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2014年8月30日 (土)

人類の危機と日本伝統信仰

今日の人類の危機を打開するためには、合理的発想を重んじるとともに、科学技術・物質文明に偏した考え方を改めて、人間の精神性の復活・内面から発する情念の正しき統御が大事なのである。合理主義やある一人の人の説く教義で全ての世界が説明できるという傲慢な考えを捨てて、壮大なる宇宙の神秘=無限の可能性は、人間の理性や知能によって全てが説明できるものではないという謙虚な姿勢を持つべきである。ここに宗教の必要性が生じてくる。

 

 先進諸国の<近代合理主義>を根底に置いた物質文明及び経済至上主義の行きづまりによる今日の混迷を打開するためには、正しき「宗教精神」への回帰が大切である。

 

 しかし、「宗教精神」への回帰とは、安易にしていかがわしい神秘主義や狂信的な教団宗教へのよりかかりであってはならない。むしろそうしたものを厳しく否定しなければならない。

 

 仏教・キリスト教・マホメット教は、一個人を教祖とし、教団を組織する。そして信者その教祖と教団に依存している。日本の新宗教・新々宗教ももちろんそうである。そうした教団宗教は、往々にして排他独善の姿勢に陥りやすい。世界の宗教史は宗教戦争の歴史といっても過言ではない原因はここにある。

 

 日本伝統信仰すなわち神道には教祖がいない。教典もない。ただ「神への祭り」を行い、「神の道」に随順して生きる事を大切にしている。これが、わが国の伝統的な信仰精神の基本である。つまり日本神道の本質は、特定の人物によって書かれた教条・教義の中には無いのである。文字通り「神」及び「道」のそのものの中にあるのである。我々日本人は、その「神」を祭り「神の道」を現実に生きることによって宗教的安穏を得るのである。

 

 今日の日本人には、西洋精神の影響を受けて自然への畏敬の念を失ってしまった人が多いが、古来、日本人は自然を神として拝み尊んでいた。これは一種の神秘思想と言っていい。そうした日本民族が継承してきた伝統的な正しき信仰精神を正しく継承し現代において生かす事が必要なのである。

 

 日本の伝統信仰は自然神秘思想であることは間違いないが、全てを神や仏という絶対者の支配に任せ、科学的思考・合理的思考を拒絶するという考え方ではない。

 

 日本の古代から継承されてきた「道」(注・古来日本の伝統精神を「道」と称してきたのは、日本の伝統精神はある特定の人物によって説かれた「法」でもなければ「教義」でもないからである。「道」というものは、釈迦や孔子などが出現して法や教条を説く以前からする以前から厳然として存在していたのである)は、実に合理的にして科学的な考え方である。ただ人間の作り出した科学技術や人間が発見した<合理的法則>というものが全てを解決するという傲慢な考え方を否定するのである。

 

 「神への回帰」「自然への畏敬」という精神性を重視した世界観・文明観を確立することが、これからの人類の生存のために不可欠である。であるがゆえに、神道(神ながらの道)という精神伝統を保持する日本が、新しい文明を切り開いていく可能性が非常に高いのである。

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千駄木庵日乗八月三十日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』の仕事など。

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『第四十三回日本の心を学ぶ会・「政治と宗教を考える」』のお知らせ

明日、下記のような会合がございますのでお知らせ申し上げます。

             〇

『第四十三回日本の心を学ぶ会・「政治と宗教を考える」』のお知らせ

我が国には届け出のある宗教法人だけで約182000もの団体があるそうです。

信者の数を背景とした宗教団体の資金力、集票マシーンとしての力は大変に大きく、日本社会にさまざまな影響をおよぼしています。

教育や福祉の分野でその影響力の大きさをみることも大きいのですが、宗教団体がその力を最も社会に見せるのは主に選挙で示す政界への影響力で

はないでしょうか?

創価学会や幸福の科学のように自ら政党を組織して直接的に政治へ進出するだけではなく、特定の政党を選挙で応援することで政治に影響力を及ぼそうとする宗教団体は数多くあります。

このような政治への進出に政教分離という点から様々な意見があることも事実です。

しかし、政治も宗教も人間の根源的な思想、世界観を領域としているという点で共通性があります。

宗教が国民の統合に大きな役割を果たしていることは明らかであり、アメリカで聖書に手を置いて宣誓し大統領就任式を行うことはその一つの例です。

教団の理想とする社会の実現のためには政治的な力が求められ、各国の民主化運動や各民族の独立運動が宗教組織と密接に関係していることも珍しくありません。

政治と宗教は高度なレベルでお互いに影響しあっているといえます。

そこで今回は、現代のさまざまな問題と宗教教団について勉強したいと思います。

これまで宗教団体の成長の背景には、日本社会の抱える矛盾、いわゆる「貧、病、争」がありました。

こうした問題をかかえる人々を対象としていたという点で、創価学会と共産党が競合していたというのもうなずけます。

また巨大宗教団体は一種の生活共同体として機能してきたのです。

しかしこうした教団にかつての勢いはないようです。つまり現在の宗教団体は現代の課題にうまく応えていないようです。

かつての「貧、病、争」は社会福祉の充実などで一定の解決を遂げたといえます。

しかし現在には現代の課題があり、かつてとは形を変えて「貧、病、争」も、いまだに日本に存在します。

社会に矛盾があり、人間が救いを求めるかぎり宗教はなくならず、現代の教団もまた新しい使命を与えられることになりそうです

今回の勉強会ではこのような現代における宗教団体の使命についても検討したいと思います。

四宮正貴先生には「宗教は現代を救えるか」瀬戸弘幸先生には「創価学会について」というテーマで講演していただきます。

皆さんお誘い合わせのうえご参加ください。

 

【日 時】平成26831日(日)午後600分より

 

【場 所】文京区民センター2-B会議室

東京都文京区本郷 4-15-14 地下鉄春日駅 下車1分(大江戸線、三田線)後楽園下車3分(丸の内線、南 北線)JR(水道橋)

 

【演 題】 第一部 創価学会について 瀨戸弘幸先生 BLOG日本よ何処へ

 

第二部 宗教は現代を救えるか 四宮正貴先生 四宮政治文化研究所 

 

【司会者】林大悟

 

【参加費】資料代500円終了後、近隣で懇親会(3千円くらいの予定です)

 

なお、この案内文は主催者が作成したものです。

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わが國の外来文化・文明包容摂取の基盤は太古以来の祭祀である

日本は、外来文化文明を包容摂取して自国を発展させてきた。島国であったため、外国の軍事侵攻を受けることが少なかった。しかし、大陸から隔絶した絶海の孤島ではなく、大陸との交流もあったので、大陸文化文明とまったく接触できないといふことはなかった。

 

日本民族は決して排他独善的な民族ではない。「島国根性」などといふのは嘘である。島であるからこそ海に開かれた國なのである。古代日本は、海を越えて大陸や朝鮮半島から文化・文明を輸入し包摂してきた。そしてその包摂の中心は天皇・皇室であった。

 

日本は外国と海を隔ててゐたことによって、外来文化・文明を丁度良い具合に取捨選択することができた。

 

大東亜戦争後のアメリカ文化の流入は別として、わが国は外国からの軍事侵略によって無理矢理外来文化文明を押し付けられたことはない。

 

「外来文化・文明を除けば日本にはなにも残らない」と言ふ人がゐるが誤りである。「天地自然と祖靈を神と仰ぐ天皇を祭り主とする信仰共同体」といふ強靭な基盤があったからこそ、儒教・佛教が、日本人の生活に深く染み入り、日本民族の精神的血肉とはなっても、外来思想・外来宗教といふ性格を失ふことはなかったのである。

 

中村元氏は、「人類の歴史を見るに、文化程度の低い民族がかならずしも程度の高い文化を全面的に受容するとはかぎらない。異質的な文化の受容が行われるためには、すでに当該民族のうちに受容を可能ならしめるに足る基盤が用意されていなければならない。」(『日本人の思惟方法』)と論じてゐる。

 

わが國の外来文化・文明包容摂取の基盤・中核精神=日本の独自性は、太古以来の日本人の信仰生活であり祭祀である。

 

つまり天地自然は日本人にとって敵ではなく友であったことが、日本人の精神的基盤である「清らけき明らけき心」「素直な心」「無私の精神」を生んだのである。

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千駄木庵日乗八月二十九日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、施設に赴き、母と共に過ごす。母は私が来たことを泣いて喜んでくれる。明るく振舞っていても、やはり他人の中の生活はさみしいのであろう。

帰途、谷中にて、知人と懇談。

帰宅後は、原稿執筆など。

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2014年8月29日 (金)

今日思ったこと

左翼の馬鹿どもが「ヘイトスピーチを法律と権力で規制しろ」などと言ったものだから、国会周辺のデモも規制する動きになって来た。

自分で自分の首を絞めようとしているのだ。権力側にとっては敵の動きを逆手に取ったということだろう。

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いわゆる「ヘイトスピーチ」に対する法的規制について

特定の民族や人種に対して差別的な街宣活動などを行うといういわゆる「ヘイトスピーチ」について自民党は28日、初会合を開き、今後、法整備も視野に対応策を検討することとなった。

高市早苗政調会長は、「特定の民族を名指しした誹謗中傷というのは、日本人としてやめなきゃいけない、私はそのように確信をいたしております」と述べたと言う。

 

高市さんは、「日本人としてやめなきゃいけない」と言っている。であるのなら、この問題は、あくまでも良識の問題、もっと言えば道義道徳の問題である。

 

会合の座長をつとめる平沢勝栄政調会長代理は、「目に余るにもかかわらず現行法で対応できないなら、新規立法も含めてどのような対応が必要か考えたい」と述べた。しかし。道義の問題・良識の問題を、法律と権力で規制し、強制力を行使して刑罰を課すとことは許されない。『現行占領憲法』第二十一条 「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」に明確に違反する。今はやりの言葉の「立憲主義」を重んじるのなら、「占領憲法」で認められている「表現の自由」はあくまでも守られねばならない。

 

政府自民党は、こんなバカげたことをする前に、支那韓国の反日デモにおける我が国の、天皇陛下や内閣総理大臣に対するに凄まじい冒瀆・侮辱に対して厳正にして毅然とした抗議を行い、場合によっては、国交断絶を断行すべきである。

 

わが国国民の支那・韓国に対する抗議活動において、行き過ぎた表現があったとしても、その原因は、支那・韓国のわが国に対する不当不法な圧迫、侵略行為、領土奪取などにあるのである。そのことの根本的な解決を図ることが、わが国政府が第一にやるべき事である。

 

政府自民党が、わが国がいわゆる「大人の対応」をすれば支那・韓国も変わると考えているとしたら大間違いである。わが国はこれまでずっと支那・韓国に対して「大人の対応」とやらをし続けて来た。しかし、支那・韓国は益々図に乗ってわが国に対して圧迫を加えてきているのだ。この事を政府自民党は正しく認識すべきだ。

 

この文章はまことに不本意ながら、「現行占領憲法」を前提として書きました。ご了承ください。

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『政治文化情報』平成二十六年九月号のお知らせ

四宮政治文化研究所発行・『政治文化情報』平成二十六年九月号のお知らせ

 

『政治文化情報』は、昭和五十九年創刊以来、小生の論考、時局問題などに関する主張、活動状況の報告、各方面から得た様々な情報などを掲載し、それなりの評価を得て来たと自負致しております。
多くの心有る皆様方のご購読をお願い申し上げます。
見本誌御希望の方はご遠慮なくメールでお申し込み下さい。
 

メールアドレス m-shinomiya@max.hi-ho.ne.jp

 

購読料
年間 12000
半年 6000

平成二十六年九月号(平成二十六年八月二十五日発行)の内容

〈皇都の一隅より〉

「月」について

月讀命をお祀りする神社が比較的少ない理由

 

日本人は上代から今日に至るまで、月を愛で、月を拝み、月を歌って来た

 

「月」が歌はれた額田王の歌

 

「月」が歌はれた天智天皇の御製

 

「月」が歌はれた柿本人麿の歌

 

月が信仰の対象として崇められた歴史

 

月の美しさを詠んだ萬葉歌

 

「月」を詠んだ『百人一首』の歌

 

「月」を詠んだ近現代短歌

 

「月」が歌はれた民謡・歌謡曲

 

千駄木庵日乗

深見東州氏「日本文化を知ってもらうため。度胸良く世界にぶちかます、根性で生きることが大事」

 

クリス・ネルソン氏(サミュエルズ・インターナショナル上級副社長、「ネルソン・レポート」編集長兼発行人)「中國は軍事力を使って変化をもたらそうとしている。中國は過剰に自信を持ち、傲慢になった。十九世紀型の帝國主義の主張をするようになっている。二十世紀の最悪の側面を再現しようとしている」

 

高原明生東京大學大學院教授「中國は情報戦に努力している。数多くの人を雇っている。日本との勝負はついている。偏った日中関係の理解がアメリカの中で広がる」

 

沈斯淳台北駐日経済文化代表処代表「台湾は國際社会のピースメーカー、新しいテクノロジーの提供者。中華文化の継承者」

 

この頃詠みし歌

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『萬葉集』の「ますらをぶり」について

『萬葉集』とは「ますらをぶり」の歌集であると、近世(江戸中期)國學者の賀茂真淵が主張した。「ますらをぶり」とは、「男らしく」「日本男児らしく」といふほどの意で、「男性的で大らかな歌風」のことをいふ。さらに、『古今和歌集』は以後の歌風を「たをやめぶり」(女性的で優雅な歌風)と言った。『萬葉集』の「ますらをぶり」の歌とは、

 

舎人皇子御歌

「ますらをや片戀せむと嘆けども醜のますらをなほ戀にけり」

 

がその典型であろう。

 

そして、真淵は「ますらをぶり」とは大和の國を都とした時代(白鳳・天平時代)すなわち萬葉時代の歌風であり、「たをやめぶり」は京都の文化であるとした。しかし、『萬葉集』を「ますらをぶり」だけの歌集だとすることはできない。大伴家持の歌などにはむしろ平安朝の歌風に近い歌も数多くある。

 

それはともかく、賀茂真淵は、和歌は「すめらみくにの上つ世の姿」、つまり萬葉時代に帰らなければならないと主張した。「ますらをぶり」の精神風土を尊重しなければいけないとしたのである。それは平安時代以来続いた「たをやめぶり」への反発であった。

 

真淵は現在の静岡県出身であり、東國の人であった。そして、徳川吉宗の子の田安宗武の和歌の師であったので、武家の美學を昂揚させようとして、「ますらをぶり」「萬葉ぶり」の復活を唱へた。

 

しかし、賀茂真淵の弟子の本居宣長は、『源氏物語』を高く評価し、「たをやめぶり」も日本の文化の大切な流れであるとした。

 

