言ったのである。」(『支那思想史』所収「正統的思想」)と論じておられる。

 

「古代支那」においては「禮」は自然法(人間の自然的性質に基づく普遍的・恒久的な法律や規範)であり不文法であった。「仁・義・禮・智・信」の「五徳」も、「孝・悌・忠」の「三つの徳目」も、それぞれの対象に對する儀禮を言葉に現したのであり、儀禮が全ての根幹にあった。

 

殷・周王朝は、どちらも宗教的権威をそなへた君主を頭領とし、神意によって未来を予測して政治を行なふ神権政治を推し進めてゐた。祖先神・自然神を祭る祭り主が君主であり、君主は神の意志に従って政治を行ふ。つまり「祭政一致」の國家であった。

 

孔子自身も祭祀を尊んだ。それは『論語』の「八佾篇」に「祭るに在(いま)すが如くし、神を祭るに神在すが如くす。子曰はく、吾祭に与(あづか)らざれば、祭らざるが如くす」(死者の靈を祭る時はまるでその人がそこにゐるかの如き心で祭りをし、神を祭る時も、神がそこに来臨しているかの如くに祭った。孔子様は言はれた。私が祭りに参加できなかったら、祭りが行はれたやうな気がしない、と)と記されてゐる通りである。

 

「支那文化」の中核とも言へる「禮」は、古代宗教國家の「祭祀」がその起源であり中核だった。然るに、「支那」においては、古代祭祀國家はとうに滅び、祭祀主たる君主も存在しない。

 

筧泰彦氏は「(註・秦とその後の漢の大帝國の時代以降)シナにおける國家の實質は人倫を喪失した権力國家となり、君主は、名目は天子と称しながら、實質は権力者にすぎぬものとなったのです。國家は革命により生きた生命を失いました。それは巨大な造花造木の如きものとなってしまったのです。従ってこの時代以来シナの人々は國といふものを通じて自己の命の永遠性を把捉することはできなくなったのです。」(『日本語と日本人の発想』)と論じてゐる。

 

一方、わが日本においては、今日も「祭祀」が生きた行事として継承され實行され、古代日本の祭祀主の御子孫たる天皇が、今日も「君主」として仰がれ、今日唯今も「祭祀」を行はれてゐる。古代の祭祀國家・人倫國家が今日唯今も生きてゐるのである。ゆゑにわが日本の國體は「萬邦無比」といはれるのである。

日本民族の信仰生活と「支那人」のそれとは決定的な違ひがある

 

「祭祀・禮」に関して、日本と「支那」との大きな違ひは、その供物・捧げ物にある。『論語』の「八佾篇」には「子貢、告朔の餼羊を去らんと欲す。子曰はく、賜(し・子貢の名前)よ、汝はその羊を愛しむも、吾はその禮を愛しむ。」(春秋時代衛の儒者で財政に明るい政治家だった子貢が、生きた羊を生贄にして毎月一日を魯(孔子の生國で、儒家の中心地)の宗廟に告げる儀式を廃止しやうとしたことがある。孔子先生はいはれた。子貢よ、お前は生贄に使ふ羊が惜しいのであらう。私は羊を節約するためになくなる禮の方が惜しいと思ふのだ。)とある。

 

「支那」においては、日常的に獣肉を食し、且つ生きた獣を祭祀における供物とした。わが國の祭祀では、血が流れ出るやうな生きた獣は祭祀に捧げない。ここに日本民族の信仰生活と、「支那人」のそれとは決定的な違ひがある。

 

食生活にも日本人と「支那人」とは根本的違ひがある。加藤常賢先生は、「わが國のごとく四面環海で、魚類の植物が豊富な所では、魚類で栄養を摂ったのであるが、支那のごとき広大な平野のある所では、牧畜が盛んに行なわれ、動物食で栄養を摂るに至るのは自然である。支那古代では牛と羊と豚は盛んに食った。ことに豚は食った。だから支那人は肉食人種である。明治以来始めて獣肉を食い出したわが國人とは元来異なっている。むしろ食肉の点では西欧人に近い」(『漢字の発掘』)と論じておられる。

 

儒教には「釈奠」といふ行事がある。「支那」で古代、先聖先師の霊をまつる行事のことである。後漢以後は孔子およびその門人をまつることを「釈奠」と専称するやうになったといふ。「釈」も「奠」も置くといふ意で、供物を神前に捧げて祭ることである。この「釈奠」では牛豚羊など獣の生贄を供へる。

 

わが國では「釈奠」は律令時代に始まり、二月および八月の上の丁(ひのと)に大学寮(律令制による官吏養成のための最高の教育機関)で孔子並びに十哲の像を掛けて祭った。応仁の頃に廃絶したが、寛永十年に林羅山が再興したといふ。

 

金谷治氏は、わが國における「釈奠」について次のごとく論じてゐる。「鎌倉時代のころには、大学寮で行なわれる釈奠で獣の肉は供えなくなっていたらしい。支那では豚を供えるのが例であるが、日本では初め猪や鹿を用いた。しかしそれも國情にあわないことで、いつのころにか廃止されたのである。それについて『古今著文集』(鎌倉中期の説話集)では孔子が夢枕にあらわれたことを傳えている。『此の朝に来たりて後は、大神宮来臨、禮を同じうす。穢食供すべからず』というのがそのご託宣で、それ以来、獣肉を供えなくなったという。事實のほどはともかく、釈奠の禮も次第に日本化してきたということであろう」(『人類の知的遺産・孔子』)

 

ユダヤ教やキリスト教も神に血を捧げる。朝鮮も祭祀で豚の頭を捧げるやうである。日本では祭祀において米や野菜そして魚介類を神に捧げるが、「支那」では血の出る獣肉を祭祀の供へ物とするのは、食生活の違ひによるのであらう。

温和な日本列島の気候風土の中に生活し農耕民である日本人は、狩猟民の有する肉食と凶暴と好戦性、牧畜民の有する漂泊性と遠征的行動は姿を消してゐる。

また次のやうな論議もある。朴泰赫氏は「儒教は、何よりも偽善的だ。儒教は支那生まれであるが、支那人は食人種である。…孔子も、日常、人肉を食べていた。…孔子が最も愛していた弟子の子路は論争に負けて、相手に食われている。『三國志』の劉備玄徳が地方の家に招かれて、人肉を食べる生々しい場面が出て来る。」(『醜い韓國人』)と書いてゐる。

 

「支那」においては、最近まで食人の習慣があったといふ説がある。一方、日本の古典を読んでも、特別怪奇な『物語』は別として食人の習慣は全く無い。

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千駄木庵日乗十月二十九日

午前は、諸雑務。『伝統と革新』編集の仕事。

午後二時より、永田町の参議院議員会館にて、丸山和也参議院議員にインタビュー。『伝統と革新』掲載のためなり。

帰途、編集実務担当者と打ち合わせ。

帰宅後は、資料の整理など。

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2014年10月28日 (火)

日本は「支那文化」に対して劣等感を抱く必要はさらさらない

司馬遼太郎氏は「いま台北にいる。…歩道に段差が多く、あやうく転びそうになった。歩道は公道なのだが、どの商店も、自分の店の前だけは適当に高くしている。高さに高低がある。『〝私〟がのさばっていますな』と、冗談をいった。中國文明は偉大だが、古来、〝私〟の文化でありつづけてきた。皇帝も〝私〟であれば大官も〝私〟だったし、庶民もむろんそうだった。〝私〟を壮大な倫理体系にしたのが、儒教であった。孝を最高の倫理とするのはみごとだが、孝は身の安全と家族の平穏ということのみの願望になりやすい。近代中國の父といわれる孫文は、このことをなげいた。色紙をたのまれると、『天下為公』(天下をもって公となす)と書いた。また、その著『三民主義』の冒頭にも、〝中國人は砂だ、にぎってもかたまらない〟といった。〝公〟という粘土質に欠けていることをなげいたのである。」(「風塵抄ー台湾で考えたこと(1)公と私」全集六六)と論じてゐる。

 

支那の権力者は國家さへ私物化した。だから「天下爲公」といふ「標語」を掲げざるを得なかったのである。それは國民党だけではない。今日の「中國共産党」も同じである。「中共」は権力掌握後、毛沢東は支那といふ國を私物化し多くの同志・國民を虐殺した。

 

『古事記』の「序文」には、天武天皇の御即位を称へて「清原の大宮にして、昇りて天位に即(つ)きたまひ、道は軒后に軼(す)ぎたまひ、徳(うつくしび)は周王に跨(こ)えたへり」(飛鳥の清原の大宮において、天皇の御位におつきになり、その道徳は黄帝以上であり、周の文王よりもまさっていました、といふ意)と記されてゐる。日本民族は、天武天皇の御代に支那古代の帝王よりも日本天皇が「道義」においてすぐれてゐるとの自覚を持ってゐたのである。

 

日本人は「無私」を尊ぶ。「公」の体現者であられる天皇に自己を無にして仕へることが日本の道義精神の根本である。「無私」の心をもっとも体現しておられるお方が、祭り主・日本天皇であらせられる。なぜなら「まつり」とは、神に対して私を無くしてまつろひたてまつる行事であるからである。

 

支那などの外國と比較して、日本くらい政治家・官僚の権力の私物化・権力を利用した私益の追求を嫌ふ國はないのではなからうか。「明き淨き直き誠の心」こそ、わが國の道義心の根本である。天皇は現御神として天の神の御心を地上で實現されるお方であり「道義精神の鏡」であらせられる。

 

支那及び支那人を蔑視すべきではないであらう。しかし、支那および支那文化に対してみっともない劣等感を抱く必要はさらさらないのである。わが國は、支那や朝鮮から多くの文化・文物を輸入した。しかし、その属國となることはなかった。今後の日本もさうであらねばならない。

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千駄木庵日乗十月二十八日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

午後六時より、湯島にて、同志お二方と懇談。運動の現状と展望について語り合う。

帰宅後は、明日のインタビューの準備など。

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「中國」は「禮」を全く忘却し喪失した國となり日本國に「禮」は生きてゐる

「中國」は「禮文化の國」といはれる。「禮」とは、社会の秩序を保ち、人間相互の交際を全うするための礼儀作法・制度・儀式・文物などのことである。「禮儀」といふ言葉がある通り、「禮」とは抽象観念ではなく、實際の行動・動作である。

 

宇野精一先生は、「(『論語』顔淵篇に「克己復禮を仁となす」とある・註)克己とは己の私欲に打ち克つことであり、複禮とは禮――倫理規範の意味における行為の標準――に立ちかえってこれを實践するという意味である。仁は孔子の根本教義であるから、これを實践する方法たる克己復禮は、正しく孔子の實践道徳の根本方法と考えてよかろう。…要するに孔子において、倫理の原理としては仁、實践としては礼が最高の標準であった。」(『儒教思想』)と論じておられる。

 

ところが、今日の「中國」及び「中國人」ほど「禮を失する行為」を繰り返し、私欲を最優先させてゐる國及び國民はない。

 

貝塚茂樹氏は、「徳川時代、元禄の頃から『論語読みの論語知らず』という諺が出来た。書物の上で理論を理解しているが、實行が少しもともなわない偽学者をそしって、いかに『論語』の存在が一般町人の世界に身近かったかを示すことばである。」(『世界の名著3』所収・「孔子と孟子」)と論じ、林泰輔氏(註・漢学者。東京高等師範学校教授)の、「中國及び朝鮮・安南(ベトナム)においては『論語』を挙業(文官選抜)の試験に用いたるがゆえに、盛は則ち盛なりと雖も、名利のためにこれを読みこれを誦し、あるいはその粗を咀()いて、その精を棄つるの憾みあり。わが邦人のこれを読むは、然らず。その外皮を棄ててその神髄を取る、ゆえに國本培養の効を奏することを得たるなり」(『論語年譜』)といふ論説を引用してゐる。

 

和辻哲郎氏は、「儒教を生みまた儒教を奉じているはずのシナの歴史が、儒教の道理に反する事蹟を数限りなく含んでいる…賤しい身分のものが君を殺して、帝王になる。夷狄としていやしめている異國人に征服せられてその夷狄に服従する。そういう事蹟はいくらでもある。即ちシナの歴史は儒教の理が空理にすぎぬことを實証しているのである。」(『尊王思想とその傳統』)と論じてゐる。

「中國」は、『論語』の國・儒教の國であるが、権力者も民衆も、『論語』に書かれた道義精神とはかけ離れた生活を営んできた。

 

日本は、神道といふ傳統信仰を基本に置きながら、外来思想・宗教を自己のものとして来た。本家本元の「中國」で「儒教倫理」は實行されず、官僚・知識人の教養にすぎなくなり、さらには権力者の体制維持のイデオロギーと化した。わが國においては、國民全体が『論語』に示されてゐるやうな倫理精神を自然に實行してゐる。

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千駄木庵日乗十月二十七日

午前は、諸雑務。『伝統と革新』編集の仕事など。

昼、知人と懇談。内外の諸情勢について意見交換。母のことを心配してく下さる。有り難し。

この後、施設に赴き、母と共に過ごす。

帰宅後も、『伝統と革新』編集の仕事(インタビューの準備)。

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2014年10月27日 (月)

ロシア科学アカデミー中東紛争分析センター長のアレキサンダー・シュミリン氏の講演内容。

九月十二日に開かれた『笹川平和財団主催講演会』におけるロシア科学アカデミー中東紛争分析センター長のアレキサンダー・シュミリン氏の「ロシアから見た中東情勢-シリア・イラク情勢をめぐって」と題する講演内容は次の通り。

 

「イスラム国が作り出した危機によりシリア地域が分裂。シリアの危機は地域そして世界を分裂させている。民主主義国家はシリアの戦いを反対派と独裁者との戦いと見ている。スンニ派とシーア派の戦いという見方もある。政治的動機付けは時の経過で変化する。紛争の進行に従って変化する。冷戦時代の中東紛争は民族国家に基づいていた。国家をベースにしていた。国際社会が焦点を置いていたのはアラブイスラエル紛争。その背後には大国の衝突と競争が存在していた。イラクのクウェート侵攻は国家を主体とした中東紛争の時代であった。今は、国家は統一連合して非政府組織=ハマス・アルカイダと関わっている。

 

今、注目されるのはイスラム国。アラブの春は国内の転換過程としてとらえるべし。陰謀の理論、一つの秘密の政府が世界を支配しているという見方がある。アメリカによる陰謀という解釈がある。

 

言論の自由は民主主義国家では当たり前。民主主義国の統治者は国民に対して誤ったビジョンを押し付けることはできない。専制主義国家は権威がマスコミを支配し統治者の解釈を上から国民に押し付ける。中東における一連の出来事に対する見方は国内の政治体制によって押し付けられる。アサドは常に正しいという見方が取られている。アサドはテロリスト・ジハード主義者という悪者と戦っている良い指導者がアサドとされ、アサドは穏健派と組んでテロリストと対抗と解釈されている。外國兵士がシリアに入り、アサドに対抗している。スンニ派諸国は『オバマは弱い』と非難。プーチンの抑圧に屈してはいけないと批判。ウクライナ危機は世界の政治体制の問題になった。イスラム国がシリアの危機に大きな影響を及ぼした。アサド政権の存続をサポートしているのは少数民族、ジハード派に襲われている少数派。国家制度と機関は破壊されていない。軍の反乱は止められている。軍の大部分はアサドに対して忠誠を持ち続けている。宗教指導者もアサドを支持し、非常に忠誠心がある。スンニ派の商人は比較的裕福な人たちで、他国との貿易で利益を得ている。この人たちもジハード派の侵攻を恐れている。これが、アサド政権が存続する主な理由。シリアの危機状況も変わった。

 

