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2014年7月31日 (木)

この頃詠みし歌

疲れたとつぶやきたまふ母上の頭(こうべ)に手を触れ癒しを祈る

 

父母のゐまさぬ部屋に一人して朝餉をとるはさみしかりけり

 

父母と語らひにつつ紅茶飲みし日々が懐かしく思ひ出さるる

 

中華思想を厭へる我も炎天の昼には冷やし中華を食したりけり

 

古き家が壊されて新しきマンションが震動と共に建てられてゆく

 

信号を待つ間にもギラギラと照りつける夏の太陽の大いなる力

 

花々が供へられたる菩提寺の園にわが家の墓は鎮まる

 

線香を手向けれぱゆらゆらと煙りあがり静かなるかも菩提寺の園

 

布を手に墓を磨けば光り増す 祖先(みおや)の御霊を拝ろがみつつ

 

坂道をのぼるが苦手の我なれどのぼらねば酒房に辿り着かない

 

贈られしローストビーフを食しつつ神戸に住める友を思へり

 

ローストビーフに包丁を入れて切りにけり かくして今日の朝餉始まる

 

安倍批判高まる会合にわれ座して一人安倍支持を表明したり

 

日々(にちにち)を汗かき過ごす我にして心の安らぎありとしもなき

 

友愛は大切なれどこの地球さうは問屋がおろさぬ世界

 

そうめんを食せば三輪山の麓にて友と語らひし日を思ひ出す

 

さっぱりと爽やかに生きるが日本人 そうめん食しつつしか思ふなり

 

起き出でて窓を開ければ爽やかな梅雨明けの風が入り来るなり

 

大都会の汚れし空気の中にしもスズメは元気にさえずり飛べり

 

武道館での勇姿を見たる人に逢ふ赤きマフラーをめずらしみつつ

 

充血せしわが目愛しむ 常日頃酷使せし事を詫びる心に

 

花瓶の水取り換へにけり今日もまた咲き続けよと祈る心で

 

地下鉄の駅の階段の数多し のぼり行くわれの胸高鳴れり

 

よくしゃべる女主人と語らひて下駄を買ひたり谷中三崎坂

 

谷中銀座大店の魚屋もなくなりぬ 観光地と化すことは是か非か

 

蒸し暑き谷中の町の日曜日かき氷屋に列なす人ら

 

天高く筋雲見ゆれば爽やかな夏を喜び深呼吸する

 

笑顔にて我に対する看護師に母を頼みて施設を出でる

 

母上が腰が痛いと言はれても 為すすべなきが悲しかりけり

 

美味きもの食した後に腹くだる食ひしん坊はあはれなりけり

 

腹こはし講演会の最中にトイレに駆け込む今宵なりけり

 

うるほひの無き街厭ふ我ながら飛鳥山の緑にやや安らぎぬ

 

夕立が過ぎにし道に水光り 歩み行くなるわが足軽し

 

八十歳を過ぎたる人が元気よくバイクに乗りて走りゆくなり

 

住みてゐし老婦人は何処に行きしやら向かひの家は壊されてゆく

 

向かひの家を壊す工事が始まりて轟音と共に街変り行く

 

花持ちてわが家を訪ね来し女(ひと)は恋人にあらず花屋さんなり

 

一つの言葉にとらはれて心落ち着かず炎天の下にバス待ちてをり

 

灯ともし頃家路を急ぐ我なれど待つ人無きしさみしかりけり

 

緑濃き皇居の庭に暫しの間やすらぎてゐる民草われは

 

夜の更けに日記書きつつ今日一日を省みる時の筆の音かな

 

新しき下駄履き歩めばカラコロと鳴る音すがしき真昼間の道

 

亡き父に似るわが顔を鏡にて見つつ偲べりそれその父を

 

わが父は大陸に戦ひ帰還して我を育てつつ生きたまひたり

 

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千駄木庵日乗七月三十日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、施設に赴き、母に付き添う。食欲があり、元気である。有り難い。

帰途、動坂下にて、知人と懇談。

帰宅後は、書棚の整理・原稿執筆。

 

                   ○

 

昨日書き忘れましたが、二十九日の第96回全国高校野球手権大会東東京大会の決勝戦で、二松学舎大学付属高校が帝京を延長戦の末に破り、夏の甲子園初出場となった。二松学舎大学は私の母校なので大変うれしい。二松学舎大学付属図書館で司書をしていた頃も、東京大会にいいところまで行き、神宮球場に応援に行ったことがある。規模の小さい学校ながら、その頃から野球は強かった。今度は是非、全国優勝してもらいたい。

 

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2014年7月30日 (水)

『楠公祭』における西村眞悟衆議院議員の講演

五月二十五日に行われた『楠公祭』における西村眞悟衆議院議員の「混迷の世に正成一人の気概を」と題する講演内容は次の通り。

 

「私は、正成公と同じ郷里に生まれている。大阪湾に船を浮かべると、大阪湾は山に囲まれた湖に見える。正成公は金剛山の下の千早赤阪に生まれた。幼名は多聞丸。千早赤阪村立赤阪小学校があった。千早赤阪村役場の横に、千早赤阪村立中学校がある。赤坂城の跡である。誕生の地。南西五キロに観心寺がある。

 

正成公は河内の悪党と言われる武装集団の長。元弘元年九月赤坂城で挙兵。元弘三年、正成公らの活躍に触発されて各地に倒幕の機運が広がり、鎌倉幕府は滅亡し、建武中興が行われた。その三年後、建武三年五月、正成公は湊川で戦死された。金剛山の楠公父子訣別の地に、乃木大将書の碑がある。正行は亡父の遺志を継いで、足利と戦った。そして櫻井の訣別から十一年後の正平三年に四條畷の戦いにおいて弟の正時もろとも玉砕した。正成公没後二二三年後に、朝敵の汚名は取り消された。楠公没後三六〇年の元禄五年、水戸光圀公は「嗚呼忠臣楠子之墓」の碑を建立。

 

『楠のいま大石となりにけりなほ(名を)も朽ちせぬ忠孝をなす』という落首が赤穂事件の直後に出た。大石良雄は足利氏出自の吉良の首を挙げた。朝敵討滅の本懐が遂げられた。吉田松陰は湊川に詣でた時、「人間の生死 何ぞ言うに足らんや。頑を廉にし懦を立つる 公は死せず」という詩を詠んだ。

 

明治天皇は、明治元年三月一四日『五箇条の御誓文』『国威宣布の宸翰』を発せられ、湊川神社を創建するようお命じになった。乃木大将閣下は、昭和天皇に『中朝事実』を託された。山鹿素行は、楠公精神の大きな影響を受けた。素行によって教育を受けた大石良雄たちは高家筆頭吉良上野介を討つ。尊皇精神・楠公精神を素行から教えられたのが、大石などの赤穂義士。七生報国の精神を継承した。

 

楠公は何故湊川に赴いたのか。これを解く鍵は日本人の死生観と戦闘姿勢に拠る。これを解くと、大西郷の自決、三島由紀夫の自決、大石は何故吉良を討ったのかが分かる。東日本大震災で、放送を止めずに津波にのまれた女性、津波に向かって走って行った警察官の姿勢の思想と同じ。『未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん』というのが孔子の思想。我々は今日死を覚悟している。『太平記』の『正季からからと打笑て、七生まで唯同じ人間に生れて、朝敵を滅さばやとこそ存候へ』は、特攻隊が出撃の時の笑いと同じ。元寇の時、八十余人しかいなかった対馬の武士たちは全員笑いながら元軍と戦って玉砕。壹岐の鎌倉武士も玉砕。戦前と戦後は断絶していない。

 

『昭和二十一年一月一日の詔書』を『人間宣言』などと教えているが断じて間違い。『五箇条の御誓文』を冒頭に掲げられ『叡旨(えいし)公明正大、又何ヲカ加ヘン』と仰せになっている。同じ日に渙発された『国威宣布の宸翰』を拝すべし。湊川神社建立の大御心を拝すべし。これが明治の御代の力の源泉。日本人本来の姿を回復しなければならない。七生報国の姿勢を我々も持つべし。

 

敵を騙して殺戮することが孫子の兵法。習近平接見について小沢一郎が発言した時、明確なる殺意を持った。公のために死ぬ、それが忠臣蔵の本質。だから正々堂々と吉良邸の大門から入った」。

               〇

西村眞悟氏の勤皇の精神はますます光輝いている。有難いことである。

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千駄木庵日乗七月二十九日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆の準備。

この後、施設に赴き、母に付き添う。施設の職員の方々が皆親切なので有り難い。

帰宅後も、原稿執筆の準備など。

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2014年7月29日 (火)

日本傳統信仰は自然の中に神の命を拝む心・祖靈を尊ぶ心

わが國には神話時代(神代)以来の傳統精神がある。わが國の神は天津神、國津神、八百萬の神と言はれるやうに、天地自然の尊い命であり、先祖の御靈である。日本傳統信仰は、日本人の農耕生活の中から自然に生まれた信仰で、天神地祇崇拝(祖先の靈と自然に宿る神を尊ぶ心)を基本とする。そこから明朗心・清明心・武の心・慈しみの心・むすびの心・神人合一観・すべてに神を観る心・天皇仰慕の心・まつりの心など、日本民族の傳統精神が生まれた。それは古代日本の稲作生活から発した大自然と人間の共生の精神でもある。

 

日本傳統精神の本質は、自然を大切にし、自然の中に神の命を拝む心・祖先を尊ぶ心である。きはめて自然で自由で大らかな精神である。日本人は、自然の摂理に素直に随順し、人間と自然は相対立する存在とは考へない。人と自然とは生命的に一体であるとの精神に立つ。

 

わが國の自然を大切にする心=自然保護の精神は、歴史的にも文化的にも「神社の森」「鎮守の森」がその原点である。わが民族の祖先は、古代から神々の鎮まる緑豊かな「神社の森」「鎮守の森」を大切に護って来た。それは「鎮守の森」には、神が天降り、神の靈が宿ると信じて来たからである。「鎮守の森」ばかりではない。ふるさとの山や海に神や精靈が生きてゐると信じてきた。秀麗な山には神が天降り、神の靈が宿ってゐると信じて来た。

 

天皇の御祖先である邇邇藝命は高千穂の峰に天降られた。そして、富士山・三輪山・大和三山・出羽三山・木曾山など多くの山々は神の山と仰がれ今日に至ってゐる。

 

さらに、海の彼方にも理想の國・麗しい國があると信じた。それが、海神(わたつみ)信仰・龍宮信仰である。海は創造の本源世界として憧憬され崇められた。

わが國傳統信仰は、自然の中に生きる神の命と人間の命とが一體となって結ばれる信仰である。それと共に自分たちの祖先の靈を崇め感謝し奉る信仰である。これを「敬神崇祖」といふ。

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千駄木庵日乗七月二十八日

 午前は、諸雑務。

 

午後は、原稿執筆の準備。

 

午後六時半より、東京財団フォーラム「中露接近と今後の国際情勢」開催。渡部恒雄<米国担当>(東京財団上席研究員兼政策研究ディレクター)、佐々木良昭<中東担当>(東京財団上席研究員)、畔蒜泰助<ロシア担当> (東京財団研究員)、小原凡司<中国担当>(東京財団研究員)、関山 健<東アジア担当>(東京財団研究員)、染野憲治<中国担当>(東京財団研究員)、鶴岡路人<ヨーロッパ担当>(東京財団研究員)、益田哲夫<東南アジア担当>(東京財団研究員)、宮原信孝<南西アジア担当>(東京財団研究員)の各氏が討論。質疑応答。

 

帰宅後は、原稿執筆。

 

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2014年7月28日 (月)

日本國體精神への回帰と危機的状況の打開

日本傳統精神が、強いもの勝ちの覇道精神を反省し訂正せしめる力となり得る。天孫降臨の精神=稲穂による統治といふ絶対平和の精神が重大な意味を持つ。祖國日本の危機的状況を打開するには、日本國體精神への回帰が大切である。

 

危機に瀕してゐる今こそ、わが國の麗しい山河、かけがえのない道統を重んじ、日本の傳統的な文化を大切なものとする姿勢を取り戻し、祖國日本への限り無い愛と、國民同胞意識を回復しなければならない。「元初の清浄なる日本」に帰ることが維新である。「高天原を地上に」「今を神代に」といふのがわが國の肇國の理念・國家理想である。

 

神代以来の祭祀國家・信仰共同体たる日本の真姿の中心におはしますご存在が、祭祀主たる天皇であらせられる。祭祀主であらせられ、神の如くに清浄なるご存在であり、尊厳性・道義性の体現者であらせられる天皇に帰一する日本を復興することが、國體の開顕である。

 

わが國民の心の底にある國體精神を蘇らしめ、それを核として強大な統合力を生み出し、混迷せる状況に対して革新の行動を起こすことが今求められてゐる。

わが國は日本喪失の精神状況から脱出して、日本民族の誇りと矜持を取り戻さねばならない。大らかにしてやさしい「神話の精神の復活」によって精神の救済を図るといふことである。日本傳統精神が現代の危機を打開し将来の日本及びアジアそして地球の救済に貢献できる日が近くなってゐると思ふ。

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千駄木庵日乗七月二十七日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後も、原稿執筆。

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2014年7月27日 (日)

『政治文化情報』平成二十六年八月号のお知らせ

『政治文化情報』平成二十六年八月号のお知らせ

 

『政治文化情報』は、昭和五十九年創刊以来、小生の論考、時局問題などに関する主張、活動状況の報告、各方面から得た様々な情報などを掲載し、それなりの評価を得て来たと自負致しております。
多くの心有る皆様方のご購読をお願い申し上げます。
見本誌御希望の方はご遠慮なくメールでお申し込み下さい。
 

 

 購読料
年間 12000
半年 6000

 

平成二十六年八月号(平成二十六年七月二十日発行)の内容

 

〈皇都の一隅より〉

 

伊勢参宮記

 

豊受大神宮(外宮)参拝

佐川記念神道博物館参観

 

伊勢の神宮は日本傳統信仰の結晶

 

伊勢の聖地に傳はる清浄なる精神こそ世界平和の根幹になると確信する

天照大御神のご神徳

 

「女性は穢れてゐるので神祭り・祭祀を行ふことができない」といふ主張は誤りである

 

