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2014年3月20日 (木)

『国歌君が代』の信仰的意義

「家(イヘ)」は「いはふ」(神を畏敬し、神に祈るために家に忌み籠ること)の音韻が変化した言葉である。そして、人が籠る所を家(イヘ)と言うようになった。「イハ」は「イヘ」と同根の言葉である。岩(イハ)は「魂の籠るところ」という意味である。大きな石のことを「巖(いはほ)」と言う。

 

つまり、古代人は石や岩には魂が籠っていると信じたのである。その信仰が歌われた歌が『萬葉集』の「東歌」(東國庶民の歌)の「信濃なる筑摩の川の細石(さざれし)も君しふみてば玉と拾はむ」(三四〇〇・信濃の千曲川の小石でも恋しいあなたが踏んだのなら玉として拾おう、という意)である。この場合の玉は単に宝石という意味ではなく愛する人の魂が籠っているという意である。

 

古代日本では、石に籠っている魂が次第に成長して巖になると信じられていた。その信仰が歌われた歌が、『國歌君が代』である。

 

「君が代は千代に八千代にさゞれ石の巌となりてこけのすまで」は、「天皇の御代は千年も八千年も続き小さな石がだんだん成長していって巌となるまで永遠に続く」という意である。「さゞれ石の巌となりてこけのすまで」は、決して比喩ではなく実際の信仰だったのである。

 

さらに、イシ(石)・イハ(岩)・イツク(齋く)・イハフ(齋ふ)・イノル(祈る)の「イ」は、生命力・靈力を意味する名詞であり生命力の強い自然物(植物や岩)の称辞として用いられると共に、物事を神聖化することを意味する動詞にも用いられている。

 

何故古代日本人は石や岩に魂が籠ると信じたのかというと、石は地上にありながら、石の下即ち地下から湧出する深く大きな生命力と威力を包含し、地下の精靈や魂の具象であり象徴である考えたからであろう。つまり石とりわけ巨岩は神靈の依り代(よりしろ・憑代とも書く。神靈が現れる時に宿ると考えられている物、樹木・岩石・御弊など)であると信じられた。古墳をはじめ墓を石で造るのは、それが地下の死の世界にいる死者の魂が表出する依り代であるからである。この信仰は石器時代に端を発している。

 

『國歌・君が代』は古代日本から今日まで続く伝統信仰が歌われているのであり、「石が大きくなって岩になるなどといふのは非科學的である」といふ批判は日本伝統信仰を全く知らない誤った議論である。

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