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2014年4月 1日 (火)

「東京裁判」及び「村山談話」について

戦勝国による一方的な復讐劇=リンチが東京国際軍事裁判であった。東京国際軍事裁判は、“法の真理”に照らして完全に間違ったものであった。「平和と人道に対する罪=侵略戦争遂行の犯罪」「共同謀議の罪」を新たに作り、勝者が敗者を問答無用的に断罪した。しかし、そもそもそのような概念は、戦争が開始された時にも、終戦時にも、裁判後にも定着しなかった。

 

 東京国際軍事裁判は、人類の貴重な法文化たる法原則=「罪刑法定主義」の原則に全く反して被告を断罪した。つまり、裁判とは名ばかりの非常の野蛮で公平性を全く喪失した戦勝国による一方的な復讐劇=リンチが東京国際軍事裁判であったのである。

 

 「村山談話」には「国策を誤り」などと書かれているが、昭和三年から二十年までの十七年間に、総理は十四人、内閣は十五も成立しては倒れという状況であるから、一貫した国策など立てられるわけがない。文民と軍、陸軍と海軍の相剋も激しかった。したがって、共同謀議などということもあり得なかった。

 

 「村山談話」にはさらに「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」と書かれている。「植民地支配」とは、わが国の台湾及び朝鮮統治のことであるが、わが国の統治によって台湾や朝鮮に「多大の損害と苦痛」を与えたという事実はない。むしろその逆に、わが国の統治によって台湾及び朝鮮は近代化を遂げ発展したのである。    

 

 明治維新を断行したわが国は、まず李朝朝鮮を援けて清国の侵略を排除した。また朝鮮半島を保護下に置こうとしたロシアを撃破した。この二つの戦いが日清・日露両戦争である。

 

 朝鮮併合は、当時の韓国が独立国家として自立していればわが国は、日清・日露両戦争をする必要もなかったし、朝鮮を併合する必要はなかったのである。しかし、朝鮮が支那やロシアに対して事大主義(支那・ロシアという勢力の強い国に従って言いなりになること)に陥り、支那・ロシアの属国となってしまう危険があった。朝鮮半島がロシアの支配下に入れば、次は日本てある。朝鮮併合はわが国の独立と自存のための止むを得ざる選択であったし、当時の国際世論の認めるところであった。

 

 併合後は、わが国の指導と投資により、南北縦貫鉄道の施設、多角的港湾の設定、多種多様の殖産興業、教育の普及、保健衛生施設の拡充、水利灌漑施策の充実等々、近代化建設はめざましいものがたった。これは台湾も同様である。つまり、台湾及び朝鮮統治は西欧列強の植民地支配とは全く異なる性格のものである。 

 

 また他のアジア各国・各民族も日本による西欧列強の排除によって、独立を達成することができたのである。 

 

 世界の中で、政府及び国会が自国の近代史を侵略の歴史であったと表明した国はわが国のみである。侵略というのなら、英・仏・露・オランダなどは何百年もの間、侵略をくり返してきた。彼らのしたことと比べれば、わが国の台湾及び朝鮮統治非常に短期間であった。そして東南アジアへの進出は植民地支配をしていた欧米列強を排除するための軍事進攻であった。政権・軍閥が並立していた支那大陸への軍事進攻は、独立主権国家の領土を侵した行為ではない。

 

 「痛切な反省の意を表し、心からおわびの気持ちを表明」しなければならないような「多大の損害と苦痛を与え」た「戦争犯罪」をしでかした国は日本ではない。戦争犯罪の最たるものといえば、非戦闘員を大量に虐殺した広島、長崎の原爆投下であり、東京大空襲などわが国核都市に対する無差別爆撃である。

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