儒教や仏教の影響からか、武士たるもの、戀愛を文學にしてはならないといふやうな風潮が生まれた。語ってもいけないといはれた。「男女の愛」を文や歌に表現することは武士のやることではないとされるやうになった。

 

しかし、神話時代や古代日本においては、武士の元祖のやうな方であられる須佐之男命や日本武尊は、戦ひの歌・「ますらをぶり」の歌と共に、戀愛の歌を大いに歌はれた。天智天皇・天武天皇そして藤原鎌足も戀歌を歌った。

 

わが國の「ますらを」は大いに戀愛をし、戀を歌った。須佐之男命が妻を娶られた時の喜びの歌である

 

「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣つくるその八重垣を」

(多くの雲が湧く。出で立つ雲の幾重もの垣。妻ぐるみ中に籠めるやうに幾重もの垣を作る。ああその八重垣よ、といふほどの意)

は、和歌の発祥とされてゐる。

 

古事記・萬葉の世界では、「武」「歌」「戀」の三つは一体なのである。わが國文學は戀愛が大きな位置を占める。男女の愛情を尊んだ。『萬葉集』の戀愛歌・相聞歌を見ればそれは明らかである。  

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千駄木庵日乗八月二十八日

午前は、諸雑務。

 

午後は、『伝統と革新』の原稿執筆。

 

西新宿にて、『伝統と革新』編集実務担当者と打ち合わせ。

 

午後六時より、西新宿の東京都庁舎・都民広場「第十六回東京大薪能」開催。半田晴久氏が。「入門能楽鑑賞講座」と題して講演。つづいて「能  高砂(たかさご)尉/住吉明神 …渡邊荀之助(宝生流」・「狂言 仏師(ぶっし)すっぱ …善竹十郎」・「能  是界(ぜがい)是界坊 …辰巳満次郎(宝生流)」の公演が行われた。

帰宅後も原稿執筆。

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2014年8月28日 (木)

日本固有信仰と仏教の受容

 『日本書紀』によると、わが国への仏教公式的な伝来は、欽明天皇十三年(五五二)とされ、百済の聖明王が、欽明天皇に釈迦仏像や経典を献じた時であると記されてゐる。しかし、別の説ではそれは欽明天皇七年(西暦五三八)のことだったとされる。

 

『日本書紀』によると、この時、欽明天皇は、仏像の美しさに驚嘆され次のように仰せになったと伝へられる。「西蕃(にしのくに)の献((たてまつ)れる仏の相貌瑞厳(みかおきらきら)し、全(もは)ら未だ曾て看ず」。

 

日本の固有信仰は自然そのものそして祖霊を神として信仰するのだから、仏像などのような美しく威厳のある姿を表現した偶像を造りそれを「神の像」として礼拝することはなかった。だから百済の王様から献じられた金色燦然とした仏像を見て、その美しさに驚嘆したのである。仏教への驚異の念は仏像に対する驚異だったと言へる。

 

またここで注目すべきことは、日本に仏教を伝へた支那や朝鮮を「中華思想」の言葉を用いて「西蕃」(西方の未開人といふの意)と表現してゐることである。日本を「中華」とし支那・朝鮮を「西蕃」としたのである。これは、日本の独立性・自主性の高らかな誇示であり、支那・朝鮮から多くの文化・文明を輸入してゐた『日本書紀』編纂当時にあっても、日本人は支那・朝鮮の属国意識を持ってゐなかったことの証明である。

 

欽明天皇が、仏教を採用するかどうかを群臣に諮問あそばされた際、仏教受容を支持した蘇我稲目(仏教を日本に伝へた百済系の渡来人といはれてゐる)は「西蕃諸国、一に皆之を礼(いやま)ふ。豊秋日本(とよあきつやまと)、豈に独り背かむや」と答へた。つまり、「西方の蕃人の国々も信仰してゐるのだから、わが国でも信仰しても良いのではないか」といふ意見である。

 

本居宣長は日本人が神として崇める対象を「尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳がありて、可畏(かしこ)きもの」としてゐる。

 

欽明天皇の御代に外国から到来した仏像もさうした外来の「神」であった。だから『日本書紀』は「仏」とは書かず「蕃神」と書いたのである。

 

「蕃神」と名付けられた「仏」も、日本人にとっては「神」なのだから固有信仰の「神」とそう矛盾するものではなかった。「異国の蕃神」も「世の常にない徳と力」があるのだから崇拝してもいいではないかといふのが、当時の日本人の基本的な態度だった。日本人にとって仏とは八百万の神が一神増えたといふ感覚であったと思はれる。

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千駄木庵日乗八月二十七日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、施設に赴き、母と過ごす。

帰宅後は、資料の整理など。

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2014年8月27日 (水)

強靱にして自由な日本民族の伝統的な文化感覚を発揮して、危機的状況を打開していかなければならない

米ソ二超大国による冷戦構造が崩壊した後、世界は平和になったかと言うと決してそうではなく、むしろ、民族問題・領土問題・資源問題・宗教問題などで冷戦どころか熱い戦ひが世界各地で起ってゐる。

 

また、多くの国家が世界を一つの市場として利害を共有すれば、世界規模の戦争勃発の危険性を大きく低下させ平和が実現するといふ考へ方がある。いはゆるグローバリズムである。そして、日本はグローバリズムの波に呑み込まれてしまふかのように言はれてゐる。

 

しかし、現実には、各国の利害が衝突すると共に、持てる国と持たざる国との格差が広がってゐる。また無資源国が高値で資源購入を余儀なくされる状況になりつつある。

 

そしてグローバリズムの市場共有を放棄し武力行使をする国が再び出始める可能性も生ずる。つまり、再びブロック経済が第二次世界大戦を勃発させた時に近い状況になりつつある。地球の一体化を目指すといふグローバリズムが逆に世界平和実現を阻む大きな要因になってゐる。

 

さらに、わが日本は、共産支那の中華帝國主義の暴虐が渦巻くなかにあって、祖国の独立と安全を守るために必死になって戦はなければならない。しかるに、日本国民の多くは日本の傳統精神、國體精神を忘却し、自信を喪失し、日本は内部から破壊されつつある。

 

しかし、日本がかかる危機的状況に陥ったのは、今が初めてではない。飛鳥・奈良時代も、江戸時代末期も、今日と同じやうな危機に遭遇した。そしてわが國はその危機を乗り切った。

 

飛鳥・奈良時代にも、今日で言ふグローバリズムの波がわが国に押し寄せて来た。しかし、日本はそんな波に呑みこまれることなく自立した国家を作り上げた。

 

飛鳥・奈良時代は、儒教や仏教をはじめとした外来文化・文明が怒涛の如く日本に流入してきた。日本は、さうした言はば当時のグローバリズムをたくみに対峙しつつ、日本独自の文化と政治を確立した。そして平安時代といふ長きにわたる平和の時代を招来せしめた。

 

日本の歴史の中で長期にわたって続いた平和な時代が二つある。平安時代の三五〇年と江戸時代の二五〇年である。これほど長期にわたって平和を持続させた国家は世界史的にも日本だけである。

 

また、江戸時代末期にも、同じような危機に際会したが、明治維新を成し遂げ、日本の独立を守り、近代化を遂げた。

 

つまり、わが国の歴史は、今日で言ふグローバリズムと対峙し、それを克服し、国家民族の独立と栄光を維持し発展させてきた歴史である。

 

その最大の要因は、天皇・皇室を祭祀主と仰いで國の統一と安定を確保するといふ強靭なる日本國體精神である。日本民族がグローバリズムの波に呑みこまれることなく、外来文化・文明を自由に柔軟に受け容れ、自己のものとしさらに発展させた基盤の中核が、天皇・皇室のご存在である。

 

わが國の建国の精神は、「八紘爲宇」の精神である。これは、世界は色々な民族・国家が連帯し共存する一つの家であるといふ精神である。また近代日本の父と仰がれる明治天皇御精神は、「四海同胞」の精神である。これは、世界の民は兄弟であるといふ精神である。日本は本来的に言葉の真の意味における平和国家である。

 

日本はその傳統信仰の靈的精神の偉大なる包容力によって、よく他國の宗教・文化・文明を取り入れてそれを融和せしめ洗練して、強靱にして高度な日本文化として開花せしめる力を持ってきたのである。

 

世界各国各民族にはそれぞれ伝統精神・傳統文化を保持している。世界の愛国者は、各国各民族の個性・立場・歴史・傳統を尊重し合ひ、真の意味の平和な世界を実現しなければならない。

 

現代日本においても、この強靱にして自由な日本民族の伝統的な文化感覚を発揮して、危機的状況を打開していかなければならない。

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千駄木庵日乗八月二十六日

午前は、諸雑務。

昼は、知人と懇談。内外の諸情勢について意見交換。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

夕刻、上京された同志と懇談。

帰宅後は、資料の整理など。

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2014年8月26日 (火)

わが国政府は、『極東國際軍事裁判』を受け入れてはいない

靖國神社にいわゆる「A級戦犯」が祀られていることが、共産支那・韓國そして亡國政治家・偏向マスコミ・反日勢力の攻撃材料になっているのだが、そもそもわが國には「戦争犯罪人」は一人もいない。「戦争犯罪人」といわれる人々は、平和条約締結以前に行なわれ戦争状態の継続であり戦争行為の一部である『極東國際軍事裁判』という名の戦場で戦い、斃れた方々であって、立派な戦死者であり昭和殉難者である。「英霊」「戦死者」として靖國神社に祀られるべき方々である。

 

『サンフランシスコ平和条約』第十一条には、「日本國は、極東國際軍事裁判所並びに日本國内及び國外の連合國戦争犯罪法廷の裁判を受諾し」とある。この日本文の条文は、「判決」という意味の「judgments」を「裁判」と訳した誤訳であり、正しくは「判決を受諾し」である。その意味は、判決で禁固刑を言い渡された人で刑期を終わっていない人の刑をそのまま執行する義務を日本政府が約束したに過ぎない。だからこそ、昭和二十七年十二月九日の國会において、『戦争犯罪による受刑者の釈放などに関する決議』が左右社会党を含む圧倒的多数で可決されたのである。二十八年八月には、社会党を含む全会一致で『戦傷病者戦没者遺族など援護法』が部分改正されいわゆる「戦犯遺族」に対しての遺族年金と弔慰金が支給されるようになった。同時に『戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議』が再度可決された。

 

わが國政府は、「極東國際軍事裁判を受け入れた」という全く誤れる判断を速やかに撤回すべきである。『極東國際軍事裁判』そのものが國際法を無視した復讐劇にすぎなかったのだから無効である。そのようなものにわが國が拘束される必要はない。『A級戦犯』といわれる方々こそ、英霊であり殉國の御霊であり昭和殉難者なのである

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千駄木庵日乗八月二十五日

午前は、諸雑務、『伝統と革新』編集の仕事。

午後は、資料の整理。

この後、施設に赴き、母と過ごす。

帰宅後は、原稿執筆。

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2014年8月25日 (月)

安倍晋三氏と石破茂氏の対立について

安倍晋三氏と石破茂氏は、その基本的国家観・歴史観が異なる。石破氏は、靖國神社に昭和殉難者が祀られていることに反対であるし、基本的に大東亜戦争は日本の侵略だったと考えている。

 

また、安倍氏と石破氏とは基本的な仲があまり良くないのではないか。第一次安倍政権で安倍氏が退陣に追い込まれた時、議員総会で石破氏が安倍氏を厳しく糾弾したというか、激しく罵った。私はその場面をテレビで見た。病身の人、同じ政党の人・自分が属する政党の総裁に対して、これはひどいと思った。安倍氏もこの事は忘れていないと思う。

 

今は国難の時期である。安保国防問題で、政権政党のトップとナンバーツーの意見が合わないというのはまことに困ったことである。また、今後醜い権力闘争に発展する危険がある。

 

安倍氏の次が石破氏であると言われている。石破氏は焦る必要はない。安倍氏も、特に瑕疵はなかったのだから石破幹事長を無理に更迭する必要はない。安倍・石破両氏は自重してもらいたい。民主党・社民党・結いの党などの野党に政権が渡ることは絶対に避けなければならない。

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千駄木庵日乗八月二十四日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して原稿執筆、資料調査など。

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2014年8月24日 (日)

呉竹会アジアフォーラム」における西村眞悟衆院議員の講演内容

六月十七日に行われた「第四一回・呉竹会アジアフォーラム」における西村眞悟衆院議員による「日本再興論-甦れ日本精神」と題する講演内容は次の通り。

 

「与党で集団的自衛権の議論をしている面々の面を見ると笑わざるを得ない。自衛権に個別的も集団的もない。制空権・制海権がわが国の生命線。広大な海域を守らねばわが国の存立はない。ミサイルと空軍基地を建設すればわが国は安全。わが国の防衛ラインは大陸から敵基地の背後であり、そこを撃滅しなければわが国の安全はない。

 

『永遠の0』を五百万人の若者が讀んだ。我々も同じことをすると思って讀んだ。田母神俊雄が六十万票を得たのも大きなうねりの一つ。石原・平沼が真の保守の決戦に乗り出す。草莽崛起。

 

制海権・制空権を取られたらわが国は屈服する。台湾はわが国の生命線。わが国に連合艦隊をつくる。尖閣に核兵器の基地をつくられたらシーレーンを奪われる。中共はそれを狙っている。習近平は尖閣を一夜にして取ろうとしている。わが国の哨戒機に対してスホイが出て来た。やるべきことを実行すべし。

 

結いの党の江田は『国粋主義はいらない』と言った。レッテル貼りである。中共の軍事的圧力に対して、わが国内に利敵行為をする者がいる。

 

中国人にとって日本人は死んでも死なぬと思っているから恐ろしい。日本人は天皇陛下のために死ぬから恐ろしい。死生観を回復すべし。多くの警察官が津波に向かって走って行ったのを見ている。原発の上から水を落としたパイロットがいる。死ぬことを恐れない。大義のために死ぬことができるのが日本人。

 

明治元年(1868年)、明治天皇は湊川神社創建の勅命を下された。これこそ日本人の死生観を象徴する。楠公の七生報国の精神、西郷隆盛、三島由紀夫の自決につながる。萬世一系を守る。男系継承を守らねばならない。『萬葉集』に収められた雄略天皇の御製には『そらみつ やまとの国は おしなべて 吾こそをれ しきなべて 吾こそませ 吾をこそは 告らめ 家をも名をも』と歌われている。日の本の全ての女性が天皇を生むことかできる体制が男系。

 

『昭和二十一年元旦の詔書』を『人間宣言』と言うのはレッテル貼りであり欺瞞。明治元年の『国威宣布の宸翰』、昭和二十一年元旦の『国運振興の詔書』の連続性を確認すべし。日本人の死生観を確認し、支那人との違いを確認すべし。『孫子の兵法』は人を騙すこと。