アメリカ人は、プーチンは正しいと思い始めた。アサドとテロリストとの戦いという見方。力を合わせなければいけない。中東の道は全てモスクワにつながるか私は疑問を持つ。アラブの指導者はアメリカをイラつかせようとしている。アルカイダはシリア紛争に関わっている。イスラム国になったグループもある。アルカイダの目的はイスラム教徒にアピールして世界と戦うこと。シーア派はアサドが主な敵としている。次の敵がバクダッドの政権。スンニ派はアメリカ側に立ちアルカイダを追い出すのに成功した。

 

イスラム国にとって第一の敵はアサド政権を支持しているロシア。目的は長年の夢であるカリフ(注・マホメットの後継者の意で、イスラム国家最高権威者の称)統治国家の復活。アタチュルク(注・トルコ共和国初代大統領)が廃止したカリフ統治を復活させようとしている。イスラム国指導者が各国から人材を誘致し資金を集めている。ウクライナ危機について中露同盟・一致は無いと思う。

 

中国はアルカイダに注目している。イスラム国ではない。イスラム国は近い敵に注目されている。中国はシリア危機に関わっていない。中国の中東政策は慎重。主な問題は脅威を無くすこと。オバマを支持する以外ない。野蛮な勢力は根絶すべし。プーチンはオバマ提案を受け入れ協力すべし」。

 

モデレーターの保阪修司日本エネルギー経済研究所理事がは次のように語った。「今年は第一次大戦から百年、中東の造られた国境線が国家でない勢力によって打ち破られようとしている」。

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千駄木庵日乗十且二十六日

午前は、諸雑務。

午後二時より、谷中の上聖寺にて、『憂国烈士之碑追善供養の儀』執行。三沢浩一代表発起人が挨拶。僧侶の導師により読経・焼香。物故者慰霊が行われた。この後境内の『憂国烈士之碑』拝礼。

いったん帰宅。

午後六時より、春日の文京区民センターにて、『日本の心を学会』開催。渡邊昇代表が挨拶。遠藤健太郎氏が「行政を侵食する占領憲法」と題して講演。そして小生が「立憲主義と現行占領憲法」と題して講演。続いて活発な質疑応答が行われた。

帰宅後は、原稿執筆。

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2014年10月26日 (日)

真庭・庄原・安芸高田への旅の歌

午前五時に起床せしかば真っ暗でまだ真夜中の街でありたり

 

シャワー浴び急いで仕度を済ませし後 家を出づればやや明るみぬ

 

タクシーで東京駅に着きにけり慌ただしくもすでに人多し

 

激しき雨降り来る道を友どちの操る自動車で走り行くかな

 

土砂降りの雨の中をば走り行く自動車の運転過たずあれ

 

真庭といふ町に来りて焼きそばと揚げ出し豆腐を美味しと食す

 

山里に来りて食すおこわ飯美味し美味しと頬張りにけり

 

大き樹木仰ぎて深く息を吸い込みぬ強き命を賜らんとて

 

いそのかみ古杉の大樹を仰ぎつつ大いなる命にわが魂(たま)振ふ

 

はるばると来たりし蒜山(ひるぜん)といふ里に大樹を仰ぐ時のすがしさ

 

雨にけぶる山々眺め 大いなる自然の命を拝ろがみにけり

 

勢いよく流れてやまぬ清き水 砕け散りつつ岩乗り越える

 

たまきはる命を誇るごとくにも屹立しゐる樹木見上げる

 

川に沿ひ登り行くなるわが耳に 聞こえ来るなる激しき水音

 

谷川の音さやかなり岩にあたり激しく割れて流れゆきつつ

 

山の宿に久方ぶりに会ひし友と語らひ過ごす秋の夜かな

 

山の宿のいで湯につかり旅の疲れ癒しつつ静かにもの思ひをり

 

山の宿の窓辺に坐せばしんしんと山の霊気が迫り来る如し

 

はるばると訪ね来たりし真庭なる山中に聴く清き水音

 

これやこの眞名井の水と名付けられし清きを汲みて口にふふめり

 

雨にけぶる過疎の村里の静寂のただなかに立つ秋の旅かな

 

高光る日輪仰ぐ山頂に強き光が降りそそぎゐる

 

高光る大日輪を仰ぎたり安芸の國なる神の山にて

 

神の命籠れる巖を拝ろがみぬ大日輪の輝ける下

 

山国の小学校の校庭の奥に鎮まる神やしろかな

 

友どちは険しき山道登り行き我は途中で引き返し來ぬ

 

龍神が住みゐるといふ山の池 白き靄立ち静かなりけり

 

山々に囲まれし里をめぐり行く旅人の心は癒されてゆく

 

 

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2014年10月25日 (土)

千駄木庵日乗十月二十五日

午前から午後にかけて、諸雑務、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、資料の整理、明日の「日本の心を学ぶ会」における講演の準備など。

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第四十五回・日本の心を學ぶ會

テーマ「憲法を考える」

 

近年、「憲法」に注目が集まっています。安倍総理が憲法九六条の改正に強い意志を表明したことや、「解釈改憲」で「集団的自衛権」を認めたことから、憲法が関心を集め、各方面からが「改正試案」が提出されるなどさまざまな議論がなされています。「憲法」は國家の最高法規であります。ゆえに、その國の傳統精神及び歴史に根ざした基本原理を明示したものであらねばなりません。しかしながら、歴史上、戦争や内乱などその國の重大な局面において改正されたり、制定されたというがありました。そういう意味で、憲法は「歴史の象徴」としての側面があることも見過ごせません。

 

『日本國憲法』という名の『現行占領憲法』もまたそのような「歴史の象徴」としての側面を持っています。『現行占領憲法』は、敗戦直後、戦勝國による「國體破壊」の恫喝のもとに押しつけられたものです。当時、米國の上院は、昭和天皇を裁判にかけることを決議し、いわゆる「天皇制廃止」を要求する動きはソビエトや豪州など連合國の中にも根強く存在しました。

 

占領下で行われた戦後初の國政選挙は、現職四六六名の議員のうち三八一名が公職追放され出馬資格をはく奪された状態で行われました。「公職追放」を巧妙に利用し議員を入れ替え事實上の言論封鎖を行ったのです。GHQは公職追放を利用して日本を弱体化させ、日本政府をコントロールしやすい状態を作ったのです。

 

『日本國憲法』はこのような異常な状態のなかで「制定」されました。敗戦と占領、戦勝國の銃剣の圧力によって押しつけられたという「歴史の象徴」を背負っていることから、この『日本國憲法』という名称の『占領憲法』には正統性はありません。現實の政治問題として憲法改正が語られることが多くなってきた今、我々はもう一度、冷静に我が國にふさわしい憲法について考える必要があると思います。今回の勉強會では、「憲法」について考えてみたいと思います。

 

【日時】平成二六年十月二六日(日)午後六時より

 

【會場】文京区民センター三-D會議室 東京都文京区本郷四-一五-一四 地下鉄春日駅 下車一分(大江戸線、三田線)後楽園下車三分(丸の内線、南 北線)JR(水道橋)

 

【講演】 

 

「立憲主義と『現行占領憲法』」

 

講師:四宮正貴 四宮政治文化研究所代表 

 

【司會者】林大悟

 

【参加費】資料代五百円。終了後、近隣で懇親會(三千円位の予定です)

 

【連絡先】渡邊昇 〇九〇―八七七〇―七三九五

 

この案内文は主催者が作成したものです。

 

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帰ってきました。

昨晩帰って来ました。

今回は、岡山県北部、広島県北部を旅しました。

日本の自然の美しさ、そして日本の天地には神々が生きておられることを実感しました。

そして、そこに生活する人々の強烈な郷土愛にも感激しました。

若き日の交流した友、そして二松学舎の同窓生とも本当に久しぶりに会うことができました。

素晴らしい旅でした。

後日報告します。

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2014年10月24日 (金)

國體政治研究會のお知らせ

小生が幹事をつとめております國體政治研究會(國體研)のお知らせです。

皆さまのご出席をお待ち申し上げます。

四宮正貴

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國體政治研究會 第六十七回例会

 ~連続企画「大御心と臣民の道」第三回~

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【講師】佐藤健二様(素行會・みことのり普及の會)

【演題】思想家としての山鹿素行―『中朝事實』の今日的意義―

 第六十七回例会を下記次第により開催致します。

連続企画「大御心と臣民の道」の第三回目となる今回の講師は佐藤健二氏です。

第一回目は茂木貞純氏から「三島由紀夫と昭和二十一年元旦詔書」と題して、第二回目は玉川博己氏から「三島由紀夫と国体論」と題して、共に三島由紀夫の天皇論に関連する内容の御講演を戴きましたが、今回は佐藤氏から御講演を戴き、「大御心と臣民の道」に関する論議をさらに深めたいと存じます。

皆様方の御来席をお待ちしてゐます。

國體政治研究會

【日時】

 10月31日(金曜)午後6時半~9時

【会場】

 文京シビックセンター、5AB会議室(5階の会議室A及び会議室B)

 東京都文京区春日一丁目16の21、電話03-5803-1100

 直近の文京区民センターとお間違へなきやうに

【参加費】

 千円(当日申受けます)

【参加要件】

 参加申込は開催日前日までに。但し定員になり次第締切。事前申込なき参加は不可。

 初参加の場合は必ず電話番号及び職業肩書を附記してお申込み下さい。

【連絡先】

 中村信一郎

  携帯電話 090-4815-8217

 E-mail nakasin@pop11.odn.ne.jp 又は caq97080@pop11.odn.ne.jp

 四宮正貴

  携帯電話 090-6139-1615

 m-shinomiya@max.hi-ho.ne.jp

 

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2014年10月22日 (水)

「やむにやまれぬ大和魂」

「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」

 

 吉田松陰の歌である。安政元年(一八五四)、松陰が二十五歳の作である。江戸獄中より郷里の兄杉梅太郎に宛てた手紙に記されていたという。同年三月、伊豆下田にてアメリカ艦船に乗り込まんとして果たせず、江戸へ護送される途中、四月十五日高輪泉岳寺前を通過した時赤穂義士に手向けた歌である。

 

赤穂義士は吉良上野之介義央を討てば死を賜ることとなるのは分かっていても、やむにやまれぬ心で主君の仇を討った。松陰自身もまさしくやむにやまれぬ心で米艦に乗ろうとした。ゆえに赤穂義士に共感したのである。松陰が國法に触れることは分かっていても、國家を思うやむにやまれぬ心で米艦に乗ろうとしたことと、赤穂義士が、吉良上野之助義央を討てば、自分たちも死を賜ることは分かっていたが、やむにやまれぬ思いで吉良を討った精神と共通する思いであった。

 

幕末志士の歌で結句を「大和魂」にした歌は多いが、この歌が最も多くの人々の心を打つ。あふれるばかりの思いとはりつめた精神が五・七・五・七・七という定型に凝縮されている。かかる思いは和歌によってしか表現され得ないであろう。

 

 片岡啓治氏は「詩的精神、いわば自己自身であろうとし、もっとも固有な心情そのものであろうとする心のあり方が自らを語ろうとするとき、日本にもっとも固有な詩の形式を借りたのは当然であろう。そこには、自己自身であり、日本に同一化することがそのまま詩でありうるという、文学と現実の幸福な一致がある」(維新幻想)と論じている。

 

日本固有の文学形式によって自己の真情が吐露できるということは、日本人が神から与えられたまさに最高の幸福である。

 

 吉田松陰は、安政五年(一八五八)正月十九日、月性(幕末の勤皇僧。周防妙円寺住職。攘夷海防を論じた)に宛てた書簡で、前年の安政四年に米駐日総領事ハリスが、江戸城に登城し、幕府に米公使江戸駐在を認めさせたことを憂い、「ミニストル(公使のこと)を江都(江戸のこと)におき、万國(ここでは國内各藩のこと)の通商、政府に拘らず勝手に出来候へば、神州も実に是きりに御座候。何とも一措置なくては相済み申すべきや。幾重に思ひかへ候ても、此時大和魂を発せねば最早時はこれ無き様覚へ申し候。」と記している。大和魂を発揮して幕府の軟弱外交を糾弾すべきことを論じているのである。

 

 『萬葉集』に収められている大伴家持の長歌に、「海ゆかば 水づく屍 山ゆかば 草むす屍 大君の 辺にこそ死なめ 顧みはせじ」という句がある。

 

 大君の御為に自らの命を捧げることを最高の名誉とするというのが日本武士道精神なのである。この精神こそが大和魂であり、「朝日ににほふやまざくら」が潔く散っていく姿そのものなのである。

 

武士道精神は禅や儒教から生まれたのではないし、近世の武家社会から発したのでもない。いわんや近代日本において強制された観念でもない。古事記・萬葉の昔から継承されてきた精神である。大和魂・大和心は戦闘者の精神・武士の心・軍人精神・維新者の根幹となる心なのである。

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千駄木庵日乗十月二十一日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、書状執筆。明日からの地方出張の準備。

              ○

二、三日東京を留守にいたしますので、「日乗」はお休みします。

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2014年10月21日 (火)

萬葉古代史研究會のお知らせ

萬葉古代史研究會

小生が講師となり「萬葉集」を勉強する會が次の通り開かれます。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。

日時 十一月十二日(毎月第二水曜日) 午後六時半より 

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

東京都豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 山手線駒込駅北口徒歩二分

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』。

初参加の方は、テキストはなくても結構です。初めての方でも分かりやすい内容です。

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2014年10月20日 (月)

村井友秀防衛大学教授の「集団的自衛権とアジア」と題する講演内容

九月六日に行われた『アジア問題懇話会』における村井友秀防衛大学教授の「集団的自衛権とアジア」と題する講演内容は次の通り。

「力の強い者と弱い者とが入れ替わる時に戦争が起こりやすい。強い者が弱い者を叩くのが予防戦争。経済的に相互依存としていると、相手を殺すと自分も損をする。しかし経済的に相互依存 をしていると戦争が起こらないかどうかは分からない。日米戦争前、日本はアメリカに石油を依存していた。

 

軍事力で中国はアメリカを追い越す力があるのか。アメリカの太平洋における軍事力の中心は航空母艦。原子力空母の燃料入れ替えは五十年に一度。原潜は三十年に一度。空母を護衛する船は原子力ではない。日本には佐世保と横須賀に基地があるから燃料補給できる。中国は七百ほどミサイルがある。中国沿岸では中米は同等の軍事力。中国市場はアメリカには欠かせない。相互依存がある。米中は戦争しないというのが結論。

 

日中関係は違う。日本の海上自衛隊は世界№2の能力があった。中国は近代化し急速に伸びている。軍艦の数が日本に追いつく。潜水艦も増やしている。パワーシフトが起きつつある。中国人はそう思っている。中国は日本よりも軍事的に強くなりつつある。

 

全世界で戦争の負けた日を記念日にしている國はない。世界では終戦の日は復讐を誓う日。だから、安倍総理が靖国神社に参拝するのは、復讐を誓っていると思っている。

 

メドベージェフが北方領土に行っても日本は何もしなかった。だから李明博は竹島に行った。しかし尖閣は違う。尖閣は今日本のもの。それを中国は奪おうとしている。今持っているものを失う危険が起きた時、日本は強い反応を示した。

 

集団的自衛権とは、自分の国ではないが自分の国と密接な関係にある国即ち同盟国が攻撃されたら、自国への攻撃とみなして自衛すること。集団的自衛権を認めないと弱者は生き残ることができない。見て見ぬふりをする国が尊敬されるか。

 

アメリカは国益で動く。日本が正しいことをしているからアメリカが理解してくれると思うのは誤り。アメリカにとって日本を悪者にしておくのが国益。どうすれば日本に対して有利になるかを米中ともに考えている。正義は関係なし。

 

『集団的自衛権は全ての国が持っているから日本も持つべきだ』という説明で良い。集団的自衛権で何を守るのか。世界の公共財・世界の安全・世界の秩序・自国の安全を守る。世界の秩序を守ることは自国の安全を守ることになる。公共の安全のために出て行く。これが貢献。セキュリティとでフェンスとは違う。セキュリティはデフェンスよりも広い。

 

