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2014年4月20日 (日)

西郷隆盛の対韓外交論は侵略主義では断じてない

  西郷南洲先生は、全國三百万人ともいわれる没落士族の不満を、外にそらそうとし、且つ士族を救うために「征韓論」を唱えたが、岩倉具視や大久保利通に反対されたため、下野した、と言われている。生還とは韓国を征服する或は征伐するという意味である。本当に西郷先生はそのように考えを持っておられたのであろうか。

 

 西郷南洲先生の主張した対韓政策は全くの侵略論であったというのである。これは断じて誤りである。そもそも「征韓論」という歴史用語自体、大きな誤りであり、大きな誤解を生んでいる。

 

明治新政府の筆頭参議をつとめていた西郷隆盛は、決して朝鮮半島を武力侵略しようとしていたのではない。当時、韓國政府は、わが明治新政府に反感を持ち、國書の受取りを拒否するのみならず、「日本人は畜生と変わるところがないから今後日本人と交際する者は死刑に処す」という布告(今の北朝鮮でもこんな布告はない)を出したり、釜山の日本公館に準じる施設を封鎖したり、日本人居留民を迫害したり、韓國水軍が釜山沖で大演習を行った。

 

西郷隆盛先生は、「韓國政府の姿勢を糺すために西郷隆盛が自ら使者として韓國に赴く。万一、韓國側によって西郷が殺されるようなことになったら、やむを得ず戦端を開く」というごく当然の外交交渉を行うべしと主張しただけである。

 

  西郷先生は閣議で「大使は、宜しく烏帽子(えぼし)・直垂(ひたたれ)を着し、礼を厚うし、道を正しうして之に当たるべし。今、俄かに兵を率いて赴くが如きは、断じて不可なり。」と論じている。西郷は征韓でも武力侵略でもなく、礼を尽くして修好にあたろうと主張したのである。

 

  葦津珍彦先生は、「かれ(西郷隆盛)の説は決して好戦的でもなく威圧的でもない。十九世紀の列國外交が、常に兵力を用いて強硬外交をした事実とくらべてみれば、『論理的』にはるかに平和的で、礼儀正しい。この西郷の外交理論は、その後も変わっていない。これから間もなく西郷下野の後に(明治八年九月)、日本軍艦が仁川沖で朝鮮に対して発砲した時、西郷は公然と日本政府の武力行使と威圧外交を非難している」(永遠の維新者)と論じておられる。

 

  大久保利通は、西郷先生らの対韓政策を「内治優先」を理由にして反対しながら、西郷先生下野後の明治七年には台湾出兵を断行し、明治八年には江華島事件を起こして武力による朝鮮政策を行っている。

 

 「彼の強大さに萎縮し、円滑を主として、曲げて彼の意に順従する時は、軽侮を招き、好親かえって破れ、ついに彼の制御を受けるに至らん」との西郷隆盛先生の遺訓は、現在でも外交の基本指針である。 

 

 わが国は独立国家として、外国に屈従する事なく、不当な領土権主張のみならず、歴史問題についての内政干渉に、毅然と対処すべきである。

 

 『大西郷の精神』とは、国家の自主独立の精神であり、皇室を敬い国民に真の平安をもたらす政治の実現である。西洋列強の侵略から祖国を守り四民平等の国を建設するための大変革であった明治維新を戦い、さらに維新後にあってもなお、東洋の平和と理想の道義国家建設のために戦った大西郷の精神こそ、今の日本にもっとも必要なものである。何故なら今の日本は、幕末及び明治初期の我國以上に、外国から侮りを受け、政治は乱れに乱れているからである。  

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