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2014年6月21日 (土)

東京都議会のヤジ騒動に関連して

十八日の東京都議会本会議で、妊娠、出産、不妊に悩む女性への支援の必要性を訴えた女性議員に対して「お前が早く結婚すればいいじゃないか」「産めないのか」というヤジ飛ばした議員は一刻も早く自ら名乗り出るべきである。何故、名乗出ないのか。自民党都議団は、ヤジを飛ばしたのは「自民党所属の議員だ」と言われているのだから、それが事実なのかどうかしっかりとした調査を自ら行うべきだ。

 

私は、昭和四十四年の春に、『やまと新聞』都政版の見習い記者として都議会に毎日のように通って取材した。自民党控室にはよく行った。当時の都議会は、美濃部都政であり第二次安保騒動の直前であったので緊張する場面が多かった。自民党は単独過半数を失っていた。社共の議席も多く、しかも当時の社会党には平和同志会という毛沢東思想を信奉する極左もいた。

 

清宮五郎というその極左議員は、自民党議員や民社党議員の質問に激しいヤジを飛ばした。民社党の老議員が質問していると清宮氏は「たった二人で生意気言うな」と野次った。民社党議員は怒り心頭に発し清宮氏の議席にまで行って猛烈に抗議した。

 

一方、自民党の古谷太郎という議員は、美濃部知事に対して物凄いヤジを飛ばした。古谷氏は控室で私に笑いながら、「美濃部は俺が野次を飛ばすと赤くなって怒るが、本当に怒ると真っ青になる」などと言っていた。また、自民党議員に野次を飛ばすと、粕谷茂氏が、その議員の所に行って、抗議したりした。当時、都議会自民党で元気のある人は、粕谷・古谷両氏であった。

 

しかし、当時は緊迫してはいたが、今回のような品格のない、下劣なヤジというのは無かった。議員の質が低下したのか、多数党の驕りか、どちらかであろう。ともかく、ヤジを飛ばした議員は一刻も早く自分から名乗り出るべきだ。それが人としての道である。

 

昭和四十年代前半は、社共共闘の時代であったが、何と社会党と共産党の仲が悪いのである。世田谷選出の梅津四郎という共産党の議員が、「機動隊増員、警視庁予算」に反対する質問をしていると、同じ世田谷選出の社会党議員が「本会議でも反対するのか」と何回も怒鳴りつけた。それを見ていた自民党議員が「やれやれ」と煽った。

 

公明党控室にも時々行ったが、当時は、龍年光、小泉隆、大川清幸、藤原行正,藤井富雄、星野義雄などという議員がいた。この人たちは、創価学会草創期の最高幹部で、池田大作の先輩・同輩である。都議会公明党控室に来た国会議員は、こういう人たちに最敬礼をしていた。他の党では考えられないことだった。特に小泉氏は、創価学会・公明党最長老として重きを為していた。

 

「機動隊増員、警視庁予算」は、自民党単独では可決しない。警務消防委員会で審議している時、公明党は一切発言しないが、いざ採決となると公明党議員は全員賛成し、警視庁に恩を売るのである。この警務消防委員会(今は警察消防委員会という)には、警視総監以下警視庁の部長クラスが全員出席する。当時は秦野章氏が総監だった。秦野総監以下警視庁幹部が都議会(当時は有楽町)に到着すると、何と玄関に自民党都議団幹事長が出迎えるのである。また委員会が終了すると、警務消防委員会委員長(自民党)が「どうも総監、度々答弁に立たせまして」などとねぎらうのである。他の都庁の局長などに対しては絶対そんなことはしない、寧ろ横柄な態度である。それだけ警察権力は強いということだ。

 

今から十年くらい前、前田健治警視総監の時代だが、私が警察消防委員会を傍聴しようとすると、何と警視庁の暴対課の警部が、私に名刺を出し、「何故傍聴するのか」と威圧を加えて来た。「公務員職権乱用罪」に該当する不法行為であった。警察というのは組織防衛のためなら違法行為も行うという事を実感した。その後、小生は警察批判を強めるようになった。

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