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2014年6月29日 (日)

天香具山と今即神代・神人一體の信仰

 

日本人には、麗しい山を神と仰ぐ信仰がある。これを神奈備信仰といふ。大和地方では大和三山・三輪山・二上山など、東國地方では富士山・筑波山など、九州地方では高千穂峰・阿蘇山が尊い神の山として仰がれる。

 

 

 

天香具山は、上に「天」が付けられてゐるやうに高天原から天降って来た山で、「天と地とをつなぐ山」として神聖視され、大和三山の中でもとりわけ尊い山とされる。現代風に言へば、天と地とをつなぐアンテナで、神事を行ふ際、神の降臨を仰ぐために立てる榊である「ひもろぎ」と同じ性格を持つ。

 

 

 

「鎮守の森」といはれるやうに神社には多くの樹木があるのは、その樹木に神が降臨すると信ずるからである。わが國傳統信仰においては「神代」「高天原」と「地上」とは交流し、隔絶してゐない。日本傳統信仰は「今即神代・神人一體」の信仰である。

 

 

 

天香具山の「香具」(かぐ)とは「輝く」を短くした言葉である。「かぐや姫」とは「輝く御姫様」といふ意である。香具山は輝く山・神聖な山として信仰の対象となってゐる。「天香具山」とは「天に通じる輝く山」といふ意で、高天原と直結する山と信じられたのである。

 

 

 

 高天原にある天香具山について、『古事記』には、天照大神が天の岩戸に隠れになった時、大神に岩戸からお出ましを願ほうとした八百萬命が相談して、天児屋命(あめのこやねのみこと)と布刀玉命(ふとたまのみこと)が取って来た天香具山の男鹿の肩胛骨を波波迦の木で焼いて占ひを行ひ、天香具山に茂った賢木(さかき)に勾玉(まがたま)や鏡などを付けて捧げ持ち、天宇受売命(あめのうづめみこと)が天香具山の日影蔓(ひかげかづら)を手襁(たすき)に懸け、真拆(まさき)を鬘(かずら)として、天香具山の小竹の葉を手に持ち、岩戸の前で桶を踏み鳴らして神憑りしたと傳へられてゐる。

 

 

 

 また、神武天皇が御東征を終へられ大和に都を開かれる時のお祭りで用いられた神具の土器は、天香具山の土で作られたと傳へられてゐる。

 

 

 

國土には地の靈(國魂)が籠ってゐるといふ信仰があり、大和の都を開かれるにあたっては、大和の國の靈(國魂)を鎮めなければならない。そのために大和の地の國魂が宿ってゐると共に、天と地とをつなぐ神聖なる天香具山の土を、土器にして祭祀に用いたのである。それによって、神武天皇は大和國を治められる靈的なお力を備へられたのである。天香具山の土を手に入れることが大和全體を掌握することになるといふ信仰である。

 

 

 

 折口信夫氏は、「天香具山の名は天上の山の名である。同時に地上の祭時に當って、天上と一つの聖地-天高市(アメタケチ)-と考へられた土地の中心が此山であった。だから平常にも聖なる地として天なる称號をつけて呼ぶ様になったのだ」「大和なる地名は、當然宮廷のある地を意味する。天は、宮廷の真上にあり、宮廷のある處は、天の真下である。即ち、國語に於ける天が下(アメガシタ)の確かな用語例は、宮廷及び宮廷の所在を示すことになる。だから、宮廷の存在なる狭義の大倭は、天が下であり、同時に天其物と觀じることが出来た。天香具山は、地上に於ける聖地の中心であった。即ち、大倭の中心である。この山の埴土(きめの細かい黄赤色の粘土)は、大倭の國魂の象徴にもなる…。」(『大倭宮廷の靱業期』)論じてゐる。

 

 

 

 天皇のゐます宮は、「天」(高天原)・「聖地」であり、神聖な所を神座(カミクラ・神のゐますところ)といふ。都とは祭祀主日本天皇が祭祀を行はせられる「宮」のある所である。京都御所そして紫宸殿のある京都及び皇居のある東京以外に「都」たる地は無いのである。したがって、「大阪都構想」は実行してはならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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千駄木庵日乗六月二十九日

午前は、諸雑務。

午後は、今夜の講演の準備。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

午後六時半より、春日の文京区民センターにて、『日本の心を学ぶ会』開催。林大悟氏が司会。渡邊昇氏が挨拶。瀬戸弘幸氏及び小生が、「愛国運動の本質について考える」と題して講演。全員で討論。

帰宅後は、原稿執筆。

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2014年6月28日 (土)

日本近代の戦ひと祖国防衛・独立維持の歴史

わが國の近代は、ペリーの武力的恫喝によって始まった。それを考へずして、日本近代の戦ひと発展と祖国防衛・独立維持の歴史を弾劾するのは一方的であり自虐的である。

 

攘夷即ち西欧列強の武力侵略から祖国を守るためには、日本自らも武力を強化しなければならなかった。これを「攘夷のための開国」といふ。そして武力の強化とは、西欧列強の軍事力と西洋文明そのものをわが國に輸入せざるを得なかった。この大きな矛盾がその後のわが国史に光と影を与へた。

 

明治新政府は「攘夷のための開国」即ち文明開化路線を歩んだ。欧米使節団に参加した人をはじめとする文明開化路線の推進者たちは、欧米を進歩と捉へ、東洋を未開と捉へた。「脱亜入欧・文明開化路線」をまっしぐらに進んだ。そして日清・日露の戦ひに勝利したことにより、日本は西欧化に成功したと認識し、アジアの盟主として、アジアの解放・アジアの進歩発展に貢献できると信じた。ところが、肝心要の日本の精神状況の頽廃と西洋化が進んだ。

 

さらに、近代化・工業化による日本国内の生活の変化が、自然と共に生き自然を神と拝ろがむ傳統信仰を希薄化せしめた。つまり、文明開化・脱亜入欧路線が、天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体の真姿を隠蔽した。そして権力国家・利益社会国家の強化が図られた。

 

西欧列強に抗して祖国の独立を維持するといふことは、「豐葦原千五百秋之瑞穂國日本」の防衛であった。そのためには、軍事力と科学技術を充実させなければならなかった。農業重視から工業重視へと転換が図られねばならなかった。そしてそれは、信仰共同体の破壊であり、天皇を祭祀主と仰ぐ日本國體の隠蔽であった。これは自己保全のための自己否定といふ二律背反を意味する。日本國を守るために「瑞穂の國」といふ日本国の本質を否定若しくは隠蔽しなければならなかったところに近代日本の最大の悲劇があった。

 

日本の伝統信仰を無視した近代化・富国強兵は、魂を消失した国家の強化であるがゆゑに大きな矛盾を生み行き詰まることは明らかであった。「夷を以て夷を制する」「攘夷のための開国」といはれるが、日本自身が「夷」となり日本自身が「外国」になってしまったのでは元も子もなくなる。

 

ただし、かかる近代日本の悪しき側面を批判するだけでは駄目で、やはり弱肉強食の世界状況下にあって、日本が独立を維持していくために、明治日本及び近代日本がいかに苦悩したかを深く考察しなければならない。文明開化・富国強兵・西欧化を全面否定することはできない。

 

西欧諸国との拮抗、とりわけ帝国主義との戦ひをしなければならない時代に於いて、わが國の独立の維持とは、武力的拮抗でなければならなかった。欧米近代の国家の侵略による植民地化を跳ね除けるために「富国強兵」政策がとられた。「富国強兵」政策を否定することは出来ない。また、「富国強兵」を実現するために西洋の文物・学問・科学技術を取り入れることも大切であった。

 

しかし、その根底に日本伝統精神・倫理観がしっかりと確立してゐなければならなかった。「和魂洋才」とはかかることを意味したのだと考へる。

 

日本が欧化路線を批判し近代日本が覇道を歩んだと弾劾するのは気分爽快かもしれない。しかし、祖国に生きる者はそれをしてはならない。するべきではない。することはできない。何故かならば、それは萬止むを得ざることだったからである。それは次の一点を見れば明白である。

 

明治新政府は、幕末期に徳川幕府が西洋列強と締結した日本国内に外国の軍隊が一方的に駐留し、裁判も外国人によって行はれるといふ不平等な条約を改正する事を大きな目標とした。明治四年(一八七一)の岩倉使節団派遣の最大目的は不平等条約の改正であった。しかし、維新直後のわが國による平等条約改正要望は列強に全く相手にされなかった。日本が不平等条約を改正できたのは、明治四十四年(一九一一)、日本が日清・日露両戦争の勝利した後だった。日清、日露戦争に勝利した結果、初めて不平等な条約改正ができたのである。

 

弱肉強食・強い者勝ちが冷厳な国際社会の原則であった。それは二十一世紀を迎へた今日でも変ってゐない。西欧列強からの圧迫に対抗して日本の独立を維持しやうといふ意志の表れとしての「攘夷」が、自らを強化するために西欧の科学技術・法制度・思想を輸入してゐるのだといふことを正確に自覚することが出来なかったことが、近代日本を矛盾と不幸の原因だったと考へる。

 

近代日本が、帝國主義国家と対峙しつつ独立国家として自立していくためには、西欧化し近代化し軍備を整へねばならなかった。その道の到達点が、大東亜戦争であった。大東亜戦争は、明治維新以来の攘夷の戦ひの総決算であった。

 

日本の西洋覇道精神・欧化路線即ち近代日本の負の部分に対する反省が明治第二維新運動とそれを継承した昭和維新運動である。昭和維新運動とは日本傳統精神の復興による「近代の超克」を目指す運動であった。近代とは欧米的近代主義である。近代日本が猛烈に勢いで輸入した「欧米近代」なるものへの痛烈な反省である。それは、明治維新の真精神即ち神武創業の精神・日本の傳統信仰の復興であった。しかし、昭和維新は未完に終わった。

 

神への回帰こそが、近代日本において必要だったのである。近代の超克・西欧模倣からの脱却は、日本に神々への回帰、日本傳統信仰の復興によって行はれなければならなかった。大正末期から昭和初期にかけての皇道大本や昭和十年代の生長の家が、日本国民の神への回帰を促す運動であったと小生は理解してゐる。

 

大東亜戦争はアメリカの科学技術と物量に負けたといふ面は勿論ある。しかしそれと共に、日本自身の精神的頽廃=神の喪失・傳統精神隠蔽が大東亜戦争だけでなく近代日本の歴史に大きな影響を与へたことは事実である。

 

近代日本の矛盾の克服は、現代においても喫緊の課題である。近代の超克・西欧模倣からの脱却は今日においてこそ行はれなければならない。わが日本は、西洋覇道精神を清算し日本傳統精神を復興し日本の神々に回帰しなければならない。

 

西洋から発した唯物文明・強いもの勝ちの覇道精神を反省し訂正せしめるものとして農耕生活から発した大自然と人間の共生の精神たる日本伝統精神がある。天皇がその祭祀主であられ体現者であられる日本伝統精神よって西洋唯物文明を克服するべきである。日本伝統精神は、現代の危機を打開し将来の日本及びアジアそして地球の救済の力となり得ると信ずる。

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千駄木庵日乗六月二十八日

午前は、諸雑務。

午後は、明日行われる『日本の心を学ぶ会』における講演の準備。

午後四時より、日本青年館にて、『大日本生産党再建六十周年記念祝賀会』開催。鴨田徳一最高顧問、丹野寛親党首が挨拶。頭山興助、ペマ・ギャルポ、山口申、近藤勢一、阿形充規、犬塚博英そして小生などが祝辞を述べ盛宴に移った。そして杉山清一氏が閉会の辞を述べた。多くの同志が参集した。

帰宅後も、明日の講演の準備など。

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この頃詠みし歌

 

平和憲法などといふ欺瞞撃ち祓ひ 祖国を敵より守り行くべし

 

国内に国賊がゐて 国外に侵略者がゐる 祖国危うし

 

憲法が国を滅ぼすものならばそんな憲法焼き捨てるべし

 

祖国日本が危機に晒される時にしも欺瞞的平和論説く輩あり

 

大江健三郎が自転車に乗りて行くを見し四十年前の成城の町

 

中河邸を出で来れば大江健三郎自転車に乗る姿見えたり

 

すっかりと記憶うすれしわが母と語らひ過ごす時の切なさ

 

やや老いし面差しにして目をそらし去り行きにけり古き知人は

 

やうやくに晴れわたりたる大空に灼熱の太陽ギラギラと照る

 

日枝神社祭礼の旗の棚引ける弁慶橋に初夏の日眩し

 

大勢の人らと信号を渡り行く怖くないと思はず青信号ゆゑ

 

日暮里の駅前の蕎麦屋の入り行きビール飲み干す初夏の夕暮

 

愛らしき乙女が運び来たりける蕎麦ゆゑその味よろしかりけり

 

宜仁親王みはふりの庭に参り来て御霊おろがむ晴れし初夏の日

 

老いませる常陸宮殿下の御姿を遠く拝して胸迫るなり

 

すめらみくにのたふとき方々の眠ります豊島岡墓地の緑かがよふ

 

一筋の道などと気負ふにあらねどもともかく我は生きて来にけり

 

青葉若葉が命の盛りとかがよへる初夏の季節を我も生き行く

 

わが手持ち頬擦りをする老いし母を施設に置きて帰り来にけり

 

みんなみの島の果てなる岸壁に轟き寄せる波の音聞こゆ(摩文仁の丘を思ひ出して)

 

この国を守らんとして次々に斃れゆきたるつわものを思ふ()

 

街の空に雲動きゐるを見上げつつ心忙しく信号を待つ

 

好かれざるカラスといふ鳥がカアカアと鳴いてゐるなり電柱の上

 

癪に障ること多かりし一日が終らむとする時腹鳴りにけり

 

衣食足りて礼節を知るとは真実か菓子を食して心落ち着く

 

夢の中幼馴染と逢ひにけり懐かしきかなその面影は

 

二度と再び逢へざる乙女が夢の中に出で来て我と語り合ひたり

 

筆持てど歌の出で来ぬ今宵なり クーラーの音のみ部屋に響きて

 

夫妻仲良く店で働く姿をばうらやみにつつ酒を酌みをり

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千駄木庵日乗六月二十七日

午前は、諸雑務。

午後は、書状執筆、書類整理。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、原稿執筆。

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2014年6月27日 (金)

