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2014年5月31日 (土)

マーティン・ジェイクス氏(ケンブリッジ大学客員研究員)の講演内容

四月二十六日に行われた笹川平和財団主催『マーティン・ジェイクス氏講演会―中国は世界をどう変えるか』における登壇者の発言は次の通り。

 

マーティン・ジェイクス氏(ケンブリッジ大学客員研究員)「中国の経済的抬頭が加速されている。二〇一一年の欧米の金融危機以前と比べると、中国経済はかなり大きくなっている。中国のGDPがアメリカのGDPを追い抜くのは二〇一八年であろう。

 

中国は貿易大国であり、世界最大の輸出国であり、第二位の輸入国。世界の国々の最大の貿易相手国になっていて三分の一は人民元で支払われている。中国の抬頭は金融面でも大変重要。二〇〇九年から十年、中国銀行二行の途上国への融資は世銀を上回った。途上国融資で大変重要な国になった。二〇〇八年まで人民元の国外持ち出しはできなかった。二〇一三年、中国の通商の一八%は人民元で決済されている。人民元は完全な兌換性のある通貨になる。ドルに代わるものになると推測する。

 

多くの国々が中国の抬頭で裨益している。かなりの国が自分の国にとってアメリカより中国の方が重要で、親しくするのが良いと考えている。しかし中国は貧しい。一人あたりのGDPはアメリカの五分の一。経済改革に大きな変化が出て来ている。内需によってより質の高い資本集約的な経済を目指している。

 

一九八〇年には中国経済はアメリカの二十分の一だった。今日、中国経済はアメリカ経済に規模的に近づいている。二〇三〇年に、中国経済は世界経済の三三・四%を占める。アメリカとヨーロッパとを合わせた経済規模になる。

 

西洋では長期間近代とは一元的なものという考え方があった。西洋スタイルが近代化という考えである。西洋ではない國で産業革命を始めた国は日本のみ。ハイブリッド的進化が起こっている。中国を理解するには歴史を理解しなければならない。

 

中国は広大である。しかし社会的バラツキがある。この国は北京から全て統制されているのではない。各省は大変な権力を持っている。大陸的規模の国家を維持するのは大変。遠心力が働いて、国が何時分裂してもおかしくない。香港が一九九七年に一五〇年ぶりに返還された。英国は一国二制度を信じていなかった。国民国家は一制度が伝統。鄧小平は一国二制度を提案した。香港は未だに中華人民共和国とは異なるコモンローを持っている。政府は国民の代表ではない。国民の投票権も複雑。政党制ではない。中国は中国人から見ると大変正統性のある国。中国政府が正統政府として支持されていなければ今日のようにならなかった。

 

中国の進化は欧米とはかなり異なる。中国が大国になったらどんな国になるか、中国人自身も分かっていない。十三億人の人がいる國を統治するのは難しい」。

 

山口昇防衛大学教授「中国は貧富の差が大きくなり、社会的不安が起こるのではないか。中国の軍事費は日本を追い抜き、アメリカに近づいた。しかし実力を過大視する必要なし。日本には蓄積がある。日本には軍事費のみならずインフラにも蓄積がある。中国はグローバルな軍事大国というより地域的軍事大国。アメリカと比肩するにはまだまだ時間がかかる。中国は抬頭し、日本は衰退している。二十世紀は人類にとって恐ろしい世紀・ひどい世紀であった。二十世紀については悲観的ではない。ドラマチックな世紀になるのではないか。発展途上国が主役になる。日本は前向きな見方をすべし。日中と交流して友好時代に入って行くべし。日中はお互いに必要としている」。

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千駄木庵日乗五月三十一日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』原稿校正。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、書状執筆、原稿執筆。

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最近寄贈していただいた書籍

最近寄贈していただいた書籍を紹介します。

               ◎

『中国が世界地図から消える日』 黄文雄氏著 光文社発行 著者より

『われわれ日本人が尖閣を守る 保存版』 加瀬英明氏監修 中村功氏企画 高木書房発行 中川正秀氏より
四宮 正貴さんの写真
四宮 正貴さんの写真

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2014年5月30日 (金)

この頃詠みし歌

青若葉目にしみる初夏の飛鳥山眺めつつ電車を待ちて立ちゐる

皇室に興味はないとのたまへるナショナリストの危うき心

われの住むマンションも次第に一人身の老人増えゆくことの危うさ

六十七歳のわれも老人の一人なりこのマンションに住みて二十年

ともかくも母を慰め元気づける一日一日(ひとひひとひ)を大切にせむ

スカイツリーの新しき光の横に照る月の光はとことはの光

神籬の如くに立てるスカイツリー東京の町に神よ天降れ

ただ一人他人の中で過ごしゐる老人ホームの母よやすかれ

明るき笑顔見せるわが母 時にしてつまらないといふ言葉を漏らす

たらちねの母に会へざる今日の日は心さみしく過ごしゐるなり

老人ホームの部屋に入り行けば拍手して喜びたまふ母のいとしも

雨上がり雲流れ行く夜の空しばしたたずみ眺めゐるかな

激しき雨雷鳴とともに降りにけり天地の穢れを清めたる如(ごと)

待ち人が来らざりければ茶房にてただ一心に本を読みをり

上野なるとんかつ屋が一軒閉じられぬ街の姿もとことはならず

「汚れなき悪戯」といふ映画見しことがわが信仰心の芽生えなりけり

勇ましき歌を詠みたる後にしてコーヒーすすれば心鎮まる

またしても軍事的圧迫加へ来る共産支那から祖国守らむ

侵略国家支那撃ち祓ひ日の本とアジアの平和打ち立てむかな

政治的スローガンの如き歌詠むなといふ声のして筆を止めたり

坊さんが十何人も入り来て宴始めし今宵の酒場

少なくなりし鳩がベランダを歩きゐて窓を開ければ飛び去りにける

ベランダに鳩がうろうろ歩きゐる二羽の鳩なれば番ひなるらし

窓開き床を掃除機で清めなば汗かくこともすがしかりけり

今朝もまた元気よく起き室内の掃除をするがわが習ひなる

朝毎に部屋を掃除するがわが習ひ神州清潔の民たらむとし

たらちねの母の額に手を触れて当病平癒祈りまつれり

微熱ある母を励ます夕つ方老人ホームに入日さし来る

チョコレートを小さく刻み母の口に入れれば母は喜びたまふ

衰へながら日々生きたまふわが母のたまきはる命尊かりけり

わが母の健やかなる日々を祈りたり古きお堂の観音像に

新緑の木々に囲まれし古きお堂 如意輪観世音に祈り捧げぬ

日差し強くなりたる今日は帽子かぶり駅までの道を歩まんとする

父の眠る菩提寺に来て花供へ線香手向ければ心やすけし

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千駄木庵日乗五月三十日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆。

この後、施設に赴き、母に付き添う。やや元気そうなので安心する。

午後六時半より、新宿の「三平」にて、『木村三浩氏を囲む会』開催。出席者全員がスピーチ。木村氏が経過報告と決意表明。数多くの出席者があり、盛大にして有意義な会合であった。

帰宅後も、原稿執筆。

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2014年5月29日 (木)

笹川平和財団主催シンポにおける北京大学教授の発言

本日行われた笹川平和財団主催公開シンポにおいて大変興味深い発言がありましたので報告致します。

 

朱鋒北京大学教授「日本の集団的自衛権行使は容認する。しかし、憲法改正をしないのは日本の民主主義に合わない。また集団的自衛権行使の狙いがが釣魚島であればそれは危険。緊張を増す。釣魚島に日本が軍を派遣すれば、中国も軍を派遣することになる。私は日本の法律改正を尊重する。日本を民主主義国家として尊敬する。しかし釣魚島を想定した法改正には悲観してしまう。

 

東アジアで中国はトラブルを引き起こすのか。国内が一体化することが大事なのに、戦略的忍耐力が必要なのに何故できないのか。その原因は。①中国の三十年間の発展が早すぎた。②中国の外交が国内のナショナリズム抬頭のとりこになっている。中国国民は中国外交が弱腰だと思っている。民意によって外交ががんじがらめになっている。③陸上では十五、海上では七つの国と国境を接しているという中国の特殊性。日本は明治維新以後近代国家に仲間入りした。国際法をきちんと理解している。しかし中国は一九四九年から今日まで、毛沢東の「革命の時代」・鄧小平の「改革開放の時代」・習近平の「中国の夢の時代」を経験している。中国と世界の関係を合理的に考える時代はまだ来ていない。中国外交はおかしな方向に飛んでいく。釣魚島問題は、中国にとって日清戦争後の歴史の一部である。日本は二千年に及ぶ隣国として中国をやさしく見てほしい。中国はまだ十八歳くらいの高校生。反抗期。グローバリゼーションか高まれば中国は成長する。これからの二十年が大切」。

 

干鉄軍北京大学准教授「憲法改正について他国がどうのこうの言うべき事ではない。危機管理にはガイドラインがある。ゼロサムの形で相手の譲歩を求めてはならない。

 

中国は後発組。発展したがダメージもある。既存の体制にとって発展する国は脅威となる。今の中国は発展が早すぎた。自分をどう位置付けるかはっきりしていない。外国に強硬なイメージを与えてしまう。一方、国内では弱腰という批判が起る」。

 

          ◎

共産支那の知識人にはこういう考え方を持つ人もいるということか。これが支那国民全体の共通認識になれば良いのだが…。しかし、共産支那の領土拡張・軍事的覇権確立の動きは世論に動かされているだけではなかろう。

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千駄木庵日乗五月二十九日

午前は、諸雑務。『伝統と革新』編集の仕事。

 

午後二時より、赤坂の日本財団ビルにて、笹川平和財団主催『公開シンポジウム「東シナ海での危機回避に向けた日中対話の必要性」―航行安全をめぐる日中民間対話の試み―』開催。羽生次郎(笹川平和財団会長)、朱鋒(北京大学教授)、中谷和弘(東京大学教授)洪農(中国南海研究院)真山全(大阪大学教授)飯田将史(防衛省防衛研究所主任研究官)于鉄軍(北京大学准教授)李恩民(桜美林大学 教授)による討論そして質疑応答が行われた。

 

帰宅後は、原稿執筆など。

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愛国心・ナショナリズムと尊皇精神・國體観念

維新運動・愛国運動・民族運動・真正保守運動と言われてゐる運動の基本は何か。何を目的としてゐるのか。排外主義と国粋主義とは同じなのか。ナショナリズムと日本伝統精神の関係はどうか。日本主義とは何か。具体的にどういふことを為すべきか。これは重大な問題である。

 

日本精神・日本主義・民族主義・国粋主義・愛国主義・民族精神・日本伝統精神といふやうに維新運動の基本に置く思想の名称も色々ある。それぞれ微妙な違ひがあるやうに思へる。私は、基本にあるべき思想精神は「尊皇愛国」「敬神崇祖」といふ日本伝統精神であると思ふ。

 

「愛国心」とは個人が運命共同体として結集し拡大された鞏固なる歴史的存在意識であるといはれてゐる。「愛国心」といふ言葉が使はれ出したのはおそらく明治以降であらう。「愛国心」「ナショナリズム」といふ言葉は、明治以後外国との交渉や競争が激しくなってきてから顕在化したと言へる。

 

日本民族の国を愛する心の特質は、「尊皇愛国」「尊皇攘夷」といふ言葉もあるやうに、萬邦無比といはれる日本國體精神即ち天皇尊崇の心と一体であるところにある。日本人における愛国心は、日本人一人一人が静かに抱き継承してきた天皇を尊崇しさらに麗しい日本の自然を愛するごく自然な心である。

 

日本人にとって愛する祖国とは本来的には『君が代』なのである。これが日本の愛国心の特質である。ゆえに『国歌・君が代』こそ最大の愛国歌といふことができる。日本における愛国心とは「恋闕心」(「みかどべ」を恋ふる心であり「麗しき山河即ち自然を慈しむ心」である。どちらも「愛」の極致である。

 

そして、防人が「大君の命かしこみ」と歌って以来、蒙古襲来の時は日本神国思想が勃興し、幕末において欧米諸国のアジア侵略を脅威と感じた時も『尊皇攘夷』が叫ばれ、明治以来大東亜戦争に至るまでの内外の危機に際して勃興したのも国体精神である。日本における愛国心・ナショナリズムは尊皇精神・國體観念と一体である。

 

大化改新・明治維新・大東亜戦争を見ても明らかなやうに、日本における変革や国難の打開は、必ず愛国心・尊皇心の興起と一体であった。最近の日本も、愛国心・ナショナリズムが勃興しつつある。そしてそれは尊皇精神。日本伝統精神と一体のものでなければならない。

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千駄木庵日乗五月二十八日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』の原稿執筆。

この後、施設に赴き、母に付き添う。微熱があって落ち着かない。なぐさめるしかすべはなし。

帰宅後も、原稿執筆・脱稿・送付。

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2014年5月28日 (水)

今朝思ったこと

芸能人の覚せい剤事件や、のこぎりで襲われた事件そして韓国の人災による海難事故について毎日毎日報道されているが、共産支那軍によるわが国自衛隊に対する軍事的威圧という国家安全にかかわる重大事案についてはあまり報道されないのはおかしい。日本のメディアの報道姿勢はどうかしている。

 

また、こういう国家的危機が現実になっているのに、日米軍事同盟に反対し、憲法改正や集団的自衛権の行使容認に反対する利敵行為を行っている偏向メディア・政治家は厳しく批判されなければならない。彼らは共産支那の侵略行為・軍事的膨張に対しては口をつぐんでいる。共産支那の手先と言うべきである。特に、自民党政権の中枢にいた連中即ち加藤紘一、野中広務、古賀誠は國體破壊政党=日本共産党の機関紙『赤旗』にまで登場して、まやかしの「反戦平和」論をぶっている。彼らこそ正真正銘の国賊・売国奴と断言してはばからない。

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「東京財団フォーラム・パラドックスは起こっているか?日米韓の思惑を読み解く」における登壇者の発言

四月十一日に行われた『第七七回東京財団フォーラム・パラドックスは起こっているか?日米韓の思惑を読み解く』における登壇者の発言。

 

ジェラルド・カーチス氏「安倍外交を冷静に分析するのを難しくしているのは、安倍側近の発言によって歴史を美化しているという印象を与えていること。大変損をしている。ああいう発言をする側近は首にするとすっきりする。そうしないと、彼らが安倍の本心を話していると思われても仕方がない。南京事件で三十万殺したというのは違うかもしれない。しかし人数を言っても仕方がない。日本に何の得もない。南京事件とホロコーストを比較することに対してドイツで習近平批判があった。慰安婦問題は抗議せずに『悪いことをしました』と言えばこの問題は解決する。野田は森本を防衛大臣にした。自民党も民主党も同じような戦略を追求している。集団的自衛権に賛成している人は民主党にもいる。中国はアメリカと肩を並べる超大国になろうと努力している。アメリカはいくら努力しても一国強になり得ない。この現実を認めたうえで日本外交を考えるべし。力学が変わって来た。尖閣で衝突があった場合、アメリカが守ってくれるか確実ではない。昔は日本が戦争に巻き込まれることを心配したが、今はアメリカが戦争に巻き込まれることを心配している。靖國神社参拝に対する心配の原因はここにある。今までにない日米同盟の難しさ。中国が弱かった頃は、中国は日米同盟に反対しなかった。今は中国が強い。日米同盟を弱めることを考えている。だから、中国は靖国神社参拝を喜んでいる。日本の軍国主義が復活していると宣伝している。オバマと安倍がステージに出て、TPP合意ができたと発表することが成果。そして中国が日米同盟を弱めようとしても無理だということを示す。尖閣問題は棚上げしかない。『係争地ではないが外交問題であるから首脳同士で話し合う』とお互いに言えば、案外早く解決する。鄧小平の棚上げ論に戻す。中韓の発展に日本は貢献した。しかるに日本が攻撃されているパラドックスをどう考えるか。外国人が日本をどう見ているかを客観的に分析して自分を見ることが必要。必要最小限の集団的自衛権を承認するのは当たり前。憲法は生き物と考えているから国民のコンセンサスが変われば解釈も変わる。最終的は公明党も合意する。日本はもっと自信を持つべし。アメリカ人の日本への知識を高めるべし。日本を知ってもらうべし」。

