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2014年5月 4日 (日)

数寄屋橋のお寿司屋さんのこと

今夕、友人と懇談した焼鳥屋さんの店員さんの話によると、我が国総理と某国大統領がその焼鳥屋さんの隣にある寿司屋に来た時、警察犬までがビルの地下に入ってきたという。また百人くらいの報道陣や警護の人が狭い廊下にたむろしたという。二人の要人がその寿司屋に来ることは前日夕方になって知らされ、すでに予約客もいたので休業にすることもできなかったという。

 

このビルは、私も以前はよく来た。昔、私の好物のきし麺屋があったからである。二十年くらい前、『夕刊フジ』にマグロのうまい店という事で、その寿司屋が紹介されていた。よく行ったきし麺屋の隣だし、古いビルの地下なのでそう高くはないだろうと高を括って入ったのが大間違い。大変な金額を取られた。たまたまお金を持っていてよかったと店を出てから安堵の胸をなでおろした。

 

卵焼きが何時も寿司屋で食べる「だし巻」ではなく、ふんわりしたカステラのような卵焼きだったので、「これは子供の頃よく遠足や運動会で食べた卵焼きだ」と言ったら、その寿司屋のご主人が「これが本当の寿司屋の卵焼きだ」と言って、作り方を説明してくれた、と言うよりも、お説教された。

 

その頃は、それほど有名店ではなかったので、客は私一人であった。味もよく覚えていない。あまりに高額だったので忘れてしまった。ご主人も無愛想の典型で、あまりいい感じはしなかった。

 

この寿司屋のあるビルは、終戦時の東部軍管区司令官・田中静壱陸軍大将の副官をしていた塚本清氏(陸軍大佐)が経営する企業の持ちビルである。田中司令官は、生長の家の信徒で、自決された時、観音経と生長の家のお経である「甘露の法雨」が枕元に置かれていた。田中静壱司令官は、昭和天皇の命を受け、終戦に反対して皇居を占拠し、玉音放送の録音盤を奪取しようとした青年将校を命懸けで説得した。このことは、塚本氏の著書である「ああ皇軍最後の日」に詳しく書かれている。

 

戦後、実業家として成功した塚本清氏は、日蓮正宗の信徒で、一時期、創価学会の財務部長や顧問もつとめられたが、池田大作氏と対立して辞めた。そして、日蓮正宗宗門に有力信徒として貢献した。

 

その塚本氏の経営する企業の持ちビルには、戦後民族運動の指導者の一人・児玉誉士夫氏が主催していた「交風倶楽部」があった。またその真向かいの数寄屋橋公園では、ほぼ毎日、大日本愛国党の赤尾敏先生が演説しておられた。懐かしい思い出である。

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