「唯一神明造」について

 

神話の世界がそのまま伊勢の神宮の神殿に顕現されてゐる

 

荒祭宮参拝

 

月讀宮参拝

 

千駄木庵日乗

 

今村洋史氏「。國に命を捧げてくれた人がいたから自分が生きて来ることができた。歴史の命の流れの中に自分がいると思う。英霊の方々がいて僕らがいる。この國に真の日本の姿を取り戻したい」

 

 西部邁氏「左翼とは、ルイ十四世を殺し自由・平等・博愛を叫んだ勢力。アメリカは言葉の本当の意味における左翼の國。米ソ冷戦構造とは、左翼同士の内ゲバ」

 

 江川達也氏「一番問題なのは教育。間違った教科書を信じ込まされるのが一番の問題」

 

 小林節慶應義塾大學教授「『戦争放棄』を宣言すれば戦争がなくなることはあり得ない。紙切れに『放棄』と書いて戦争がなくなるはずなし」

 

 この頃詠みし歌

四宮政治文化研究所
【m-shinomiya@max.hi-ho.ne.jp】

 

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今こそ天皇を中心とした國家の回復を目指す維新運動を繰り広げねばならない。

 今日においても日本國が他の國と比較して安定した歴史を刻んできたのは、機能的な統治機構・権力機関としての國家の基盤に、信仰共同体・神話の世界以来続いてきている精神的に結びつきがあるからである。

 

 天皇は権力機構としての國家の最高権力者ではない。また天皇を唯一絶対神として尊崇することを政治権力の國家支配のイデオロギーとするのでもない。「天皇を、わが國の祭り主、もっとも清浄な人、地上における神のご代理、人間の姿をした神(現御神)と仰ぎ、政治・軍事・文化・宗教の最高権威者・道義の要として仰ぐ」というのが、建國以来の天皇のあるべき姿である。その本来の天皇のお姿が顕在化していることは、わが國の正常な発展にとってきわめて大切である。

 

 西洋から発した唯物文明・強いもの勝ちの覇道精神を反省し訂正せしめるものとして、東洋の精神特に農耕生活から発した大自然と人間の共生の精神たる日本伝統精神がある。日本伝統精神よって西洋唯物文明を克服するべきである。天皇がその体現者であられる日本伝統精神は、現代の危機を打開し将来の日本及びアジアそして全世界の救済の力となり得る。

 

 ところがわが國は、大東亜戦争後、敗戦という現実に打ちのめされ、明治維新以来の天皇及び國家のあり方が全く誤っていたと考え、それを否定し、戦後五十年以上にわたって日本國體の精神とは相反する西洋契約國家思想・権力的な法思想に貫かれた占領憲法下に生き続けた。しかし、終戦後においても、いわゆる<象徴天皇>のご存在がなければ、わが国は米ソに超大国いずれかの完全な属国か植民地になっていたであろう。

 

今日わが國は、政治の混乱・経済の停滞・道義の低下・外圧の危機が顕著になっている。それは明治維新前夜よりも深刻な状況である。そして人々の心の中に不安と空虚感が広まっている。これを克服するためには、日本民族としての主体性・帰属意識が大事になってくる。今こそナショナリズムが勃興すべき時である。今こそ天皇を中心とした國家の回復を目指す皇道大維新運動を繰り広げねばならない。危機的状況を迎えた今日において、天皇を中心とする國體への回帰による危機突破という日本的ナショナリズムが勃興して来なければならない。それがわが國の歴史伝統である。

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千駄木庵日乗七月二十六日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆・脱稿・送付。

午後六時より、神田学士会館にて『憲法懇話会』開催。高乗正臣平成国際大学副学長が座長。菅原由香日本文化大学講師が「憲法改正案における人身の自由条項」と題して報告。質疑応答。続いて、高乗正臣氏が「九条解釈の限界と改正の必要性」と題して報告。質疑応答。

帰宅後は、原稿執筆の準備。

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2014年7月26日 (土)

明治維新について

有史以来未曾有の西洋列強の日本に対する圧迫が強まった時、これを撥ね除けるために「藩という地域」そして「士農工商という身分制度」を乗り越え打破して、天皇を中心とした日本國家・民族の一體感・運命共同意識を醸成し、天皇中心の統一國家體制を回復して外敵に当たろうとしたのである。

嘉永六年(一八五三)にペリーが来航した。ペリーの軍艦は、江戸湾に侵入し、大砲をぶっぱなして示威行動を行った。こうした事態に対して徳川幕府は、軍事的衝突を避けつつ、全國の力を結集する必要に迫られた。

徳川幕府は、鎖国を国是としていた。ところが、鎖國という徳川氏政権掌握以来の基本政策を外國の脅迫によって修正することは幕府の権威と正統性を失墜する危険があった。そこで、國民的合意を達成するために、ペリーの要求に如何に対応すべきかを朝廷・各大名そして陪臣(大名の臣)にまで広く諮問した。

徳川幕府成立以来の「國政は一切徳川幕府に委任されている。朝廷は政治に口出しはできない」という原則を幕府自身が踏み躙らざるを得なくなったのである。これが幕府の権威の大きな失墜であり、幕府瓦解の始まりであった。

ところが、朝廷は、外国の勢威を恐れた屈辱的な開国に反対した。開国反対の世論が巻き起った。しかし、徳川幕府は、アメリカの恫喝に屈し、朝廷の「攘夷」のご命令を無視して開国した。この事によって、国家を二分する事態に陥ってしまった。

つまり徳川幕藩體制では、有史以来未曾有の内憂外患が交々来るといった状況の日本を保つことはできなくなったのである。言い換えれば、徳川幕府は、開國するにせよ攘夷するにせよ、これを断行する主體的能力のある政権ではなくなったということである。

こうした状況下にあって、國家の独立と安定と統一を保持するには、日本の伝統と自主性を體現される御存在=神聖君主日本天皇を中心とした國家體制を確立しなければならなくなった。欧米列強の侵略から祖國日本を守るための國家體制は、神話時代からの伝統的君主である天皇を中心とする國家でなければならないということが全國民的に自覚されるようになったのである。

もともと戦國時代の武士の覇権争いの勝者・覇者にすぎなかった徳川氏は、國家の中心者たるの資格を喪失したのである。端的に言えば、徳川氏は征夷大将軍の任に堪へられなくなったのである。

このやうにペリーの来航は、徳川幕府の弱體化・権威の失墜を天下に示し、日本國は天皇中心國家であるといふ古代以来の國體を明らかする端緒となった。これが明治維新の原理たる「尊皇倒幕」「尊皇攘夷」の精神の生まれた原因である。

そして、徳川幕府を打倒し天皇中心の日本國本来の在り方に回帰する変革即ち明治維新によって日本は救はれたのである。

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千駄木庵日乗七月二十五日

午前は、諸雑務。

お昼は、知人と懇談・意見交換。

この後、施設赴き、母に付き添う。食欲がある。嬉しいことだ。

帰宅後は、『青年運動』紙掲載のための原稿執筆など。

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2014年7月25日 (金)

『明治天皇を支えた二人 三条実美と岩倉具視 - 一代絵巻が物語る幕末維新』展参観記

今日参観した『明治天皇を支えた二人 三条実美と岩倉具視 - 一代絵巻が物語る幕末維新』展は、「慶応3年(1867129日に発せられた王政復古の大号令により誕生した新政府は,明治天皇を中心として,西洋列強と肩を並べるべく国の近代化を推し進めるという大変革に挑みました。10代半ばという若き明治天皇は,その中で数々の難局に対峙されることとなりましたが,その天皇を支えたのが三条実美さねとみ(183791)と岩倉具視ともみ(182583)の二人でした。三条実美は,摂家に次ぐ清華家の筆頭三条家という名家の出身。かたや高位とは言えない家格ながら才気を振るって孝明天皇の側近となり,頭角を現していった岩倉具視。開国か攘夷かで揺れる幕末の朝廷において,尊王攘夷派の中心的存在であった三条と公武合体を主張した岩倉。一見対照的ながら,両者が目指したのは,いずれも同じく王政の復古でした。この宿願が現実のものとなると,二人は協力して天皇を支えて新国家のために奔走し,三条は太政官の最高位である太政大臣に,岩倉も右大臣となり明治新政府の二本柱として活躍しました。二人は常に明治天皇の良き相談役となり,時に国の進むべき道について意見を奏上するなどしてその親政を厚く補佐しました。三条と岩倉が明治天皇にとっていかに特別な存在であったかを示すのが,岩倉の没後に御下命により開始された両者の功績を記録する年譜編纂事業であり,それに続いて行われた両者の生涯を描く本絵巻の制作です。この明治元勲の一代絵巻は,質・量ともに近代絵画史上類例のない作品であり,その生涯を追いながら描き入れられた同時代の様々な事変は,近代国家の形成過程を視覚化したものとしても貴重な意味を持ちます。今回の展覧会では,二人の一代絵巻を通して,幕末維新に両者が果たした役割について考えると同時に,絵巻の制作に当たった画家・田中有美ゆうびの魅力を紹介します。大和絵の伝統を受け継ぎながらも,近代という時代を見据えた画風を示した田中有美の存在もまた,近代絵画史の上では非常に興味深いものです。初めて紹介するこれらの絵巻を,十分にお楽しみください」との趣旨で開催された。

 

 

 

「岩倉公画伝草稿絵巻」「三条實美公事蹟絵巻」「三条實萬公事蹟絵巻」を参観。慶応三年十二月九日の「小御所会議」、文久二年に勅使として江戸城に赴いた際の三条實美、文久三年八月十八日に都落ちする三条實美など七卿、安政六年三月に公家八十八人による列参、明治四年十一月の岩倉使節団出帆、明治七年の赤坂喰違坂の岩倉具視襲撃事件、慶応三年十二月二十七日三条實美の孝明天皇御陵参拝、明治二十四年二月二十八日明治天皇が危篤になった三条實美をお見舞いされるため三条邸行幸、などの絵が印象に残った。絵巻を揮毫したのは大和絵師の田中有美という人である。近代美術史には大きく登場することはなかったが、皇室関係の絵巻物を描いた人としてその功績は不滅である。

 

 

 

岩倉具視、三条實美は、明治維新そして維新後の国家建設において、大きな役割を果たしたお公卿さんである。二人とも、明治天皇の信頼が厚く、二人とも病気が重くなった時、明治天皇がわざわざ二人の邸に行幸されている。そして二人とも国葬が営まれた。明治維新三傑として、西郷隆盛、木戸孝允、大久保利通か挙げられるが、お公卿さんとして、孝明天皇、明治天皇にお仕えし、維新実現のためそして維新日本建設のために命懸けの活躍をした人が、岩倉・三条両公であった。

 

 

 

本日は、このお二人の生涯、そして幕末・維新の歴史を美しい絵巻物で見ることができたのは幸いであった。

 

 

 

炎天下 皇居の庭に 人多し

 

 

 

外つ国の人らが訪ね来たりける皇居御苑に夏の日眩し

 

昨日午後、皇居の三の丸尚蔵館にて開催中の『明治を支えた二人・三条実美と岩倉具視ー一大絵巻が物語る幕末維新』展を参観しました。炎天下、多くの欧米から人々が皇居東御苑を訪れていました。

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2014年7月24日 (木)

千駄木庵日乗七月二十四日

午前は、諸雑務。

午後は、皇居の三の丸尚蔵館にて開催中の『明治を支えた二人・三条実美と岩倉具視ー一大絵巻が物語る幕末維新』展参観。炎天下、多くの欧米から人々が皇居東御苑を訪れていた。

大手町の茶房にて読書。

帰宅後は、資料の整理など。

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武士道精神について

日本国民は、本来、ことの結果に対して潔く責任を負い、恥を知る道義心を持っている。武士道精神がその典型だが、武士だけでなく、農民も、商人も高い道義心を持っていた。日本の文化は、「名と恥の文化」といわれる。日本人は本来、名誉を重んじ名がすたることをもっとも忌み嫌い、恥を知る民族である。

 

日本武士道精神は、「忠」「孝」「義」「勇」「仁」「礼」「誠」「名誉」「克己」という徳目がその内容となっている。わが国国民の正邪・善悪の観念は、武士道精神に基づくといっても過言ではない。

 

武士道精神の核となるのは、「忠孝精神」「名誉の感覚」「廉恥心」(心が清らかで、恥を知る心)である。

 

長い日本の歴史の中で、須佐之男命・日本武尊という神話時代の英雄、さらに中古中世の鎮西八郎為朝、源義経、楠正成、さらに近世・幕末における赤穂四十七士、井伊直弼を撃った水戸脱藩浪士の行動、さらに大東亜戦争における特攻隊員を始めとした兵士たちの行為などは、「武士の鏡」「英雄」と讃えられた。

 

しかし、戦後日本は、そうした英雄の行為を日蔭に追いやった。さらに、「國のため敵を撃つ」「大君の御為に身命を捧げる」「仇なすものを討つ」などということは、「平和と民主主義」と絶対相容れない「行為」として、「日蔭」に追いやられ続けている。

 

武士道を否定し、「生命の尊重」が最高の道徳とされ、「平和と民主主義」を謳歌している今日の日本において、戦前どころか有史以来見られなかった凶悪にして残虐なる犯罪、殺人事件が続発している。

 

君に忠、親に孝、廉恥心が、わが国の武士道精神・道義心の根幹である。善悪の観念をきちんと確立するために、現代の子供たちに武士道精神を養成しなければならない。

 

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2014年7月23日 (水)

千駄木庵日乗七月二十三日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理。

この後、施設に赴き、母に付き添う。一緒に相撲中継を見る。

帰宅後は、原稿執筆の準備など。

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2014年7月22日 (火)

神話と祭祀は、日本國家の統合・安定・継承・発展の基礎

科学技術の進歩と営利至上主義が生態系を破壊しつつある今日、自然と共に生き自然を大切なものとして拝ろがむ精神の回復が必要である。

 

日本伝統信仰の祭りは、天地自然及び祖霊に対する敬虔なる思ひの表現である。科学技術文明・近代合理主義に依拠し、利益と進歩のみを求め欲望と便利さの充足を至上の価値とし、自然を造りかえ破壊して来た近代の傲慢さに対する歯止めとして、天皇を祭祀主と仰ぐ日本伝統信仰の祭祀が大きな価値を持つ。

