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2014年3月31日 (月)

現代維新も「尊皇攘夷」の精神を根底に置いて戦われなければならない

 大東亜戦争後、日本傳統精神が衰微し、今日の日本も、國民精神の面でも政治體制の面でも、日本國の本来の姿が失われ、現代の日本人は、天皇に対する尊崇の念が薄れており、天皇を中心とする國體精神に立脚する変革などといっても無理だという人がいる。

 

 しかし、武家専横の時代において、大半の日本人は、天皇及び皇室を常に意識して生活していたわけではない。天皇のお声を聞くことも、お姿を拝することも全くといって良いほど無かった。にもかかわらず、天皇及び御皇室の御存在が上におわしましたからこそ、武家同士の凄惨な内戦が行われても日本を分裂國家にならず、また、武家による民に対する支配の苛酷さを抑制することができたのである。そして蒙古襲来・幕末の危機・大東亜戦争の敗北などの様々な國難を乗り切ることができたのである。日本国民の心には古代以来、脈々と尊皇精神、皇室を敬う心が生き続けて来たのである。

 

 天皇及び皇室は、興亡常なき日本國の根幹にいまして不変の國家的民族的核心であったのである。このことは現代においても全く変わりはない。国家国民に事ある時に、日本民族の尊皇精神は勃興するのである。東日本大震災の時も、天皇陛下のお励ましとご心配がどれほど国民を勇気づけたか計り知れない。

 

 今日の日本において、「政治改革」「教育改革」「行政改革」というように、「改革」ということがうるさいくらいに言われている。しかし、如何なる理念・精神を根本に置いて「改革」を行うかが問題なのである。

 

 明治維新が「尊皇攘夷」を基本理念にして戦われたように、現代維新においても、「尊皇攘夷」の精神を根底に置いて戦われなければならない。「尊皇」とは萬世一系の天皇を中核とする國民的統一・道義心の高揚を図る事であり、「攘夷」とは國家民族の自主独立を回復することである。内憂外患交々来るといった状況にある今こそ、尊皇攘夷の精神が必要な時であると言える。

 

 民族の傳統への誇りを忘却した民族には未来はない。しかし、我々は絶望してはならない。上に天皇おわします限り、民族の命は必ず新生し甦る。そして、民族の歴史の流れ、民族の道統に立脚した変革が行われなければならない。日本國體精神こそが永遠の維新の原理である。

 

 天地自然に神の命が生きているという信仰が日本の傳統信仰である。そしてその祭祀主が天皇であらせられる。天皇を祭祀主とする信仰共同體が日本國の本姿である。それを現代において回復することが、大切なのである。これが道義の頽廃が根本原因である現代の様々な危機的状況を打開する唯一の方途である。

 

 我々日本國民は誇るべき國體精神を恢弘してわが國の革新と再生そして世界の真の平和実現に邁進しなければならない。 

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千駄木庵日乗三月三十日

午前は、諸雑務。

午後は、本日行われる講演の準備。

この後、病院に赴き、母に付き添う。

午後六時より、春日の文京シビックセンターにて、『第三十八回・日本の心を学ぶ会』開催。林大悟氏が司会。国民儀礼の後、渡邊昇代表が挨拶。瀬戸弘幸氏と小生が「日本のおける保守政治とは何か」と題して講演。活発な質疑応答が行われた。

帰宅後は、資料の整理。

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2014年3月30日 (日)

三潴信吾先生の「皇室論」「憲法論」

本日、資料の整理をしていたら、故三潴信吾先生は『憲法懇話会』において、「自主憲法制定の基本方針」と題して講義された時の小生の聞き書きが出て来た。慎んで掲載させていただきます。

 

三潴先生は次のように語られた。

 

「憲法改正より自主憲法制定が正しい。吉田茂首相は自主憲法制定の意志があった。二十八年の主権回復と共に、自由党として自主憲法制定をするとはっきり言って、自主憲法制定の組織を作るように岸信介氏に命じた。吉田茂は憲法に手を付ける意図がなかったというのは真っ赤な嘘。高柳委員會以前に自由党の憲法調査會があった。

 

日本の祭政一致が外國人にはよく分からなかったので、祭祀は皇室の私的行事であり、國家公共機関がやってはならないとした。明治のはじめに立憲政体になった時、神祇官を太政官の下に置いたのが間違い。マッカーサーからステート(國家権力機関)神道では駄目だと言われた。日本國體において『國家権力機関神道』の否定は当然。

 

象徴という言葉に日本國民は面食らった。帝國憲法には『万世一系の天皇が統治する』と書かれている。個々の天皇のことを言っているのではない。憲法は祖宗の皇統・國體に基づく政体規定。天皇条項は『祖宗の皇統としての天皇』を明確にすべきである。

 

美濃部達吉氏は『天皇は政体においては一つの機関だ』と言った。國體の天皇を機関だと言ったのではない。美濃部氏は戦後『帝國憲法の第一条・第二条は変えるべきはではない』と言った。憲法はステート(國家権力機関)の基礎法。ステートと憲法の拠って立つ基本が國體。

 

西欧デモクラシーは数だけで考えるから衆愚政治になる。質をチェックする必要があるので上・下両院が設けられた。衆議院は量、貴族院は質に重点を置く。数を質で評価する機関が枢密院。宮中に内大臣府があり、天皇の大御心を基として質的柱が立っていた。

 

國會は内閣が招集し、最高裁に違憲立法審査権があるのだから、國會が國権の最高機関と言うのはおかしい。

 

皇祖皇宗へのお祭りは決して私事ではない。國家の行事としての祭祀である。エンペラーの語源は最高権力者であるから天皇をエンペラーと訳してはならない。元号法は次の元号決定の手続き規定。元号は慣習法に根拠がある。

 

英國・デンマーク・オランダという王制の國に行って『貴國は民主主義國家ではない』と言ったら笑われる。現行憲法には、『帝國憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる』とあるにもかかわらず、『日本國民は…主権が國民にあることを宣言し、この憲法を確定する』と書かれているように、天皇が公布せしめたのに國民が確定したという嘘が最初から書いてある」と語られた。  