 

川口順子氏「日本が望んでいるのは、アジアと太平洋地域の繁栄と平和。世界経済の機関車たるアジア太平洋で、この地域の平和を維持するのは日本の責任。その事へのリスクは、①北朝鮮問題。②中国の抬頭。日本は七十年以来大変なODA借款をしてきた。しかし中国は防衛識別圏・南シナ海問題で自分のロジックで進もうとしている。力を誇示している。日本とは異質の国。③韓国とも緊張関係にある。しかし中国と韓国とは識別して考えるべし。韓国とは基本的価値観を共有している。しかし歴史的には悲しいことがあった。韓国との問題は乗り越えることができる。『サンフランシスコ講和条約』『日韓基本条約』で請求権問題は解決済みで両国政府は合意している。しかし韓国の憲法裁判所は解決していないと言っている。『条約』に疑義があるのなら条約に基づいて話し合うべし。世論に動かされて日本に要求するのは良いやり方ではない。法的に解決済みであっても心の傷を持っている人は多くいることを日本人は考えねばならない。米国の力は相対的に衰えてきている。クリミア、シリアの問題はその反映。国際秩序の根本が変わっている。日米同盟を強固にすることに尽きる。日本とアメリカが一緒になってアジア太平洋の平和を守り繁栄を維持すべし。日本の経済力を強くする。アベノミックスを成功させる。日本の国際的発言力を増していく。安倍政権の外交政策の基本軸はこれまでの政策と変わらない。しかし二つ違いがある。一つは安倍氏の行動力、国会の開会中に外国に行くことをこれだけやった総理はいない。極東裁判を含む戦後処理を日本国政府は認め肯定したことを日本人は忘れてはいけない。日本が考えていることは何かをアメリカの有識者に理解してもらう努力が足りない。経済と安保は一体化している。経済が強いことが安全を保つのに大事。NATO型になるにはアジアには違いがありすぎる。機能的協力が大事。日本はロビー活動を政府の命令でやる国家ではない」。

 

 

細谷雄一氏「『日韓基本条約』『日中平和友好条約』の時期においては、中国と韓国は日本より弱かった。中韓は世論に支配されずに指導者が物事を決定できた。しかし今は世論のプレッシャー受けてその条約における合意を書き換えようとしている。海軍力に付けて『尖閣をよこせ』と言われても渡すわけにはいかない。韓国経済は日米との貿易で成り立っていた。しかし、今の韓国は中国一国との関係が日米との関係よりも大きくなっている。韓国の最大の貿易相手国の中国に接近せざるを得ない。そういう韓国と日本はどう向き合っていくのか。『サンフランシスコ講和条約』に中韓は入っていない。日本国民がアジアにどう向き合っていくのか。中国が書き換えるのなら日本は抵抗しなければならない。経済協力で違和感はなくても感情問題で対立する。メディアとインターネットが扇動的になっている。ヨーロッパでも排外的になっている。それが国民の排外感情を強め、政治指導者がそれに動かされる。日本が自己の正義を全面的に否定されたことは一回だけ。それが東京裁判。正義が失われたことへの復讐心がある」。

 

 

渡部恒雄氏「日米は同盟国だが同じ国ではない。日米協力した方がうまく行くことが多い。日本には巻き込まれの恐怖と見捨てられの恐怖とがある。集団的自衛権を行使すべきではないというのは巻き込まれの恐怖がある。今は冷静に動く時期に来ている。何をしたら日本にとって得なのか損なのか、アジア太平洋が安定するのか繁栄するのか考えるべし。そのために日米の利益は合致している。集団的自衛権に積極的に貢献してアジアを安定させる。歴史認識のような感情的・主観的な問題で近隣国家と対立すべきではない。在韓米軍がいたことが日本の安定にとって大変役に立った。韓国との関係は改善が大事。パラドックスや矛盾は歴史に沢山ある。戦後は平和国家として侵略した事もない、国際法に違反した事もないという日本をアッピールすべし。国際社会でプラグマチックに生きるべし」。

 

               〇

申すまでもありませんが、この記事は小生のメモに基づいて書いております。文責は小生にあります。また。この記事はあくまでも報告であります。内容に小生が賛同しているわけではありません。

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千駄木庵日乗五月二十七日

午前は、諸雑務。

昼は、知人と懇談。芸能人の覚せい剤事件や、のこぎりで襲われた事件そして韓国の人災による海難事故について毎日毎日報道されているが、共産支那軍によるわが国自衛隊に対する軍事的威圧という国家安全にかかわる重大事案についてはあまり報道されないのはおかしい、ということが話題になった。

午後からは、在宅して原稿執筆、資料の整理など。

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2014年5月27日 (火)

渡辺はま子・三波春夫両氏は、私にとって尊敬する歌手である

小生は、歌が好きである。よく歌ふ歌は、『元禄名槍譜・俵星玄蕃』と『ああモンテンルパの夜は更けて』である。『元禄名槍譜・俵星玄蕃』は、三波春夫氏が歌った長編歌謡浪曲である。高校時代にレコードを購入して憶へて以来、今日まで歌ひ続けてゐる。赤穂浪士の吉良邸討ち入りを助けた槍の名人・俵星玄蕃を主人公にした歌謡浪曲である。忠臣蔵のテーマである「主君のために尽くすまごころ」「忠義の心」は、日本人の心情の中でも最も大切なものであり、多くの人々が共感する。

 

『ああモンテンルパの夜は更けて』は、渡辺はま子さんが歌った。フィリッピンの捕虜収容所に収容されてゐた日本人捕虜の方が作詞・作曲した歌である。渡辺はま子さんがレコード化し大ヒットした。渡辺はま子さんは、苦労してフイリッビンに赴き、捕虜収容所を慰問し、この歌や「支那の夜」などのヒット曲を歌った。そして当時のキリノ大統領と面会し、この歌のオルゴールを聞いてもらった。キリノ大統領は非常に感激した。また、釈放運動も行はれ、「戦犯」と言はれた人々は、帰国することが出来た。渡辺さんは、「帰国したと言っても三つの帰り方があった。一つは、遺骨になって帰国、一つはそのまま巣鴨プリズンに収容、もう一つはそのまま自由の身になった」と語ってをられた。

 

私は、故野村秋介氏にフィリッピンに連れて行っていただいた時に、モンテンルパ刑務所の処刑台のそばでこの歌を歌はせていただいた。涙があふれてとどまらなかった。終生忘れることが出来ない思ひ出である。

 

渡辺はま子・三波春夫両氏は、私にとって好きな歌手といふよりも尊敬する歌手である。

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千駄木庵日乗五月二十六日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』原稿執筆。

この後、施設に赴き、母に付き添う。母は涙を流して喜んでくれる。

帰宅後も、原稿執筆、資料の整理など。

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2014年5月26日 (月)

日本國民が護るべき最高のものは國體であり、変えるべきものは國體の真姿を隠蔽する全ての事象である

西田幾多郎氏は、「神皇正統記が大日本者神國なり、異朝には其たぐひなしといふ我國の國體には、絶対の歴史的世界性が含まれて居るのである。我皇室が萬世一系として永遠の過去から永遠の未来へと云ふことは、単に直線的と云ふことではなく、永遠の今として、何処までも我々の始であり終であると云ふことでなければならない。天地の始は今日を始とするといふ理も、そこから出て来るのである。慈遍は神代在今、莫謂往昔とも云ふ(旧事本紀玄義)。日本精神の真髄は、何処までも超越的なるものが内在的、内在的なるものが超越的と云ふことにあるのである。」(世界新秩序の原理・「西田幾多郎全集 第十二巻」所収)と論じてゐる。

 

「日本精神の真髄は、何処までも超越的なるものが内在的、内在的なるものが超越的と云ふことにある」といふことが非常に重要である。わが民族は、神代・天上の理想國を地上・今の代と隔絶した存在とは決して考へなかったのである。神代は時間を超越した實在である。今此処が神代なのである。それは観念的論議ではない。日本の天地自然の中に神々は生きてゐたまふといふわが國の傳統信仰である。

 

「神代即今」「今即神代」の理想を継承し顕現させることによって、現代を祓ひ清め変革することが真の「復古即革新」すなはち維新である。「復古」の「古」とは「元初の日本」「永遠にして常に新しい神代」のことである。

 

現状の穢れを祓ひ錆を落とすために、「元初の清浄なる日本」に帰ることが維新である。したがって、今日の危機的状況を維新変革の好機ととらへねばならない

 

大東亜戦争敗北以来、六十数年にわたり、わが國は、天皇を祭祀主と仰ぐ日本國體の真姿を隠蔽し、政治・外交・経済・軍事などの國家の根幹に関はる面で自主独立性を喪失してゐる。今こそ復古即革新すなはち維新の戦ひを断行し、日本のあるべき姿を回復し、國難を乗り越えなければならない。

 

 神代以来の祭祀國家・信仰共同体たる日本の真姿の中心におはしますご存在が、祭祀主たる天皇であらせられる。天皇がおはしまさずして、真の日本はあり得ない。祭祀主であらせられ、神の如くに清浄なるご存在であり、尊厳性・道義性の体現者であらせられる天皇に帰一する日本を復興することが、國體の開顕であり明徴化である。

 

我が國國民の心の底にある國體精神を蘇らしめ、それを核として強大な統合力を生み出し、混迷せる状況に対して革新の行動を起こすことが今求められてゐる。

 

わが國は日本喪失の精神状況から脱出して、日本民族の誇りと矜持を取り戻さねばならない。それは偏狭な排外主義・独善に陥ることでは決してない。「神話の精神の復活」によって精神の救済を図るといふことである。

 文久三年(一八六三)八月に起こった「天誅組の変」に参加し、義挙失敗の後、捕へられ、翌年二月、京都で斬首処刑されたで処刑された國学者・伴林光平は、

 

君が代は いはほと共に 動かねば くだけてかへれ 沖つしら浪

 

 といふ歌を遺した。この歌は光平が生駒山中で捕らへられ、夜中奈良奉行所に送られる途中での詠である。まさに絶望的状況の中で、絶対的なる國體への信を歌ったのである。今日において維新を目指す者も、如何なる國難の状況にならうとも、國體は盤石であるとの信念で戦ひ続けなければならない。

 

 民族の歴史と傳統の精神を変革の原理とする日本の維新は、維新を志す者が、自らの精神と行動に、憧憬すべき時代の先人たちと同じ決意と歓喜と行動の源泉を甦らしめることによって實現する。

 

今日の危機的状況を國體の真姿に開顕する事によって、危機を乗り越えていかねばならない。必ず乗り越えることができると確信する。わが日本國民が護るべき最高のものは國體であり、変えるべきものは國體の真姿を隠蔽する全ての事象である。

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千駄木庵日乗五月二十五日

午前は、諸雑務。『伝統と革新』原稿執筆。

午後三時より、赤坂の乃木神社尚武館にて、『楠公祭』執行。加藤司郎乃木神社宮司が祭主。祭詞奏上・祈願詞奏上(横山孝平氏)・『櫻井の訣別』斉唱・玉串奉奠などが行われた。そして西村真悟衆議院議員が「混迷の世に正成一人の気概を」と題して講演。世話人の犬塚博英氏が挨拶。

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講演する西村真悟氏

午後五時半より、春日の文京区民センターにて、『政教分離を求める会』『日本の心を学ぶ会』合同勉強会開催。林大悟氏が司会。瀬戸弘幸氏が開会の辞を述べた。山村明義氏が「自公政権と集団的自衛権の行方」と題して講演。質疑応答。そして小生が「楠公精神と現代」と題して講演。質疑応答。

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講演する山村明義氏

 

帰宅後も、原稿執筆・脱稿・送付。

                     ○

本日の西村真悟・山村明義両氏の講演はまことに興味深いものであった。後日報告します。

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2014年5月25日 (日)

「日米軍事同盟」「自主防衛力強化」に反対する勢力は侵略国家共産支那の手先である

共産支那は、自国に対して都合の悪いことを取材し、報道する外国記者に対しても、弾圧を加えている。今年一月末、温家宝前首相の親族の不正蓄財を報道した『ニューヨークタイムズ』の記者の記者証発行を拒否し、国外退去させた。昨年末には、二十人以上の外国人記者のビザ更新を故意に遅延させた。そればかりではない。支那政権の腐敗と権力の横暴を取材し報道しようとした米通信社『ブルームバーグ』に経済的圧迫を加えて活動を制限した。

 

このほかにも、日本のメディアは支那政府を恐れて報道していないが、日本や台湾の報道機関メディアに対する不当な圧迫も行われているという。

 

日本のメディアとりわけ朝日新聞テレビ朝日などの左翼偏向メディアは、「知る権利」「知らせる義務」を金科玉条にして、ちょっとでも「言論の自由」にかかわる事案が起こると、狂気のごとく騒ぎ立てるが、支那共産政権による言論封殺に対してはあまり批判を行わない。

 

社民党は二十日、吉田忠智党首を団長とする「訪中団」を六月二三日から三日間の日程で派遣する方針を決めた。福島瑞穂副党首や村山富市元首相も同行するという。「中国共産党」の王家瑞中央対外連絡部長や武大偉朝鮮半島問題特別代表ら要人と会談する方向だという。

 

社民党は「野党平和外交」などとうそぶいているが、アジアの平和と安全を乱しているのは共産支那である。「訪中団」は、尖閣問題や東シナ海・南シナ海における共産支那の暴虐、国内における言論弾圧などについて厳しく支那政府を糾弾するべきである。

 

しかるに社民党は、国内で共産党と一緒になって自衛軍備の拡充に反対し妨害している。そして支那に赴いて「平和外交」とやらを展開する。これは明らかに利敵行為であり、真のアジアの平和を破壊する行為である。

 

私は、「集団的自衛権行使容認」「日米軍事同盟」に反対し、「防衛力強化」に反対している国内勢力は、共産支那のアジア及び日本侵略に加担しているのである。即ち、社民共産両党及び左翼偏向メディアは「侵略国家共産支那の手先」であると断言する。

 

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2014年5月24日 (土)

千駄木庵日乗五月二十四日

午前は、諸雑務、『政治文化情報』発送作業。

午後、発送作業完了。購読者の皆様には週明けにはお届けできる佐思います。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、書状執筆、明日行われる『日本の心を学ぶ会』における講義の準備。

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大陸国家支那の海洋進出は亡国の危機を招く

支那は本来大陸国家であって、海洋進出などは考えていなかったしその力もなかった。言い換えると支那には「海の文化」はない。支那の古典に詳しいわけではないが、『唐詩』に海を詠んだ詩はないと思う。『論語』『孟子』『老子』支那の思想書などをすべて精読したわけではないが、「海」に関する論議はないと思う。毛沢東も大陸内部におけるゲリラ戦については論じているが、海洋における「人民戦争」については語っていない。第一、海洋における「人民戦争」などはあり得ないのである。

 

加藤常賢・山田勝美両氏著『当用漢字字源辞典』によると、「海」という漢字は、海を表わす「水」と、音を表す「毎」(まい)とからなる形声字(意味を表さないで「音」だけを表す文字と、その字の意味をそのまま用いた字を合わせて一字にした漢字の事)であるという。「毎」の音の表わす意味は「灰」(灰汁の意)であるという。そして「マイ」の音が「カイ」変ったという。つまり、「海」という漢字の原義は「ぬるぬるしたアルカリ性の水」のことだという。古代支那人がアルカリ性の水を知ったのは海水からではなく、植物を焼いた灰を水に浸して得る上澄み液である「灰汁」からであったとされる。即ち支那人は本来「海洋」に関しては全く無知だったという事だ。