台湾は国家ではないから集団的自衛権で守るのは無理。中国は内政干渉と言うから別の論理になる。一つの國の中で重大な人権侵害が起きた時には介入できる。アメリカが台湾に介入する時はこの論理を使う。その時日本は後方支援にあたる。アメリカの世論調査では原爆使用によって戦争終結が早くなったという意見が多い。アメリカ人の考えを変えようとするのは無理。そう思って付き合うしかない」。

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千駄木庵日乗十月二十日

u午前は、諸雑務

この後在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、資料の整理、原稿執筆など。

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『政治文化情報』平成二十六年十一月号のお知らせ

四宮政治文化研究所発行・『政治文化情報』平成二十六年十一月号のお知らせ

 

『政治文化情報』は、昭和五十九年創刊以来、小生の論考、時局問題などに関する主張、活動状況の報告、各方面から得た様々な情報などを掲載し、それなりの評価を得て来たと自負致しております。
多くの心有る皆様方のご購読をお願い申し上げます。
見本誌御希望の方はご遠慮なくメールでお申し込み下さい。
 

メールアドレス m-shinomiya@max.hi-ho.ne.jp

 

購読料
年間 12000
半年 6000

平成二十六年十月号(平成二十六年十月二十日発行)の内容

〈皇都の一隅より〉

 

日本人の山岳信仰と自然観・他界観

 

御嶽山登拝の思ひ出

 

祖霊崇拝と山岳信仰と天上への憧れの心は一体の信仰

 

「他界観」「霊魂観」が歌はれた古代の歌

 

日本人の「よみがへり」の信仰

 

自然に宿る神や霊魂を畏敬する心を復活することが大切

 

<論説>神國思想と平成の國難

 

「自然への畏敬」といふ精神性を重視した文明観を確立することが不可欠

 

祖靈崇拝と自然崇拝が信仰共同體國家日本の根幹

 

天皇の「みまつりのご精神」を仰ぎ奉ることが我が國の道義の中心

 

日本傳統信仰の回復が人間と自然の荒廃を根源的に解決する

 

千駄木庵日乗

高乗正臣平成國際大学副学長「憲法をそのままにして、解釈変更で集団的自衛権を認めるのは立憲主義上問題あり」

 

中川雅治参院議員「『現行憲法』はGHQによって作られた。これによって政府を縛るのが『立憲主義』と言うのには抵抗を覚える」

 

桜内文城衆院議員「安保環境は非常に厳しい。改憲を待っている余裕はない」

 

平沢勝栄衆院議員「集団的自衛権は緊急性があり、さしあたっては憲法解釈の変更で容認すべし。憲法を守って國が滅びたらどうするのか」

 

三谷英弘衆院議員「自衛隊は戦力。韓國や中國をはるかに凌駕した力を持つ自衛隊を戦力と言わずして何と言うのか」

 

船田元衆院議員「直すべきところは直す。不断の見直しをしっかりすることが大事。立憲主義だけでは駄目」

 

下斗米伸夫法政大学教授「日本との國境線確定をしたいのがロシアのプーチンの考え。それはエネルギーとも絡む」

 

西谷公明國際経済研究所理事「ロシアは輸入に依存した社會になっている。経済にボデイプローが効いている」

 

畔蒜泰助東京財団研究員「ロシアはアジアへのマーケットを拡大していかねばならない。ロシアは中國への依存を高めている。日本は良い形でロシアと交渉できる」

 

 

この頃詠みし歌

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2014年10月19日 (日)

「素直な心」「そのままの心」「無我の心」が大和心

わが國には、対外的危機感が伝統精神の復活・回帰の熱望を呼び覚ます歴史がある。現代もそうした時期である。共産支那及び北朝鮮によるわが國への軍事的・外交的圧迫が益々顕著になっている今日こそ、日本傳統精神を興起せしめねばならない。

 

 日本傳統精神は、「やまとごころ」「大和魂」といふ言葉で表現される。日本民族固有の精神、または、儒教・仏教などが入ってくる以前からの、日本人本来の物の見方・考え方、即ち日本の伝統的精神のことを『大和心』或いは『大和魂』という。その『大和心』を短歌形式で表白した歌が次の歌である。

 

 敷島の大和心を人問はば 朝日ににほふ山桜花

 

 近世の國学者・本居宣長の歌である。「大和心をどういうものかと人に問われたら、朝日に美しく映える山桜だと答えよう」というほどの意である。

 

 神の生みたまいし美しい國に生まれた日本人は、美しいものを見たら素直に「美しい」と感動する。その「素直な心」「そのままの心」「純真無垢の心」「無我の心」が、日本民族固有の精神である。これを「もののあはれ」という。それは、理智・理屈・理論ではない。一切の先入観を取り除いた心である。大和心即ち日本伝統精神は、純粋な感性である。嘘の無い心即ち「真心」である。

 

 「朝日ににほふ山桜花」の美しさは神々しさの典型である。宣長は、日の神の神々しさを讃えている。そこにわが國民信仰の根幹である太陽信仰(天照大神への信仰)があり、神の命に対する畏敬の念がある。

 

「真心」とは、一切の偽りも影も嘘もない、清らかで明るい心である。これを「清明心」という。その「清明心」が即ち大和心である。

 

「大和心」は「清明心」と言い換えてもよい。麗しい山紫水明の風土に育まれた日本人の倫理観は、明・浄・直の心を理想とした。「清明心」とは、私心の無い真心、くもりの無い清き心・明るい心のことである。すなわち穢れや闇さのない心である。古代日本人は、「キヨキ心」「アカキ心」(清らかさ・明るさ)を最高の道義的価値とし、「キタナキ心」「クラキ心」(汚さ・闇さ)を嫌った。日本人は、「あいつは悪い奴だ」と言われるよりも「あいつは汚い奴だ」と言われる事を嫌う。「清は善」「穢は悪」という価値観である。というよりも日本人にとって「穢」は悪以上に価値が低いのである。わが國伝統信仰たる神ながらの道で「禊祓」が重視されるものこのためである。浄穢という美的価値観と善悪という道徳的価値観とが一体となっている。

 

 天照大神は、高天原に上ってきた須佐之男命に「然(しか)らば汝(みまし)の心の清明(あか)きはいかにして知らむ」と宣(の)りたもうた。須佐之男命が高天原に上って来られた時に、命の「清明心」を証明することを求められたのであった。

 

 天照大神が、天の石戸からお出ましになった時、八百万神々が一斉に「天晴れ、あな面白、あな楽し、あな清明(さや)け、おけ」と唱えたのも、日本民族が、天皇を明るく爽やかに晴れ晴れしく仰ぎ仰慕することを道義の根本として来たからである。

 

 『宣命』には、明・浄・直という言葉が屡々使われている。今日残っている『宣命』で最も古い『文武天皇即位の宣命』には、「明(あか)き淨(きよ)き直(なお)き心以ちて、御稱(いやすす)み稱みて緩怠(たゆみおこた)る事無く、務結(つとめしま)りて仕奉(つかへまつれ)と詔(の)りたまふ大命(おほみこと)を、諸(もろもろ)聞食(きこしめ)さへと詔(の)る」と示されている。

 

 天智天皇はこの「清明心」を次のように歌われた。

 

 わたつみの豐旗雲に入日さし今夜(こよひ)の月夜清明(あきらけ)くこそ

 

 「大海原のはるかの大空に、大きく豊かな旗のように棚引く雲に入り日がさしている。今宵の月はきっと清らかで明るいであろう」という意。

 

 大らかで豊かな御歌である。この天智天皇の大御心こそが日本人の本来的に持っている精神=「大和心」なのである。この御製に「清明」という漢字が用いられている。日本人は清らかで明るい心を好むのである。

 

 明治天皇御製

 

 あさみどり澄みわたりた る大空の廣きをおのが心 ともがな

 

 さしのぼる朝日のごとく さはやかにもたまほしき はこころなりけり

 

 この御製において、明治天皇は清明心の尊さをお示し下っている。わが國において正直・真面目・潔さ・清廉潔白・光風霽月の心境・誠・真心ということが古来から尊ばれたのは、「清明心」を道義の基本に置いているからである。

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千駄木庵日乗十月十九日

午前は、諸雑務。『政治文化情報』発送作業。

午後は、発送完了。購読者の皆様には、明日か明後日にお届けできると思います。

この後、施設に赴き、母に付き添う。母は元気なり。

帰宅後は、原稿執筆、脱稿。送付。

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日韓関係と「事大主義」

日本と韓国とは近親でも身内でもない。異文化・異民族であることをもっと確認すべきだ。当たり前のことだが、日本と韓国とは別の国であり別の民族である。地理的には近隣でも文化的・民族的には決して近隣国家ではない。

 

また、アジア・東洋でひとくくりにするのは誤りである。アジア諸国家・諸民族には文化・歴史・宗教などに大きな違いがある。それぞれ個性がある

 

日本人そして日本文化は排他的ではなく、非常に大らかで包容力がある。韓国人及び韓国文化は排他的・独善的である。

 

それが、日本近代は開国攘夷路線を推し進めて近代化を遂げ、他国の植民地にならず発展し、韓国近代は鎖国攘夷路線に固執したために近代化に失敗し、独立を維持できなかった原因である。

 

李氏朝鮮の鎖国攘夷路線、そして事大主義(じだいしゅぎ・小が大に事(つか)えること)という外交路線が韓国を滅ぼしたのである。

 

新羅・高麗・李朝など朝鮮半島に生まれた王朝の多くは、支那大陸の中原を制した国家に対して事大してきた。

 

漢城の西大門である敦義門のすぐ外、義州を経て北京に至る街道に建てられていた迎恩門とは、支那皇帝の臣下であり、冊封国であった李氏朝鮮の歴代の王が、明代および清代の支那皇帝の使者を迎えるための門である。迎恩門とは恩のある支那皇帝の使いが通る門という意である。

 

崔基鎬氏によると、迎恩門は朝鮮国王が三跪九叩頭の礼によって明代および清代の支那からの使者を迎えた場所である。

 

その迎恩門に隣接して建てられていた慕華館は、清の使節団が滞在する建物である。慕華館とは字面を見ても明らかだが『中華を慕う館』という意である。

かくの如く李氏朝鮮は、支那の属国であった。

 

しかし日清戦争によって、韓国・朝鮮は清の桎梏下から脱し、独立を達成した。そして、「迎恩門」は破壊されて、その場所に独立を記念する西洋式の「独立門」が建立された。そしてその後、日本が統治したことによって韓国・朝鮮は近代化を遂げ発展したのである。今日、韓国はその事を日本に感謝することは全く無い。

 

韓国は近代になっても、強い方につくという事大主義という外交姿勢は変わらず、李氏朝鮮時代は支那、その後、ロシア・日本、そして戦後はアメリカ、さらに今日は支那というように「事(つか)える」相手を変えて来た。朴正煕は「自律精神の欠如」として事大主義を批判していたが娘は確実に事大主義を継承している。

 

日本と支那や韓国との文化・道徳面における差異は実に大きいと思う。それは、京都御所と、北京の紫禁城・ソウルの景福宮を比較してみれば一目瞭然である。

日本は支那から儒教を学んだが、宦官・纏足という畸形文化は全く受け入れなかった。また易姓革命も受け入れなかった。

 

全世界の国家がそうであるように、東アジアにおいても大陸国家と半島国家・海洋国家とに分けられる。支那は大陸国家であり、朝鮮は半島国家であり、日本や東南アジア各国は海洋国家である。戦争が起こる確率が高いのは、半島国家である。大陸国家・半島国家・海洋国家が「共同体」を形成することはきわめて難しいというか、不可能に近いと考える。 

 

これまでの歴史で、日本が大陸に進出して成功したためしはない。戦前は、軍事的・政治的に大陸に深入りして、ソ連中共の謀略に引っかかり、泥沼の戦いとなって日米戦争にまで進み敗北した。戦後は、経済的に深入りして、金と技術をまきあげられ、共産支那を軍事大国にしてしまい、かえってわが國の安全と独立が脅かされている。

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千駄木庵日乗十月十八日

午前は、諸雑務。『伝統と革新』編集の仕事。『政治文化情報』発送準備。

午後三時より、青山の日本青年館にて、『青年思想研究会・先憂を偲ぶ会』開催。緒方孝名議長が挨拶。阿形充規・犬塚博英・三沢浩一の各氏そして小生が挨拶。丸川仁氏の音頭で乾杯を行い、盛宴に移った。近藤勢一氏が閉会の辞を述べた。

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挨拶する緒方孝名議長

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備。書状執筆など。

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2014年10月18日 (土)

『現行占領憲法」に正統性はない

憲法は「不磨の大典」と言われるが、「不磨」であるべきなのは、「國體法」である。「政体法」は必要に応じて改正されるべきである。すなわち、天皇を君主と仰ぐ國體は絶対に変革されてはならない。しかし、政体は民の幸福のためになるのならどんどん変革すべきである。

 

今日、「現行憲法」の「三原理」が「不磨の大典」のように論じられている。近年各方面から出された「改憲草案」はそのほとんどが「現行憲法」の「三原理」を継承している。

 

しかし、「現行憲法」の「主権在民論」こそ、日本の國體を隠蔽し破壊する元凶である。「現行憲法」の「平和主義」こそ、日本の国防体制確立を阻害し日本国をして他国の属国たらしめる元凶である。「現行憲法」の道義精神不在の「人権論」こそ、国民の頽廃の元凶である。「現行憲法三原理」の否定なくして「憲法改正」にも「自主憲法制定」にもならない。

 

法治国家の国民である以上、法は守らねばならない。しかし、今日の日本は成文法の根幹たる「憲法」が正統性を失っているのである。現代日本の混迷と堕落と危機の根本原因の一つはここにある。

 

現行占領憲法は制定当初から正統性がなかったのである。それは、「現行憲法」が「帝国憲法」を改正したものだなどという自体が欺瞞だからである。天皇大権が占領軍の隷属の下にあった占領期間中の改憲は「摂政を置くの間之を変更することを得ず」という「帝国憲法」の条項に明確に違反しているのである。

 

終戦後六十年以上を経過して、愈々益々終戦直後の、戦勝国によるわが國の伝統破壊・弱体化政策を原因とする様々な問題が噴出してきている。しかもそれは、わが国存立の根幹をも揺るがしかねない事態となっている。

 

「占領憲法」の「平和主義」「国際協調」とは、「我が國は侵略戦争をした悪い國であった。今後は武力・戦力・國軍を持たない。侵略阻止のための武力行使はしないし、国防戦争もしない」という敗北思想である。

 

「国民主権論」は、西洋や支那大陸のような君主と人民とが「國家意思を最終的に決定する権限」を奪い合った歴史は全くない君民一体の信仰共同体たるわが國の國柄と絶対相容れない國體破壊につながる思想である。

 

「基本的人権の尊重」は、人権尊重・個の尊重を全てに優先させることはかえって人権を蹂躙し、個人の尊厳性を奪うことになった今日の我が國の荒廃の根本原因の思想である。

 

アメリカ製の「現行占領憲法」が、諸悪の根源になっていることは、多くの人々が指摘する通りである。それは「現行憲法」が、日本の傳統や文化とは相容れない西洋政治思想(主權在民論・契約國家思想・權力國家思想・西洋的君主論・個人主義・物質主義)に基づいており、日本國體・日本傳統精神を隠蔽しているからである。

 

憲法は成文化されたもののみではなく、歴史、伝統として形成されているが成文になっていないものがある。不文憲法といわれるものである。不文法とは、國體法と言い換えても間違いではないと思う。

 

國體法は憲法の一番基礎を成している部分であって、「立國の基本たる法」とも、「國家の根本法の根本法」とも定義づけることができる。これに対して政體法とは、國體法の基礎の上に定められた國家の統治組織や國家活動の原則や國民の権利義務などに関する基本的な定めを総称する。

 