               ◎

小生いわく。「君主制國家が民主國家ではない。君主制はやがてなくなる」という議論は歴史的現実によって完膚なきまでに否定されている。民主主義・人民を國家の名称にまで用いている國「朝鮮民主主義人民共和國」が世界中で最も専制的・独裁的・侵略的な國であり人民が貧困と飢えに喘ぎ餓死している。ソ連・支那・ラオス・イランなどを見て明らかなように王制・君主制を打倒した國は民主國家になるどころか全く正反対の独裁専制國家になっている。

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千駄木庵日乗三月二十九日

朝は、諸雑務。

午前十一時二十分より、青山霊園内外国人墓地金玉均先生墓前にて、『先覚金玉均先生没後百二十年墓前祭』執行。祭主・頭山興助氏、呼掛け人代表・犬塚博英氏が挨拶。福永武氏が斎主となりて、祝詞奏上、玉串奉奠、碑文奉読などが行われた。小生の音頭で献杯が行われ終了した。

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墓前祭

午後一時半より、記念座談会が開かれ、菅沼光弘氏が「朝鮮情勢と日本」と題して講演。長時間にわたり有意義にして活発な討論が行われた。内容は後日報告します。

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記念座談会

この後、病院に赴き、母に付き添う。食事の介助。

帰宅後は、資料の整理など。

本日は、午後六時より、『憲法懇話会』が開かれたが、残念ながら出席することができなかった。

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2014年3月29日 (土)

鈴木彩香国連政務局アフリカ第一部次長の講演内容

 二月十八日に行われた『笹川平和財団講演会・政変後の中東情勢と国連の役割』

における鈴木彩香国連政務局アフリカ第一部次長の講演内容は次の通り。

 

「アラブの目覚め、民主主義の高まりに期待があったが、経済が悩ましく、不安定が高まっている。国連政務局は、アフリカ東部と南部の国の紛争解決の中核的活動をしている。事務総長へのサポート、国連活動へのサポートをしている。長期ソリューション(問題解決策)を達成するためである。政治ミッション(使節)の派遣、紛争防止のために重要な役割を果たしている。十年前に国連の『人間開発報告書』を執筆開始。知識社会の構築などをテーマにした。人間の安全保障を主たるテーマとしている。

 

アラブ世界の政治変遷は各国によって異なるし、共通する点もある。民主主義社会の発展を目的としている。国々との信頼を構築しようとしている。アラブの目覚めに不安定材料はたくさんある中でやっている。直面していた課題に国連が対応している。憲法制定・司法制度作りなどにサポートしている。リビアでは二百五十名以上のスタッフを持っている。法の支配の強化、メディアの活発化をしている。

 

トリポリに行った。自由に対する歓喜に溢れていた。革命の後は一進一退。移行期には不安がある。アラブの目覚めの中核的要素とは、国家と市民の関係。民主主義の欠如、人権欠如が原因となって、社会契約を結んでいない。少数派も国家の存在が自分たちに脅威を与えないというシステムが必要。多元主義が必要。民主主義の実現するための政治的空間が必要。独裁政治打倒の後、派閥闘争が起った。マイノリティ(社会的少数者)が主流から外され出している。

 

特定宗派間の分断が起っている。国家間の対立も発生。敵国が反体制派のバックになることがある。代理戦争になりつつある。地域全体を網羅するような安保の枠組みがない。

 

イスラム政党は組織化し大衆に根付いている。イスラムの価値観を憲法に盛り込もうとする動きもある。国家、社会、アイデンティティをあらためて考える動きがある。昔の政権による安定を望む人々が出て来ている。

 

女性も組織化された政治暴力の犠牲になった。女性の権利のアジェンダ(実施すべき計画)がますます高まっている。若者は新聞を信じない。ツイッターで情報を仕入れる。二十一世紀の新しい技術を使って紛争を防止する。

 

北アフリカと中東は近い将来さらに悪化し深刻化する恐れがある。経済が不安定要素。リビアにおける選挙も期待通りではなかった。アラブの若者には時間が必要。憲法制定のプロセスを急ぐと、長期的民主主義のプロセスが不安定化する。国内のアクター(関係者、行為者)が解決を見つけねばならない。新しい政治は国内の人が作らねばならない。若い人に経済的機会を与えなければ不安定になる。国連はシリアの暴力と二極化を懸念している。権利を剥奪された国民には大きなコストが伴う。

 

アラブには希望もある。その国の将来はその国の人々が決めるべきである。その中で国連はエジプトに色々とコメントして来た。『アラブの春』という言葉は使わない。『アラブの目覚め』という言葉を使う。人が死ぬことは残念。混乱した状況に対応すべし。

 

国連は、一つのレベルでは加盟国の集まり。事務局はその為のサービスをしている。加盟国の意見が一致しないと、国連は介入できない。女性差別の廃止はほとんどの加盟国が賛成している。所得格差をなくさねばならない。加盟国の意見が一致しない時は、非常に難しい。

 

和解促進は拙速であってはならない。選挙が不安定材料になることがある。イエメンでは、国内対話会議が開かれ、十カ月かけてどういう国にすべきかの共通のビジョンができた。包摂的国内対話が必要」と語った。

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千駄木庵日乗三月二十八日

午前は、諸雑務。

午後は、『萬葉集』評釈原稿執筆。

夕刻、病院に赴き、母に付き添う。

帰宅後も、原稿執筆。

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2014年3月28日 (金)

日本國民の「絶対的な忠誠」の対象は天皇である

日本國民の「絶対的な忠誠」の対象は天皇である。武家が専横を極めてゐた江戸時代においても、天皇を日本国の神聖君主と仰ぐ精神は脈脈と傳へられてゐた。征夷大将軍は天皇の臣下であるといふ大義名分は失はれることはなかった。

 