 

支那歴代王朝にとって支配すべき範囲はあくまでも大陸であって、海は支配の範囲外であった。しかるに、近代以後になって海外に対する関心を持つようになった。しかし、西洋列強による支那沿岸地域支配そして日清戦争によって海洋進出の道を閉ざされたという意識が今の支那人にはある。

 

今日、日本の戦略なき支那への経済技術援助によって経済発展を遂げ、軍事大国になった支那は、自分の力を過信し海外膨張政策をとるようになった。そしてその第一の攻撃目標が日清戦争の仇=日本なのである。

 

海洋国家日本が大陸に深入りすると必ず国家的危機に陥った。白村江の戦、豊臣秀吉の朝鮮出兵、近代における大陸進出、そして戦後における支那大陸・朝鮮半島への戦略なき政治的・経済的深入りという歴史の教訓を見ればそれは明白である。

 

それと同様に、大陸国家支那が海洋に進出することはかえって亡国の危機を招くであろう。支那は日本をはじめとした東南アジア各国、そしてアメリカを敵に回すことになる。そして自分で自分の首を絞めることとなる。

 

わが国は、東南アジア各国そしてアメリカと連携して、支那の無謀なたくらみを政治的・経済的そして軍事的に粉砕しなければならない。中華帝国主義の膨張を食い止めねばならない。そしてその戦いは必ず勝利する。

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千駄木庵日乗五月二十三日

午前は、諸雑務、『伝統と革新』原稿校正など。

午後は、北区の菩提寺に赴き、『お施餓鬼法要』に参列。四宮家の墓所を掃苔、お塔婆を供養、ご加護とご冥福を祈る。

この後、施設に赴き、母に付き添う。元気に過ごしているが、家に帰りたがる。

帰宅後は、原稿執筆・資料の整理など。

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2014年5月23日 (金)

『先覚金玉均先生没後百二十年墓前祭記念座談会』における菅沼光弘氏の講演内容など

三月二十九日に執行された『先覚金玉均先生没後百二十年墓前祭記念座談会』における菅沼光弘氏の「朝鮮情勢と日本」と題する講演内容は次の通り。

 

「中国が大国として台頭し始めという条件の中で、反日運動が起っている。華夷の秩序の観点から『慰安婦問題』どう映るのか。韓国には『清朝時代の支那は夷狄に支配されていた。我々こそ中華』という意識がある。儒教に支配する地域が文明国。文明の波にさらされないところは夷の国・野蛮人の國という見方がある。韓国にとって日本は夷の国である。新羅は自ら進んで支那の属国になった。李王朝も建国以来中国の属国。中国の悪いものはすべて受け入れた。朝鮮が受け入れなかったのは纏足と食人文化。中国人は人間を食うのは普通のこと。十年前の『人民日報』に『女性の肉をカレーライスに入れて周辺の人にお裾分けした。こういうことはしてはいけない』という警告記事が載った。朝鮮は五百年間中国の支配下にあった。朴槿恵は支那に朝貢する。上海臨時革命政府は犯罪者の集まり。抗日運動は何もやっていない。アメリカは朝鮮半島を放棄する可能性あり。慰安婦問題は大変深刻。解決できない。日本が強くなり、韓国が日本に頼らねばならない状況を作り出すこと。韓国が日本を信頼するしかない状況を作り出す以外にない。中国は大変な権力闘争をしているから反日をやっている。反日はある日一変するかもしれない。習近平はぶっつぶれる。中共支配体制もぷっつぶれる。日本が色々やる必要なし。尖閣棚上げ論は中国の主張を認めること。場合によっては領土を取られる可能性あり。『日本書紀』は中国に対する独立宣言。韓国は中国の属国であることを認めた。韓国に変な妥協をすると新井白石が貫いたことを裏切ることになる」。

 

出席者の発言は次の通り。

 

頭山興助氏「今の日本にとって金玉均という方の持つ意味は深い。福沢諭吉は金玉均を大事にした。しかし福沢は西洋に重きを置くようになる。金玉均は孫文などと共にアジア革命の先駆者。玄洋社に孫文を案内したのも金玉均。白村江の戦いの時代から朝鮮は日本にとって難しい所。朝鮮半島が日本にもたらした不幸は数々ある」。

 

坪内隆彦氏「金玉均が上海で凶弾に斃れてから百二十年。一八八四年、金玉均などの開化派はクーデターを起こしたが、清国軍の介入により三日天下に終わった。金玉均は一八五一年忠清南道の生まれ。事大主義・守旧派が権力を握っていた。金玉均は、日本の明治維新を範とする開化・朝鮮独立のための革命を目指した。頭山満をはじめ玄洋社が支援した。金玉均には大アジア主義、興亜の理想があった。日本が自分の国を守る力を持つのが大前提。アジア主義には文明論的意味もある。精神重視・家族主義・自然との共存というアジア的傳統を共有がアジア主義の中にある。日中・日韓・日朝の相互協力は今は困難だが長期的文明論的視点を持つべし」。

 

犬塚博英氏「アメリカという強いものを背景にしてベトナムで蛮行を行った。事大主義。韓国には力強さを見せなければならない。韓国クラブは売春クラブ。売春は合法だった時代。今更色々言って何になる。韓国になめられないためには経済力をつけなけれならない。富国がなければ強兵はない。集団的自衛権行使容認に北朝鮮が反対しているのは、それが有効な手段だからだ。悠長な神学論争をしている時ではない」。

 

阿形充規氏「在特会のデモ行進は最初は整然としていたが次第に暴言を言うようになった。しばき隊が現れた乱闘になった。商店街が迷惑した。在特会の人々と話し合いをした。現在は職安通りで一切デモは無し。私は年一回韓国に行っている。反日感情が高まっている中で交流を図っている。アジアの一員であるから話し合いは必要。韓国の人は日本で一番怖いのはヤクザと右翼。韓国の人とひざを交えて話をすると共通点あり」。

 

藤井厳喜氏「日本ではガラス一枚壊されていない。よその国なら韓国人街は焼き討ちされている。日本は文明国家。北も南も歴史的事実なんてどうでもいい。日本は近代以前から歴史は事実に基づいて論じる紳士の国。日本が憲法を改正し核武装すればすべてが解決する。儒教社会は序列社会。上下、貴賤、強弱の秩序。強い者にはペコペコし弱い者はいじめる。慰安婦の強制連行は一件も無かった。北の工作員十二万が韓国に入り、北主導の統一を図っている。中国経済は確実に崩壊しつつある。危ない時こそ対外膨張する。チャイナが崩壊し北がピンピンしている状態も可能性あり。韓国とは必要最小限の付き合いで良い」。

 

荒岩宏奨氏「大アジア主義は文明論。中国主導ではなく日本主導でなければならない」。

 

山浦嘉久氏「日本の警察はなぜ拉致問題の真相を語らないのか。大日本帝国の残置国家が北朝鮮。北の核兵器は日本のもの」。

 

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2014年5月22日 (木)

千駄木庵日乗五月二十二日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後も、原稿執筆。

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日本國體と国民主権論

 日本の伝統的な國體は、「天皇と国民とは相対立する存在ではなく一体である」ということである。従って「主権」なるものが天皇にあるのか国民にあるとかなどということを議論すること自体が不自然なのである。

 

 「現行憲法」制定時に、衆議院憲法改正案特別委員長を務めた芦田均氏は「君民一体または君民一如のごとき言葉によって表現されている国民結合の中心であるというのが我が国民的信念なのである」と言っている。

 

 「国民主権」の規定を審議した帝国議会では、政府は、「主権」とは「国家意思の実質的源泉」であり、「国民」とは「天皇を含む国民協同体」を指すとしていた。そして芦田均衆議院憲法改正案特別委員長は、欧米の「君主主権」と「主権在民」を対立的に捉えた主権二元論は、わが国においては採り得ないことを特に強調している。

 

 ところが宮沢俊義氏をはじめとした多くの憲法学者は、「国民」とは天皇を除く概念であり、この憲法によってわが国は君主主権から人民主権に変わったと主張し、今日では文部省の検定済教科書までこの線に沿って記述されている。この考え方によれば、畏れ多いが、皇位の改廃は人民の意思によって可能となる。事実、今上天皇の御即位に際してはその是非を国民投票に問うべしとする歴史学者まで現れた。わが国は君主国にあらずとか、元首は天皇にあらずとする珍説が学界に横行しているのが現状である。

 

 このような混乱の原因は、もともとわが国の伝統にはなかったところの「主権概念」を憲法規定に持ち込んだことにある。この規定が被治者である個々の国民が主権者であるかのごとき誤解を与えている。「主権」の属性としての最高性、無制限性が言われる時、それは容易に伝統を無視した独裁専制に転化し得る。

 

 主権在民と民主政治(国民参政)とは別個の概念である。ソ連邦も共産支那も「人民主権」を明記しつつ、共産党一党独裁どころか、スターリンや毛沢東の個人専制恐怖政治が行われた。

 

 主権という言葉ほど多種多様に用いられているものはないが、君主主権とか国民主権とかいう場合の主権は、西洋法思想の影響下にある国法学では、一般に「国家における最高の政治権力」と解せられている。

 

日本では古来主権という言葉はなく、国家における政治作用の根本を言い表す言葉は「知らす」ないし「治らす」であり、言葉自体から見ても、権力的な臭みはなかった。「帝国憲法」ではこれを統治権という言葉で表現した。

 

 主権の観念は、近世の初期以来、西洋わけてもフランスにおいて、君主の権力を擁護する手段として、君主主義の形で主張された。それは封建諸侯やカトリック教会の勢力を制圧して、統一国家を形成するためには有効なる手段であった。君権至上主義や王権神受説も、これがために唱えられ、これがために利用されたのである。しかるにその後、専制君主の圧政から国民が自由を獲得するためには、別の旗印が必要になった。フランス革命の思想的根拠をなした国民主権説は、すなわちこれであった。

 

 つまり、国民主権説は、西洋の社会契約説、国家契約説と結合して発達し、広く世界に及ぼしたのである。君主主権といい国民主権といい、いずれも一つの政治目的に利用されて発達したものであるから、主権を権力中心の概念として見たのも当然と言えよう。そしてその根底には「力は法の上にあり、法は強者の権利である」という思想が流れていたのである。

 

いずれにしても国民主権・君主主権という言葉も意味内容も、西洋の国家観念・法思想から生まれてきたのであるから、日本の伝統の天皇の国家統治の実相、日本国体とは全く異なる概念であり法律用語である。一日も早く『現行憲法』の国民主権思想と廃棄しなければならない。

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千駄木庵日乗五月二十一日

午前は、諸雑務。『伝統と革新』編集の仕事。

午後二時半より、芝の駐健保会館にて、『大行社幹部会』開催。顧問の一人としてスピーチ。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備など。

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2014年5月21日 (水)

現状では『集団的自衛権』の容認は必要である

深谷隆司氏は五月十九日の『ブログ』で次のような論じている。

             〇

「安倍政権で、今、『集団的自衛権』について積極的な議論が進められている。この権利は国連で全ての国家に認められているのだが、日本にも当然権利はありながら、行使しないという異例な立場をとってきた。
 安倍首相は憲法解釈を変更して『集団的自衛権』を容認しようとしている。当然やるべきことを放置していたことが不自然で、安倍首相の考えは、主権国家のトップとして当然のことである。
 憲法を、その時々で解釈変更することは問題だと言う声がある。私も本来憲法改正こそ行うべきと思っている。ところがそれが出来ない状況にある。ならば国家国民の為に必要不可欠なことは憲法解釈変更に頼るしかないではないか。
 憲法についていずれ別の機会に語ろうと思うが、今の日本憲法は矛盾が多く、解釈を変えることでその矛盾をなんとかクリアしなければならないといった宿命を持っている。
 例えば第1条で『恒久の平和』を謳っているが、その前提は『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した』とある。一体、中国に『公正と信義』があるのか。そうした前提が全く崩れているのが世界の実情ではないか。
 第9条に『戦争の放棄』とあって、最後に『陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない』と書いてある。しかし、現在、自衛隊という名のれっきとした軍隊を我が国は保有している。災害の時などの目覚ましい活躍ぶりに国民は感謝し、いざという時は国家国民を守ってくれると信頼を寄せている。今ではみんな当たり前のことと思っているが、自衛隊は憲法解釈変更上存在するのであって、本来ならば憲法そのものを改正することが筋なのである。
 人に生存権があるように、国家にも存立権がある。そしてこれを守る為に『正当防衛権』や『緊急避難権』がある。国防のための自衛隊は、国家存立の為の必要条件で、本来、憲法解釈ではなく、憲法に堂々と載せるべき重要な事柄なのである。

 安倍首相は、『我が国の安全に重大な影響を及ぼす可能性のある時、限定的に集団的自衛権を行使する』と繰り返し述べている。無制限に集団的自衛権を行使すべきではない。
 日本の貢献は軍事的手段に限らず、アフガン戦争の時のインド洋での給油(私がテロ対策特別委員長の時決めた)のように、国際的に評価される後方支援や復興支援に重点を置く必要もある。
 『侵略戦争はしない、自衛はしっかりやる』、日本がこの立場を堅持することが絶対大事で、それを守らせるのが国会であり、これをしっかり監視していくのはまさに国民の責任なのである。

 一言加えれば、『憲法を大事にするあまり、国を滅ぼすような事態を招いてはならない』ということだ」。

            〇

ほぼ正しい議論である。

『現行占領憲法』を早く無くすことが第一であるが、わが国に対する共産支那・北朝鮮という軍国主義国家の軍事的圧迫は、まさに一国の猶予も許さない情況である。『憲法改正』などという悠長なことは言っていられない。やるのなら無効宣言が破棄である。ともかく現状では『集団的自衛権』の容認は必要である。

 

「朝日新聞」「テレビ朝日」などの偏向メディア、そして日共・社民などの亡国政党は、「『集団的自衛権』を容認すると日本は軍国主義国家になる、青年たちが戦場に贈られる』などと言い古されたことを言っている。彼らは、「サンフランシスコ講和条約」締結、「安保改定」の時も同じことを言った。しかし、日本は軍国主義国家になることはなかったし、戦争に巻き込まれることもなかった。日本がこれまで平和・独立・自由・繁栄を維持して来ることができたのは、「日米軍事同盟」と自衛隊があったからである。

 

「朝日新聞」「テレビ朝日」などの偏向メディア、そして日共・社民などの亡国政党は、共産支那・北朝鮮の手先であり、日本が支那の属国になることを望んでいるのだ。

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千駄木庵日乗五月二十日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、原稿執筆、資料の整理、明日のスピーチの準備。

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2014年5月20日 (火)

沈斯淳台北駐日経済文化代表処代表の講演内容

三月二十二日に行われた『アジア問題懇話会』における沈斯淳台北駐日経済文化代表処代表の講演内容。

 

「台湾はアジアと世界の平和のために役割を果たす。台湾は国際社会のピースメーカー、新しいテクノロジーの提供者。中華文化の継承者。ソフトパワーを発揮し国際社会に貢献したいと馬英九総統は期待している。過去五年間、両岸関係の緊張関係を激化させないように努力している。十九の協定を調印して安全環境を建設している。つい最近、閣僚級協議が行われた。六十数年間ではじめてのこと。引き続き地域の安定に寄与したい。

 

大陸との関係を改善する一方、日本・アメリカ・東南アジアとの関係も大切にしている。アメリカとはこの五年、相互信頼関係を回復した。台湾とアメリカとの学術貿易交流は盛ん。

 