 

楠木正成は何故兵庫に赴いたのか。悠久の大義のために死ぬ。楠公死後、応仁の乱まで楠公の子孫は足利への反乱を繰り返す。三百六十年後、吉良の首を取った。大石良雄は『今楠公となりにけり』と称えられた。大石良雄は楠公の生まれ変わりと言われた。吉良上野介は足利将軍家の流れをくむといわれる。

 

徳川光圀は元禄五年、楠木正成の墓を建立した。その碑には光圀公の自筆による『嗚呼忠臣楠子之墓』の文字が記されている。吉田松陰は、嘉永四年三月、藩主江戸行の先発として江戸へ向かう途中、湊川の楠木正成の墓に詣でた。明治三十七年三月、旅順港閉塞に向かう広瀬武夫海軍中佐は、『七生報国』と大書して死の海域に赴いている。この楠公精神を戦後日本は封印した。

 

建武の新政に対する『二条河原の落書』は、『この頃都に流行るもの、夜討ち、強盗、偽綸旨…』と書き出され、俄大名らの道義の退廃を訴えるものである。建武の新政に於いては論功行賞の為に奔走する輩が続出し、何もしなかった公家が厚遇され、武士の不満は鬱積したが、楠木正成のみ、この猟官・ご褒美獲得競争に関心を示さず無縁だった。

 

また、明治維新に於ける西郷隆盛の心境は、次の西郷の言動に現れている『然るに草創の始めに立ちながら、家屋を飾り、衣服をかざり、美妾を抱へ、蓄財を計りなば、維新の功業は遂げられまじき也。今となりては、戊辰の義戦も偏に私を営みたる姿に成り行き、天下に対し、戦死者に対して面目無きぞとて、頻りに涙を催されける』(西郷南洲遺訓より)。

 

日本人はこの原点に立ち返った時に国家を守ることができる。大東亜戦争で散華していった人々を思い起こすなら、中国を討つことができる。明治の御代に帰らねばならない。ノモンハン事変はわが国が勝っていた。真の保守結集のために命を懸ける。田母神氏と同じ思い。今の憲法は無効である。改正するのに何年かかるのか。安倍晋三を支えるしかない」。

 

頭山興助氏は次のように語った。

「『排日移民法』は大正十三年七月に米議会を通過した。大正十二年九月一日大震災で日本の首都は壊滅した。アメリカはそれを見逃さなかった。日本が困窮しているときに『排日移民法』を作った。東日本大震災の後、中韓は居丈高になって日本に対して色々やってきている。日本は本当に危険なのだ。お国のため、陛下のために命を捧げる。子供を育てる女性を守るために命を捨てる。それがなければ国家はもたない」。

 

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千駄木庵日乗八月二十三日

午前は、諸雑務。

この後、『政治文化情報』発送作業・発送完了。購読者の皆様には、週明けにはお届けできると思います。

この後、施設に赴き、母と過ごす。

帰宅後は、原稿執筆。

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2014年8月23日 (土)

武の精神を否定した「戦後日本」には眞の道義精神がなくなっている

軍と武を否定した「平和と民主主義の國・戦後日本」には、眞の日本も、眞の道義精神もなくなっている。

 

 三島由紀夫氏は言っている。「文學・藝術の故郷は非合法の行動の暗い深淵に求められていくことになるであらう。…法はあくまでも近代社會の約束であり、人間性は近代社會や法を越えてさらに深く、さらに廣い。かつて太陽を浴びてゐたものが日陰に追ひやられ、かつて英雄の行爲として人々の稱贊を博したものが、いまや近代ヒューマニズムの見地から裁かれるやうになった」(行動學入門)と。

 

 長い日本の歴史の中で、須佐之男命・日本武尊という神話時代の英雄、さらに中古中世の鎮西八郎為朝、源義経、さらに近世・幕末における赤穂四十七士、井伊直弼を撃った水戸脱藩浪士の行動、さらに大東亜戦争における特攻隊員を始めとした兵士たちの行為などは、「英雄」と讃えられた。しかし、戦後日本は、そうした英雄の行為を「非合法」「反ヒューマニズム」として裁き日蔭に追いやった。

 

 「國のため敵を撃つ」「大君の御為に身命を捧げる」「仇なすものを討つ」などということは、「平和と民主主義」と絶対相容れない「行為」として、「日蔭」に追いやられ続けている。

 

 「天皇中心の神の國」がわが國體であるが、この萬邦無比の國體を護ることが最高の道義なのである。天皇の統治したまえるわが國は、言葉の眞の意味において「平和國家」である。神武肇國の御精神・聖徳太子の十七条憲法・明治天皇御製を拝すれば、それは明らかである。また、御歴代の天皇は常に國家と國民の平安を祈られてきた。しかし、そうしたわが國の伝統は、「武」「軍」「戦い」を否定しているのではない。

 

 天皇の日本國御統治は「三種の神器」に表象されている。「三種の神器」は皇位の「みしるし」であり、御歴代の天皇は、御即位と共にこの神器を継承されてきた。鏡(八咫鏡・やたのかがみ)は祭祀、剣(草薙剣、くさなぎのつるぎ)は軍事、玉(八尺瓊勾玉・やさかにのまがたま)は農業、をそれぞれ表象している。祭祀・軍事・農業を司りたまう天皇の御権能が「三種の神器」にそれぞれ表象されている。

 

 剣は武勇、そして克己の精神を象徴している。『日本書紀』の「仲哀天皇紀」に、天皇の軍が筑紫に進軍したのを歓迎して筑紫の県主五十迹手が、「この十握剣(とつかのつるぎ)を堤(ひきさげ)て、天下(あめのした)を平(む)けたまへ」と奏上したと記されている。剣は天下を平らげる武力を表しているのである。

 

 武を否定し、「生命の尊重」が最高の道徳としされ、「平和と民主主義」を謳歌している今日の日本において、戦前どころか有史以来見られなかった凶悪にして残虐なる犯罪、殺人事件が続発している。

 

 三島由紀夫氏は、昭和四十五年十一月二十五日、市ヶ谷台状で自決された際の『檄文』で、「生命の尊重のみで、魂が死んでもよいのか」と訴えられた。まさに、現代日本は「生命尊重」のみで魂が死んでしまい、頽廃と残虐の時代になってしまった。

 

 『檄文』に曰く「軍の名を用ゐない軍として、日本人は魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因をなして来てゐるのを見た。もっとも名誉を重んずべき軍が、もっとも悪質の欺瞞の下に放置されてきたのである」。

 

 魂の腐敗と國家の欺瞞は、軍國主義國家であったという戦前の日本にはあり得なかったような、人命軽視という言葉すら空しくなるような、残虐なる殺人が日常茶飯事になった現代社會を現出させた 

 

 國家を守ることこそ、國民の道義精神の要である。軍と國家、國防と道義は不離一体の関係にある。國を守る使命、言い換えれば、兵役の義務・國防の義務がない國民は、國民とはいえない。國民は運命共同体であるところの國家を生命を賭けて守る使命感・義務観念があってこそ、國民である。

 

 現代日本の青少年の多くは、崇高なる道義精神である「國家を生命を賭けて守る使命感・義務観念」を喪失し、利己主義・利益至上主義に陥り、自分さえよければ他人はどうなってもいいという考え方に陥っている。

     

 われわれ神洲清潔の民は、強者の立場をとらなければならない。「一人立つ」の精神がなければならない。眞の独立自尊の精神がなければならない。「不安、嫌惡、憎惡、嫉妬」の精神を払拭し、祓い清めなければならない。そして、日本精神の清明、闊達、正直、道義的な高さを回復しなければならない。須佐之男命・日本武尊そして防人以来の武士道精神・もののふの心に回帰しなければならない。 

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千駄木庵日乗八月二十二日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、原稿執筆の準備、資料の整理など。

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2014年8月22日 (金)

高岡における写真

高岡における写真です。一緒に写っておられるのは、高岡法科大学の高乗智之准教授です。イケメンの若き憲法学者とやや太り気味(?)の小生のツーショットです。 ご案内いただき、且つ写真をおお送りいただいた高乗智之氏に心より感謝します。
四宮 正貴さんの写真
四宮 正貴さんの写真
四宮 正貴さんの写真
四宮 正貴さんの写真
四宮 正貴さんの写真

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現行憲法の最大の欠陥はその原理にある

現行憲法の最大の欠陥はその原理にある。これを根本的に改めない限り真の憲法改正・自主憲法制定にはならない。

 

憲法を論ずるにあたって最も重要な前提は、西洋成文憲法は「権力に対する制限規範」だということである。イングランド最悪の王と言われるジョン王と諸侯との間で一二一五年に結ばれた『マグナ・カルタ』(大憲章)が西洋成文憲法の起源であり、『国王も法の下にある』といふ原則=『法は王権に優越する』という「法治主義」を確立したとされる。「権力は放っておくと濫用されるので、為政者の手を縛る必要がある。その為に成文憲法が必要とする」という考え方である。

つまり、専制君主と人民との間の不信感に発した人権保障の約束証文が西洋成文憲法の起源なのである。したがって西洋成文憲法には「君主と人民とは相対立する関係、支配被支配の関係にある」という思想が根底にある。そこから「国民主権論」が生まれてきた。この「国民主権論」が戦後アメリカ占領軍によって日本に押し付けられたのである。

 

現行占領憲法が占領軍の押し付けであるというのは、制定過程が占領軍の強圧によるものというだけではなく、基本理念たる「国民主権論」「主権在民思想」が占領軍の押し付けだということである。

 

しかるに、近年各方面から出されている「改憲草案」はそのほとんどが現行占領憲法の「国民主権論」を踏襲し、「天皇の地位は主権の存する日本国民の総意に基く」としている。アメリカの押し付けである現行憲法の基本原理を、日本国民の意思と決意に基づき新憲法の原理とするということである。これでは自主憲法制定にも憲法改正にもならない。

 

「主権在民」「国民主権論」は、「マグナ・カルタ」を起源とする西洋成文憲法思想に依拠する原理である。故にわが國の国柄とは絶対に相容れない。日本天皇は、権力を濫用して国民を苦しめるジョン王などの西洋専制君主とは全くその本質を異にする。日本國は君民一体の國柄である。「主権」が「君主にあるのか、国民にあるのか」などということを成文憲法に規定すること自体、わが国の国柄を破壊し隠蔽する事となる。日本國の憲法特に「國體条項」は断じて「権力の制限規範」ではない。

 

「國家の意思を最終的に決定する権限」という意味での「主権」なる概念と言葉は、天皇中心の信仰共同体國家日本には全くそぐわない。西洋や支那大陸のような君主と人民とが「國家意思を最終的に決定する権限」=主権を奪い合ったという歴史は全くない。天皇を中心とした信仰共同體である日本國は権力支配組織ではない。だからわが國には西洋的主権論はあてはまらない。

 

西洋法思想・國家思想である「主權」なる「概念」を、わざわざ成文法として日本國の憲法に規定することは大きな誤りである。「國民主権論」が憲法に書かれている事がわが國の國家伝統の破壊、共和制革命への突破口になる危険がある。戦後日本の不安定の根本原因は実にここにある。

 

日本国は天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体である。國民が契約を結んで人工的に作った國ではない。そして祭祀主である天皇は國民と対立してこれを力によって支配する御存在ではない。日本天皇の國家統治の本質は、権力・武力による国家・国民支配ではない。天皇の祭祀主としての神聖なる権威による統治(すべおさめる。しろしめす。きこしめす)である。むしろ、天皇の神聖なる権威が権力者・為政者の権力濫用を抑制するのである。それがわが国の建国以来の國體であり歴史である。また、天皇の「仰せごと・みことのりが」わが國における最高の法である。天皇が成文法の下にあるなどといふ事は絶対にあり得ない。

 

わが日本は国家の本質と君主たる天皇の御本質が建国以来、信仰的に厳然と確立している。これを法律論的に言えば、不文法によって定まっているということである。故に成文憲法でそれを変革することはできないし、成文憲法は不文憲法(立国の基本)に反する規定をしてはならない。

 

日本の歴史と傳統そして日本國體は、西洋の契約思想や人間不信を基盤とした西洋近代の成文法とは基本的に相容れない。「国民主権論」払拭し、神話時代からの悠久の歴史を有する日本國體を正しく成文規定した憲法の制定こそが、真の自主憲法制定であり憲法改正である。と言うよりも、日本國體精神を基本とし、国民主権論と無縁の『大日本帝国憲法』に回帰することが大切である。

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千駄木庵日乗八月二十一日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、施設に赴き、母に付き添う。二日間行くことができなかったので、母は涙を流して喜んでくれる。なかなか旅もできないと実感する。

動坂下て地元の友人と懇談。

帰宅後は、資料の整理など。

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2014年8月20日 (水)

高岡市の『萬葉集』にかかわる旧蹟を探訪

八月十九日午後、富山県高岡市に到着。高岡法科大学准教授・高乗智之氏ご夫妻のご案内で、高岡市の『萬葉集』にかかわる旧蹟を探訪。詳しくは後日『政治文化情報』誌で報告する予定です。

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大伴家持が詠んだ奈呉ノ浦近くに鎮座する放生津八幡宮

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放生津八幡宮にある家持の歌碑

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大伴家持が国守をつとめた越中国国庁があった勝興寺というお寺。

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気多神社にある大伴家持顕彰碑

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大伴家持を祀った大伴神社

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高岡市の二上山中腹にある大伴家持像

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景勝地・雨晴海岸

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2014年8月19日 (火)

わが國においては易姓革命思想は、絶対的に排除されていた。

何とかして日本皇室の萬世一系・皇統連綿の伝統を否定したい反日歴史学者は、いろいろ想像を逞しくして、わが國古代に王朝の交替があったと主張する。そして葛城王朝・三輪王朝・河内王朝などという「王朝」なるものを設定している。

 

しかし、葛城氏や蘇我氏の権勢が強かったとしても、それは天皇の神聖権威を背景としたものであった。

 

皇統の断絶が案じられた武烈天皇崩御の時も、大伴氏や物部氏という大臣・大連は、大きな権勢を持っていたのであるから、支那などであれば自ら王位を狙い新たな王朝を立てることはできた。にもかかわらず、応神天皇五世の御子孫男大迹尊(おおどののみこと)をお迎えして天皇の御位について頂いた。この事実は、当時すでに萬世一系皇統連綿の道統が継承され続けたことを証ししている。

 

また、『日本書紀』には先帝・武烈天皇の「無道の所業」が記されている。さらに武烈天皇には御子がおられなかった。にもかかわらず、大和朝廷打倒=革命という事態にならず、皇統に属する方を求めて、皇位をお継ぎ頂いたことは、萬世一系・皇統連綿の道統がゆるがなかったことを証ししている。 