二人の警察官の自殺について考える

年下のキャリア官僚に生意気な口をきかれたら、開き直って喧嘩すればいいのにと思うが、階級社会の警察ではそうもいかなかったのか。それにしても、年下の野郎に「小学生みたいな文書を書くな」とか、「国語を習ってきたのか」などと言われたという。さぞや悔しかっただろう。もう一人の人もかばいきれなかったとして自殺した。二人とも真面目すぎる人だったのか。

 

キャリア官僚とはそれほど偉いのか。外部の人間には全く分からない。東大法学部を出たエリートなんだろうから、人間としてもう少しまともな感覚を持つべきだ。部下よりも年下だと馬鹿にされないようにするために余計居丈高になるのだろう。

 

私なら、自殺する前に、否、自殺なんかしないで、このエリート官僚に物理的制裁を加えると思う。

 

私の知っていた警察官は、何時も「階級だけでものを言われては困る」と言っていた。この人も定年間際、勤めていた警察の署長とウマが合わず、困っていた。しかしなかなか根性があり、とても自殺するような人ではなかった。

 

責任感が強く思いつめる人ほど自殺するというが、果たしてどうか。パアハラだとかセクハラだとか横文字がよく使われるが、国語で言うと「理不尽ないじめ」や「聞くに堪えない罵倒」は自制すべきだろう。特に官庁や議会に所属する人々には、そういうことが求められると思う。

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袴田茂樹氏の講演内容

五月十日に行われた『アジア問題懇話会』における袴田茂樹新潟県立大学教授の「ウクライナ情勢から新たな世界秩序を読む」と題する講演の内容は次の通り。

 

「プーチンのクリミア併合によって、国際パラダイムが根本的に再検討を迫られている。近十年から二十年、ポストモダニズムという考え方が、先進国の政治学者・政治家に広まっていた。『国家・国民・主権・国境は。グローバル化が進展している二十一世紀には博物館行きになる。国際問題が生じたのは、二十世紀までのモダンの世界でのこと。欧州連合が示しているように、国民国家は意味を失っている』という考え方が主流になっていた。今回のロシアのクリミア併合はポストモダニズムと逆の現象。ポストモダニズムの甘さが露呈した。国際社会は生地の部分は百年前も今日の全く変わっていない。二十世紀前半の状況に酷似している。ヒトラーのチェコズデーデン、オーストリア併合と全く同じ論理で、プーチンはクリミア併合をやった。冷戦時代は、東西両陣営という枠組みが強く作用して国家・民族・宗教というファクターが抑え込まれていた。それは冷戦時代の産物であり、歴史的に例外。人間の本質は変わっていない。

 

プーチンは昨日クリミアに乗り込んだ。三月に併合を宣言。三月十六日に住民投票を行った。欧米社会はそれを黙認している。ウクライナ東部と南部のクリミア化が問題になっている。これは日本にとってかなり深刻。中国は『沖縄は朝貢国』という認識を持っている。

 

ロシアがウクライナ東部・南部併合を目指しているとは思わない。あまりにも欧米諸国を刺激しすぎる。プーチンの志はもっと大きい。ウクライナ東部のクリミア化すると西部・中部が西側・NATOに走ってしまう。ロシアはウクライナの連邦化を主張。ウクライナ東部は、ハンガリー、オーストリアの文化的影響下にある。西ヨーロッバの文化圏。東部・南部はロシアの文化圏。ロシアにとってウクライナが最後のバファゾーン(緩衝帯)。スターリンもその他の指導者も、共産主義を外に広めるよりも、ロシアを守るという意識が強かった。フィンランドはスターリンに安心感を与えるためにNATOに入らなかった。

 

西側が『経済制裁』と言っても、ロシアは大笑いしている。短期的には大きなダメージを与えないが、長期的にはダメージを与える。新しい冷戦の始まりという見方があるが、それは冷戦の定義による。世界が二つに別れて対峙するという冷戦にはならない。冷戦時代に封じ込められた国家・宗教・民族のパンドラの箱が開かれた。地政学的な国家間の対立、駆け引きが生じる可能性あり。

 

クリミアは元ロシア領でロシア系住民が六割。黒海艦隊の母港がある。一つの主権国家の中で、一地域が主権を決めることはできない。地域主権という言葉は論理的に成り立たない。沖縄県民、名護市民は、米軍基地について決定権を持っていない。

 

プーチンの強硬姿勢の背景はオバマの無力・無戦略。プーチンはオバマを軽蔑している。ロシア国民に大国主義的メンタリティを満たすことが重要。プーチンはそれを満足させた。支持率八割以上。最大の原因は、ウクライナの軍・治安機関の無力。世界が軍事力を減らしている中で、中露だけは軍事費を伸ばしている。日本も対ロ政策で大きなジレンマを抱えている。G7(ジーセブン)の中でロシアに力で領土を侵害されているのは日本のみ。ウクライナの痛みが一番よく分かるのは日本のみ。クリミア問題できちんとロシアを批判するのが日本の権利であり義務である。安倍さんも『力を背景とした現状変更は看過できない』と言った。

 

メドベージェフが国後を訪問した時、当時の玄葉外相は秋田犬を持ってロシアに行った。ソチで外相会談をした。それを注視したのが李明博。彼は竹島に行った。天皇陛下への謝罪要求がターニングポイントになって日韓関係が悪化。日本は主権侵害に真剣ではないことを国際社会に示した。日本は主権国家として当然の行動をとるべし。岸田外相訪露延期は適切。プーチン訪日取りやめは覚悟しておくべきだ。プーチン訪問で北方領土は返還されない。

 

中ロ関係は複雑。公式的には良い関係にある。しかし本当の意味の信頼はない。中国の軍事力強大化をロシアは懸念している。『中国人が俺たちを馬鹿にするようになった』と思っている。歴史問題は、『対日勝利』を中露が共に出して来る可能性あり。尖閣問題ではロシアは中国を支持しているわけではない。

 

ヨーロッパとアジアは違う。主権制限の共同体はアジアではできない。中国は主権を制限したアジア統合など毛頭考えていない。中国共産党は抗日戦争がアイデンティティの基礎であった。今日も然り。政権の正統性が抗日戦争。九十年代のロシアはアナーキー・無秩序になった。プーチン時代に石油価格の上昇で経済が好転。偉大なロシアで統合。大国主義的ナショナリズムになった」。

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千駄木庵日乗六月二十六日

午前は、諸雑務。

昼は、知人と懇談。都議会野次問題・池袋の事件など、内外の諸情勢について意見交換。

午後からは、在宅して、原稿の校正・執筆・資料の整理など。

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2014年6月26日 (木)

國難とナショナリズムー今こそ尊皇攘夷の精神を興起せしめよ

 戦後、わが國は、「ナショナリズム・愛國心」といふ言葉は「対外侵略戦争に結びつく」として封印されて来た。しかし、表面的には封印されてゐたとしても、日本民族のナショナリズム・愛國心は戦後六十年間、枯渇することなく脈脈と傳へられてきた。自國を愛する心が絶えてなくなってしまふなどといふことはあり得ない。

 

 

 

ナショナリズムとは、外國からの圧力・干渉を排して國家の独立を維持する思想および運動である。それは、運命共同體意識と言ひ換へても良い。これは、國家民族の危機の時に澎湃として沸き起こってくる自然な感情である。

 

 

 

ナショナリズムは、歴史意識・傳統信仰と深く結びついてゐる。國家的危機に際會した時、それを撥ね退けんとしてその國民がその國の歴史意識・傳統精神を根底に置いて運命共同體意識を結集し、勃興する精神と行動がナショナリズムである。

 

 

 

幕末期に起った日本ナショナリズムは、古代・中古・中世・近世を通じて継承されてきた日本傳統精神を継承し根底に置いたものであった。

 

 

 

「尊皇攘夷」といふ言葉は、幕末期に起った日本ナショナリズムを端的に且つ正しく言ひ表してゐる。「尊皇攘夷」といふ言葉の起源は、北狄や南蛮の侵略にあった古代支那(周の末期)の都市國家群・支那民族が、危機を乗り越えやうとした時の旗幟・スローガンである。ただし支那の場合は「尊王」と書く。

 

 

 

わが國の幕末期における「攘夷精神」とは、西欧列強といふ侵略者、異質の文化に直面した日本國民の國民的自覚と祖國防衛・独立維持の情念の噴出であり結集である。そしてそれは「日本は天皇を中心とした神の國である」といふ國體観に立脚してゐた。だから「尊皇攘夷」と言った。

 

 

 

日本國の長い歴史の中で、「神國思想」「尊皇攘夷」の精神は静かに脈々と継承され生き続けて来た。それが國難・外圧・内憂などの國家的危機に際會すると激しく表面に噴出した。

 

わが國における「尊皇攘夷」の精神は幕末期において初めて勃興したのではない。白村江の戦ひ、元寇、そして幕末といふ三度にわたる外患の時期において勃興した。

 

 

 

わが國における攘夷とは、時代を無視した頑なな排外思想ではない。また日本のナショナリズムとは決して回顧的なものではない。将来へ向けて日本民族が独立を維持するための精神である。

 

 

 

吉田松陰をはじめ多くの維新の先人たちは、世界の状況・時代の趨勢を正しく把握しやうとした。松陰は敵たるアメリカを認識せんとしてアメリカ渡航を実行しやうとした。吉田松陰が安政三年三月二十七日夜、金子重輔と一緒に下田来泊のペリーの米艦にて米國に渡航せんとしたのは、攘夷とは排外・鎖國を専らとするのではなく、日本が外國の支配下に入ることを拒み、独立を維持するために、外國の進歩した文物を學ぶことを要するといふ開明的な考へ方に基づくものであった。維新後の開國政策の下地はこの頃からあった。

 

 

 

わが國が、西欧列強の侵略・植民地支配を受けることなく近代化を遂げ発展し得たのは、「尊皇攘夷」を基本思想とした明治維新といふまさに「有史以来未曾有の大変革」を行ったからである。

 

 

 

そしてそれが成功した根本的原因は、わが國は肇國以来、天皇を神聖君主と仰ぐ國體観・國家観が確立されてゐたからである。古来、わが國が外國文化・文明を柔軟に包摂して来たのは、日本民族の根底に強靭なる傳統信仰があったからである。

 

 

 

今日わが國は、國難に際会している。それは明治維新前夜よりも深刻な状況である。これを克服するためには、日本民族としての主體性・帰属意識を回復する以外に無い。今こそナショナリズムが勃興すべき時である。日本民族の歴史意識・傳統精神を國民一人一人の精神の中で甦らせるべきである。

 

 

 

わが國の歴史を回顧すると、國家的危機の時こそ、尊皇精神・愛國心が勃興し、その危機を乗り切ってきた。白村江の戦ひに敗れ、唐新羅連合軍のわが國への侵攻の危機に見舞はれた時に、大化改新を断行し、天皇中心の國家體制を明徴化した。壬申の乱の後に、皇室祭祀および伊勢の神宮祭祀の制度が確立し『記紀』及び『萬葉集』が編纂され天皇中心の國家思想が正しく確立された。元寇の時には、それこそ全國民的に神國思想が勃興し國難を乗り切った。幕末の外患の危機に際しては、「尊皇攘夷」をスローガンとする明治維新が断行され、日本の独立を維持し近代國家として出発した。

 

 

 

日本ナショナリズムの基礎となるものは、天皇中心の國體を護持する精神である。今こそ天皇を中心とした國家の回復を目指す維新運動を繰り広げねばならない。今日の日本の危機的状況も、ナショナリズムの興起・日本傳統精神の復興により必ず打開し乗り切ることができると確信する。

 

 

 

最近、「皇室のことは興味がない」と言うナショナリストがいるが、國體を否定あるいは軽視するは真の日本的ナショナリズム即ち「尊皇攘夷」ではない。尊皇精神無き攘夷はあり得ないしあってはならない。

 

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千駄木庵日乗六月二十五日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆の準備。

この後、施設に赴き、母に付き添う。元気を回復していたので一安心。

帰宅後も、原稿執筆の準備など。

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2014年6月25日 (水)

私が「台北故宮博物院 神品至宝」展を見に行かない理由

「台北故宮博物院 神品至宝」展が開幕したそうだが、私は見に行かない。行きたくもない。何故なら、台湾に蟠踞する外来政権の「宝物」だからである。この博物館の存在は、「中華民国政府」が「中国」の唯一合法的な政府であることの象徴として、且つ、台湾において「中華ナショナリズム」を強調するための象徴として、国民党政権によって利用されてきた。つまり、「台北故宮博物院 神品至宝」なるものは、「中華帝国主義」「支那文化」の象徴であり国民党外来政権による台湾支配に利用されているのである。

 

ともかく、こういう博物館は、台湾人とは全く関係ないのである。関係ないどころか、台湾独立を妨げる存在である。辛亥革命や支那事変そして国共内戦で亡くなった国民党軍兵士の霊を祀る忠烈祠と同じである。故宮博物院と忠烈祠は、台湾独立達成の暁には、国民党と共に大陸に帰るべき存在である。こんな展覧会がわが国において開かれても、真の日台友好にはならないどころかその妨げになると思う。

 

私は、台湾に行った時、二回ほど故宮博物院を見学したが、展示品はケバケバしていて、何とも違和感を覚えた。今回の展覧会で展示されているかどうかは知らないが、髑髏に金箔を貼りつけた物を美術品として展示されていたのはどうにも気味が悪かった。故宮博物院の展示物を見ると、日本の文化と支那文化の違いを実感する。日本文化は、清らかで簡素で美しい。支那文化はどぎつく豪華である。つまり、日本皇室の皇道文化と支那歴代王朝の覇道文化の違いが実感できる。

 

 

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千駄木庵日乗六月二十四日

午前は、諸雑務。

午後は、急に依頼された原稿の執筆。

この後、施設に赴き、母に付き添う。やや疲れているようであった。

帰宅後も、原稿執筆・脱稿・送付。

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2014年6月24日 (火)

