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2014年7月 6日 (日)

『萬葉集』について

 大伴家持は、日本の国の国柄の素晴らしさを後世に伝えなければいけないという使命感を持って、「萬葉集」の編纂に関わり、自らも歌を数多く詠んだ。「萬葉集」は平穏無事の時代に編纂されたのではない。大化改新・壬申の乱などという大変革・大建設の時代に、日本の国の理想・國體の本姿を語り伝へるために「萬葉集」は編纂された。

 

しかし、支那と比較すればわが国は平穏に歴史を経過して来た。支那は「易姓革命」といって、王室の姓が変わる革命が繰り返された。「易姓革命」とは、儒教の政治思想の一つで、天子は天命により天下を治めてゐるのであって、天子に不徳の者が出れば、天命は別の有徳の者に移り、王朝が交代するといふ思想である。わが国の天皇統治の道統には一切さういふ思想はない。天皇その方が天の神の地上における御代理・御顕現であり、現御神(うつし身として現れられた神)である。天皇の御意志そのものが天命なのである。一系の天子が永遠にわが国を治められるのである。だから支那のやうな王朝の交代とそれに伴ふ国家の分裂や興亡は起こらなかった。      

 

 「萬葉集」には、天皇国日本が様々苦難を経ながら国家体制が確立した時期である大和時代から飛鳥奈良時代を経て平安朝初期にかけての「時代精神」「国民精神」が歌はれてゐる。上は天皇から下万民に至るまでの歌が収められている。

 

 雄略天皇の御製から始まり、大伴家持の賀歌を以て終わる「「萬葉集」」は、天皇の御代を讃える歌集であるとともに、わが国の永遠の栄えを祈る歌集である。実におめでたい歌集なのである。そして、天皇中心の日本の国家体制確立の中核精神があますところなく表白されてゐる。

 

 「萬葉集」という名称は、色々な説がある。萬(よろづ)の葉を集めたという説がある。「葉」とは「言の葉」のことであるとして「多くの人の言葉を集めた」という説である。一方、「葉」を時代と解釈して、「万代まで天皇の御代が続くことを祈る」といふ意味であるといふ説がある。いづれにしてもめでたい歌集であるといふ意味であるには変りはない。この頃は和歌を「言の葉」といふことはなかったといはれてゐるし、「萬葉集」の歌の内容や配列などを見ると、後者の説が有力である。

 

 「萬葉集」という名称は、国民の表白した歌を祝福すると同時に、天皇の御代・天皇国日本を祝福する意義を持ってゐるといふことである。

 全二十巻の「萬葉集」が、何時、誰によって編纂されたかといふことはなかなか断定しがたい。「萬葉集」の原本は一巻づづ巻物でできてゐて、途中から読むには不便であるが挿入削除には便利である。糊と鋏で歌を入れればいいので、ある程度形が整った後もまた新たに歌が加えられたり、削除された可能性があるので、全体が今の形に完成した時期を特定するのは難しい。

 

今日、伝へられてゐる「萬葉集」が完成したのは平安朝の初期といはれてゐる。秘府(図書寮・宮中の書庫)に「萬葉集」が収められたのが、天平宝字三年(七五九)から宝亀二年(七七一)迄の十三年間のいずれかの年であると推定されてゐるので平安初期に完成したとされるのである。結局、「萬葉集」は一時に成立したのではなく長い年月の間に次第に成立していったと見るべきである。

 

 「萬葉集」に収められた歌で、年代的に一番古い歌は、第十六代・仁徳天皇の皇后であらせられる磐姫皇后(いはのひめのおほきさき)の御歌である。しかし、この御歌は伝承歌とされてゐてる。故に、作者が確実にはっきりと判明してゐる歌は、もっと後世の大化改新の頃の歌が最も年代的に古い歌であるとされてゐる。

 

 最も新しい歌は、前述の天平宝字三年(七五九)の正月に大伴家持が詠んだ「新しき年の始の初春の今日ふる雪のいや重け吉事」であるとされてゐるが、「萬葉集」には作られた年代がはっきりしない歌が収められてゐるので、この家持の歌が最も新しいと確実に断定することもできない。

 

 「萬葉集」には、大化改新(西暦六四五)頃から天平宝字三年(七五九)までの約百二十年間に詠まれた歌が収められてゐることのなる。

 

 初期の萬葉と後期の萬葉とではその歌の性質が異なってゐるのは当然である。文化面も、白鳳文化と天平文化とでは大きく異なったものがあるし、政治面も大化改新の時期と奈良朝初期とでは大きく異なってゐる。

 

 編者にも色々の説があって確定できない。全二十巻が一人の人によって編纂されたとは考へられず、また、巻毎に別人によって編纂されたとも考へにくい。少なくとも五、六人、多ければ十数人の手によって、時を異にして編纂されたと見るべきである。しかし、「萬葉集」には大伴一族のことについての記述が多く、大伴家持の歌が「萬葉集」四千五百首の十分の一を占めてゐることから、家持が編纂に大きく関ったことは確実である。

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