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2014年9月 9日 (火)

天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神について

 『古事記』冒頭の「天之御中主神」をいかに把握するかは、日本神道を考へる上で、非常に重大な問題である。

 

『古事記』冒頭には、「天地初發の時、高天原になりませる神の名は、天之御中主神。次に高御産巣日神、次に神産巣日神。この三柱の神は、みな独神になりまして、身を隠したまひき」と示されている。

 

 日本神話においては神の御名が大きな意義を持つ。古代日本人は、神秘的信仰的な感動をもって神の名を付つけたのである。「天之御中主神」という御名は、日本人の壮大な神観・宇宙観を表している。「天」の「御中」の「主」の神である。大國主・大物主という神がいますごとく、日本人は「主(ぬし)」に対する尊敬心が深かった。天之御中主神は、「大宇宙の中心にいます主宰神」と申し上げて良いと思う。

 

 しかもこの神は、「天地初發の時」に「高天原になりませる神」である。天と地が初めては開かれた時に高天原に成りました神である。天地を創造したのではなく、天地と共に「なりませる(遍在する)」神である。「創造」は創造する神と創造された物が隔絶した関係となるが、「生成」(なりませる)は神と天地萬物萬生は根源的に一体関係であるとして把握される。つまり、天之御中主神は「天地の生成の本源神」として把握されている。

 

したがって単に日本民族特有の神あるいは単なる祖先神・自然神として把握されるべきではない。仏教の久遠の仏、キリスト教などの唯一神(怒りの神・妬みの神ではなく愛の神としての唯一神)と本質的には同じ存在であると把握すべきである。

 

さらに『古事記』には、天之御中主神の次に高御産巣日神、神産巣日神の名が示されている。そして「この三柱の神は、みな独神になりまして、身を隠したまひき」と示されている。天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神の三神は、独り神すなわち“唯一神”であり、宇宙の根源神としてと書かれている。この三柱の神は「造化の三神」といわれるが、宇宙根源神・絶対神の「中心帰一」「多即一・一即多」「むすび」の原理を神の名として表現したのである。

 

この三柱の神は、天地宇宙の萬物萬生の普遍的根源神であるから、特定の個別化されたお姿を現されることはなく御身を隠されるのであるのである。だから、「みな独神になりまして、身を隠したまひき」と示されているのである。

 

日本國の神社には、太陽神・皇室の祖先神であられる天照大御神や、その弟神で豊饒神であられるの須佐之男命などをお祭りした神社は多いが、天之御中主神を個別神として祭った神社は非常に少ない。

 

天之御中主神は、唯一神であると共に八百萬の神々の「根源神」であられる。<一即多・多即一>の神であり、最高唯一神であるとともに萬物・萬生包容の神である。無限の可能性を有する大いなる宇宙主宰神・宇宙本源神が天之御中主神である。八百萬の神々は天之御中主神が無限の姿に現れ出られた神々である。

 

天之御中主神と一体の関係にある高御産巣日神、神産巣日神は、ムスビの神であり結合の原理であって、結びということが可能なのは“本来一つ”であるからなのである。この“結びの原理”(それは愛・和合・調和・合一と言い換えても良いと思う)というものが絶対神の中に、既に内包されているのである。天之御中主神は単なる理念の神ではなく、愛・和合の神と一体のである。

 

また、日本神話においては、神が天地を創造するのではなく、天地は神と共に「なりませる」存在なのである。天地・國の生成は、絶対神のうちに内在する“結びの原理”の展開としてあらわれてくるのであって、日本的思惟においてはすべて“一”をもって“創造の本源”とし、そこから無限の生きとし生けるもの・ありとしあらゆるものが生成するのである。そこに、多即一・一即多・中心帰一という大らかにして無限の包容性を持つ文字通り「大和(やまと)の精神」たる日本的思惟の根源が見出されるのである。

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