『徒然草―美術で楽しむ古典文学』展を参観して

今日参観した『徒然草―美術で楽しむ古典文学』展は、「鎌倉時代末期、兼好(けんこう)法師(生没年未詳)によって書かれた『徒然草』は、名文の誉れ高く、『枕草子』・『方丈記』とともに日本三大随筆に数えられます。…『徒然草』流布の過程で、〈徒然絵〉とも呼ぶべき絵画作品が登場するようになります。近年館蔵品に加わった海北友雪(かいほうゆうせつ)筆「徒然草絵巻」二十巻もその一つです。そこで本展では、この新収絵巻を初公開するとともに、屏風や絵本などの美術作例を通して、一度は読みたい、今こそ知りたい『徒然草』の名場面をたどります。…『徒然草』といえば無常観の文学といわれますが、兼好は、「無常」という時代の既成概念に挑み、現世にあっていかに生きるべきか、いかに楽しむべきかを探究した現実主義の人でした。本展では、兼好の心うつりゆく世界を美術作品とともにぜひお楽しみください」との趣旨で開催された。(案内文)

 

『兼好法師像 伝海北友雪筆』(江戸時代) 『一の谷合戦図屏風 海北友雪筆』() 『徒然草絵巻 海北友雪筆』() 『徒然草・御室法師図 英一蝶筆』() 国宝『法然上人絵伝』(鎌倉時代)などを参観。

美術的価値がどれほどあるかは小生には分からなかったが、海北友雪が絵巻に描いた「徒然草」の話は面白かった。

 

その一部を紹介すると、「公世(きんよ)の二位の兄に、良覺僧正と聞えしは極めて腹惡しき人なりけり。坊の傍に大きなる榎の木のありければ、人、『榎木僧正(えのきのそうじょう)』とぞ言ひける。この名然るべからずとて、かの木を切られにけり。その根のありければ、『切杭(きりくひ)の僧正』と言ひけり。愈(いよいよ)腹立ちて、切杭を掘りすてたりければ、その跡大きなる堀にてありければ、『堀池(ほりけ)の僧正』とぞいひける。」(従二位・藤原公世の兄で、良覚僧正と申し上げた方は、とても怒りっぽい人であった。僧正の住む僧坊のそばに大きな榎の木があったので、人々は「榎の木の僧正」とあだ名をつけて言っていた。僧正は、その名はけしからんと言って、その木を切ってしまわれた。しかし、その根が残っていたので、今度は人々は「切りくいの僧正」と言った。ますます腹を立てた僧正は、切り株を掘って捨ててしまったところ、その跡が大きな堀になったので、人々は「堀池の僧正」と言ったという。)(四十五段)

 

 「仁和寺に、ある法師、年よるまで石清水を拜まざりければ、心憂く覺えて、ある時思ひたちて、たゞ一人徒歩(かち)より詣でけり。極樂寺・高良(こおら)などを拜みて、かばかりと心得て歸りにけり。さて傍(かたへ)の人に逢ひて、『年ごろ思ひつる事果たし侍りぬ。聞きしにも過ぎて尊(たふと)くこそおはしけれ。そも參りたる人ごとに山へのぼりしは、何事かありけむ、ゆかしかりしかど、神へまゐるこそ本意なれと思ひて、山までは見ず。』とぞ言ひける。すこしの事にも先達(せんだち)はあらまほしきことなり」。(仁和寺にいたある法師が、年を取るまで、石清水の八幡宮に参拝したことがなかったので、それを残念に思い、ある時思い立って、たった一人で徒歩で詣でたそうだ。そして、ふもとの極楽寺や高良社などの付属の末社を拝して、これだけだと思い込んで帰ってしまったそうだ。それから、仲間の法師に対して、「長年思っていたことを果しました。聞いていたのよりずっと尊くあらせられました。それにしても、参詣していた人々がみんな山に登ったのは、山の上に何事かあったのだろうか。私も行きたかったが、神へ参詣するのが本来の目的だと思い、山の上までは見ませんでした」と言ったという。そういうわけだから、ちょっとしたことにも、指導者はあってほしいものだ)(五十二段)

 

  第一段には、「いでや、この世に生まれては、願はしかるべき事こそ多かめれ、みかどの御位は、いともかしこし。竹の園生(そのふ)の末葉まで人間の種ならぬぞやんごとなき」(いやもう、この世に生まれて来たからには、当然願わしく思うであろうことこそ多くあるようだ。帝の御位は、たいそう畏れ多い。帝の御子や孫まで、人間の種でないことが貴い)と書かれている。これは古代以来の「現御神信仰」「現人神信仰」を継承している。

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2014年6月23日 (月)

千駄木庵日乗六月二十三日

午前は、諸雑務。

午後は、六本木のサントリー美術館に赴き、『徒然草―美術で楽しむ古典文学』展参観。

帰宅後は、原稿執筆の準備、原稿執筆。

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「日米軍事同盟」を強化し対等にする第一歩が「集団的自衛権行使容認」

創価学会公明党は、「集団的自衛権行使容認」問題で、自民党の足を引っ張っている。許し難い。学会公明党は、池田大作と竹入義勝が「日中国交正常化」に一役買ったと自負し、かねてより「親共産支那姿勢」を貫いている。

 

日本が共産支那と「国交正常化」とやらをして以来、わが国は支那に対して経済技術援助を行いどれだけの金と技術を支那につぎ込んだが分からない。そしてその結果、支那が経済発展を遂げた。しかるに支那は経済発展によって軍事力を増強発展させると、わが国に対して侵略の牙を向けて来ている。のみならず「歴史問題」でわが国に内政干渉と不当な圧迫を加えて来ている。まさに「恩を仇で返す」とはこのことである。つまり「日中国交正常化」とその後の対支那外交はは失敗だったのである。

 

「集団的自衛権行使容認」に反対する「朝日新聞」などの反日偏向メディア、そして左翼・創価学会などの勢力は、自覚するとしないとに関わらず、支那のアジアにおける軍事的覇権確立、そして日本侵略の手先になっているのである。

 

共産支那の軍事的抬頭、アジア侵略の活発化、北朝鮮の核兵器による恫喝という危険極まりないわが国周辺の事態を見れば、「集団的自衛権行使容認」は絶対に必要である。一日も早く実現すべきである。

 

今最も大事なのは、日米が結束して、共産支那と北朝鮮時を軍事的に抑え込むことである。自主防衛体制確立・核武装が実現していないのに、「対米自立」だとか言って「日米安保」「日米軍事同盟」に反対するのは、侵略国家を利する危険な主張である。日米軍事同盟を強化し、対等のものにする第一歩が、「集団的自衛権行使容認」である。

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千駄木庵日乗六月二十二日

午前は、『政治文化情報』発送作業。

午後、発送完了。購読者の皆様には明日か明後日お届けできると存じます。

この後、施設に赴き母に付き添う。元気そうであった。

帰途、御徒町に赴き、新装なった「吉池」で買い物。なんだか『ユニクロ』とかいう若者向けの店になっていた。色々衣料品が置いてあってしかも安そうなのだが、以前のいかにも下町風の風情が乏しくなったのが残念。

帰宅後は、原稿執筆の準備、書状執筆など。

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2014年6月22日 (日)

国の平和と独立を脅かし正統性のない『現行占領憲法』を基礎にした「立憲主義」を徹底的に否定すべし

先日も書いたが、「集団的自衛権」の問題で「立憲主義」が云々されている。「立憲主義」とは、「政府の統治を憲法に基づき行う原理で、政府の権威や合法性が憲法の制限下に置かれていることに依拠するという考え方であるそうだが、その立てるべき「憲法」が問題である。「似非憲法」「占領憲法」を肯定し、それを立て、それに制限されなければならないというでは、亡国への道を歩む、まさに「憲法護って國滅ぶ」である。

 

また、「憲法解釈を、政府が便宜的に、意図的に変更すれば、政府の憲法解釈ひいては憲法規範そのものへの国民への信頼が損なわれる」という意見がある。しかし、激変する情勢に応じて改正し変更することによって憲法に国家の規範法としての権威が確立される。『現行憲法』には「国家の規範法としての権威」などというものは皆無である。

 

「憲法護って國滅ぶ」というのは、悪憲法を遵守すれば国が滅びるということである。ならば「悪憲法」を改正するか破棄するか無効にするしかない。

 

 

北方領土は、旧ソ連が武力によって侵略し占領した。竹島は、韓国が武力によって侵略し占領した。尖閣・沖縄も、支那が武力によって、侵略しようとしている。弱肉強食・強い者勝ちが冷厳な国際社会の原則である。『占領憲法』前文に書かれている「人間相互の関係を支配する崇高な理想」などというものは、少なくとも南北朝鮮・支那・ロシアは持ち合わせていない。共産支那も南北朝鮮もまともな国ではない。そういう国が相手だから祖国防衛の固めはしっかりとすべきである。

 

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」などということは、全くの空想であり、夢物語であるばかりでなく、きわめで危険な思想である。力がない國は侵略され、滅ぼされるのである。わが國固有の領土南樺太・全千島を七十年近くも占拠したままのロシア、そしてチベット・東トルキスタン・満洲・蒙古などを侵略支配し台湾及び尖閣諸島などのわが國固有の領土・領海を侵略せんとしている共産支那のどこに「公正と信義」という立派なものがあるというのか。

 

「現行憲法」の「前文」には「日本國民は…政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうに決意し…平和を愛する諸國民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とある。これは「日本は東條内閣の行為によって侵略戦争を起こしましたが、二度とそのような事はしないことをお誓いします。今後はアメリカ様、ソ連様、中國様など戦勝國の皆様の公正と信義に信頼して、侵略を行なった悪い國であるわが國とわが國民の生存と安全を保持してまいります。今後は何をされても決してお手向かいを致しません」という『詫び証文』である。「わが國は侵略戦争をした悪い國であり、中國や南北朝鮮からどんなに主権を侵害されても、内政干渉をされても、文句を言ったり反撃してはならない」という観念がまさに「現行占領憲法」の基本精神なのである。

 

この『わび証文』の精神を実践しているのが今日の日本の外交である。「憲法守って國滅ぶ」という言葉はまことに真実である。「現行憲法」否定なくして真の主権回復はあり得ない。

 

『現行占領憲法』の「平和主義」とは、「我が國は侵略戦争をした悪い國であった。今後は、武力・戦力・國軍は持たないし武力の行使はしないし戦争はしない」という思想である。つまり、『現行占領憲法』は、日本國および日本國民は戦勝國に手向かった悪者であり、戦勝國は公正の信義の國であるという文字通りの嘘八百を基本精神にしているのだ。

 

 

『占領憲法』の「平和主義」とは、有り体に言えば「日本は軍隊や武力を持たせるとなにをするかわからない」という戦勝国側の考え方が根底にある。そして「わが國以外の國はすべて公正と信義を持っているのだから、日本を侵略しようなどという國は何処にも存在しない」という虚構が作られた。その虚構の上にわが國の國防という基本國策が立てられているのだ。『現行占領憲法』の「平和主義」を否定し廃棄しない限り、わが国は自分自身の手で祖国を守ることはできないのである。わが国は、「現行占領憲法」の欺瞞的・亡国的「平和思想」から一日も早く脱却しなければならない。

 

 

アメリカ占領軍が国際法違反の軍事的政治的圧力のもとで押し付けた『現行占領憲法』には正統性は無い。また内容も日本国を混乱に陥れるものとなっている。

 

『大日本帝国憲法』に一度回帰し、その上で、時代状況に合うように改正することが、真の法治国家・独立国家としての日本を正しく回復する道である。対米自立とか、反米を叫ぶ連中が、アメリカ製の『現行占領憲法』擁護を声高に叫んでいるのは全く理解に苦しむ。

 

ともかく、正統性のない『現行占領憲法』、国の平和と独立を根底から脅かす『現行占領憲法』を基礎にした「立憲主義」は徹底的に否定されるべきである。

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千駄木庵日乗六月二十一日

午前は、諸雑務。

午後からは在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、『政治文化情報』発送準備、資料の整理など。

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2014年6月21日 (土)

東京都議会のヤジ騒動に関連して

十八日の東京都議会本会議で、妊娠、出産、不妊に悩む女性への支援の必要性を訴えた女性議員に対して「お前が早く結婚すればいいじゃないか」「産めないのか」というヤジ飛ばした議員は一刻も早く自ら名乗り出るべきである。何故、名乗出ないのか。自民党都議団は、ヤジを飛ばしたのは「自民党所属の議員だ」と言われているのだから、それが事実なのかどうかしっかりとした調査を自ら行うべきだ。

 

私は、昭和四十四年の春に、『やまと新聞』都政版の見習い記者として都議会に毎日のように通って取材した。自民党控室にはよく行った。当時の都議会は、美濃部都政であり第二次安保騒動の直前であったので緊張する場面が多かった。自民党は単独過半数を失っていた。社共の議席も多く、しかも当時の社会党には平和同志会という毛沢東思想を信奉する極左もいた。

 

清宮五郎というその極左議員は、自民党議員や民社党議員の質問に激しいヤジを飛ばした。民社党の老議員が質問していると清宮氏は「たった二人で生意気言うな」と野次った。民社党議員は怒り心頭に発し清宮氏の議席にまで行って猛烈に抗議した。

 

一方、自民党の古谷太郎という議員は、美濃部知事に対して物凄いヤジを飛ばした。古谷氏は控室で私に笑いながら、「美濃部は俺が野次を飛ばすと赤くなって怒るが、本当に怒ると真っ青になる」などと言っていた。また、自民党議員に野次を飛ばすと、粕谷茂氏が、その議員の所に行って、抗議したりした。当時、都議会自民党で元気のある人は、粕谷・古谷両氏であった。

 

しかし、当時は緊迫してはいたが、今回のような品格のない、下劣なヤジというのは無かった。議員の質が低下したのか、多数党の驕りか、どちらかであろう。ともかく、ヤジを飛ばした議員は一刻も早く自分から名乗り出るべきだ。それが人としての道である。

 

昭和四十年代前半は、社共共闘の時代であったが、何と社会党と共産党の仲が悪いのである。世田谷選出の梅津四郎という共産党の議員が、「機動隊増員、警視庁予算」に反対する質問をしていると、同じ世田谷選出の社会党議員が「本会議でも反対するのか」と何回も怒鳴りつけた。それを見ていた自民党議員が「やれやれ」と煽った。

 

公明党控室にも時々行ったが、当時は、龍年光、小泉隆、大川清幸、藤原行正,藤井富雄、星野義雄などという議員がいた。この人たちは、創価学会草創期の最高幹部で、池田大作の先輩・同輩である。都議会公明党控室に来た国会議員は、こういう人たちに最敬礼をしていた。他の党では考えられないことだった。特に小泉氏は、創価学会・公明党最長老として重きを為していた。

 

