« 千駄木庵日乗六月十一日 | トップページ | 千駄木庵日乗六月十二日 »

2014年6月11日 (水)

日本人の重要な倫理観は「「清らかさ」「清浄さ」を大切にする心

日本人の重要な倫理観は「「清らかさ」「清浄さ」を大切にする心である。これを「清明心」(清く明るい心)と言ふ。天照大神が天の岩戸からお出になられた時、八百萬の神々は一斉に「天晴れ、あな面白、あな楽し、あな清明(さや)け、おけ」と唱へた。明るく、さはやかに、清らかに生きるのが、わが日本人の理想だったのである。

 

天武天皇の十四年(西暦六八五)に定められた冠位の制(官人の位階)では、「明位」「浄位」が上位に置かれた。御歴代の天皇の『宣命』(漢文体で書かれた詔勅に対して、宣命体で書かれた詔勅のこと。宣命体とは、体言や用言の語幹は漢字で大きく、用言の語尾や助詞などは萬葉仮名で小さく書いた)には、「明」と「浄」といふ言葉がしばしば使はれてゐる。

 

このやうに、わが國は傳統的に「明らかさ・清らかさ」を最高の美徳としてゐた。平田篤胤は、「そもそもわが皇神のおもむきは、清浄を本として汚穢(ケガレ)を悪(キラ)」ふと論じてゐる(『玉襷』)。

 

政治家に対して清廉潔白さが求められるのは、東洋においてはわが國が最も厳しい。ただしそれは、本来、堅苦しい窮屈な道徳観念ではなく、明るくさはやかな心を好むのである。

 

日本人は物事の価値基準を「善悪」といふ道徳観念には置かず、「浄穢」といふ美的価値に置いたと言へる。日本人は、穢い物事に罪を感じた。故に、神道では「罪穢(つみけがれ)」といって、道徳上・法律上の「罪」を「穢」と一緒に考へた。神道では、罪穢を祓ひ清めることが重要な行事である。「禊祓ひ」が神を祭る重要な前提である。身を清らかにしなければ神を迎へることはできない。人類の中で部屋の掃除とお風呂に入るのが好きな民族は日本民族が一番であらう。

 

實際、日本人にとって、「あいつはきたない奴だ」「やり方がきたない」と言はれることは、「あいつは悪人だ」と言はれるよりも大きな悲しみであり恥辱である。また、「あなたは善人だ」と言はれるよりも、「あなたの心は美しい」「身の処し方がきれいだ」と言はれる方に喜びを感じる。

 

悪人と善人は場合によって転倒する可能性がある。と言ふよりも、わが國の祖先は徹底的な悪人・悪魔といふ存在を考へることをしなかったのであらう。日本神話には西洋のやうな悪魔は存在しない。日本民族は本来清らかな民族なのである。徳川家康や吉良上野介があまり日本人に好かれないのは、「やり方がきたない」といふイメージが定着してゐるからであらう。

 

|

« 千駄木庵日乗六月十一日 | トップページ | 千駄木庵日乗六月十二日 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/121949/59800590

この記事へのトラックバック一覧です: 日本人の重要な倫理観は「「清らかさ」「清浄さ」を大切にする心:

« 千駄木庵日乗六月十一日 | トップページ | 千駄木庵日乗六月十二日 »