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2014年4月 9日 (水)

わが国の国号について

 

日本国の事を「大和」と言ふ。「大和」は、大和国一国、奈良県山辺郡の地、日本国全体、の三つの意がある。古義では、天皇のゐます都即ち皇都を中心としてその四辺を指したと言ふ。奈良時代になって外国に対して日本国を「大和」と言ふやうになったとされる。

 

「やまと」との意義について色々な説がある。石井良助氏は、「山門」即ち山の入り口とする。その「山」とは三輪山から見て東方の伊賀の山地であるとし、伊賀を越えれば伊勢である。大和より東方で早朝昇り来る太陽を仰ぐ景勝の地である五十鈴川近辺が太陽神たる天照大御神を祭られた。

 

高崎正秀氏は、「やまと」とは「神座」を指し、山の神事を行ふ座席つまり山上の神座であり、この神事の威力が及ぶ範囲内が「やまと」と呼ばれ、それが天皇を祭祀主と仰ぐ日本全体を意味するやうになったとする。つまり、天皇を祭祀主と仰ぐ日本民族の信仰圏の範囲全てが「やまと」なのである。

 

日本武尊の御歌を拝しても分かるやうに、「やまと」は、日本人の「心のふるさと」であり、日本人の最も大切な国を愛する心がこの地に寄せられる。外国に行けば日本国全体が「心のふるさと」になる。

 

佐々木信綱編の『新訓萬葉集』(岩波文庫)では、「日本」と書き「やまと」と振り仮名をつけてゐる。

 

「日本」といふ国号が対外交渉で使はれた例は、大宝二年(七〇二)六月、遣唐使・粟田真人(あはたのまひと)が「日本國使」と名乗ったのが古いが、大宝元年の『大宝令』に「明神御宇日本天皇」(あきつかみとあめのしたしらすやまとのすめらみこと)と用いられてゐる。

 

推古天皇十五年(六〇五)に小野妹子が唐に派遣された時の国書に「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」(『東夷傳俀國傳』、日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々)と書き出されてゐた。

 

わが国は、日の本の国であり、日出づる國であり、日本天皇は天照大神の御子即ち「日の御子」であらせられるのである。国難の時期にこそ、この自覚をますます強固にすべきである。

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