「機動隊増員、警視庁予算」は、自民党単独では可決しない。警務消防委員会で審議している時、公明党は一切発言しないが、いざ採決となると公明党議員は全員賛成し、警視庁に恩を売るのである。この警務消防委員会(今は警察消防委員会という)には、警視総監以下警視庁の部長クラスが全員出席する。当時は秦野章氏が総監だった。秦野総監以下警視庁幹部が都議会(当時は有楽町)に到着すると、何と玄関に自民党都議団幹事長が出迎えるのである。また委員会が終了すると、警務消防委員会委員長(自民党)が「どうも総監、度々答弁に立たせまして」などとねぎらうのである。他の都庁の局長などに対しては絶対そんなことはしない、寧ろ横柄な態度である。それだけ警察権力は強いということだ。

 

今から十年くらい前、前田健治警視総監の時代だが、私が警察消防委員会を傍聴しようとすると、何と警視庁の暴対課の警部が、私に名刺を出し、「何故傍聴するのか」と威圧を加えて来た。「公務員職権乱用罪」に該当する不法行為であった。警察というのは組織防衛のためなら違法行為も行うという事を実感した。その後、小生は警察批判を強めるようになった。

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千駄木庵日乗六月二十日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理。

この後、施設に赴き、母に付き添う。医師の診察あり。

帰途、谷中にて、地元の友人と懇談。

帰宅後は、資料の整理、原稿執筆。

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2014年6月20日 (金)

『東京財団フォーラム・ウクライナ危機と今後の日露の戦略的関係』における登壇者の発言

五月八日に開催された『第七八回東京財団フォーラム・ウクライナ危機と今後の日露の戦略的関係』における登壇者の発言。

 

下斗米伸夫法政大学教授「ある意味で千年の歴史。ロシア正教とカトリックの関係。そしてロシアとウクライナの関係。この二月の民主化革命の後、治安部隊が解体されてコントロールが効かなくなった。ウクライナ国家の解体過程が急速な勢いで進んでいる。一九三〇年代、三、四百万人が死んだ。ヒトラーを解放軍と見る。どれだけの血があそこで流れたのか。どれだけ歴史的に解明されているのか。東と南のウクライナで起きていることをどうやって抑えることができるのか。言語的・文化的・宗教的亀裂がある。ポーランドから見て偏狭としてのウクライナ。スターリンとレーニンがウクライナという単位にしたのが無理だった。老人にはソ連的秩序へのノスタルジアがある。分極化された世界。カトリックと正教会、スターリンとヒトラーの狭間にあるのが地政学的位置。これからどうなるのか全く分からない。西側はロシアとウクライナを引き離す戦略をとって来た。イスラエルと南ウクライナはトロツキーを含めてユダヤ人が住んでいた。クリミアの語源はユダヤ語。ガス代をどうやって捻出するのか。ウクライナを再建するにはどうするのか。クリミア戦争はトルコとロシアとのキリスト教の聖地を巡る戦争。プチャーチンの下田交渉はこの時期であった。エネルギーを含めてロシアは東にシフトしている。クレムリンに近い人も『ロシアにとって東方シフトは不可避』と言っている。日本との国境線確定をしたいのがロシアのプーチンの考え。それはエネルギーとも絡む。南にエネルギーを運ぶ入口が千島列島。アメリカは反プーチン・反ロシア感情が強いので、制裁が進んでいる。アメリカとロシアとの貿易規模は小さい。アメリカは制裁に積極的。欧州は及び腰。日本は領土問題があり、制裁に及び腰。外務大臣のロシア訪問延期が何時まで続くか。三月二七日、オバマはローマ教皇に会っている。どういう意味を持つのか。一四二〇年フローレンス会議で東西ローマが一致してオスマントルコに対峙。しかしモスクワは離脱。これがウクライナの分裂につながる。ナチスのSSがからんでいた」。

 

西谷公明国際経済研究所理事「汚職と腐敗がひどい。司法まで腐敗している。経済破綻寸前。経済の行き詰まりと社会腐敗に怒った人々がヤヌコーヴィチを打倒した。プーチンへの反発が強まった。私の知人は、胸にハーケンクロイツをつけた右翼になっていた。キエフではロシア国籍では住みづらくなっている。キエフの暫定政権は普通の市民の支持に基づいているかは問題。極右政党の幹部が暫定政権に入っている。ロシア経済は国際銘柄。グルジア侵攻の時、ルーブルが売りまくられた。その学習効果が今回はある。ロシアは輸入に依存した社会になっている。経済にボデイプローが効いている。クリミアの住民投票の前の週に米国債をすべて他国に移した。ロシアとEUとの経済関係は大きくなっている。ロシア企業がドイツに進出している。三十万人のドイツ人がロシアで働いている。経済制裁はしにくくなっている。ロシア経済は昨年から経常収支は赤字になっている。プーチンはクリミアを併合して手打ちの姿勢だ。ウクライナ暫定政権は反ロシアの姿勢が強く、手打ちできない。過激な国粋主義者の動きを抑えられるのか。ロシア経済は石油が下がらない限り致命的にはならない。ウクライナ経済が立ち行くかどうか。ウクライナは鉄を買ってもらってガスを売ってもらっている。これが出来なくなるとどうなるのか。鉄鋼生産がガタ落ちになって来る」。

 

畔蒜泰助東京財団研究員「欧州全体の三割のガスをロシアに依存している。ドイツは四三%依存。欧州はガスのロシア依存を低めようとしている。ロシアはアジアへのマーケットを拡大していかねばならない。ロシアは中国への依存を高めている。日本は良い形でロシアと交渉できる。イラク戦争のプロセスを思い出す。今回、ドイツの仲介がどうオバマ政権に影響を与えるか。五月二十九日の大統領選のペトロ・ポロシェンコ勝利をロシアは受け入れるであろう。ロシアとドイツは石油について利害が一致している。ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ政権の頃から中国場軍事技術についてコミットメントしている」。

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千駄木庵日乗六月十九日

午前は、諸雑務。

午後からは在宅して、『政治文化情報』の発送準備、原稿執筆など。

今日は、施設にいる母のところに行くことができなかった。何となく心が晴れない。

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2014年6月19日 (木)

『東京国際コンサート』を鑑賞して思ったこと

今日鑑賞したコンサートでは、「ウイリアム・テル序曲」が演奏された。懐かしい曲であり私の大好きな曲である。この曲を聴くと元気が出る。中学校時代、この曲が学校全体に流されると、校庭に全校生徒が集合して体操を行うこととなっていた。

 

私は今日まで全く知らなかったが、今日公演したルネ・フレミングさんは、アメリカ合衆国のソプラノ歌手で当代随一のソプラノと評されている。オペラの歌曲などを熱唱した。欧米の歌曲そして歌唱は、すごい迫力である。日本の民謡・小唄・ご詠歌とは全く異質のように思える。日本人が歌った場合でもそれは同じある。一言で言うと肉食人種の歌という事であろうか。日本のステーキ料理に、ロシアのオペラ歌手フョードル・シャリアピンに因んで「シャリアピンステーキ」というのがある。また私が親しくさせて頂いた田谷力三氏が九段会館でコンサートを開いた時、終了後、万世橋の「肉の万世」で、田谷先生にご馳走になった。その時私はまだ三十歳くらいだったが、田谷先生は、当時すでに八十歳を超えておられたが、私よりも食欲旺盛で肉料理をパクパク召し上がっていた。しかも田谷氏は、お酒は飲まれないので、非常に驚いた記憶がある。西洋特にオペラの歌唱はやはり肉食が好きな人が得意とするものであろう。相当もスタミナがないと歌うことはできないと思う。私も肉は嫌いではないので、時々、カンツォーネを歌う。

 

半田晴久氏は、今日のコンサートで、「帰れソレントへ」「カタリ・カタリ」を歌われた。この二曲は私の大好きな歌で、私も少しは歌うことができる。半田氏は、宗教家であると共に、オペラ・能・絵画などの藝術活動を見事に行われている。

 

今日のコンサートの最後に半田晴久、ルネ・フレミング、コナル・コード三氏が揃って日本の歌曲「ふるさと」を歌った。今、施設にいる母が施設の人々と共に、よくこの歌を歌うので、母のことを思って胸迫るものがあった。コナル・コード氏はニュージーランド出身のオペラ歌手である。

 

私はこれまで、人形浄瑠璃・新国劇・歌謡曲特に懐メロの公演はよく鑑賞した。近年、半田氏のお招きで、今まであまり縁がなかったオペラや西洋音楽そして能を鑑賞する機会を与えられ、感謝している。

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2014年6月18日 (水)

千駄木庵日乗六月十八日

午前は、諸雑務。『伝統と革新』編集の仕事。

 

午後二時半より、芝の駐健保会館にて、「大行社幹部会議」開催。顧問の一人としてスピーチ。「立憲主義」及び「集団的自衛権」について話させていただいた。

 

この後、施設に赴き、母に付き添う。元気そうであったので一安心。

 

午後六時半より、初台の新国立劇場オペラハウスにて『東京国際コンサート』公演開催。半田晴久、ルネ・フレミング、コナル・コード三氏の歌唱鑑賞。演奏はロベルト・アバド氏指揮の東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団。休憩時間に西村眞悟氏などと懇談。帰途、木村三浩氏と懇談。

 

帰宅後は、原稿執筆。

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「似非憲法」「占領憲法」「亡国憲法」を基礎にした『立憲主義』は頭から否定しなければならない

「集団的自衛権」の問題で「立憲主義」が云々されている。「立憲主義」とは、「政府の統治を憲法に基づき行う原理で、政府の権威や合法性が憲法の制限下に置かれていることに依拠する」という考え方であるそうだが、その立てるべき憲法が問題である。似非憲法・占領憲法を肯定し、それを立て、それに制限されなければならないというのでは、亡国への道を歩む、まさに「憲法護って國滅ぶ」である。

 

また、「憲法解釈を、政府が便宜的に、意図的に変更すれば、政府の憲法解釈ひいては憲法規範そのものへの国民への信頼が損なわれる」という意見がある。

 

しかし、激変する情勢に応じて憲法を改正し変更することによって、憲法に国家の規範法としての権威が確立される。『現行憲法』にはそれがない。

 

「憲法護って國滅ぶ」というのは、悪憲法を遵守すれば国が滅びるということである。ならば悪憲法を改正するか破棄するか無効にするしかない。

 

問題なのは、激変する内外の情勢の中で、憲法を如何にして適合させ、憲法の最高法規としての権威を保つかである。押しつけ憲法を破砕することが真の正しき「立憲主義」を実現する。

 

集団的自衛権とは、「密接な関係にある国が武力攻撃を受けた時、共同で防衛などに当る権利」という。自民党政権は集団的自衛権の発動要件として「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるおそれがあること」としている。

 

国防力増強が議論される時、必ず、戦争の悲惨さが強調される。沖縄戦、原爆の被害などが語られ、だから自衛隊は無くすべきだ日米同盟は無くせなどという主張が行われる。今日も「戦争反対、憲法壊すな」というデモがあったが、戦争を防ぐために「集団的自衛権行使を容認」するのだ。「現行憲法」を壊すことが日本の平和・独立・自由・安全確保の道だ。戦争の悲惨さを繰り返さない道、即ち戦争抑止力なのである。

 

サンフランシスコ講和条約、第一次安保、第二次安保改定の時も、日本が戦争に巻き込まれるという議論があったが、巻き込まれなかった。むしろ平和が保たれた。日本が戦後ずっと平和だったのは「占領憲法」があったからではない。自衛隊と日米軍事同盟があったからである。

 

共産支那の軍拡・侵略策謀、北朝鮮の核ミサイル開発などわが国の軍事的環境は極めて厳しくなっている。これに対処するには、米国との軍事同盟強化が必要である。

 

歴代内閣は、「集団的自衛権は国際法上保有しているが憲法上行使は認められない」との立場をとって来た。その根拠は、昭和五十一年に法制局が示した「憲法九条で許容される自衛権の行使は日本を防衛するために必要最小限の範囲にとどまるべきで、集団的自衛権の行使はその範囲を超え許されない」という憲法解釈だ。こんな解釈は今日の国家的危機に際して、国の平和と独立を根底から脅かす。

 

国家の自然権としての『自衛のための武力行使』は、個別的か集団的かを問わず認められている。認められないのは、国家による一方的な侵略のための武力行使である。

 

ともかく、「似非憲法」「占領憲法」「亡国憲法」を基礎にした『立憲主義』は頭から否定しなければならない。

 

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千駄木庵日乗六月十七日

朝は、諸雑務。

 

午前十一時四十分、文京区大塚の豊島岡墓園にて執行された「故宜仁親王墓一般参拝」に参列。慎みて拝礼しご冥福を祈念し奉った。常陸宮・同妃両殿下をはじめ、皇族の方々がご臨席になっていた。胸迫るものがあった。多くの方々が整列し拝礼した。また何人かの同志の方々にもお会いした。

 

午後二時より、永田町の村上正邦氏事務所にて、「矢野絢也先生勉強会」開催。南丘喜八郎氏が司会。村上正邦氏がスピーチ。矢野氏が講演。活発な質疑応答が行われた。大変興味深い内容であった。小生も質問した。内容は後日報告します。

 

午後六時より、永田町憲政記念館にて、「第四一回・呉竹会アジアフォーラム」開催。加瀬英明氏が挨拶。西村眞悟衆院議員が、「日本再興論-甦れ日本精神」と題して講演。熱誠溢れる講演であった。頭山興助氏がスピーチ。後日報告します。

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西村眞悟氏

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頭山興助氏

帰宅後は、原稿執筆。

 

 

 

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2014年6月17日 (火)

今日思ったこと、反省したこと、そして主張

夕刻入った蕎麦屋さんで、小生より二つ三つ年上の男性の方々が三人、一杯やりながら話していた。同じ高校出身の同窓生らしい。その人たちの会話が面白かった。

 

A氏「僕は朝日新聞、東京新聞、日刊ゲンダイしか読まない」。

 

B氏「それでは偏ってしまう。讀賣も読め」。

 

A氏「いや、俺にはそれだけの判断力はあるつもりだ」。

 

B氏「俺は朝日は讀まない」。

 

A氏「よく俺と付き合っているなあ」。

 

B氏「思想と友情とは関係ない」。

 

A氏「それはそうだ。お前は昔からそうだったからな」。

といった内容でした。もう一人の人は二人の会話を聞きながら一切沈黙していました。

 

