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2014年7月18日 (金)

江戸時代も、天皇を日本国の神聖君主と仰ぐ精神は脈脈と傳へられてゐた

武家が専横を極めてゐた江戸時代においても、天皇を日本国の神聖君主と仰ぐ精神は脈脈と傳へられてゐた。征夷大将軍は天皇の臣下であるといふ大義名分は失はれることはなかった。  

 

『円覚院様御伝十五箇条』に見える尾張徳川家四代・徳川吉通の家訓に、「今日の位官は、朝廷より任じ下され、従三位中納言源朝臣と称するからは、これ朝廷の臣なり、されば水戸の西山殿(註・徳川光圀)は、我らが主君は今上皇帝なり、公方(註・征夷大将軍)は旗頭なりとのたまひしよし」と見える。

 

徳川御三家の水戸藩二代藩主徳川光圀は、「水戸藩の忠誠の対象は朝廷である。徳川宗家・征夷大将軍は旗頭である」と言ったといふ。徳川御三家筆頭の尾張藩は、「もしも、朝廷と江戸の将軍の間で対立が起ったら、わが藩は朝廷に従ふ」と言ひ傳へてゐたといふ。

 

山鹿素行(江戸前期の儒者、兵学者)は、「朝廷は禁裏也、辱も天照大御神の御苗裔として、萬々世の垂統たり、此故に武将権を握て、四海の政務武事を司どると云ども、猶朝廷にかはりて萬機の事を管領せしむることわりなり」(『武家事紀』)と論じてゐる。

 

松平定信(江戸後期の白河藩主。田安宗武の子。徳川吉宗の孫。老中となって、財政の整理、風俗の匡正、文武の奨励、士気の鼓舞、倹約を実施して寛政の改革を実行)は、天明八年十月に将軍家斉に奉った上書で「六十余州は禁庭より御あづかり遊ばされ候御事に御座候へば、仮初にも御自身の物とはおぼし召され間敷候御事に御座候」と論じた。

 

山県太華(長州明倫館学頭・藩主毛利斉元の側儒)は、「天子は、先皇以来正統の御位を継がせ給うて天下の大君主と仰がれ給ひ、武将は天下の土地人民を有ちて其の政治を為す」(『評語草稿』)と論じた。

 

このやうに、江戸時代においても、日本国の君主は天皇であり、征夷大将軍はその臣下であるといふことが大義名分であった。

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