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2014年6月 9日 (月)

『國歌君が代』と古代日本人の信仰

 (いは)ろには葦火(あしぶ)()けども住み好()けを筑紫に到りて戀(こふ)しけもはも

             (四四一九)

 

『萬葉集』収められてゐる武蔵國の橘樹郡上丁物部眞根(たちばなのこほりじゃうていもののべのまねといふ)といふ防人の歌。

橘樹郡は今日の川崎市及び横浜市の一部。多摩川南岸一帯で、当時は葦(いね科の多年生植物。水辺に生え、形はススキに似る。茎を編んで簾にする。ヨシ)が密生してゐた。

【家(いは)】「イヘ」の訛り。「ロ」は接尾語。【葦火(あしふ)】「アシビ」の訛り。枯葦を燃料にしたのであらう。【葦火焚けども】葦を屋内で焚くので煤けて汚いが。【住み好けを】「好ケ」は「好キ」の訛り。【戀しけもはも】「恋しく思ふだろう」の訛り。

「私の家では、葦火を焚いて煤けて汚くても住み良いのに、筑紫に着いたらその家を恋しく思ふだらう」といふ意。愈々別れなければならないわが家への愛着を歌った。

「家(イヘ)」は「いはふ」(神を畏敬し、神に祈るために家に忌み籠ること)の音韻が変化した言葉である。そして、人が籠る所を家(イヘ)と言ふやうになった。「イハ」は「イヘ」と同根の言葉である。岩(イハ)は「魂の籠るところ」といふ意味である。大きな石のことを「巖(いはほ)」と言ふ。

つまり、古代人は石や岩には魂が籠ってゐると信じたのである。その信仰が歌はれた歌が『萬葉集』の「東歌」(東國庶民の歌)の

 

「信濃なる筑摩の川の細石(さざれし)も君しふみてば玉と拾はむ」(三四〇〇・信濃の千曲川の小石でも恋しいあなたが踏んだのなら玉として拾おう)

 

である。この場合の玉は単に宝石といふ意味ではなく愛する人の魂が籠ってゐるといふ意である。

古代日本では、石に籠ってゐる魂が次第に成長して巖になると信じられてゐた。その信仰が歌われた歌が、『國歌君が代』である。

 

「君が代は千代に八千代にさゞれ石の巌となりてこけのすまで」(天皇の御代は千年も八千年も続き小さな石がだんだん成長していって巌となるまで永遠に続く)

 

「さゞれ石の巌となりてこけのすまで」は、決して比喩ではなく実際の信仰だったのである。

さらに、イシ(石)・イハ(岩)・イツク(齋く)・イハフ(齋ふ)・イノル(祈る)の「イ」は、生命力・靈力を意味する名詞であり生命力の強い自然物(植物や岩)の称辞として用いられると共に、物事を神聖化することを意味する動詞にも用いられてゐる。

何故古代日本人は石や岩に魂が籠ると信じたのかといふと、石は地上にありながら、石の下即ち地下から湧出する深く大きな生命力と威力を包含し、地下の精靈や魂の具象であり象徴である考へたからであらう。つまり石とりわけ巨岩は神靈の依り代(よりしろ・憑代とも書く。神靈が現れる時に宿ると信じられてゐる物、樹木・岩石・御弊など)であると信じられた。古墳をはじめ墓を石で造るのは、それが地下の死の世界にゐる死者の魂が表出する依り代であるからである。この信仰は石器時代に端を発してゐるといふ。

『國歌・君が代』は古代日本から今日まで続く伝統信仰が歌はれてゐるのであり、「石が大きくなって岩になるといふのは非科學的である」といふ批判は全く誤りである。

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