 

日本伝統信仰の祭りは、天地自然及び祖霊に対する敬虔なる思ひの表現である。天地自然の神々の復活が現代の救済であり世界恒久平和の基である。

 

伊勢の神宮、皇居の森、明治神宮の森をはじめとして全國各地の「鎮守の森」は、現代社会において人々の魂を清め、精神を清浄化する場として、大きな価値を持っている。〈日本の伝統信仰・天皇の祭祀〉が今日の混迷を打開する。

 

 神話とは太古の「神聖な歴史の物語」という定義がある。日本民族の「始まりの時」における神や聖なる存在の誕生、國土の生成などの出来事をつづった物語である。言い換えると、神話とは、日本民族の「始まりの時」「祖型」(始まりの形)を説明し、生きとし生けるもの・ありとしあらゆるものが、どのようにして生まれ存在し始めたかを語る。

 

 神や聖なる存在の誕生、國土の生成などの出来事など日本民族の始まりの時の<出来事>および<形>は、日本人一人一人およびその共同體としての國家の生き方・在り方(文化・信仰・文学・政治・教育・芸術など一切)の模範を示す。つまり、神話は日本民族そして日本國家を根源的なものを表現するものであり、日本民族の在り方・生き方に決定的な役割を持っている。

 

 神話と祭祀とは、日本民族の固有の精神の在り方を示すものであり、日本という國の根底にある精神的道統・価値観・國家観・人間観・文化観・宗教観を體現している。ゆえに、日本國家の統合・安定・継承・発展の基礎である。

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千駄木庵日乗七月二十二日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、資料の整理、原稿執筆の準備など。

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『占領憲法』を祓ひ清めることが真の維新の第一歩

現代日本に変革が必要なのは当然である。それは、戦後体制の解体である。それこそが明治維新をもう一度やろうといふことである。

 

「革命」とは、支那の古典『易経』にある「天、命を革(あらた)む」といふ言葉であり、天命が改まり王朝が変ることを意味する。橋本景岳(左内)は、安政五年四月二十六日の中根雪江に宛てた書状に「元来皇國は異邦と違ひ、革命と申す乱習悪風は之無き事」と書いてゐる。天壌無窮の國體を破壊する意味となり得る「革命」といふ言葉を安易に用いるべきではない。

 

明治維新の基本精神は、「尊皇攘夷」である。「尊皇攘夷」とは、萬世一系の日本天皇を中心として國民的団結と統一を図り、祖國の自主独立を達成するといふ精神である。今日の日本においては、『占領憲法』をはじめとした戦勝國から押し付けられた様々な事象を祓ひ清め、天皇中心の國體を明らかにして、日本の自主独立を回復するといふことである。

 

「占領憲法の基本理念」とは、「國際協調」「國民主権」「基本的人権の尊重」の三つであり、「憲法三原理」とも言はれる。

 

「占領憲法」の「平和主義」「國際協調」とは、「我が國は侵略戦争をした悪い國である。だから今後は武力・戦力・國軍を持たない。祖國防衛・侵略阻止のための武力行使はしないし、國防戦争もしない」といふ敗北思想である。

 

「國民主権論」は、君主と人民とが「國家意思を最終的に決定する権限」を奪ひ合った西洋や支那大陸のやうな歴史は全くない「君民一体の信仰共同体」たるわが國の國柄と絶対相容れない國體破壊につながる思想である。日本では君民は対立する関係ではなかった。その精神を根本的に否定し、西洋の市民革命より生まれた君主と國民の対立闘争概念に基づく思想が國民主権論である。

 

「基本的人権の尊重」は、人権尊重・個の尊重を全てに優先させることはかへって人権を蹂躙し、個人の尊厳性を奪ふ結果になってゐる今日の我が國の荒廃の根本原因の思想である。

 

『現行占領憲法』は、大東亜戦争に敗北した日本を恒久的に戦勝國の支配下に置いておくことを目的としてつくられたものである。『占領憲法』を祓ひ清めることが真の維新の第一歩である。

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千駄木庵日乗七月二十一日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、資料の整理など。

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2014年7月21日 (月)

「元初の清浄なる日本」に帰ることが維新である

「神話の精神」は今日唯今、「天皇の祭祀」に脈々と継承され生きてゐる。太古の神話の精神が今日も生き続けている民族は日本民族のみである。ゆゑに、わが國體は萬邦無比なのである。

 

わが國には、「今即神代・神代即今」「高天原を地上へ」といふ言葉がある。西田幾多郎氏は、「神皇正統記が大日本者神國なり、異朝には其たぐひなしといふ我國の國體には、絶対の歴史的世界性が含まれて居るのである。我皇室が萬世一系として永遠の過去から永遠の未来へと云ふことは、単に直線的と云ふことではなく、永遠の今として、何処までも我々の始であり終であると云ふことでなければならない。天地の始は今日を始とするといふ理も、そこから出て来るのである。慈遍は神代在今、莫謂往昔とも云ふ(旧事本紀玄義)。日本精神の真髄は、何処までも超越的なるものが内在的、内在的なるものが超越的と云ふことにあるのである。」(世界新秩序の原理・「西田幾多郎全集 第十二巻」所収)

 

「日本精神の真髄は、何処までも超越的なるものが内在的、内在的なるものが超越的と云ふことにある」といふことが非常に重要である。わが民族は、神代・天上の理想國を地上・今の代と隔絶した存在とは決して考へなかったのである。神代は時間を超越した實在である。今此処が神代なのである。「神代今に在り、往昔と謂ふ莫れ」とはさういふことを意味する。それは観念的論議ではない。日本の天地自然の中に神々は生きてゐたまふといふわが國の傳統信仰である。

「神代即今」「今即神代」の理想を継承し顕現させることによって、現代を祓ひ清め変革することが真の「復古即革新」すなはち維新である。「復古」の「古」とは「元初の日本」「永遠にして常に新しい神代」のことである。

 

大東亜戦争敗北以来、わが國は、天皇を祭祀主と仰ぐ日本國體の真姿を隠蔽し、政治・外交・経済・軍事などの國家の根幹に関はる面で自主独立性を喪失してゐる。今こそ復古即革新すなはち維新の戦ひを断行し、日本のあるべき姿を回復し、國難を乗り越えなければならない。

 

神代以来の祭祀國家・信仰共同体たる日本の真姿の中心におはしますご存在が、祭祀主たる天皇であらせられる。天皇がおはしまさずして、真の日本はあり得ない。祭祀主であらせられ、神の如くに清浄なるご存在であり、尊厳性・道義性の体現者であらせられる天皇に帰一する日本を復興することが、國體の開顕であり明徴化である。

 

我が國國民の心の底にある國體精神を蘇らしめ、それを核として強大な統合力を生み出し、混迷せる状況に対して革新の行動を起こすことが今求められてゐる。

 

わが國は日本喪失の精神状況から脱出して、日本民族の誇りと矜持を取り戻さねばならない。それは偏狭な排外主義・独善に陥ることでは決してない。「神話の精神の復活」によって精神の救済を図るといふことである。

 

民族の歴史と傳統の精神を変革の原理とする日本の維新は、維新を志す者が、自らの精神と行動に、憧憬すべき時代の先人たちと同じ決意と歓喜と行動の源泉を甦らしめることによって實現する。

 

今日の危機的状況を國體の真姿に開顕する事によって、危機を乗り越えていかねばならない。必ず乗り越えることができると確信する。わが日本國民が護るべき最高のものは國體であり、変えるべきものは國體の真姿を隠蔽する全ての事象である。

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千駄木庵日乗七月二十日

午前は、諸雑務。

午後三時より、日本橋蠣殻町の日本橋区民センターにて、『ジャパンライジング プレゼンツ 第四回大日本帝国憲法勉強会』にて講演。質疑応答。「立憲主義」「集団的自衛権」「日本國體と成文憲法」などについて語らせていただいた。

午後六時より、春日の文京区民センターにて、『第四十二回 日本の心を学ぶ会』開催。渡邊昇氏が挨拶。瀬戸弘幸氏が「カジノ法案」と題して講演。小生が「靖国神社と戦没者追悼を考える」と題して講演。質疑応答。

写真: 大日本帝国憲法勉強会
四宮先生登壇です。

『大日本帝国憲法』勉強会

写真

日本の心を学ぶ会

天候が良くなかったにもかかわらず、二つの会合とも、多くの方々が参加され、有り難かった。

帰宅後は、原稿執筆。

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2014年7月19日 (土)

祖靈・死者の魂を尊びこれをお祭りすることは日本民族の傳統信仰の基本

 日本人の傳統信仰においては、肉體が死ぬとは、肉體が元気がなくなり萎れてしまうことを言うのであって、人間の全存在が滅亡してしまうということではないのである。だから亡くなった方の靈魂が、「草葉の影から生きている人を見守っている」という考えが生まれるのである。 

 

 他界に生きている死者の靈を祭り報恩感謝の誠を捧げると共に、現世に生きる者たちを護りたまえと祈ることがわが傳統信仰として今日まで生き続けているのである。こうした日本民族の傳統的死生觀から、よみがえりの信仰・七生報國の志が生まれてきたのである。

 

 先祖の靈魂は、お盆や正月や春秋のお彼岸に子孫のいる家へ帰って来るという信仰が今日にも年中行事として生きている。肉體の「死」を人間の全存在の消滅とは考えず、祖靈・死者の魂を身近に感じているのがわが民族の死生觀である。  

 

 ともかく、祖靈・死者の魂を尊びこれをお祭りすることは、日本民族の傳統信仰の基本であり、道義心・倫理觀の根幹である。わが國民は、鎮守の神を敬い、亡くなった祖先の御靈を崇め、その御加護を祈ってきた。これが我々日本民族の生活の土台であった。しかるに、大東亜戰争敗北後、この「敬神崇祖」の精神が次第に希薄になってきている。

 

 その原因は、金や物さえ豊かならいい、今生きている自分さえよければいい、という金銭至上主義・唯物功利の考え方の横溢、そして制度さえ変革すればすべてが良くなるという左翼革命思想=共産主義思想に氾濫などであろう。その結果、今わが國の亡國への道を歩み続けているのである。

 

 内閣総理大臣が、靖國神社に公式参拝し、戦没者の靈に対して感謝の誠を捧げ、國家の安泰と世界の平和を祈ることは、道義が頽廃し、様々の面で混迷の極にあるわが國の再生・改革のためにまことに大切な行事である信ずる。

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千駄木庵日乗七月十九日

午前は、諸雑務。

この後、『政治文化情報』発送作業。発送完了。購読者の皆様に手は週明けにお届けできると思います。

そして、施設に赴き、母に付き添う。母は一緒にいる方々と楽しそうに話していた。

帰宅後は、明日行う講演の準備、書状執筆。

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生長の家と鳩山一郎氏の「友愛精神」

鳩山一郎氏は、昭和三十年に発行された谷口雅春師との共著『危機に立つ日本-それを救う道』といふ書物の中で、「民主主義教育と生命の実相」と題する文章を書き、「私の友愛運動を簡単に要約すれば、すべての人間は神の子である、よって人々は自己を貴ぶと同時に他の人々をも貴ばねばならぬ、四海同胞の友愛精神はこの思想を基盤として発展せしめ、民主主義の徹底を期するということにある。この運動を生命の実相の立場から言えば、結局自他一体運動に外ならないのである」と論じてゐる。

 

さらに、「私は先年来『生命の実相』を愛読しているのであるが、この書に盛られている内容は、哲学、宗教、心理学、教育学等すこぶる多方面に亙っているので、簡単に名称づけることは困難である。しかし、私はこれを概評して『近代人間学』と名づけたい。更にいうならば『本来の完全なる人間』を引き出すがための『新時代のバイブル』である。私が驚異の目を輝かしたのは、仏耶神儒の神髄を打って一丸となし、恰も白湯でも飲むように吾々に提供してくれる。しかもこれを万人の生活に直結させて、大聖賢の理想を現代に活現しつつあることは敬服に値することである。(中略)『生命の実相』を宗教的方面から見た場合には、近代的な万人の宗教ということが出来る。従来キリスト教と仏教とはその教説において各々主張するところが相違い、相反し、両教互に論駁すること数百年に及んでいるのであるが、『生命の貫相』 においては、両教最大の相違点であるところの、キリスト教の所説『神が宇宙を創造した』という説に対し、仏教は『無明が宇宙を創造した』という、この相異なる両説が見事に解決され渾然と融和している。なおまた仏教が無神論に非ざる所以を解明して、ここに東西二大宗教の握手を成就せしめた点は、特筆に値すべき一大事業であると思う」と書かれている。

 

この二つの文章は、おざなりの文章ではない。相当綿密に谷口師の著書を読み、深く共感したうへの文章である。「仏教とキリスト教を融和させた」といふ評価は、『生命の実相』「萬教帰一篇」の「創世記講義」「法華経講義」などを読んだうへでないと書けない。「人間は神の子である」といふ生長の家の根本教義の政治的国民運動的実践が「友愛精神」なのである。

 

谷口雅春師は、その著『解放への二つの道』(昭和三十年発行)において、谷口氏が「鳩山一郎氏は、生長の家の『汝ら天地一切のものと和解せよ』という教えを応用して『友愛政治』ということを言い出した。生長の家の教えが鳩山氏の政治によって実現すれば『天地一切のものと和解する政治』であるから、天地間のすべてのものが喜ぶ政治が出来る。」と論じた文章を、鳩山氏が「自分の心境は此処だ」と言って、一千部注文して鳩山氏の同志に配ったと書いてをられる。

 

また、谷口師が鳩山氏に、「『天地一切のものと和解せよ』といふ生長の家の教へを実行して、吉田茂氏を憎む気持ちを捨てて、吉田氏を拝みなさい」と諭した結果、鳩山氏の病状が軽くなり、総理の重責を担えるようになったといはれてゐる。

 

鳩山一郎氏は、アメリカから押し付けられた憲法ではなく、日本人が自らの手で憲法をつくる、つまり自主憲法制定を提唱した「真正保守」の政治家だった。自由民主党初代総裁として、昭和三十年に自民党が結党された時に定められた「政綱」に、「日本の憲法を自主的に改正する」といふ結成目的を謳った。谷口雅春師も、『現行占領憲法』が諸悪の根源であると説き、『大日本帝国憲法』復元論を主張した。

