« 千駄木庵日乗四月五日 | トップページ | 萬葉古代史研究會 のお知らせ »

2014年4月 6日 (日)

わが國には、対外的危機感が伝統精神の復活・回帰の熱望を呼び覚ます歴史がある

 わが國には、対外的危機感が伝統精神の復活・回帰の熱望を呼び覚ます歴史がある。これが日本におけるナショナリズムと言っていいだろう。國家的危機において國體の本来の姿・あるべき姿に回帰する運動が必ず勃興した。元寇・幕末の時期に起こった動きがそれである。元寇の時には「神國思想」が謳歌され、欧米列強の侵略の脅威を感じた幕末においては「尊皇攘夷思想」が謳歌された。内憂外患交々来るといった状況の今日の日本もそうした時期である。

 

共産支那や韓国の「傲慢無礼」な反日政策・対日侮蔑外交が繰り返されている今日、わが国民は、「民族の正気」を回復し、屈辱と汚名を晴らす行動に出なければならない。

 

ペリーの来航は、徳川幕府の弱体化・権威の失墜を天下に示し、日本國は天皇中心國家であるという古代以来の國體を明らかする端緒となった。これが明治維新の原理たる「尊皇倒幕」「尊皇攘夷」の精神の生まれた根本原因である。そして、徳川幕府を打倒し天皇中心の日本國本来の在り方に回帰する変革即ち明治維新によって日本は救われたのである。

 

「攘夷」とは夷狄(野蛮な外國)を撃ち払うということである。そしてそれは、アメリカやロシアの軍艦の来航という國家的危機に直面して、國防意識が全國民的に高まった時に、自然に発生し燃え上がった激しき情念である。

 

徳川幕府は開府以来鎖國政策を取り、頑なに外國との接触を拒否していたにもかかわらず、アメリカの恫喝に遭遇すると、屈辱的な開港を行ってしまった。明治維新の志士たちはこうした徳川幕府の軟弱な姿勢を批判し否定したのであって、外國との交渉・開港を一切否定したのではない。ここが徳川幕府の封建的な鎖國政策と維新者の攘夷精神との決定的な違いである。

 

吉田松陰や坂本龍馬らは、日本の自主性を保持し日本の真の発展に資する外國との交渉を望んだのである。だから、松陰や龍馬など多くの維新の志士たちは外國の文物を学ぶことに熱心であった。松陰などは下田港から黒船に乗り込み密航してまで外國に渡ろうとした。

 

だからこそ、徳川幕藩体制が崩壊し、明治維新が断行された後の日本では、外國との交際を一切行わないという頑なな攘夷論は姿を消し、外國の侵略を撃退し日本の自主独立を守るために西欧の文物を学ばなければならないという強い意志を持った。これを「開國攘夷」という。ここに日本民族の柔軟性・優秀性があると言える。

|

« 千駄木庵日乗四月五日 | トップページ | 萬葉古代史研究會 のお知らせ »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/121949/59418663

この記事へのトラックバック一覧です: わが國には、対外的危機感が伝統精神の復活・回帰の熱望を呼び覚ます歴史がある:

« 千駄木庵日乗四月五日 | トップページ | 萬葉古代史研究會 のお知らせ »