『円覚院様御伝十五箇条』に見える尾張徳川家四代・徳川吉通の家訓に、「今日の位官は、朝廷より任じ下され、従三位中納言源朝臣と称するからは、これ朝廷の臣なり、されば水戸の西山殿(註・徳川光圀)は、我らが主君は今上皇帝なり、公方(註・征夷大将軍)は旗頭なりとのたまひしよし」と見える。徳川御三家の水戸藩二代藩主徳川光圀は、「水戸藩の忠誠の対象は朝廷である。徳川宗家・征夷大将軍は旗頭である」と言ったといふ。徳川御三家筆頭の尾張藩は、「もしも、朝廷と江戸の将軍の間で対立が起ったら、わが藩は朝廷に従ふ」と言ひ傳へてゐたといふ。

 

山鹿素行(江戸前期の儒者、兵学者)は、「朝廷は禁裏也、辱も天照大御神の御苗裔として、萬々世の垂統たり、此故に武将権を握て、四海の政務武事を司どると云ども、猶朝廷にかはりて萬機の事を管領せしむることわりなり」(『武家事紀』)と論じてゐる。

 

松平定信(江戸後期の白河藩主。田安宗武の子。徳川吉宗の孫。老中となって、財政の整理、風俗の匡正、文武の奨励、士気の鼓舞、倹約を実施して寛政の改革を実行)は、天明八年十月に将軍家斉に奉った上書で「六十余州は禁庭より御あづかり遊ばされ候御事に御座候へば、仮初にも御自身の物とはおぼし召され間敷候御事に御座候」と論じた。

 

山県太華(長州明倫館学頭・藩主毛利斉元の側儒)は、「天子は、先皇以来正統の御位を継がせ給うて天下の大君主と仰がれ給ひ、武将は天下の土地人民を有ちて其の政治を為す」(『評語草稿』)と論じた。

 

このやうに、江戸時代においても、日本国の君主は天皇であり、征夷大将軍はその臣下であるといふことが大義名分であった。

 

安倍総理の祖父である岸信介氏は、東條内閣の商工大臣として、戦争を早期に終結させるために、東條総理に「絶対的忠誠」を尽くさず、東條総理の辞任要求を拒否して東條内閣を崩壊せしめた。岸氏はそれが、天皇陛下および國家國民への忠誠であると信じたからである。

 

この時、当時の東京憲兵隊長の四方諒二といふ陸軍大佐の軍人が岸氏の大臣官邸を訪れ、軍刀を立てながら「東條総理大臣が右向け右、左を向け左と言へば、閣僚はそれに従ふべきではないか。総理の意見に反対するとは何事だ」と言って岸氏を脅した。それに対して岸氏は「黙れ兵隊!お前のやうなことを言ふ者がゐるから、東條さんはこの頃評判が悪いのだ。日本において右向け右、左向け左といふ力を持ってゐるのは天皇陛下だけではないか。お前のやうなわけの分からない兵隊が言ふとは何事だ、下がれ!」と言って追ひ帰した。(『岸信介の回想』による) 

 

岸信介氏はまことに腹の坐った政治家であり、かつ國體の本義をよく体得し尊皇精神強固な政治家であった。

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千駄木庵日乗三月二十七日

午前は、諸雑務。

昼は、知人と懇談。内外の諸情勢について語り合う。

午後は、『萬葉集』講義原稿執筆。

午後四時、病院に赴き母に付き添う。相談員の方と今後のことについて相談。

午後六時半より、文京シビックセンターにて、『國體政治研究会』開催。玉川博己三島由紀夫研究会代表幹事が「三島由紀夫と國體論」と題して講演。質疑応答。

終了後、中村信一郎國體政治研究会代表幹事、玉川氏と懇談。

帰宅後は、原稿執筆。

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2014年3月27日 (木)

祭祀・生産・軍事といふ国家存立の三大要素の体現者が日本天皇であらせられる

「まつりごと」「生産」「軍事」といふ国家存立の三大要素が、天皇の国家統治を表象する「三種の神器」の意義である。天皇の御権能、国家統治の御精神は「三種の神器」に示されてゐる。

 

「三種の神器」には鏡=祭祀・政治、玉=豊穣・生産、剣=軍事の意義がある。祭祀・生産・軍事の継承者・中心者・体現者が天皇であらせられる。皇室の道統に「武・軍事」がある。

 

わが国傳統信仰において「剣」とは、単なる武器・人斬り包丁ではない。神の力が発現する神聖なる器物である。さらに、「剣」には、武勇・克己の精神が象徴される。剣は、己に克ち、無私の精神を象徴してゐる。

 

わが国においては、文化・政治・宗教などありとあらゆるものが、わが国におけるもっとも神聖なるご存在であらせられる天皇によってその倫理性・道徳性が保証される。であれば、軍事がその例外であるはずはない。

 

軍の政治的中立性、生命を賭けて国を守る精神と行動の精神的源泉は、天皇への忠節の心である。わが國における國軍の道義性は、「わが国軍は天皇の軍である」といふ精神から発する。道義を喪失した軍隊は、単なる暴力装置である。覇道精神・強いもの勝ちの精神が支配する軍は、悲劇を招く。

 

『陸海軍人ニ賜リタル勅諭』に示されてゐる通り、中世以降に武家が台頭し國政を掌握したことは、わが国の本来のあり方ではない。戦後日本のやうに、天皇と軍を全く切り離すことは本来の姿ではない。天皇が政治・軍事・祭祀の至高の権能を保持されるのが本来のあり方である。それによってわが国の道義が保たれるのである。

 

天皇を、国軍の尊厳性・道義性の拠り処とし、最高の精神的栄誉的統帥者として仰ぐ「天皇尊崇の精神」が、覇道精神・強いもの勝ちの精神を抑制する。

 

高橋紘氏は、「明治初期に新しい国家を造るにあたって、天皇は陸海軍の統率者・統帥者であらねばならなかったから、天皇は男系の男子とした。女帝であってはさまにならないとした。」「明治以後、男系の男子でなければ皇位につくことあたはずとしたのは、女性では大元帥陛下として軍を統帥できないからだ」と論じてゐる。

