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2014年7月26日 (土)

明治維新について

有史以来未曾有の西洋列強の日本に対する圧迫が強まった時、これを撥ね除けるために「藩という地域」そして「士農工商という身分制度」を乗り越え打破して、天皇を中心とした日本國家・民族の一體感・運命共同意識を醸成し、天皇中心の統一國家體制を回復して外敵に当たろうとしたのである。

嘉永六年(一八五三)にペリーが来航した。ペリーの軍艦は、江戸湾に侵入し、大砲をぶっぱなして示威行動を行った。こうした事態に対して徳川幕府は、軍事的衝突を避けつつ、全國の力を結集する必要に迫られた。

徳川幕府は、鎖国を国是としていた。ところが、鎖國という徳川氏政権掌握以来の基本政策を外國の脅迫によって修正することは幕府の権威と正統性を失墜する危険があった。そこで、國民的合意を達成するために、ペリーの要求に如何に対応すべきかを朝廷・各大名そして陪臣(大名の臣)にまで広く諮問した。

徳川幕府成立以来の「國政は一切徳川幕府に委任されている。朝廷は政治に口出しはできない」という原則を幕府自身が踏み躙らざるを得なくなったのである。これが幕府の権威の大きな失墜であり、幕府瓦解の始まりであった。

ところが、朝廷は、外国の勢威を恐れた屈辱的な開国に反対した。開国反対の世論が巻き起った。しかし、徳川幕府は、アメリカの恫喝に屈し、朝廷の「攘夷」のご命令を無視して開国した。この事によって、国家を二分する事態に陥ってしまった。

つまり徳川幕藩體制では、有史以来未曾有の内憂外患が交々来るといった状況の日本を保つことはできなくなったのである。言い換えれば、徳川幕府は、開國するにせよ攘夷するにせよ、これを断行する主體的能力のある政権ではなくなったということである。

こうした状況下にあって、國家の独立と安定と統一を保持するには、日本の伝統と自主性を體現される御存在=神聖君主日本天皇を中心とした國家體制を確立しなければならなくなった。欧米列強の侵略から祖國日本を守るための國家體制は、神話時代からの伝統的君主である天皇を中心とする國家でなければならないということが全國民的に自覚されるようになったのである。

もともと戦國時代の武士の覇権争いの勝者・覇者にすぎなかった徳川氏は、國家の中心者たるの資格を喪失したのである。端的に言えば、徳川氏は征夷大将軍の任に堪へられなくなったのである。

このやうにペリーの来航は、徳川幕府の弱體化・権威の失墜を天下に示し、日本國は天皇中心國家であるといふ古代以来の國體を明らかする端緒となった。これが明治維新の原理たる「尊皇倒幕」「尊皇攘夷」の精神の生まれた原因である。

そして、徳川幕府を打倒し天皇中心の日本國本来の在り方に回帰する変革即ち明治維新によって日本は救はれたのである。

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