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2014年7月25日 (金)

『明治天皇を支えた二人 三条実美と岩倉具視 - 一代絵巻が物語る幕末維新』展参観記

今日参観した『明治天皇を支えた二人 三条実美と岩倉具視 - 一代絵巻が物語る幕末維新』展は、「慶応3年(1867129日に発せられた王政復古の大号令により誕生した新政府は,明治天皇を中心として,西洋列強と肩を並べるべく国の近代化を推し進めるという大変革に挑みました。10代半ばという若き明治天皇は,その中で数々の難局に対峙されることとなりましたが,その天皇を支えたのが三条実美さねとみ(183791)と岩倉具視ともみ(182583)の二人でした。三条実美は,摂家に次ぐ清華家の筆頭三条家という名家の出身。かたや高位とは言えない家格ながら才気を振るって孝明天皇の側近となり,頭角を現していった岩倉具視。開国か攘夷かで揺れる幕末の朝廷において,尊王攘夷派の中心的存在であった三条と公武合体を主張した岩倉。一見対照的ながら,両者が目指したのは,いずれも同じく王政の復古でした。この宿願が現実のものとなると,二人は協力して天皇を支えて新国家のために奔走し,三条は太政官の最高位である太政大臣に,岩倉も右大臣となり明治新政府の二本柱として活躍しました。二人は常に明治天皇の良き相談役となり,時に国の進むべき道について意見を奏上するなどしてその親政を厚く補佐しました。三条と岩倉が明治天皇にとっていかに特別な存在であったかを示すのが,岩倉の没後に御下命により開始された両者の功績を記録する年譜編纂事業であり,それに続いて行われた両者の生涯を描く本絵巻の制作です。この明治元勲の一代絵巻は,質・量ともに近代絵画史上類例のない作品であり,その生涯を追いながら描き入れられた同時代の様々な事変は,近代国家の形成過程を視覚化したものとしても貴重な意味を持ちます。今回の展覧会では,二人の一代絵巻を通して,幕末維新に両者が果たした役割について考えると同時に,絵巻の制作に当たった画家・田中有美ゆうびの魅力を紹介します。大和絵の伝統を受け継ぎながらも,近代という時代を見据えた画風を示した田中有美の存在もまた,近代絵画史の上では非常に興味深いものです。初めて紹介するこれらの絵巻を,十分にお楽しみください」との趣旨で開催された。

 

 

 

「岩倉公画伝草稿絵巻」「三条實美公事蹟絵巻」「三条實萬公事蹟絵巻」を参観。慶応三年十二月九日の「小御所会議」、文久二年に勅使として江戸城に赴いた際の三条實美、文久三年八月十八日に都落ちする三条實美など七卿、安政六年三月に公家八十八人による列参、明治四年十一月の岩倉使節団出帆、明治七年の赤坂喰違坂の岩倉具視襲撃事件、慶応三年十二月二十七日三条實美の孝明天皇御陵参拝、明治二十四年二月二十八日明治天皇が危篤になった三条實美をお見舞いされるため三条邸行幸、などの絵が印象に残った。絵巻を揮毫したのは大和絵師の田中有美という人である。近代美術史には大きく登場することはなかったが、皇室関係の絵巻物を描いた人としてその功績は不滅である。

 

 

 

岩倉具視、三条實美は、明治維新そして維新後の国家建設において、大きな役割を果たしたお公卿さんである。二人とも、明治天皇の信頼が厚く、二人とも病気が重くなった時、明治天皇がわざわざ二人の邸に行幸されている。そして二人とも国葬が営まれた。明治維新三傑として、西郷隆盛、木戸孝允、大久保利通か挙げられるが、お公卿さんとして、孝明天皇、明治天皇にお仕えし、維新実現のためそして維新日本建設のために命懸けの活躍をした人が、岩倉・三条両公であった。

 

 

 

本日は、このお二人の生涯、そして幕末・維新の歴史を美しい絵巻物で見ることができたのは幸いであった。

 

 

 

炎天下 皇居の庭に 人多し

 

 

 

外つ国の人らが訪ね来たりける皇居御苑に夏の日眩し

 

昨日午後、皇居の三の丸尚蔵館にて開催中の『明治を支えた二人・三条実美と岩倉具視ー一大絵巻が物語る幕末維新』展を参観しました。炎天下、多くの欧米から人々が皇居東御苑を訪れていました。

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