 

支那などの外國ではこういう状況下では革命が起り、臣下の中から力のある者が王者となり新しい王朝が建てられるのが常である。支那においては、「天子」には有徳の人物が天命を受けてなるものであり、天子が徳を失えば位を他の人に譲らねばならなかった。これを易姓革命思想(支那古来の政治思想。徳のある者が徳のない君主を倒し、新しい王朝を立てること)・有徳王君主思想という。

 

しかし、わが國においては、こうした革命思想は最初から排除されていた。いかなることがあっても天皇・皇室打倒の革命は起らず、たとえご縁が遠くなっていても、皇統に属する御方を求めて「天皇」の位についていただいた。

 

つまり、繼體天皇の御代において「日本の天皇(スメラミコト)になられる方は、天照大御神の生みの御子たる邇邇藝命そしてその御子孫たる人皇初代・神武天皇の皇統に属する方でなければならない」という考え方が継承され確立していたのである。

 

言い換えると、わが國にはどのような事態になろうとも、天皇・皇室を排除して自分が日本國の支配者・統治者になろうとする者はいなかったのである。

わが國は、天皇を天照大御神の生みの御子=現御神と仰ぐ。どこまでも皇祖天照大御以来の皇統に属する御方に皇位を継承していただいてきたのである。それは古代から今日にいたるまでのわが國の揺るぎない道統である。

 

皇室典範改定・皇位継承は、外来思想に拘泥されることなく、あくまでもわが國の歴史と伝統に基いて行なわれなければならない。権力機関である衆参両院や政府が決めるべきではない。祭祀國家の祭祀主たるスメラミコトの御位即ち「天津日嗣の高御座」の御継承は、日本國體精神の体現者であらせられる祭祀主・上御一人の大御心を基にするべきである。

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千駄木庵日乗八月十八日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、明日からの出張の準備、資料の整理。

明日から三日間ほど出張いたします。

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2014年8月18日 (月)

最近贈呈していただいた書籍

最近贈呈していただいた書籍をご紹介します。贈呈していただいた方に心より感謝申し上げます。

              ○
「中国の時代」は終わった  宮崎正弘氏著  海竜社  著者より

悲韓論           黄文雄氏著   徳間書店 著者より

 
最近贈呈していただいた書籍をご紹介します。贈呈していただいた方に心より感謝申し上げます。

              ○
「中国の時代」は終わった  宮崎正弘氏著  海竜社  著者より

悲韓論           黄文雄氏著   徳間書店 著者より

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矢野絢也氏の『これで良いのか安倍政権!』と題する講演内容

六月十七日午後二時より、永田町の村上正邦氏事務所にて行われた「矢野絢也先生勉強会」における矢野絢也氏の『これで良いのか安倍政権!』と題する講演内容は次の通り。

 

「私自身は、安倍政権はこれで良いと思っている。民主党政権と比べれば天地雲泥の差。民主党は内輪喧嘩ばかり。自公圧勝は民意。国民は政局安定を望んだ。

 

軍事同盟とは同盟国の敵を敵とするのが基本原則であり常識。日米同盟はそれが変則的。仮想敵があって同盟が成立する。明示するかどうかはデリカシーの問題。強国の戦争に弱国が巻き込まれる、あるいは弱国は強国に捨てられる、という事がある。巻き込まれるのも捨てられるのも弱国の宿命。共通の敵としていた国と同盟国とが仲良くなり、同盟国に捨てられることもある。

 

アメリカの想定する脅威は中国の人海戦術。民間漁船が同時多発的にやって来る。それにはミサイルでは対抗できない。アメリカが日本に期待するのは、広大な海域における哨戒と連携。大国の膨張を考えれば、平和を唱えるだけで平和になる時代は終わった。公明党もそれは心得ていると思う。いきなり連立解消はない。自公連立は絶対に崩してはいかん。学会公明党は脅されてどうなるということはない。

 

法制局の見解は、学会と公明党の関係は政教一致ではないとしている。特定宗教の教義を押し付けるのであれば政教一致。特定宗教・特定教義による国家支配が政教一致であり、公明党・創価学会の関係は政教一致にあらず。平成十七年に私は創価学会から随分批判された。高齢で弱々しい私なので随分苦しかった。最高裁で勝利した。手帳は返って来た。平成二十年に正式に創価学会を退会した。私の方から起こした訴訟は二十四年に和解した。弘中惇一郎弁護士が担当。今後名誉を毀損するようなことを言わないと約束。それから二年半おとなしくしている。名誉を傷つけないとは言及しないという事ではない。

 

集団的自衛権に関して公明党の見解を創価学会が追認している。中国は尖閣にかなり強い意志を示し、南シナ海も緊迫している。公明党は第一党にはなっていない。しかし、シッポが頭を引っ張りまわしている。良い意味でのバランサーになっている。自民党も学会の票がなければ選挙に勝てない。私は、安倍政権はこれで良いと思っている」。

                   〇

 

創価学会公明党への批判はあまり聞くことができなかった。「自公連立」「集団的自衛権」は肯定した。つまり政治的立場は基本的に今の公明党と同じということである。元公明党委員長なのだから当然ということになろうか。

 

 

 

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千駄木庵日乗八月十七日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』発送準備、資料の整理など。

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2014年8月17日 (日)

『第四十三回日本の心を学ぶ会・「政治と宗教を考える」』のお知らせ

我が国には届け出のある宗教法人だけで約182000もの団体があるそうです。

信者の数を背景とした宗教団体の資金力、集票マシーンとしての力は大変に大きく、日本社会にさまざまな影響をおよぼしています。

教育や福祉の分野でその影響力の大きさをみることも大きいのですが、宗教団体がその力を最も社会に見せるのは主に選挙で示す政界への影響力で

はないでしょうか?

創価学会や幸福の科学のように自ら政党を組織して直接的に政治へ進出するだけではなく、特定の政党を選挙で応援することで政治に影響力を及ぼそうとする宗教団体は数多くあります。

このような政治への進出に政教分離という点から様々な意見があることも事実です。

しかし、政治も宗教も人間の根源的な思想、世界観を領域としているという点で共通性があります。

宗教が国民の統合に大きな役割を果たしていることは明らかであり、アメリカで聖書に手を置いて宣誓し大統領就任式を行うことはその一つの例です。

教団の理想とする社会の実現のためには政治的な力が求められ、各国の民主化運動や各民族の独立運動が宗教組織と密接に関係していることも珍しくありません。

政治と宗教は高度なレベルでお互いに影響しあっているといえます。

そこで今回は、現代のさまざまな問題と宗教教団について勉強したいと思います。

これまで宗教団体の成長の背景には、日本社会の抱える矛盾、いわゆる「貧、病、争」がありました。

こうした問題をかかえる人々を対象としていたという点で、創価学会と共産党が競合していたというのもうなずけます。

また巨大宗教団体は一種の生活共同体として機能してきたのです。

しかしこうした教団にかつての勢いはないようです。つまり現在の宗教団体は現代の課題にうまく応えていないようです。

かつての「貧、病、争」は社会福祉の充実などで一定の解決を遂げたといえます。

しかし現在には現代の課題があり、かつてとは形を変えて「貧、病、争」も、いまだに日本に存在します。

社会に矛盾があり、人間が救いを求めるかぎり宗教はなくならず、現代の教団もまた新しい使命を与えられることになりそうです

今回の勉強会ではこのような現代における宗教団体の使命についても検討したいと思います。

四宮正貴先生には「宗教は現代を救えるか」瀬戸弘幸先生には「創価学会について」というテーマで講演していただきます。

皆さんお誘い合わせのうえご参加ください。

 

【日 時】平成26831日(日)午後600分より

 

【場 所】文京区民センター2-B会議室

東京都文京区本郷 4-15-14 地下鉄春日駅 下車1分(大江戸線、三田線)後楽園下車3分(丸の内線、南 北線)JR(水道橋)

 

【演 題】 第一部 創価学会について 瀨戸弘幸先生 BLOG日本よ何処へ

 

第二部 宗教は現代を救えるか 四宮正貴先生 四宮政治文化研究所 

 

【司会者】林大悟

 

【参加費】資料代500円終了後、近隣で懇親会(3千円くらいの予定です)

 

なお、この案内文は主催者が作成したものです。

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「萬葉古代史研究會 」のお知らせ

四宮正貴が講師となり「萬葉集」を勉強する會が次の通り開かれます。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。

日時 九月十日(毎月第二水曜日) 午後六時半より 

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

東京都豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 山手線駒込駅北口徒歩二分

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』。

初参加の方は、テキストはなくても結構です。初めての方でも分かりやすい内容です。

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繼體天皇の御事績について

皇位継承問題に関連にして、繼體天皇の御事績について誤れる論議を行う者がいる。「武烈天皇で皇統は断絶しており、繼體天皇即位は新王朝の成立である」という論議である。資料の乏しい古代歴史研究は、どうしても研究者の自分勝手なあるいは特定の意図に基づいた推論が多くなる。そしてその推論が、國體破壊の意図の下に行なわれるところに大きな問題があるのである。

最近は、皇室典範改定反対を唱える國體擁護論者・保守派と目される学者の中にも、「正田王朝」「小和田王朝」などという不穏当な言辞を平気で弄する人がいる。また、「天皇は字が読めなくても良い」などと不敬千万な事を言う者もいる。

武烈天皇の崩御と繼體天皇の即位によって、仁徳天皇の男系御子孫の皇位が絶え、応神天皇の御子孫が皇位を継承されたことになる。歴史学者の中には、これを「継體王朝」などと主張する者があるが、応神天皇は仁徳天皇の父君であらせられ、繼體天皇は仁徳天皇の弟君の御子孫であらせられる。ゆえに、繼體天皇の皇位継承は、天照大御神の生みの御子たる邇邇藝命そして人皇初代・神武天皇の皇統を継がれたことは明らかである。皇統連綿・萬世一系の道統は守られたことは明白である。また、大伴氏・物部氏などの大臣たちは皇統連綿の道統を護るために、三國から繼體天皇をお迎えしたのである。

繼體天皇が応神天皇の五世の皇孫であられることは、國史の正統なる文献であるところの『古事記』『日本書紀』に明記されていることである。さらに、前述した通り、『書紀』よりも古い文献である『上宮記』にも書かれている。繼體天皇が皇孫ではないとするのは、これらの文献の内容を嘘だと断定することである。しかも、『古事記』『日本書紀』に記されたことを嘘だと断定する根拠は、『古事記』『日本書紀』に記されている事柄に勝手は憶測を加えたものに過ぎない。

そもそも「繼體天皇」という諡号(しごう・貴人、僧侶の死後、その人の生前の行いをほめたたえておくる名。おくり名)の意味は、「天子の位を継承する。後継ぎ。継嗣」である。そして皇太子のことを「繼體の君」という。支那の古典『史記』には「繼體とは創業の王に非ず、是の嫡子先帝の正體を継ぎて立つ者を謂ふなり」と明解に示されている。「繼體」とは、「皇位を継げるのは天皇の血筋である」という道統を示したものであり、皇統及び先帝の正しい統治を継承するという意味である。繼體天皇のご即位によって別の王朝が立てられたとするのは全く誤りである。

 

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2014年8月16日 (土)

千駄木庵日乗八月十六日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』掲載の原稿執筆。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後も原稿執筆。

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祭政一致と政教一致の違い

政教一致と祭政一致とは根本的に異なる。「政教一致」とは、政治権力と宗教教団が一致することである。「祭政一致」とは、祭祀が政治権力を清浄化することである。

 

具体的に言えば、「政教一致」とは、ある一つの宗教団体が政治権力を掌握することであり、そうなるとその教団以外の信仰組織の存在は認められないか或は圧迫される危険がある。

 

「祭政一致」は、祭り主であらせられる天皇陛下の御聖徳を政治権力者が常に仰ぎ奉ることであり、それによって政治権力の横暴、腐敗が防止されるのである。そして政治の道義性を維持し高める

 

折口信夫氏は次のように論じている。「宮廷の公の仕事が「まつり」だが、だから日常、宮廷に出て、公家の人たちが政務をとることも『まつりごと』であった。宮廷へ出て政務をとることが、一つの祭りの執行であった。…それだからおのずからそこに精進の生活をする必然がおこってくる」「『大臣』(おほおみ)の『臣』は、大忌人だ。…神事にあずかる人で、身分の高い人が大忌、略して『臣』が出てくる」と論じている(『折口信夫全集・ノート編追補一巻』「物忌み」の職掌)

 

『大臣』という言葉の原義は、天皇の神聖なる祭祀に奉仕する身分の高い人の事である。政治権力の弛緩、堕落、軽佻浮薄な衆愚政治=今日流行りの言葉で言うと「ポピュリズム政治」、そして権力の横暴、国策の誤りを出来得る限り防止するためは「祭政一致」という日本の國體を回復するべきである。

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2014年8月15日 (金)

千駄木庵日乗八月十五日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、原稿執筆の準備。

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日本の武士道は道徳・倫理精神と共にあった

「今はこう」「今はこれまで」と悟った時、日本のもののふ・武士は、まっしぐらに顧みることなく死ぬことを潔しとした。これが、日本的死生観である。日本武士道は中世において仏教や儒教道徳を基として発したものではない。『古事記』『萬葉集』の歌を見ても明らかな如く、日本武士道は神代から発した。

 

また、もののふのみち(武士道)は理論・理屈ではない。萬葉歌は飛鳥奈良時代の武士道を伝へてゐる。それは語られず書かれざる掟、不言不文であるだけに實行によって一層効力を認められる。理論・理屈を好まない日本人らしい道徳律が「もののふの道」・武士道なのである。

 

日本の伝統の根幹たる和歌も祭祀もそして武道も理論・理屈ではない。「道」であり「行ひ」である。そして一つの形式・「型」を大切にし「型」を学ぶことによって伝承される。

 

そして武士道は、道徳・倫理精神と共にあった。武士は、日本國民の善き理想となった。武士は武家時代において民衆を武力で支配した階級とされるが、さういふ面はあったであらうが。武士は庶民の道義の手本でもあった。明治維新をはじめとしたわが國の変革を断行せしめた重要なる原動力の一つに「もののふの道」・武士道があった。

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2014年8月14日 (木)

千駄木庵日乗八月十四日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆・脱稿・送付。

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この頃詠みし歌

うるほひの無き街厭ふ我にして飛鳥山の緑にやや安らぎぬ

 

夕立が過ぎにし道に水光り 歩み行くなるわが足軽し

 

八十歳を過ぎたる人が元気よくバイクに乗りて走りゆくなり

 

住みてゐし老婦人は何処に行きしやら向かひの家は壊されてゆく

 

向かひの家を壊す工事が始まりて轟音と共に街変り行く

 