 

畏れ多いが、女性天皇も「三種の神器」を継承され、「剣」のご精神を体現された。女性天皇も軍の統率者であられた。事ある時には男帝女帝の別なく、天皇の御本質・御稜威が発現する。斉明天皇は、斉明天皇六年(六六0)、百済救援のために、御自ら全軍を率いて九州朝倉まで兵を進められた。

 

今日、政治の混乱・道義の低下・外圧の危機が顕著になってゐる。そして人々の心の中に不安と空虚感が広まってゐる。これを克服するためには、日本民族としての主体性が大事になってくる。

 

わが國の歴史において、日本國民の価値判断の基準は常に、天皇を中心とするわが國體の精神であった。特に政治・倫理・文化・軍など國家民族形成の基本においてしかりであった。大化改新・明治維新の歴史を見て明らかなやうに、急速な変化と激動の中でわが國が祖先から受け継いだ伝統を守り、かつ変革を為し遂げた核は天皇のご存在であった。

 

わが國の歴史始まって以来、日本といふ統一された國家を体現する核が天皇であった。どのやうな困難な時期においても、日本國家・日本民族が常に伝統を守り統一体としての國家民族を維持し、かつ、新しいエネルギーを結集して國家変革を行った。その中心の核が天皇であった。

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千駄木庵日乗三月二十六日

午前は、諸雑務。

午後は、『萬葉集』評論原稿執筆。ある出版社の依頼で、『萬葉集』についての原稿を書いています。

夕刻、病院に赴き、母に付き添う。食欲があるのでうれしい。

帰宅後も、原稿執筆。

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2014年3月26日 (水)

「三種の神器」について

天皇皇后両陛下におかせられては、二十五日午後、三重県の伊勢神宮に到着あそばされた。皇位とともに伝わる「三種の神器」のうち、「剣璽(けんじ・剣と勾玉=まがたま)ご動座(どうざ)」が行われ、両陛下に随行する侍従が剣璽を捧持して、両陛下に付き従った。

 

「三種の神器」には、皇霊が宿ると信じられ、日本國體精神、日本天皇の国家統治の基本精神は「三種の神器」に示されている。つまり、日本天皇の國家統治言い換えれば日本民族の指導精神の象徴であり、天皇の日本國御統治は「三種の神器」に表象されている。「三種の神器」は皇位の「みしるし」であり、御歴代の天皇は、御即位と共にこの神器を継承されてきた。

 

「鏡(八咫鏡・やたのかがみ)」は、「澄・祭祀・明らかなること・美意識・和御魂・太陽崇拝」の精神を表象し、「剣(草薙剣、くさなぎのつるぎ)」は、「武・軍事・たけきこと・克己心・荒御魂・鉄器文化」の精神を表象し、「玉(八尺瓊勾玉・やさかにのまがたま)」は、「和・農業・妙なること・豊かさの精神・幸御魂・海洋文化」をそれぞれ表象している。祭祀・軍事・農業を司りたまう天皇の御権能が「三種の神器」にそれぞれ表象されているのである。また、知(鏡)・仁(玉)・勇(剣)とも解釈される。

 

これらは別々の観念として傳えられているのではなく、三位一體(三つのものが本質において一つのものであること。また、三者が(心を合わせて)一體になること)の観念である。

 

 

「剣」は武勇、そして克己の精神を象徴している。『日本書紀』の「仲哀天皇紀」に、天皇の軍が筑紫に進軍したのを歓迎した筑紫の県主・五十迹手(いとて)が、「この十握剣(とつかのつるぎ)を堤(ひきさげ)て、天下(あめのした)を平(む)けたまへ」と奏上したと記されている。剣は天下を平らげる武力を表しているのである。つまり、武こそ真の平和を実現するのである。

 

 

古代日本における劔・矛・弓などの武器は、鎮魂の祭具であり神事的意味を持つ。八千矛神(多くの矛を持つ神)は武神であると共に呪術的機能を持った神であった。弓は弦を鳴らして鎮魂する。

 

「ますらをぶり=武士道」と「剣」とは一體である。剣は単なる殺傷の武器(いわゆる人斬り包丁)ではない。日本刀=剣は製作過程からして既に神道祭式の宗教儀式になっている。刀鍛冶は職人にして単なる職人ではなく、朝から斎戒沐浴して仕事(これも仕えまつるということ)にかかる。仕事場に榊を立て、しめ縄を張り巡らせて、その中で仕事をする。 

 

剣の製作は、神の魂が籠るものを作るのであるから神事であるのは当然である。わが國においては武器が、倫理精神の象徴・神社における礼拝の対象となっているのである。「刀は忠義と名誉の象徴」「刀は武士の魂」として大切にされたのもその根源はこうした信仰にある。

 

天皇の國家統治のことを「しらしめす」と申し上げるのは、天皇が天の下の全てを認識され、全てに関係され、領有されることである。それは、天皇が鏡の如く「無私」の御存在であるから可能になるのである。天皇が鏡の如く全てを映し出す「無私の御存在」であればこそ、全てを領知され認識され司られることができるのである。天皇國家統治の「みしるし」である三種の神器の一つが「鏡」であるのはそのことをあらはしてゐる。天皇は自己を無私なる鏡となして一切のものごとを映し出される御存在である。

 

 近代日本の哲學者・西田幾太郎は、「知と愛とは同じである」と言った。知ることと愛することは一体である。愛とは捨身無我である。自分を相手のために捧げるのが愛の極致である。自分を無にしなければ本当に相手を知ることは出来ないし、愛することもできないのである。天皇陛下の國家統治もご自分を無にされて天下萬民を愛されることなのである。

 

神道思想家の戸矢学氏が「三種の神器」というご本を上梓されている。河出書房発行です。戸矢氏は著書でこのことを深く論じておられる。

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千駄木庵日乗三月二十五日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。『萬葉集』評論原稿執筆。

