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2014年8月 5日 (火)

「お月様」について

次の二首は「百人一首」に収められてゐる歌である。

 

清原深養父(きよはらのふかやぶ)

 

夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ

 

「夏の夜は、まだ宵のうちだと思っているうちに明けてしまったが、雲のどの辺りに月は宿っているのだろうか」といふ意。

 

『古今和歌集』所収。「月のおもしろかりける夜、暁がたによめる」との詞書がある。「おもしろかりける」とは、月に感興をそそられる意。作者が月見をしていた夏の夜明けに、夏の夜が短いことへの驚きを詠んだ。あまりにも早く夜が明けたので、月はまだ沈むことが出来ず、雲に隠れたのだろうと表現したところに面白さがある。

 

【宵】日没からしばらくの間のことで、夏なら午後七時から

九時くらいの間。【ながら】状態の継続を表す接続助詞で、「~のままで」。【明けぬるを】明けてしまったが。【宿る】月を擬人化している言葉。

 

清原深養父は清少納言の父・清原元輔の祖父。延長八年(九三〇)従五位下。中納言兼輔、紀貫之などと交流があり歌壇で活躍。琴の名手。晩年は、洛北の大原近くに補陀落寺を建て隠棲。

 

大江千里 

 

月見れば ちぢにものこそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど

 

「秋の月を眺めてゐると、色々なことが限りなく悲しく感じられることだ。秋は私一人だけのために来たのではないのだが」といふ意。

 

『古今和歌集』所収。秋という季節の独特の感傷を理知的に詠んだ。『白子文集』(唐の文学者・白居易の詩文集)の詩句「燕子楼中霜月の夜 秋来りて只一人の為に長し」がもとになってゐると言う。漢詩を和歌に移し替えただけでなく、秋の夜の寂しさが伝ってくる。

 

 

【ちぢ】千々。さまざまにの意。【もの】もの悲しいのもので作者をとりまく様々な事象。【こそ】強意の係助詞。【わが身一つの】私一人だけの。上の句の「ちぢ」と鮮やかな対照になっている。

 

 

大江千里(おおえのちさと)は、生没年未詳。平安前期の歌人、漢学者・漢詩人。阿保親王の孫。在原行平・業平の甥。宇多天皇の勅命により『句題和歌』を編纂。

 

自然は美しい。特に「月」は、日本人が歌に俳句によく詠む自然景物である。

月を眺めて楽しむことを月見と言ふ。月見は、主に旧暦八月十五日から十六日の夜(八月十五夜)に行はれる。野口雨情作詞・本居長世作曲「十五夜お月さん」といふ童謡もある。この夜の月を「中秋の名月」と言ふ。

 

折口信夫氏は次のやうに論じてゐる。「月見の行事の心の底には、昔から傳ってゐるお月様を神様と感じる心が殘ってゐる。さういふ風に昔の人が、月夜見命などゝいふ神典の上の神とは別に、月の神を感じて居り、その月の神に花をさしあげるのが、月見といふのです。月見はお月さんのまつりのことです。……神が天から降りて來られる時、村里には如何にも目につく様に花が立てられて居り、そこを目じるしとして降りて來られるのです。昔の人はめいめいの信仰で自分自身の家へ神が來られるものと信じて、目につくやうに花を飾る訣なのです」(『日本美』)

 

この折口氏の論述で注目されるのは、日本人の多くは、月夜見命といふ神典の上の神とは別に、月の神を感じていたとしてゐることである。これは一体どういふことか。

 

上代から今日に至るまで、日本人は月を愛で、月を拝み、月を歌って来た。しかしそれは、『記紀』に登場する「月夜見命」を拝んだり祭ったり歌ったりしてきてゐるのではないと言ふのである。たしかに、月夜見命は、同じ三貴神である天照大御神・須佐之男命と比べると、祀られてゐる神社もは少ないし、神話や伝説への登場も少ない。これは重要なことなので、これから勉強してみたい。

 

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