 

『神社新報』平成二十年六月十六日号によると、六月五日に行われた「天皇陛下御即位二十年奉祝委員会設立総会」において、鳩山由紀夫民主党幹事長(当時)は「国賓の接遇や外国訪問は、憲法の中の国事行為には記されてをりません。私はできうれば憲法改正の議論の中で、このやうなことも、しっかりと国事行為として謳はれるべきではないかと申し上げたい。民主党の中で議論を深めたといふわけではありませんが、日本国は国民統合の象徴である天皇を元首とする民主主義国家である、そのやうに謳ふべきではないかと思ってをります」と述べた。

 

正しい発言である。「本立ちて道生ず」といふ言葉がある通り、国家基本問題とりわけ憲法が正しい姿にならない限り、日本国の真の改革は実現できないし、今日の国家的危機を打開することもできない。 鳩山由紀夫氏は、自主憲法制定を基本綱領とする自民党結党を実現した政治家である祖父・鳩山一郎氏の遺志を継承して「自主憲法制定」に今すぐ立ち上がるべきである。

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千駄木庵日乗七月十八日

午前は、諸雑務。

この後は、在宅して、資料の整理、明後日行う講演の準備など。

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2014年7月18日 (金)

江戸時代も、天皇を日本国の神聖君主と仰ぐ精神は脈脈と傳へられてゐた

武家が専横を極めてゐた江戸時代においても、天皇を日本国の神聖君主と仰ぐ精神は脈脈と傳へられてゐた。征夷大将軍は天皇の臣下であるといふ大義名分は失はれることはなかった。  

 

『円覚院様御伝十五箇条』に見える尾張徳川家四代・徳川吉通の家訓に、「今日の位官は、朝廷より任じ下され、従三位中納言源朝臣と称するからは、これ朝廷の臣なり、されば水戸の西山殿(註・徳川光圀)は、我らが主君は今上皇帝なり、公方(註・征夷大将軍)は旗頭なりとのたまひしよし」と見える。

 

徳川御三家の水戸藩二代藩主徳川光圀は、「水戸藩の忠誠の対象は朝廷である。徳川宗家・征夷大将軍は旗頭である」と言ったといふ。徳川御三家筆頭の尾張藩は、「もしも、朝廷と江戸の将軍の間で対立が起ったら、わが藩は朝廷に従ふ」と言ひ傳へてゐたといふ。

 

山鹿素行(江戸前期の儒者、兵学者)は、「朝廷は禁裏也、辱も天照大御神の御苗裔として、萬々世の垂統たり、此故に武将権を握て、四海の政務武事を司どると云ども、猶朝廷にかはりて萬機の事を管領せしむることわりなり」(『武家事紀』)と論じてゐる。

 

松平定信(江戸後期の白河藩主。田安宗武の子。徳川吉宗の孫。老中となって、財政の整理、風俗の匡正、文武の奨励、士気の鼓舞、倹約を実施して寛政の改革を実行)は、天明八年十月に将軍家斉に奉った上書で「六十余州は禁庭より御あづかり遊ばされ候御事に御座候へば、仮初にも御自身の物とはおぼし召され間敷候御事に御座候」と論じた。

 

山県太華(長州明倫館学頭・藩主毛利斉元の側儒)は、「天子は、先皇以来正統の御位を継がせ給うて天下の大君主と仰がれ給ひ、武将は天下の土地人民を有ちて其の政治を為す」(『評語草稿』)と論じた。

 

このやうに、江戸時代においても、日本国の君主は天皇であり、征夷大将軍はその臣下であるといふことが大義名分であった。

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千駄木庵日乗七月十七日

午前は、諸雑務。『伝統と革新』編集の仕事。

午後二時より、永田町の参議院議員会館にて、アントニオ猪木氏にインタビュー。木村三浩氏も参加。『伝統と革新』掲載のためなり。

この後、施設に赴き、母に付き添う。共に相撲中継を見る。

帰宅後は、書状執筆など。

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2014年7月17日 (木)

天皇のご本質と成文憲法

古代の天皇様は現御神(生きたまふ神)として崇められつつ、人としてもきはめて自由に行動されてゐた。天皇の最大の御使命である祭祀とは、神人合一の行事である。「神人合一」とは「人にして神・神にして人」といふことである。天皇は、「人にして神・神にして人」であらせられるのである。この場合の「神」とは一神教のゴッド・宇宙創造神・絶対無謬の唯一絶対神ではない。天地自然に宿りたまふ八百万の神々であり、太陽神であるとともに皇室及び日本民族の祖先神=天照大御神である。「天皇が現御神である」とは、天皇が唯一神・全知全能の神・絶対無謬神だといふ事ではない。天皇が祭祀国家・信仰共同体日本の祭り主といふ「人として最も尊い御存在」であるといふことである。

 

また、祭り=神人合一とは、一切の「私」を禊祓ひ去って生成の根源に帰ることであり、「無私」こそが「祭」の窮極である。したがって、祭祀主としての天皇のご本質は「無私」なのである。無私だからこそ現御神といふ最高に尊い御存在として仰がれるのである。

 

天皇が国民を統合される尊貴な御存在であられるといふことは、天皇は神にして人であらせられるといふことである。天皇が日本国の祭祀主であらせられることが、天皇が国家国民の統合の中心であり君主であらせられることの源泉なのである。「人にして神である」といふ天皇及び日嗣の御子の御本質・日本国の祭祀主であり統治者としての御本質に立ち返っていただくことが基本である。

 

天皇の「おほらかにして神聖なる君主としての伝統」「祭り主として神聖性」「君主として国民を統治される真姿」が回復されるべきである。

 

天皇及び皇室は、占領軍によって押し付けられた「占領憲法」の規定などに全く拘束される必要はない。三千年の伝統のある天皇中心の國體及び天皇・皇室を、アメリカから押し付けられた成文法の枠で規定してしまふことは間違ひなのである。

 

成文法といふものは、人間相互の不信の上に成り立つものである。人間同士が信じ合へないから、成文法を作ってお互ひにそれを遵守することによって秩序を保つのである。

 

ところがわが国は天皇を祭祀主と仰ぐ祭祀共同体である。天皇と国民の関係は権力関係・法律関係ではなく、精神的・信仰的関係である。ゆへに、天皇は人間不信の上に作られた成文法の枠外の御存在であられる。

 

天皇中心の日本國體は、近代成文法や近代合理主義や近代民主主義を超越した存在である。しかし成文法に天皇を規定しなければならないのなら、現行憲法の「象徴天皇」の規定を根本的に改めて、日本国の祭祀主・統治者の御地位にあられることを明確に規定すべきである。

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千駄木庵日乗七月十六日

午前は、諸雑務。

午後二時半より、芝の駐健保会館にて、『大行社幹部会』開催。顧問の一人としてスピーチ。「アジア主義」と「脱亜論」について語らせていただいた。

大手町の茶房にて、読書。

午後六時半より、ホテルサンルート高田馬場にて『一水会フォーラム』開催。木村三浩・小林節両氏がスピーチ。鳩山由紀夫元総理が講演。質疑応答。小生は「友愛精神」と谷口雅春師の思想の関係について質問した。山口敏夫元衆院議員がスピーチを行い終了した。なかなか興味深い会合であった。後日報告します。

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講演する鳩山由紀夫元総理

この後、鳩山氏を囲んで懇親会。小生とは、文京区から選出され、鳩山一郎氏系の都議会議員を長く務めた四宮久吉元衆院議員のこと、そして生長の家のことなどが話題になった。

帰宅後は、原稿執筆。

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2014年7月16日 (水)

日本の伝統信仰・祭祀が今日の混迷を打開する原基となる

  天皇は大嘗祭をはじめとした宮中祭祀において、天照大御神をはじめとした天神地祇、瑞穂の霊、御歴代の皇霊を祭られる。日本人の自然を大切にする心と潤ひのある衣食住の基本には、全てを神として拝み、神として祭る心がある。その最高の実行者が、和歌を詠まれ、農事を行はれ、祭祀を行はれる日本天皇なのである。

 

天皇の祭祀は、五穀の豊穣・國民の平安を祈られるのである。また、わが国伝統信仰に基づく民族儀礼であって、日本国の成立と共に行はれてきた。それは記紀に記された神武天皇の御事績を拝すれば明らかである。

 

したがって、天皇の祭祀は私事ではないし、単なる先祖祭でもない。信仰共同体日本の根幹であり最も大切なる公事である。日本国家生成の根源である。ゆへに、「天皇の祭祀は天皇の先祖祭りだから私事である」といふ意見は誤りである。ただし、天皇の祭祀は天皇政治権力行為ではない。

 

戦後日本の「民主化」「非軍事化」「伝統否定」の中での天皇および皇室は、祭祀主・宗教的権威としての天皇の本質を軽視し隠蔽して来た。祭祀が私的行為とされている。また自衛隊とのつながりも極端に制限されてゐる。

 

憲法改正は、国家の基軸中の基軸を為す天皇の「統治大権」「祭祀大権」の復権が何よりも先に行はれなければならないのである。これが為されない憲法改正は全く意味がない。現御神・祭祀主としての伝統的な天皇および日嗣の御子の真姿への回帰・天皇の御本質の復元が根本である。

 

橘曙覧(たちばなのあけみ。幕末の歌人。越前国の人)は、「利(くぶさ)のみむさぼる国に 正しかる日嗣のゆゑを しめしたらなむ」と詠んだ。

 

科学技術が生態系を破壊しつつある今日、自然と共に生き自然を大切なものとしてをろがむ精神、天皇を祭祀主とする信仰共同体日本の回復が必要である。科学技術文明・近代合理主義に依拠し、利益と進歩のみを求め欲望と便利さの充足を至上の価値とし、自然を造りかへ破壊して来た近代の傲慢さに対する歯止めとして、天皇を祭祀主と仰ぐ日本伝統信仰の祭祀が大きな価値を持つ。

 

日本伝統信仰の祭りは、天地自然及び祖霊に対する敬虔なる思ひの表現である。天地自然の神々の復活が現代の救済であり世界恒久平和の基である。

 

伊勢の神宮、皇居の森、明治神宮の森をはじめとして全国各地の「鎮守の森」は、現代社会において人々の魂を清め、精神を清浄化する場として、大きな価値を持ってゐる。日本の伝統信仰・祭祀こそが、今日の混迷を打開する。

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千駄木庵日乗七月十五日

午前は、諸雑務。『伝統と革新』編集の仕事。

昼、上野公園にて、先輩と懇談。最近、オーストリアに一か月滞在された方。音楽のこと、歴史問題などお話を伺う。反ユダヤ感情が根強いとのことであった。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備、明日のスピーチの準備など。

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2014年7月14日 (月)

日本国家の本質と『現行占領憲法』

古代日本の統一は、日の御子たる天皇が行はれる祭祀を中心とし、その祭祀が地方の祭祀を次第に全國的に統一されることによって實現したのである。古代日本の統一(日本國の生成)は、祭祀的統一である。各部族間の武力闘争はあったにしても、その有限的にして相対的な勝利は、最終的には神への祭祀によって聖化された。

 

 大和朝廷による祭祀的統一によって、日本民族が狭い部族的あるいは地縁的な共同體の分立から、今日の日本國の原形である全體性を確立した。その中核が<天皇の祭祀>である。これが「祭」と「政」の一致なのである。かかる意味において、日本國は天皇を中心とした信仰共同體なのである。

 

天皇国日本は、そこに住む人々の共同の意識・倫理観・信仰精神と共にある。祭祀主たる天皇は権力者ではないし権力機関でもない。その共同体に生活する国民は、天皇の大御宝と尊ばれ、神の子として育まれ、美しいものへの憧憬憬の心を育てられて生きてきた。

 

その信仰共同体としての国は、母なる大地であり、まさに祖国であり母国である。日本国は、親と子との関係と同じ精神的結合によって形成されてゐるのである。

 

祭祀主たる天皇は、地上における天照大御神の御代理即ち現御神であらせられるのであって、國民が作った成文法によって制限され、規制される存在ではない。

 

伊藤博文は、明治十五年の書いたといふ岩倉具視宛の書簡で、「…我皇室の如きは、二千五百有余年、邦国の体裁を固定せざる以前に於て、既に君主の地位を占む。豈に国憲を定め国会を起すの時に至り、始めて君主たる事を認めらるゝを俣たんや。」(『伊藤博文傳』中巻)と書いてゐる。

 

 国家体制が制度的・法的に確立した時期よりはるか以前から、すなはち天孫降臨以来、天皇はわが國に君臨せられてゐたのである。

 

 野口武彦氏は、「美濃部達吉は『帝国の國體と帝国憲法』(大正二年)といふ著書で、『國體』とは『国家の成立する基礎たる精神』、『国家団結の基づく所の民族精神』であり、従って『単純なる法律上の観念に非ず』といい、さらに『國體は憲法上の観念に非ずして主としては倫理上の観念なり。憲法は国の政治組織を定むと雖も國體を定むることなし』と明言してゐる。そして『政体』の概念については、『我が帝国の國體に基く憲法上の特色は萬世一系の皇統を君主として奉戴する君主政体なることに存す』とい命題が明確に述べているとおり、これを国家の政治組織と定義しているのである。」(『王道と革命の間』)と述べてゐる。

 

 西洋の国家観は、ある特定の地域の内部で物理的暴力による支配機構といふ事らしい。国家は個人の抑圧装置としてゐる。個人にとって国家とは本質的に敵である。『現行占領憲法』は基本的にかかる西洋的権力国家観が基本となっている。このやうなものは一日も早く無効を確認しなければならない。

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千駄木庵日乗七月十四日

午前は、諸雑務。

この後、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、資料の整理、原稿執筆など。

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2014年7月13日 (日)

藤和彦氏(世界平和研究所主任研究員)の講演内容

五月十五日に行われた『一水会フォーラム』における藤和彦氏(世界平和研究所主任研究員)による「日露エネルギー同盟を締結せよ!」と題する講演内容。

 

 

 