花持ちてわが家を訪ね来し女(ひと)は恋人にあらず花屋さんなり

 

一つの言葉にとらはれて心落ち着かず炎天の下にバス待ちてをり

灯ともし頃家路を急ぐ我なれど待つ人無きしさみしかりけり

 

緑濃き皇居の庭に暫しの間やすらぎてゐる民草われは

 

夜の更けに日記書きつつ今日一日を省みる時の筆の音かな

 

新しき下駄履き歩めばカラコロと鳴る音すがしき真昼間の道

 

亡き父に似るわが顔を鏡にて見つつ偲べりそれその父を

 

わが父は大陸に戦ひ帰還して我を育てつつ生きたまひたり

 

半ズボンで道を歩けば心地良しわが町千駄木は夏盛りなり

 

わが部屋に掃除機をあてて喜べり埃とともに邪気も祓はむ

 

久しぶりに会ひたる人はやや太り我と同じき体形となりぬ

 

にじみ出る汗を拭きつつバスを待つ時の太陽の灼熱の光

 

家を壊す音聞こえ来る朝にして変はり行く街をさみしみてをり

 

母のゐまさぬ部屋に新しき花飾り一人見てゐる時のさみしさ

 

仏壇に新しき花供へまつり父の遺影を拝ろがみにけり

 

笑顔なる父の遺詠の傍らに花供へれば心やすらふ

 

丹波なる友より贈られし黒豆の甘きを愛する我にしありけり

 

胡麻豆腐口にふくめば美味きかな丹波の國の友思ひつつ

 

猛暑の日に観音堂に参り来て何時もゐる猫の姿見えざり

 

生い茂る樹木の中に鎮座する観音堂は母が護りゐし

 

何時も会ふバイク屋の主人今日もまた汗をかきつつ仕事してゐる

 

贈られし素麺を一人で食しつつ家族のなきをさみしみてゐる

 

このマンションも一人住まひの人多く國の将来を危ぶむ心

 

これがまあ短歌作品かと思へどもわが魂の訴へではある

 

靴を磨くことを喜ぶ我にして今日もピカピカの靴履きてゐる

 

貨幣と切手の博物館の前を通り我の財布の中身を思ふ

 

朝の太陽部屋のさし来る喜びに今日も一日生きむとぞ思ふ

 

母がゐまさば喜びたまふと思ひつつ贈られし桃を一人食すも

 

一人して藤山一郎の歌を聴く懐かしきかなその歌声は

 

昭和の御代を歌ひつぎ来し人の歌みな懐かしき歌詞とメロディー

 

親に感謝し兄弟と和せよと説く宗教その三代目は逆のことする

 

暑き日の昼餉の時にビール呑み喉(のみど)うるほす心地良さかな

 

はしゃぎつつしゃべりゐる男の許せざる言葉に憤怒の心湧きたり

 

いい加減なことを言ふなと心の中で叫びつつ黙してスピーチを聞く

 

閉めるために門はあるなりと人は言ふ閉めたままなら塀で良かろう

 

今日もまた萬葉集の歌を讀み心あらたまる我にしありけり

 

母上が住みてゐし部屋の窓を開き風を入れるが朝のつとめぞ

 

もう再びこの部屋に母は帰らぬと思へばさみしき今日の清掃

 

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千駄木庵日乗八月十三日

午前は、諸雑務。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

この後、施設に赴き母に付き添う。

帰宅後も、原稿執筆。

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2014年8月13日 (水)

天皇の「國見」の意義

 『萬葉集』には、「見ゆ」といふ表現を用いた歌が多い。柿本人麻呂が石見の國からの帰途、明石海峡を通過した時に、「天離(ざか)る鄙(ひな)の長道(ながち)ゆ戀ひ來れば明石の門()より大和島見ゆ」(二五五)と詠んだ。瀬戸内海を航行して明石海峡にさしかかると彼方に金剛山地・葛城山脈が見える。その山の向かふが大和である。ああこれで故郷に帰って来たなあといふ感慨を歌った。

 

逆に大和を後にして石見に向ふ時に人麻呂は、「ともし火の明石大門(おほと)に入らむ日やこぎ別れなむ家のあたり見ず」と詠んだ。明石海峡に入って来て、後ろの方を見るともう故郷は見えなくなるなあ、といふ歌である。

 

萬葉人は「見る」といふ言葉を大事にした。「見る」といふ視覚が、人間が外界や環境を捉へるのに最大の感覚なのである。見ることによって環境を正しく捉へ対応することが出来る。「存在」は本質的に「見る」ことを前提にする。見えないものは存在しない。霊魂や魂は見えないが、肉眼では見えないだけであって、霊眼では見えると信じられた。

 

「見る」といふ言葉と感覚がいかに重要に考へられているかは、「味を見る」「触って見る」「やって見る」「話して見る」「嗅いで見る」といふやうに視覚以外の感覚を表現する場合にも「見る」といふ言葉が使はれることによっても明らかである。

 

従って、「見る」とは単に視覚の事だけではなく、対象物と一体になる、支配する、といふ意味も含まれる。上御一人の行はれる「國見」とはまさにそれである。

「國見」とは単に天皇が日本國の景色を眺められるといふのではなく、國土と一体となられ、國土を祝福し、そこに住む國民をの幸福を祈られる行事なのである。「國見」とはただ単に景色を眺めるのではなく、天皇が國を見渡して五穀の豊饒と民の幸福をお祈りし祝福する行事である。

 

「目は口ほどにものを言ひ」といふ言葉もあるごとく「見る」といふのは、対象物を認識する上で大切な行為である。

天皇統治の事を「みそなはす」(「御覧になる」・「見る」の尊敬語)といふ。荒木博之氏は、「上代人にとって<見る>とは『対象物の神性に感応し、その対象物を飽かず見ることによって、その神性をその清浄さをおのれが本性にとりこむこと」(『日本人の心情論理』)と解した。この論を引用して大原康男氏は「<見る>は…単に空間とかかわる視覚に尽きるものではなく、そこには鎮魂儀礼の要素が含まれている…」と論じてゐる。(『現御神考試論』)

 

 天皇が神聖なる天香具山に登られて「國見」をされることは、天皇が行はれる國土讃嘆の農耕儀礼・祭祀である。新しい年の始まりを知らせる「春のことぶれ」(春が来たことを広く知らせること)・天地一新の行事である。

 

祭祀主であり現御神である天皇が「國見」をされ祝福されることによって、國魂・國土が新たなる靈力を発揮し吹き返し新生する。國土が國が始まった時の若々しい命の姿に復元し新生し豊かな稔が約束されるのである。天皇が「國見」をされることによって國土の新生と五穀豊饒が實現する。

 

 つまり、「國見」は大嘗祭と同一の意義があり、天の神の地上における御代理即ち現御神(あきつみかみ)たる天皇が、國土に稲穂を豊かに實らせるといふ天の神から命じられた最大の御使命を實現するといふ天皇の統治にとって重大意味を持つ祭祀なのである。    

 

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千駄木庵日乗八月十二日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆など。

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2014年8月12日 (火)

日本人にとっての「他界」とは、海の彼方であり、天上である

「天」と「海」は両方とも「アマ」と讀む。天と海とは分かち難く捉へられた。何故かといふと、天と海とは水平線で一つになるからである。海の彼方は天とつながる。海の彼方への憧れは他界への憧れである。海の彼方には異郷がある、竜宮世界がある、常世(永遠の世界)があると信じた。

 

浦島太郎は、海の彼方の竜宮城・常世に行ったら老いなかった。永遠の若さを保った。日本人には世界が海の彼方にあるといふロマン精神がある。もう一つの「アマ」である「天」も同じである。天上世界・高天原がある。

 

島國に住む日本民族は海の彼方に憧れを抱いた。岡潔氏は、日本民族は超古代には、はるか海の彼方の南方から渡って来た人々であると説いてゐた。海への憧れから生まれた神話がある。「海幸彦の神話」がそれである。

 

また、日本には北方から来た人々もゐた。この二つの人々が合体して今日の日本民族になったといふ説がある。北方から来た民族は、天上に理想の世界・神の世界・永遠の世界があると信じた。その信仰から生まれたのが「天孫降臨の神話」である。

 

日本人にとっての「他界」とは、海の彼方であり、天上である。海の彼方を龍宮界と言い、海の神々の住む不老の世界として憧れた。天上の世界を高天原と言ひ、天の神々の住む世界として仰いだ。そして、海の神は海の彼方から来たり海の彼方に去り、天の神は天に昇ったり天から降ったりするのである。古代日本の神話にそれは記されてゐる。

 

天津日子であられる邇邇藝命は「筑紫の日向の高千穂の霊(く)じふる峰に」天降られた。この神話は如何に日本人が天上の他界を憧れてゐたかを証明する。古代日本人は天に憧れてゐたがゆへに、大和地方において神聖な山と仰がれてゐる大和三山の内最も神聖であるとされる香具山は、「天香具山」と言われ、わざわざ「天」の字を上に乗せている。香具山は天に通じる山であると信じられたのである。

 

天への憧れを端的に表現した歌は、平安時代の女性歌人・和泉式部の「つれづれと空ぞ見らるる思ふ人天降り来むものならなくに」(ただ茫然と空を眺めてゐる。恋ひ慕ってゐる人が天から降ってくるわけでもないのに、といふほどの意)といふ歌であらう。天への憧れと恋人への思慕の情が合体した歌である。

 

 日本民族の主神であり皇室の御祖先神である天照大神は、伊耶那岐命が海辺での禊で右目を洗はれた時に生まれられた神であるといふ神話がある。これは日本人が海を神聖なる世界として憧れてゐたことを証明する。

 

 先述した如く、日本民族は、東南アジアから海を渡って来た人々と、山の多い内陸アジアから朝鮮半島を経て渡って来た人々との混合であると言はれている。海への憧れは遠い海の彼方の東南アジアから渡って来た人々の抱いた他界へのロマン精神であり、天上への憧れは内陸アジアから渡って来た人々の抱いた他界へのロマン精神であらう。

 

 日本人は、「海」と「天」に憧れ、「海」と「天」を一つのものとして把握したので、海で働く「海士・海女」を「アマ」と言い、天を「アマ」と言ふのである。

 

 海の果ては空の果てと同じなのである。それは海岸に立って水平線を眺めると、天と海が分かち難く一続きに見える事からも想像される。海の彼方の理想國・永遠の世界即ち「常世」は、水平線を越えて、天空につながったのである。そして山間に住む人々の天上への憧れと一つのものとなったのである。

 

 この二つの系統が日本人の他界観に流れてゐる。前者を水平型思考他界観と言ひ、後者を垂直思考他界観と言ふ。日本人の他界への憧れはそれが重層的な重なってゐると言はれてゐる。時期的には海への憧れの方が早く天上への憧れは新しい時期であらう。 

 

何故なら、東南アジアや大陸から来た人々は、最初は日本列島の海辺に生活してゐたから、自分たちの祖先の故郷である海の彼方を恋しく思った。この海の彼方への憧れが浦島太郎の説話などを生んだのである。

 

その後、次第に海から離れ日本列島の山間部に住むようになる、山の上即ち天上の世界に憧れを抱くようになったと思はれるからである。この天上への憧れ・ロマンが高天原神話を生んだのである。つまり日本神話及び日本人の他界観には、北方アジア的要素と南方アジア的要素が混淆してゐるのである。

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千駄木庵日乗八月十一日

午前は、諸雑務。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

午後六時半より、ホテルサンルート高田馬場にて、『一水会フォーラム」開催。木村三浩氏がスピーチ。丸山和也参議院議員が「政治経済・教育に求められる日本の気概」と題し講演。活発な質疑が行われた。内容は後日報告します。

帰宅後も、原稿執筆。

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2014年8月11日 (月)

自然の中に神の命を拝ろがむ心、祖先の霊を尊ぶ心が日本人の基本的信仰精神

日本人の伝統信仰において祭られる神は、自然に宿る神と祖霊神であった。日本人の信仰の基本は「敬神崇祖」と言われる。「敬神」とは自然に宿る神を敬う事であり、「崇祖」とは祖霊を崇めることである。

 

わが國の神々は、天津神、國津神、八百萬の神と言われるように、天地自然の尊い命であり、先祖の御霊である。わが國伝統信仰は、自然の中に生きる神の命と人間の命とが一体となって結ばれる信仰である。それと共に、自分たちの祖先の霊を崇め感謝し奉る信仰である。

 

その最も端的な例が天照大神への信仰である。天照大神は、農耕生活にとって最も大切な太陽神であられると共に、その太陽神を祭られる祭り主であられる「すめらみこと」=天皇の祖先神であられる。そして天照大神は日本民族の親神として崇められて来たのである。

 

自然を大切にし自然の中に神の命を拝ろがむ心、そして祖先を尊ぶ心が日本人の基本精神である。それはきわめて自然で自由で大らかな精神である。

 

今日、自然破壊が人間の心を荒廃せしめる大きな原因になっている。わが國の自然を大切にする心=自然保護の精神は、歴史的にも文化的にも『神社の森』『鎮守の森』がその原点である。我が民族の祖先は、古代から神々の鎮まる緑豊かな『神社の森』『鎮守の森』を大切に護って来た。それは鎮守の森には、神が天降り、神の霊が宿っていると信じて来たからである。鎮守の森ばかりではない。ふるさとの山や海に神や精霊が生きていると信じてきたのである。秀麗な山にも神が天降り、神の霊が宿っていると信じて来た。

 

天皇の御祖先である邇邇藝命は高千穂の峰に天降られたのである。そして、富士山・三輪山・大和三山・出羽三山・木曾山など多くの山々は神と仰がれ今日に至っている。

 

さらに、海の彼方にも理想の國・麗しい國があると信じた。それが龍宮信仰である。海は創造の本源世界として崇められた。

 

わが國の麗しい山河、かけがえのない道統を重んじ、日本の伝統的な文化を大切なものとする姿勢を取り戻し、祖國日本への限り無い愛と、國民同胞意識を回復しなければならない。我が國は神話時代(神代)以来の伝統精神すなわち日本國民の歩むべき道がある。それに回帰することによって現代の混迷を打開すべきである。

 

わが國の伝統信仰における最も大切な行事は祭祀である。祭祀は、自然と人の命を拝み、自然と人の命を大切にする精神の實践である。

 

天皇は日本国の祭祀主として、新嘗祭、春季皇霊祭、秋季皇霊祭などの多くの祭祀を行わせられている。そしてその祭祀は、自然に宿る神々と皇祖皇宗のご神霊へのお祭りである。天皇は、敬神崇祖の最高の実践者であらせられるのである。

 

祭祀は、自然を破壊し人の命を軽んずる現代の状況を救済し打開する原理となると確信する。日本伝統精神の価値は今日まことに大切なものとなっている。天皇を祭祀主と仰ぐ祭祀國家の本姿を回復することが現代の救済につながる。

