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2014年5月 2日 (金)

憲法を論ずる大前提

憲法をはじめとした成文法及び國家機関の正統性は、天皇を中心とする日本國體の上に立脚しているところにある。天皇の正統性は成文憲法に立脚するのでは断じてない。

 

憲法には成文法と、不文憲法がある。わが国における不文憲法は、日本の國體、歴史、傳統そのものである。わが日本國の國體は天皇中心の國柄である。これに対し、實際の政治をどのような體制で行われているかを政體という。

 

わが國は有史以来、天皇親政、摂関政治、幕府體制、立憲君主制という歴史を経てきた。しかしどのような政治體制であろうともこの根本には「天皇中心の祭祀國家」という不文法としての國體が厳然として続いていた。

 

 不文法=國體法とは成文憲法の基礎であり、「國家の根本法の根本法」とも定義づけることができる。これに対して政體法とは、國體法の基礎の上に定められた國家の統治組織や國家活動の原則や國民の權利義務などに関する基本的な定めを総称する。不磨なのは國體法であり、政体法は民の幸福のためにどんどん改定されるべきである。

 

 天皇が日本國の君主であらせられるという國體法(不文法)は日本國建國以来不変である。天皇は日本の長い歴史を通じて「統治者」として君臨されていたということである。

 

歴史上、天皇の國家統治の實相が隠蔽された時期があった。しかしこれまで行われた日本の変革は、天皇の統治の實相を正しく顕現せしめる運動であった。

 

 この様な日本國の國體史・政體史を見てくれば、天皇及び皇室そしてそれを中心とする日本國體は、成文法としての憲法などの世俗的な法律を超越しており、成文法は國體および皇室に干渉することはできないのである。

 

 わが日本は國家の本質と君主たる天皇の御本質が建國以来、信仰的に厳然と確立している。これを法律的に言えば、不文法によって定まっているということである。故に成文憲法でそれを変革することはできないし、成文憲法は不文憲法(立國の基本)に反する規定をしてはならない。西洋から輸入した近代法思想に基づく成文憲法によってこの立國の基本を覆したり破壊したりしてはならない。 

 

 しかるに、現行占領憲法では、前文で「主權が國民にあることを宣言し」、第一条には「主權の存する日本國民の総意に基づく」という規定がある。これを根拠にして「日本は君主制の國ではないと」する意見がある。これは有史以来の國體を根本から否定する論議であるが、こういう議論が起こり得るところに現行憲法の重大欠陥がある。後藤田正晴はこうした思想の持ち主であった。 

 

 日本國の歴史と傳統すなわち不文法において、天皇中心の共同體を確立しているわが國で、成文憲法に共和制ともとれるような表現があるのは絶対に許されない。ゆえに現行占領憲法は否定されなければならない。

 

日本國家の生成は記紀神話で伝えられている。記紀によると、國家成立の三要素たる國土・君主・國民は、伊耶那岐命・伊耶那美命二神から生まれ出た存在であり、命の源を一つにする「はらから」である。天皇と國民の関係は、支配・被支配の関係ではないのである。祭祀主たる天皇は、國民を支配し隷従させたのではなく、信仰的権威(これを御稜威という)によって統率し統一したのである。信仰共同體・祭祀國家は、単に理念的な存在もっと言えば架空にして抽象的な存在ではなく、海という大自然をめぐらし、その中において稲作を中心とする農耕を営み、村落共同體から民族共同體へと生成発展してきた存在なのである。

 

日本神話は天皇中心の日本國體を、「豊葦原千百秋之瑞穂國は、天照大御神生みの御子すなわち日本天皇の統治される國」と表現したのである。

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