「シェール革命で世界がバラ色になるという論調があるが、これから日本はエネルギー危機に陥ることを危惧している。ロシアからパイプラインを引くべし。一九〇七年から十七年『日露協約』が締結されていた。その十年間についてまともな研究無し。アメリカが満州権益を取りたがっていた。『日露協約』締結の一か月後の一九〇七年八月に『英露協定』が締結された。その背景にドイツ帝国の抬頭があった。大正五年(一九一六)に改定された『第四次日露協定』は軍事同盟化した。武器弾薬を日本からロシアに送った。しかしロシアに革命が起こり、日本は梯子を外され、シベリア出兵などによって日露関係は冷えてしまった。日露戦争でユダヤ資本を中心にアメリカは日本を資金的に支援した。しかし日本がロシアにくっ付くことによって米国のメディアは日本叩きを始めた。現在でも、日ロ友好が促進されると米国のメディアが同じ行動に出ることが予想される。日本がエネルギーをはじめとする対ロ外交を展開するには、このような米国の存在を考慮に入れる必要あり。

 

 

 

シェール革命でアメリカではオイルが凄まじい勢いで増産されている。アメリカの原油の対外依存度は昨年は三六%にまで落ちている。今後もっと下がる。シェールガス、シェールオイルは、従来の原油・天然ガスと成分は同じ。掘削コストは三倍高い。シェールガスが日本のエネルギー事情の救世主になるという期待は持たない方がいい。一方、シェールオイルは順風満帆。アメリカは中東に対する関心が落ちている。ガスよりオイルにシフトしている。天然ガスは生産されていない。米国は今後『エネルギーモンロー主義』に転換する恐れあり。

 

 

 

ウクライナは欧州行きのパイプラインから途中でガスを抜き取る。ガスの代金をきちんと払わない。百%ウクライナが悪い。ロシアはエネルギー依存経済。エネルギーを政治の武器にすると中長期的にはロシアの方が困る。ロシアが欧州へのガスを止めたら、パイプラインが無駄になる。ロシアの外貨獲得の九割がエネルギー。ソ連崩壊の時も欧州へのガスは止まらなかった。長期的に生産国より買う方の国が強い。アメリカは原油の自給率か上がるが輸出はできない。サウジは国内の石油消費が増えている。二〇三〇年に輸入国になると言われている。

 

 

 

インド洋の航行の自由を中国が妨害している。中国船に供給してくれる港がない。インド洋を巡る中国とインドの対立激化。南支那海・東支那海に大量の資源があるというのは眉唾。国連の荒っぽい調査によるもので信憑性は無い。東支那海・南支那海での石油開発は周永康による習近平に対する嫌がらせ。ホワイトハウス・国務省は中国に良い顔しようとしている。国防総省は逆。アメリカは今、厭戦気分が強いが、中国が一線を越えるとアメリカは逆上する。

 

 

 

日本は火力発電所がフル稼働している。これが大事故を起こしたら大変。三年間大丈夫だったが、これからも大丈夫というのは問題。昨年度は十兆円の貿易赤字だった。五十基あった原発が十基再稼働すれば御の字。ある一定のレベルまで再稼働しても、重要電源にはならない。

 

 

 

天然ガスは世界消費の四百年分の埋蔵量あり。東シベリアのガスは腐るほどあるが利用されていない。ロシアの原油は質が良い。近いので三日で日本に来る。サハリンから日本の首都圏まで千五百キロ。パイプライン輸送が当然。日本産業界は大賛成。低廉なエネルギー供給がアベノミックスの第四の矢。

 

 

 

ウクライナ政権の正統性はあるのか。反ユダヤ勢力が入っている。ネオコンの暴走が始まっている。シリアと同じ構造がウクライナで起きている。

 

 

 

中国の教科書では沿海州、サハリン、北方領土は中国領になっている。戦前は、ABCD包囲網で日本が孤立されられたが、現代では、日・米・露・印の『エネルギー同盟』で、領土拡張を進める中国を包囲するという構想もある。中国の暴走を止め、東アジアに安定をもたらすための中核となる要素は、中国の後背地・ロシアと日本の関係にあるかもしれない。ロシア極東地域の天然ガスをアジアの平和のために使っていく。ドイツの統一はパイプラインが大きな要素であった。大慶油田を戦前に日本が見つけていれば、戦争にならなかった。

 

 

 

アメリカで反ユダヤが高まっている。アメリカのメディアはユダヤが牛耳っているので報道しない。アメリカの中東外交はユダヤによってゆがめられているという主張がある。永遠の同盟はあり得ない。あるのは国益のみ。

 

 

 

日本の電力会社は大きな設備投資しているので借金も多い。三・一一で状況が変わった。『国家百年の大計』を考えるうえで、日本とロシアとの関係はエネルギー供給の面からも、国際情勢の面からも重要なものになる」。

 

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千駄木庵日乗七月十三日

午前は、諸雑務。

午後は、菩提寺に赴き、四宮家の墓所を掃苔。ご冥福を祈る。住職夫人にご挨拶。

この後、施設に赴き、母に付き添う。機嫌が良かった。

帰宅後は、原稿執筆など。

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「第四十二回日本の心を学ぶ会」のお知らせ

下記のような会合が開かれますので、ご案内申し上げます。

なお、案内文は主催者が作成したものです。

 

                  〇

 

第四十二回日本の心を学ぶ会

第一部 靖国神社と戦没者追悼を考える
第二部 カジノ法案について
    ...

『終戦記念日』が近づきました。 


『終戦記念日』は、本来、靖國の英霊に感謝の誠を捧げるべきあるにもかかわらず、毎年、九段の靖國神社の周辺は騒然とした状態になります。 


言うまでもなく、靖国神社は本来、戦没者追悼のための聖なる鎮魂のお社であり、静寂の中で戦没者に感謝と慰霊の祈りを捧げる聖域であります。 


九段下周辺では毎年、いわゆる「反靖国勢力」がデモを行い、靖國神社に対する冒瀆行為を繰り返しております。靖国神社への冒瀆はとりもなおさず、そこに祀られている英霊への冒瀆です。断じて許されざる行為です。 


戦没した英霊を日本伝統信仰の祭式によってお祭りすることは当然のことです。そのことが、政治問題、外交問題となり、靖國神社という聖なるお社が騒がしい騒乱の場になっているのは、「昭和殉難者合祀」「政教分離」などに関する無知・誤解・悪意ある偏見、そして偏向メディアの反靖國報道、さらに支那・韓国という反日国家の不当なる干渉と妨害がその原因です。 


『終戦記念日』には、悪質なる妨害と破壊行為を撥ね退け、今日の平和と発展の礎になられた靖国神社に鎮まる戦没英霊に感謝の真心を捧げることが大切です。 


そこで、今回の勉強会では、英霊鎮魂の聖域としての靖国神社の意義・戦没者追悼に関する諸問題について勉強したいと思います。
また瀬戸弘幸先生には、国会に提出され解禁が現実味を帯びてきたカジノ法案について講演をしていただきます。

みなさんお誘い合わせのうえご参加ください。

【日 時】平成26720日(日)午後600分より
【場 所】文京区民センター 3-B会議室
東京都文京区本郷 4-15-14 地下鉄春日駅 下車1分(大江戸線、三田線)、 後楽園下車3分(丸の内線、南 北線)JR(水道橋)
【演 題】 第一部 靖国神社と戦没者追悼を考える
      第二部 カジノ法案について    
【登壇者】講 師 四宮正貴先生 四宮政治文化研究所 
        瀨戸弘幸先生 BLOG日本よ何処へ       
【司会者】 林大悟
【参加費】資料代500円 終了後、近隣で懇親会(3千円くらいの予定です)
【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395

 

 

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今日における『脱亜論』及び『大アジア主義』

近代日本の歴史は「脱亜論」と「アジア主義」が交錯した歴史だったという説がある。

 

「脱亜論」とは、新聞『時事新報』に明治十八年三月十六日に福沢諭吉が書いた掲載された無署名の社説である。この論文は、「東アジアの悪友である清国と朝鮮国とは、隣国という理由で特別な関係を持つのではなく欧米諸国と同じような付き合いかたにして、日本は独自に近代化を進めて行くことが望ましいと結論し、「我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」と書かれている。明治日本は、変革の意志なく、「旧来の陋習」に固執する支那や韓国との関係は「謝絶」して、欧米との結びつきを強めるべきだという思想である。

 

「アジア主義」とは、欧米列強のアジア侵略植民地支配を打破するために、アジア諸国・諸民族が連帯し、アジアを解放しようという思想である。一口で言へば、『大西郷遺訓』に「文明とは道の普(あまね)く行はるるを言へるものにして、宮室の荘厳、衣服の美麗、外観の浮華を言ふには非ず。世人の西洋を評する所を聞くに、何を文明と言ひ、何を野蛮と言ふや、少しも了解するを得ず。真に文明ならば、未開の国に対しは、慈愛を本とし、懇懇説諭して開明に導く可きに、然らずして残忍酷薄を事とし、己れを利するは野蛮なりと言ふべし」といふ思想である。

 

今日において、この二つの思想と言うか考え方をどう学ぶべきか。わが国は、日清・日露戦争は勝利し、第一次大戦では戦勝国になった。その後、アジアでの影響力を強め、貢献もしたが、大東亜戦争で敗北した。今日及び今後の日本を考えるうえで、この近代日本の対外関係史から学ぶべきことは何であろうか。

 

今日唯今においては、結論して言えば、どちらの考え方も正しいのである。即ち、今日アジアを侵略し支配せんとしている國は共産支那である。そして韓国はその属国に成り果てようとしている。かかる「亜細亜東方の悪友を謝絶する」べきである。そして、他のアジア諸国およびアメリカと同盟関係を深めて、「中華帝国主義」のアジア侵略の野望を打ち砕くべきである。これが今日における「脱亜論」と言うよりも「脱支那論」である。

 

今日のおける「大アジア主義」は、「残忍酷薄を事とし、己れを利する」のみの共産支那のアジア侵略植民地支配を打破するために、アジア諸国・諸民族が連帯し、アジアを「中華帝国主義」の桎梏下から解放せんしする思想である。

 

アジア情勢は危機に瀕している。わが国は、自国の力を強めると共に、アメリカや東南アジア諸国との連帯を深めて、中華帝国主義に対処すべきである。「集団的自衛権行使容認」はその第一歩である。

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千駄木庵日乗七月十二日

午前は、諸雑務。『伝統と革新』編集の仕事。

午後からは、在宅して、資料の整理、原稿執筆の準備、原稿執筆など。

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2014年7月12日 (土)

ナショナリズムについて

「ナショナリズム」といふ言葉は言ふまでもなく外来語である。ナショナリズムを國語に訳すと「民族主義」「國家主義」である。「民族主義」「國家主義」といふ言葉は「愛國心」「祖國愛」といふ言葉と同様に近代以後に使はれ出した言葉である。

 

ナショナリズムは近代國民國家の形成と共に生まれた意識だから、近代國家が形成される以前にはナショナリズムは無かったといふ見方がある。日本ナショナリズムの形成は、幕末期以降とされる。つまり、日本ナショナリズムの勃興は、明治維新であるといふである。

 

しかし、國・民族・共同體が危機に瀕した時に興起する歴史意識・傳統精神を根底に置いた國家防衛・独立確保の主張と行動は、幕末期になってはじめて登場したものではない。白村江の戦ひや元寇の時にすでに勃興してゐる。

 

「尊皇攘夷」といふ言葉は、幕末期に起った日本ナショナリズムを端的に且つ正しく言ひ表してゐる。「尊皇攘夷」といふ言葉の起源は、中華思想の言ふ「北狄」や「南蛮」の侵略にあった古代支那(周の末期)の都市國家群・支那民族が、危機を乗り越えやうとした時の旗幟・スローガンである。ただし支那の場合は「尊王」と書く。

 

わが國の幕末期における「攘夷精神」とは、西欧列強といふ侵略者、異質の文化に直面した日本國民の國民的自覚と祖國防衛・独立維持の情念の噴出であり結集である。そしてそれは「日本は天皇を中心とした神の國である」といふ國體観に立脚してゐた。だから「尊皇攘夷」と言ったのである。

 

日本國の長い歴史の中で、「神國思想」「尊皇攘夷」の精神は静かに脈々と継承され生き続けて来た。それが國難・外圧・内憂などの國家的危機に際會すると激しく表面に噴出したのである。わが國における「尊皇攘夷」の精神は幕末期において初めて勃興したのではない。白村江の戦ひ、元寇、そして幕末といふ三度にわたる外患の時期において勃興したのである。

 

今日わが國は、内外情勢の危機が顕著になってゐる。それは明治維新前夜よりも深刻な状況である。そして人々の心の中に不安と空虚感が広まっている。これを克服するためには、日本民族としての主體性・帰属意識を回復する以外に無い。日本民族の歴史意識・傳統精神を我々一人一人の精神の中で甦らせ、國民一人一人の倫理観・道義感の基本に置き、日本民族の意識・ナショナリズムが形成される。今こそナショナリズムが勃興すべき時である。

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千駄木庵日乗七月十一日

午前は、諸雑務。『政治文化情報』の原稿脱稿・送付。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事など。

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2014年7月10日 (木)