日本國における成文憲法は、日本國の「國柄」に合致し、日本の傳統的な言葉で言えば日本國の「國體」を正しく表現していなければならない。つまり日本の傳統と文化と歴史に即した憲法でなければならない。

 

わが國は、立国の基本=不文憲法として君主國家である。これを共和制に変革することは革命によってのみできることである。成文憲法の表現・条文を戦勝國の圧力によって変えることで國體を変更し、君主制を共和制にすることなどできるものではない。君主國家が立国の基本であるわが國で、成文憲法に共和制ともとれるような表現がある場合、これを正すことが絶対に必要なのである。

 

日本の伝統的國家観・君主観とは絶対的に相容れない原理で成り立っている「現行憲法」が長く続けば続くほど、麗しい伝統的な日本の國柄が隠蔽され破壊され続けることとなる。これが現代の混迷の根本原因である。

 

「現行占領憲法」は、日本を永久の弱體化しておくために戦勝國=アメリカ占領軍が日本に押しつけた憲法である。今日における日本の変革とは、現行憲法を破棄し、正しき憲法を回復することなのである。「現行占領憲法」は一刻も早くその無効を確認し、日本國の建國以来の國柄へ回帰し、現代の混迷を打開しなければならない。

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千駄木庵日乗十月十七日

朝は、諸雑務。

午前十一時半より、谷中のたんぴょう亭にて、『呉竹会』幹事会開催。広瀬義道氏が司会。頭山興助会長・藤井厳喜氏が挨拶。阿形充規氏が挨拶。小生が「大アジア主義と脱亜論」と題して講義。

この後全員で、谷中霊園の来島恒喜氏の御墓所に拝礼。

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来島恒喜氏墓所

この後、施設に赴き、母と過ごす。

午後五時半より、西新宿の東京都庁第一本庁舎「グリーンハウス」にて、「森洋氏儀お別れ会』開催。呼掛け人代表の山口申氏などが挨拶。ご冥福を祈る。久しぶりにお会いする同志も多く参列した。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備。

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2014年10月16日 (木)

日本國體の本質について

 「國體」とは、「日本は天皇中心の神の国」ということである。日本国民は八百万の神々の子孫であるから、「天皇中心の神の国」という國體を守ることは、国民を守ることである。そもそも、日本天皇と日本国民は対立する権力関係にあるのではない。天皇と国民とは、民の平安と五穀の豊饒そして世界の平和を祈って行われ<天皇の祭祀>を基とした信仰的一体関係にある。

 

 日本國體とは、天皇を中心とした精神的信仰的生命的な共同体のことである。単なる「国家の体制」のことではない。「体制」とは、「ものの組み立てられた状態」という意であり、単に組織、機構、機関、組織、システムのことであ。つまり、「国家の体制」とは、無機的な権力機構としての国家組織のあり方、即ち統治権力の運用する仕方に関する形式のことである。これは「政体」と表現すべきであって、國體を「国家の体制」と表現するのは誤りである。

 

 國體とは、日本国の国柄・国の本質のことを言う。三潴信吾氏は、「國體とは、各国家の国柄、品格のことをいふのであって、その国の成立事情によって定まる」「我が国にあっては、皇祖を日の神(天照大神)と仰ぎ、その和魂を継承されつつ、一切の天神地祇、八百万神々を祭り、これといよいよ一心同体たらせ給ふ天皇が、御代々を通じて御一人(一系)として天下を治ろしめすといふ國體を保有してきた」「政体とは、政治権力の組織制度のことを云ふ。」(國體と政体について)と述べられている。

 

 小森義峯氏は、「國體とは、平たくいえば、『くにがら』という意味である。その国をその国たらしめている、その国の根本的性格をいう。」「皇祖天照大神と霊肉共に『万世一系の天皇』を日本国の最高の権威(権力ではない)の座に頂き、君民一体の姿で民族の歴史を展開してきた、という点に日本の国柄の最大の特質がある。」(正統憲法復元改正への道標)と述べておられる。

 

「天皇を中心とした神の国」という「國體」は記紀・萬葉以来の我が国の伝統である。「國體」と同じ意義の「国柄」という言葉は、萬葉の代表歌人・柿本人麿が文武天皇の大御世(西暦七〇七年頃)に「讃岐の狹岑(さみね)の島に石の中の死(みまか)れる人を視て」詠んだ長歌に使われている。

 

それには、「玉藻よし 讃岐の國は 國からか 見れども飽かぬ 神からか ここだ貴き 天地 日月とともに 滿(た)りゆかむ 神の御面(みおも)と 繼ぎ來(きた)る……」(玉藻よし讃岐の國は國柄のせいか、見ても飽きることがなく、神のみ心によってか、かくも貴い。天地と日と月と共に完全円満である神の御顔として、太古から傳えてきた……というほどの意)と歌われている。

 

 これはわが國の傳統的な自然観に基づく國土讃歌である。「國からか」は國そのものの性格のせいかという意。「から」は人柄の「柄」と同意義である。「神からか」は、日本の國土は伊耶那岐命と伊耶那美命がお生みになったという神話に基づいた表現で、神の御性格のままにという意である。

 

 「神の御面」は、神のお生みになった日本の國土は神のお顔だということ。この表現は、「四國は体は一つ、顔は四つ」という日本神話の傳承に基づく。『古事記』國生み神話の、「次に伊予の二名(ふたな)の島を生みたまひき。この島は身一つにして面四つあり。面ごとに名あり。かれ伊予の國を愛比売(えひめ)といひ、讃岐の國を飯依比古(いひよりひこ)といひ、粟の國を、大宜都比売(おほげつひめ)といひ、土左の國を建依別(たけよりわけ)といふ」という傳承を歌っている。ここに自然を神として拝ろがむ人麿の神話意識が表白されている。日本人にとって『神代』は遠く遥かな過去の時代のことではなく『今』なのである。

 

 さらに柿本人麿は、輕皇子(かるのみこ・後の第四二代・文武天皇)がの安騎野(あきのの・奈良県宇陀郡大宇陀町一帯の山野)へ行幸された時に、

 「やすみしし わが大君 高照らす 日の皇子(みこ) 神(かむ)ながら 神(かむ)さびせすと……」(やすらけくたいらけく四方八方を御統治あそばされるわが大君、高く照らすわが日の神の皇子は、神様であるままに、神様らしく振る舞はれるべく……という意)と歌った。

 

 「やすみしし わが大君」は、萬葉仮名では「八隅知之」と書かれてゐる。「四方八方を知る」といふ意である。「天皇は空間的に日本國の四方八方をしろしめしたまふ」といふことである。或いは、「安見知之」とも書く。これは「やすらけくこれを見、知る」といふ意で、「天皇は空間的にたいらけくやすらけく日本國をしろしめしたまふ」といふことである。

 

 「高照らす 日の皇子」は、「高く照っておられる日の神の皇子」といふ意である。これは、日の神であらせられる天照大神が、生みの御子であられる邇邇藝命を地上に天降らせたまひて天の下を統治せよと御命令になって以来、邇邇藝命の子孫である天皇が日本國を統治されてゐるといふ時間的事実をいった言葉である。

 

 つまり、「やすみしし わが大君 高照らす 日の皇子」といふ対句表現は、現御神として日本國を時間的に空間的に統治される天皇の御本質を、神話的・詩的に美しく表現した言葉なのである。かうした表現は、『日本書紀』の歌謡の中に現れ、『古事記』では景行天皇記の日本武尊の御歌の中に「高光る 日の御子」といふ言葉がある。

 

 天皇は武力で空間を制圧して國家を治められてゐるのではなく、天照大神(太陽の神)の御子としての神聖なる権威によって治められてゐる。そしてその根幹は太陽神を祭られる<天皇の祭祀>である。

 

 このような古事記・萬葉以来の我が国の精神伝統が、「我が国は天皇を中心とした神の国である」とする「國體」「国柄」なのである。

 

戦前も戦後も、さらに古代以来今日に至るまで日本國體は変わっていない。「國體とは戦前の天皇主権の国家体制を表す言葉で、治安維持法のキーワードだった」という主張は全く誤りである。「帝国憲法」の何処にも「天皇に主権がある」などとは書かれていない。そもそも、「国家の意思を最終的に決定する権力」という意味での「主権」なる概念と言葉は、天皇中心の神の国である日本には全くそぐわないのである。 

 

 戦前も戦後もさらに言えば古代以来今日に至るまで、「日本は天皇中心の国である」ことは明白であり、戦前の國體と戦後の國體とは本質的には変わっていない。 

 

 『終戦の御詔勅』に「茲に國體を護持し得て」と示されているように、わが国は大東亜戦争の敗れた後も、天皇中心の國體は護持された。また現行憲法にもきわめて不十分・不完全ではあるが國體を護持する規定が書かれている。

 

 戦前の國體論の代表的なものは、文部省思想局で編まれ、昭和十二年三月三十日に文部省から発行された『國體の本義』であろう。編纂委員は、山田孝雄・久松潜一・佐久知荘一・山本勝市・井上孚麿の各氏ら当時の国文学・国史学・憲法学などの権威であり、学問的価値のある文献である。

 

 その冒頭に「大日本帝国は、万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。これ、我が万古不易の國體である」とある。これは記紀・萬葉以来のわが國體の道統を端的に表現している。そしてそれは今日においても全く変わっていないのである。

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千駄木庵日乗十月十六日

午前は、諸雑務。『伝統と革新』編集の仕事。

午後は、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、明日行われる『呉竹会』幹事会における講演の準備。書状執筆など。

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公明党・山口那津男代表による高市早苗総務大臣批判を糾弾する

高市早苗総務大臣は14日午前の閣議後の記者会見で、17日から始まる靖国神社の秋季例大祭の期間中に、靖国神社に参拝する意向を示した。高市氏は「時間の合うタイミングで参拝させていただきたい。毎年、春も夏も秋も、そして折に触れ、1人の日本人としてご英霊に感謝と尊崇の念をささげてきた」と語ったという。結構なことである。高市氏の姿勢を高く評価したい。

 

しかるに、報道によると、公明党・山口那津男代表は、民放のラジオ番組で、「安倍総理が来月のAPECにあわせて日中首脳会談を行ないたいという意向があり、政党や議員なども環境整備に向けて努力している。個人の考えはあってもいいが、外交的な課題を引き出してしまうことは避けるべきだ」と述べ、「日中首脳会談」実現のため靖国参拝は控えるべきだとの考えを示した。

 

『現行日本国憲法』第二十条には「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する」書かれている。そして公明党は、声高に「憲法擁護」を叫んできた。

 

高池氏が、英霊の祀られている靖国神社に「1人の日本人として」即ち国民の一人として参拝することに対して、「政治問題」「外交問題」を持ちだして、「参拝を控えるべきだ」などというのは、文字通り他人の「信教の自由]を侵害する発言である。

 

市井の一般国民がかかる発言をすることは、「表現の自由」であるから致し方のないことかもしれないが、山口那津男氏は、参議院議員であるだけでなく、今日唯今政権を担っている公党の党者であり、政権与党の代表である。即ち、強大なる国家権力・政治権力を有する人物である。政治権力者が、「1人の日本人」即ち「国民の一人」が靖國神社に参拝することを「控えるべきだ」などと発言するのは、明らかに重大なる違憲行為である。

 

こういう発言をする政治家がいるから「靖国神社参拝」という純粋な慰霊行為、信仰行為が政治問題なってしまうのである。

 

 創価学会・公明党は、会員に靖国神社参拝を許さない。しかし、創価學會の牧口常三郎初代會長は、戦時中「吾々は日本國民として無条件で敬神崇祖してゐる。…神社は感謝の対象であって、祈願の対象ではない。吾々が靖國神社に参拝するのは『よくぞ國家のために働いて下さった、有難うございます』といふお礼、感謝の心を現はすのであって、…」(昭和十七年発行『大善生活実証記録』)と講演している。牧口初代會長は、靖國神社に参拝していたのである。創価學會公明党のの靖國神社不拝論は牧口氏の意志に反するものである。

 

 創価學會公明党が靖國神社のみならず全国各地の神社に会員が参拝することを許さないのは、「法華経が広まっていない間は天照大神などの日本の神々は國を捨てて天上に去り、神社や神札には悪鬼邪神がすみついている」という『神天上の法門』と称する日蓮正宗及び創価学会の荒唐無稽の教義に基づくのである。

 

 しかし、神が天上に上られて神社に住みたまわないのであるならば、日蓮上人は何故文永八年(一二七一)の竜口の法難で刑場に向かう途中、鎌倉鶴ヶ岡八幡宮の社頭で「イカニ八幡大菩薩ハマコトノ神カ…イタシオボシメサバイソギイソギ御計ヒアルベシ」という諫言を行ったのであろうか。中世仏教の開祖といわれる人々の中で日蓮上人はもっとも敬神の念の厚い人であった。『神天上の法門』は日蓮の教えを曲解したものである。

 

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千駄木庵日乗十月十五日

午前は、諸雑務。

午後二時半より、三田の駐健保会館にて開催された「大行社幹部会」に出席。顧問の一人としてスピーチ。

帰途、有楽町にて、友人と懇談。

帰宅後は、資料の整理、原稿執筆の準備など。

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2014年10月14日 (火)

千駄木庵日乗十月十四日

午前は、諸雑務。

昼、知人と懇談。内外の情勢につき意見交換。

この後、施設に赴き、母と過ごす。施設長の方と懇談。

帰宅後は、資料の整理、明日のスピーチの準備。

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国家的危機とやまと歌

蒙古襲来は中世における一大国家危機であった。蒙古は文永十一年(一二七四)と弘安四年)一二八一)の二回にわたって来襲したが、いずれも日本軍の奮戦と暴風雨(これを世の人は神風と信じた)によって撤退した。これにより日本国民はナショナリズムを燃え立たせ神国意識を益々強固ものとした。

 

そして

 

「西の海寄せくる波も心せよ神の守れるやまと島根ぞ」(春日若宮者の神職中臣祐春の歌。『異国のこと聞こえ侍るに神国たのもしくて』との詞書がある。日本国が神国であるとの信念を吐露した歌)

 

「勅として祈るしるしの神風に寄せ来る浪ぞかつくだけつる」(藤原定家の孫藤原為氏が亀山上皇の勅使として蒙古撃退・敵国降伏を祈願するためにお参りした時の歌)

 

という歌が生まれた。

 

外来宗教の仏教の禅の僧侶宏覚も蒙古襲来という国難の時期にあって六十三日間蒙古撃退の祈願を行いその祈願文の最後には、

 

「末の世の末の末まで我国はよろづの国にすぐれたる国」

 

という歌を記した。こうしたナショナリズムの勃興がやがて建武中興へとつながっていくのである。

 

 このように日本民族は古代から平安朝そして中世と脈々と愛国心及びそれと一体のものとしての尊皇心を継承してきているのである。徳川時代の末に至りペリーの来航から明治維新の断行までの内憂外患大変革の時期は、その愛国心・日本ナショナリズムは火の如く燃え上がり、数々の歌に表現された。

 

 幕末の動乱期に「尊皇攘夷」の戦いに挺身した人々の述志の歌はそれぞれに憂国の至情が表白され、「魂の訴え」という和歌の本質そのものの歌ばかりである。特に「君が代」「国」を思う心を直截に歌った歌を挙げてみる。

 

 藤田東湖(水戸藩主徳川斉昭と肝胆相照らし熱烈な尊皇攘夷論を主張し尊攘運動に大きな影響を与えた)の歌。

 

「かきくらすあめりかひとに天つ日のかがや く邦のてぶり見せばや」(心をかき乱すよ うなアメリカ人がやって来たが、天日が照り輝く日本の國風を見せてやればよい、という意)

 

 伴林光平(文久三年(一八六三)攘夷断行・天皇親政実現のために挙兵した天忠組に参加し敗れて刑死した)の歌。

 

「君が代はいはほと共に動かねばくだけてかへれ沖つ白浪」(天皇国日本は巌のように不動であるから日本を侵略しようとする国々は沖の白波のように砕けて帰ってしまえ、という意)