A氏は、相当な左翼思想の持ち主である。B氏は小生から見れば普通の人。思想と友情とは関係ない、というのも頷けなくはないが、政治問題・思想問題を徹底して討論すると、やはり友情に亀裂が生じるのではなかろうか。小生の幼馴染みや学生時代からの友人にも、もちろん思想的立場が異なる人がいる。友情を持ち続け、友人関係を続けるのなら、やはり思想・政治問題にはお互いに触れないで済ますようにしている。また相手もそうしている。

 

小生が購読している新聞・雑誌は次の通りである。

 

「朝日」「日経」「世界日報」「聖教新聞」「赤旗日曜版」「正論」「サピオ」である。どういうわけか、「産経」は購読していない。このほか、贈呈していただいている新聞雑誌は数多い。

 

話は変わるが、これまでの小生の判断と主張に大きな誤りがあったことを記したい。その一つは、田中角栄失脚の後、三木内閣できたことを大いに喜び、支持したこと。田中の金権政治への反撥がそうさせたのであるが、三木の「国防費GNP比三%」という愚かなる政策、文部大臣の永井道雄を任命し日教組の跳梁跋扈をますます激しくさせ放置したこと、そして何より「靖国神社参拝は私的参拝」などと言明したことは、まさにその罪万死に値すると思う。

 

もう一つは、小泉純一郎の郵政民営化を支持した事である。小泉は、「郵政民営化」すればバラ色の世の中になるように宣伝したが、全く嘘であった。郵政民営化によって世の中が良くなったなどということは金輪際無かった。また、規制緩和だとか言って、弱肉強食の競争社会を作りだした。日本の良き伝統や慣習を破壊したのは小泉政治であった。

 

私は、終身雇用・年功序列は、日本の経済のみならず、日本国全体の安定と発展の重要な要素だと思う。

 

保守・民族派の中にも、「日米同盟」に反対する人がいる。私も反米思想を持っている。カーチス・ルメイに勲章をやったなどということはとんでもない事であり、まさに國の恥であった。また、日本国内に米軍基地は無い方か良いに決まっている。

 

しかし、今日の日本は、アジア最大の軍国主義国家、侵略国家共産支那によって独立・領土・平和と安全が脅かされているのである。そして日本は今日、日本一国だけで祖国を守ることはできない。今日唯今の時点では、日米軍事同盟は必要だし、強化しなければならないと固く信じている。

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2014年6月16日 (月)

千駄木庵日乗六月十六日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆の準備。

この後、施設に赴き、母に付き添う。ケアマネージャー、看護師の方と相談。

帰宅後は、資料の整理。

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第四十一回 「日本の心を学ぶ会」のお知らせ

第四十一回 「日本の心を学ぶ会」のお知らせ(この文面は主催者が描いたものです)

今年も半年が過ぎました。

南シナ海では中共の覇権主義が火を噴き、北朝鮮の拉致問題はようやく動き出すかに見えますが前途はいまだに不透明です

こうした問題の対応を迫られている安部政権はいちおうのところ保守政権といわれておりますが、TPPや移民問題では必ずしもそう言い切れないようです。

つまり、安倍政権は必ずしも真正保守層の期待にこたえる政権と言うわけではないようです。

一方で田母神氏がついに新党の立ち上げを発表しました。自民党より右側に柱を立てるとした政党の名称は「日本真正保守党」と言うそうです。

現在、「保守」を称する政治家や「維新」を名乗る政党があります。

しかしその中のどれだけが日本の国体を正しく理解し、国家の生存と尊厳を守る意思を持っているのかは疑問です。

つまり我々は本物の「保守」と「維新」を見定める必要があります。

そして昨年から保守・愛国運動への「レイシズムである」「ヘイトスピーチである」という批判が続いています。デモの現場では双方から逮捕者を出し、ついには重傷者が出るまで暴力はエスカレートしています。こうした事態の中で法律的に「レイシズム」「ヘイトスピーチ」を法律的に規制しようという動きも活発化してきました。

このような批判を受けている現在こそ保守・愛国運動は総括的に本質について検討しなおすことが求められているといえます。

そもそも保守とは何を保守するのか?愛国運動で守るべき国家とは何か?

時々の時勢に惑わされることなくより思想的に運動論的にも本質的なものを見極めることが求められているといえるでしょう。

第四十一回の勉強会ではこうした愛国運動をより本質的なところから検討しなおしたいと思います。

 

 【日 時】平成26629日(日)午後600分より

【場 所】文京区民センター 3-B会議室

東京都文京区本郷 4-15-14 地下鉄春日駅 下車1分(大江戸線、三線)、 後楽園下車3分(丸の内線、南 北線)JR(水道橋)

【演 題】 「愛国運動の本質について考える~安倍自民党政権と愛国維新~」

【登壇者】講 師 四宮正貴先生 四宮政治文化研究所 

瀨戸弘幸先生 BLOG日本よ何処へ       

【司会者】 林大悟

 

【参加費】資料代500円 終了後、近隣で懇親会(3千円くらいの予定です)

 

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395

 

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五月三日に行われた『新しい憲法をつくる国民大会』における登壇者の発言

五月三日に行われた『新しい憲法をつくる国民大会』における登壇者の発言は次の通り。

 

高乗正臣平成国際大学副学長「自衛隊は戦力ではない、軍隊ではない、という苦しい解釈をしてきたところに問題がある。『現行憲法』の解釈には限界がある。砂川判決を引用した解釈には問題あり。憲法をそのままにして、解釈変更で集団的自衛権を認めるのは立憲主義上問題あり。政府が集団的自衛権容認を必要と考えるなら、九条改正を堂々と打ち出して国民に是非を問うべし。憲法解釈と政策選択とは区別すべし」。

 

中川雅治参院議員「平成十七年に自民党の『改憲草案』を出した。『天皇元首』を見送り、『国軍創設』は無かった。その後、保利耕輔氏のもとで『草案』が見直され、谷垣総裁の手によって発表された。『立憲主義』という言葉がよく聞かれる。近代憲法の基本原則。自民党の『改憲草案』も立憲主義に基づく。『現行憲法』はGHQによって作られた。これによって政府を縛るのが『立憲主義』と言うのには抵抗を覚える。憲法改正の手続きは今国会で通したい。憲法改正に正面から取り組む」。

 

桜内文城衆院議員「大蔵省の課長の頃、改憲論を書き統治機構改革を論じた。権力を縛る仕組みは、①法の支配。②アカウンタビリティ(説明責任)。会計に関連する概念。ジョン・ロックの考え方。主権者国民が信託し、政府が受託者として責任を負う。『日本国憲法』はこの信託説に従っている。安保環境は非常に厳しい。改憲を待っている余裕はない」。

 

平沢勝栄衆院議員「しっかりとした国益になかった憲法をつくるのが目的。国民投票法は六月末に成立。その後は何時でも憲法改正の発議ができる。『現行憲法』は、自衛隊が存在しているのに、憲法には何にも書いていない。緊急時・有事・非常時のことを想定していない。前文もおかしい。今の憲法は欠陥憲法。日米関係にひびが入っては駄目。同盟関係を続けるには信頼関係が必要。集団的自衛権は緊急性があり、さしあたっては憲法解釈の変更で容認すべし。憲法を守って国が滅びたらどうするのか」。

 

三谷英弘衆院議員「日本は本音と建前が乖離した国。『現行憲法』が本音と建前が乖離しているからそうなっている。自衛隊は戦力。韓国や中国をはるかに凌駕した力を持つ自衛隊を戦力と言わずして何と言うのか。国籍を取る時に国に忠誠を誓わなくてもいい国は他に無い。自虐史観を教えて来たのは日教組。私の父は自衛官」。

 

船田元衆院議員「憲法は神棚に置けばいいというものではない。ちゃぶ台に置いて変えるべきところは変える、直すべきところは直す。不断の見直しをしっかりすることが大事。立憲主義だけでは駄目。日本の伝統・価値観を反映した憲法にすべし。『天皇制』『家族制度』について『自民党草案』をたたき台にして議論していきたい」。

                ○

『立憲主義』についての小生の意見は後日書かせていただきます。

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千駄木庵日乗六月十五日

午前は、諸雑務。

午後十二時半より、紀尾井町のホテルニューオータニにて、『第十回夢・地球交響博プリフェスティバル』開催。木原秀成氏が講演。盛宴に移った。

帰宅後は、『政治文化情報』発送の準備など。

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2014年6月15日 (日)

今こそ、尊皇攘夷の精神が必要な時である

 日本伝統精神は、天皇の祭祀と神社の祭祀を通して、今もなおその生命を伝えてられているのみならず、現実に天皇及び御皇室の自然の命を慈しみたもう御精神と御行動そして神社の鎮守の森が、自然破壊と人心の荒廃を食い止める大きな力となっている。

 

日本伝統精神を世界に発展させて、混迷せる現代世界を救済する役目をわが日本は背負っている。現代文明・文化は西洋文化・文明が主流となっている。現代文明とは、事物を科学の論理によって技術革新を行うようになった文明のことであるが、それは、産業革命以来機械技術の発達と資本主義そしてそれに反発するものとしての共産主義の発展を促し、経済至上・物質的豊かさ至上の社会を作り出した。そして、現代文明は、核戦争の危機・自然破壊・人心の荒廃・経済の破綻そして民族紛争・宗教紛争を見ても明らかな如く、既に頂点を越えて没落の時期に差しかかっている。

 

 現代文明・文化の欠陥を是正し、新たなる文化を形成するには、欧米文化偏重から日本伝統文化へと回帰しなければならない。

 

 大東亜戦争の敗北後、日本伝統精神が衰微し、今日の日本も、國民精神の面でも政治體制の面でも、日本國の本来の姿が失われている。

 

 現代の日本人は、天皇に対する尊崇の念が薄れており、天皇を中心とする國體精神に立脚する変革などといっても無理だという人がいる。しかし、武家専横の時代において、大半の日本人は、天皇及び皇室を常に意識して生活していたわけではない。天皇のお声を聞くことも、お姿を拝することも全くといって良いほど無かった。にもかかわらず、天皇及び御皇室の御存在が上におわしましたからこそ、武家同士の凄惨な内戦が行われても日本を分裂國家にならず、また、武家による民に対する支配の苛酷さを抑制することができたのである。そして蒙古襲来・幕末の危機・大東亜戦争の敗北などの様々な國難を乗り切ることができたのである。

 

 天皇及び御皇室は、興亡常なき日本國の根幹にいまして不変の國家的民族的核心であったのである。このことは現代においても全く変わりはない。

 

 今日の日本において、「維新」ということがうるさいくらいに言われている。しかし、如何なる理念・精神を根本に置いて「維新」を行うかが問題なのである。大東亜戦争の敗北した日本は、日本の良き伝統を隠蔽してしまった。ここに今日の混迷の最大の原因がある。

 

 明治維新は「尊皇攘夷」を基本理念にして戦われた。現代維新においても、尊皇攘夷の精神を根底に置いて戦われなければならない。「尊皇」とは万世一系の天皇を中核とする國民的統一・道義心の高揚を図る事であり、「攘夷」とは國家民族の自主独立を回復することである。内憂外患交々来るといった状況にある今こそ、尊皇攘夷の精神が必要な時であると言える。

 

 民族の伝統への誇りを忘却した民族には未来はない。しかし、我々は絶望してはならない。上に天皇おわします限り、民族の命は必ず新生し甦る。そして、民族の歴史の流れ、民族の道統に立脚した変革が行われなければならない。日本國體精神こそが永遠の維新の原理である。

 

 

 天地自然(動物・植物・國土)に神の命が生きているという信仰が日本の伝統信仰である。そしてその祭祀主が天皇であらせられる。天皇を祭祀主とする信仰共同體が日本國の本姿である。それを現代において回復することが、大切なのである。これが道義の頽廃が根本原因である現代の様々な危機的状況を打開する唯一の方途である。

 

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2014年6月14日 (土)

千駄木庵日乗六月十四日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰途、谷中にて、知人と懇談。

帰宅後は、『政治文化情報』の発送準備。

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太刀・剣の神聖性

「ますらをぶり」と剣とは一體である。剣は単なる殺傷の武器ではない。日本刀=剣は製作過程からして既に神道祭式の宗教儀式になってゐる。刀鍛冶は職人にして単なる職人ではなく、朝から斎戒(神仏に祈ったり、神聖な仕事に従ったりする場合に飲食や行動を慎んで、心身を清めること)沐浴(神仏に祈願するとき、冷水を浴びて心身を清浄にすること。髪・體を洗ひ清めること。水浴。ゆあみ)して仕事(これも仕へまつること)にかかる。仕事場に榊を立て、しめ縄を張り巡らせて、その中で仕事をする。

 

剣の製作は、神の魂が籠るものを作るのであるから神事である。わが國において武器は倫理精神の象徴・神社における礼拝の対象となってゐる。「刀は忠義と名誉の象徴」「刀は武士の魂」として大切にされたのもその根源はかうした信仰にある。

 

わが國の武士は太刀を「力と勇気と名誉と忠誠の表徴」として尊んだ。そればかりでなく太刀は神聖なものとして尊ばれた。太刀を御神体とする神社もある。日本武尊が「床の辺に 吾が置きし つるぎの大刀」と歌ってをられるやうに、太刀は床の間に置かれた。太刀に対する侮辱はその太刀の持ち主に対する侮辱とされた。刀鍛冶は単なる工人ではなく、神聖なる職に従事するものであった。刀鍛冶は斎戒沐浴して工を始めた。太刀を作ることは神聖な宗教的行事とされた。

 

太刀(タチ)の語源は、「断()ち」であり、「顕()ち・現ち」である。罪穢を断つと共に、罪穢を断った後に善き事を顕現せしめるといふ言霊である。罪穢を祓ひ清めた後、神威を発動せしめる意である。太刀によって邪悪を滅ぼし、穢れを清め、本来の清らかさを顕現せしめるのである。

 

太刀は「幾振り」と数へられるやうに、魂ふり(人の魂をふるひ立たせ活力を与へ霊力を増殖させる行事)のための呪具でもあった。日本の剣は人の命を絶つための道具ではなく、人の命を生かす道具なのである。まさに「活人剣」なのである。

 