ブルッキングス研究所主催講演会『米中関係・アジア太平洋地域と世界への影響』における登壇者の発言

五月十四日に開かれたブルッキングス研究所主催講演会『米中関係・アジア太平洋地域と世界への影響』における登壇者の発言は次の通り。

ジェイムス・スタインバーグ氏(シラキュース大学マックスウェル行政大学大学院院長・前米国国務副長官)「アジアは朝鮮戦争終了後、平和と安定に恵まれて来た。経済的奇跡を起こした。日本・韓国・中国をはじめアジア全体は経済発展を遂げた。しかし、将来は不確実性がつきまとっている。第一に、中国の抬頭がアジアにとってどういう意味を持つか。中国の国防予算引き上げが将来どういう意味を持つか。第一に悲観的見方がある。米中対立は必然で、将来必ず戦争が起こるという見方。もう一つは、米中は相互依存関係が余りに深いので、警戒しつつ協力関係であらざるを得ない、紛争を起こすことはできないという見方。習近平及びその周辺の意向が読めない。将来を確実に讀むことはできない。敵対的脅威となる行動をとるのは悲劇。戦略的相互信頼関係を作らねばならない。中国は『平和的発展』と言い続けている。しかし、言葉だけでは駄目。注意をそらすための言葉という見方がある。誤った恐怖心から相手の意図を敵対的なものと受け取ってしまう。言葉だけでは信頼醸成につながらない。具体的行動によって誤解を避けることができる。誤解に基づく恐怖を解消せねばならない。自制心を発揮する。透明性を確保する。相手が何をしているかが分かれば誤解はない。自分の意図をはっきりと明確に相手に伝えなければいけない。中国と対してもそうした方がいい。中国は自制心が欠けている。軍事予算をどんどん増やしていることに対し、アメリカは対処せねばならない。中国が『平和的発展』と言うからには、行動が伴わねばならない。中国は台湾に対し自制心を示していないので、アメリカは台湾に兵器を輸出している。中国が自制すればもっと低いコストで安全が保たれる。中国の民主化があるかどうか断定することはできない。その上で我々は戦略を立てねばならない。中国は抬頭しているのではなく復権している。復活である。中華思想を実現するとなると問題である。日本は中華思想のシステムに入ってイなかった。中国は日本の宗主国ではない。決意の本質は効果的対策を持つこと。中国が軍を上陸させれば我々は攻撃せざるを得ないかもしれない。経済制裁もあり得る。ウクライナと同じ。アメリカは効果的なことをする。核戦争を起こすことは避ける。領土紛争が起った時どちらの味方をすることになるか。日本には施政権がある。南シナ海における中国の動きに懸念する。アメリカはアセアン諸国とのつながりを深くした。アメリカはベトナムとの安保対話を拡大している。合同軍事訓練も考えられる。中国とロシアのつながりは深くなっている。中国が尖閣でレッドライン(越えてはならない一線)に踏み込んだらアメリカは必ず対応する」。

マイケル・オハンロン氏(ブルッキング研究所シニアフェロー)「宇宙のゴミが出来ている。米中戦争は宇宙での戦いになる。中国は第二の軍事大国になっている。GDPの二%を軍事費に使っている。アメリカはペルシャ湾原油を守っている。その結果、中国が経済発展をしたことを中国は理解してほしい。中国への先制攻撃の準備をしておかねばならない。日中には根深い不信がある。米中は双方とも巨大な国であるが、アメリカには同盟国であるからアメリカの方が中国より強い。人口問題はアメリカより中国の方が大変。必ずしも二十一世紀は中国の勝利とはならない。ハイテク・宇宙工学は欧米の方が進んでいる」。

田中均氏(日本総合研究所国際戦略研究所理事長、元外務審議官)「中国はアメリカの決意を試しているのではないか。オバマは、『尖閣には日本の施政下にあるから安保条約を発動させる。現状を無理に変更する動きに反対する』と言った。軍事的紛争をどう避けるかは中国側の姿勢にかかっている。中国について楽観的見方はできない」。

 

 

 

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千駄木庵日乗七月十日

午前は、諸雑務。『伝統と革新』編集の仕事。

午後からは在宅して、『政治文化情報』原稿執筆。

今日は、母のところに行けなかった。

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『政治文化情報』平成二十六年七月号のお知らせ

『政治文化情報』は、昭和五十九年創刊以来、小生の論考、時局問題などに関する主張、活動状況の報告、各方面から得た様々な情報などを掲載し、それなりの評価を得て来たと自負致しております。
多くの心有る皆様方のご購読をお願い申し上げます。
見本誌御希望の方はご遠慮なくメールでお申し込み下さい。

 

購読料
年間 12000
半年 6000

 

平成二十六年七月号(平成二十六年六月二十五日発行)の内容

 

〈皇都の一隅より〉

 

『萬葉集』防人の歌の精神

 

萬葉時代の東國庶民はごく自然な感情として尊皇精神を抱いてゐた

 

 尊皇愛國・敬神崇祖はわが民族の中核精神

 

 古代日本人の天地の神への信仰

 

 日本の武士道は道徳・倫理精神と共にあった

 

 日本民族の神への信仰は、柔軟であり幅が広く奥行が深い

 

 家族との別れの悲しみを歌った防人の歌

 

 『國歌君が代』と古代日本人の信仰

 

 「防人の歌」にはわが國民が如何にして國體の神髄を守り神と天皇に仕へ奉ったかが表白されてゐる

 

千駄木庵日乗

 

茂木貞純國学院大学教授「『今上であらせられると共に原初であらせられる天皇』とはおよそ『人間宣言』とは遠い存在」

 

西村眞悟衆院議員「集団的自衛権を行使するか否かは最高指揮官たる安倍総理が決めるべきこと。國會で選ばれ、天皇陛下に任命された人が軍の指揮を執るのが日本のシビリアンコントロール」

 

 

鈴木彩香國連政務局アフリカ第一部次長「アラブの目覚めの中核的要素とは、國家と市民の関係。民主主義の欠如、人権欠如が原因となって、社會契約を結んでいない」

 

 ピーターソン國際経済研究所長・アダム・ボーゼン「アジアの安定・法の支配を實現するのがアベノミックスの目的」

この頃詠みし歌

 

 

 

 

 

 

 

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伊勢にて詠みし歌

 

伊勢の宮の新しきみあらかの輝きは大日の本の光なりけり

新たなるみやしろの前にたたずめば神の光に包まれる思ひ

遠つ御代より受け継ぎ来たりし神の宮 今御前にぞぬかづきにけり

日の本の國に生まれ来し喜びを思ひつつ歩む伊勢の神垣

光満つる神宮の道を歩み行く神の御稜威に生かされし我

伊勢の宮居 新しき光かがよへり民族の命よみがへる如

神ゐます宮居を拝ろがむ時にしも新たなる力湧きて来るなり

日の御旗はためく彼方にかがよへる緑美しき神路山かな

初夏の日に照らされかがよふ神路山にひるがへるなる日の御旗かな

さはやけき風吹き来たる神宮の道歩み行きあらたまる心

御裳濯川清き流れに手をひたす 日の本の民と生まれ来し我

御裳濯川の流れ久しく絶えずして大日の本の國は盤石

今此処がまさに神代と思はるる御裳濯川のほとりに立てば

生き生きと神の霊気が満ち満つる荒祭宮の御前にぞ立つ

祀られることの少なき神を拝み月讀の宮より帰り来れり

 

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千駄木庵日乗七月九日

午前は、諸雑務。

この後、『伝統と革新』の仕事。

午後は、施設に赴き、母に付き添う。施設の人と打ち合わせ。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究会』開催。小生が大伴旅人などの歌を講義。

帰途、参加者と懇談。

帰宅後、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2014年7月 8日 (火)

この頃詠みし歌

古き館やがてこぼたれると聞きにつつ祝宴に座す梅雨の真昼間(日本青年館にて)

 

群れて咲く紫陽花を見つつ逢へずなりし女(ひと)の面影偲ぶ夏至の日

 

朝の間を神前に座し天津祝詞唱へまつれば心さやけし

 

梅雨の晴れ間に洗濯物を干しにけり一人暮らしは半世紀続く

 

(いかづち)の音聞こえ来る夕暮に母と語らふ施設の小部屋

 

雲の奥の大日輪を仰ぎつつ手を合はせたり晴れし日の如く

 

兄弟で店を守れる洋食店のビーフシチューを食し喜ぶ

 

ガード下に居酒屋並ぶ御徒町変らずにあれと思ひつつ歩む

 

いくつもの寺院の並ぶ夕暮の谷中の町の静けさぞ良し

 

慌ただしき心のままに地下鉄の階段下りる我の靴音

 

小学校の同級生が子と孫と食事してゐる姿ともしき

 

神風の伊勢の宮居をはるか思ひ大日輪を仰ぐ朝かな

 

敵国の手先となりて反戦を唱へる輩を強く憎しむ

 

繰り返す反戦平和のたは言はなべて虚妄と敵国の罠

 

反戦を唱へれば戦争はなきものと思ふ人々の愚かなる心

 

祖国をば侵略国家と蔑みて正義面する醜き輩

 

国会前で何を叫べと敵国を利する輩に正義など無し

 

己が意志貫き通し進めよと安倍総理の写真に言向けにけり

 

人と人との深きえにしを思ふなり真向へる友の笑顔を見つつ

 

身の疲れ感ぜし時は大空を仰ぎて日の神の力いただく

 

 

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千駄木庵日乗七月八日

午前は、諸雑務。『伝統と革新』編集の仕事。

午後は『政治文化情報』原稿執筆。

この後、施設に赴き母に付き添う。昨日微熱が出たという。今日は平熱に戻っていた。お菓子を共に食す。食欲があるので一安心。

帰途、谷中にて、近所の方々と懇談。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆など。

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第四回 大日本帝国憲法勉強会

勉強会のお知らせ

ジャパンライジング プレゼンツ

第四回 大日本帝国憲法勉強会

日時   7月20日() 13時30分~16時45分
場所   中央区立日本橋公会堂 〒103-8360 中央区日本橋蛎殻町一丁目311号 日本橋区民センター内
定員   20名

講師    四宮正貴(四宮政治文化研究所代表)
       三島大 河野宰

資料代    1000円

お申し込みはmail@japanrising.com

http://www.japanrising.com/image87.gif

まもなく暑い夏の到来です。
異常気象なのか季節の変わり目を感じることの少なくなった今日この頃です。
これもGHQに押し付けれれた日本国憲法(占領憲法)のせいでしょうか()

冗談です。
真面目にやります!

その占領憲法と戦後に作られたニセ皇室典範が日本の伝統や家族・社会のあり方、男女の役割、そして皇室もまで破壊し続けています。
憲法問題は9条だけではないのですよ。
国防をしっかりとしても、我々の中身が日本人ではなくなったら、そこで日本は終いです。
日本は恐ろしい革命や宗教で歴史の分断された諸外国とはまったく違います。
日本は共和国でもなければ共産国でもありません。
神話と現在が連綿と続く神の国、皇室を中心とした祭祀国家なのです。

世界が賞賛する日本人の気質。
優しさや勤勉性、正直で真面目、普段はおとなしいが勇敢。
これも神代からご先祖様が守ってきた國體(国柄・慣習)の一部なのです。
しかし占領憲法の猛毒、左翼思想(人権・平等・平和主義)によって日本人らしさはどんどん破壊されています。

新しい憲法を作ればいいじゃないかと言う人もいますが、明治の賢者が総力を上げて作った憲法よりも、
良い憲法を作れると思いますか?
大日本帝国憲法は歴史の無い他国のような、ただの法律ではありません。
國體を成文化したものなのです。
各政党や新聞社の憲法草案を読んだことがありますか?
はっきり言ってまとものものは一つもありません。

大日本帝国憲法の復元よりもやらなければならない事があると思われる方もいるでしょう。
確かに目の前の敵を殲滅することは必要ですが、最終的には我々の憲法を取り戻して日本が復活するのだと皆さんに認識してほしいのです。
領土や財産は奪われても取り戻せますが、國體を失えば日本は消滅します。
國體とは日本を日本たらしめているものなのです。

保守って何だ?
その答えがここにある。
皆に会えるのを楽しみにしているぜ!

We Rock

メタル兄弟

 

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天照大御神について

天照大御神は、『古事記』によると、伊耶那岐命が、筑紫の日向の橘の阿波岐原で禊祓へされた時、左のみ目を洗ひたまひし時になりませる神である。右のみ目を洗ひたまひし時になりませる神は月読命、鼻を洗ひたまひし時になりませる神は須佐之男命である。

 

『日本書紀』には、「伊耶那岐命・伊耶那美命、共に議(はか)りて曰(のたま)はく、吾すでに大八洲國及び山川草木を生めり。いかにぞ天の下の主たる者を生まざらむや、と。ここに共に日神(ひのかみ)を生みます。大日孁貴(おほひるめのむち)と號(まを)す。此の子(みこ)、光華明彩(ひかりうるは)しくして、六合(くに)の内に照り徹る」と記されてゐる。

 

古代日本人は太陽を崇めた。天孫・邇邇藝命が天降られた地は、「朝日の直(ただ)刺す国、夕日の日照る国なり。故(かれ)此の地はいと吉(よ)き地(ところ)」(『古事記』)と記されてゐる。『萬葉集』の「人麻呂歌集」には、「ひさかたの 天つみ空に 照れる日の 失せなむ日こそ 我が恋やまめ」といふ歌がある。

 

古代日本人の素朴な太陽への信仰・崇拝の心が、次第に純化し太陽の光明温熱によって万物万生が生成化育するといふ、その尊い事実を神格化して太陽を最高尊貴な人格神として拝むようになったのである。

 

古代日本人は日の神の永遠性を信仰してゐた。ゆゑに、日の神たる天照大御神は、最尊最貴の神と仰がれる。天照大御神は、高天原の主神であり、日の神である。その日の神を祀る祭祀主を共同体の「おほきみ」と仰いだ。そして日の神を「おほきみ」の祖神と信じた。

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千駄木庵日乗七月七日

午前は、諸雑務。『伝統と革新』編集の仕事。

午後、平河町の平河天満宮に参拝。

この後、先輩の事務所訪問。懇談。

帰宅後は、『政治文化情報』原稿執筆など。

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2014年7月 7日 (月)

萬葉古代史研究會 のお知らせ

小生が講師となり「萬葉集」を勉強する會が次の通り開かれます。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。

 

日時 七月九日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

東京都豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 山手線駒込駅北口徒歩二分

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

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伊勢の神宮と「今即神代」の信仰

「今即神代」が日本伝統信仰の根本である。伊勢の神宮に行くと今日においても誰でもこの思ひを抱く。近代歌人もさうした思ひを歌に詠んでゐる。若き日に社会主義革命思想に傾斜した土岐善麿も伊勢の神宮において、

 

「おのづから 神にかよへる いにしへの 人の心を まのあたり見む」

 

と詠んでゐる。

窪田空穂は、

 

「遠き世に ありける我の 今ここに ありしと思ふ 宮路を行けば」

 

と詠んでゐる。

 

昭和四十二年の秋、イギリスの歴史学者、アーノルド・J・トインビーが夫人と共に参宮した時、内宮神楽殿の休憩室で「芳名録」に記帳し、

 

「この聖地において、私は、あらゆる宗教の根底をなすものを感じます」

 

と書いた。

 

人類は様々の宗教を信じてゐる。そしてそれらの宗教はそれぞれ特色があり、人類に救ひと安穏をもたらしてゐる。しかし半面、人類の歴史は宗教戦争の歴史であったともいへる。それは今日に至るまで続いてゐる。神を拝み、神を信じる人々による凄惨なる殺しあひが行はれて来た。