 

 梅田雲濱(若狭国小浜藩士。尊皇攘夷運動を行い安政の大獄で捕えられ獄死した)の獄中で病気になった時に詠んだ歌。

 

「君が代を思ふ心のひとすぢに吾が身ありとはおもはざりけり」

 

 吉田松陰は

 

「討たれたるわれをあはれと見む人は君を崇めて夷攘へよ」

 

と詠み、平野國臣は

 

「君が代の安けかりせばかねてより身は花守となりけむものを」

 

という歌をのこしている。

 

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「攘夷」とは

「攘夷」とは、西欧列強といふ侵略者、異質の文化に直面して、国民的自覚と祖国防衛・独立維持の情念が噴出である。日本国の長い歴史の中で、「攘夷」の精神は静かに表面に出ず脈々と継承され生き続けるのであるが、白村江の戦いの敗北と、元寇と、そして幕末といふ外患の時期においてこの精神が昂揚したのである。

 

 大化改新と明治維新は共通する面が多い。外圧の排除であり、政治体制・法体制の整備であり、外国文明・文化の輸入である。大化改新後の律令国家体制は明治維新後の明治憲法体制と相似である。

 

 攘夷とは時代を無視したかたくなな排外思想ではない。松陰をはじめ維新の志士たちは時代の趨勢をただしく把握してゐた。松陰は敵たるアメリカを認識せんとしてアメリカ渡航を実行しようとした。 

 

 何処の國の革命も変革も、洋の東西・時の今昔を問わず、外國との関連・外國からの圧力によって為し遂げられたと言える。古代日本の大変革たる大化改新も支那・朝鮮からの侵攻の危機下に行われた。

 

 明治維新もまたしかりである。アメリカなどの西欧列強は徳川幕府に弱体に付け入って武力による圧迫を以て屈辱的な開港を日本に迫った。徳川幕府は、外圧を恐れかつ自らの権力を維持せんとしてそれを甘受しようとした。それに対して、天皇中心の國體を明らかにして強力な統一國家を建設し外圧を撥ね除けようとしたのが明治維新である。

 

 質の高い統合を実現している國家に強大な外敵が出現した場合、民族的一体感・ナショナリズムが沸き起こるのは当然である。西洋列強の日本に対する圧迫が強まった時、これを撥ね除けるために藩という地域そして士農工商という身分制度を乗り越えて、天皇を中心とした日本國家・民族の一体感・運命共同意識を醸成して外敵に当たろうとしたのである。

 

 徳川幕府の開國は文字通りアメリカの恫喝に屈したのである。徳川幕府を中心とした國家体制では、文字通り有史以来未曾有の内憂外患が交々来るといった状況の日本を保つことはできなくなったのである。言い換えれば、徳川幕府は、開國するにせよ攘夷するにせよ、これを断行する主体的能力のある政権ではなくなったということである。

 

 こうした状況下にあって、國家の独立と安定と統一を保持するには、日本の伝統と自主性をもっともよく体現する存在=天皇を中心としなければならなくなった。そして、欧米列強の侵略から祖國日本を守るための國家体制は、神話時代からの伝統的君主である天皇を中心とする國家でなければならないということが全國民的に自覚されるようになったのである。戦國時代の武士同士の覇権争いの勝者・覇者たる徳川氏は國家の中心者たるの資格を喪失したのである。

 

 ペリーの来航は、徳川幕府の弱体化・権威の失墜を天下に示し、日本國は天皇中心國家であるという古代以来の國體を明らかする端緒となった。これが明治維新の原理たる「尊皇倒幕」「尊皇攘夷」の精神の生まれた事情である。そして、徳川幕府を打倒し天皇中心の日本國本来の在り方に回帰する変革即ち明治維新によって日本は救われたのである。

 

 「攘夷」とは夷狄(野蛮な外國)を打ち払うということである。そしてそれは、アメリカやロシアの軍艦の来航という國家的危機に直面して、國防意識が全國民的に高まった時に、自然に発生し燃え上がった激しき情念である。

 

 徳川幕府は開設以来鎖國政策を取り、頑なに外國との接触を拒否していたにもかかわらず、アメリカの恫喝に遭遇すると、屈辱的な開港を行ってしまった。明治維新の志士たちはこうした徳川幕府の軟弱な姿勢を批判し否定したのであって、外國との交渉・開港を一切否定したのではない。ここが徳川幕府の封建的な鎖國政策と維新者の攘夷精神との決定的な違いである。

 

 吉田松陰や坂本龍馬らは、日本の自主性を保持し日本の真の発展に資する外國との交渉を望んだのである。だから、松陰や龍馬など多くの維新の志士たちは外國の文物を学ぶことに熱心であった。松陰などは下田港から黒船に乗り込み密航してまで外國に渡ろうとした。

 

 だからこそ、徳川幕藩体制が崩壊し、明治維新が断行された後の日本では、外國との交際を一切行わないという頑なな攘夷論は姿を消し、外國の侵略を撃退し日本の自主独立を守るために西欧の文物を学ばなければならないという強い意志を持った。これを「開國攘夷」という。ここに日本民族の柔軟性・優秀性があると言える。

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千駄木庵日乗十月十三日

午前は、諸雑務。

午後からは在宅して、資料の整理など。

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2014年10月13日 (月)

千駄木庵日乗十月十二日

午前は、諸雑務。

午後は、書類の整理。

この後、施設に赴き、母と共に過ごす。

帰宅後は、書状執筆・『伝統と革新』編集の仕事、原稿執筆。

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ある方にお出しした手紙より

今日ある方に出した手紙の内容の一部を掲載します。

 

                ◎

貴兄が最初に訪台された次の年の昭和四十八年に、小生も初めて訪台しました。運動の先輩と一緒でした。戒厳令下でした。街角に白手ヘルメットをかぶった憲兵が交通整理をしていました。終戦直後の日本でМPが交通整理をしていた写真を想起しました。

 

しかし、同じ時期の韓国のような暗さはなかったように思います。午前十二時以降外出禁止ということもなく、全体的にはというか表面的には明るい雰囲気でした。島国であること、南国であることが関係しているのでしょう。そもそも台湾人は本来的な明るい民族で、柔軟にして強靭であります。日本人と共通するところがあります。しかしピリッとした雰囲気はありました。

 

民主化以降の台湾にも行きましたが、そうした緊張感が無くなっていることがむしろ心配になりました。昔の「新公園」は今、「二・二八記念公園」になっていますが、何とホームレスがいるのには驚きました。忠烈祠の「衛兵の交替」で衛兵をからかっている若者がいて、それを誰も止めようとしないことにも驚きました。国民党独裁体制下では即刻逮捕でしょう。何か今の台湾は日本と同じように緊張感というかピリッとしたところが無いようです。これで良いのかどうか。しかし、独裁体制よりも自由民主体制が良いことは確かです。

 

二松学舎の大先輩が当時の台湾省議会の事務総長(正式名称は忘れました。秘書長でしょう)をしておられました。お目にかかった時、私が「戒厳令は一週間か二週間で終わるのが普通ですが、何十年も敷かれっぱなしというのは台湾だけですね」と言ったら苦笑いをしておられました。

 

酒家にも行きました。日本で言えば料亭ですね。訪台する前、「台湾に行ったら支那という言葉を使ってはいけない」と言われたのですが、酒家には日本の懐メロの歌集があり、「支那の夜」も載っていました。私が「支那の夜」を歌うと拍手喝さいを受けました。もっとも一緒に呑んだ人々は、いわゆる外省人ではなく台湾人でしたが。「俵星玄蕃」も大いに喜ばれました。

 

もっと驚いたのは、台湾人の人々が、戦後国民党と共に台湾に来た支那人たちを「奴ら」「チャンコロ」と言った事です。見ると聞くとは大違いを実感し、ある種のカルチャーショックでした。

 

また当時台湾は「自由中国」という宣伝をしていました。そういう名前の政府の宣伝雑誌もあったと思います。ところが、「自由」どころではない。全くの国民党独裁体制、蒋介石独裁体制の国でした。「共匪が大陸を占拠中である」という理由で立法院委員、国民大会代表の選挙が行われなかったのですから…。

 

大衆酒場で呑んでいると、隣の席の中年男性が話しかけて来て、「あなた方は日本人ですか。私は元日本陸軍上等兵ですよ。戦争が終わって日本語はお国に返しましたが、『大和魂』は今でも持っていますよ。台湾に女を買いに来る今の日本人より私の方が『大和魂』がありますよ」と言われた時は本当に感激しました。

 

その二、三年後、自民党の青年局の訪台団に参加した時は、李煥という人に会いました。蒋経国が統括する中国青年反共救国団主任でした。後に国民党秘書長になったと思います。今『中国青年反共救国団』など言うものは無くなっているのでしょうね。国民党は第三次国共合作をしようとしているのですから…。そう言えば『中国大陸災胞救済総会』というのもありました。方治という理事長にも会いました。蒋介石の指示で琉球独立運動を支援していた人という事です。『中国大陸災胞救済総会』という団体も今は無いでしょう。

 

台湾における国民党支配体制を維持するために「第三次国共合作」を企む馬英九・連戦という今の国民党指導者は蒋介石の遺言『光復大陸国土、実践三民主義、堅守民主陣容、復興民族文化』を蹂躙していると思います。

 

しかし貴兄が言われるように、アジアにおいてそして世界において、「反中国感情」はますます高まって行くと思います。日本がそれを主体的に戦略的に主導して行くことが大事であると思います。「中華帝国主義」を粉砕せねばなりません。

 

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儒禍・中国二千年の呪縛 黄文雄氏著 光文社 著者より

台湾烈烈・世界一の親日国家がヤバイ 宮崎正弘氏著 著者より

 
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田母神戦争大学 田母神俊雄氏著 産経新聞出版 出版記念会にて

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日本は大東亜戦争に勝っていた 川本山水氏著 東京図書出版 著者より

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どこまでも強運 深見東州氏著 たちばな出版 出版社より

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どこまでも強運 深見東州氏著 たちばな出版 出版社より

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2014年10月11日 (土)

今日のアジアにおける最大最悪の軍国主義国家は共産支那である

日韓・日支にはものすごく深い価値観・文化観の違いがある。歴史・伝統・文化の全く異なる国との外交関係は厳しいものになるのは当然だ。日韓・日支には自由民主・人権尊重の共通項がない。

 

共産支那は一党独裁専制国家である。そしてアジアにおける軍事的覇権確立を狙っている侵略国家である。わが国は、共産支那の民主化・核兵器廃絶を強く要求すべきである。さらに、共産支那によるチベット・東トルキスタン・内モンゴル・台湾への侵略支配を中止せしめるべきである。日本に対して核兵器を向けている国との真の友好関係が形成できるわけがない。

 

日本は国連への拠出金は全体の一九%なのに、常任理事国になれないのは何故か。それは散々日本から経済援助をしたもらった共産支那が常任理事国として反対しているからである。こんな国と友好関係を形成できるはずがない。

 

「対米自立」が支那大陸への深入りと同義語であってはならない

「東アジア共同体」などいうのは共産支那のアジア支配の別名であり、日本が支那の属国になるということだ。共産支那は「東アジア共同体」によって日米離間を図り、支那のアジアにおける覇権確立を図り、且つ、日本の属国化を狙っているのである。

 

日本は、台灣、ベトナムなど支那からの侵略策謀に危機に瀕している東南アジア諸国そしてアメリカと協力して「反中華帝國主義連合」を構築しすべきである。

 

対米追従はすべきではないが、対米自立とは支那大陸への深入りと同義語であってはならない。「アメリカ覇権主義」とともに「中華帝国主義」も撥ね退けなければならない。日本の軍事的自立を前提としない対米自立はあり得ない。

 

支那の元首相・李鵬はかつて「日本という国は五十年後にはなくなっている」と言った。共産支那は中華帝国による日本併呑を狙っているのである。そんな悪夢を現実にしてはならない。

 

アジアの一角に位置するわが国が、「中華帝国主義」と「アメリカ覇権主義」の狭間にあって、いかなる道を歩むべきか。まことに重大にして切迫した問題である。東洋王道・西洋覇道と言われるが、今日アジアにおいて覇道を歩んでいるのが共産支那である。

日本は海洋国家として、同じ海洋国家と提携して行くべきだという意見に私は賛成である。支那は「中華思想」という差別思想・侵略思想によってこれ迄の長い歴史において周辺諸国を侵略してきた。秦始皇帝・漢武帝・隋煬帝(ようだい)・唐太宗のように内乱の後に大統一帝國が成立した時には、強力な國外侵略を行っている。

 

共産支那は、朝鮮戦争・中印戦争・中越戦争・チベット侵略・中ソ武力衝突など数々の戦争を起こし、チベット・内蒙古・満洲・東トルキスタン(新疆ウイグル)に対して侵略支配を行なっている。そして、対外膨脹策を取り続け、台湾・尖閣諸島・南沙諸島などへの武力侵攻を企て、南シナ海・東シナ海の支配を確立せんとしている。

 

「中華思想」とは、國家的民族的規模での「功利主義」「利己主義」「自己中心主義」である。「中華の繁栄」のためなら他国を侵略しても良いし、他国が滅んでも良いという思想である。今日のアジアにおける最大最悪の軍国主義国家は共産支那である。

 

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千駄木庵日乗十月十一日

午前は、諸雑務。

午後二時より、初台の新国立劇場にて行われた『明るすぎる劇団・東州』(戸渡阿見氏総合プロデュース)公演鑑賞。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事、原稿執筆など。

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「オピニオン雑誌『傳統と革新』第十七号」のお知らせ

オピニオン雑誌『傳統と革新』第十七号 
たちばな出版発行(四宮正貴責任編集)          十月下旬発売
緊急特集 日本と中國・朝鮮半島の外交戦略 反日、不法、侵略 迫りくる危機を乗り越える!
【巻頭言】「脱亜論」と「大アジア主義」の今日的意義           四宮正貴
◇インタビュー◇...
主張する外交で独立と平和を守ること                  高村正彦
北朝鮮との交流を保ち続ける――國交断絶の高い「壁」に挑む、猪木流「スポーツ外交」とは
アントニオ猪木
韓國の意図的な反日政策、そして侮日観を考える――日本の「和」「美徳」の精神は韓國人には通じない                               呉善花
【論文】
〔佐藤 優の視点〕
永続敗戦論とアジア外交                        佐藤優
二度と國策を誤らないための、正しい対中國、アジア戦略とは       西村眞悟
横田めぐみさんらを取り戻すことが日本を取り戻すこと!         西岡 力
文明論から、未来日本を考える                     黄文雄
チベット問題の國際性と日本との関連性                 ペマ・ギャルポ
◇インタビュー◇
「その命、維れ新たなり」
維新革命運動――グローバル化と國難の時代に考える 「開國とは?」「守るべき國体とは?」(後編)                               松本健一
【論文】
東北アジア戦略環境変化と日本の安全保障                崔三然
『やまと歌の心』                           千駄木庵主人
西郷隆盛といふ思想― 志と詩と史そして死 ―              佐藤健二
國體観なき外交の終焉                         坪内隆彦
〈石垣島便り⑪〉
台風も尖閣問題も、備えあれば憂いなしなのだが             中尾秀一
インド事業について チベット独立支援にあたって思うこと        折本龍則
「抗日有理・愛國無罪」で中國はやっていけるのか?―対日新思考を提唱する馬立誠氏の思いは何処か?―                             木村三浩
我が体験的維新運動史 第16回「思ひを知るは野分のみかは」森田必勝烈士辞世 
犬塚博英
編集後記  
ISBN978―4―8133―2499―7 C0030 Y1000E
 定価 本体価格1000円+税。 168頁
〒167―0053 東京都杉並区西荻南二-二〇-九 たちばな出版ビル
 たちばな出版  ☎代表03―5941―2341 FAX5941―2348