太刀・剣には魂が籠ってゐると信じられ、太刀を授受することは精神的・魂的な信頼関係が成立したことを意味する。敗者から勝者へ太刀・剣が奉られるのは、恭順の意を表する象徴的行事である。小野田寛郎氏がそれを行ったことは多くの人が記憶しているところである。小野田氏がルパング島で発見された後、当時のフィリッピンのマルコス大統領に軍刀を差し出した。軍人の魂であるところの軍刀を差し出すことは恭順の意を表することである。小野田氏は昭和の御代において武人の傳統を継承した人物だった。

 

さらに言へば、「タチ」は「タツ」と同じ語源であり、それは「龍(タツ)」である。龍神は水の神であるから、水のよく出る山奥には龍神の祭った神社が多い。蛇を祭った社(やしろ)も水の神である。道を歩いてゐて、蛇を見ると光ってるやうに見える。「龍」や「蛇」は長くて光る動物であるので、「刀」とよく似てゐる。故に「刀」は「龍・蛇」を連想させる。また、雷が鳴ると必ず雨が降る。だから水の神と雷神とも近い関係にあると考へられた。雷の稲妻は、光を放つので太刀を連想した。このやうに、「刀」「龍」「蛇」「水の神」「雷神」はきはめて近い関係にあるものと信じられた。

 

須佐之男命が八俣の大蛇を退治した時、大蛇の尻尾から出て来たのが天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ・後の草薙の剣)である。八俣の大蛇は出雲の國を流れる斐伊川のことだとされ、大蛇が暴れるのは斐伊川の氾濫であり、大蛇に食べられそうになり須佐之男命に助けられた稲田姫とは稲田の人格化といふ神話解釈がある。

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千駄木庵日乗六月十三日

午前は、『政治文化情報』の原稿脱稿、印刷所に送付。諸雑務。

午後は、書状執筆。

この後、施設に赴き、母に付き添う。ケアマネージャーの方と相談。

帰宅後も、書状執筆。そして原稿執筆の準備。

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2014年6月13日 (金)

「現行占領憲法」の「平和主義」こそ侵略と戦争の導火線である

本日行われた『中津川ひろさと氏を激励する集い』で聞いてスピーチで、印象残ったた話を記します。

 

平沼赳夫「自主憲法制定に反対、集団的自衛権容認に反対、原発再開に反対を主張する人々とは一緒にやれないので分党した」。

 

田母神俊雄氏「自衛隊が自立しないと日本国も自立しない、自衛隊はアメリカの戦闘機を使っている。ソフトウエアは製造した国でなければわからない。アメリカが使用している物よりワンランク。ツーランク下の物を輸出して来る。自衛隊は国産の兵器にしなければ外交的にも軍事的にも負ける。武器輸出を解禁すべし」。

             ○

共産支那の軍事的脅威がますます高まっており、一触即発の状況であるにもかかわらず、「憲法九条を護れ」とか「集団的自衛権容認反対」を主張している輩は、自覚するとしないとにかかわらず、侵略国家・軍国主義国家共産支那の手先になっていると断ぜざるを得ない。戦後日本が平和であったのは、『占領憲法』があったからではない。「日米安保」と自衛隊の存在があったからである。こんな当たり前のことがわからない連中、わかろうとしない連中は、まさに敵性国家・侵略国家の手先である。

『外交は華麗に礼装した軍事である』という言葉がある。軍事的に強者にならなければ、外交においても敗者になる。平和と国家の独立は軍事力によってこそ守ることができる。「現行占領憲法」の「平和主義」こそ侵略と戦争の導火線である。

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千駄木庵日乗六月十二日

午前は、諸雑務。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

午後六時半より、紀尾井町のホテルニューオータニにて、『中津川ひろさと君を激励する集い』開催。平沼赳夫・愛知和男・藤井孝男・田母神俊雄の各氏が祝辞を述べ、中津川ひろさと氏が挨拶した。そして、乾杯の後、盛宴に移った。土屋たかゆき氏など多くの同志・友人にお会いした。

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平沼赳夫氏

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田母神俊雄氏

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中津川ひろさと氏

帰宅後も、原稿執筆。

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2014年6月11日 (水)

日本人の重要な倫理観は「「清らかさ」「清浄さ」を大切にする心

日本人の重要な倫理観は「「清らかさ」「清浄さ」を大切にする心である。これを「清明心」(清く明るい心)と言ふ。天照大神が天の岩戸からお出になられた時、八百萬の神々は一斉に「天晴れ、あな面白、あな楽し、あな清明(さや)け、おけ」と唱へた。明るく、さはやかに、清らかに生きるのが、わが日本人の理想だったのである。

 

天武天皇の十四年(西暦六八五)に定められた冠位の制(官人の位階)では、「明位」「浄位」が上位に置かれた。御歴代の天皇の『宣命』(漢文体で書かれた詔勅に対して、宣命体で書かれた詔勅のこと。宣命体とは、体言や用言の語幹は漢字で大きく、用言の語尾や助詞などは萬葉仮名で小さく書いた)には、「明」と「浄」といふ言葉がしばしば使はれてゐる。

 

このやうに、わが國は傳統的に「明らかさ・清らかさ」を最高の美徳としてゐた。平田篤胤は、「そもそもわが皇神のおもむきは、清浄を本として汚穢(ケガレ)を悪(キラ)」ふと論じてゐる(『玉襷』)。

 

政治家に対して清廉潔白さが求められるのは、東洋においてはわが國が最も厳しい。ただしそれは、本来、堅苦しい窮屈な道徳観念ではなく、明るくさはやかな心を好むのである。

 

日本人は物事の価値基準を「善悪」といふ道徳観念には置かず、「浄穢」といふ美的価値に置いたと言へる。日本人は、穢い物事に罪を感じた。故に、神道では「罪穢(つみけがれ)」といって、道徳上・法律上の「罪」を「穢」と一緒に考へた。神道では、罪穢を祓ひ清めることが重要な行事である。「禊祓ひ」が神を祭る重要な前提である。身を清らかにしなければ神を迎へることはできない。人類の中で部屋の掃除とお風呂に入るのが好きな民族は日本民族が一番であらう。

 

實際、日本人にとって、「あいつはきたない奴だ」「やり方がきたない」と言はれることは、「あいつは悪人だ」と言はれるよりも大きな悲しみであり恥辱である。また、「あなたは善人だ」と言はれるよりも、「あなたの心は美しい」「身の処し方がきれいだ」と言はれる方に喜びを感じる。

 

悪人と善人は場合によって転倒する可能性がある。と言ふよりも、わが國の祖先は徹底的な悪人・悪魔といふ存在を考へることをしなかったのであらう。日本神話には西洋のやうな悪魔は存在しない。日本民族は本来清らかな民族なのである。徳川家康や吉良上野介があまり日本人に好かれないのは、「やり方がきたない」といふイメージが定着してゐるからであらう。

 

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千駄木庵日乗六月十一日

午前は、諸雑務。

午後は、『政治文化情報』原稿執筆。

この後、施設に赴き母に付き添う。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究会』開催。小生が山部赤人・高橋蟲麻呂の富士山讃歌などを講義。

終了後、出席者の方と懇談。

帰宅後も原稿執筆。

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みんなの党の水野幹事長『復古論』『保守論』について

六月九日のBS日テレの「深層NEWS」という番組で、みんなの党の水野幹事長は「私たちは『改革保守』だ。復古の色彩の強いところと統一会派を組むことはない」と述べ、維新の会の石原共同代表が作る新党と連携することは否定した。

 

水野氏の言う「復古」とはどういうことか、日本國體、日本の歴史伝統を大切にすることを「復古」と言うのだが、水野氏はそれを否定するのか。

 

そもそも「保守とは何か」が問題である。天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体日本の國體を守るのが真の保守である。それを真正保守という。そして日本國體を明らかにすることによって現状の日本を確信することを復古即革新即ち維新と言う。

 

私は、「皇室のことは興味がない」「靖国神社に参拝する時はA級戦犯のことを頭から排除する」などと言う人が真の保守政治家とも復古即革新即ち維新を目指す政治家とも思わない。

 

また、「改革保守」などと言っても、國體・傳統・歴史文化を大切にすることを否定あるいは軽視する政治家は真の保守ではない。

 

国防問題や外交問題でまともなことを言っている政治家でも、肝心要の國體や歴史問題で、全く期待を裏切るようなことを言う人がいる。今ここでそういう人の名前を書くことは差し控えるが、実に困ったことである。そうした中にあって、平沼赳夫氏は、やはりまともである。真正保守の姿勢を明確にしていると思う。

 

尊皇精神を保持し、日本の傳統精神を重んじる政治家は、国防・安保・教育・憲法などのことでも正統な主張をする。ところが、尊皇精神が希薄で、日本の傳統精神について正しい理解がなく、歴史観もおかしい人は、他の事でもおかしな主張をする。また権力型政治家が多い。

 

愈々日本の政治も混迷を極めて来た。まさに危機到来である。何とかしなければならない。

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この頃詠みし歌

父の遺影のやさしき笑みを拝ろがみて今日一日を終らんとする

 

人は老い衰へゆくが定めとは知りつつをれど切なかりけり

 

寛永寺大き伽藍に人ら集ひ逝きにし人を偲ぶ初夏の日(岸悦郎氏四十三回忌法要)

 

登り来し上野の山の石道を母と二人で歩みし日を思ふ

 

有難きことの数々あるものを神の恵みに生きんとぞ思ふ

 

静かなる墓地で雨に濡れにつつ心静かに魂鎮めする(無銘烈士墓前法要)

 

しとしとと雨降り来たる霊園に友ら集ひて霊(たま)なぐさめる()

 

多くの人が静かに眠る青山の霊園に初夏の雨降りしきる

 

友どちの篤き心に涙して雨降る道を別れ来にけり

 

佳き友を与へられたる喜びをしみじみと思ふ今宵なるかも

 

雨に濡れたどり着きたるわが部屋に我を待つ人誰もをらざり

 

買いて来しビスケットを母はうましとて食したまへり施設の部屋で

 

九十四年生き来し母をなぐさめいたはりて今日も施設で母と過ごせり

 

ひと時を施設で母と過ごしたり九十四年を生き来し母と

 

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千駄木庵日乗六月十日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、明日行われる『萬葉古代史研究会』における講義の準備、『伝統と革新』の原稿校正、『政治文化情報』の原稿執筆など。

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2014年6月 9日 (月)

『國歌君が代』と古代日本人の信仰

 (いは)ろには葦火(あしぶ)()けども住み好()けを筑紫に到りて戀(こふ)しけもはも

             (四四一九)

 

『萬葉集』収められてゐる武蔵國の橘樹郡上丁物部眞根(たちばなのこほりじゃうていもののべのまねといふ)といふ防人の歌。

橘樹郡は今日の川崎市及び横浜市の一部。多摩川南岸一帯で、当時は葦(いね科の多年生植物。水辺に生え、形はススキに似る。茎を編んで簾にする。ヨシ)が密生してゐた。

【家(いは)】「イヘ」の訛り。「ロ」は接尾語。【葦火(あしふ)】「アシビ」の訛り。枯葦を燃料にしたのであらう。【葦火焚けども】葦を屋内で焚くので煤けて汚いが。【住み好けを】「好ケ」は「好キ」の訛り。【戀しけもはも】「恋しく思ふだろう」の訛り。

「私の家では、葦火を焚いて煤けて汚くても住み良いのに、筑紫に着いたらその家を恋しく思ふだらう」といふ意。愈々別れなければならないわが家への愛着を歌った。

「家(イヘ)」は「いはふ」(神を畏敬し、神に祈るために家に忌み籠ること)の音韻が変化した言葉である。そして、人が籠る所を家(イヘ)と言ふやうになった。「イハ」は「イヘ」と同根の言葉である。岩(イハ)は「魂の籠るところ」といふ意味である。大きな石のことを「巖(いはほ)」と言ふ。

つまり、古代人は石や岩には魂が籠ってゐると信じたのである。その信仰が歌はれた歌が『萬葉集』の「東歌」(東國庶民の歌)の

 

「信濃なる筑摩の川の細石(さざれし)も君しふみてば玉と拾はむ」(三四〇〇・信濃の千曲川の小石でも恋しいあなたが踏んだのなら玉として拾おう)

 

である。この場合の玉は単に宝石といふ意味ではなく愛する人の魂が籠ってゐるといふ意である。

古代日本では、石に籠ってゐる魂が次第に成長して巖になると信じられてゐた。その信仰が歌われた歌が、『國歌君が代』である。

 

「君が代は千代に八千代にさゞれ石の巌となりてこけのすまで」(天皇の御代は千年も八千年も続き小さな石がだんだん成長していって巌となるまで永遠に続く)

 

「さゞれ石の巌となりてこけのすまで」は、決して比喩ではなく実際の信仰だったのである。

さらに、イシ(石)・イハ(岩)・イツク(齋く)・イハフ(齋ふ)・イノル(祈る)の「イ」は、生命力・靈力を意味する名詞であり生命力の強い自然物(植物や岩)の称辞として用いられると共に、物事を神聖化することを意味する動詞にも用いられてゐる。

何故古代日本人は石や岩に魂が籠ると信じたのかといふと、石は地上にありながら、石の下即ち地下から湧出する深く大きな生命力と威力を包含し、地下の精靈や魂の具象であり象徴である考へたからであらう。つまり石とりわけ巨岩は神靈の依り代(よりしろ・憑代とも書く。神靈が現れる時に宿ると信じられてゐる物、樹木・岩石・御弊など)であると信じられた。古墳をはじめ墓を石で造るのは、それが地下の死の世界にゐる死者の魂が表出する依り代であるからである。この信仰は石器時代に端を発してゐるといふ。

『國歌・君が代』は古代日本から今日まで続く伝統信仰が歌はれてゐるのであり、「石が大きくなって岩になるといふのは非科學的である」といふ批判は全く誤りである。

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千駄木庵日乗六月九日

午前は、諸雑務。

午後は、『政治文化情報』原稿執筆。

この後、施設に赴き、母に付き添う。家に帰りたがる。施設の職員の人々は良くしてくれるので有り難い。

帰途、谷中にて、古くからの友人と懇談。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2014年6月 8日 (日)

天地の神・天神地祇について

わが國の神は天の神・地の神、陽の神・陰の神とに系統が分かれる。『古事記』冒頭に「天地の初発の時、高天原になりませる神の御名は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)。次に高御産巣日神(たかみむすびのかみ)。次に神産巣日神(かみむすびのかみ)」と記されてゐる。この三神を造化の三神と言ふ。天地宇宙の根源の神であり生成の神である宇宙大生命の神である。高御産巣日神は陽の神であり、神産巣日神である。