 

わが國伝統信仰の根底にあるものはは、天地自然の中の生きたまふ大いなるものへの畏敬の心である。わが國の自然を大切にする心=自然保護の精神は、歴史的にも文化的にも『神社の森』『鎮守の森』がその原点である。わが民族の祖先は、古代から神々の鎮まる緑豊かな『神社の森』『鎮守の森』を大切に護って来た。それは鎮守の森には、神が天降り、神の霊が宿ると信じて来たからである。鎮守の森ばかりではない。ふるさとの山や海に神や精霊が生きていると信じてきた。秀麗な山河に神が天降り、神の霊が宿ってゐると信じて来た。

 

天皇の御祖先である邇邇藝命は高千穂の峰に天降られた。そして、富士山・三輪山・大和三山・出羽三山・木曾山など多くの山々は神と仰がれ今日に至ってゐる。

 

さらに、海の彼方にも理想の國・麗しい國があると信じた。それが、わたつみ(海神)信仰・龍宮信仰である。海は創造の本源世界として憧憬され崇められた。

 

我が國傳統信仰即ち神道は、自然の中に生きる神の命と人間の命とが一體となって結ばれる信仰である。それと共に、自分たちの祖先の霊を崇め感謝し奉る信仰である。これを「敬神崇祖」と言ふ。

 

その最も端的な例が天照大神への信仰である。天照大神は、農耕生活にとって最も大切な太陽に神であられると共に、その太陽神を祭られる祭り主であられる「すめらみこと」=天皇の祖先神であられる。そして天照大神は日本民族の親神として崇められて来た。

 

伊勢の神宮はまさに、最も純粋に最も簡素にその大いなるものをお祭りしてゐる聖地なのである。伊勢の聖地の精神こそが今後の世界平和の根幹になると確信する。今を神代へ帰したいという祈り即ち「いにしゑを恋ふる心」がそのまま現状への変革を志向する。

 

 

 

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千駄木庵日乗七月六日

午前は、諸雑務。『伝統と革新』編集の仕事(執筆依頼状執筆)。

午後は、施設に赴き、母に付き添う。一緒に生活している方々と楽しそうにしているので有り難い。母は本来陽気な人なので助かる。

帰途、日暮里にて、蕎麦を食しつつ知人と懇談。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2014年7月 6日 (日)

『萬葉集』について

 大伴家持は、日本の国の国柄の素晴らしさを後世に伝えなければいけないという使命感を持って、「萬葉集」の編纂に関わり、自らも歌を数多く詠んだ。「萬葉集」は平穏無事の時代に編纂されたのではない。大化改新・壬申の乱などという大変革・大建設の時代に、日本の国の理想・國體の本姿を語り伝へるために「萬葉集」は編纂された。

 

しかし、支那と比較すればわが国は平穏に歴史を経過して来た。支那は「易姓革命」といって、王室の姓が変わる革命が繰り返された。「易姓革命」とは、儒教の政治思想の一つで、天子は天命により天下を治めてゐるのであって、天子に不徳の者が出れば、天命は別の有徳の者に移り、王朝が交代するといふ思想である。わが国の天皇統治の道統には一切さういふ思想はない。天皇その方が天の神の地上における御代理・御顕現であり、現御神(うつし身として現れられた神)である。天皇の御意志そのものが天命なのである。一系の天子が永遠にわが国を治められるのである。だから支那のやうな王朝の交代とそれに伴ふ国家の分裂や興亡は起こらなかった。      

 

 「萬葉集」には、天皇国日本が様々苦難を経ながら国家体制が確立した時期である大和時代から飛鳥奈良時代を経て平安朝初期にかけての「時代精神」「国民精神」が歌はれてゐる。上は天皇から下万民に至るまでの歌が収められている。

 

 雄略天皇の御製から始まり、大伴家持の賀歌を以て終わる「「萬葉集」」は、天皇の御代を讃える歌集であるとともに、わが国の永遠の栄えを祈る歌集である。実におめでたい歌集なのである。そして、天皇中心の日本の国家体制確立の中核精神があますところなく表白されてゐる。

 

 「萬葉集」という名称は、色々な説がある。萬(よろづ)の葉を集めたという説がある。「葉」とは「言の葉」のことであるとして「多くの人の言葉を集めた」という説である。一方、「葉」を時代と解釈して、「万代まで天皇の御代が続くことを祈る」といふ意味であるといふ説がある。いづれにしてもめでたい歌集であるといふ意味であるには変りはない。この頃は和歌を「言の葉」といふことはなかったといはれてゐるし、「萬葉集」の歌の内容や配列などを見ると、後者の説が有力である。

 

 「萬葉集」という名称は、国民の表白した歌を祝福すると同時に、天皇の御代・天皇国日本を祝福する意義を持ってゐるといふことである。

 全二十巻の「萬葉集」が、何時、誰によって編纂されたかといふことはなかなか断定しがたい。「萬葉集」の原本は一巻づづ巻物でできてゐて、途中から読むには不便であるが挿入削除には便利である。糊と鋏で歌を入れればいいので、ある程度形が整った後もまた新たに歌が加えられたり、削除された可能性があるので、全体が今の形に完成した時期を特定するのは難しい。

 

今日、伝へられてゐる「萬葉集」が完成したのは平安朝の初期といはれてゐる。秘府(図書寮・宮中の書庫)に「萬葉集」が収められたのが、天平宝字三年(七五九)から宝亀二年(七七一)迄の十三年間のいずれかの年であると推定されてゐるので平安初期に完成したとされるのである。結局、「萬葉集」は一時に成立したのではなく長い年月の間に次第に成立していったと見るべきである。

 

 「萬葉集」に収められた歌で、年代的に一番古い歌は、第十六代・仁徳天皇の皇后であらせられる磐姫皇后(いはのひめのおほきさき)の御歌である。しかし、この御歌は伝承歌とされてゐてる。故に、作者が確実にはっきりと判明してゐる歌は、もっと後世の大化改新の頃の歌が最も年代的に古い歌であるとされてゐる。

 

 最も新しい歌は、前述の天平宝字三年(七五九)の正月に大伴家持が詠んだ「新しき年の始の初春の今日ふる雪のいや重け吉事」であるとされてゐるが、「萬葉集」には作られた年代がはっきりしない歌が収められてゐるので、この家持の歌が最も新しいと確実に断定することもできない。

 

 「萬葉集」には、大化改新(西暦六四五)頃から天平宝字三年(七五九)までの約百二十年間に詠まれた歌が収められてゐることのなる。

 

 初期の萬葉と後期の萬葉とではその歌の性質が異なってゐるのは当然である。文化面も、白鳳文化と天平文化とでは大きく異なったものがあるし、政治面も大化改新の時期と奈良朝初期とでは大きく異なってゐる。

 

 編者にも色々の説があって確定できない。全二十巻が一人の人によって編纂されたとは考へられず、また、巻毎に別人によって編纂されたとも考へにくい。少なくとも五、六人、多ければ十数人の手によって、時を異にして編纂されたと見るべきである。しかし、「萬葉集」には大伴一族のことについての記述が多く、大伴家持の歌が「萬葉集」四千五百首の十分の一を占めてゐることから、家持が編纂に大きく関ったことは確実である。

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千駄木庵日乗七月五日

午前は、諸雑務。

午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、『アジア問題懇話会』開催。澤英武氏が司会。田久保忠衛杏林大学名誉教授が「アメリカの『アジア回帰』は本物か」とと題して考え。活発な質疑応答が行われた。後日報告します。

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講演する田久保忠衛氏

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆、『伝統と革新』の執筆依頼の書状執筆など。

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2014年7月 5日 (土)

尊皇精神と政治家

ナショナリストとして、安保・国防・外交問題などについて正論を吐露し、戦っている政治家が「皇室に興味がない」と言ったのには落胆させられた。この人は以前にも、国歌『君が代』の歌詞は良くないと言った。この人のみならず、今日の政治家・官僚のみならず一般國民も、尊皇精神が希薄になって来ている。

 

戦後の宰相と言われる人物はそれぞれ尊皇精神は強固であった。昭和二十七年十一月十日、今上天皇が立太子の礼の時、吉田茂総理大臣は寿詞(お祝いの言葉)で、自らを「臣 茂」と読み上げた。

 さらに吉田茂氏は、昭和二六年のサンフランシスコ講和条約調印式出席前後の心境について、「唯奉敕使萬里外 五洲視聴聚一身」と揮毫した。天皇の勅命を奉じてサンフランシスコに赴き、調印式に臨むという決意を表明したのである。

 占領憲法には「主権在民」と規定され、曲學阿世の憲法學者にの中には「日本の元首は内閣総理大臣だ」などと論ずる輩もいるのに、吉田氏は天皇の臣下としての自覚と矜持を持っていた偉大なる政治家であり、まさに昭和の忠臣と言って良いであろう。

 だからこそ、昭和天皇は昭和三十年に次のような御歌を詠ませられているのである。

 

 小田原に往復の折、吉田茂元首相の家の前を通りて詠める

 

往きかへり枝折戸を見て思ひけりしばし相見ぬあるじいかにと

                                  」

 

 昭和天皇と吉田茂元総理との関係はまさに、「君臣水魚の交わり」に近い麗しい関係だったのではないかと、小生は考える。

 

 天皇陛下に対し奉り、吉田茂元総理と正反対の考えを持っていたのが、後藤田正晴氏であった。本誌で度々指摘している通り後藤田氏は、平成十二年十二月五日号の『日本経済新聞』で、中央省庁再編に関するインタビューに答えて、「まず大臣という名前を変えたらどうか。だれの臣下ですか?行政の長なんだから『長官』でいい」などと述べた。

 

 これは天皇を君主と仰ぐ神代以来の日本國體を否定し、さらに現行憲法体制においても日本は立憲君主國であるという事実を否定する許しがたい発言である。社民党や共産党や極左分子がこのような発言をするならともかく、警察庁長官・内閣官房長官・自治大臣・内閣副総理を歴任し体制側の頂点に立ったと言ってもいい政治家が、國體否定の思想をもっていたのである。

 

 後藤田は、警察庁長官という厳正中立であるべき治安機関の最高責任者を務めたにもかかわらず金権政治家田中角栄の手先となり大番頭となった倫理観・道義心の欠如した人物であった。

 

 昭和四十八年五月二六日、増原恵吉防衛庁長官(当時・後藤田氏と同じ旧内務官僚で先輩にあたる)は、昭和天皇に「当面の防衛問題」について内奏した際、昭和天皇は、「近隣諸國に比べ自衛力がそんなに大きいとは思えない。國會でなぜ問題になっているのか。防衛問題は難しいだろうが、國の守りは大事なので、旧軍の悪いことはまねせず、いいところは取り入れてしっかりやってほしい」とのお言葉を賜った。陛下のこのお言葉を増原長官が記者たちに話したことが、例によって政治問題化し、「天皇の政治利用だ」との批判を受け、増原氏は防衛庁長官を辞任した。

 

 この時、増原氏は「天皇陛下という文字を見ただけで涙が出てくる私が、陛下を政治利用するはずがない」ということを言った。増原氏はさぞや断腸の思いであったろう。天皇陛下・御皇室のことを思うと自然に涙が出てくるというのは「忠良なる臣民」の自然の姿である。増原氏は真に忠臣であったのである。

 

 岸信介氏も尊皇精神の持ち主であった。第一次安保騒動の時、アイゼンハワー米大統領の訪日延期を要請した時のことを、岸氏は次のように語っている。「あの頃警察官は本当に疲れ果てていた。機動隊の数も少なく、装備も悪いし、訓練もしていない。……陛下ご自身が(注羽田にアイゼンハワーを)お迎えに行かれなければならない。そういう警備を考える時、これはできない、もし何かの間違いが生じたら、総理が本当に腹を切っても相済まない、それで私としてはどうしても警備に確信がもてないと思って(注アイゼンハワー訪日を)断ったんです」(『岸信介の回想』

 

 つまり、自分の一身はどうなってもいいが、羽田空港に大統領を出迎えに行っていただいた陛下の御身に萬一のことがあったら死んでも償い切れないということで、アイゼンハワー訪日延期を決定したのである。そして岸内閣は総辞職したのである。 

 

 

 また、サイパンが陥落した後の昭和十九年七月、岸氏が東條英機総理と決定的に対立した際、身分は一大佐である四方諒二東京憲兵隊長が、商工大臣である岸氏の家を訪れ、軍刀を立て、「東條総理大臣が右向け右、左向け左と言えば、閣僚はそれに従うべきではないか、それを総理の意見に反対するとは何事か」と脅迫した。岸氏はそれに対し、「黙れ兵隊!お前のようなことを言う者がいるから、東條さんはこの頃評判が悪いのだ。日本において右向け右、左向け左という力を持っているのは天皇陛下だけではないか。それを東條さん本人が言うのならともかく、お前たちのようなわけのわからない兵隊が言うとは何事だ、下がれ!」と一喝して追い返した。(『岸信介の回想』)

 

 

 

 このように岸氏という人はきわめて強い尊皇精神と気骨を持った人であった。今の政界にこういう政治家はいるだろうか。岸氏の弟の佐藤栄作氏は総理退任後、侍従長になることを切望したと伝えられる。吉田氏にも岸氏にも佐藤氏にも、「天皇の臣下」としての深く強い自覚と責任感があった。

 

 

 

      

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千駄木庵日乗七月四日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆の準備。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、資料の整理。

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2014年7月 4日 (金)

習近平の歴史捏造

韓国を訪問した支那の馬鹿指導者・習近平は、先の大戦において「支那と韓国は日本に対して共に戦った」などと言ったが、当時の韓国青年は、志願してて大日本帝国軍人として支那大陸に赴き、支那国民党軍・支那共産党軍と戦った人が多かったのである。満州国においても当時の在満韓国人は日本人と共に、理想国家建設のために努力したのだ。韓国大統領の父親・朴正煕氏は、大満州帝国の軍官学校(士官学校)に志願入隊し、卒業後も成績優秀者が選抜される大日本帝国陸軍士官学校への留学生となり、第五十七期生として士官教育を受け、卒業後、大満州帝国軍第八師団の一員として対日参戦したソ連軍と戦ったのである。韓国人が支那人と共に日本軍と戦ったなどという歴史はない。歴史を捏造するな。