台湾は中国との往来には慎重。国防に力を入れている。両岸関係はまずやさしい問題を話し合い、次に難しい問題を話し合う。やさしい問題とは経済問題。それを解決して政治的緊張を解く。中華民国が存在していることを大陸は認識してほしい。中華民国の安全は守る。

 

安倍首相靖国神社参拝に対する台湾の立場を理解してほしい。理性的平和的に向き合いたいと呼び掛けた。対日関係は深い。長期発展していくことを期待している。

 

アメリカの『台湾関係法』制定以来、三五年経った。アメリカは台湾の安全を保障してくれる。二〇一六年に徴兵制から募兵制に変える。台湾も少子化問題が深刻。財政問題もある。台湾は自由社会。中国大陸との関わりに大きな反対があるのは事実。貿易協定調印の時も抵抗があった。今回も学生が抵抗している。台湾各界が知恵を絞って台湾のビジネスチャンスをもたらすように努力する。昨年四月、対日漁業協定を締結した。これは大きな進展。対日自由貿易協定を結んでいないので調印していきたい」。

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千駄木庵日乗五月十九日

午前は、諸雑務。

午後からは在宅して、たまりにたまった資料の整理。

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2014年5月19日 (月)

『東京財団フォーラム・米国ウォッチャーが語るオバマ大統領のアジア』における登壇者の発言

三月十九日に開催された『東京財団フォーラム・米国ウォッチャーが語るオバマ大統領のアジア』における登壇者の発言は次の通り。

 

 

クリス・ネルソン氏(サミュエルズ・インターナショナル上級副社長、「ネルソン・レポート」編集長兼発行人)「本日、日本政府の方々とオフレコで会談した。本日の講演は一か月後のオバマ訪日について語る。オバマ大統領の日程は未決定。日韓は危機的状況にあると先週金曜までは思っていた。仲介すべきとの指摘もあった。ワシントンの雰囲気はそうだった。しかし安倍総理が我々の期待する発言をした。『河野談話・村山談話の見直しはしない』と断言した。断言ではなく誓いのように受け止めた。我々は韓国・日本高官の一言一句に注目している。我々は安倍総理の言葉を聞いてほっとした。朴槿恵大統領の反応は大変前向き。安倍総理にはいろいろ批判がある。日米信頼関係が崩れているのではないかと言われている。

 

日本のアメリカも日本政権が毎年交代することにフラストレーションを感じていた。民主党政権の最初の数カ月はひどかった。小沢一郎が議員を引き連れて訪中、日本は中国に傾くと言われた。事態が好転。安倍総理のダボス演説に好感を持った。一九一四年に似ているという指摘に同意する。この歴史認識には賛同する。

 

ブッシュ政権の時、東南アジアは後回しだった。オバマは違った。TPPはアメリカ産業界・貿易利会社に対するフォーカスを引き出す。二国間関係を修復していく。フィリッピンは軍事力をほとんど持っていない。中国の軍事力を防ぐ力がない。ベトナムや日本からの支援はある。スカボロー環礁でフィリッピン船が中国に囲まれている。中国は既成事実化しようとしている。ワシントンは中国の意図を十分理解している。中国は軍事力を使って変化をもたらそうとしている。中国は過剰に自信を持ち、傲慢になった。十九世紀型の帝国主義の主張をするようになっている。二十世紀の最悪の側面を再現しようとしている。

 

台湾総統選で民進党がカムバックする可能性あり。台中関係がどうなるか、日本のアメリカも対応が難しい。日米は結婚していていい意味で別れることはできない。G2という考え方は嫌だ。中国の抬頭は無視できないというのがアメリカの対中政策の基本。

 

日本のアメリカにおける広報活動の拠点を閉鎖してしまった。経団連はワシントンとニューヨークの事務所を閉じた。しかしマンスフィールド財団は非常に活発。外務省の駐在員は二年で転勤してしまう。もっと予算をつけるべし」。

 

 

高原明生東京大学大学院教授「ダボス会議での安倍発言に対してヨーロッパのメディアが過剰反応した。安倍氏はウルトラナショナリストと言われる。細心の注意をはらい、誤解を生まないようにすべし。アメリカの政治家は上から目線で外国に対して話をすることが多い。ゴア副大統領(当時)がマレイシアに行った時、エラそうな態度をとったとマレイシア側は思った。ケリー国務長官は千鳥ヶ淵に行った。日本の一部のコンプレックスの強い人たちから見ると内政干渉と思った。安倍首相の周りにはそういう人がいる。アメリカはそういう現実を踏まえてメッセージの伝え方・アドバイスに細心の対応をすべきである。

 

中国との関係をアメリカはどうしようとしているのか。中国は一方的な物理的力を行使して現状を変えようとしている。失望ということは公の場で言わない方が良かった。中国は情報戦に努力している。数多くの人を雇っている。日本との勝負はついている。偏った日中関係の理解がアメリカの中で広がる。帰属を投票で決めると台湾はどうなるのか。中国は日本との闘争モードになっている。日本大使館はこれからそれに勝たねばならない」。

 

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千駄木庵日乗五月十八日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆の準備など。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、資料の整理など。

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2014年5月18日 (日)

「政教分離を求める会」「日本の心を学ぶ会」合同勉強会のおしらせ

下記の行事の告知文が送られてきましたので、掲載いたします。主催者の執筆によるものです。

 

              〇

 

「政教分離を求める会」「日本の心を学ぶ会」合同勉強会のおしらせ

 

「日本の心を学ぶ会」ではこれまで三九回にわたって、歴史、和歌、國體論を中心に「日本の心」「日本伝統精神」を学んでまいりました。

第四十回の勉強会は、瀬戸弘幸先生の主催する「政教分離を求める会」と合同で開催することになりました。

 

 演題は二本立てとなり、政教分離を求める会のお招きする山村明義先生には、「自公政権と集団的自衛権の行方」として南シナ海で牙をむく中国の覇権主義など厳しさを増す日本の周辺情勢と解釈改憲で集団的自衛権の容認に突き進む自公連立政権について講演していただきます。

 

 四宮正貴先生には「楠公精神と現代」という演題で講演をしていただきます。

楠木正成は南北朝動乱の時代に後醍醐天皇の呼びかけに応じ討幕の兵を挙げ建武の中興の立役者となった武将です。

楠公が歴史上の表舞台で活躍したのは赤坂城の挙兵から湊川の戦いまでの五年間にすぎません。

しかし、後世に与えた影響は大きく、その身を持って示した勤皇精神は明治維新の志士に大きな影響を及ぼしております。明治維新は楠公精神の継承と実践が原動力であったといえます。

そして、今回の勉強会が開催される五月二十五日は湊川の戦いで弟の正季と「七たび人と生まれ、逆賊を滅ぼし、国に報いん」と、七生報国の意思を確認し刺し違えて自害された日です。

この日に私たちは明治維新の精神的基盤となった楠公精神を学びたいと思います。

 

そして、楠公精神をもって討たねばならない現代における「逆賊」についても議論したいと思います。

みなさまお誘い合わせのうえご参加ください。

 

【日 時】平成26525日(日)午後530分より

【場 所】文京区民センター 2-B会議室

東京都文京区本郷 4-15-14 地下鉄春日駅 下車1分(大江戸線、三線)、 後楽園下車3分(丸の内線、南 北線)JR(水道橋)

【演 題】 第一部「自公政権と集団的自衛権の行方」 

      第二部「楠公精神と現代」

【登壇者】第一部 山村明義先生 作家・ジャーナリスト

      第二部 四宮正貴先生 四宮政治文化研究所     

【司会者】 林大悟

【参加費】資料代500円 終了後、近隣で懇親会(3千円くらいの予定です)

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395

 

 

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今こそ、楠公精神即ち絶対尊皇精神・七生報国の精神に回帰しなければならない

『楠公祭』が近づいて来た。日本の古典には「名文」と言はれるものが多数ある。『太平記』の次の一節は、その最たるものであらう。

 

「合戦の習にて候へば、一旦の勝負は必ずしも御覧ぜらるべからず、正成いまだ生きて有ると聞こしめし候はば、聖運遂に開かるべしと思しめし候へ。」

 

「舎弟の正季に向て、そもそも最後の一念に依て、善悪の生(しゃう)を引くといへり。九界の間に何か御辺の願なると問ければ、正季からからと打笑て、七生まで唯同じ人間に生れて、朝敵を滅さばやとこそ存候へと申しければ、正成よに嬉しげなる気色にて、罪業深き悪念なれども、われもかやうに思ふなり。いざさらば同じく生を替(かへ)て、この本懐を達せんと契て、兄弟共に刺違て、同枕(おなじまくら)に伏にけり。」

 

この文章には、楠公の絶対尊皇精神、七生報国の精神が見事にうたひあげられてゐる。

 

落合直文氏の作詩による『櫻井の訣別』もまた、楠公父子の尊皇精神が格調高く切々とうたひあげられてゐる。

 

「櫻井の訣別

 

靑葉しげれる櫻井の

里のわたりの夕まぐれ

木の下かげに駒とめて

世の行末をつくづくと

しのぶ鎧の袖の上に

ちるは涙かはた露か

 

正成なみだをうち拂ひ

わが子正行呼びよせて

父は兵庫におもむかむ

彼方の浦にて討死せむ

汝はこゝまで來れども

とくとく歸れ故里へ」

 

父上いかにのたまふも

見すてまつりてわれ一人

いかで歸らむ歸られむ

この正行は年こそは

未だ若けれもろともに

御供仕へむ死出の旅」

 

汝をこゝより歸さむは

わが私のためならず

おのれ討死なさむには

世は尊氏のまゝならむ

早く生ひ立ち大君に

仕へまつれよ國のため」

 

この一刀(ひとふり)は去にし年

君の賜ひしものなるぞ

この世の別のかたみにと

汝にこれを贈りてむ

ゆけよ正行ふる里へ

老いたる母の待ちまさむ」

 

ともに見送り見反りて

別れををしむ折からに

又もふりくる五月雨の

空に聞ゆるほとゝぎす

誰かあはれと聞かざらむ

あはれ血になくその聲を」

 

日本国家存立の基礎は、国民の尊皇精神である。大楠公は「尊皇精神」を体現された方である。大楠公仰慕の心は、『太平記』『日本外史』などの史書によって後世に伝えられた。明治維新の志士たちも楠公精神を継承して維新を戦ったのである。

 

現代のわが国は、精神的・思想的・政治的に混迷の極に達している。また近隣諸国との関係も緊迫している。今こそ、楠公精神即ち絶対尊皇精神・七生報国の精神に回帰しなければならない。

 

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千駄木庵日乗五月十七日

午前は、諸雑務。

午後は、『政治文化情報』原稿執筆、脱稿・印刷所に送付。

この後、施設に赴き、母に付き添う。元気なのだが、私が帰ろうとすると、「一緒に帰る」と言う。まことにつらい。

帰宅後は、書状執筆・原稿執筆など。

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2014年5月17日 (土)

最近、ご寄贈いただいた書籍

最近、ご寄贈いただいた書籍をご紹介します。

加瀬英明氏著 『中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか』 KKベストセラーズ発行 著者より

欅田弘一氏著 『甦れ日出づる国』 展転社発行 日本研究所より

ご寄贈いただきました方に心より感謝申し上げます。

最近、ご寄贈いただいた書籍をご紹介します。

加瀬英明氏著 『中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか』 KKベストセラーズ発行 著者より

欅田弘一氏著 『甦れ日出づる国』 展転社発行 日本研究所より

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2014年5月16日 (金)

尊皇精神と国家的危機の打開

国家的危機を打開するためには、全国民が真に日本民族としての運命共同意識を強く保持し燃え立たせ得る精神的な基盤に依拠しなければならない。さうした精神的基盤は、神代以来の神聖権威の体現者・保持者であらせられる日本天皇への尊崇の念即ち尊皇精神である。

 

明治維新において、尊皇精神の興起は、勤皇の志士たちのみならず、一般庶民においても旺盛であった。伊勢の皇大神宮への民衆の集団参拝(いわゆる御蔭参り)が行はれ一般庶民の皇室の御祖先神に対する信仰が大きく復活してきてゐた。天保元年(一八三〇)には、御蔭参り参加者が閏一月から八月までで五百万人に達したといふ。

 

西欧列強の日本侵略から日本を守りぬくためには、全国的な統一国家建設が絶対必要条件であった。封建的各藩の分立を廃して統一国家を建設しなければならない。国家の中心を正しく確立しなければならない。もっともっと強力な国家統一・国家体制強化の牽引力が必要であった。この牽引力は、単に権力・軍事力のみに依拠するのでは駄目である。

 

国家の中心者は神代以来の伝統的権威を保持する天皇以外にあり得ない。日本伝統信仰の祭祀主・現御神日本天皇以外にあり得ない。道義国家の中心者・君主は、武力によって権力と土地と富を占有してゐる覇者では駄目である。覇道・強いもの勝ちの武家政権ではなく、現御神日本天皇の神聖権威が真正の国家統一を実現する。それが尊皇倒幕即ち明治維新であった。

 

欧米列強の侵略から祖國日本を守り、國家の独立と安定と統一を保持するには、日本の伝統と自主性を體現される御存在=神聖君主日本天皇を中心とした國家體制を確立しなければならない。伝統的君主である天皇を中心とする國家の回復が全國民的に自覚されるやうになった。そして、封建体制を打倒し、神話時代からの一君万民の國體を明徴化する明治維新が断行されたのである。

 

天皇の御本質は、現御神であらせられ、祭祀主であらせられ、國家國民を信仰的文化的政治的に統合する君主であらせられる。御歴代の天皇が政治権力の實際の行使者であられた時期は少なく、政治権力の権威の源泉として君臨されてきた時期が長い。しかしそれは、天皇が政治に全く関はりを持たれなかったといふ事ではない。

 

中古・中世においては摂政関白を任命されたのは天皇であり、近世において征夷大将軍を任命されたのは天皇であり、近代において内閣総理大臣を任命されたのは天皇である。天皇は日本國の統治者として政治的権威を保持されてきた。それがわが國の傳統である。 

 

これは現代においても同じである。今日の日本の政治制度も、國會において多数を制した勢力の長が与党として内閣を組織するが、彼らは天皇の「親任」を得ることによってはじめて「内閣総理大臣」以下大臣としての地位につき國務を執行することができる。 

 

しかしながら、江戸時代は、京都に天皇がおはしまし、江戸に征夷大将軍がゐたことにより、「天に二日なし」「一君万民」「天皇帰一」の國體が隠蔽されてしまった。

 

今日の日本においても、天皇陛下を権力者の政治利用からお護りするためには、尊皇精神希薄にして、天皇を政治利用しようとする政治家を、日本国から駆逐することが必要なのである。

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千駄木庵日乗五月十六日

午前は、諸雑務。

午後は、丸の内の出光美術館で開催中の『日本絵画の魅惑』展参観。

帰宅後は、『伝統と革新』の原稿執筆。

 

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建武中興の理想・後醍醐天皇の大御心

後醍醐天皇御製

さしてゆく笠置の山をいでしより天が下にはかくれがもなし

 

歴代の天皇の中には、後醍醐天皇をはじめ、上御一人・現御神と仰がれながらも、時の権力者即ち藤原氏や武家政権によって制限を加えられ、時には離島に流されたまうた天皇もおられた。「やすみししわが大君 高光る日の御子」「天の下しろしめしたまふすめらみこと」とたたへらる天皇であらせられても、後醍醐天皇が歌はれたごとく「天が下にはかくれがもなし」といふ状況に置かれたこともあったのである。

 

しかし、建国以来三千年、日本天皇は、日本国の中核的ご存在として君臨されて来た。国民の天皇への帰一・すめらみことへの仰慕の心が日本国存続の原基である。国難の時期にこそ日本国民の尊皇精神が勃興し、その国難を乗り切って来た。本当に日本国は不思議な國であり、素晴らしい國である。