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オピニオン雑誌『傳統と革新』第十七号 
たちばな出版発行(四宮正貴責任編集)          十月下旬発売
緊急特集 日本と中國・朝鮮半島の外交戦略 反日、不法、侵略 迫りくる危機を乗り越える!
【巻頭言】「脱亜論」と「大アジア主義」の今日的意義           四宮正貴
◇インタビュー◇
主張する外交で独立と平和を守ること                  高村正彦
北朝鮮との交流を保ち続ける――國交断絶の高い「壁」に挑む、猪木流「スポーツ外交」とは
アントニオ猪木
韓國の意図的な反日政策、そして侮日観を考える――日本の「和」「美徳」の精神は韓國人には通じない                               呉善花
【論文】
〔佐藤 優の視点〕
永続敗戦論とアジア外交                        佐藤優
二度と國策を誤らないための、正しい対中國、アジア戦略とは       西村眞悟
横田めぐみさんらを取り戻すことが日本を取り戻すこと!         西岡 力
文明論から、未来日本を考える                     黄文雄
チベット問題の國際性と日本との関連性                 ペマ・ギャルポ
◇インタビュー◇
「その命、維れ新たなり」
維新革命運動――グローバル化と國難の時代に考える 「開國とは?」「守るべき國体とは?」(後編)                               松本健一
【論文】
東北アジア戦略環境変化と日本の安全保障                崔三然
『やまと歌の心』                           千駄木庵主人
西郷隆盛といふ思想― 志と詩と史そして死 ―              佐藤健二
國體観なき外交の終焉                         坪内隆彦
〈石垣島便り⑪〉
台風も尖閣問題も、備えあれば憂いなしなのだが             中尾秀一
インド事業について チベット独立支援にあたって思うこと        折本龍則
「抗日有理・愛國無罪」で中國はやっていけるのか?―対日新思考を提唱する馬立誠氏の思いは何処か?―                             木村三浩
我が体験的維新運動史 第16回「思ひを知るは野分のみかは」森田必勝烈士辞世 
犬塚博英
編集後記  
ISBN978―4―8133―2499―7 C0030 Y1000E
 定価 本体価格1000円+税。 168頁
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丸山和也参議院議員の講演内容

八月十一日に開かれた『一水会フォーラム』における丸山和也参議院議員の講演内容は次の通りです。

                          ◎

「気概とは何ぞや。哲学でもイデオロギーでも思想でもない。戦後日本はGHQの占領を経て今に至り、気概を持てない状況になっている。堂々と国歌を掲げ国歌を歌う事ね憚られる。このような風潮が七十年つづいて来た。

 

頭山満は西郷隆盛に会っていないが、後年、頭山満が鹿児島を訪ねた時、西郷がその本がぼろぼろになる迄愛読していた大塩平八郎か書いた『洗心洞箚記』に出会った。大塩平八郎の詩に『鏡に対し鬢髪の乱るるを憂えず、ただ一心の乱るるを懼れよ』という言葉がある。西郷隆盛の詩にも『我が髪なお断つべし、我が心截つべからず』という言葉がある。身だしなみよりも心を大切にする心性。こうした精神は大塩平八郎・西郷隆盛・頭山満へと流れていた。

 

玄洋社は哲学・思想で集まったのではない。左翼と右翼とは顔つきが違う。心の在り方が違う。右翼は『心』の人。左翼は『理性』の人。これは東洋と西洋との違いとも通底する。東洋的なものの考え方が『心』とすれば、西洋的なものの考え方は『頭』が根底にある。

 

鈴木邦男さんと対談した時、鈴木さんは『もう右翼はいりませんよ』と言われたことがある。これには驚いた。右翼も左翼もなくなれば、功利主義だけが残る。まさに今は功利主義の時代。誰かのために一緒に死のうという人は少ない。魂で結びつくエネルギーが現代社会では弱くなっている。高杉晋作は野山の獄に投獄された時、『先生を慕うて漸く野山獄』という歌を詠んだ。師・吉田松陰がかつて投獄されてゐた野山獄にようやく自分の入ることができたという喜びを詠んだ歌。このように惚れた人物と命を賭して一体化することに喜びを感じる心性をかつて日本人は持ってゐた。こういう心性を失っては駄目。

 

気概という言葉は『頑張ろう』という心。教育の場で日本人としての気概を教えるべし。日本人は教育、歴史認識問題で気概を持つべきだ。その根底にあるのは『日本人としての誇りを取り戻す』である。安倍総理は去年七月十日の参院選公示の日の街頭演説で、このことを訴えた。

 

聖徳太子が優れていたのは、隋の煬帝への『親書』で『日出づる処の天子、書を日没するところの天子に致す』と書いたこと。煬帝は『世界に天子はおれ一人』と思っていたので怒った。聖徳太子は七世紀のはじめにこのような気概のある外交を行った。聖徳太子の定めた『十七条憲法』の第一條は、『和を以て貴しの為す』である。『十七条憲法』には、ある種の民主主義の原理・根幹が書いてある。強い者が力を持って統治するという西洋的発想とは違う。

 

日本の良さは世界で分かりにくい。『マグナカルタ』が近代憲法の祖。日本と西洋とは憲法に関する考え方が違う。専制君主に歯止めをかけようというのが西洋憲法の発端。血で血を洗う流血の末に生まれたのが西洋の憲法であり、『和を以て貴しとなす』の『十七条憲法』とは全く違う。

 

民主主義は正しいというのが常識。『民主主義はけしからん』とは『産経』でも書かない。民主主義は実体無し。『民主主義とは何か』という問いに答えられる人はあまりいないと思う。第一次世界大戦まで民主主義と言う言葉は定着しなかった。『民主主義の勝利である』という戦勝国を正当化する言葉、道具として『民主主義』という言葉を使った。民主主義はいかさまだが、自由主義は深い。人間の尊厳に立脚している。しかし民主主義がはびこる現代においてはこの概念に肉づけをして育てて行くしかないであろう。

 

日本の右翼の流れには『陽明学』の『知行合一』がある。この『知』とは知識ではなく『心』『信』である。心性を大事にする一方で、理性・知性も否定しなかった。割合にすれば七対三くらいであったと思う。『知』」と『行』の分離のもたらすものが自己喪失であり、それが現代人の気概の喪失につながっている。現代の政治家、評論家は理性だけで議論する。現代の政治は、人物は求められない。政策・演説・政治的駆け引きで評価される。李登輝氏は『戦後日本の政治家が小粒で駄目になったのは人としての修業をしなくなったからだ』と言った。そして人としての修業とは『精神の修業であり、その一例として便所の掃除とか人に嫌がることを自ら進んでやることである』と説明している。今の政治家は口が達者でべらべらしゃべる人ばかり。

 

政治家が国益よりも自己保身に走った典型的な例は、民主党政権における尖閣沖漁船衝突事故への対応である。中国人船長をあっさりと釈放した。私は釈放した日に当時の仙谷由人内閣官房長官に電話でただした。彼が『どうしたらええんや』と言うから『淡々と起訴して実刑判決を下し、強制送還すべきだ』と言ったら、彼は『そんなことをしたらエイペックが吹っ飛んでしまう』と言った。『それでは日本は属国みたいではないか』と追及すると、『日本は今でもそんなもんやないか』と答えた。その後、彼は記者会見で私の事を『あんないい加減な弁護士の事は相手にしない』と言い放った。これは私だけの問題ではなく日本としての気概に関わる問題として捨て置けないので、訴訟を起し、まだ係争中である。

 

何故中国人船長を釈放したのか。あれは一種の指揮権発動だった。官房長官が那覇地検の検事にやらせた。検事は会見で『日中の外交関係を配慮した苦渋の決断』と言った。外交関係を考慮するのは検事の仕事ではない。政治家の仕事。あの結果、日本の権威は国際的に失墜した。あの当時、管内閣は小沢一郎派との内紛に勝利して政権が出来た直後で、官房長官の仙谷氏は、尖閣事件で菅政権が崩壊するのを恐れたのであろう。権力を維持するために国益を踏み躙ったのである。私は義憤を感じた。これは理屈ではなく心性から来るものである。この義憤という感情は日本人の普遍的なもので、歴史の節目節目で義憤にかられた行動があらわれる。資本主義・新自由主義・グローバルスタンダードの世界では合理性・功利主義優先される。

 

戦時中の朝鮮における民間人徴用問題で、韓国で裁判が起こされている。昭和四十年の『日韓請求権協定』で『財産・請求権の問題は協定により完全かつ最終的に解決済み』とされており、訴訟の都度、日本でも韓国でも『解決済み』として却下されていた。しかし、李明博政権の頃から韓国で『賠償は有効だ』という判決が続いている。これは『日韓請求権協定』に違反している。韓国は司法が政治に介入する事態になりつつある。韓国には憲法裁判所という憲法問題を独自に扱う裁判所がある。そこが『植民地時代の被害救済について政府は義務を尽くしていない』という判決を出し、政府にプレッシャーをかけている。韓国は心性を失っている。過去の歴史問題を利用した反日運動が盛んになり、かつて日本の朝鮮統治に協力した人々を罪に問うという『親日反民族特別法』という無茶苦茶な法律まで制定された。

 

日本の朝鮮統治は欧米の植民地統治とは比較にならないくらいインフラ整備に寄与した。それは日本国民の税金で賄った。一説には朝鮮統治予算の七割に相当したという。イギリスのインド支配は収奪・搾取。日本の朝鮮統治は、朝鮮を日本と同じレベルにしようとした。日本は説明が下手。海外への発信が弱い。政府・外務省が消極的。韓国は国家予算を使って欧州にも発信している。日本人は闘争しない。しつこさが無い。中国は一年間に四万人が弁護士資格に合格している。日本は千五百人。戦い方が違う。既に戦争に突入している。勝たねばならない。安倍総理は靖国神社に毎日参拝すれば良い。『村山談話』も見直すべし。『村山談話』に書かれている『過去の一時期』とは何時か。『国策』とは何か。『安倍談話』を出すべし」。

            ◎

丸山和也氏の深い見識に感銘した。

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千駄木庵日乗十月十日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。第十八号の執筆依頼。

この後、施設に赴き、母と過ごす。元気なり。有り難し。

夕刻、千駄木にて、地元の友人ご一家の方々と懇談。

帰宅後は、原稿執筆。

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2014年10月 9日 (木)

この頃詠みし歌

天地(あめつち)の神の怒りと思へとか 木曽の御嶽噴火続けり

 

若き日に登りゆきたる木曽御嶽 その頂上は地獄と化せり

 

御嶽山噴煙あがり石は飛び人ら斃れし恐ろしさかな

 

神の山信仰の山は荒ぶりて幾多の人々の命を奪ふ

 

あな恐ろし自然の猛威がまたしても人の命を奪ひゆきたり

 

バスを待つ人らの列の最後尾に我は立ちたり上野広小路

 

見慣れたる街の風景眺めつつ早稲田行きのバスを我は待ちをり

 

壊されゆく高楼を仰ぎ嘆息すその昔長銀の本店なりしが

 

その昔焼き打ちされし松本楼今は静かなるたたずまひなり

 

山を見ることなく過ごす日々(にちにち)を悲しと思ふ東京人われ

 

富士ケ嶺も秩父も見えず立ち並ぶマンション眺める日々の生活

 

帝国ホテルのロビーで人を待ちにつつ中野重治の詩を思ひをり

 

怒りをば止めがたきわが性(さが)は危険と隣り合はせと自ら知れり

 

こみあげる怒りをおさへ難くして大声出せる地下鉄車内

 

若者の傍若無人の振る舞ひに思はず怒りの大声を発す

 

母上は車椅子に慣れたるかあきらめたるか楽しげに見ゆ

 

あれほどに足腰強き母なりしに車椅子生活となりにけるかな

 

花びらがどんどん落ちる菊の花 黄色は滅びの色なるらんか

 

人は老い死にゆくことが定めとは思へどあまりに悲しかりけり

 

老いませる人の言の葉 憂国の至情に満ちて尊かりけり

 

台風が真っ直ぐ進み支那朝鮮に上陸せぬは悔しかりけり

 

 

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千駄木庵日乗十月九日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』原稿執筆・脱稿送付。『伝統と革新』編集の仕事など。

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第四十五回日本の心を学ぶ会

テーマ「憲法を考える」

 

近年、「憲法」に注目が集まっています。

安倍総理が憲法96条の改正に強い意志を表明したことや、「解釈改憲」で「集団的自衛権」を認めたことから、憲法が関心を集め、各方面からが「改正試案」が提出されるなどさまざまな議論がなされています。

「憲法」は国家の最高法規であります。ゆえに、その国の伝統精神及び歴史に根ざした基本原理を明示したものであらねばなりません。

しかしながら、歴史上、戦争や内乱などその国の重大な局面において改正されたり、制定されたという事実がありました。そういう意味で、憲法は「歴史の象徴」としての側面があることも見過ごせません。

「日本国憲法」という名の『現行占領憲法』もまたそのような「歴史の象徴」としての側面を持っています。『現行占領憲法』は、敗戦直後、戦勝国による「國體破壊」の恫喝のもとに押しつけられたものです。

当時、米国の上院は、昭和天皇を裁判にかけることを決議し、いわゆる「天皇制廃止」を要求する動きはソビエトや豪州など連合国の中にも根強く存在しました。

占領下で行われた戦後初の国政選挙は、現職466名の議員のうち381名が公職追放され出馬資格をはく奪された状態で行われました。「公職追放」を巧妙に利用し議員を入れ替え事実上の言論封鎖を行ったのです。GHQは公職追放を利用して日本を弱体化させ、日本政府をコントロールしやすい状態を作ったのです。

『日本国憲法』はこのような異常な状態のなかで「制定」されました。

敗戦と占領、戦勝国の銃剣の圧力によって押しつけられたという「歴史の象徴」を背負っていることから、この「日本国憲法」という名称の『占領憲法』には正統性はありません。

現実の政治問題として憲法改正が語られることが多くなってきた今、我々はもう一度、冷静に我が国にふさわしい憲法について考える必要があると思います。

今回の勉強会では、「憲法」について考えてみたいと思います。

四宮正貴先生には「立憲主義と『現行占領憲法』」というテーマで講演をしていただきます。

今回は特別に講師の先生を予定しております。調整がつき次第発表したいと思います。

(瀬戸弘幸先生は都合により欠席です)

 

【日 時】平成261026日(日)午後600分より

【場 所】文京区民センター3-D会議室

東京都文京区本郷
-15-14 
地下鉄春日駅 下車1分(大江戸線、三田線)
後楽園下車3分(丸の内線、南
北線)JR(水道橋)

【講 演】 
「立憲主義と『現行占領憲法』」
講師:四宮正貴先生 四宮政治文化研究所 

【司会者】林大悟

【参加費】資料代500円終了後、近隣で懇親会(3千円くらいの予定です)

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395

               〇

この案内文は主催者が作成したものです。

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2014年10月 8日 (水)

正統なる憲法を回復した時、はじめて『立憲主義』が正しく確立する

『現行憲法』が諸悪の根源である。その認識に立った上で、『現行憲法改正論』『現行憲法無効論』『自主憲法制定論』『大日本帝國憲法復原論』などがある。法律論、憲法論は、理論が色々立てられ、甲論乙駁が繰り返されてきた。

 

『大日本帝國憲法』に回帰しそれを復元することが正道であると思ふ。『現行占領憲法』は形式的には『大日本帝國憲法』を「改正」したものだから、次の改正では、いったん『大日本帝國憲法』に回帰し復元して、それを改正するのが正しいと思ふ。原点に回帰するといふことである。

 

『現行占領憲法』は、その「制定過程」そのものが全く違法にして理不尽なものである。戦勝國アメリカが國際法を踏みにじって押し付けた憲法をその改正条項に従って改正するのは、「押し付け」といふ行為を肯定し、『占領憲法』に正統性を持たせることとなる。戦勝國の押し付けといふ根本的欠陥を引きずったままの「改憲」では改正された憲法にも正統性がなくなる。

