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2014年4月 7日 (月)

『日本の美発見・日本絵画の魅惑』展を参観して

昨日参観した『日本の美発見・日本絵画の魅惑』展は、「出光美術館の日本絵画コレクションの内、鎌倉時代の絵巻物、室町時代の水墨画とやまと絵屏風、近世初期風俗画、桃山時代の長谷川等伯、狩野光信、江戸時代の寛文美人図から肉筆浮世絵、琳派、浦上玉堂・田能村竹田・渡辺崋山などの文人画、そして仙厓など、代表的なジャンルおよび作家の作品を選りすぐり、展示しています」(案内文)との趣旨で開催された。

鎌倉時代から江戸時代までの絵巻・仏画・室町水墨画・室町時代やまと絵屏風・近世初期風俗画・浮世絵・琳派・文人画・狩野派と等伯・仙厓とジャンルを分けて、それぞれの代表作品を紹介していた。

 

「松に鴉・柳に白鷺図屏風(左隻) 長谷川等伯 桃山時代」「更衣美人図 喜多川歌麿 江戸時代 重要文化財」 「風神雷神図屏風 酒井抱一 江戸時代」 「老人六歌仙画賛 仙厓 江戸時代」 「当麻曼荼羅図 南北朝時代」 「歌舞伎図屏風 江戸時代」 「四季日待図巻 英一蝶 江戸時代」 「桜下宴遊図 江戸時代」などを参観した。

 

「歌舞伎図屏風 江戸時代」 「四季日待図巻 英一蝶 江戸時代」 「桜下宴遊図 江戸時代」には、江戸時代の庶民の様子が生き生きと描かれていた。「徳川三百年の泰平」という事を実感されられた。

 

長谷川等伯の絵が、狩野派の作家の絵と並んで展示されていたが、等伯の絵の方がずっと魅力があった。ゴテゴテしていないのに迫力がある。そしてすっきりしている絵であった。

 

仙厓の「老人六歌仙画賛」も良かった。一本の筆、そして墨の濃淡だけで、深みのある絵を描くというのは何とも素晴らしい。ガサツのようでいてそうではなく、漫画のようでいてそうではない味わいのある絵であった。 

 

「当麻曼荼羅図」は、阿弥陀仏が山の背後に立っている図で、奈良の当麻寺に伝わる中将姫伝説のある蓮糸曼荼羅と言われる根本曼荼羅の図像に基づいて作られた浄土曼荼羅の総称である。浄土曼荼羅という呼称は密教の図像名を借りた俗称であり、現代における正式名称は、浄土変相図である。

 

当麻寺は、二上山の下にある寺で、日本浄土信仰発祥の寺とされている。二上山は、金剛山地北部にある山で、山頂が北の雄岳(海抜五一五㍍)南の雌岳(海抜四七四㍍)に分かれる。大津皇子のお墓は雄岳の頂上にある。二上山はなだらかで女性の乳房のように見える美しい山である。しかも藤原京のみならず大和盆地の多くの場所から常に眺めることができる。

 

大和盆地の東から昇ってきた太陽は、二上山のある西の方に沈む。それゆえ、二上山はあの世の入り口と考えられた。乳房の形をした二上山は、「母なる大地」・死者の赴く永遠の世界・常世の象徴であったのではないか。そうした二上山への信仰は、やがて西方極楽浄土の信仰と結合し、二上山の東麓に当麻寺が建立され、その寺に阿弥陀浄土変相図(當麻曼荼羅)が祀られた。ゆえに二上山はわが国浄土信仰発祥の地なのある。

 

「当麻曼荼羅図」に描かれている山は二上山であろう。浄土の入り口と信じられた二上山の背後に阿弥陀仏が立っているのである。

 

大津皇子が、持統天皇から死を賜り、ご遺体が二上山に葬られた時、姉君の大來皇女は次の御歌を詠ませられた。

 

「うつそみの人なる吾(われ)や明日よりは二上山(ふたかみやま)を兄弟(いろせ)と吾わが見む                     一六五」

 

「この世の人である私は、明日からは二上山をわが弟として眺めることであらうか」という意である。「せめて弟が葬られている二上山をわが弟として見よう」と歌ったのである。実際に大和に行って二上山を眺めると、この御歌に籠められた思いを実感できる。

 

持統天皇が大津皇子を浄土の入り口である二上山に葬ることを許されたのは、深い鎮魂の御心からであろう。

 

 

参観後、休憩室でお茶をいただく。目の前に皇居桜田門が見える。そして楠公像も見える。良き眺めである。私は仕事の合間にこの美術館に来て、心をリフレッシュさせることを楽しみにしている。

 

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