 

建武中興の理想・後醍醐天皇の大御心は、後世に大きな影響を及ぼし約五百年後の王政復古=明治維新運動の原動力となった。倒幕・王政復古の過程を見ると、尊皇攘夷運動に挺身した志士たちは、天皇に対する信仰的仰慕の精神に満ち溢れてゐた。そして彼らが理想と仰いだのは建武の中興だったのである。

 

後醍醐天皇が目指された理想は、明治維新といふ未曾有の大変革によって実現したと言って良いと思ふ。後醍醐天皇の行はれた建武中興は、現象面では失敗に終ったといへるかもしれない。しかし、思想・精神面においてはまさに後世の理想・指標となったのである。

 

今日の日本の危機的状況も厳しいものがある。しかし、壬申の乱・南北朝時代はまさに國が真っ二つになりかねない大変な危機であった。これを尊皇敬神の道統を原基として乗り越えてきたのがわが日本である。今日の危機も必ず打開していくと確信する。

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千駄木庵日乗五月十五日

午前は、諸雑務。

 

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

 

この後、施設に赴き、母に付き添う。

 

午後六時半より、 ホテルサンルート高田馬場にて、『一水会フォーラム』開催。木村三浩一水会代表が活動報告。藤和彦氏(世界平和研究所主任研究員)が、「日露エネルギー同盟を締結せよ!」と題して講演。質疑応答。

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講演する藤和彦氏

 

帰宅後も、原稿執筆。

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2014年5月15日 (木)

日本は人為的に作られた法人国家ではない

我々はまず以て「国家観」を正しく確立しなければならない。言うまでもなく日本と欧米とは歴史・文化・宗教・社会構造・人間関係を異にしているのだから、日本国を近代西欧流の国家法人説・国家暴力装置説などの「国家観」によって論じてはならない。 

 

我が日本は自然に生まれてきた国であって、人為的に作られた国ではない。「生まれる」と「作られる」とでは絶対的な違いがある。日本は古代において自然に「生まれた」国である。ところがアメリカや旧ソ連や中華人民共和国は一定の目的を持って高々数十年から百年くらい前に人為的に作られた国である。

 

「生む」は日本伝統信仰の観念であり、「作る」はキリスト教の観念である。伊耶那岐命伊耶那美命は日本国土をお生みになったのであり、キリスト教の神(ゴッド)は人間を作ったのである。キリスト教の神はなぜか国家は作らなかった。国家は神によって造られた人間が集まって文字通り人為的に作られたと言うのが西洋の考え方である。日本の国家観と西洋国家観の違いは実にここから発すると考えられる。

 

日本国は、数多くの個としての人間が寄り集まって人為的に契約を締結して作った権力機構・政治形態としての国(これを「国家法人説」と言い換えてもいい)とはその本質が全く異なるのである。

 

「国家法人説」とは、国家を法的な主体としての法人と考える理論で、いわゆる「天皇機関説」の基礎をなす理論とされている。また「法人」とは「自然人以外で法律上の権利義務の主体となることができるもの。一定の目的の下に結合した人の集団あるいは財産についてその資格が認められている集団」といわれている。国家とは、社団法人や財団法人のように多くの人々が一定の目的のために契約を結び人為的に造られたものだというのが「国家法人説」なのである。天皇中心の信仰共同体としての日本は断じてそのような存在ではない。「国家法人説」を日本国に当て嵌めることはできない。

 

日本人は、豊かな自然に包まれて、様々な階層の人々も、「和」「むすび」を基本として生きてきた。そして信仰共同体としての国家が生まれた。その「和」「むすび」は人と人との間柄のみならず、人と自然の関係もしかりであった。 

 

我が日本はどのような闘争や激動があっても、日本という国が分裂し破壊し尽くされてしまうということ無く、天皇を中心とする「和」「むすび」によって国家の統一は維持され、民族の伝統は一貫して継承されてきた。ここが日本という国の有難いところである。

 

この「むすび」の語源は、「生す」「生える」である。「草が生す」「苔が生える」といわれる通りである。つまり命が生まれることである。故に母から生まれた男の子を「むすこ」といい、女の子を「むすめ」というのである。「むすび」とは命と命が一体となり緊密に結合するということである。米のご飯を固く結合させたものが「おむすび」である。そして日本伝統信仰ではその米のご飯には生命・魂が宿っていると信じてきた。 

 

「庵を結ぶ」という言葉があるが、日本家屋は様々な材木や草木を寄せ集めこれらを結び合わせて作られた。結婚も男と女の結びである。故にそのきっかけを作った人を「結びの神」という。そして男女の〈むすび〉によって新たなる生命が生まれる。日本の家庭も〈むすび〉によって成立しているのである。

 

日本という国家も同じである。人の魂が結び合って生まれてきた生命体なのである。日本民族の農耕を中心とする伝統的生活のから培われた信仰(自然信仰と祖霊崇拝・自然と祖霊を神として拝む心)が根幹となって生まれてきた生命体が日本国なのである。そしてその〈むすび〉の中核が日本伝統信仰の祭祀主である天皇である。これが「祭祀国家」としての日本なのである。

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千駄木庵日乗五月十四日

午前は、諸雑務。

午後は、施設に赴き、母に付き添う。

午後五時より、赤坂の日本財団ビルにて、ブルッキングス研究所主催講演会『米中関係・アジア太平洋地域と世界への影響』開催。ジェイムス・スタインバーグ氏(シラキュース大学マックスウェル行政大学大学院院長・前米国国務副長官)、マイケル・オハンロン氏(ブルッキング研究所シニアフェロー)、田中均氏(日本総合研究所国際戦略研究所理事長、元外務審議官)が討論。質疑応答。

帰宅後は、資料の整理・原稿執筆など。

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2014年5月14日 (水)

わが国の愛国心・国を守る心は、尊皇精神と一体である

今日よりは顧(かへり)みなくて大君の醜(しこ)の御()(たて)と出で立つ吾(われ)

 

 

 下野の國(現在の栃木県)の防人・火長今奉部与曾布(くわちやういままつりべのよそふ)の歌。「火長」とは『養老令』に「およそ兵士十人を以て一火となす」とあり、兵士十人の長のこと。帝國陸軍で言えば伍長が軍曹の位といふ。十人を一火として炊事を共にさせた。

 

【今日よりは】「今日」は門出・出征の日を指す。【顧みなくて】自分自身の私事は一切顧慮しないといふ意。

【醜】醜悪の意であるが、自らへりくだって言ってゐる。身の卑しさを言ふよりも、大國主命に別名葦原色許男(しこお)の「しこ」と同様に「勇猛」と解釈する説もある。御楯は大君のために矢面に立つ者の意。

【御楯】國の守りの任のことを具体的に表現した言葉。「大君の醜の御楯」で「天皇陛下の兵士」といふ意味になる。

 

 通釈は、「防人としての任務につく今日からは、最早我が身のことは一切顧みないで、ふつつかながら大君にお仕へ申し上げる兵士として私は出発致します」といふ意。

 

 防人の代表的な歌。東國の一兵士の出征に当たっての決意が、決して力むことのない謙虚で静かな調べで表白されてゐる。それでいて確固とした尊皇愛國の精神が歌はれてゐる。自分に言いひ聞かせるやうな簡潔で明快で清潔な表現である。騒々しい歌ではない。天皇への忠誠心・尊皇精神が、権力の強制によるものでは決してないことは、この防人歌の歌ひぶりをよくよく味はへば分かる。萬葉時代の東國庶民はごく自然な感情として尊皇精神を抱いてゐた。

 

與曾布には大君の醜の御楯としての光栄・自負心・矜持・歓喜がある。故に父母・妻・子を顧みないのである。この歌は「海ゆかば…」と同様に千古万古に國民の胸に躍る決意の響きがある。

 

わが国の愛国心・国を守る心は、尊皇精神と一体である。

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千駄木庵日乗五月十三日

午前は、諸雑務。

 

午後は、日本橋室町の三井記念美術館にて開催中の『明治工芸の粋』展参観。この美術展は、「近年、明治の工芸なかでも、超絶技巧による、精緻きわまりない作品が注目を集めています。しかしながら、それらの多くが海外輸出用の商品であったため、これまで日本国内でその全貌を目にする機会は、ほとんどありませんでした。本展では、村田理如(まさゆき)氏の収集による京都・清水三年坂美術館の所蔵品のうち、並河靖之(なみかわやすゆき)らの七宝、正阿弥勝義(しょうあみかつよし)らの金工、柴田是真(しばたぜしん)・白山松哉(しらやましょうさい)らの漆工、旭玉山(あさひぎょくざん)・安藤緑山(あんどうろくざん)らの牙彫をはじめ、驚くべき技巧がこらされた薩摩や印籠、近年海外から買い戻された刺繍絵画など、選りすぐりの約160点を初めて一堂に展観いたします。質・量ともに世界一の呼び声が高い、村田コレクション秘蔵の名品が三井記念美術館に勢ぞろいします」との趣旨で開催された。(案内文)

 

村田理如氏は、村田製作所専務取締役を勤められ、清水三年坂美術館開館し、現在同館の館長をされている人である。

 

並河靖之「花紋飾り壺」、海野勝珉「龍子図対花瓶」、芝山「花鳥図大花瓶」、赤塚自得「四季草花蒔絵堤箪笥」、錦光山「花鳥図花瓶」、明珍「蛇」、石川光明「老人二童」、安藤緑山「竹の子、梅」、藪明山「蝶に菊尽し茶碗」、無銘「瀑布図」などを観る。

 

精緻にして美しい作品が数多く展示されていた。よくぞこれほど細かい図柄を描く人が出来たと感心する。筆と絵具で描いたのではなく、糸で編んだり、金属を加工したりして創作するのだから大変な技術が必要だと思う。単に工芸品と言うものではなく、立派な美術作品になっている。即ち、観る者をして感動させる美的力があるということである。みかんや茄子の彫り物もあったが、思わず手を出して食べたくなった。

 

帰宅後は、、『政治文化情報』原稿執筆、資料整理など。

 

本日は、母のいる施設には行けなかった。

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2014年5月13日 (火)

石原慎太郎氏の『文藝春秋』における発言について

「皇室にあまり興味はないね。僕、国歌歌わないもん。国歌を歌うときはね。僕は自分の文句で歌うんです。『わが日の本は』って歌うの」と発言した石原慎太郎氏は、『文藝春秋』今月号で次のように言っている。

 

「天皇皇后両両陛下がいらっしゃる時には国歌をでも、国会に他の皇族が来たときには、『君が代』ではなく、自分の文句で『わが日の本は』って歌う」。

 

思うに、『文學界』における発言に対する批判が起ったので、このような言い訳的発言をしたのであろう。しかしこの主張は根本的に間違っている。では色々な公的行事、例えば公立学校の卒業式・入学式には当然、両陛下のご来臨ないのである。その時はどうするのか。両陛下の御前であろうとなかろうと、国歌『君が代』は歌詞通りに正しく歌われなければならない。

 

さらに石原氏は『国歌君が代』は、「天皇の権威の安定を願うための萬葉集からできた歌なんだから」と言っている。これもおかしい。『国歌君が代』は『古今和歌集』の「賀歌」から出た歌であり、直接的には『萬葉集』から出た歌ではない。

 

さらに石原氏は、「山口二矢って僕は神様だと思いますよ。素晴らしいテロリストだった」と言った。山口二矢氏は、「七生報国」の「楠公精神」を継承して直接行動を行い、潔く自決されたのである。楠公精神とは絶対尊皇精神である。

 

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石原慎太郎氏の尊皇精神なきナショナリズム・国家主義は危険である

平成十九年十二月二十二日の『千駄木庵日乗』に小生は次のようなことを書いた。

                   ○

「平成十八年十二月二十一日の『朝日新聞』に、石原慎太郎都知事が、『二〇一〇年の夏季五輪招請組織の名誉総裁に皇太子同妃両殿下にご就任をお願いする』意向を示したという記事が載っていました。その後、このことがどうなったか知りませんが、私はそういうことをお願いすべきではないと思います。もしも万一、招請できなかったら、皇室にご迷惑がかかる事態になるのではないでしょうか。こういう先行き不透明な問題、しかも、他の国との競争をしなければならない事、まして、都知事選の争点にもなる問題に、皇室にお関わりいただくのは慎むべきであると思います。

石原氏の都知事としての実績は大いに評価しますし、彼の国防問題・外交問題などに対する姿勢は高く評価します。民主党推薦の変な人が都知事になるよりは石原氏の三選の方がよっぽど良いと思います。しかし、石原氏の皇室への姿勢はいささか問題があると思います」。

                   ○

石原慎太郎氏は、『文学界』本年三月号において、「皇室にあまり興味はないね。僕、国家歌わないもん。国歌を歌うときはね。僕は自分の文句で歌うんです。『わが日の本は』って歌うの」と発言した。

石原氏は、尊皇精神が全くない人物であることがいよいよ明白になった。しかも、政治的には皇室天皇を利用し奉るのだ。天皇・皇室を冒瀆し奉る人物である。「いささか問題がある」どころではない。実に許し難い。

 

先日、ある方と懇談をしていて、心に残る話を聞いた。その方は、「日本の現状を憂え祖国を守る戦いは重要だが、その根幹にしっかりとした尊皇精神が無ければならない。明治維新は、『尊皇攘夷』を基本理念にした戦いであった。今日も戦いもそうであらねばならない」と語っていた。全く同感である。

尊皇精神なくして真の維新が断行できるはずがない。尊皇精神と攘夷は一体である。石原慎太郎氏の尊皇精神なきナショナリズム・国家主義は危険である。

 

 

 

「尊皇攘夷」の精神が確立されていないで、真の攘夷も維新も出来るはずがない。尊皇精神無き攘夷論は危険である。その典型が石原慎太郎氏である。

 

 

「尊皇攘夷」の精神が確立されていないで、真の攘夷も維新も出来るはずがない。尊皇精神無き攘夷論は危険である。その典型が石原慎太郎氏である。




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この頃詠みし歌

文に書けず歌にも歌へぬことありてやるせなき思ひの湧きて来るなり

安住の地となりませと切に祈る 母上は老人ホームに移りたまへり

父と共にディズニー映画を見し事が昨日の如くに思ひ出さるる

保守といふ言葉も虚ろになりにけり國體護持を拒否する政治家

尊皇と敬神の心無きままのナショナリズムを恐れる心

先帝陛下みはふりの祭り偲びつつ新宿御苑の庭にたたずむ

人々が平和なる時間を過ごしゐる新宿御苑の新緑の光り

わが歩み一目散に母のゐます老人ホームに急ぎ行くなり

母上は少しやつれたる顔をして家に帰ると言ひたまふなり

出来るだけ毎日施設に通ひ行き母を励ますがわが務めなる

母上と少しの時間を共に過ごす老人ホームの食堂の隅

母と別れバスを待ちつつ夕暮の街角に立つ時のさみしさ

苛立てる母をなぐさめる言葉なしただ安らかにゐませと祈る

今朝もまた野菜を刻みマヨネーズつけて食せり一人居の部屋

鶏肉を直火で焼きて食すなりああうまきかな今日の朝餉は

乃木大将まつれる宮に参り来し夕暮時のこの静けさや

何となく筆は躍りて魂のふるひ立つままに歌詠みにけり

道で会ひし幼なじみも老いし母を労はり過ごすと我に語れり

パソコンのキーを叩きておのが存念を文章にして日々過ごすなり

「ふるさと」の歌を歌へるわが母の姿を見れば涙こぼるる

老いし母と「如何にゐます父母」と歌へば涙とどめかねつも

雷鳴の轟く午後にひたすらにもの書きをれば心鎮まる

春雷が轟きて大粒の雨降ればかへって心さやかになりぬ

母上がこの子は良い子と我のことを他人にほめるはうれしかりけり

我のことを一時間も玄関で待ちゐしと聞けば胸も張り裂ける思ひ

この怒り何処に向ければよきものぞ母の苦しむ姿を見つつ

手を取りてあるいは頬を撫でにつつ慰めるよりすべなかりけり

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千駄木庵日乗五月十二日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事、、『政治文化情報』原稿執筆。

