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2014年9月10日 (水)

現御神信仰は今日においても「生きた真実」である

天皇を「日の御子」「天津日嗣日本天皇」と申し上げるのは、天皇が日の神の御神威を継承して日本國を統治されるお方であるといふことである。「天津」は高天原からの天津神から継承されてゐる神聖な、といふ意で、「日嗣」は天照大神から傳えられた「日霊」を継承するといふ意である。天皇は、即位の大礼・大嘗祭・新嘗祭を通して日の神=天照大神の神威・霊威を体現される御存在となられ、天照大神の「生みの御子」即ち「現御神」として君臨されることとなる。

 

天皇は、血統上は先帝から今上天皇が皇位を継承するのであるが、信仰上は御歴代の天皇お一方お一方が天照大神の「生みの御子」であらせられる。皇祖・天照大神との御関係は、邇邇藝命・神武天皇・今上天皇も同一である。これを「歴聖一如」と申し上げる。

 

地上に天降られた邇邇藝命は肉身としての皇統の祖として祭られ、南九州に御陵が鎮まってゐる。天照大神は皇祖神として伊勢の神宮に祭られている。

 

この尊い事実を會澤正志斎は、「神州は太陽の出ずる所、元気の始まる所にして、天日の之嗣、世(よよ)宸極(しんきょく)を御し、終古易(かは)らず」(『新論』)と言った。日蓮も「日本國の王となる人は天照大神の御魂の入代らせ給ふ王なり」(『高橋入道殿御返事』)と言ってゐる。現御神信仰・現人神信仰は決して近代日本において人為的オロギーとして作られたものではないのである。   

 

神々の中で最尊・最貴の神と仰がれる天照大神の御子であられる日本天皇は、雨の神・雷神などの自然神を従へられる御存在であるといふのが古代からの日本人の信仰であった。それは今日においても自然な日本傳統信仰として生き続けている。

 

昭和天皇は、昭和三十五年に、

さしのぼる 朝日の光り へだてなく 世を照らさむぞ わがねがひなる

 

と歌はれ、同三十四年には

 

あなうれし 神のみ前に 日の御子の いもせの契り 結ぶこの朝

 

と詠ませられてゐる。この二首の御製は天皇および皇太子は「天照大神の生みの子」即ち「日の御子」であるといふ御自覚を歌はれてゐるのである。

これらの御製を拝すれば、昭和天皇が「昭和二十一年元旦の詔書」においていはゆる「神格」を否定され「人間宣言」をされたなどというふ説が大きな誤りであることが分かる。天皇が現御神であらせられるといふことは古代日本人がつくりあげた「架空なる観念」ではなく、今日唯今においても「生きた真実」なのである。

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