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「現行占領憲法」の根本的欠陥

三島由紀夫氏は、天皇のご本質について「天皇は、われわれの歴史的連続性、文化的統一性、民族的同一性の、他にかけがえのない唯一の象徴」(『反革命宣言』)「われわれの考える天皇とは、いかなる政治権力の象徴でもなく、それは一つの鏡のように、日本の文化の全体性と、連続性を映し出すもの」(『反革命宣言補註』)「国と民族の非分離の象徴であり、その時間的連続性と空間的連続性の座標軸であるところの天皇」(『文化防衛論』)と論じてゐる。

 

『現行占領憲法』の「第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」といふ規定は、天皇の歴史的連続性・伝統性を否定し、天皇の尊厳性を隠蔽してゐる。そして、天皇・皇室は政治権力者・官僚の「操り人形」になる危険がある。現実にさうなりつつある

 

天皇は、空間的に日本国民を統合し結合される御存在であるのは、時間的・伝統的に、日本の伝統を継承され、体現されるご存在であるからである。「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」といふ規定は、天皇のご本質の半面しか表現してゐない。天皇の空間的統一性は表現されてゐるが、時間的連続性が表現されてゐない。

 

祭祀主としての伝統的な天皇のご資格・ご使命が正しく憲法に規定されなければならない。『大日本帝国憲法』の「大日本帝国は万世一系の天皇これを統治す」との規定は、天皇が日本国の「空間的統一性」と「時間的連続性」を正しく表現してゐた。

 

日本弱体化のために国民の皇室尊崇の心を希薄化しようとした占領政策にのっとった『現行占領憲法』は、否定されなければならない。そして、『記紀』『萬葉』以来の國體精神の伝統を復元し護持する事が最も大切である。

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2014年7月 3日 (木)

千駄木庵日乗七月三日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆の準備。

午後四時より、西荻窪のたちばな出版会議室にて、『伝統と革新』編集会議開催。

終了後、出席者と懇談。

帰宅後は、原稿執筆。

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支那を「中国」と言うべからず「論」

 支那という言葉の起源は、秦(春秋時代の諸侯の一つ。今の甘粛・陝西省の地方)であるという。決して蔑称ではない。わが國は江戸時代の學者(新井白石といわれている)が、英語のChinaの訳字として支那という漢字を当てたという。したがって、支那という言葉には支那に対する侮蔑の心は全くないのである。(もっとも最近の支那共産政権の侵略主義と専制政治、そしてわが国に不法入国して繰り返す支那人の犯罪は侮蔑されても仕方がないが)

 

一千年以上昔の唐代の三蔵法師以来、支那の仏典において支那という言葉が使われた。なぜなら、中國あるいは中華という漢語は、中央の國という意味であり、仏教信者にとっては、世界の中央とはインドであったからである。また、近代の章炳麟・梁啓超・胡適・宋教仁・孫文・康有為・茅盾などの革命家・政治家・思想家、小説家も自國のことを支那と言っていた。

 

 今日においても、國際舞台で支那共産政府自身、自國のことを「China」と名乗っている。ということは、彼らは今日でも支那と名乗っているということなのである。自國が名乗っている言葉を日本人が用いたからと言って、「差別」だの「侮蔑」だのと言って騒ぐのは全くおかしい。支那という言葉が蔑称であり「國家主義的発想」であるのなら、Chinaも悪いということになる。ともかく、支那を支那と言って何が悪いということになるのである。 

 

 「中國」「中華」という言葉は、世界の中心に位置する國という意味であり、きわめて普遍的であって、支那のみが中國なのではなく、前述したようにインドにも「中國」という意識があったのである。わが國日本にも、「中國」という自覚がある。わが國は「葦原中國(あしはらのなかつくに)」ともいう。また、山鹿素行が赤穂配流中に著した歴史書『中朝事実』の「中朝」とは「わが國の朝廷」の御事である。

 

 つまり、日本人が支那のことを中國というのは、まことにおかしいということになるのである。

 

 ところが、敗戦後、支那に対して誤れる贖罪意識意識を持つようになった日本人が、「支那」という言葉を自己規制するようになってしまった。ここに大きな問題がある。

 

 支那が「中華」「中國」を自称するのは、支那民族が、周囲の國・民族よりすぐれているという独善的な観念に基づく。そして支那人は、周辺諸國・諸民族を東夷・西戎・南蛮・北狄と言って差別するみならず、支那の支配下に置くことを目的とした対外膨脹思想を抱いている。これを「中華思想」という。

 

 そして支那には、周辺諸國を自國の属國とみなし、これに朝貢(外國人が来朝して朝廷にみつぎものを差し上げること)させて来た長い歴史がある。そうした悪しき伝統は共産主義政権になっても脈々と生きている。と言うよりもますます顕著になっている。だから周辺諸國の領土を掠め取るのは当たり前だし、気に入らない國に対しては武力で恫喝したり制裁を加えるのは当然という考え方があるのだ。現に支那共産政権は、チベット・内蒙古・満洲・東トルキスタン(新疆ウイグル)に対して侵略支配を行っている。

 

 支那人の抱く中華思想には、もともと國境という観念がない。なぜなら、自らを「世界帝國」と見做し、世界は全て支那の領土と心得ているからである。もちろん実際には、支那大陸にある政権の権力支配の及ぶ範囲は限られている。しかし、支那人の観念からすれば、そのために生ずる境界は「國境」ではなく、その境界の外は「辺境」だとされる。

 

 大東亜戦争後、蒋介石政権が台湾を接収した時、台湾のことを「辺境」と言った。この「辺境」とは「本来支那が支配すべき地域だが、目下のところそうはなっていない地域」という意味である。

 

 したがって、事情が許せば「辺境」は支那の支配下に置く意志を持っている。つまり「中國」「中華」を名乗っている支那大陸の政権は、有史以来帝國主義的侵略支配を意図する政権なのである。だから、國民が外國に渡っていくことを抑止しないで、「華僑」などと称させているのである。また、日本への支那人の密航が激増し犯罪が頻発しても、支那の官憲は真剣に取り締まろうとはしないのである。

 

 共産支那は政権奪取以来、巨大な陸軍を擁しつつ大陸を支配し、一九六四年には核兵器さえ手に入れた。そして今日、急速な経済近代化・経済建設が進行、その経済力をベースに、露骨に軍事力増強の「富國強兵」策を採っている。

 

 周辺諸國を「辺境」と見做し、あわよくば侵略し支配しようという支那の伝統的な傾向が、現実性を帯び始めているのである。それが台湾及び尖閣諸島・沖縄への軍事的圧力となって表れている。

 

 支那共産政権は、「戦前の日本は侵略國家だった。そして日本に軍國主義が復活しつつある」と攻撃しているが、共産支那こそ、アジア最大の侵略國家であり、軍國主義國家である。これに対して、戦後七十年ちかくにわたって「富國強兵」とは正反対の「富國弱兵」政策を採り続けてきたわが國は、主権國家としての政治的・軍事的力がきわめて弱体である。

 

 このような状況が続けば、日本は「中華帝國」の広域支配下に組み入れられてしまう危険がある。「集団的自衛権行使容認」は共産支那の日本及びアジアへの侵略を食い止めるための手段である。これに反対するのは実に以て愚かなことと言うよりも、利敵行為と言わねばならない。わが國は、アメリカ及びアジア諸國と連帯して中華帝國主義に対抗すべきである。そして共産支那を軍事的に封じ込めるべきである。

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千駄木庵日乗七月二日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆。

この後、施設に赴き、母に付き添う。元気そうであった。有り難い。

帰途、御徒町に出て知人と懇談。

帰宅後は、資料の整理、原稿執筆の準備など。

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2014年7月 1日 (火)

日本の傳統精神復興の中核が和歌の復興である

日本人の思想精神を正確に自己にものとするには、古代から現代に至るそれぞれの時代に生きた人々の心情・まごころに直結することが大事である。それは、古代から現代に至るまでの日本人のまごころを歌ひあげた『和歌』を讀むことによって可能となる。

 

中河与一氏は「和歌が國風(註・飛鳥・奈良・平安初期にかけての唐風文化に対して、平安中期から後期にかけてみられた、主に公家を中心とする文化活動の総称)と呼ばれて来たったことには深い理由がある…和歌こそその発想に根本に於て、わが民族の生命と共にある…時代が進めば進むほど、古代と現代とを結ぶものとしての和歌の意味はむしろ重大になってくると考へられる。ヨーロッパでは叙事詩がまづ存在し、抒情詩がそれにつづいた。然し抒情詩こそ人間感情に最も直接的なものであり、日本人はその根本的なものから詩歌を始めた。それは情緒の表出、感情の爆発として特色をもち、人間感情を直接に訴へるものとしてのその形式を持続した。」(『中河与一歌論集』)と論じてゐる。

 

今日の日本は、文字通り内憂外患交々来るといった状況である。かうした状況にあって、我々の維新の情念を傳統的な文學によって訴へる「言靈のさきはへ」が今こそ必要なのである。和歌の復興が大切である。現代日本において和歌を詠む人は多いが、変革の情念、特に日本人の深層精神において継承して来てゐる民族の共同精神を表白し訴へるものとして和歌を詠んでゐる人は少ない。真の意味において和歌が復興した時代こそが維新の時代であるといっても過言ではない。維新を目指す我々は、和歌の力といふものの偉大さを今こそ實感すべきである。

 

そもそも愛國心・尊皇心は抽象的人工的な「理論」「理屈」ではなく、この日本に生を享け、日本に生きる者が抱く素直な感情であり自然な心である。さらに言へば日本人の「道」であり「まごころ」である。したがって愛國心・尊皇心は理論や教条によって表現されるよりも、和歌によってよく表白されてきた。現代に生きる我々は古人の歌によってその志・まごころ・道を學ぶべきである。

 

今こそ危機を脱出する方途として、単に政治體制の革新のみではなく、國民精神の革新・日本の傳統精神の復興を期さなければならない。そしてその中核が和歌の復興なのである。

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千駄木庵日乗七月一日

午前は、諸雑務。

午後からは在宅して、『月刊日本』に連載している「萬葉集」講義原稿執筆・脱稿・送付。『伝統と革新』編集の仕事など。

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今こそ皇道大維新運動を繰り広げられねばならない

何処の國の革命も変革も、洋の東西・時の今昔を問はず、またその変革の是非を問はず、外國との関連・外國からの圧力によって為し遂げられたと言へる。

 

今日の日本も内憂外患を除去するために、明治維新の精神に回帰し、明治維新と同じように、日本的変革の原理たる「天皇中心の國體の明徴化」の理念を基本とした大変革即ち平成維新を断行しなければならないと信ずる。

 

古代日本の大変革たる大化改新も支那・朝鮮(唐新羅連合軍)からの圧迫の時期に行はれた。ロシア革命も日露戦争・第一次世界大戦の影響下に行はれた。辛亥革命は阿片戦争、支那共産革命は日本との戦争が影響した。アメリカ独立革命は言ふまでもなくイギリスとの戦ひであった。明治維新もまたしかりである。

 

わが國のやうに建国以来三千年の歴史を有し高度な統合を実現してゐる國家に強大な外敵が出現した場合、民族的一體感・ナショナリズムが沸き起こるのは当然である。西洋列強の日本に対する圧迫が強まった時、これを撥ね除けるために藩といふ地域そして士農工商といふ身分制度を乗り越えて、天皇を中心とした日本國家・民族の一体感・運命共同意識を回復して外敵に当たろうとしたのである。

 

 國家的統合を一層強めて國家体制を変革し強化して外敵から自國の独立を守るといふ精神が明治維新の基本精神である。それを「尊皇攘夷」といふ。天皇を尊び、外國の侵略からわが國を守るといふ精神である。「攘夷」とは夷狄(野蛮な外國)を打ち払ふといふことである。西欧列強といふ侵略者、異質の文化に直面した日本民族の國民的自覚と祖國防衛・独立維持の情念の噴出である。アメリカやロシアの軍艦の来航といふ國家的危機に直面して、國防意識が全國民的に高まった時に、自然に発生し燃え上がった激しき情念である。

 

「尊皇攘夷」の起源は、貝塚茂樹氏によると、北狄や南蛮の侵略にあった古代支那(周の末期)の都市國家群・支那民族が、危機を乗り越えやうとした時の旗幟(きし)である。ただし支那の場合は、「尊皇」ではなく」尊王」である。

 

 日本國の長い歴史の中で、「攘夷」の精神は静かに表面に出ず脈々と継承され生き続けたのであるが、白村江の戦いの敗北・元寇・幕末といふ外患の時期においてこの精神が昂揚した。

 

「攘夷」とは夷狄(野蛮な外國)を撃ち攘ふといふことである。西欧列強といふ侵略者、異質の文化に直面した日本民族の國民的自覚と祖國防衛・独立維持の情念の噴出である。アメリカやロシアの軍艦の来航といふ國家的危機に直面して、國防意識が全國民的に高まった時に、自然に発生し燃え上がった激しき情念である。

 

天皇中心の國體を正しく開顕し、天皇を國家の中心に仰いでこそ、日本國の主體性は確立され、外國の侵略を撃退し祖國の独立を維持することができる。

 

事実、明治維新断行後、天皇を統治者として仰ぎつつ、封建的身分制度は廃止され、廃藩置県によって統一國家が建設され、帝國憲法の発布・議会政治が開始された。そしてわが国は、欧米列強の支配下に置かれることはなかった。

 

共産支那や北朝鮮の「傲慢無礼」な反日政策・対日侮蔑外交が繰り返されている今日、わが國民は、「民族の正気」を回復し、屈辱と汚名を晴らす行動に出なければならない。

 

現代日本は、國民の皇室尊崇の念が薄れつつあり、伝統信仰が顧みられなくなりつつある。これが今日の國家の弱体化の原因であり、このままでは國家崩壊につながる。民族の正氣・日本の心を回復せしめなければ日本は危うい。

 

 外患に当って、神祭神事を盛んにするのは、わが國の伝統である。現代においてこそ、祭祀主日本天皇の真姿が開顕されるべきである。今こそ天皇を中心とした國家の回復を目指す皇道大維新運動を繰り広げねばならない。

 

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千駄木庵日乗六月三十日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆の準備。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、書状執筆など。

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