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2014年5月13日 (火)

石原慎太郎氏の尊皇精神なきナショナリズム・国家主義は危険である

平成十九年十二月二十二日の『千駄木庵日乗』に小生は次のようなことを書いた。

                   ○

「平成十八年十二月二十一日の『朝日新聞』に、石原慎太郎都知事が、『二〇一〇年の夏季五輪招請組織の名誉総裁に皇太子同妃両殿下にご就任をお願いする』意向を示したという記事が載っていました。その後、このことがどうなったか知りませんが、私はそういうことをお願いすべきではないと思います。もしも万一、招請できなかったら、皇室にご迷惑がかかる事態になるのではないでしょうか。こういう先行き不透明な問題、しかも、他の国との競争をしなければならない事、まして、都知事選の争点にもなる問題に、皇室にお関わりいただくのは慎むべきであると思います。

石原氏の都知事としての実績は大いに評価しますし、彼の国防問題・外交問題などに対する姿勢は高く評価します。民主党推薦の変な人が都知事になるよりは石原氏の三選の方がよっぽど良いと思います。しかし、石原氏の皇室への姿勢はいささか問題があると思います」。

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石原慎太郎氏は、『文学界』本年三月号において、「皇室にあまり興味はないね。僕、国家歌わないもん。国歌を歌うときはね。僕は自分の文句で歌うんです。『わが日の本は』って歌うの」と発言した。

石原氏は、尊皇精神が全くない人物であることがいよいよ明白になった。しかも、政治的には皇室天皇を利用し奉るのだ。天皇・皇室を冒瀆し奉る人物である。「いささか問題がある」どころではない。実に許し難い。

 

先日、ある方と懇談をしていて、心に残る話を聞いた。その方は、「日本の現状を憂え祖国を守る戦いは重要だが、その根幹にしっかりとした尊皇精神が無ければならない。明治維新は、『尊皇攘夷』を基本理念にした戦いであった。今日も戦いもそうであらねばならない」と語っていた。全く同感である。

尊皇精神なくして真の維新が断行できるはずがない。尊皇精神と攘夷は一体である。石原慎太郎氏の尊皇精神なきナショナリズム・国家主義は危険である。

 

 

 

「尊皇攘夷」の精神が確立されていないで、真の攘夷も維新も出来るはずがない。尊皇精神無き攘夷論は危険である。その典型が石原慎太郎氏である。

 

 

「尊皇攘夷」の精神が確立されていないで、真の攘夷も維新も出来るはずがない。尊皇精神無き攘夷論は危険である。その典型が石原慎太郎氏である。




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