この後、施設に赴き母に付き添う。食事の介助。昨日よりはやや元気そう。しかし、やはり家に帰りたがる。

帰宅後も、原稿執筆。

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2014年5月12日 (月)

日本人の天地の神への信仰

わが國の神は天の神・地の神、陽の神・陰の神に系統が分かれる。『古事記』冒頭に「天地の初発の時、高天原になりませる神の御名は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)。次に高御産巣日神(たかみむすびのかみ)。次に神産巣日神(かみむすびのかみ)」と記されてゐる。この三神を造化の三神と言ふ。天地宇宙の根源の神であり生成の神である宇宙大生命の神である。高御産巣日神は陽の神であり、神産巣日神は陰の神である。

 

 

 

そして、國土生成の神であられる伊耶那岐命・伊耶那美命は、伊耶那岐命が男性神・陽の神であり、伊耶那美命が女性神・陰の神である。伊耶那岐命が筑紫の日向の小門の阿波岐原で身禊をされた左の目を洗はれた時になりませる神が天照大神である。鼻を洗はれた時になりませる神が須佐之男命である。

 

 

 

天照大神の系統の神様が、天の神であり陽の神である。天照大神の御孫であらせられ、地上に天降られて地上を統治される神が、皇室の御祖先である邇邇藝命である。また、天照大神の弟君である須佐之男命の系統の神様が地の神であり陰の神である。須佐之男命の子孫の神が國土の神であり邇邇藝命に「國譲り」をされた大國主命である。

 

 

 

そして、神武天皇をはじめとした御歴代の天皇は、天の神・地の神の霊威を身に帯びられて國家を統治されて来てゐる。

 

 

 

全國各地に、天照大神をお祀りした神社、須佐之男命をお祀りした神社がある。わが國民は、天の神・地の神(これを天神地祇と言ふ)を共に敬って来た。農耕生活を営む上において、天の恵み(太陽)と地の恵み(土と水)は欠かすことができないので、わが國の祖先は天神地祇を篤く信仰したのである。

 

 

 

地の神である須佐之男命も、天の神である天照大神の弟神であられる。天の神も地の神も根源的には姉と弟であり一つなのである。天の神・地の神、陽の神・陰の神は絶対的に対立する神ではなく、本来一つの神の二つの性格の表現である。

 

 

 

日本人は、天の神・地の神を対立して考へず、一体のものとしてとらへた。天の神・地の神として全てを包み込んでしまひ、漏れ落ちることがないといふのが日本人の傳統信仰である。

 

 

 

須佐之男命は、天照大神に反抗して高天原で大暴れするけれども、出雲の國に天降ると、豊饒の神となって、民を助ける。日本人は「天と地」・「善と悪」を厳しく峻別するといふのではなく、「悪」も見直し・聞き直しをすれば「善」となるといふ大らかな精神を持ってゐる。

 

 

 

キリスト教などの一神教では天と地とは隔絶した存在であり、人間がこの世から天國へ行くのは簡単ではない。イエス・キリストを神の一人子として受け容れ、信仰し、他の宗教を捨て、原罪を悔い改めなければ天国に行くことはできない。

 

 

 

しかし、わが國の傳統信仰においては、天と地とは隔絶した存在ではない。それはわが國が四方を海に囲まれてゐて、水平線をよく見ることができる。水平線の彼方は海と空とが一体になってゐる。空のことも「天(アマ)」と言ひ、海のことも「アマ」と言ふ。日本人は、天地は一如であると観察してゐたのである。

 

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千駄木庵日乗五月十一日

午前は、諸雑務。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

夕刻、施設に赴き、母に付き添う。食事の介助。車椅子で施設の玄関まで行ってね一時間ばかり私が来るのを待っていたという。顔色は良いのだが、元気がない。家の帰りたがる。本当に可哀想でならない。個室に一人母を残して帰宅。

帰宅後も、原稿執筆。

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2014年5月11日 (日)

台湾人元皇軍兵士の「ますらをぶり」

台湾人元日本兵の遺文と遺詠を掲げさせていただく。

「  陸軍軍属(通訳) 玉峯長雄命 台湾名董長雄

 

昭和二十三年六月二十二日 ジャワ、バタビア、グロバックにて法務死、台湾高雄州潮州郡枋山庄楓港出身、 

ジャワボコール第十六軍憲兵隊所属

 

前略 本職は台湾人である。あるが故に一身を捧げ妻子を犠牲にして法廷に於て最後の一線を守り、そして散るのである。日本のためを思って終始一貫の信念を守って戦ったのである。そして國家の所属が変っても、本職は日本人として死んでいき度いのである。

 若しこの裁判は『正義のため』と言はずして『報復』と呼称せば本職は死刑にされても何をか言はむ。何が正義だ! 何が裁判だ!

 最後の御願ひに将来大日本帝國が復興せば、どうか本職の一子董英明を政府に於て日本教育を恵み給はらん事を御願ひ申し上げます。

 

 昭和二十三年二月十九日

                  於チビナン刑務所死囚房 玉峯長雄

 

 遺詠

 惜まれて吉野の花の散るごとく散らましものをますらを吾は

 

 たわけ奴の撃つ十発は男の子吾が胸板貫くもまことは貫けじ           

                                     」

               ◎

 

台湾人にして、かくほどに純粋なる「ますらをぶり」「大和魂」を体得し刑死せられた方の遺書に、涙を禁じ得ない。我々は台湾人への感謝と信義を忘却してはならない。「裁判は『正義のため』と言はずして『報復』と呼称せば本職は死刑にされても何をか言はむ。何が正義だ!何が裁判だ!」といふ血を吐くやうな叫びは殆どの昭和殉難者(いはゆる戦犯者)が抱いた共通の思ひではなかったらうか。「戦犯がまつられてゐるから靖國神社に参拝するのはおかしい」などといふ考へは全く間違っている。神への冒瀆である。

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千駄木庵日乗五月十日

午前は、諸雑務。

午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、『アジア問題懇話会』開催。袴田茂樹新潟県立大学教授が、「ウクライナ情勢から新たな世界秩序を読む」と題して講演。質疑応答。本日も、奥野誠亮先生がお元気に出席され、自説を開陳され、かつ、質問をされた。

銀座にて、知人と懇談。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2014年5月10日 (土)

小林節慶應義塾大学名誉教授の講演内容

三月十四日に開かれた『一水会フォーラム』における小林節慶應義塾大学名誉教授の講演内容は次の通り。

 

「私は憲法改正に反対ではない。集団的自衛権の定義が混乱している。例えば、私が襲われれば私自身で報復するのが個別的自衛権。同盟関係を結んだらその同盟者が襲われたら何も考えずに飛んで行って助けるのが集団的自衛権。それが国際法の常識。

 

国際法とは国際社会の様々な条約の総称。国内法は逆らうことはできない。国際社会には中央政府がない。言わば原始社会。国際社会の慣習を書き留めたものが国際法。独立主権国家である以上、自国が攻撃された場合自国独自でやり返す『個別的自衛権』と『集団的自衛権』がある。集団的自衛権を行使すると言うことは、日本に利害がなくても同盟国が危機にあるならば集団的自衛権を行使しなければならない。

 

国家機関は国内法の制限を受けるのは国際法の常識。国内法の裏付けがなければ日本の国家機関は出て行けない。人権に関する条約は結んでも『この点に関しては留保する』ということはいくらでもある。

 

『戦争放棄』を宣言すれば戦争がなくなることはあり得ない。紙切れに『放棄』と書いて戦争がなくなるはずなし。『パリ不戦条約』に『締約国ハ国際紛争解決ノ為戦争ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互関係ニ於テ国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ厳粛ニ宣言スル』と書かたが、その後も戦争をやり続けた。

 

侵略戦争は不正義。しかしチベット・内モンゴル・東トルキスタンで行われている。自衛戦争は放棄できないのは当たり前。不当に襲われたら抵抗するのは当たり前。他国の軍事力で運命を決めさせられることはあり得ない。侵略戦争はできないが、自衛戦争はできる。これを『日本国憲法』第九条第二項とどう整合性を持たせるかが鍵。

 

『日米安保』は片務条約ではない。日本は基地を提供している。大変なサービスをしている。思いやり予算として金まで払っている。アメリカにとって十分に双務条約。日本は劣等感を持つ必要なし。今の憲法のままではアメリカと一緒に海外に派兵できない。

 

中国が尖閣を襲ってきたら、日清戦争の二の舞。中国軍は張子の虎。日本の自衛隊はクォリティが高い。自衛隊が万一負けてもアメリカが尖閣を占領する。尖閣に中国軍の基地が出来たら、太平洋への出入りが自由になる。アメリカはカルフォルニアで敵と向き合わねばならない。

 

戦争で生命を失うのは国民。主権者国民に堂々と問いかけたら良い。国会で堂々と議論すれば良い。国民の過半数の賛成を得て憲法改正すれば良い。

 

私は愛国心が悪いと言っているのではない。憲法で愛国心を国民に押しつけるなと言っている。愛は自分の心の奥底の事。愛は他人に強制するものではない。國を見たことがありますか。国とは約束事である。抽象的法人格。自分の心の中で勝手に意識するもの。最高権力者の安倍ちゃんが法律で『僕を愛しなさい』と言うのは気持ちが悪い。国民に『この国に暮らして良かった』と思われるような政治をすべし。法と道徳を混同してはならない。

 

私はジョージ・ワシントンの肖像画を持っている。國を作ったワシントンは王様になるのを断った。『イギリスの王や貴族と戦って独立したのに、我々が王を作ってどうするのか』と言って、選挙でプレジデントを作った。終身大統領になるのも断り、二期で辞めた。

 

国王は神の血筋とされ『国王は悪事をなす能わず』と言われていた。だから絶対王制権力を縛る憲法は存在しなかった。神でない人間が大統領になった以上、権力を縛る憲法が必要になった。それが世界最初の成文憲法『米合衆国憲法』」。

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千駄木庵日乗五月九日

午前は、諸雑務。

午後は、『萬葉集』評論原稿執筆。

この後、施設に赴き、母に付き添う。食事の介助。私が帰ろうとすると、母が「一緒に帰る」と言うのがつらい。

帰宅後も原稿執筆。

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2014年5月 9日 (金)

絶対尊皇精神・楠公精神について

 尊皇精神とは、日本國の祭祀主であられ神聖なる君主であられる天皇への「かしこみの心」である。そしてそれは日本人の道義精神の根本である。 

 「楠公祭」が近づいて来た。尊皇精神・勤皇精神の體現者が楠正成公である。日本國民の「楠公崇拝」即ち楠正成を尊崇する心とは、楠公の絶対尊皇の精神と行動に共感する心である。

 

久保田収氏は、「『太平記』四十巻の中で、近世の人々が最も感動深く読んだものは、正成の活動と忠誠とであった。正成が天皇の御召しを受けて参上し、力強く決意を申上げたこと、千早の険に拠って、北条氏の大軍を向こうにまわして、…奮戦し…中興の糸口をつくったこと…七生報國の志を残して、湊川で戦死したことなど、正成が死生を超越し、一意至誠をもって天皇に捧げた純忠の精神は、読む人に深い感動を与え、正成への憧憬と、その志をうけつごうとする決意とを生み出したのである。…天和二年(一六八二)に亡くなった山崎闇斎…の學問の流れを汲んだ若林強斎が、その書斎を望楠軒といって、楠公を崇拝する気持ちを明白にし、正成が『仮にも君を怨みたてまつる心おこらば、天照大神の御名を唱うべし』と申したということに感じて楠公崇拝の心をおこした、と傳えている…強斎は、このことばが『わが國士臣の目当』であると考え、正成を日本人の理想像として仰いだのである。」(『建武中興』)と論じてゐる。

 

足利高氏軍が兵を率いて九州から進攻して来た時、楠正成は、後醍醐天皇に「比叡山に行幸して頂き、正成も郷里の河内に馳せ下り、畿内の兵を以って淀の川尻をさし塞ぎ、物資の都への流入を断ち、敵を兵糧攻めにして苦しめ、その間に義貞と正成とで敵を挟撃すれば、必ず勝利を収めることができる」と献策した。

 

しかし、その献策は朝廷の容れるところとならなかった。『太平記』によると、正成は「討ち死にせよとの勅定ござむなれ。義を重し死を顧ぬは忠臣勇士の存る処也」と言って、五百余騎で兵庫に向ひ、見事に討ち死にした。

 

『太平記』は、楠公を讃嘆して、「智仁勇の三徳を兼て死を善道に守り、功を天朝に播(ほどこす)事は、正成ほどの者は未だ有らず」と書いてゐる。また、足利高氏側近の武将が書いたとの説がある『梅松論』でさへ、「賢才武略の勇士ともかやうの者をや申べきとて、敵も味方もおしまぬ者ぞなかりけり」と楠公をほめてゐる。かかる楠公の絶対尊皇精神は、後世に大きな影響を与へた。

 

久保田収氏はさらに次のごとく論じてゐる。「明治維新のために活動した多くの志士は、ほとんど例外なく楠公に対する感激と崇敬とを抱いていた。…松陰は『七生説』を作って、正成が七度人間と生まれて國賊を滅ぼすことを誓ったことについて、『楠公兄弟、たゞに七たび生れるのみならず、初めより未だ死せざるなり』といい、『是より其の後、忠孝節義の人、楠公に見て興起せざるものなし。…』となし…人々のこころが楠公に帰一した時に、明治維新は成就したのである。」(『建武中興』)

 

高山彦九郎・有馬新七・真木和泉守保臣など維新の志士たちの楠公仰慕の心は非常に強いものがあった。楠公の絶対尊皇精神が、明治維新の戦ひに挺身した志士たちの精神的基盤であったと言っても過言ではない。

 

本居宣長は、「から國にて、臣君を三度諌めて聽ざる時は去といひ、子父を三たびいさめて聽ざるときは泣てしたがふといへり、これは父のみに厚くして、君に薄き悪風俗也。…皇國の君は、神代より天地と共に動き給はぬ君にましまして、臣下たる者去べき道理もなく、まして背くべき道理もなければ、したがひ奉るより外なし。なほその君の御しわざ悪くましまして、従ふに忍びず思はば、楠主の如く、夜見の國へまかるより外はなきことと知べし、たとひ天地はくつがへるといふとも、君臣の義は違ふまじき道なり…然れば君あししといへ共、ひたふるに畏こみ敬ひて、従ひ奉るは一わたりは婦人の道に近きに似たれ共、永く君臣の義の敗るまじき正道にして、つひには其益広大なり。」(『葛花』)と論じてゐる。

 

天皇は現御神であらせられ絶對的に尊ぶべき御存在である。もしも、万が一、天皇の御心や御行動が、自分の考へや思想や理想と異なることがあっても、天皇陛下を批判する事は絶對にあってはならない。むしろ自らの祈りが足りないことを反省すべきである。天皇陛下が間違った御命令を下されたり行動をされてゐるとたとへ思ったとしても、國民は勅命に反してはならずまして反對したり御退位を願ったりしてはならない、如何にしても従へない場合は楠正成の如く自ら死を選ぶべきであるといふのが、わが國の尊皇の道であり、勤皇の道であることを、本居宣長先生は教へられてゐる。

 

ただし、諌め奉る事を否定してゐるとは思わない。三度までは諌め奉り、どうしてもご翻意なき場合は、泣きて従うのが日本天皇に対する臣下国民の道である。

 