 

大変畏れ多いことであるが、「天皇及日本國政府ノ國家統治ノ権限ハ本降伏条項ヲ実施スル為適当ト認ムル措置ヲ執ル聯合國最高司令官ノ制限ノ下ニ置カルルモノトス」(バーンズ回答・正しくは「隷属ノ下」と訳されるべきといふのが定説である)とされてゐる時期の「天皇のご裁可」「天皇による公布」は、「自由に表明された御意志」即ち「大御心」によるものとは異なると私は思ふ。これは、先帝陛下の大御心をないがしろにするのではなく、むしろ、「天皇の大御心」に回帰するといふことである。

 

 『大日本帝國憲法』に回帰した上での改正となれば、先帝陛下の「上諭」に背くことにもならないと思ふ。『大日本帝國憲法』を復元し、それを改正するのが正しい道であると思ふ。

 

國の基本法についてはあくまでも正義を貫かねばならない。ともかく、『現行占領憲法』は、その制定過程ばかりでなく内容もアメリカ製である。この憲法がなくならない限り日本は真の独立國とは言えへないし、日本の真の再生はあり得ない。それどころか『現行憲法』がある限り國體破壊が進行していく危険がある。

 

憲法は「不磨の大典」と言はれるが、「不磨」であるべきなのは、「國體法」である。「政體法」は必要に応じて改正されるべきである。即ち、天皇を君主と仰ぐ國體は絶対に変革されてはならない。しかし、政體は民の幸福のためになるのならどんどん変革すべきである。

 

ともかく、正統なる憲法を回復した時、はじめて『立憲主義』が正しく確立するのである。

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千駄木庵日乗十月八日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。『政治文化情報』の原稿執筆。

この後、施設に赴き、母と共に過ごす。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究会』開催。小生が、大伴旅人の歌などを講義。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事。

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日本国家の本質と憲法

 日本国は権力や武力を持った者が人工的に作り上げた国家ではない。また人と人とが契約を交わして作り上げた国でもない。美しき自然の豊饒に包まれ、人々が相和し、平穏に生きてきた日本民族の悠遠の歴史と信仰の中から自然に生まれて来た国である。ゆえに、日本国の始源は神話の世界にある。

 

 日本神話の精神(伝統信仰)は古代日本人の生活から生まれてきたものである。日本人の主食は米である。ゆえに米の豊作を神に祈る祭り事を大切にして来た。日本国の生成は、稲作生活において行われる祭祀を根幹とする国土・国民の信仰的あるいは祭祀的統一である。

 

 日本国の基盤には農耕生産という共同生活を行った人々から生まれた共通の信仰・祭祀があった。その中心に祭り主たる天皇が在ますのである。稲作生活が祭祀を生み、その祭り主が天皇であり、日本という国は祭り主日本天皇を中心とする信仰共同体なのである。

 

 信仰共同体の祭り主は、共同体を代表して神意をうかがい知り、農作物の豊饒と民の幸福を祈念する。祭祀において神の意志をうかがいそれを民に伝えるために祝詞・宣命を下す方が祭り主たる日本天皇である。神の意志を民の伝える言葉が祝詞・宣命である。ゆえに、日本(やまと)という国は、「大倭根子天皇」(おほやまとねこすめらみこと・大倭根子とは大和の大地にしっかりと根を張る天皇の御地位を象徴する尊称)の祝詞(のりと)の下る範囲内を示す言葉あるといわれている。

 

 従って、日本国は、人間と人間とが契約を交わして成立した人工的な国でないし権力支配組織でもない。天皇を中心とした祭祀国家である。ゆえに日本天皇は、武力や権力によって命令を下す外国の君主(皇帝・国王)とは全くその本質を異にする。天皇は西洋の国家法人説による権力国家・利益国家の代表としての元首ではない。

 

 日本神話によれば神武天皇が大和橿原の地に都を開かれる過程において、「荒ぶるもの・順はぬもの」に対して「言向和平」(ことむけやは)したと記されている。これは言語の力を以て「荒」なるものを和やかに鎮めることを意味している。その結果邪神や反抗するものが恭順するというのである。信仰的に言えば荒ぶる神を和魂(にぎみたま)で鎮めたということである。これは平和的・宗教的に国家を統一したことを意味している。

 

 世界各地の神話では、人類最初の男女神は人間を生んでいる。しかし、日本神話では始源の男女二神たる伊耶那岐命・伊耶那美命はまず国を生んでいる。ここに日本神話の大いなる特質がある。日本神話においては神が最初に生んだものが国なのである。しかも創造したのではなく生んだのである。また人は神の子孫であるとされている。神と國・神と人とは親子関係にあるのである。ゆえに、日本国においては神と國と民とがその根源において一体なのである。そして神と國と民とを精神的に統合し一体化する御存在が祭り主たる天皇なのである。

 

 ところがキリスト教の神話においては神が最初に創造したものが人間であるとされている。「創造する」ということは創造者と被創造者との間は絶対的に隔絶しているということである。しかも神によって創造された人間は原罪を背負う。神と隔絶し原罪を背負った罪人である人間同士が契約を結び、かつその罪人である人間の中で武力・権力が優越している者が君主となって国を治めるというのである。ゆえに、国家は人工的な存在であり本来罪を背負っている。また本来罪人である国民同士の信頼関係は希薄である。君主も国民を力で強制することによって国家を治めるのである。このキリスト教の国家観・人間観が西洋国家法思想・法思想の根幹となっている。

 

 このように日本と外国との国家観・君主観の違いは大変大きい。そのことを端的に示したのが、北畠親房の『神皇正統記』冒頭の「大日本は、神國なり。天祖始めて基を開き、日神長く統を傳へ給ふ。我が國のみ此の事あり。異朝には其の類無し。此の故に神國といふなり」という文章である。

 

日本国は、神話の世界から「天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体」たる傳統を保持している。そうした日本の国柄・國體を西洋の国家思想で定義する事は誤りである。「現行占領憲法」は、アメリカ憲法の模倣である。アメリカは欧米の契約思想・権力国家観に基づいている。日本國體に基づいた憲法ではあり得ない。第一、わが国には本来、権力国家ではないし、主権が国民にあるとか君主にあるというような「二元論」は無かった。現行憲法の原理を否定しなければ「現行占領憲法」の改正にもならなければ自主憲法制定にもならない。法理論上、かつて谷口雅春先生が主張された「『大日本帝国憲法』を復元し、改正すべきところは改正する」という思想が正しいと思う。

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千駄木庵日乗十月七日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、明日行われる『萬葉古代史研究会』における講義の準備、『伝統と革新』編集の仕事、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2014年10月 7日 (火)

萬葉古代史研究會

小生が講師となり「萬葉集」を勉強する會が次の通り開かれます。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。

日時 十月八日(毎月第二水曜日) 午後六時半より 

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

東京都豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 山手線駒込駅北口徒歩二分

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』。

初参加の方は、テキストはなくても結構です。初めての方でも分かりやすい内容です。

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強靱にして自由な日本民族の傳統的な文化感覚を発揮して、危機的状況を打開していかなければならない

飛鳥・奈良時代も、江戸時代末期も、今日と同じやうな危機に遭遇した。そしてわが國はその危機を乗り切った。飛鳥・奈良時代にも、儒教や佛教をはじめとした外来文化・文明が怒涛の如く日本に流入してきた。日本は、さうした言はば当時のグローバリズムの波に呑みこまれることなく、たくみに対峙しつつ、日本独自の文化と政治を確立し、自立した國家を作り上げた。そして、平安時代といふ長きにわたる平和の時代を招来せしめた。

 

日本の歴史の中で長期にわたって続いた平和な時代が二つある。平安時代の三五〇年と江戸時代の二五〇年である。これほど長期にわたって平和を持続させた國家は世界史的にも日本だけである。その基礎を築いた時代が、飛鳥・奈良時代であった。

 

また、江戸時代末期にも、同じような危機に際會したが、明治維新を成し遂げ、日本の独立を守り、近代化を遂げた。

 

つまり、わが國の歴史は、今日で言ふグローバリズムと対峙し、それを克服し、國家民族の独立と栄光を維持し発展させてきた歴史なのである。その最大の要因は、天皇・皇室を祭祀主と仰いで國の統一と安定を確保するといふ強靭なる日本國體精神である。日本民族がグローバリズムの波に呑みこまれることなく、外来文化・文明を自由に柔軟に受け容れ、自己のものとしさらに発展させた基盤の中核が、天皇・皇室のご存在である。

 

わが國の建國の精神は、「八紘爲宇」の精神である。これは、世界は色々な民族・國家が連帯し共存する一つの家であるといふ精神である。また近代日本の父と仰がれる明治天皇の御精神は、「四海同胞」の御精神である。これは、世界の民は兄弟であるといふ精神である。日本は本来的に言葉の真の意味における平和國家である。

 

日本はその傳統信仰の靈的精神の偉大なる包容力によって、よく他國の宗教・文化・文明を取り入れてそれを融和せしめ洗練して、強靱にして高度な日本文化として開花せしめる力を持ってきたのである。

 

世界各國各民族にはそれぞれ傳統精神・傳統文化を保持してゐる。世界の愛國者は、各國各民族の個性・立場・歴史・傳統を尊重し合ひ、真の意味の平和な世界を實現しなければならない。 現代日本においても、この強靱にして自由な日本民族の傳統的な文化感覚を発揮して、危機的状況を打開していかなければならない。

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千駄木庵日乗十月六日

午前は、諸雑務。

午後は、「政治文化情報」原稿執筆。

この後、施設に赴き、母と共に過ごす。

午後六時半より、初台の新国立劇場にて、『秋に燃ゆる国民のコンサート』鑑賞。冒頭の深見東州氏による「国歌君が代」独唱、そして、最後の出演者全員による「故郷」合唱がとても良かった。

帰宅後は、原稿執筆。

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2014年10月 6日 (月)

「国民主権論」を第一原理とする『占領憲法』は國體破壊の元凶である

 西洋の主権概念は、日本國體と絶対に相容れない。なぜなら日本では、古来西洋のやうな闘争の歴史は無かったからである。日本國は、日本國は信仰的・祭祀的統一によって形成された信仰共同體・祭祀共同體である。國民が契約を結んで人工的に作った國ではない。主權を持つ國民の意思によって形成された國家、すなわち契約國家・集合國家・權力國家・統治システムとしての國家でもない。従って「主権」なるものが、天皇にあるのか國民にあるとかなどといふことを議論すること自體が不自然なのである。

 

祭祀主である日本天皇の國家統治の本質は、権力・武力による國家・國民支配ではない。天皇の祭祀主としての神聖なる権威による統治である。天皇と國民を氷炭相容れない対立関係と見るのは、西洋流の考へ方に立っており、日本の傳統ではない。

 

天皇と國民と國土の関係は、対立関係・支配被支配の関係ではない。契約関係・法律関係でもない。不可分の精神的一體関係にある。これを「君民一體の國體」と言ふ。そして、天皇の神聖なる権威が権力者・為政者の権力濫用を抑制するのである。それがわが國の建國以来の國體であり歴史である。祭祀國家として約三千年の時間的連続・歴史を有してきたことが最も大切な日本國の特質であり尊厳性なのである。これを「萬邦無比」と言ふ。

 

日本では古来「主権」といふ言葉はなく、國家における政治作用の根本を言ひ表す言葉は、「知らす」「治らす」「すべおさめる」「しろしめす」「きこしめす」であり、言葉自體から見ても、権力的な臭みはなかった。『大日本帝國憲法』ではこれを「統治」といふ言葉で表現した。

 

日本の歴史と傳統そして君民一體の日本國體は、西洋の契約思想や人間不信を基盤とした國民主権論や西洋近代の成文法とは基本的に相容れない。

神話時代からの悠久の歴史を有する日本の天皇中心の國柄を、西洋の契約思想や人間不信を基盤とした西洋の憲法概念に基づいた「成文憲法」に規定することは不可能である。

 

しかるに、天皇を君主と仰ぐ日本の國柄を隠蔽せしめ日本民族と國家を弱體化せんとする戦勝國アメリカの意図に基づいて「國民主権論」といふ國體破壊思想が、敗戦後、戦勝國によって「憲法」の中に盛り込まれたのである。

 

この一点を以てしても、『現行占領憲法』はまさしく日本の傳統を破壊する憲法である。「国民主権論」を第一原理とする『現行占領憲法』は、萬邦無比の日本國體を隠蔽してゐるどころか、國體破壊の元凶である。

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千駄木庵日乗十月七日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』などの原稿執筆。

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2014年10月 5日 (日)

木曽の御嶽山は日本山岳信仰の聖地である

木曽の御嶽山は日本山岳信仰の聖地である。鎌倉時代頃まで、修験道の道場で、厳格な精進潔斎を行った修行者が年に一度夏に集団登拝する習慣ができ、近世中頃まで続いた。江戸時代の天明年間から一般の人々が比較的緩やかな精進潔斎での登山が始まり、有力な行者が組織した御嶽講が生まれた。明治十五年(一八八二)、教派神道・御嶽教が結成された。(『図説日本の仏教六・神仏習合と修験』所収坂本正仁氏執筆「霊山・寺社の行事」による)

 

御嶽山の登拝は先達と呼ばれる行者と信者が一緒に行ふ。先日も記したように、私も若き日に木曽御嶽山に、先達の方に導かれつつ登拜した。その時、聖地として崇められる色々な社や石碑を巡礼した。

 

山岳信仰には、形が美しい山を神として仰ぐのを神奈備信仰、高く聳える山を神として仰ぐのを高峰信仰、火山を神として仰ぐ信仰を浅間信仰の三つがあるといふ。御嶽信仰は火山信仰といふことになるのであろうか。

 

古来、日本人は祖先の霊は山に帰ると信じた。ゆへに日本人は山を非常に尊んだ。御嶽山には、亡くなった先達たちを「霊神(れいじん)」の名称で自然石に刻印して祀った「霊神碑」を建てる風習がある。御嶽山には登拝者を祀った約五千基の霊神碑があるといふ。

 

日本の山岳信仰は、山が死者を葬る所であり、さらに山は高い天上の世界へ死者の魂を神上がらせる所といふ信仰であると思はれる。御嶽山の山頂が高天原と信じられたといふことは先日書いた通りである。かかる信仰は「山中他界観」と言はれる。

 

柳田國男氏は、「魂が身を去って高い峰へ行くといふ考へ方と、その山陰に柩を送って行く慣行との間には、多分関係が有ったらうと私は思ふのである。さうして形骸が消えて無くなると共に、次第に麓の方から登り進んでしまひに天と最も近い清浄の境に安らかに集まっておられるものと我々は信じて居た」(『先祖の話』)と論じてゐる。

 

祖霊崇拝と山岳信仰、天上への憧れの心は実に密接であり、一体の信仰と言って良い。わが国の現実に山々が実に美しい姿であるからかかる信仰が自然に生まれたのである。

 

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千駄木庵日乗十月四日

午前は、諸雑務。

午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、『アジア問題懇話会』開催。渡辺利夫拓殖大学総長が「どう解く、日中・日韓の縺れ」と題して講演。活発な質疑応答が行われた。大変勉強になった。後日報告します。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆など。

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2014年10月 4日 (土)

日本における「法」の起源

日本における「法」の起源とは、「のりごと」である。祭祀において祭祀主から人々に「宣()り下される言葉」である。「宣()り」は、祭祀主を通して神の御意志として示された言葉である。日本国家全体の祭祀主であらせられる天皇が神の意志として述べたまふ言葉即ち「仰せ言」「宣命」「詔(みことのり)」が、わが国の「法」の起源である。

 

「のりと」の「のり」には「宣り聞かせる」といふ意味もある。そしてその「のり」は「則(のり)」「法(のり)」と同意義なのである。神の御意志を宣せられた「すめらみこと・日本天皇」の「のりごと」「みことのり」が、わが日本の法なのである。