そして、國土生成の神であられる伊耶那岐命・伊耶那美命は、伊耶那岐命が男性神・陽の神であり、伊耶那美命が女性神・陰の神である。伊耶那岐命が筑紫の日向の小門の阿波岐原で身禊をされた左の目を洗はれた時になりませる神が天照大神である。鼻を洗はれた時になりませる神が須佐之男命である。

天照大神の系統の神様が天の神である。天照大神の御孫であらせられ、地上に天降られて地上を統治される神が、皇室の御祖先である邇邇藝命である。

また、天照大神の弟君である須佐之男命の系統の神様が地の神である。須佐之男命の子孫の神が國土の神であり、邇邇藝命に「國譲り」をされた大國主命である。そして、神武天皇をはじめとした御歴代の天皇は、天の神・地の神の霊威を身に帯びられて國家を統治されて来てゐる。

全國各地に、天照大神をお祀りした神社、須佐之男命をお祀りした神社がある。わが國民は、天の神・地の神を共に敬って来た。これを天神地祇と言ふ。農耕生活を営む上において、天の恵み(太陽)と地の恵み(土と水)は欠かすことができないので、わが國の祖先は天神地祇を篤く信仰したのである。

「天地の神」「天神地祇」と言ふやうに、日本人は、天の神・地の神を対立して考へず、一体のものとしてとらへた。天の神・地の神として全てを包み込んでしまひ、漏れ落ちることがないといふのが日本人の伝統信仰である。

前述した如く、地の神である須佐之男命も、天の神である天照大神の弟神であられる。天の神も地の神も根源的には姉と弟であり一つなのである。

須佐之男命は、天照大神に反抗して高天原で大暴れするけれども、出雲の國に天降ると、豊饒の神となって、民を助ける。日本人は「天と地」・「善と悪」を厳しく峻別するといふ考へ方はなく、「悪」も見直し・聞き直しをすれば「善」となるといふ寛容にして大らかな精神を持ってゐる。

キリスト教などの一神教では天と地とは隔絶した存在であり、人間がこの世から天國へ行くのは簡単ではない。イエス・キリストを神の一人子として受け容れ、信仰し、他の宗教を捨て、原罪を悔い改めなければならない。

しかし、わが國の伝統信仰においては、天と地とは隔絶した存在ではないととらへてきた。わが國が四方を海に囲まれてゐて、水平線をよく見ることができる。水平線の彼方は海と空とが一体になってゐる。故に空のことも「天(アマ)」と言ひ、海のことも「アマ」と言ふ。日本人は、天地は一如であると観察してゐたのである。

 

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千駄木庵日乗六月八日

午前は、諸雑務。

『月刊日本』連載の「萬葉集」評釈原稿執筆。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後も、原稿執筆・脱稿・送付。『政治文化情報』の原稿執筆。

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伊勢参宮記 その三

続いて荒祭宮参拝。荒祭宮は内宮の第一別宮と言はれ、天照大御神の荒御魂をお祀りする。荒御魂とは、神の荒々しい側面、荒ぶる魂とされる。神宮司庁編集の『お伊勢まいり』には、「御神霊の積極的・進取的・活動的方面をとりたてて拝する神霊」と説明されてゐる。神前に立つと、神威が赫々とそして沸々と発現してゐるのことを実感した。言ふに言はれぬ雰囲気であった。参集殿にて少し休憩。宇治橋を渡り退出する。

 

そして、皇大神宮別宮の月讀宮に参拝。天照大御神の弟神であらせられ、月の神であられる月讀命をお祀りしてゐる。月讀荒御魂宮、月讀宮、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮の四宮が並んで鎮座してゐる。静かなる雰囲気。

 

宇治山田駅から近鉄線に乗り帰京。久しぶりに伊勢参宮をさせて頂き、まことに有難かった。

 

遠つ御代より受け継ぎ来たりし神の宮 今御前にぞぬかづきにけり

日の本の國に生まれ来し喜びを思ひつつ歩む伊勢の神垣

光満つる神宮の道を歩み行く神の御稜威に生かされし我

伊勢の宮居 新しき光かがよへり民族の命よみがへる如

神ゐます宮居を拝ろがむ時にしも新たなる力湧きて来るなり

日の御旗はためく彼方にかがよへる緑美しき神路山かな

初夏の日に照らされかがよふ神路山にひるがへるなる日の御旗かな

さはやけき風吹き来たる神宮の道歩み行きあらたまる心

御裳濯川清き流れに手をひたす 日の本の民と生まれ来し我

御裳濯川の流れ久しく絶えずして大日の本の國は盤石

今此処がまさに神代と思はるる御裳濯川のほとりに立てば

生き生きと神の霊気が満ち満つる荒祭宮の御前にぞ立つ

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千駄木庵日乗六月七日

午前は、諸雑務。

正午より、青山霊園にて、『嗚呼無名烈士九十年忌墓前法要』執行。無名烈士遺言奉読が行われた後、僧侶の導師により、読経、焼香が行われた。そして、犬塚博英氏が呼掛け人代表挨拶、頭山興助氏が施主挨拶を行った。

この後、近くの会議室にて記念座談会が開かれた。そして、懇親会が開かれ、談論風発。

帰宅後は、原稿執筆。

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2014年6月 6日 (金)

伊勢参宮記 その二

六月三日朝、宿舎を出発。伊勢皇大神宮(内宮)宇治橋を渡り行く。五十鈴川の清き流れを見る。また緑濃き神路山と日章旗を仰ぐ。伊勢皇大神宮に参拝させていただく度に、この美しき景色を眺めると、本当に日本人として生まれて来た喜びをしみじみと感じる。五十鈴川御手洗場に至る。五十鈴川の清き流れに手をひたす。

御正殿に参拝。石段を上り、外玉垣(とのたまがき)南御門前にて謹みて参拝。皇室の御安泰と祖国の隆昌を祈念し奉る。御垣内を拝すると、此処がこのまま「神代即今」「此処がこのまま神代」を実感する。まさに「聖なる地」「清浄の地」である。

御祭神は、天照坐皇大御神(あまてらしますすめおほみかみ)。太陽神であらせられると共に、皇室の御祖先神、そして日本国民の親神であらせられる。故に、伊勢の皇大神宮は、日本国の総氏神と崇められる。

天照大御神は、『古事記』によると、伊耶那岐命が、筑紫の日向の橘の阿波岐原で禊祓へされた時、左のみ目を洗ひたまひし時になりませる神である。右のみ目を洗ひたまひし時になりませる神は月読命、鼻を洗ひたまひし時になりませる神は須佐之男命である。

『日本書紀』には、「伊耶那岐命・伊耶那美命、共に議(はか)りて曰(のたま)はく、吾すでに大八洲國及び山川草木を生めり。いかにぞ天の下の主たる者を生まざらむや、と。ここに共に日神(ひのかみ)を生みます。大日孁貴(おほひるめのむち)と號(まを)す。此の子(みこ)、光華明彩(ひかりうるは)しくして、六合(くに)の内に照り徹る」と記されてゐる。

天照大御神は、大日孁貴尊(おほひるめのむちのみこと)とも申し上げる。太陽を神格化した御名である。「ヒルメ」は光り輝く意で、「メ」は女神の意である。

天照大御神は、女性神であるから武を尊ばれないといふ事は絶対にない。弟神の須佐之男命が高天原にお上りになって来た時、「善(うるは)しき心ならじ」と思し召され、弓矢で武装され、大地を蹴散らして雄叫びの声をあげられた。また、女性天皇も、斉明天皇などは戦ひの先頭に立たれた。

伊勢の神宮御正殿の建築様式を「唯一神明造」といふ。弥生時代の高床式の穀倉形式である。素朴であり、何の豪華さもない。しかし、いふにいはれぬ清浄さと威厳がある。日本文化の簡素さと清浄さを体現する建物である。日本人の信仰精神の結晶である。

神を祀る社殿のことを祠(ほこら)といふは、穂倉(ほくら)に由来するといはれる。人々の生命の根源である稲などの穀物の収蔵庫は神聖視されたので、神のまします建物が穂倉の形になったのであらう。

皇位のみしるしであり、天皇国家統治の三大要素をあらはす「三種の神器」の一つである八咫鏡は、伊勢の神宮に御神体として祀られ、草薙剣は熱田神宮に御神体として祀られ、八坂瓊曲玉は宮中に伝へられてゐる。

八咫鏡は、天照大御神が岩戸にお隠れになった時、石凝姥命(いしこりどめのみこと)がお造りした。天照大御神の神霊の依代(よりしろ)として天孫降臨後、宮中に安置され、垂仁天皇の時代に伊勢に移されたと伝へられる。皇位継承のみしるしとして宮中賢所(かしこどころ)に代りの鏡がまつられてゐる。

『日本書紀』には、天照大御神が天忍穂耳命(あまのほしほみみのみこと・邇邇藝命の父神)に「宝鏡」を授けて、

「視此宝鏡、当猶視吾、可与同殿共殿、以為斎鏡」(この鏡を視まさむこと、まさに吾を視るがごとくすべし。ともに床(ゆか)を同じくし殿(おほとの)を共(ひとつ)にして、斎鏡(いはひのかがみ)とすべし)

と命じられたと記されてゐる。

『古事記』には、邇邇藝命が天降られる時、天照大御神が、三種の神器を副へて、

「これの鏡は、もはら我が御魂として、吾が前を拝(いつ)くがごと、斎(いつ)きまつれ」(この鏡こそはもっぱら私の魂として、私の前を祭るやうにお祭り申し上げよ)

との御神勅を下されたと記されてゐる。

「八咫鏡」は、天照大御神の依代(よりしろ・神が顕現する時の媒体となるもの)として拝まれるのである。

『日本書紀』には、鏡を作って日の神の御像としたことが記されてゐる。鏡は三世紀代の古墳から発見されてをり、その頃には太陽神(日の神)祭祀に用いられてゐたと思はれる。太陽に鏡を向けると、その鏡は太陽と同じようにまぶしく光り輝くので、鏡は太陽神を象徴するのに最もふさわしいものであったと考へられる。

鏡は太陽の光を反射させるので、太陽神も鏡に宿るとされたと思はれる。祭祀によって「高天原を地上へ」「今即神代」といふ信仰が実現する。その時に「鏡」が重要な役目を持つのである。

 

天照大御神は、丹波・紀伊・吉備などの各地をお巡りになった後、第十一代・垂仁天皇二十六年の九月、皇女・倭姫命が御杖代となられ、伊勢の五十鈴川上の現在地に祭られるやうになった。

宮中には、宮中用の御鏡が鋳造せられ、それを御神体として賢所・内侍所と称される神殿に奉斎され、今日に至る。

天照大御神はなにゆへ伊勢の地に祭られたのであらうか。それは、伊勢の地が、大和朝廷の都があった大和盆地の東方にあたり、「日出づる地」であったからであり、大和国の日の神信仰の聖地である笠縫邑から東方に直線で結ばれる地であるからあらう。

伊勢の地は、まさしく日の神を祭祀するにふさはしい地であった。事実、伊勢・志摩地方には古くから太陽神祭祀を行っていた形跡があるといふ。

『日本書紀』には、天照大御神御自ら、「是の神風の伊勢國は、常世(とこよ)の浪の重波(しきなみ)歸(よ)する國なり。傍國(かたくに)の可怜(うま)し國なり。是の國に居らむと欲(おも)ふ」(この神風の伊勢の國は、永遠の世からの波がしきりに打ち寄せる國である。大和の脇にある麗しい国である。この国に居りたいと思ふ)と宣言されたと記されてゐる。

 

ご正殿参拝を終へ、荒祭宮に向かふ。途中に、御稲御倉(みしねのみくら)、外幣殿(げへいでん)がある。御稲御倉は、御稲御倉神(みしねのみくらのかみ)をお祀りする祠である。祠といふことは穂倉であり、神宮神田で収穫された抜穂の御稲が納められてゐる。外幣殿は、古神宝類が納められてゐる。どちらも、唯一神明造(高床式の穀倉から神殿に昇華した建物)である。

 

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宇治橋から仰ぐ神路山

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五十鈴川と日章旗

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御正殿

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五十鈴川御手洗場

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千駄木庵日乗六月六日

午前は、諸雑務。

午後は、施設に赴き、母に付き添う。施設のケアマネージャーなどと種々相談・打合せ。

帰宅後は、原稿執筆。

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2014年6月 5日 (木)

伊勢参宮記 その一

六月二日朝、東京を出発。昼ごろ、近鉄線伊勢市駅に着く。三輪尚信氏(皇學館大學講師)にお出迎へをいただく。伊勢うどんを食しつつ懇談。伊勢を訪問する度に伊勢うどんを食することにしてゐるが、今回のお店が一番おいしかった。やはり地元の方に連れて行っていただくのが一番良い。

そして三輪氏と共に、豊受大神宮(外宮)参拝。参道を歩み行き、ご正宮に至る。謹みて参拝。多くの方々が参拝に来てゐる。

豊受大神宮は、第二十一代雄略天皇の二十二年にご鎮座と承る。豊受大御神は、御饌都神(みけつかみ)即ち五穀の神・衣食住・産業の神と仰がれる。はじめは、丹波國比治の眞名井が原といふ所に鎮座されてゐたが、雄略天皇の御夢に、天照大神のお告げがあり、そのお告げを体して皇大神宮の近くの山田原に神殿が造営されたと言ふ。

太陽が存在しなければ万物万生は生存しない。また祖先や親が存在しなければ子孫は生まれて来ない。皇大神宮に祀られてゐる天照大御神は、皇室の祖先神であると共に、万物万生の生命の源の神であられる太陽神であられる。即ち、天照大御神は、わが國伝統信仰の最高神・大親神として崇められる。豊受大御神は、天照大御神お召し上がりになる大御饌(御食べ物)の神であらせられる。そして全ての生き物は、食べ物がなければ生きて行けない。豊受大御神は、全日本人が食する食べ物の神であらせられる。

矢野憲一氏は「生きていく、生かせていただく最大にして最小の要素が、内宮と外宮の御神徳に集約され、日本人として、いや人間として感謝すべき源が伊勢でおまつりされているのです」(『私たちの伊勢神宮』)と論じておられる。

