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2014年4月10日 (木)

天智天皇・昭和天皇の御製を拝し奉りて

天智天皇の詠ませられた次の御製が、『萬葉集』に収められてゐる。

 

渡津海(わたつみ)の豐旗雲(とよはたくも)に入日さし今夜(こよひ)の月夜(つくよ)清明(あきらけ)くこそ                  (一五)

 

 「渡津海」とは海の神。ワタは海の意。ミは神格を表す。山の神をヤマツミといふのに対して海の神をワタツミといふ。転じて海そのものをいふ。伊耶那岐命が御祓をされたときになりませる神が綿津見神(ワタツミノカミ)である。「渡津海」といふ言葉には単に景色としての海ではなく、神秘的な海の神といふ意味が詠み込まれてゐる。

 

 「豐旗雲」は旗のやうに横に豊かに棚引く雲。長大な層積雲のことか。「豐」とは豊葦原瑞穂國・豊秋津島(日本国の別称)、豐神酒(とよみき・酒の美称)、豐明(とよのあかり・朝廷の酒宴)などといふ言葉もある通り限り無い豊かさを表す語である。物質的な豊かさといふよりも神秘的・信仰的な豊かさをいってゐる。

 

「清明くこそ」は様々な読み方があるが、佐佐木信綱氏の「あきらけくこそ」が最も良いと思はれる。「清らけく明らけく」(清らかで明るい)といふのが日本人の倫理・道徳の最高の価値とされてゐる。日本民族は、汚れや陰湿さを嫌ふ。そして清らかで爽やかで潔い人が尊ばれた。「あいつは悪人だ」といはれるよりも「あいつは汚い奴だ」といはれることを恥とした。それは清明心を無上の価値とするからである。コソは「こそあらめ」を省略した語といであり、「きっと~であるぞ」といふ断定的な物言ひである。

 

 通釈は、「大海原の上の大空に豐旗雲に入日がさしてゐる。今夜の月はさぞ清く明るいだらう」といふほどの意。

 

非常にスケールの大きい歌である。自然の光景を歌ひながら、天智天皇御自身の壮大なみ心が表白されてゐる。上御一人となられる方でなければ歌ひ得ない歌である。多くの人々の前で朗々と歌はれた歌であらう。読む者も朗々と唱へるやうに歌ひあげなければこの歌の精神を心に感得することはできない。

 

 茫洋たる大海原の水平線上に旗のやうに横に棚引いてゐるその雲に夕日がさして茜色に染まってゐる。その雄大なる景色を眺めつつ、今夜の月は清く明るく照るといふことを断定的に予想されてゐる御歌である。てらふことも力むこともなく荘厳に歌ひあげてゐるところの如何にも初期萬葉らしい素晴らしい御歌である。天皇もしくは天皇になられる方の御歌の格調はやはり格別であると申し上げなければならない。

 

 上の句の景観は単なる自然風景ではなく、神の生みたまひし素晴らしい瑞兆ととらへた。「渡津海の豐旗雲」といふ言葉に、神代以来の自然の中に神を見る「自然神秘思想」、自然を神として拝む心が表れてゐる。

 

 この雄大にして神秘的な豊麗な光景をわがものにとらへた天智天皇であられたからこそ、大化改新といふ大変革を断行されたのである。

 

 この御歌は、日本人にとって非常に親しい存在である海と月とを題材として、高邁にして雄大なる民族精神を歌ひあげられた歌である。かつ、大化改新を為し遂げられた英主であらせられる天智天皇の御聖徳がそのままこの表れてゐると。この御歌の御精神こそ、わが日本民族の大いなる中核精神である。

 

この天武天皇の御製を拝して思ひ起こすのは、昭和天皇様が昭和十一年に、『海上雲遠し』と題して詠ませたまひし次の御製である。

 

紀伊の國の潮のみさきにたちよりて沖にたなびく雲を見るかな

 

 この雄大なるしらべも上御一人ならではの言葉に尽くし難いすばらしさである。技巧を凝らさないでも魂に響いてくるこのやうな歌は普通一般の人には歌ふことはできない。如何なる大歌人といへども、歌ひ得ないしらべである。

 

 天武天皇・昭和天皇の御製には、人と自然との一体感・生命の交流がある。客観的に歌ってゐるやうで、そこに大いなる自然に驚異し、自然と一体となったみ心が歌はれてゐる。両天皇の御製を拝すれば、神代以来のわが日本民族の雄大なる自然観が、上御一人によって脈々と伝承されてゐることが明らかとなるのである。

 

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