 

西洋特に英国では「王は民の上にあり、されど法は王の上にあり」「国王と雖も法の下にある」「法の上にある者は神だけである」といふ法思想がある。これが『法の支配』の原点であるとされる。

 

しかし、わが日本においては天皇の御意志は即ち絶対的な「法」なのである。何故ならば、天皇は、「祭祀国家日本の祭祀主」すなわち「神の御代理」であり、民から仰ぐと「現御神」であらせられるからである。

 

聖徳太子の『十七条憲法』の第三条「承詔必謹」(みことのりをうけたまりては、かならずつつしめ)といふ精神はここにある。

 

しかるに、今日施行されてゐる『日本国憲法』といふ名称の「占領憲法」は、十七世紀、十八世紀の欧米の市民革命の基礎理論であった「社会契約論」に立脚してゐる。その上、戦勝国アメリカの占領下に、強制的に押し付けられた憲法である。従って、この「現行占領憲法」には思想的にも制定過程においても全く正統性がないのである。

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千駄木庵日乗十月三日

午前は、諸雑務。

午後は、施設に赴き、母と共に過ごす。

午後四時より、西荻窪にて、『伝統と革新』第十八号の編集会議。

終了後、出席者と懇談。談論風発。

帰宅後は、原稿執筆。

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2014年10月 3日 (金)

「清明心」が日本民族の外来文化・文明包摂の精神

太古以来の日本民族の精神的特性は、「清らけき明らけき心」「素直な心」「無私の精神」である。

 

中村元氏は「日本人の思惟方法のうち、かなり基本的なものとして目立つのは、生きるために与えられている環境世界ないし客観的諸条件をそのまま肯定してしまうことである。」(『日本人の思惟方法』)と論じてゐる。

 

「清らけき明らけき心」「素直な心」「無私の精神」とは、中村氏のいふ「与へられてゐる環境・条件をそのまま肯定する思惟方法」とかなり近いものがあると思ふ。

 

「与へられてゐる環境を素直に肯定する思惟方法」が、天地自然を人間と対立する存在ととらへず、天地自然を神としてまつり拝ろがむ信仰生活を生んだと思はれる。それは日本の天地自然が麗しく温和であり人間に大いなる恵みを与へる存在である事による。麗しく豊かな自然に恵まれた日本民族は、現世を肯定し、明るい太陽の下で生きてきた。日本民族は本来明るく大らかな民族である。

 

明治天皇御製

 

あさみどり澄みわたりたる大空の廣きをおのが心ともがな

 

「清明心」をうたひあげられた御製と拝する。大らかな広々とした心が「清明心」である。私心をまじえず眞澄のやうに清らかな心、それが日本人の本来の心である。

 

「清明心」は、佛教思想の影響が強まった中世になる「正直」といふ言葉になった。『早雲寺殿二十一カ条』(室町後期の武将北条早雲の教訓書)に「こころを直にやはらかに持ち、正直憲法にして…あるをばあるとし、なきをばなきとし、ありのままなる心持、持仏冥慮にもかなふと見えたり」と記されてゐる。「正直の心」は、ありのままなる心・素直な心である。つまり清明心の中世的における表現である。

 

日本民族は、「もののあはれ」といふ美感覚を持ってゐる。「あはれ」とはうれしいにつけ、楽しいにつけ、悲しいにつけて、心の底から自然に出てくる感動のことばである。

 

「もののあはれ」とは、物事にふれてひき起こされる感動である。知的興味とは違った何かに深く感動することのできる感じやすい心のことである。自然・人生の諸相にふれてひき出される素直なる感動の心である。理論・理屈ではない。「清明心」「正直の心」を美感覚の世界における表現が「もののあはれ」といへる。

本居宣長に次のやうな歌がある。

 

事しあればうれしかなしと時々にうごく心ぞ人のまごゝろ

 

この宣長の歌について、村岡典嗣氏は「この眞心こそは、やがて古神道に於ける清明(あか)き心、中世神道における正直の觀念の發展せるものに外ならない。彼(註・宣長)が一切の偽善や作為をあくまでも斥け、その見地から儒教を攻撃したのもこの立場からである。」(『日本思想史研究・第四』)と論じてゐる。

宣長にはまた次のやうに歌がある。

 

眞心をつゝみかくしてかざらひていつはりするは漢(から)のならはし

 

宣長のいふ「からごころ」は、日本人本来の素直なる心・清明心・もののあはれとは正反対に位置するといふことである。

先人は「正直」「清明心」といふに本人の中核精神が「三種の神器」の一つである「鏡」に象徴されると信じた。

 

北畠親房は、『神皇正統記』で「鏡は一物をたくはず私の心をなくして萬象をてらすに、是非善悪のすがたあらはれずと云ふことなし。其すがたにしたがって感應するを徳とす。是正直の本源なり。」と説いてゐる。

 

「清明心」は、鏡の心であり、太陽の心であり、天照大御神の御心である。この精神が、「主体性」を喪失せずに「無私」の態度で一切を包容摂取するといふ矛盾と思へるやうなことを為し得て来た原因であると思ふ。

 

「鏡」は、天照大御神の『神勅』に「吾が児、この寶鏡を視まさむこと、當に吾を視るが如くすべし」と示されてゐる通り、天照大御神の御霊代(れいだい・みたましろ)である。

 

また、仲哀天皇が筑紫に進軍された時、筑紫の県主・五十迹手(いとて)が『三種の神器』の意義を天皇に奏上した言葉に「白銅鏡の如くにして、分明(あきらか)に山川海原を看行(みそなは)せ」(『日本書紀』「仲哀天皇紀」)とあるやうに、鏡のやうに明らかに山川海原を統治されるお方が、天照大御神の「生みの御子」であられせられる日本天皇なのである。

 

「鏡」は天照大御神の広大無辺の御慈愛と曇りなき御心を表象する。

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千駄木庵日乗十月二日

午前は、諸雑務。

午後からは在宅して、『月刊日本』連載の「萬葉集」講義原稿執筆・脱稿・送付。この後は、『政治文化情報』掲載原稿執筆。

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2014年10月 2日 (木)

木曽御嶽山登山の思ひ出

私は、二十代前半の頃だったと思ふが、木曽の御嶽山に登ったことがある。私の小中学校の同級生の家族・親族の方々が、御嶽山信仰の集まりである「御嶽講」に入ってゐて、その方たちが誘はれて登山したのである。

 

一緒に行った方たちは、いはゆる「山登り」といふ感覚ではなく、信仰上の聖地への参拝といふ感覚であった。随分昔の事であるので、秋に行ったのか春に行ったのかさへ覚えてゐない。しかし佳き天候に恵まれたことは覚えてゐる。自然景観の美しさは一生忘れることはないであらう。

 

頂上でご来光を拝んだ。だから山頂の山小屋に泊まったことは確かである。先達の方に導かれながら、山道を登って行った。私は幼少の頃から、運動神経は活発ではなかったので、三千メートル以上の山に登ったのは標高三〇六七メートルの木曽の御嶽山だけであろう。岩手の早池峰山にも、中河与一先生と共に登ったが、早池峰山は標高一九一七メートルだから、御嶽山は、私が登った山では最も高いといふことになる。

 

御嶽山は、急峻な山ではなく、なだらかな山道が続いてゐたので、登山が苦しかったといふ思ひ出はない。先達の方から「山道に唾を吐いてはいけない」「山頂を指差してはいけない」といふ注意を受けた。それだけ御嶽山を神聖視してゐるのであらう。そしてその先達の方は、一般の登山者たちがテントを張って泊まりゴミを残していくなど、山に対する畏敬の念がないといふことを深く嘆いてゐた。

 

「サンゲサンゲ、六根清浄、お山は晴天、六根清浄」と唱へながら登るのである。何とも清々しいと言ふか、清浄な心になった。

 

その時にいただいた『御嶽山要集』といふお教本を今も大切にしてゐる。毎晩寝る前のその教本に収められてゐる『般若心経』と『祈願』を唱へてゐる。

 

その教本の内容は、まさに神仏混淆であり、「不浄の祓」「座付きの祓」「天地清浄の祓」といふ御祓ひの言葉、「御膳神酒祝詞」「天津祝詞」「中臣の祓」などの祝詞、仏教の「光明真言」「仏説聖不動経」「摩呵般若波羅蜜多心経」などのお経が収められてゐる。

 

この教本の巻頭には「千早振る ここも高天の 原なれば あつまり給へ 四方の神々といふ歌」が記されてゐる。木曽御嶽山の山頂は高天原であるといふ信仰である。さらに巻末に「南無帰命頂礼大日天子、天照坐日大御神爲度衆生故。普照衆生故」といふ「合唱唱文」が書かれてゐる。

 

木曽御嶽山は日本山岳信仰の聖地である。そしてその信仰は、日本伝統信仰そのものである。その懐かしくも有難い御嶽山で、悲しくも凄惨なる自然災害が起こってしまった。お亡くなりになった方々のご冥福を心より祈念申し上げます。

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千駄木庵日乗十月一日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理など。

この後、施設に赴き、母と共に過ごす。私が行くと本当に喜んでくれる。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事。次号の企画立案。原稿執筆など。

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2014年10月 1日 (水)

日本の道義精神と『現行占領憲法』の人権規定

   『日本国憲法』の三原理の一つは、「基本的人権の尊重無である。そして「第十一条  国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」「第十三条  すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と規定されている。そして数多くの「権利」が保証され、『日本国憲法』に規定されている国民の義務は、「納税」のみである。 

 

 

「人権の尊重」は極めて大切である。しかし、権利ばかりが重視され、国民としての義務は全く無視されるというのはやはりおかしい。特に「すべて国民は、個人として尊重される」という規定は違和感を覚える。

 

 「個の確立」という美辞麗句があるが、それは有り体に言えば、「自分さえ良ければいい」という考え方である。これは、<滅公奉私>の心といってよい。

 

 

 

 戦後日本で言われ続けて来た「個の確立」「主体性の確立」は<戦後民主主義>の精神的支柱であるが、「個」や「自我」というものを如何にとらえるかが大事である。正しき人間観・國家観の確立なくして、正しき「個の確立」も「主体性の確立」もあり得ない。道義精神なき「個の確立」は欲望民主主義に陥り、正しき國家観なき「個の確立」は利己主義となる。

 

 

 

 戦後日本は「愛國心」とか「國家への忠誠」ということを「悪」として否定し、「みんなのため」とか「國のため」という意識が希薄になっていると言われてきた。しかし、今回の東日本大震災において、必ずしも日本人が「みんなのため」という精神を忘却しているわけではないことが立証された。

 

権力國家を統制するのは成文法と権力であるが、信仰共同体國家は信仰と道義が基本である。そしてその中心者が天皇であらせられる。わが國の道義精神の中核は天皇にまつろい奉るか否かにある。

 

 

 

今上陛下がいかに国民の幸福と国家の平安を祈られているかは、東日本大震災に於ける被災者の方々や公務で亡くなられた方々への慰霊と激励の御行動を拝すれば明らかである。天皇は日本国の道義精神の中核であらせられる。

 

 

 

 西欧において理性的存在者たる自我を拡張し、或いは自我を実現することを根本と考えるのとは対照的に、わが國では『私』を去り『我』を無にすることを大切にしている。天皇は、日本民族の長い歴史の中で、清明心の根源、無我の体現され、日本人の『道』の中心者として君臨されてきた。これは、日本人だけでなく、全人類のかけがえのない宝である。

 

 

 

 

 

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自然に宿る神や霊魂を畏敬する心を復活することが大切

東日本大震災における大地震・大津波・原発事故、そして今回の木曽御嶽山噴火などを見て、和辻哲郎氏が、その著『風土』において次のように論じているのを思い出した。

 

「我々は自然の合理的な性格と非合理的な性格とのいずれが著しく目立っているかによって芸術に著しい相違が現われて来たのを見る。…ヨーロッパにおいては、温順にして秩序正しい自然はただ『征服さるべきもの』、そこにおいて法則の見いださるべきものとして取り扱われた。……自然が最も重んぜらるる時でも、たかだか神の造ったものとして、あるいは神もしくは理性がそこに現われたものとしてである。しかるに東洋においては、自然はその非合理性のゆえに、決して征服され能わざるもの、そこに無限の深みの存するものとして取り扱われた。人はそこに慰めを求め救いを求める。特に東洋的なる詩人芭蕉は、単に美的にのみならず倫理的に、さらに宗教的に自然に対したが、そこに知的興味は全然示さなかった。自然と共に生きることが彼の関心事であり、従って自然観照は宗教的な解脱を目ざした。かかることは東洋の自然の端倪すべからざる豊富さをまって初めてあり得たことであろう」。

 

ヨーロッパの自然は、比較的温順にして秩序正しいので、神が創造した自然は、神の創造物の中で最も高い地位にある人間によって支配され改造され利用されてよいという思想が生まれた。これがヨーロッパの自然観である。こうした自然観が、自然を改造し利用して科学技術を発達させたが、自然破壊につながった。

 

日本をはじめとした東洋の自然は比較的厳しいので、人間は自然と共生し、自然を畏怖すべきものとして接してきた。そして自然を「神」として拝み、信仰の対象にした。

 

東日本大地震と大津波、御岳山噴火は、まさに自然の非合理の極であり、人間が自然を征服するどころか、自然が人間を征服することを実感させた。

 

われわれ日本人は、これからも自然と共に生きる姿勢を保っていかなければならない。人間の力が自然を征服するなどという傲慢な考え方を持たず、自然の命を尊び、自然に「神」を見なければならない。ただし、自然に宿る神々には、和やかな神もおられれば、荒ぶる神をおられるのである。

 

津田左右吉氏は「萬葉歌人の自然に対する態度についていふべきことは、自然を我が友として見、無情の生物を人と同じく有情のものとすることである。」(『文学に現はれたる我が国民思想の研究』)と論じている。

 

「有情非情同時成道、山川草木国土悉皆成仏」といふ「天台本覚思想」は、まさに古代日本の信仰精神を継承し、仏教的に展開した思想である。

 

古代日本人は、人生も自然であり、人の生活は自然の中にあるものであって、人間は自然の摂理と共に生きるべきと考えた。だから西洋のように「自然を征服する」とか「自然を改造する」などという考え方は本来なかった。

 

「山びこ」(山の谷などで起こる声や音の反響)のことをこだま即ち「木霊」「木魂」といふ。山野の樹木に霊が宿るという信仰から出た言葉である。まさに日本人は、山野に霊が宿っていると思い、深山幽谷は古代人の眼から見れば、精霊の世界だったのである。

 

こうした信仰精神を今日に蘇らせることが自然保護の最高の方策である。法令や罰則の強化は必要ないとは言わないが、それ以前に、自然に宿る神や霊魂を畏敬する心を復活することが大切である。それには、古代日本人の自然観が表白されている日本神話の世界や『萬葉集』の自然詠の精神に回帰することが大切である。

 

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千駄木庵日乗九月三十日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆の準備。

午後五時より、永田町のザ・キャピトルホテル東急にて、コンラート・アデナウアー財団日本事務所主催『国際会議・エネルギー効率ー日欧における今後の可能性』開催。コンラート・アデナウアー財団代表・パウル・リナーツが開会の挨拶。山崎琢夫氏(経済産業省資源エネルギー庁電力・ガス事業部電力改革推進室企画官)が「日本におけるエネルギー市場の改革」、ボール・ミッドフォード氏(ノルウェー科学技術大学教授)が「欧州における再生可能エネルギー開発ースカンジナビアを例にー」、ゲルハルト・ファーソル(ユーロテクノロジー・ジャパン代表取締役社長)が「日本のエネルギー効率ーヨーロッパの視点と協力の可能性」と題して、それぞれ講演。活発な質疑応答が行われた。この後、懇親会。鉄鋼関係の技術者の方からきわめて興味深いお話を伺った。

帰宅後は、資料の整理。

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