夕刻、病院に赴き、母に付き添う。食事の介助。母の笑顔を見ると心安らぐ。看護師さんがよくやってくれる。有り難い。

帰宅後も、原稿執筆。

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2014年3月25日 (火)

邇邇藝命・神日本磐余彦火火出見尊の御名の意義

 邇邇藝命は正しくは、「天邇岐志國邇岐志天津日高日子番能邇邇藝命」(アメニギシ・クニニギシ・アマツヒコ・ヒコホノ・ニニギノミコト)と申し上げる。この御名は、「天地に賑々しく實っている太陽神の御子であり立派な男児である稲穂の靈の賑々しい命」というほどの意である。邇邇藝命とは、太陽神の御子であるとともに稲穂の靈の神格化である。

 

 穀物を稔らせる根源の力である太陽神の靈力を受けた天邇岐志國邇岐志天津日高日子番能邇邇藝命が、地上に天降り、天上の斎庭の神聖なる稲穂を地上に稔らせるという「天孫降臨神話」は、稲穂がにぎにぎしく稔る國を地上に実現することが天皇のご使命であり日本民族の理想であることを物語っている。「天孫降臨神話」は、まさに日本人の「米作りのくらし」の中から生まれてきたのである。

 

 言い換えると、皇祖神・天照大神は、稲穂を邇邇藝命に伝持させ、その稲穂を地上において栄えさせるという使命を歴代の天皇に与えたことを示している。それがわが日本の始まりであり、わが日本民族の基本的性格であり、日本という國家と民族の理想である。

 

邇邇藝命の曾孫が神武天皇であらせられる。神武天皇の御名前は、神日本磐余彦火火出見尊(カムヤマトイハレヒコホホデミノミコト)という。磐余とは現在の奈良県桜井市の天の香具山の北東麓地域の古地名である。「火」は「ホ」と読み「稲穂」の意である。この御名前は、「神の国大和の磐余の首長である日の神の御子で稲穂がたくさん出て来る命」というほどの意である。

 

 つまり、神武天皇は、太陽神たる天照大神の神霊と稲穂の霊の体現者なのである。そして神武天皇は、邇邇藝命が天照大神から受けた「日本国の統治」と「稲穂をたくさん地上に実らせる」という御命令を実現するために、九州より大和に来られて橿原の地に都をお開きになり、天皇に即位されたのである。これが日本国家の基礎の確立である。

 

 このように日本文化の基盤は稲作を中心とする農耕生活である。「神ながらの道」といわれる日本伝統信仰は、日本民族の稲作生活から生まれてきた。そしてその祭り主が天皇である。

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千駄木庵日乗三月二十四日

午前は、諸雑務。『政治文化情報』発送作業、完了。購読者の皆様には、明日か明後日にお届けできると思います。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、病院に赴き、母に付き添う。家に帰りたがる。医師と相談員の方と母の今後のことについて相談。

谷中にて、知人と懇談。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事。

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2014年3月24日 (月)

『敗者の側に正義がある』という言葉は真實である

日本各地に數多くの銅像が建てられているが、上野の西郷南洲像ほど庶民大衆に親しまれ愛されている銅像はないそれは南洲・西郷隆盛先生が地位と権力に恋々とせず、また、日本のために身を捧げた方であるからである。

 

いわゆる「明治六年の政変」において大久保利通・岩倉具視の謀略と戦った時も、明治天皇の御信任を得て筆頭参議・陸軍大将として軍権と政権を掌握していた西郷隆盛は、この二人を殺すか逮捕するかすることもできた。しかし西郷隆盛は敢えてそれを行わず、さっさと下野して鹿児島に帰ってしまった。また、戊辰戦争の際も、幕府側に対して寛大な処置をとった。そういうところが西郷が民衆に愛された理由である。

 

日本人に尊敬されている歴史上の人物は、楠正成・吉田松陰そして西郷隆盛である。この御三方は、日本人の理想の人物であるが、共に敗者である。また尊皇精神と自己犠牲の精神が共通している。

 

楠公は湊川で討ち死にし、松陰先生は江戸傳馬町の牢獄で打ち首となり、西郷先生は城山で割腹して果てられた。しかし、今日、この御三方は、多くの國民から圧倒的に尊敬されている。

 

それに比較して勝者であったはずの足利髙氏・井伊直弼・大久保利通・川路利良を尊敬する人はごく一部である。『敗者の側に正義がある』という言葉は真實である。

 

日本も大東亜戦争の敗者であるが、いつの日か必ず、正義の戦いを行ったことが世界的に評価される日が来るであろう。また、そういう日が来るために我々は戦わねばならない。今こそ、西郷南洲精神を恢弘していかねばならない。

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千駄木庵日乗三月二十三日

午前は、諸雑務。

午後は、病院に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備、『萬葉集』評論原稿執筆。

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2014年3月23日 (日)

『萬葉集』とはいかなる歌集か

『萬葉集』の歌は、わが國が天皇中心の伝統的国柄を国家体制として開顕した時期の國民精神の表白である。日本民族精神の源流と言っても過言ではない。日本が様々苦難を経ながら国家体制が確立した時期である大和時代から飛鳥奈良時代を経て平安朝初期にかけての「時代精神」「国民精神」が「やまと歌」によって歌われている。

『萬葉集』は、貴族や武士や僧侶の歌だけではなく、上は天皇から一般庶民・遊女・乞食の歌まで収められている。『古今和歌集』以後は、皇族と貴族と僧侶と武士、という位の高い人たちの歌しか載っていないが、『萬葉集』は、上は天皇から下は万民の歌が収録されているのが特徴である。時代的にも伝承歌を含めると仁徳天皇から淳仁天皇の御代までの数百年間の歌が収められ、また、地域的には筑紫の地から陸奥國までの歌が収録されている。つまり『萬葉集』とは古代日本の全国民的一大アンソロジーである。

