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2014年4月 3日 (木)

この頃詠みし歌

 

消えてしまひし虹を恋ほしみ空仰ぐ 美しきものははかなきものぞ

 

早咲きの桜の花を見上げては心浮き立つ我にしありけり

 

春の光差し込む部屋にわが母は拘束されて横たはりゐる

 

拘束されし母の手をとりなぐさめの言葉をかける時の切なさ

 

拘束されし母は苦しみを訴へず明るくゐませばいとしかりけり

 

人多き食品売り場を経巡りて母のためにと卵焼き買ふ

 

三十年昔のことを語らへり三十年後の我は九十七

 

温かき風吹き初めし夜の町 満月は煌々と照り輝けり

 

見上げれば空には満月輝けり 春一番の吹き来たりし日

 

高層のマンションの窓はきらめきて人の生活(たづき)は華やぎてをり

 

きらめけるマンションの窓を眺めつつ人の生活の華やぎを祝す

 

春風に吹かれて揺れるタクシーに乗りて行くなり明るき街を

 

人を誉める言葉の巧みさに舌を巻くベテラン政治家の祝辞聞きつつ

 

命あるうちに為すべきことを為す あきらめるなどといふことの無く

 

駅のホーム 大声で子供を叱りつける母親の顔は鬼にかも似る

 

風強き彼岸の中日 菩提寺に来りて先祖の墓清めをり

 

ゴシゴシと水で洗ひ清めたり先祖の眠るこの墓石を

 

我もまたいづれは入る墓所 水で清めぬ風強き日に

 

買ひて来しおはぎをパクパク食べてゐる九十四歳の母頼もしき

 

はじめて来し店のカウンター 常連がベラベラしゃべり身の置き所なし

 

隣室の家族の声の聞こえ来て休日の病院やや賑はへり

 

団塊の世代が九十代になる頃の老人医療はいかになるらむ

 

まあとにかく人生といふはこんなものと思へばそれであきらめもつく

 

観音堂に祈り捧げる我の事じっと見つめる太りたる猫

 

太陽の霊気わが身に入り来て無限なる力を蘇らせたまへ

 

車椅子の母の笑顔を見てうれし 九十四歳にしてこの生命力

 

母上の命の力甦り明日も生きませ永久に生きませ

 

朝夕に神と佛に当病平癒祈り続けて今日の喜び

 

もっと頂戴と母は言ひたまふ 食欲が増し来ることに何と有難き

 

夕暮に手をとり合ひて語らへる母と我とを神は守らす

 

湯島なる新花町の夕暮を歩み行きたり思ひ出をたづね

 

恋せし人の住みゐし町を春の宵訪ね来たりて心さみしき

 

恋せし人の家は跡形もなくなりて新しきビルが建ちてゐるなり

 

新花町といふゆかしき名前の古き町美しき女(ひと)が住みてゐしかな

 

学生時代の淡き恋を偲びつつ湯島新花町を経巡りにけり

 

新花町てふ町名も今はなくなりて思ひ出のよすがは消え果にけり

 

春来たりし青山霊園に友ら集ひ 桜の下を歩み行くかな

 

春の空にトンビ飛びゐるのどかさよ都の眞中の青山霊園

 

春の苑 桜の花の咲き初めて 今日のみ祭りはさやけかりけり(『先覚金玉均先生没後百二十年墓前祭』)

 

春の苑友ら集ひて先覚者金玉均大人の御霊拝ろがむ()

 

桜花不忍の池に咲き満ちて大江戸の春は今盛りなり

 

夕暮の不忍の池の桜並木 花咲き満ちる夢の如くに

 

諏訪台の桜の花が見ゆるなり春爛漫ののどかなる朝

 

窓開けて彼方の丘を眺むれば桜花爛漫春盛りなり

 

春嵐吹き荒ぶ道を歩む時 雷(いかづち)の音天より下る

              ◎

 

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湯島の街にまだ残っていた黒塀と見越しの松のある家。

「粋な黒塀見越しの松に仇な姿の洗い髪…」という春日八郎氏が歌った『お富さん』という流行歌が、かつて一世を風靡したのを思い出した。湯島でもここ一軒だけであろう。取り壊されないように祈るのみ。

 

 

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