捨身無我の絶対尊皇精神がここに説かれてゐる。これが日本人の道義精神の極地である。これを「恋闕心」と言ふ。恋闕心とは、宮闕(きゅうけつ・宮殿・宮城・宮門・)を恋い慕う心のことである。ただひたすらなる尊皇の思ひである。

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千駄木庵日乗五月八日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事、書状執筆など。

午後六時半より、赤坂の日本財団ビルにて、『第七八回東京財団フォーラム・ウクライナ危機と今後の日露の戦略的関係』開催。秋山昌廣東京財団理事長がモデレーター、下斗米伸夫法政大学教授、西谷公明国際経済研究所理事、畔蒜泰助東京財団研究員がスピーカーとなって討論が行われた。

帰宅後は、原稿執筆など。

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2014年5月 7日 (水)

『清明心』が日本の倫理精神の根本

 

日本人の倫理道徳の根本は、「清明心」「正直」「まこと」「無私」にある。そして、祭り主日本天皇は、「清明心」「無私」の體現者であらせられる。

 

天照大神が天の岩戸からお出ましになり、その御光が天下に輝きわたった時、八百萬神が一斉に「天晴れ、あな面白、あな楽し、あな清明(さや)け、おけ」と唱へて、高天原みな笑ったと、『古語拾遺』に記されてゐる。

 

日本國民は古来、「清けく明けく」(清明心)を最高の価値として来たのである。清々しく明るい日本民族精神は、天皇の神聖性を讃嘆し、その大御心に従ひ奉る精神なのである。

 

「清明心(清く明らかなこと・きよらけくあきらけき心)」は、神話時代以来わが國の重要な道徳観念である。日本人は、「あいつは悪い奴だ」といはれるよりも、「あいつは汚い奴だ」といはれる方を厭ふ。わが國においては善悪よりも清いか汚いかが道徳基準となる。

 

天智天皇は

 

「渡津海の豐旗雲に入り日さし今夜の月夜清明(あきらけく)こそ」

(海空に、豊かに旗の如くたな引く雲、それに入り日がさしてゐる。今夜の月夜は明らかなことであらう。)

 

と詠ませられてゐる。「清々しい」といふほどの心にこの「清明」の文字をあてた御心が大事である。「清明心(汚れなく・清く・くもりなく・明らけき心)」にあこがれ「くらき心」「きたなき心」を嫌った心が日本人の心である。神道が禊祓を大切な行事とするのもこの精神によるのである。「清明心」は「まごころ」といはれる精神であり、中世神道においては「正直」と称せられるものである偽善や嘘を嫌ふ心である。無私の心であり我執なき無我の心である。

 

西洋精神が自我を拡張し、自我を確立することを根本とするのとは對照的にわが國は「無我」を根本とするのである。無我・無私となられて神を祭られる天皇は、「清明心」の根源者であらせられ、体現者であらせられるのである。ゆへにこそ「現御神・現人神」と仰がれるのである。そして現御神日本天皇に對し奉り無私となって仕へまつる國民の精神と行動も「清明心」なのである。

 

明治天皇は

 

さしのぼる朝日のごとくさはやかにもたまほしきは心なりけり

あさみどり澄みわたりたる大空の広きをおのが心ともがな

 

と詠ませられてゐる。この御製の大御心こそ清明心であると拝する。

「清明心」「清き心」の傳統は、日本の倫理思想の中に力強く生きてゐる。そしてそれは、絶對尊皇精神と一体の倫理観であった。日本武尊の御事績を拝すればそれは明らかである。

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千駄木庵日乗五月七日

午前は、諸雑務。『伝統と革新』編集の仕事。

午後は、今夜の「萬葉集講義」の準備。

この後、施設に赴き、母に付き添う。食事の介助。

午後六時半より、『萬葉古代史研究会』開催。大伴旅人などの歌を講義。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事など。

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『皇室典範』について

中川八洋氏は、「傳統や慣習は”法“であるから、法律の上位にあって、この”法”に背理する法律についてはそれを無効にすることができる。英國のE・コーク卿が理論化した”法の支配”とは、このような、『傳統・慣習・先例・過去の判例、その他のコモン・ローは、國王の勅令に対しても、國會で採択された法律に対しても、優位する憲法原理』のことである。…日本も、英國と同じく、この古来より先蹤の積み重ね──古法──を”法” としてきた。これをしばしば”古格”とか”旧慣”とも称し、この”旧慣の尊重”の重要性を説き、西洋の法律をやたらに模倣する、当時の同僚や部下の法律家を諌めた。」「皇室典範もまた、天皇の意志や恣意で改変されることの無いように、その改正権をもつ皇族會議を主宰する天皇に対して、”上位の法゛、天皇は皇室典範に対して”下位の機関゛」という、法思想のルールの遵守を天皇に奏請したのである。」(『皇統断絶』) と論じてゐる。

「國王といへども法の下にあるといふのが『法の支配』の原点である」といふ考へ方がある。これは、イギリスの法思想であるといふ。かかる法思想は、「王の権威と権力は神によって与へられた」とする西洋の立憲君主國家の考へ方であって、わが國には通用しないし、通用させてはならない。 天皇は権力者ではなく祭り主である。わが國の國體は祭政一致である。天皇は法の上におられるとか下におられるとかではなく、天皇の「おほみことのり」そのものが「法」なのである。わが國においては、現御神日本天皇の「大御心」「勅」(みことのり)が絶対にして最高の法である。

わが國の「法の起源」は、祭り主たる天皇が神の意志を傳へる『のりごと』である。法(のり)は宣(のり)である。天皇の上に「法」があるのではなく、天皇の宣命(おほせごと・大御心)が法なのである。

そもそもコモン・ロー(common law)とは、大陸法系と区別された英米法系に属する法制のことであり、特にイギリス普通法裁判所の判例法として歴史的に発達してきた一般國内法のことであると言ふ。日本と英國とは國體・歴史・傳統・風俗・習慣が異なるのであるから、英國の法思想をそのまま日本に取り入れることは出来ない。

天皇が祭りを執行され、神の御心をお知りになり、臣下は天皇がお知りになった神の御心に基づきそれを實現するために實際の政治を行ふといふのが、わが國の古来からの「まつりごと」のあり方である。これが「しろしめす」といふ天皇統治の實相である。これを「祭政一致」といふ。

古来、我が國では、宮廷其他の法律・命令はすべて「のり」といふ語で表されてゐて、「のりと」と法律・命令とは根本はおなじものである。 歴代天皇は、神のご意志をよくお知りになって神のご意志を實現させることを使命とされる。日本天皇が、神を祭る時にうかがった神の意志を告げることを『ノル(告る・宣る)』といふ。「ノル」は名詞にすると「ノリ」であり、「法」を「ノリ」といふのは、祭り主たる天皇が「告る・宣る」ことがすなはち法となるからである。

三潴信吾氏は、「我が御歴代の天皇の下における一切の認定法は、天照大御神と一体たり給ふ 天皇の大御心の発現であって、神定即人定と云ふべきもので、ここにわが國法の神聖性の根拠があり、従って又、そこに日本民族の尊皇遵法の根拠があるのである。」(『日本憲法要論』)と論じてゐる。 「天皇は『憲法』『皇室典範』よりも下位にある機関」などといふ説はまったくわが國體と相容れない。第一、現御神日本天皇断じて「機関」ではあらせられない。

天皇國日本の「法」の尊厳性は、「天皇の仰せごと」といふところにある。天皇國日本においては憲法を含め全ての「法」の正統性は、天皇の神聖権威によるのである。なぜなら天皇は現御神であらせられるからである。天皇の正統性は憲法によるのではない。現御神日本天皇以上の権威は日本には存在しない。皇位継承など皇室に関することは、國家の権力機構である立法府・行政府で決めるべきではなく、最終的には、天皇陛下の大御心に遵ふべきである。

「皇位継承」「『皇室典範』改定」は、日本國家を體現される御方の「御位」(みくらい)に関する事柄であり他の政治問題とは全く性格を異にする。また、皇位継承とは、『天津日嗣の高御座』の繼承である。普通一般の國家の國家元首・権力者交代とはまったく次元を異にする。 ゆへに、権力機構が多数決で決めてはならない。また、『天皇のご意志を伺はなくていい』などといふ議論は全く間違ってゐる。日本の傳統の根幹に関はることなのであるから、日本の傳統の體現者であらせられる天皇の御意志のままに決められるべきである。

日本天皇の皇位繼承は、他國の王位繼承・元首の選び方・権力者交代システムとは全くその本質を異にする。皇位繼承とは、神代以来の道統を繼承する天皇の御位に関することである。天皇國日本といふかけがへのない信仰共同體・祭祀國家の存亡に関はる重大問題である。権力機関で議論し決定すべきではない。

「皇位繼承」は、祭祀國家日本の祭祀主に関はること、天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同體日本の國體に関する神聖なる事柄であり、世俗の権力問題ではない。即ち決して『現行憲法』のいふ「政治権力作用としての國政」ではない。占領軍に押し付けられた『占領憲法』などに拘束されて、天皇の大御心を無視するなどといふことは許されない。

國體の上に成文法があるのであり、成文法の下に國體があるのではない。わが國の國體は「祭政一致」である。天皇は権力者ではなく祭り主である。したがって、天皇の「おほみことのり」そのものが「法」なのである。わが國の「法の起源」は、祭り主たる天皇が神の意志を傳へる「のりごと」である。祭政一致のわが國の国柄においては、祭祀主たる天皇が神の意志として宣(の)べられた事が最高の「法」と考へられた。わが國においては、現御神日本天皇の「大御心」「勅」(みことのり)が絶対にして最高の「法」である。「詔勅」は神の御意志なのである。

「皇位」は「天津日嗣の高御座」と申し上げる。これは、「高天原にゐます天照大御神の靈統を繼承される御方の座される高い御位」といふほどの意である。まさに神聖不可侵の「御位」なのである。その神聖なる御位=「天津日嗣の高御座」の繼承のあり方を、権力國家の行政機関や立法機関で決定しては絶対にならない。あくまでも天つ神の御意志・神代以来の傳統に基くべきである。そして神の御意志・肇國以来の傳統の體現者は、上御一人日本天皇であらせられる。天つ神の地上におけるご代理=現御神であらせられ、神代以来の傳統の繼承者・體現者であらせられる天皇陛下の大御心に帰一すべきである。これが一番大切である。いかなる権力者であらうとも、いかなる立場の者であらうとも、臣下が議論して決めるべきではない。

旧『皇室典範』は、明治天皇が裁定され、制定された。即ち勅定である。議會や政府が定めたのではない。皇室に関はることは、なべて大御心に俟つべきである。一切は大御心のまにまにが、臣下國民のあるべき姿勢である。 国会や内閣が「皇室典範」改定を発議したり決定することは。政體が國體を規制し、権力が権威を規制し、「俗」が「聖」を規制することになる。これは文字通り國體破壊である。 数々の不祥事が噴出する最近の政治情勢・國會情勢を見てゐると、今の政治家が『皇室典範』を改定すること自體、不敬不遜の極みといふべきである。何回も繰り返すが、「天津日嗣の高御座の繼承」といふ神聖不可侵の事柄を、上御一人の御意志をうかがふこともせず、政争が繰り返される権力機構たる議會で決めるのは、間違ってゐる。

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2014年5月 6日 (火)

千駄木庵日乗五月六日

午前は、諸雑務。

午後は、明日の『萬葉古代史研究会』における講義の準備。

この後、施設に赴き、母に付き添う。車椅子を押して施設内を散歩。

帰宅後も、講義の準備など。

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ペリー来航と明治維新

 嘉永六年(一八五三)にペリーが来航した。ペリーの軍艦は、江戸湾に侵入し、大砲をぶっぱなして示威行動を行った。また、ペリーは大統領の國書のほかに、一通の書簡を白旗と共に幕府に提出した。その書簡には「……通商是非に希むに非ず。不承知に候はば干戈を以て天理に背くの罪を糺し候につき、その方も國法を立て防戦いたすべし。左候はば防戦の時に臨み必勝は我らに之有り。その方敵対なり兼ね申す可く、もしその節に至りて和睦を乞ひたくば、このたび送り置き候ところの白旗を押し立つべし」(どうしても開國通商をしてくれと希望しているのではない。承知しないなら武力に訴えるまでだ。我々は必ず勝つ。その時にはこの旗を掲げて降伏しろ、という意)とあった。これほどの恫喝外交はない。これがアメリカをはじめとした「先進文明國」たる欧米のやり方なのだ。

 

 西郷隆盛は後に『大西郷遺訓』において、「文明とは、道の普ねく行はるゝを言へるものにして、…世人の西洋を評する所を聞くに、何をか文明と云ひ、何をか野蠻と云ふや。少しも了解するを得ず。真に文明ならば、未開の國に對しては、自愛を本とし、懇々説諭して開明に導くべきに、然らずして残忍酷薄を事とし、己を利するは野蠻なりと云ふべし」と欧米を批判したが、アメリカの日本への恫喝はまさに西郷が指摘した通りのやり方だった。東方への進出即ちアメリカが誇りとするフロンティア精神とは東方への侵略そのものなのである。

 

 現にアメリカはメキシコを侵略し領土を奪った。今日のニュー・メキシコ州とカルフォルニアはもともとメキシコの領地だった。以前、ジョン・ウェイン主演の『アラモ』という映画が好評を博したが、これはアメリカのメキシコ侵略の原因となったアラモ砦の攻防戦を描いている。アメリカはアラモ砦を先にメキシコに攻めさせ、アラモ砦が全滅すると、「リメンバー・アラモ」を合い言葉にメキシコに侵攻したのだ。先の大戦においても日本に先に真珠湾を攻撃させて、「リメンバー・パールハーバー」を合い言葉に日本に襲いかかったのと全く同じやり方である。独立國家に対してすらこういうやり方を行うのであるから、他の地域に対してはもっと暴虐な方法を用いた。アメリカはまた、「残忍酷薄を事とし、己を利する」野蠻な方法でハワイやフイリッピンを侵略した。

 

 さらにペリーは、安政元年(一八五四)の二度目の来航の時には、幕府に油絵を贈り物として持って来た。その油絵はアメリカのメキシコ侵略を描いた戦争画であった。これは文字通り視覚による恫喝である。 

 

こうした事態に対して徳川幕府は、軍事的衝突を避けつつ、全國の力を結集する必要に迫られた。また鎖國という徳川氏政権掌握以来の基本政策を外國の脅迫によって修正することは幕府の権威と正統性を失墜する危険があった。そこで、國民的合意を達成するために、ペリーの要求に如何に対応すべきかを朝廷・各大名そして陪臣(大名の臣)にまで広く諮問した。徳川幕府成立以来の「國政は一切徳川幕府に任せられている」という原則を幕府自身が否定せざるを得なくなったのである。これは幕府の権威の大きな失墜である。

 

 徳川幕府の開國は文字通りアメリカの恫喝に屈したのである。徳川幕府を中心とした國家体制では、文字通り有史以来未曾有の内憂外患が交々来るといった状況の日本を保つことはできなくなったのである。言い換えれば、徳川幕府は、開國するにせよ攘夷するにせよ、これを断行する主体的能力のある政権ではなくなったということである。

 

こうした状況下にあって、國家の独立と安定と統一を保持するには、日本の伝統と自主性をもっともよく体現する存在=天皇を中心としなければならなくなった。そして、欧米列強の侵略から祖國日本を守るための國家体制は、神話時代からの伝統的君主である天皇を中心とする國家でなければならないということが全國民的に自覚されるようになったのである。戦國時代の武士同士の覇権争いの勝者・覇者たる徳川氏は國家の中心者たるの資格を喪失したのである。

 