真弓常忠氏は、「(天皇が天照大御神に新穀を奉られるのと同様に)天照大御神もまた、この新穀を聞しめすにあたって、サバをサバの神に奉られる。皇大神宮にとってサバの神に相当するのは、御饌都神である豊受大神宮にほかならない。ここに外宮先祭の理由がある」(『大嘗祭』)と論じておられる。「サバ」とは神に奉る食べ物のことであらう。

「せんぐう館」参観。「せんぐう館」は「第62回神宮式年遷宮を期して、社殿造営・御装束神宝奉製の技術を展観し、我が国が誇る技と心の精華を永く後世に伝える理念のもと『せんぐう館』を創設しました。当館は20年に一度行われる神宮式年遷宮を通じて、広く我が国の伝統・文化を伝え、日本人の営みと精神文化の中心にある神道の継承をめざします」との目的で創設された博物館である(案内書)。「御装束神宝調製工程品の紹介」「渡御御列模型」「外宮殿舎配置模型」「外宮正殿原寸大模型」などを拝観。

「外宮正殿原寸大模型」は、外宮正殿東側の4分の1部分を原寸大で再現した模型。内宮及び外宮正殿に見られる建築様式は「唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)」と呼ばれてゐる。特徴は高床・切妻の建物で、萱葺の屋根に千木と鰹木が付いてゐること、柱はすべて根元を地中に埋めた掘立式であることなどといふ。弥生時代の高床式倉庫(掘立小屋)が発展したものと考へられてゐる。稲作文化の國日本の神を祭るに相応しい神殿の造り方である。

また、企画展示「出口延佳―神道は日本の道なり―」を見学。出口延佳(でぐち・のぶよし)は江戸時代前期の外宮神主で、生誕400年に際して著述や功績から神宮や神道を考え その業績を紹介してゐた。出口延佳は本居宣長など近世国学者に影響を与へた人と言ふ。

皇學館大學に赴く。岡田芳幸教授のご案内で佐川記念神道博物館参観。この博物館は、「我が国の歴史・文化の源泉である神道及び神社の紹介を通じ、日本の文化及び歴史・伝統・信仰・思想等の様子を正しく伝える目的のもと、皇學館大学が平成元年に設置、同4年1026日開館した大学付属の博物館施設」(案内書)である。谷省吾氏の「開巻の日を迎えて」といふ文章によると、「祭祀にテーマを絞り、祭祀の基本形として共通・一貫しているものを理解させる展示が行われ、また、佐川清氏の篤志を戴い竣工した」(要約)といふ。

 

「神饌(しんせん)」「神社の祭祀」「郷土関係資料」などのテーマの分けて色々な文物が展示されてゐた。「春日祭神饌」「住吉大社本殿御帳台」「御菅蓋(おかんがい)(大嘗祭で、天皇陛下に差し掛けられる御菅笠)「那智の火祭りの松明」「皇大神宮宇治橋古材」「伊勢歌舞伎衣装類」などまことに貴重な品々を拝観。日本伝統信仰である「神ながらの道の祭祀」について実態に即して理解を深めることが出来の展示であった。「住吉大社本殿御帳台」は、即位の大礼で、上御一人日本天皇が着座される高御座にそっくりであった。ご説明下さった岡田芳幸教授に感謝します。

 

宿舎に戻る。厚さ厳しき日に、小生のためにご案内下さった三輪尚信氏に心より感謝の誠を捧げます。

             ○

 

伊勢の宮の新しきみあらかの輝きは大日の本の光なりけり

 

新たなるみやしろの前にたたずめば神の光に包まれる思ひ

 

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千駄木庵日乗六月五日

午前は、諸雑務。

昼は、知人と懇談。内外の諸情勢について意見交換。

この後、在宅して資料の整理、原稿執筆など。

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伊勢の神宮の神殿と日本伝統信仰

わが国傳統信仰は稲作文化から発生した。この度、伊勢に参宮し、皇大神宮ご正殿・御稲御蔵・外幣殿を拝し、神殿そのものが、日本伝統信仰の結晶であることをあらためて、認識した。神話の世界がそのまま、神殿に投影されてゐると実感した。

 

原初、わが国の伝統信仰には神殿は無かったとされてゐる。日本の神々は、祭祀が行はれる時に、神が居られるところから降臨されて、樹木や石などに依りつき、祭祀が終了すると元の所に戻られるとされる。今日の祭祀においても、降神の儀・昇神の儀が行はれてゐる。だら本来神殿は無かったとされる。大神神社は今日においても、三輪山そのものが御神体であり、神殿はない。

 

何故神殿が造られるやうになったのか。榎村寛之氏は「自然神から人格神に発展する過程で発生した」(『古代・律令体制の造替の開始』)と説いてゐる。これも一つの考へ方であるが、時代の推移と共に、自然に神殿が造営されるやうになった。

 

稲作文化の国である日本の最高神をお祀りする神殿は、稲穂を収蔵しておく穂倉の形になったのであらう。「唯一神明造」と言はれる皇大神宮ご正殿・豊受大神宮ご正殿・御稲御蔵・外幣殿は、檜の素木造(しらきづくり)の掘立式(柱の素を直接地中の埋めて作る方法)で造営されており、屋根は茅葺である。稲を収蔵しておく高床式の弥生時代の穀倉の形である。神が祀られている建物を祠(ほこら)と言ふ。それは穂倉(ほくら)の音が変化して言葉であらう。

 

 

日本人が生きてゆくために食する穀物を納める蔵の形に神殿が造られてゐるのである。まさに日本の神々は命の本源なのである。太陽神といふ自然神をお祀りする神殿が穂倉・穀倉の形をしているといふことは、必ずしも日本の神が自然神から人格神に発展したから神殿が建てられるやうになったとは言へないのではなからうか。

 

日本は稲作国家であるから、その国の最高神を祭る神殿が穂倉の形になるのは自然のことであった。稲に生育にとって太陽の光と熱は不可欠である。太陽は、稲の生育の原動力であり、且つ、人間の生命の原動力である。従って、太陽神たる天照大神の御神霊と、稲の霊とは不離一体であるのである。

 

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2014年6月 4日 (水)

千駄木庵日乗六月四日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆の準備など。

この後、施設に赴き母に付き添う。二日ぶりだったが、母は比較的元気だったので一安心。

帰宅後は、資料の整理。

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伊勢皇大神宮は日本人の信仰精神の結晶である

 伊勢の神宮御正殿の建築様式を「唯一神明造」といふ。弥生時代の高床式の穀倉形式である。素朴であり、何の豪華さもない。しかし、いふにいはれぬ清浄さと威厳がある。日本文化の簡素さと清浄さを体現する建物である。日本人の信仰精神の結晶である。

 

神を祀る社殿のことを祠(ほこら)といふは、穂倉(ほくら)に由来するといはれる。人々の生命の根源である稲などの穀物の収蔵庫は神聖視されたので、神のまします建物が穂倉の形になったのであらう。

 

稲作は、日本人にとって、天照大御神の「みこともち(御神勅)」によって天照大御神の「ことよさし(御委任)」を受けたところの神聖なる「なりはひ」である。稲作生活そのものが神聖なる行事なのである。

 

稲穂にとって太陽の光と温熱は、生命の原動力である。稲などの穀物は、太陽の光明温熱がなければ発育しないので、自然に日の神祭祀と穀霊祭祀が二つながらに発展し、豊かにし、洗練され、高度化され、統一されて行ったと思はれる。

 

皇祖神たる日の神の神霊と、稲の命たる稲穂の靈(穀霊)とは一体となった。日靈・祖靈・穀靈は一体の関係にある。国民一人一人も、穀靈・日靈・祖靈の神霊に生かされてゐるのである。

 

日本民族の主食である稲穂の「ホ」とは、日であり火であり穂であるとされる。皇室の祖靈であらせられる火照命(別名・火須勢理命、邇邇藝命の御子) 火遠理命(別名・彦火火出見尊、邇邇藝命の御子)の「ホ」は、穂であり火であり日である。つまり、皇室の祖靈は稲穂の靈であり太陽神の靈であせられる。

 

 天照大御神は、「以吾高天原所御斎庭之穂、亦當御於吾兒」(吾が高天原に所御(きこしめ)す斎庭の穂を以て、亦吾が兒(みこ)に御(まか)せまつるべし・わが高天原に造ってゐる神に捧げる稲を育てる田の稲穂をわが子にまかせよう)といふ神勅を下された。「日本国の統治者たる天皇は常に稲穂の豊饒を最高の使命とすべし」とご命令されたのである。

 

天照大御神は、日神・穀霊・皇祖神としての御神格を有せられる。ゆへにその生みの御子たる天津彦彦火邇邇藝命も日神・穀靈を体現されるのである。高天原の主神たる天照大御神の生みの御子たる天皇が豊葦原瑞穂國の主であらせられると拝するのは、ごく自然な信仰である。

 

『日本書紀』には、物部大連尾輿と中臣連鎌子が、欽明天皇に奏上した言葉として、「我が国家(みかど)の、天下に王(きみ)とましますは、恒に天地社稷(あまつやしろくにつやしろ)の百八十神(ももあまりやそかみ)を以て、春夏秋冬、祭拝(まつ)りたまふことを事(わざ)とす。」と記されてゐる。

天皇は祭祀主として日本国を統治されるのである。天皇の神聖権威の根源は祭祀主たることにある。

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千駄木庵日乗六月三日

朝、宿舎を出発。

伊勢皇大神宮(内宮)参拝。御正殿、荒祭宮参拝。

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神路山と大日章旗

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五十鈴川の御手洗場

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御正殿前

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御正殿前

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参道

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御稲御蔵

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外幣殿

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荒祭宮

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荒祭宮

そして別宮の月読宮参拝

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月読宮

                 ○

午後、帰京。

夕刻、同志と懇談。

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千駄木庵日乗六月二日

朝、東京を出発。

昼、伊勢に到着。三輪尚信氏(皇學館大學講師)のお出迎えを戴く。懇談。そして三輪氏と共に、豊受大神宮(外宮)参拝。遷宮館参観。

皇學館大學に赴く。岡田芳幸教授のご案内で佐川記念神道博物館参観。

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豊受大神宮御正殿

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豊受大神宮御正殿

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豊受大神宮勾玉池

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2014年6月 2日 (月)

『天壌無窮の御神勅』と吉田松陰先生

吉田松陰は、安政六年四月頃、萩獄中に於いて記した『坐獄日録』に、「吾幼にして漢籍にのみ侵淫して、尊き皇國の事に甚だ疎ければ、事々恥思ふも多けれど、試みに思ふ所と見聞する所を挙げて自ら省み且同志の人々へも示すなり。抑々皇統綿々千万世に伝りて、変易なきこと偶然に非ずして、即ち皇道の基本亦爰にあるなり。蓋し天照大神の神器を天孫瓊瓊杵尊に伝へ給へるや、宝祚之隆与天壌無窮の御誓あり。されば、漢土天竺の臣道は、吾知らず、皇國に於ては、宝祚素より無窮なれば、臣道も亦無窮なること深く思を留むべし」と記してゐる。純日本精神への回帰である。

 

安政六年五月、松陰は幕府の命により江戸に送られた。出発直前の五月十八日、松陰に代って松下村塾の教育に当たる事となった小田村伊之助(後の楫取素彦)に宛てた手紙に記された言葉が「至誠にして動かざる者未だ之あらざなり。…願はくは身を以て之を験さん。乃ち死生の大事の如きは、姑くこれを置く」である。

 

松陰は、安政六年六月二十四日に江戸に到着。長州藩邸の獄につながれる。七月九日、幕府評定所の呼び出しがあり、幕吏の尋問を受け、伝馬町の獄に入れられ、以後、幕吏の尋問を受けた。

 

八月十三日付の久保清太郎・久坂玄随宛の松陰の手紙には「天下の事追々面白くなるなり。挫する勿れ。神州必ず不滅なり」と書かれてゐる。

 

十月十一日付の堀江克之助宛の手紙には、「天照の神勅に『日嗣之隆(あまつひつぎのさかえまさんこと)、与天壌無窮(あめつちときはまりなかるべし)』と之有り候。神勅相違なければ日本は未だ亡びず、日本未だ亡びざれば正氣重ねて発生の時は必ずある也。只今の時勢に頓着するは神勅を疑ふの罪軽からざるなり」と記し、

 

「皇神(すめかみ)の誓おきたる國なれば正しき道のいかで絶べき」

「道まもる人も時には埋もれどもみちしたゑねばあらわれもせめ」

の二首の歌を書いた。

 

吉田松陰はさらに、安政六年十月二十日付の故郷の父母や叔兄に宛てた手紙において、「幕府正議は丸に御取用ひ之なく、夷狄は縦横自在に御府内を跋扈致し候へども、神國未だ地に墜ち申さず、上に、聖天子あり、下に忠魂義魄充々致し候へば、天下の事も余り御力落し之なく候様願ひ奉り候。」と書き記した。

 

吉田松陰は、『天壌無窮の神勅』に絶対的な信を置いていた。これらの手紙・日記は、獄中にあってもなほ「神州不滅」を信ずる松陰の不撓不屈の精神が表白されており、松陰の偉大さを証明してあまりあるものである。

 

松陰はこれらの手紙で祖國がいかなる危機に遭遇していようとも「天壌無窮の神勅」は絶対に相違することはないという揺るぎない絶対的信を、松陰のその死の直前に吐露している。

 

天照大御神が、瓊瓊杵尊に下された『天壌無窮の神勅』には「葦原千五百秋瑞穂の國は、是、吾が子孫の王たるべき地なり。爾皇孫、就でまして治らせ。行矣。宝祚の隆えまさむこと、当に天壌と窮り無けむ」と、天皇を統治者と仰ぐ日本の國體が端的に示されている。

 

死罪となり死地に赴くという絶望的状況にあって、天皇國日本は永遠不滅であると確信する吉田松陰は、真の愛の尊皇愛國の士であった。尊皇精神無き攘夷はあり得ないし、あってはならないのである。

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千駄木庵日乗六月一日

午前は、諸雑務。

午後二時より、上野寛永寺にて、『大行社総師 故 岸悦郎氏十三回忌法要』執行。導師による読経の後、焼香が行われた。そして丸川仁氏が謝辞を述べ終了した。多くの方々が参列し、盛大にして厳粛なる法要であった。

岸悦郎氏には、生前大変お心にかけていただき、いまだ若輩であった小生に大行社顧問の大任を仰せつかった。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、明日からの地方出張の準備など。

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