大伴家持は、日本の国の国柄の素晴らしさを後世に伝えなければいけないという使命感を持って、『萬葉集』の編纂に関わり、自らも歌を数多く詠んだ。

『萬葉集』を読むことによりを、今から二千年近く昔の日本人のまごころの表白に今日のわれわれが共感し感動することができる。『萬葉集』は、『源氏物語』と並んでわが國の文藝の古典としても世界の誇るべきものである。

『萬葉集』が「記紀・萬葉」と並び称される所以は、『萬葉集』がただ単に江戸時代以前の歌集という意味の「古典」ではなく、「記紀」と並んで日本國生成の精神即ち日本國體精神がうたいあげられ、それが各時代を通じて生命を保ち、現代においても生きているからである。

 

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千駄木庵日乗三月二十二日

午前は、諸雑務。

午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、『アジア問題懇話会』開催。沈斯淳台北駐日経済文化代表処代表が「対日関係の現状と展望」と題して講演。質疑応答。講演は公式見解を述べられたが、質疑応答はなかなか興味深かった。今日も奥野誠亮先生、小田村四郎先生がお元気に出席された。

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講演風景

 

この後、病院に赴き、母に付き添う。体力が回復してきているので本当にうれしい。

帰宅後は、『萬葉集』講義原稿執筆。

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2014年3月22日 (土)

神話と歴史と皇位継承

何故、天皇は神聖なる御存在であらせられるのか、それは天皇が、天照大神の地上に於ける御代理であらせられるという「神話の精神」によるのである。また、何故天皇が日本國の統治者であらせられるのか、それは天皇が、天照大神より日本國を統治せよと御命令を受けておられるという「神話の精神」によるのである。それ以外に理由はない。このことをまず以て確認しなければならない。古代から今日に至るまで様々な時代の変遷があったが、このことは決して変わることはない。

しかるに、「神話と歴史とを混同してはならない」「神話と歴史とは異なるから、神話の精神で皇位継承を論ずるべきではない」といふ議論がある。これは全く誤りである。相当の尊皇精神を持ってをられる方、國體に関する専門知識を持ってをられる方にかかる議論をされる方がられる。これは実に困ったことである。

神話の世界とは神代の事である。日本天皇が国家を統治されるといふことは、「天壌無窮の御神勅」に基づくのである。天皇の国家統治は、まさに神代から発するのである。これはわが國體の根本である。神話を無視して日本國體を論ずることは出来ない。

神話と歴史は区別してはならない。日本の最古の歴史書は『古事記』『日本書紀』である。その歴史書たる『記紀』は、神話の世界から語られてゐる。わが國においては、神話と歴史は分かち難くつらなってゐる。「今即神代」が日本傳統信仰の根幹である。「高天原を地上へ」がわが國民の信仰的理想である。日本的変革・維新は、「高天原への回帰」「今即神代の実現」である。神話の世界即ち神代と人間の歴史世界を切り離し、分離させてはならない。

『天壤無窮の神勅』には次のやうに示されてゐる。
 「豊葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の國は、これ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。爾(いまし)皇孫(すめみま)、就(ゆ)きて治(し)らせ。行矣(さきくませ)。寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、當(まさ)に天壤と窮まりなかるべし」。

『天壌無窮の神勅』の「皇孫」といふお言葉は「ウミノコ」と読む。近世の國學者・平田篤胤は「孫をマゴと云ひ、曾孫をヒコと云ふ。然れどマゴとは真子(マコ)の義にて、生子(ウミノコ)より次々の子孫までを広く云ふ言(コト)にて孫をのみ云ふ語には非ざるなり。」(『玉襷』)「我が天皇命の高御座は、万千秋之長五百秋(ヨロヅチアキノナガイホアキ)に、所知看(シロシメ)せと依賜へる御座なる故に、その高御座に位(マシマ)すは、即天照大御神の御子に坐せばなり。(子とは、子孫末々までにわたる名なること、師説(註・本居宣長の説)に、具(ツバラ)にいはれたるがごとし。)」(『霊の真柱』)と述べてゐる。

天皇が天照大御神の生みの御子であらせられられることが、天皇の神聖性と天皇が日本國をしろしめす「おほきみ」であることの根拠である、といふことが端的に示されてゐる。「これ吾が子孫(うみのこ)」とは、邇邇藝命をはじめ神武天皇そして今上天皇に至るまでの御歴代の天皇は、天照大神の「生みの子」であり、御歴代の天皇は、天照大神の御神霊と一體であり、同一神格であり、邇邇藝命も神武天皇も御歴代の天皇も今上天皇も、天照大神と同じ関係であるといふことである。ゆゑに天皇を皇御孫尊(すめみまのみこと)と申し上げるのである。今上天皇は、邇邇藝命・神武天皇と不二一體なのである。天皇が現御神・現人神であらせられるとはかういふ信仰である。

 つまり「皇孫(うみのこ)」とは単に子孫といふ意味ではなく、天照大神が直接にお生みになった御子即ち天照大神の神霊の天降った御子そのものであるといふことなのである。即ち『天壌無窮の御神勅』は、歴代の天皇は、それぞれ肉身は異なられても、霊的・魂的には邇邇藝命と永遠にわたって全く同じ霊格であるということを示してゐるのである。天照大御神との御関係は、邇邇藝命も、歴代天皇も、今上天皇も全く同じなのである。

神話と歴史を分離させて日本國體・天皇統治の御本質・そして皇位継承を論ずるなどといふことは全く誤りである。

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天皇の上に「法」があるのではなく、天皇の「大御心」が「法」である

天皇・皇室を「現行占領憲法」「皇室典範」などの現行成文法によって規制し奉ることは、國體破壊である。

 

 

 

中川八洋氏は、「傳統や慣習は”法”であるから、法律の上位にあって、この”法”に背理する法律についてはそれを無効にすることができる。英國のE・コーク卿が理論化した”法の支配”とは、このような、『傳統・慣習・先例・過去の判例、その他のコモン・ローは、國王の勅令に対しても、國會で採択された法律に対しても、優位する憲法原理』のことである。…日本も、英國と同じく、この古来より先蹤の積み重ね──古法──を”法”としてきた。井上毅は、これをしばしば”古格”とか”旧慣”とも称し、この”旧慣の尊重”の重要性を説き、西洋の法律をやたらに模倣する、当時の同僚や部下の法律家を諌めた。」(『皇統断絶』) と論じてゐる。

