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2014年6月15日 (日)

今こそ、尊皇攘夷の精神が必要な時である

 日本伝統精神は、天皇の祭祀と神社の祭祀を通して、今もなおその生命を伝えてられているのみならず、現実に天皇及び御皇室の自然の命を慈しみたもう御精神と御行動そして神社の鎮守の森が、自然破壊と人心の荒廃を食い止める大きな力となっている。

 

日本伝統精神を世界に発展させて、混迷せる現代世界を救済する役目をわが日本は背負っている。現代文明・文化は西洋文化・文明が主流となっている。現代文明とは、事物を科学の論理によって技術革新を行うようになった文明のことであるが、それは、産業革命以来機械技術の発達と資本主義そしてそれに反発するものとしての共産主義の発展を促し、経済至上・物質的豊かさ至上の社会を作り出した。そして、現代文明は、核戦争の危機・自然破壊・人心の荒廃・経済の破綻そして民族紛争・宗教紛争を見ても明らかな如く、既に頂点を越えて没落の時期に差しかかっている。

 

 現代文明・文化の欠陥を是正し、新たなる文化を形成するには、欧米文化偏重から日本伝統文化へと回帰しなければならない。

 

 大東亜戦争の敗北後、日本伝統精神が衰微し、今日の日本も、國民精神の面でも政治體制の面でも、日本國の本来の姿が失われている。

 

 現代の日本人は、天皇に対する尊崇の念が薄れており、天皇を中心とする國體精神に立脚する変革などといっても無理だという人がいる。しかし、武家専横の時代において、大半の日本人は、天皇及び皇室を常に意識して生活していたわけではない。天皇のお声を聞くことも、お姿を拝することも全くといって良いほど無かった。にもかかわらず、天皇及び御皇室の御存在が上におわしましたからこそ、武家同士の凄惨な内戦が行われても日本を分裂國家にならず、また、武家による民に対する支配の苛酷さを抑制することができたのである。そして蒙古襲来・幕末の危機・大東亜戦争の敗北などの様々な國難を乗り切ることができたのである。

 

 天皇及び御皇室は、興亡常なき日本國の根幹にいまして不変の國家的民族的核心であったのである。このことは現代においても全く変わりはない。

 

 今日の日本において、「維新」ということがうるさいくらいに言われている。しかし、如何なる理念・精神を根本に置いて「維新」を行うかが問題なのである。大東亜戦争の敗北した日本は、日本の良き伝統を隠蔽してしまった。ここに今日の混迷の最大の原因がある。

 

 明治維新は「尊皇攘夷」を基本理念にして戦われた。現代維新においても、尊皇攘夷の精神を根底に置いて戦われなければならない。「尊皇」とは万世一系の天皇を中核とする國民的統一・道義心の高揚を図る事であり、「攘夷」とは國家民族の自主独立を回復することである。内憂外患交々来るといった状況にある今こそ、尊皇攘夷の精神が必要な時であると言える。

 

 民族の伝統への誇りを忘却した民族には未来はない。しかし、我々は絶望してはならない。上に天皇おわします限り、民族の命は必ず新生し甦る。そして、民族の歴史の流れ、民族の道統に立脚した変革が行われなければならない。日本國體精神こそが永遠の維新の原理である。

 

 

 天地自然(動物・植物・國土)に神の命が生きているという信仰が日本の伝統信仰である。そしてその祭祀主が天皇であらせられる。天皇を祭祀主とする信仰共同體が日本國の本姿である。それを現代において回復することが、大切なのである。これが道義の頽廃が根本原因である現代の様々な危機的状況を打開する唯一の方途である。

 

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