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2014年6月29日 (日)

天香具山と今即神代・神人一體の信仰

 

日本人には、麗しい山を神と仰ぐ信仰がある。これを神奈備信仰といふ。大和地方では大和三山・三輪山・二上山など、東國地方では富士山・筑波山など、九州地方では高千穂峰・阿蘇山が尊い神の山として仰がれる。

 

 

 

天香具山は、上に「天」が付けられてゐるやうに高天原から天降って来た山で、「天と地とをつなぐ山」として神聖視され、大和三山の中でもとりわけ尊い山とされる。現代風に言へば、天と地とをつなぐアンテナで、神事を行ふ際、神の降臨を仰ぐために立てる榊である「ひもろぎ」と同じ性格を持つ。

 

 

 

「鎮守の森」といはれるやうに神社には多くの樹木があるのは、その樹木に神が降臨すると信ずるからである。わが國傳統信仰においては「神代」「高天原」と「地上」とは交流し、隔絶してゐない。日本傳統信仰は「今即神代・神人一體」の信仰である。

 

 

 

天香具山の「香具」(かぐ)とは「輝く」を短くした言葉である。「かぐや姫」とは「輝く御姫様」といふ意である。香具山は輝く山・神聖な山として信仰の対象となってゐる。「天香具山」とは「天に通じる輝く山」といふ意で、高天原と直結する山と信じられたのである。

 

 

 

 高天原にある天香具山について、『古事記』には、天照大神が天の岩戸に隠れになった時、大神に岩戸からお出ましを願ほうとした八百萬命が相談して、天児屋命(あめのこやねのみこと)と布刀玉命(ふとたまのみこと)が取って来た天香具山の男鹿の肩胛骨を波波迦の木で焼いて占ひを行ひ、天香具山に茂った賢木(さかき)に勾玉(まがたま)や鏡などを付けて捧げ持ち、天宇受売命(あめのうづめみこと)が天香具山の日影蔓(ひかげかづら)を手襁(たすき)に懸け、真拆(まさき)を鬘(かずら)として、天香具山の小竹の葉を手に持ち、岩戸の前で桶を踏み鳴らして神憑りしたと傳へられてゐる。

 

 

 

 また、神武天皇が御東征を終へられ大和に都を開かれる時のお祭りで用いられた神具の土器は、天香具山の土で作られたと傳へられてゐる。

 

 

 

國土には地の靈(國魂)が籠ってゐるといふ信仰があり、大和の都を開かれるにあたっては、大和の國の靈(國魂)を鎮めなければならない。そのために大和の地の國魂が宿ってゐると共に、天と地とをつなぐ神聖なる天香具山の土を、土器にして祭祀に用いたのである。それによって、神武天皇は大和國を治められる靈的なお力を備へられたのである。天香具山の土を手に入れることが大和全體を掌握することになるといふ信仰である。

 

 

 

 折口信夫氏は、「天香具山の名は天上の山の名である。同時に地上の祭時に當って、天上と一つの聖地-天高市(アメタケチ)-と考へられた土地の中心が此山であった。だから平常にも聖なる地として天なる称號をつけて呼ぶ様になったのだ」「大和なる地名は、當然宮廷のある地を意味する。天は、宮廷の真上にあり、宮廷のある處は、天の真下である。即ち、國語に於ける天が下(アメガシタ)の確かな用語例は、宮廷及び宮廷の所在を示すことになる。だから、宮廷の存在なる狭義の大倭は、天が下であり、同時に天其物と觀じることが出来た。天香具山は、地上に於ける聖地の中心であった。即ち、大倭の中心である。この山の埴土(きめの細かい黄赤色の粘土)は、大倭の國魂の象徴にもなる…。」(『大倭宮廷の靱業期』)論じてゐる。

 

 

 

 天皇のゐます宮は、「天」(高天原)・「聖地」であり、神聖な所を神座(カミクラ・神のゐますところ)といふ。都とは祭祀主日本天皇が祭祀を行はせられる「宮」のある所である。京都御所そして紫宸殿のある京都及び皇居のある東京以外に「都」たる地は無いのである。したがって、「大阪都構想」は実行してはならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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