 

 

 

「國王といへども法の下にあるといふのが『法の支配』の原点である」といふ考へ方がある。これは、イギリスの法思想であるといふ。かかる法思想は、「王は力によって人民を支配する権力者であり、本来、国民と対立する存在である」とする西洋國家の考へ方であって、わが國には通用しないし、通用させてはならない。

 

 

 

一方、小室直樹氏は、「『大日本帝國憲法』第三条に、『天皇ハ神聖ニシテ侵スへカラス』とある。伊藤博文は、これを説明して、『天皇を、誰も非難したり批判したりすることはできない』(『天皇は指斥言義(しせきげんぎ)の外に在()るものとす』(『憲法義解』)といっている。即ち、政府も、裁判所も、一般國民も、天皇のいかなる責任をも追及することはできない。もちろん、法的責任を追及することはできない。天皇は、法の上にある。)(『天皇恐るべし』)と論じてゐる。

 

 

 

しかし、天皇は法の上におられるとか下におられるとかではなく、天皇の「おほみことのり」そのものが「法」なのである。わが國においては、現御神日本天皇の「勅」(みことのり)が絶対にして最高の法である。わが國の「法の起源」は、祭り主たる天皇が神の意志を傳へる『のりごと』である。法(のり)は宣(のり)である。天皇の上に「法」があるのではなく、天皇の宣命(おほせごと・大御心)が法なのである。

 

 

 

そもそもコモン・ローcommon lawとは、大陸法系と区別された英米法系に属する法制のことであり、特にイギリス普通法裁判所の判例法として歴史的に発達してきた一般國内法のことであるといふ。日本と英國とは國體・歴史・傳統・風俗・習慣がまったく異なるのであるから、英國の法思想をそのまま日本に取り入れることは出来ない。

 

 

 

 天皇が祭りを執行され、神の御心をお知りになり、臣下は天皇がお知りになった神の御心に基づきそれを実現するために実際の政治を行ふといふのがわが國の古来からの「まつりごと」のあり方である。これが「しろしめす」といふ天皇統治の実相である。これを「祭政一致」といふ。天皇が祭祀を執行されて神意をうかがひ、臣下がその神託(のりごと)に基づいて政治を行ふといふのが祭政一致の姿である。

 

 

 

古来、我が國では、宮廷其他の法律・命令はすべて「のり」といふ語で表されてゐて、「のりと」と法律・命令とは根本は同じである。御歴代の天皇は神のご意志をよくお知りになって神のご意志を実現させることを使命とされる。祭り主・日本天皇が、神を祭る時にうかがった神の意志を告げることを『ノル(告る・宣る)』といふ。「ノル」は名詞にすると「ノリ」であり、「法」を「ノリ」といふのは、祭り主たる天皇が「告る・宣る」ことがすなはち法となるからである。

 

 

 

祭政一致のわが國の傳統においては、天皇の仰せごとは即ち神のご意志であり、民が守らなければならない「法」なのである。天皇の上に「法」があるなどといふことは絶対にあり得ないしあってはならない。

 

 

 

三潴信吾氏は、「我が御歴代の天皇の下における一切の認定法は、天照大御神と一体たり給ふ 天皇の大御心の発現であって、神定即人定と云ふべきもので、ここにわが國法の神聖性の根拠があり、従って又、そこに日本民族の尊皇遵法の根拠があるのである。」(『日本憲法要論』)と論じてゐる。

 

 

 

「天皇は『憲法』『皇室典範』よりも下位にある機関」などといふ説はまったくわが國體と相容れない。天皇國日本の「法」の尊厳性は、「天皇の仰せごと」といふことにある。天皇國日本においては憲法を含め全ての「法」の正統性は、天皇の神聖権威によるのである。なぜなら天皇は現御神であらせられるからである。天皇の正統性は憲法によるのではない。現御神日本天皇以上の権威は日本には存在しない。

 

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千駄木庵日乗三月二十一日

午前は、諸雑務。

午後は、北区内の菩提寺に赴き、四宮家の墓を掃苔。拝礼。ご加護とご冥福を祈る。先日、ご住職夫人が他界されたので、お嬢さんにお悔やみを申し上げる。

この後、病院に赴き、母に付き添う。食事の介助、食欲があるので有り難い。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備など。

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2014年3月21日 (金)

今こそわが日本は「大和心」を持って支那に対抗すべきである

私が尊敬していた渡辺はま子さんは、最大のヒット曲「支那の夜」をテレビで歌うことは出来なかった。支那という言葉は蔑称だからだと言いう。しかし、支那人自身が自國を支那と称していたのである。一千年以上昔の唐代の三蔵法師以来、支那の仏典において支那という言葉が使われた。なぜなら、中國あるいは中華という漢語は、中央の國という意味であり、仏教信者にとっては、世界の中央とはインドであったからである。

 

 また、近代の章炳麟・梁啓超・胡適・宋教仁・孫文・康有為・茅盾などの革命家・政治家・思想家、小説家も自國のことを支那と言っていた。

 

 支那という言葉の起源は、秦(春秋時代の諸侯の一つ。今の甘粛・陝西省の地方)であるという。決して蔑称ではない。わが國は江戸時代の學者(新井白石といわれている)が、英語のChinaの訳字として支那という漢字を当てたという。したがって、支那という言葉には支那に対する侮蔑の心は全くないのである。(もっとも最近の支那共産政権の侵略主義と専制政治、そしてわが国に不法入国して繰り返す支那人の犯罪は侮蔑されても仕方がないが)

 