このようにペリーの来航は、徳川幕府の弱体化・権威の失墜を天下に示し、日本國は天皇中心國家であるという古代以来の國體を明らかする端緒となった。これが明治維新の原理たる「尊皇倒幕」「尊皇攘夷」の精神の生まれた事情である。そして、徳川幕府を打倒し天皇中心の日本國本来の在り方に回帰する変革即ち明治維新によって日本は救われたのである。

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千駄木庵日乗五月五日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理。

この後、施設に赴き、母に付き添う。食事の介助。ケアマネージャーの方などと相談。母が家に帰りたがった。この施設に移ってから初めてのこと。やはり家が恋しいのだろう。可哀想である。

帰宅後は、資料の整理、そして明後日の『萬葉古代史研究会』における講義の準備など。

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2014年5月 5日 (月)

天皇の国家統治と「聖帝」の意義について

 <やまとことば>では「統治」のことを「きこす」「きこしめす」(「聞く」の尊敬語)と言う。天皇が民の心を聞かれるという意味である。

 

 日本を統治するために天の神の命令により天から天降られた天孫邇邇藝命の父にあたられ、天照大神が邇邇藝命の前に地上に天降らせようとした神を天之忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)と申し上げる。さらに、神武天皇の御子・綏靖天皇を神沼河耳命(かむぬなかはみみのみこと)と申し上げる。日本国の統治者・君主は「耳で聞く」ことを大事にされていたので「耳」という御名を持たれたと思われる。

 

 『古事記』には仁徳天皇の世を聖帝の世というと記されている。仁徳天皇は、高い山に登って四方の国をご覧になり、「国の内に炊煙が立たないのは国民が貧しいからだ。これから三年間国民から税金を取るのをやめよう」と仰せられた天皇で、聖帝と讃えられた。

 

 日本思想体系『古事記』の「補注」において佐伯有清氏は、「(聖帝の・註)『聖』とは、耳と呈(貞即ち正)から成り、耳聡く聞き分ける人、神秘的な洞察力のある人物。農耕社会では時候の推移を洞察して農事を指導することが、対立する主張を聴取して調整することと共に、王たるべき者の責務であるから、聖と王とは結びつきやすい」と論じている。

 

また『角川当用漢字字源辞典』(加藤常賢・山田勝美著)によれば、「意味を表わす『耳』と『口』と、音を表す『壬』とからなる形声字。…耳の穴がよく開いていて普通人の耳に聞こえない神の声の聞こえる意。…古代社会においては、普通人の聞きえない神の声を聞き分けうる人を『聖』と呼んだものであろう」という。

 

一般人が聞きえないことを聞く人というのは、聴覚器官が普通の人より発達している人ということではなく、神霊の声を聞く人ということであり、祭り主ということである。神の声を聞いて民に伝え、民の声を聞いて神に申し上げるという神と人とをつなぐ役目を果たされる祭り主が天皇であらせられる。

 

日本伝統の「ひじり」についての考えと支那の「聖」という字の意義とが結合して「聖帝」という考えが生まれたのであろう。

 

このように民の心を知りたまい(しろしめす)聞きたまう(きこしめす)ことが天皇の国家統治の基本なのである。権力支配組織ではない日本國體を、西洋的主権論で規定することは全く誤りであり、國體隠蔽である。

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千駄木庵日乗五月四日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理。

夕刻、施設に赴き、母と会う。食事の介助をしつつ話す。元気そうである。施設にも慣れた様子なので良かった。

帰宅後も、資料の整理。

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2014年5月 4日 (日)

数寄屋橋のお寿司屋さんのこと

今夕、友人と懇談した焼鳥屋さんの店員さんの話によると、我が国総理と某国大統領がその焼鳥屋さんの隣にある寿司屋に来た時、警察犬までがビルの地下に入ってきたという。また百人くらいの報道陣や警護の人が狭い廊下にたむろしたという。二人の要人がその寿司屋に来ることは前日夕方になって知らされ、すでに予約客もいたので休業にすることもできなかったという。

 

このビルは、私も以前はよく来た。昔、私の好物のきし麺屋があったからである。二十年くらい前、『夕刊フジ』にマグロのうまい店という事で、その寿司屋が紹介されていた。よく行ったきし麺屋の隣だし、古いビルの地下なのでそう高くはないだろうと高を括って入ったのが大間違い。大変な金額を取られた。たまたまお金を持っていてよかったと店を出てから安堵の胸をなでおろした。

 

卵焼きが何時も寿司屋で食べる「だし巻」ではなく、ふんわりしたカステラのような卵焼きだったので、「これは子供の頃よく遠足や運動会で食べた卵焼きだ」と言ったら、その寿司屋のご主人が「これが本当の寿司屋の卵焼きだ」と言って、作り方を説明してくれた、と言うよりも、お説教された。

 

その頃は、それほど有名店ではなかったので、客は私一人であった。味もよく覚えていない。あまりに高額だったので忘れてしまった。ご主人も無愛想の典型で、あまりいい感じはしなかった。

 

この寿司屋のあるビルは、終戦時の東部軍管区司令官・田中静壱陸軍大将の副官をしていた塚本清氏(陸軍大佐)が経営する企業の持ちビルである。田中司令官は、生長の家の信徒で、自決された時、観音経と生長の家のお経である「甘露の法雨」が枕元に置かれていた。田中静壱司令官は、昭和天皇の命を受け、終戦に反対して皇居を占拠し、玉音放送の録音盤を奪取しようとした青年将校を命懸けで説得した。このことは、塚本氏の著書である「ああ皇軍最後の日」に詳しく書かれている。

 

戦後、実業家として成功した塚本清氏は、日蓮正宗の信徒で、一時期、創価学会の財務部長や顧問もつとめられたが、池田大作氏と対立して辞めた。そして、日蓮正宗宗門に有力信徒として貢献した。

 

その塚本氏の経営する企業の持ちビルには、戦後民族運動の指導者の一人・児玉誉士夫氏が主催していた「交風倶楽部」があった。またその真向かいの数寄屋橋公園では、ほぼ毎日、大日本愛国党の赤尾敏先生が演説しておられた。懐かしい思い出である。

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千駄木庵日乗五月三日

朝、諸雑務。

午前十時半より、日本橋蠣殻町の中央区立日本橋公会堂にて開催された『ジャパンライジング プレゼンツ』にて、小生が「國體と大日本帝国憲法」をテーマにして講演。

午後は、新宿内藤町の四谷公会堂にて『新しい憲法をつくる国民大会』開催。清原淳平新しい憲法をつくる国民会議会長、高乗正臣平成国際大学副学長、中川雅治・桜内文城・平沢勝栄・三谷英弘・船田元各国会議員がスピーチ。

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この後、新宿御苑を散策。

夕刻、数寄屋橋の焼き鳥屋にて、知人と懇談。

帰宅後は、資料の整理。

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2014年5月 3日 (土)

憲法の「國體条項・天皇条項」について

天皇は言うまでもなく日本国の君主であらせられるのであるから、憲法の政体条項において明確に「元首」と規定されるべきである。

 

ただし、英語では「the head of state」という。Stateとは「主権を有する国家」という意味で、権力機構としての国家という意味が強い。したがって権力者ではあらせられない日本天皇の御地位を「the head of state」とするのはいかがなものかという考えも起こる。

 

昨日も論じたが、國家機関及び成文法は「天皇を中心とする日本國體」を基礎としその上に成立するものである。言い換えれば「天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同體・祭祀國家・道義國家」が日本國の本質であり、一億二千万國民が共同生活を営むための機構・制度・法律は、「天皇中心の信仰共同體」の上部構造として人知を結集して作られているのである。

 

したがって、『大日本帝国憲法』のように、國家機関及び成文法は、日本國體精神という不文法・國體法に立脚していなければならない。そういう前提・大義が立法意志として確立していれば、「天皇は日本国の元首である」と明記した方が、「象徴」などという規定よりは國體を正しく表現していると言える。

 

日本國の統治の大權は建國以来天皇にある。天皇統治とは、権力や武力によって人民を支配することではない。日本國の統治大権は建國以来、天皇にあるということを憲法に明確に示すべきである。天皇の統治大権とは、権力や武力による支配ではなく、祭祀と一體のものであり、天皇が神聖な信仰的権威によって統率し統一することである。ゆえに「萬世一系の天皇が日本を統治する」という表現が適切である。それは「天壌無窮の御神勅」の精神に立脚しているからである。

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千駄木庵日乗五月二日

午前は、諸雑務。

昼、施設に赴き、母に会う。元気そうにしているので一安心。

この後、上野公園の東京国立博物館に赴くも、一時間待ちとのことであきらめ帰宅。

帰宅後は、『月刊日本』連載の「萬葉集」解釈原稿執筆、脱稿、送付。明日の『ジャパンライジング プレゼンツ』における講義の準備。

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2014年5月 2日 (金)

憲法を論ずる大前提

憲法をはじめとした成文法及び國家機関の正統性は、天皇を中心とする日本國體の上に立脚しているところにある。天皇の正統性は成文憲法に立脚するのでは断じてない。

 

憲法には成文法と、不文憲法がある。わが国における不文憲法は、日本の國體、歴史、傳統そのものである。わが日本國の國體は天皇中心の國柄である。これに対し、實際の政治をどのような體制で行われているかを政體という。

 

わが國は有史以来、天皇親政、摂関政治、幕府體制、立憲君主制という歴史を経てきた。しかしどのような政治體制であろうともこの根本には「天皇中心の祭祀國家」という不文法としての國體が厳然として続いていた。

 

 不文法=國體法とは成文憲法の基礎であり、「國家の根本法の根本法」とも定義づけることができる。これに対して政體法とは、國體法の基礎の上に定められた國家の統治組織や國家活動の原則や國民の權利義務などに関する基本的な定めを総称する。不磨なのは國體法であり、政体法は民の幸福のためにどんどん改定されるべきである。

 

 天皇が日本國の君主であらせられるという國體法(不文法)は日本國建國以来不変である。天皇は日本の長い歴史を通じて「統治者」として君臨されていたということである。

 

歴史上、天皇の國家統治の實相が隠蔽された時期があった。しかしこれまで行われた日本の変革は、天皇の統治の實相を正しく顕現せしめる運動であった。

 

 この様な日本國の國體史・政體史を見てくれば、天皇及び皇室そしてそれを中心とする日本國體は、成文法としての憲法などの世俗的な法律を超越しており、成文法は國體および皇室に干渉することはできないのである。

 

 わが日本は國家の本質と君主たる天皇の御本質が建國以来、信仰的に厳然と確立している。これを法律的に言えば、不文法によって定まっているということである。故に成文憲法でそれを変革することはできないし、成文憲法は不文憲法(立國の基本)に反する規定をしてはならない。西洋から輸入した近代法思想に基づく成文憲法によってこの立國の基本を覆したり破壊したりしてはならない。 

 

 しかるに、現行占領憲法では、前文で「主權が國民にあることを宣言し」、第一条には「主權の存する日本國民の総意に基づく」という規定がある。これを根拠にして「日本は君主制の國ではないと」する意見がある。これは有史以来の國體を根本から否定する論議であるが、こういう議論が起こり得るところに現行憲法の重大欠陥がある。後藤田正晴はこうした思想の持ち主であった。 

 

 日本國の歴史と傳統すなわち不文法において、天皇中心の共同體を確立しているわが國で、成文憲法に共和制ともとれるような表現があるのは絶対に許されない。ゆえに現行占領憲法は否定されなければならない。

 

日本國家の生成は記紀神話で伝えられている。記紀によると、國家成立の三要素たる國土・君主・國民は、伊耶那岐命・伊耶那美命二神から生まれ出た存在であり、命の源を一つにする「はらから」である。天皇と國民の関係は、支配・被支配の関係ではないのである。祭祀主たる天皇は、國民を支配し隷従させたのではなく、信仰的権威(これを御稜威という)によって統率し統一したのである。信仰共同體・祭祀國家は、単に理念的な存在もっと言えば架空にして抽象的な存在ではなく、海という大自然をめぐらし、その中において稲作を中心とする農耕を営み、村落共同體から民族共同體へと生成発展してきた存在なのである。

 

日本神話は天皇中心の日本國體を、「豊葦原千百秋之瑞穂國は、天照大御神生みの御子すなわち日本天皇の統治される國」と表現したのである。

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千駄木庵日乗五月一日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆。

この後、施設に赴き、ケアマネージャーと相談、書類提出。母と会う、食事の介助。

帰宅後は、資料の整理など。

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2014年5月 1日 (木)

太刀・剣の神聖性

わが國の武士は太刀を「力と勇気と名誉と忠誠の表徴」として尊んだ。そればかりでなく太刀は神聖なものとして尊ばれた。太刀を御神体とする神社もある。日本武尊が「床の辺に 吾が置きし つるぎの大刀」と歌っておられるように、太刀は床の間に置かれた。太刀に対する侮辱はその太刀の持ち主に対する侮辱とされた。刀鍛冶は単なる工人ではなく、神聖なる職に従事するものであった。刀鍛冶は斎戒沐浴して工を始めた。太刀を作ることは神聖な宗教的行事とされた。

 

 

 

太刀(タチ)の語源は、「断()ち」であり、「顕()ち・現ち」である。罪穢を断つと共に、罪穢を断った後に善き事を顕現せしめるという言霊である。罪穢を祓い清めた後、神威を発動せしめる意である。太刀によって邪悪を滅ぼし、穢れを清め、本来の清らかさを顕現せしめるのである。

 

 

 

 太刀は「幾振り」と数えられるように、魂ふり(人の魂をふるい立たせ活力を与え霊力を増殖させる行事)のための呪具でもあった。日本の剣は人の命を絶つための道具ではなく、人の命を生かす道具なのである。まさに「活人剣」なのである。

 

 

 

 太刀・剣には魂が籠っていると信じられ、太刀を授受することは精神的・魂的な信頼関係が成立したことを意味する。敗者から勝者へ太刀・剣が奉られるのは、恭順の意を表する象徴的行事である。小野田寛郎氏がそれを行ったことは多くの人が記憶しているところである。小野田氏がルパング島で発見された後、当時のフィリッピンのマルコス大統領に軍刀を差し出した。軍人の魂であるところの軍刀を差し出すことは恭順の意を表することである。小野田氏は昭和の御代において武人の伝統を継承した人物だったのである。

 

 

 

 さらに言えば、「タチ」は「タツ」と同じ語源であり、それは「龍(タツ)」である。龍神は水の神であるから、水のよく出る山奥には龍神の祭った神社が多い。蛇を祭った社(やしろ)も水の神である。道を歩いていて、蛇を見ると光ってるように見える。「龍」や「蛇」は長くて光る動物であるので、「刀」とよく似ている。ゆえに「刀」は「龍・蛇」を連想させる。また、雷が鳴ると必ず雨が降る。だから水の神と雷神とも近い関係にあると考えられた。雷の稲妻は、光を放つので太刀を連想した。このように、「刀」「龍」「蛇」「水の神」「雷神」はきわめて近い関係にあるものと信じられた。

 

 

 

 須佐之男命が八俣の大蛇を退治した時、大蛇の尻尾から出て来たのが天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ・後の草薙の剣)である。八俣の大蛇は出雲の國を流れる斐伊川のことだとされ、大蛇が暴れるのは斐伊川の氾濫であり、大蛇に食べられそうになり須佐之男命に助けられた稲田姫とは稲田の人格化という説がある。

 

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千駄木庵日乗四月三十日

午前は、諸雑務。

午後は、施設に赴き、施設長・医師・ケアマネージャーと会う。母の今後のことについて相談。様々な書類提出。母に会う。元気そうだが、病院と違って、ゆっくり話すことができないのが残念。老人ホームの中に入るのは初めてのことなので、いろいろ驚くことか多い。職員の仕事は相当大変のようである。母の無事を祈って退出。

帰宅後は、書状執筆、母に施設入居にかかわる書類作成など。

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