 

天地自然に神の命が生きているという信仰が日本の伝統信仰である。そしてその祭祀主が天皇であらせられる。天皇を祭祀主とする信仰共同体が日本國の本姿である。それを現代において回復することが、大切なのである。これが道義の頽廃が根本原因である現代の様々な危機的状況を打開する唯一の方途である。

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千駄木庵日乗八月十日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆など。

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2014年8月10日 (日)

『独立行政法人国立印刷局・お札と切手の博物館』を参観して

本日見学した『独立行政法人国立印刷局・お札と切手の博物館』は、「国立印刷局が大蔵省紙幣司の名で創設されたのは、明治四年のことです。我が国において近代的な銀行券や郵便切手が誕生したのも、やはり同じ頃のできごとです。それから140年、国立印刷局は日本のお札づくり、切手づくりに一貫して携わり、その製品と共に歩んできました。その結果、今日に至るまで製造された数々の製品は、お札や切手の歴史、印刷技術の歴史を物語る貴重な資料となっております。…展示室では、お札、切手、証券など、国立印刷局が製造した各種製品と、明治期以前のお札、諸外国のお札や切手、お札の製造と深いかかわりをもつ銅版画など、様々な資料を展示し、お札の歴史、偽造防止技術などについて解説しております」という施設である(案内書)

 

貨幣や切手の歴史を語る資料が展示されていた。日本最初のお札である「山田羽書」(四百年前の江戸時代初期に伊勢の大商人が発行し、伊勢皇大神宮の門前町の名前を冠し、その信用により山田で使われたという)、江戸時代の藩札などを見る。そして明治十年に発行された近代日本第一号のお札は、海軍の兵士が描かれていた。

この後、大日本帝国国立銀行が発行した紙幣に描かれた肖像画は次の通りである。

神功皇后(明治十四年発行)、菅原道真 (明治二十一年発行)、武内宿禰(明治二十二年発行)、和気清麻呂(明治二十三年発行)、藤原鎌足(明治二十四発行)、聖徳太子(昭和五年発行)、日本武尊(昭和二十年発行)。全て天皇国日本に功績のあった方々の肖像画である。

そして大東亜戦争後は、占領軍の意向により、聖徳太子以外の肖像画は改められ、二宮尊徳、板垣退助、岩倉具視、高橋是清などとなった。小生は、これらの肖像画が描かれたお札を見た記憶があるし、聖徳太子の尊像が描かれたお札は長く使った。しかし、高橋是清の肖像画が描かれたお札は見たことがない。あまり通用しなかったのであろうか。

山村明義氏は奇しくも今日の『ブロク』で「江戸時代後期に活躍した二宮尊徳公は、現在でも神奈川県小田原市などに鎮座された(報徳)二宮神社の御祭神で、私の好きな人物の一人ですが、尊徳公をめぐる戦後史の動きには、実は大きな謎が残っています。一つは、なぜ戦後日本初の「新一円札」が尊徳公だったのかという点です。下の写真は、戦前までの武内宿禰公の一円札(昭和17年発行 武内宿禰公を御祭神に祀る鳥取県宇倍神社提供)ですが、戦後は右の写真のように、二宮尊徳公(昭和21年3月発行)になっています。当時、日本銀行には通貨発行権が事実上なく、GHQがその肖像画の人物を決めていました。勤勉と尊皇報徳の精神で有名な尊徳公は、戦後になって日教組や共産党に疎んじられ、戦前にあった小学校での銅像など撤去されてしまった人物ですが、なぜかGHQは占領初期から尊徳公を好んで使っていたのです。この点は、左翼中心の現代史の『謎の空白』です。今回の『GHQの日本洗脳』では、第7章の『経済篇』でその謎に挑みました。私自身の答えは、『尊徳公の勤勉の精神は、GHQの日本占領政策に大いに利用出来たから』というもの。現代史の解釈は、実はこのような謎や常識を覆すものが、いまだに多いのです。本をご覧になった方も、ご覧になっていない方も、忌憚のないご意見や情報提供などを頂き、日本人有志の皆さんと一緒に話し合いながら、GHQと左翼に奪われた日本の新たな真の現代史を作って行きましょう!」と書いておられる。

外国の貨幣や切手も多数展示されていた。英国はエリザベス女王、かつてのイランはパーレビ皇帝の肖像画が描かれていた。わが国近代の紙幣には、前期の通り、功績があった臣下の肖像は描かれているが、上御一人の御真影は描かれていない。切手も同じである。手垢やスタンプなどによって「天皇の尊厳性」が侵されると考えたからであろう。

貨幣・お札とはその本質は、発行した國の政府の信用が根幹となった手形であり証書であることが分かった。

 

王子は、王子製紙の創業地(明治六年)でありその工場があった。明治九年にお札の紙をつくる製紙工場として国立印刷局王子工場が創設された。王子に何故製紙工場が造られたかというと、近くを流れる石神井川の水を製紙に利用するのに便利だったためと、同じく近くを流れる荒川(現在の隅田川)の舟運の便が活用され、紙製品の運搬に便利だったためという。

 

近代日本発展の重要要素としての製紙、及び貨幣と切手の印刷は、王子において発達したということである。渋沢栄一は、大蔵少輔事務取扱・初代紙幣頭(後の印刷局長)として造幣局の草創期に関わり、王子製紙の創業者でもある。その渋沢栄一は王子製紙の工場を眼下に眺めることが出来る飛鳥山に居を構えた。

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2014年8月 9日 (土)

千駄木庵日乗八月九日

朝、諸雑務。

午前十時より、母が利用している施設にて、『施設運営懇親会』開催。運営状況の説明・各担当者からの報告などがあり、質疑が行われた。この後、母と共に過ごす。

午後は、王子の「お札と切手の博物館」見学。

帰宅後は、書状執筆・原稿執筆・資料の整理。

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神話の世界がそのまま伊勢の神宮の神殿に顕現されてゐる

稲に生育にとって太陽の光と熱は不可欠である。太陽は、稲の生育の原動力であり、人間の生命の原動力である。故に太陽神たる天照大神の御神霊と稲の霊とは不離一体である。

 

天照大御神は、「以吾高天原所御斎庭之穂、亦當御於吾兒」(吾が高天原に所御(きこしめ)す斎庭の穂を以て、亦吾が兒(みこ)に御(まか)せまつるべし。わが高天原に造ってゐる神に捧げる稲を育てる田の稲穂をわが子にまかせよう、といふ意)といふ神勅を下された。「日本國の統治者たる天皇は常に稲穂の豊饒を最高の使命とすべし」とご命令である。

 

稲作は、日本人にとって、天照大御神の「みこともち(御神勅)」によって天照大御神の「ことよさし(御委任)」を受けたところの神聖なる「なりはひ」である。稲作生活そのものが神聖なる行事である。

 

稲などの穀物は、太陽の光明温熱がなければ発育しないので、自然に、日の神祭祀と穀霊祭祀が二つながらに発展し、豊かにし、洗練され、高度化され、統一されて行ったと思はれる。

 

日本民族の主食である稲穂の「ホ」とは、日であり火であり穂であるとされる。皇室の祖靈であらせられる火照命(別名・火須勢理命、邇邇藝命の御子)火遠理命(別名・彦火火出見尊、邇邇藝命の御子)の「ホ」は、穂であり火であり日である。つまり、皇室の祖靈は稲穂の靈であり太陽神の靈であせられる。日の神・皇祖神・穀物の神靈は一体の関係にある。國民一人一人も、穀靈・日靈・祖靈の神霊に生かされてゐる。

 

天照大御神は、日神・穀霊・皇祖神としての御神格を有せられるので、その「生みの御子」たる天津彦彦火邇邇藝命も日神・穀靈を体現される。高天原の主神たる天照大御神の生みの御子たる天皇は豊葦原瑞穂國の主であらせられる。

 

『日本書紀』には、物部大連尾輿と中臣連鎌子が、欽明天皇に奏上した言葉として、「我が國家(みかど)の、天下に王(きみ)とましますは、恒に天地社稷(あまつやしろくにつやしろ)の百八十神(ももあまりやそかみ)を以て、春夏秋冬、祭拝(まつ)りたまふことを事(わざ)とす」と記されてゐる。天皇は祭祀主として日本國を統治される。天皇の神聖権威の根源は祭祀主たることにある。

 

伊勢皇大神宮ご正殿・御稲御蔵・外幣殿といふ神殿そのものが、稲作文化から発生した日本傳統信仰の結晶である。神話の世界がそのまま、神殿に顕現されてゐるのである。

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千駄木庵日乗八月八日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、書状執筆・原稿執筆・資料の整理。

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2014年8月 8日 (金)

シンポジウム「東シナ海での危機回避に向けた日中対話の必要性」における登壇者の発言

五月二十九日に行われた笹川平和財団主催『公開シンポジウム「東シナ海での危機回避に向けた日中対話の必要性」―航行安全をめぐる日中民間対話の試み―』における登壇者の発言は次の通り。

 

羽生次郎氏(笹川平和財団会長)「最近の日中戦闘機の接近はかなり危険。解決・協議・対話の糸口もない。偶発的衝突が起こる可能性あり。日中では海洋法の解釈が異なる。衝突をどう回避するかが問題。パトロールボート同士の衝突をどう防ぐか。国際海洋法条約の解釈が問題となる。日本の海保と中国の海警との信頼関係が重要。敵対する二国間でも信頼醸成は有効。冷戦時代でも米ソで一九七二年に協定が結ばれた。CBМ(信頼醸成装置Confidence-building measures)は機能する可能性高い。船舶同士の衝突による損傷、相手国民の逮捕などが考えられる。両国政府の明確な合意が必要。相手方のパトロールボートが自国海域で違法行為をしなければ強力な措置をとらなくて良いが、逆の場合も出る。情報交換、武器使用についての協定が極めて大事。偶発的事故が起こる可能性あり。そしてナショナリズムの対立につながる危険あり。法執行機関同士の信頼関係醸成が大事。憲法の制約内で『集団的自衛権』の行使可能」。

 

朱鋒氏(北京大学教授)「中日関係はどのようなルートでも、とても複雑な状況を改善しようと努力している。中日両国の安定は必要であり、危機管理が必要。双方の国民感情が遠く離れすぎている。政治的対抗がある。両国にナショナリズムが立ち上がっている。政府レベル民間レベルで中日関係の衝突を減らしていきたい。釣魚島問題でCBМを立ち上げたい。お互いに責めるだけではいけない。双方とも柔軟性が必要。釣魚島問題がどちらに帰属するかと話しても解決できない。それを横に置いて危機管理と信頼関係醸成に努力した。ただ単に相手方を非難するのではなく、中日の専門家として目や能力を尊重した。日中双方の専門家が、率直に意見交換ができた。それぞれの国内法を理解することができた。透明性が高くなった。お互いの信頼情勢のメカニズムが必要。危機管理措置を構築しようとしている。時限爆弾の危険性を下げるには、危機管理が必要。お互いの行動は抑制的であるべきだ。政治的チェックを働かせる必要あり。西側の学者は『世界第一、第二の大国が、人が住んでいない島で争うのが不思議』と思っている。釣魚島の危機管理は衝突を避けるだけでなく、感情的対立を減らしていくことが大事。日本は集団的自衛権行使を容認すべし。しかし、憲法改正をしないのは日本の民主主義に合わない。また集団的自衛権行使の狙いが釣魚島であればそれは危険。緊張を増す。釣魚島に日本が軍を派遣すれば、中国も軍を派遣することになる。私は日本の法律改正を尊重する。日本を民主主義国家として尊敬する。しかし釣魚島を想定した法改正には悲観してしまう。これは脅しではない。戦略的忍耐力が必要なのに何故できないのか。その原因は。①中国の三十年間の発展が早すぎた。②中国の外交が国内のナショナリズム抬頭の虜になっている。中国国民は中国外交が弱腰だと思っている。民意によって外交ががんじがらめになっている。③陸上では十五、海上では七つの国と国境を接しているという中国の特殊性。日本は明治維新以後近代国家に仲間入りした。国際法をきちんと理解している。しかし中国は一九四九年から今日まで、毛沢東の『革命の時代』・鄧小平の『改革開放の時代』・習近平の『中国の夢の時代』を経験している。中国と世界の関係を合理的に考える時代はまだ来ていない。中国外交はおかしな方向に飛んでいく。釣魚島問題は、中国にとって日清戦争後の歴史の一部である。日本は二千年に及ぶ隣国として中国をやさしく見てほしい。中国はまだ十八歳くらいの高校生。反抗期。グローバリゼーションか高まれば中国は成長する。これからの二十年が大切」。

 

中谷和弘氏(東京大学教授)「対話はアカデミックにして友好的に行われた。領有権については一切話さない。個人の資格で参加。何かあるとナショナリズムが湧き起る。日中の見解の相違は致命的ではない。お互いの法制度・法解釈を理解することが大事。空域においても航行安全の対話が必要」。

 

洪農氏(中国南海研究院)「東支那海には国際法・国内法を適用すべし。国が違えば法執行の在り方も違う」。

 

真山全氏(大阪大学教授)「この報告書は領有権問題を棚上げにして信頼関係を醸成できるのか。お互いに法執行をしないことができるのか。日中専門家で大事な枠組みができた。領土問題はないと日本は考える。中国は、紛争はないとしている。紛争があるとすると『国連憲章』の平和的解決の義務が発生する。紛争はないのならそういう義務は発生しない。法的には双方に武力行使はできないという歯止めがかかる。この報告書は紛争があるかないかには立ち入らない。日中いずれの主張も原理的には衝突しないという報告。そして具体的措置が書いてあるところがこの報告書の最大の意義。お互いに妥協していない報告書。法執行の一般論として限界を検討している。この報告書の通りになれば緊張は緩和できる」。

 

飯田将史氏(防衛省防衛研究所主任研究官)「個人の立場で発表する。CBМの可能性は難しいが必要性はある。国家間の不確実を減少する措置。中国の公船の活動が活発化している。海軍の権益取得が活発化している。中国がレーダー照射を行った。海保と海警が接近して牽制している。中国機が自衛隊の情報収集機にスクランブルをかけた。海上と上空での信頼醸成が必要。先例から学ぶべし。これまでの積み重ねがある。『海上事故防止協定』は米ソで一九七二年に結ばれた。一九八八年の黒海での米ソ間船の衝突のエスカレート防止に役立った。日中でのCBМ実行の前提条件は①領土主権・海洋権益を損なわない形で行う。この条件はクリアできる。②両国に不測の事態を起こしてはいけないという共通認識がないと実行は難しい。現実的には楽観できない。規範の共有と深化のための定期協議が必要。エスカレーションの防止には様々のレベルで連絡機関が必要。共同訓練の実施も考え得る。海警・海保は直接の通信は行われていない。グレーゾーンとは既存の法制度・法体系では対応できないこと。法改正につなげていく」。

