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2014年3月22日 (土)

天皇の上に「法」があるのではなく、天皇の「大御心」が「法」である

天皇・皇室を「現行占領憲法」「皇室典範」などの現行成文法によって規制し奉ることは、國體破壊である。

 

 

 

中川八洋氏は、「傳統や慣習は”法”であるから、法律の上位にあって、この”法”に背理する法律についてはそれを無効にすることができる。英國のE・コーク卿が理論化した”法の支配”とは、このような、『傳統・慣習・先例・過去の判例、その他のコモン・ローは、國王の勅令に対しても、國會で採択された法律に対しても、優位する憲法原理』のことである。…日本も、英國と同じく、この古来より先蹤の積み重ね──古法──を”法”としてきた。井上毅は、これをしばしば”古格”とか”旧慣”とも称し、この”旧慣の尊重”の重要性を説き、西洋の法律をやたらに模倣する、当時の同僚や部下の法律家を諌めた。」(『皇統断絶』) と論じてゐる。

 

 

 

「國王といへども法の下にあるといふのが『法の支配』の原点である」といふ考へ方がある。これは、イギリスの法思想であるといふ。かかる法思想は、「王は力によって人民を支配する権力者であり、本来、国民と対立する存在である」とする西洋國家の考へ方であって、わが國には通用しないし、通用させてはならない。

 

 

 

一方、小室直樹氏は、「『大日本帝國憲法』第三条に、『天皇ハ神聖ニシテ侵スへカラス』とある。伊藤博文は、これを説明して、『天皇を、誰も非難したり批判したりすることはできない』(『天皇は指斥言義(しせきげんぎ)の外に在()るものとす』(『憲法義解』)といっている。即ち、政府も、裁判所も、一般國民も、天皇のいかなる責任をも追及することはできない。もちろん、法的責任を追及することはできない。天皇は、法の上にある。)(『天皇恐るべし』)と論じてゐる。

 

 

 

しかし、天皇は法の上におられるとか下におられるとかではなく、天皇の「おほみことのり」そのものが「法」なのである。わが國においては、現御神日本天皇の「勅」(みことのり)が絶対にして最高の法である。わが國の「法の起源」は、祭り主たる天皇が神の意志を傳へる『のりごと』である。法(のり)は宣(のり)である。天皇の上に「法」があるのではなく、天皇の宣命(おほせごと・大御心)が法なのである。

 

 

 

そもそもコモン・ローcommon lawとは、大陸法系と区別された英米法系に属する法制のことであり、特にイギリス普通法裁判所の判例法として歴史的に発達してきた一般國内法のことであるといふ。日本と英國とは國體・歴史・傳統・風俗・習慣がまったく異なるのであるから、英國の法思想をそのまま日本に取り入れることは出来ない。

 

 

 

 天皇が祭りを執行され、神の御心をお知りになり、臣下は天皇がお知りになった神の御心に基づきそれを実現するために実際の政治を行ふといふのがわが國の古来からの「まつりごと」のあり方である。これが「しろしめす」といふ天皇統治の実相である。これを「祭政一致」といふ。天皇が祭祀を執行されて神意をうかがひ、臣下がその神託(のりごと)に基づいて政治を行ふといふのが祭政一致の姿である。

 

 

 

古来、我が國では、宮廷其他の法律・命令はすべて「のり」といふ語で表されてゐて、「のりと」と法律・命令とは根本は同じである。御歴代の天皇は神のご意志をよくお知りになって神のご意志を実現させることを使命とされる。祭り主・日本天皇が、神を祭る時にうかがった神の意志を告げることを『ノル(告る・宣る)』といふ。「ノル」は名詞にすると「ノリ」であり、「法」を「ノリ」といふのは、祭り主たる天皇が「告る・宣る」ことがすなはち法となるからである。

 

 

 

祭政一致のわが國の傳統においては、天皇の仰せごとは即ち神のご意志であり、民が守らなければならない「法」なのである。天皇の上に「法」があるなどといふことは絶対にあり得ないしあってはならない。

 

 

 

三潴信吾氏は、「我が御歴代の天皇の下における一切の認定法は、天照大御神と一体たり給ふ 天皇の大御心の発現であって、神定即人定と云ふべきもので、ここにわが國法の神聖性の根拠があり、従って又、そこに日本民族の尊皇遵法の根拠があるのである。」(『日本憲法要論』)と論じてゐる。

 

 

 

「天皇は『憲法』『皇室典範』よりも下位にある機関」などといふ説はまったくわが國體と相容れない。天皇國日本の「法」の尊厳性は、「天皇の仰せごと」といふことにある。天皇國日本においては憲法を含め全ての「法」の正統性は、天皇の神聖権威によるのである。なぜなら天皇は現御神であらせられるからである。天皇の正統性は憲法によるのではない。現御神日本天皇以上の権威は日本には存在しない。

 

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