« 千駄木庵日乗六月十七日 | トップページ | 千駄木庵日乗六月十八日 »

2014年6月18日 (水)

「似非憲法」「占領憲法」「亡国憲法」を基礎にした『立憲主義』は頭から否定しなければならない

「集団的自衛権」の問題で「立憲主義」が云々されている。「立憲主義」とは、「政府の統治を憲法に基づき行う原理で、政府の権威や合法性が憲法の制限下に置かれていることに依拠する」という考え方であるそうだが、その立てるべき憲法が問題である。似非憲法・占領憲法を肯定し、それを立て、それに制限されなければならないというのでは、亡国への道を歩む、まさに「憲法護って國滅ぶ」である。

 

また、「憲法解釈を、政府が便宜的に、意図的に変更すれば、政府の憲法解釈ひいては憲法規範そのものへの国民への信頼が損なわれる」という意見がある。

 

しかし、激変する情勢に応じて憲法を改正し変更することによって、憲法に国家の規範法としての権威が確立される。『現行憲法』にはそれがない。

 

「憲法護って國滅ぶ」というのは、悪憲法を遵守すれば国が滅びるということである。ならば悪憲法を改正するか破棄するか無効にするしかない。

 

問題なのは、激変する内外の情勢の中で、憲法を如何にして適合させ、憲法の最高法規としての権威を保つかである。押しつけ憲法を破砕することが真の正しき「立憲主義」を実現する。

 

集団的自衛権とは、「密接な関係にある国が武力攻撃を受けた時、共同で防衛などに当る権利」という。自民党政権は集団的自衛権の発動要件として「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるおそれがあること」としている。

 

国防力増強が議論される時、必ず、戦争の悲惨さが強調される。沖縄戦、原爆の被害などが語られ、だから自衛隊は無くすべきだ日米同盟は無くせなどという主張が行われる。今日も「戦争反対、憲法壊すな」というデモがあったが、戦争を防ぐために「集団的自衛権行使を容認」するのだ。「現行憲法」を壊すことが日本の平和・独立・自由・安全確保の道だ。戦争の悲惨さを繰り返さない道、即ち戦争抑止力なのである。

 

サンフランシスコ講和条約、第一次安保、第二次安保改定の時も、日本が戦争に巻き込まれるという議論があったが、巻き込まれなかった。むしろ平和が保たれた。日本が戦後ずっと平和だったのは「占領憲法」があったからではない。自衛隊と日米軍事同盟があったからである。

 

共産支那の軍拡・侵略策謀、北朝鮮の核ミサイル開発などわが国の軍事的環境は極めて厳しくなっている。これに対処するには、米国との軍事同盟強化が必要である。

 

歴代内閣は、「集団的自衛権は国際法上保有しているが憲法上行使は認められない」との立場をとって来た。その根拠は、昭和五十一年に法制局が示した「憲法九条で許容される自衛権の行使は日本を防衛するために必要最小限の範囲にとどまるべきで、集団的自衛権の行使はその範囲を超え許されない」という憲法解釈だ。こんな解釈は今日の国家的危機に際して、国の平和と独立を根底から脅かす。

 

国家の自然権としての『自衛のための武力行使』は、個別的か集団的かを問わず認められている。認められないのは、国家による一方的な侵略のための武力行使である。

 

ともかく、「似非憲法」「占領憲法」「亡国憲法」を基礎にした『立憲主義』は頭から否定しなければならない。

 

|

« 千駄木庵日乗六月十七日 | トップページ | 千駄木庵日乗六月十八日 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/121949/59833595

この記事へのトラックバック一覧です: 「似非憲法」「占領憲法」「亡国憲法」を基礎にした『立憲主義』は頭から否定しなければならない:

« 千駄木庵日乗六月十七日 | トップページ | 千駄木庵日乗六月十八日 »