 

干鉄軍氏(北京大学准教授)「二〇一二年に中日関係が急速に悪化した。国民感情も対立。日中は危機状況にある。衝突が発生すれば厄介になる。CBМの構築は日中の急務。危機管理は広い範囲のCBМの一つ。当局同士の対話と意思疎通が必要。そのメカニズムを構築すべし。政治家とメディアが相手方をよく理解し、相手方の立場に立って考えるべし。アメリカが建設的役割を果たしてほしい。習近平時代になって日中対立は高まっている。憲法改正について他国がどうのこうの言うべき事ではない。危機管理にはガイドラインがある。ゼロサムの形で相手の譲歩を求めてはならない。中国は後発組。発展したがダメージもある。既存の体制にとって発展する国は脅威となる。今の中国は発展が早すぎた。自分をどう位置付けるかはっきりしていない。外国に強硬なイメージを与えてしまう。一方、国内では弱腰という批判が起る」。

 

李恩民氏(桜美林大学 教授)「歴史の中で民間外交に注目し研究して来た。民間外交は大きな役目を果たせる。梅屋庄吉と孫文、魯迅と内山書店というように戦争の時も民間交流は堪えなかった。戦後の周恩来と稲山嘉寛。民間の協力なくして安定した関係はできない。グローバルに視点が必要」。

          ◎

共産支那の知識人には比較的まともな考え方を持つ人もいるということか。これが支那国民全体の共通認識になれば良いのだが…。しかし、共産支那の領土拡張・軍事的覇権確立の動きは世論に動かされているだけではなかろう。

 

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千駄木庵日乗八月七日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

御徒町で、友人と懇談。

帰宅後は、原稿執筆の準備、書状執筆など。

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2014年8月 7日 (木)

日本国が立憲君主国家であることを否定し、天皇陛下を政治利用した後藤田正晴

後藤田正晴は、イラン・イラク戦争の時、海上自衛隊の掃海艇をペルシャ湾に派遣する問題が浮上した際には、「私は閣議でサインしない」と猛烈に反対し中曽根総理(当時)に派遣を断念させたという。さらに、湾岸戦争の時アメリカから「自衛隊派遣を要請」された際にも、後藤田は「アリの一穴になる」と言って強硬に反対したという。

 

では後藤田とはどういう人物か。後藤田は、平成十二年十二月五日号の『日本経済新聞』で、中央省庁再編に関するインタビューに答えて、「まず大臣という名前を変えたらどうか。だれの臣下ですか?行政の長なんだから『長官』でいい」などと述べた。

これは天皇を君主と仰ぐ神代以来の日本國體を否定し、さらに「現行憲法」体制においても日本は立憲君主國であるという事実を否定する許しがたい発言である。社民党や共産党や極左分子がこのような発言をするならともかく、警察庁長官・内閣官房長官・自治大臣・内閣副総理を歴任し体制側の頂点に立ったと言ってもいい政治家が、國體否定の思想をもっていたのである。

 

高橋紘一氏はかつて次のように論じた。「(注・天皇は宇佐美毅宮内庁長官を)『律儀者』と評したという。しかし彼の頑迷さは皇室を『政治外』に置くことに効があった。宇佐美が退いて一〇年、最近、皇室が政治に巻き込まれる例が目立つ。皇太子訪米が外務大臣と米大統領の会見で出たり、皇太子訪韓を故意にマスコミにリークし、〝自然承認〟させたりする。『在位六〇年式典』の日取りを、中曽根首相の政治日程に合わせるなど、論外である。…政治家の皇室利用に対して宮内庁幹部は厳然たる態度をとらねばならない」と論じた。(「人間天皇演出者の系譜」・「法学セミナー増刊・天皇制の現在」昭和六一年五月発行)

 

中曽根内閣当時の内閣官房長官は後藤田正晴であり、宮内庁長官は富田朝彦であった。富田は、宮内庁長官時代、カミソリとはいれた元の上司・後藤田正晴官房長官に対等にものが言える立場ではなかったであろう。部下同然に対応されたのではないか。そして政治権力・官邸が、畏れ多いことではあるか、天皇・皇族対し奉り、政治権力・官邸の意のままにしようとしたのである。その富田朝彦の遺族は「富田メモ」とやらを「日経新聞」に売り渡したのである。

 

私は、日共・社民などの國體破壊勢力が許せないのは言うまでもないが、権力の中枢にはびこっていた反國體勢力、皇室を蔑にする権力者はもっと許せないと思っている。自民党政権においては後藤田正晴、民主党政権においては小沢一郎である。彼らは実際に権力を掌握していたが故に、天皇・皇室を「政治利用」するのみならず、不敬行為・國體隠蔽を現実に実行したからである。かつての江戸時代の徳川幕府による朝廷圧迫を想起する。

余談だか、後藤田は、内務官僚として奥野誠亮先生の一期後輩である。同じく東京帝国大学法学部卒業で、同じ年代で同じような人生を歩んでいる。しかし、奥野先生は、尊皇の政治家であり正しき国家観・歴史観を持っておられる。後藤田は全く逆である。また、安保国防でもおかしな主張をし、典型的な「媚中政治家」であった。

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2014年8月 6日 (水)

千駄木庵日乗八月六日

午前は、諸雑務。

午後二時より、永田町の自民党本部にて、高村正彦自民党副総裁にインタビュー。『伝統と革新』掲載のためなり。

帰途、『伝統と革新』編集実務担当者と懇談・打ち合わせ。

帰宅後は、原稿執筆の準備など。

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倭太后の天智天皇への挽歌

和歌史上において別けても雄大にして意義の深い倭太后の天智天皇への挽歌

 

天皇、聖躬不豫(おほみみやくさ)みたまひし時、太(おほ)(きさき)の奉れる御歌 

 

(あま)の原ふりさけ見れば大君の御命(みいのち)はながく天(あま)()らしたり

(一四七)

 

第三七代・天智天皇がご病気になられた時に、皇后・倭太后(やまとのおほきさき)が奉られた御歌。

 

【聖躬不豫みたまふ】非常に重い病気になられた事。「聖躬」とは天皇の御體の尊称。【天の原】広々とした大空、限り無い天空のこと。単なる大空というよりも天に近い空という神聖性の意味が込められている。【原】「海原」「國原」と言うように広々としたところを言う。【ふりさけ見れば】「フリ」は、振り仰ぐことで、動詞の上に置いてその動詞を強める働きをする。「サケ」とは遠くを見る意。天空いっぱいの大空をふり仰ぐことを「ふりさけ見る」と言う。【大君】天智天皇。【御命】御寿命。【ながく】時間的長さ。【天足らしたり】天空いっぱいに満ち満ちてゐるなあという意。「足らす」は足るの尊敬語。寿命が満ち足りるという意味もある。

 

 通釈は、「天空をふり仰いでみると、大君の御命は永遠に天空に満ち満ちている」という意。

 

大君は現御神(この世に現れた神)であるという信仰から、自分の夫君ではあっても、皇后は天皇の御病気のご回復を祈られて、このような表現を行った。天皇は稲作生活を基本とする共同體である日本の中心におられて豊作を祈る祭祀主であられ、天地の神と一體の永遠の御存在であられるといふ信仰を持った。この御歌は、その信仰的真實を表現されたのである。

 

 この御歌の価値は、雄大なる信仰を表白したところにある。天智天皇に対する讃美であるとともに無窮の御命を祈願し祝福したのである。

 

 「聖躬不豫みたまふ」とは単に病が重いというのではなく、重態であるという事である。回復される見込みのない病気の時に「天皇の御命は天空に満ち満ちている」と歌われたのである。「かくあれ」と祈られたのではなく、「かくある」と信じ断定されている。これがこの御歌のすごいところである。御病気が直ろうと直るまいと、天皇の御命は天空に満ち満ちているという歌であり、御病気が早く癒えてくれ願うよりももっと高い次元におられて歌われたのである。

 

天皇の御生命が円満完全にして永遠の御存在であることを断定的に歌っておられる。「天皇の御命を長く生かしたまへ」と歌ったのではない。天皇の神聖性と生命の永遠性を歌っている。『萬葉集』の挽歌の中でも、これほど雄大にして力強く、古来からの日本民族の天皇信仰と生命観をうたいあげている歌は無い。

 

 天皇にお元気な本来のお姿に戻って頂きたいという祈りを歌ったと共に、たとえ崩御されても現御神としての天皇の御命は永遠不滅であるという信仰を歌ったのである。

 

 國土讃美の歌にもこのような信仰があった。「うまし國ぞ あきづ島 大和の國は」という舒明天皇の御製がそれである。「素晴らしく良い國であるぞ大和の國は」と断定的に歌っておられる。萬葉集初期の歌にはこのような強い信仰心が歌はれた歌が多い。

 

 天智天皇は、天智天皇十年(六七一)九月に発病され、十二月に、四十六歳で崩御された。この皇后の御歌は晩秋から初冬にかけての時期に歌われたと思われる。晩秋の青く澄んだ高い大空を見上げて歌ったのである。この歌の緊張感は澄み切った秋の大空をイメージしている。

 「天の原ふりさけ見れば」という上の句には心の充實感と張りがあり、「大君の御命はながく天足らしたり」という下の句には確信と豊潤な調べがある。上の句と下の句が合體して、揺るぎない格調を生み出している。古代人の生命観・天皇観が歌われていると共に、夫であられる天皇に対する妻としての強い愛が込められている。

 

わが國には言靈信仰があった。このような祈りの歌を歌うことによって、その言霊の力が病気を回復させると信じたのである。初期萬葉の歌は、単なる文芸作品として詠まれたのではなく、祈り・信仰的表白として歌われた。そうした上代日本人の和歌の極致的なものがこの御歌に集約されている。わが國和歌史上において、別けても雄大にして意義の深い御歌である。この御歌を拝すれば、天智天皇が暗殺されたなどという説は全くの虚構であることは明らかである。

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千駄木庵日乗八月五日

午前は、諸雑務。

午後は、明日のインタビューの準備。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、原稿執筆の準備など。

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2014年8月 5日 (火)

「お月様」について

次の二首は「百人一首」に収められてゐる歌である。

 

清原深養父(きよはらのふかやぶ)

 

夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ

 

「夏の夜は、まだ宵のうちだと思っているうちに明けてしまったが、雲のどの辺りに月は宿っているのだろうか」といふ意。

 

『古今和歌集』所収。「月のおもしろかりける夜、暁がたによめる」との詞書がある。「おもしろかりける」とは、月に感興をそそられる意。作者が月見をしていた夏の夜明けに、夏の夜が短いことへの驚きを詠んだ。あまりにも早く夜が明けたので、月はまだ沈むことが出来ず、雲に隠れたのだろうと表現したところに面白さがある。

 

【宵】日没からしばらくの間のことで、夏なら午後七時から

九時くらいの間。【ながら】状態の継続を表す接続助詞で、「~のままで」。【明けぬるを】明けてしまったが。【宿る】月を擬人化している言葉。

 

清原深養父は清少納言の父・清原元輔の祖父。延長八年(九三〇)従五位下。中納言兼輔、紀貫之などと交流があり歌壇で活躍。琴の名手。晩年は、洛北の大原近くに補陀落寺を建て隠棲。

 

大江千里 

 

月見れば ちぢにものこそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど

 

「秋の月を眺めてゐると、色々なことが限りなく悲しく感じられることだ。秋は私一人だけのために来たのではないのだが」といふ意。

 

『古今和歌集』所収。秋という季節の独特の感傷を理知的に詠んだ。『白子文集』(唐の文学者・白居易の詩文集)の詩句「燕子楼中霜月の夜 秋来りて只一人の為に長し」がもとになってゐると言う。漢詩を和歌に移し替えただけでなく、秋の夜の寂しさが伝ってくる。

 

 

【ちぢ】千々。さまざまにの意。【もの】もの悲しいのもので作者をとりまく様々な事象。【こそ】強意の係助詞。【わが身一つの】私一人だけの。上の句の「ちぢ」と鮮やかな対照になっている。

 

 

大江千里(おおえのちさと)は、生没年未詳。平安前期の歌人、漢学者・漢詩人。阿保親王の孫。在原行平・業平の甥。宇多天皇の勅命により『句題和歌』を編纂。

 

自然は美しい。特に「月」は、日本人が歌に俳句によく詠む自然景物である。

月を眺めて楽しむことを月見と言ふ。月見は、主に旧暦八月十五日から十六日の夜(八月十五夜)に行はれる。野口雨情作詞・本居長世作曲「十五夜お月さん」といふ童謡もある。この夜の月を「中秋の名月」と言ふ。

 

折口信夫氏は次のやうに論じてゐる。「月見の行事の心の底には、昔から傳ってゐるお月様を神様と感じる心が殘ってゐる。さういふ風に昔の人が、月夜見命などゝいふ神典の上の神とは別に、月の神を感じて居り、その月の神に花をさしあげるのが、月見といふのです。月見はお月さんのまつりのことです。……神が天から降りて來られる時、村里には如何にも目につく様に花が立てられて居り、そこを目じるしとして降りて來られるのです。昔の人はめいめいの信仰で自分自身の家へ神が來られるものと信じて、目につくやうに花を飾る訣なのです」(『日本美』)

 

この折口氏の論述で注目されるのは、日本人の多くは、月夜見命といふ神典の上の神とは別に、月の神を感じていたとしてゐることである。これは一体どういふことか。

 

上代から今日に至るまで、日本人は月を愛で、月を拝み、月を歌って来た。しかしそれは、『記紀』に登場する「月夜見命」を拝んだり祭ったり歌ったりしてきてゐるのではないと言ふのである。たしかに、月夜見命は、同じ三貴神である天照大御神・須佐之男命と比べると、祀られてゐる神社もは少ないし、神話や伝説への登場も少ない。これは重要なことなので、これから勉強してみたい。

 

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2014年8月 4日 (月)

千駄木庵日乗八月四日

午前は、諸雑務。

午後からは在宅して、資料の整理、原稿執筆の準備、書状執筆など。

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2014年8月 3日 (日)

わが國による朝鮮統治は植民地支配ではない

わが國の朝鮮併合を『植民地支配』とするのは大きな間違いである。朝鮮は日本の植民地ではなかった。九州・四國と同じに考えられた合邦國家であった。だから朝鮮総督府は内閣に直属していた。

 

 明治天皇の『韓國併合に付下し給へる詔書』(明治四十三年八月二十九日)に、「(朝鮮の注)民衆は朕が綏撫の下に立ちて其の康福を増進すべし。産業及び貿易は治平の下に顕著なる発達を見るに至るべし。而して東洋の平和は之に依りて愈々其の基礎を鞏固にすべきは朕の信じて疑はざる所なり」と示されている通り、わが國には韓國・朝鮮を植民地する考えは全くなかった。

 

 従って、朝鮮、台湾、樺太を外地と呼ぶことはあったが、植民地と呼ぶことは政府によって排された。事実、民法、刑法を始め大半の法律は内地と同一内容で施行され、各種の開発や公共事業も進み、医療衛生制度や教育制度も整備され、内地の政府民間の負担も相当の額に達した。そして乱脈だった李朝末期の韓国社会を正し法治社会をもたらした。これは欧米列強の植民地支配・愚民政策・搾取行為とは全く異なるものであった。

 

 わが國が朝鮮半島において植民地搾取を行ったと言うなら、『数字』を根拠とするべきである。朝鮮統治三十六年間、朝鮮総督府の財政予算の一五~二0%は日本中央政府から補助を受けていた。『日本は朝鮮半島の土地を収奪し、人の命を収奪した』と言うが、日本統治時代に朝鮮の土地の利用価値・生産価値を高め、三十七年間の自然・社會環境の整備によって人口を倍増せしめた。

 

 また日韓併合と同時に多くの朝鮮人が雪崩を打って日本に来た。二百万人近くやって来た。その上毎年何十万という朝鮮人が出稼ぎに来た。日本の方が朝鮮の植民地になったと言っても過言ではない。

 日本統治時代に韓国に大きな投資を行ったために、韓国が惨めだった状況から一足飛びに近代化したことは歴史的真実である。日本が韓国統治において一方的な収奪したというのは大きく事実に反する。

 

 十九~二十世紀にかけて『合邦國家』は、日本と朝鮮だけでなく、中南米・欧州にも多くあった。ノルウェーとデンマーク、チェコとスロバキア(これが一番日韓と似ている)、オーストリアとハンガリー、スコットランドとイングランドなどである。『合邦國家』の誕生は「侵略」でもなければ、「植民地支配」でもなかったのである。

 

 韓国は江華島条約(明治八年)から日韓併合(同四十三年)に至るまでの歴史を、一貫して日本の計画的意図に基づく侵略と見ているが、このような史観は我々日本人には到底受け入れることはできない。明治の父祖が心血をそそいだのは、欧米列強からいかにして祖国の独立を守り抜くかということであった。そして隣接する朝鮮とその周辺が強大国の支配下に入ることは日本の安全を脅かされるものとされた。日本自体が朝鮮半島へ進出すべきだというのではなく、朝鮮が第三国の属国にならないようにするというのが、『朝鮮独立』を目指した明治前半期の日本の対朝鮮政策であった。日本が国運を睹して戦った日清、日露両戦争が韓国の独立保全を目的として戦われたことは両戦争の宣戦の詔書に明らかに示されている。

 

 日韓併合以前の朝鮮は混乱の極にあった。朝鮮併合の翌年支那に辛亥革命が起こり、清朝は滅亡している。李王朝は専制政治だった。勢道政治(一族政治)などの言葉も残っている。それが日本との併合によって安泰を得た。日韓併合前の朝鮮即ち李王朝政府は名のみのものであって、その実力は全く失われ、当時の朝鮮は独立国家の体をなしていなかった。

 

 日露戦後、韓国は日韓協約により我が国の保護国とされ、伊藤博文が初代統監に就任した。この協約締結に際しての伊藤博文の態度は今日批判を受けているが、その伊藤も本心は韓国韓国を名実伴う独立国にすることにあった。韓国皇太子・李王垠殿下は伊藤博文を追慕して「伊藤は『自分は今、韓国を立派な国に建て直すために懸命の努力を払っておりますが、殿下はやがて韓国の帝位にお就きになる方ですから、それに相応しい御修行にお励みになりますように』と常々申していた」と語ったという。

 

 しかしそうした伊藤公の真摯な心を韓国民は理解することができず、ついにハルピン駅頭において伊藤公は安重根の銃弾によって暗殺され、日韓併合の至るのである。

 

 韓国人の独立運動も国内外において続けられたが、一般の民衆から孤立し、限定されたものであった。韓国人の多くは日本統治体制に協力し、多くの有為な韓国人青年が日本軍将校として志願した。日本に協力し日韓融合に努めた多くの青年達が、韓国が独立した後、大統領・首相・閣僚・参謀総長・企業家・高級官僚・学者をはじめとする国家指導者となった。こうした事実を否定することはできない。その一人が、朴正煕元大統領である。

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千駄木庵日乗八月三日

午前は、諸雑務。

午後は、『月刊日本』連載の「萬葉集」評釈原稿執筆。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、原稿執筆・脱稿・送付。資料の整理。

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日本と韓国は、伝統信仰・根源的な民族信仰において異質である

今日、呉善花女史から、「韓国人には、『水に流す』『潔い』という発想はない」という話を聞いた。

 

日本伝統信仰の祭祀で唱えられる「大祓の詞」には、「此く持ち出で往なば荒潮の潮の「高山の末。低山の末より。佐久那太理に落ち多岐つ。早川の瀬に坐す。瀬織津比売と伝ふ神。大海原に持出でなむ。八百道の八潮道の潮の八百曾に坐す。速開都比売と伝ふ神。持ち加加呑みてむ。此く加加呑みては気吹戸に坐す気吹戸主と伝ふ神。根国底国に気吹放ちてむ。此く気吹放ちては根国底国に坐す。速佐須良比売と伝ふ神。持ち佐須良比失ひてむ此く佐須良比失ひては。今日より始めて罪と伝ふ罪は在らじと。今日の夕日の降の大祓に祓へ給ひ清め給ふ事を諸々聞食せと宣る」と示されている。

 

人間の罪穢れは、激しい川の流れにから海に流し、さらに大海原の彼方に流し、神様に呑みこんで頂き、海底の國のいます神が祓い清めて下さるという信仰が書かれている。まさに罪穢れを「水に流す」ということが示されているのである。

 

日本人は「清浄」を尊ぶ民族である。人間はこの世に神から命を授かり、神の子として生まれてきているので本来清浄な存在なのだが、生きていくうえで色々な罪を犯し、穢れることがある。神を祀り、祝詞を唱え、禊を行うことによって、その罪穢れを祓い清めることができる、というのが日本人の信仰である。そしてその『禊』は水で罪穢れを流し去る行事である。

 

一言で言えば、日本伝統信仰は、「水に流す」ことによって、罪穢れを祓い清めることができるという思想である。日本人は「潔さ」を最高の美徳とする民族である。韓国人はそういう所がないという。 

 

さらに、「韓国のキリスト教は、新教(プロテスタント)が主で、旧教(カトリック)は広まっていないのは、韓国は男尊女卑の國であり女性を崇めることを嫌うので、カソリックの『マリア信仰』を受け入れないからである」という話をうかがった。

 

わが国の伝統信仰は、天照大御神という女性神を最高神・皇室の御祖先神として崇め奉っている。わが国には女性蔑視の思想は根源的にあり得ない。

そもそも我が国と韓国との、キリスト教徒の数の違いは、精神文化の違いを明瞭に示している。韓国はキリスト教徒が強大な勢力を持っているが、日本ではキリスト教徒は少数である。この違いは一体どういうことであろうか。もっとも韓国のキリスト教はオカルト的な教団が多いという。再臨のキリストとか生き神といわれる人が多いという。

 

このように、日本と韓国は地理的には近隣国家であるが、根源的な伝統信仰・精神文化においては異質である。この事をきっちりと認識すべきと思う。

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千駄木庵日乗八月二日

午前は、諸雑務。

午後三時より、西荻窪にて、呉善花女史にインタビュー。『伝統と革新』掲載のためなり。

帰宅後は、原稿執筆の準備。

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2014年8月 1日 (金)

山村明義氏による「自公政権と集団的自衛権の行方」と題する講演内容

五月二十五日午後五時半より開かれた『政教分離を求める会』『日本の心を学ぶ会』合同勉強会における山村明義氏による「自公政権と集団的自衛権の行方」と題する講演内容は次の通りです。

 

「創価学会・公明党がキャスティングポートを握っている。朝日新聞は『集団的自衛権』潰しに創価学会を使った。保守系は二十年前に比べると強くなっている。二十年前の二十倍の力を持って来ている。二十年前は、福祉医療が左翼に牛耳られていた。今は、そうした手段がないので、左翼は宗教団体に目をつけた。創価学会婦人部は反戦平和活動をしてきた。単純なおばちゃんはマインドコントロールされやすい。朝日は学会の広報室のコメントを一面に報道した。普通ならあり得ない。創価学会を利用することによって生きながらえるという意志表示。

 

『集団的自衛権』は終戦直後から持っている。朝鮮戦争の時、海上警備体(海上自衛隊の前の組織)が日本海から機雷を壊して回った。旧海軍の人々がアメリカ軍に頼まれてやった。これは『集団的自衛権』行使そのもの。一国平和主義でやって行けば大丈夫という勢力がまだ残っている。

 

自民党の中に創価学会がかなり食い込んでしまった。自民党は『危険、恐ろしい』と言いながら公明党と組んでいる。小沢一郎と市川雄一が組んで新進党が出来た。自民党にとって大打撃だった。野中広務、森喜朗が、公明党創価学会を味方にすべしということで動いた。

 

平成五年(1993)年5月4日の日本人文民警察官(高田晴行・岡山県警警部補など)死傷事件で、創価学会婦人部が動揺。『戦争駄目、武器駄目、自衛隊駄目』という旧社会党と同じような考えが学会婦人部に多い。最近も変わっていない。

 

名誉会長が病気。トップが出て来ないのが深刻な問題。組織に亀裂が生じている。十二、三年前、自民党に『四月会』が出来た。亀井・白川らが創価学会と対決する政教分離を目指した。

 

『日本国憲法』第八十九条に「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない」と謳われている。GHQが神道を潰そうとした。戦後の精神的空白にキリスト教を入れようとした。七千万人の日本国民全員をキリスト教にしようとした。これは間違いであり信教の自由に矛盾している。八十九条は、国からの支出を禁止しているのであって、収入はいくらでもOK。

 

池田大作の預金口座は一兆円を超えているという。金が池田の力の源泉。学会公明党は法律の専門家が出世する。冬柴・北側・山口那津男。

 

石破茂のバーティで井上義久公明党幹事長は『石破氏は日本を背負って立つ人。石破氏に期待している』とはっきり言った。週一回は必ず石破と公明党幹部が食事をすることになっているという。公明党の方が自民党より優位に立っている。自民党は二年三か月の野党時代の傷が癒えない。だから公明党と一緒にやりたい人が多い。

 

Xデイを十年前から研究して来た。分裂するのは間違いない。十年前の研究では三つに分裂。①原田会長の下でまとまる、②池田博正派、③池田尊弘派、の三つに分かれる。正木正明理事長を婦人部や関西創価学会が立てる。『集団的自衛権』反対。谷川佳樹事務総長は自民党寄り。『集団的自衛権』イケイケ派。公明党一年生議員。『集団的自衛権』の後に憲法改正がある。公明党と一緒にやっていて良い憲法ができるわけがない。沖縄県知事選、福島県知事選で公明党創価学会の腹積もりが分かって来る。創価学会婦人部にどんどん左翼が入って来ている。創価学会公明党を何とかしないと日本の将来はない。中国気が三十㍍に接近しても日本は何もできない。こちらから手が出せない」。

 

          〇

日共・朝日新聞など反日勢力・共産支那の手先は、狂気のごとく「集団的自衛権行使容認」に反対している。これまで「敵」と思われてきた人物まで利用して、反対キャンペーンを行っている。そして、欺瞞的「立憲主義」「反戦平和」を論じ立てている。内外の反日勢力にとって「集団的自衛権行使容認」は困ることなのであろう。

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千駄木庵日乗八月一日

午前は、諸雑務。介護ヘルパーの方と母のことを相談。

午後は、明日のインタビューの準備。

この後、施設に赴き、母に付き添う。元気なり。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事、原稿執筆。

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日韓関係と「事大主義」

日本と韓国とは近親でも身内でもない。異文化・異民族であることをもっと確認すべきだ。当たり前のことだが、日本と韓国とは別の国であり別の民族である。地理的には近隣でも文化的・民族的には決して近隣国家ではない。

 

また、アジア・東洋でひとくくりにするのは誤りである。アジア諸国家・諸民族には文化・歴史・宗教などに大きな違いがある。それぞれ個性がある

 

日本人そして日本文化は排他的ではなく、非常に大らかで包容力がある。韓国人及び韓国文化は排他的・独善的である。

 

それが、日本近代は開国攘夷路線を推し進めて近代化を遂げ、他国の植民地にならず発展し、韓国近代は鎖国攘夷路線に固執したために近代化に失敗し、独立を維持できなかった原因である。

 

李氏朝鮮の鎖国攘夷路線、そして事大主義(じだいしゅぎ・小が大に事(つか)えること)という外交路線が韓国を滅ぼしたのである。

 

新羅・高麗・李朝など朝鮮半島に生まれた王朝の多くは、支那大陸の中原を制した国家に対して事大してきた。

 

漢城の西大門である敦義門のすぐ外、義州を経て北京に至る街道に建てられていた迎恩門とは、支那皇帝の臣下であり、冊封国であった李氏朝鮮の歴代の王が、明代および清代の支那皇帝の使者を迎えるための門である。迎恩門とは恩のある支那皇帝の使いが通る門という意である。

 

崔基鎬氏によると、迎恩門は朝鮮国王が三跪九叩頭の礼によって明代および清代の支那からの使者を迎えた場所である。

 

その迎恩門に隣接して建てられていた慕華館は、清の使節団が滞在する建物である。慕華館とは字面を見ても明らかだが『中華を慕う館』という意である。

かくの如く李氏朝鮮は、支那の属国であった。

 

しかし日清戦争によって、韓国・朝鮮は清の桎梏下から脱し、独立を達成した。そして、「迎恩門」は破壊されて、その場所に独立を記念する西洋式の「独立門」が建立された。そしてその後、日本が統治したことによって韓国・朝鮮は近代化を遂げ発展したのである。今日、韓国はその事を日本に感謝することは全く無い。

 

韓国は近代になっても、強い方につくという事大主義という外交姿勢は変わらず、李氏朝鮮時代は支那、その後、ロシア・日本、そして戦後はアメリカ、さらに今日は支那というように「事(つか)える」相手を変えて来た。朴正煕は「自律精神の欠如」として事大主義を批判していたが娘は確実に事大主義を継承している。

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千駄木庵日乗七月三十一日

午前は、諸雑務。

昼、ある新聞記者の方と懇談、意見交換。

午後からは、在宅して、八月二日に行われるインタビューの準備、原稿執筆、書類整理など。

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