 今日においても、國際舞台で支那共産政府自身、自國のことを「China」と名乗っている。ということは、彼らは今日でも支那と名乗っているということなのである。自國が名乗っている言葉を日本人が用いたからと言って、「差別」だの「侮蔑」だのと言って騒ぐのは全くおかしい。支那という言葉が蔑称であり「國家主義的発想」であるのなら、Chinaも悪いということになる。ともかく、支那を支那と言って何が悪いということになるのである。 

 

 「中國」「中華」という言葉は、世界の中心に位置する國という意味であり、きわめて普遍的であって、支那のみが中國なのではなく、前述したようにインドにも「中國」という意識があったのである。わが國日本にも、「中國」という自覚がある。わが國は「葦原中國(あしはらのなかつくに)」ともいう。また、山鹿素行が赤穂配流中に著した歴史書『中朝事実』の「中朝」とは「わが國の朝廷」の御事である。

 つまり、日本人が支那のことを中國というのは、まことにおかしいということになるのである。

 

 ところが、敗戦後、支那に対して誤れる贖罪意識を持つようになった日本人が、「支那」という言葉を自己規制するようになってしまった。ここに大きな問題がある。

 

「中華」を名乗っている支那は有史以来帝國主義的侵略を意図し世界は全て支那の領土と心得ている

 

 支那が「中華」「中國」を自称するのは、支那民族が、周囲の國・民族よりすぐれているという独善的な観念に基づく。そして支那人は、周辺諸國・諸民族を東夷・西戎・南蛮・北狄と言って差別するみならず、支那の支配下に置くことを目的とした対外膨脹思想を抱いている。これを「中華思想」という。

 

 そして支那には、周辺諸國を自國の属國とみなし、これに朝貢(外國人が来朝して朝廷にみつぎものを差し上げること)させて来た長い歴史がある。そうした悪しき伝統は共産主義政権になっても脈々と生きている。と言うよりもますます顕著になっている。だから周辺諸國の領土を掠め取るのは当たり前だし、気に入らない國に対しては武力で恫喝したり制裁を加えるのは当然という考え方があるのだ。現に支那共産政権は、チベット・内蒙古・満洲・新疆ウイグルに対して侵略支配を行っている。

 

 共産支那は政権奪取以来、巨大な陸軍を擁しつつ大陸を支配し、一九六四年には核兵器さえ手に入れた。そして今日、急速な経済近代化・経済建設が進行、その経済力をベースに、露骨に軍事力増強の「富國強兵」策を採っている。

 

 支那共産政権は、「戦前の日本は侵略國家だった。そして日本に軍國主義が復活しつつある」と攻撃しているが、共産支那こそ、アジア最大の侵略國家であり、軍國主義國家である。これに対して、戦後六十年以上にわたって「富國強兵」とは正反対の「富國弱兵」政策を採り続けてきたわが國は、主権國家としての政治的・軍事的力がきわめて弱体である。

 

 このような状況が続けば、日本は「中華帝國」の広域支配下に組み入れられてしまう危険がある。しかるに、わが國においては、「自衛隊や沖縄米軍基地を縮小せよ」という論議が起こっている。実に以て愚かにことと言わねばならない。わが國は、アジア諸國と連帯して中華帝國主義に対抗すべきである。

 

 明治二十五年、日本と清國の関係が風雲急を告げ険悪となった時、わが國民の士気を鼓舞するために、『元寇』(文永十一年<一二七四>と弘安四年<一二八一>の二度にわたる蒙古来襲)という歌が作られた。それには、

 「四百余州をこぞる/十万余騎の敵/國難ここにみる/弘安四年夏のころ」

 「多々良浜部の夷(えみし)/そは何蒙古勢/ここぞ國のため/日本刀を試しみん」

 

 今日の支那もわが國に対して、過去の歴史問題で、「永遠に謝り続けろ」「金と技術を寄越せ」と言って「朝貢」を求めてきた。そしてわが國政府は、謝罪を繰り返し、金を貸す方の日本が北京に呼びつけられて「円借款」を行ってきた。支那は日本から脅し取った金でアジア侵略と自國民弾圧のための軍事力拡張を行っているのだ。こうした事態は、「第二の元寇」といっても言い過ぎではない。

 

 今こそわが日本は「大和心」を持って支那に対抗すべきである。まず以て、わが國國内の媚中派・売國勢力を駆逐しなければならない。

 

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千駄木庵日乗三月二十日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆。

この後、病院に赴き、母に付き添う。病院の相談員の方と話す。奇跡が起こったとしか言いようのないことになった。有り難し。詳しくしあらためて書かしていただきます。

午後六時半より、北青山の大東会館にて、『皇室典範』についての勉強会開催。田尾憲男氏が講義。

帰宅後は、原稿執筆。

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2014年3月20日 (木)

『国歌君が代』の信仰的意義

「家(イヘ)」は「いはふ」(神を畏敬し、神に祈るために家に忌み籠ること)の音韻が変化した言葉である。そして、人が籠る所を家(イヘ)と言うようになった。「イハ」は「イヘ」と同根の言葉である。岩(イハ)は「魂の籠るところ」という意味である。大きな石のことを「巖(いはほ)」と言う。

 

つまり、古代人は石や岩には魂が籠っていると信じたのである。その信仰が歌われた歌が『萬葉集』の「東歌」(東國庶民の歌)の「信濃なる筑摩の川の細石(さざれし)も君しふみてば玉と拾はむ」(三四〇〇・信濃の千曲川の小石でも恋しいあなたが踏んだのなら玉として拾おう、という意)である。この場合の玉は単に宝石という意味ではなく愛する人の魂が籠っているという意である。

 

古代日本では、石に籠っている魂が次第に成長して巖になると信じられていた。その信仰が歌われた歌が、『國歌君が代』である。

 

「君が代は千代に八千代にさゞれ石の巌となりてこけのすまで」は、「天皇の御代は千年も八千年も続き小さな石がだんだん成長していって巌となるまで永遠に続く」という意である。「さゞれ石の巌となりてこけのすまで」は、決して比喩ではなく実際の信仰だったのである。

 

さらに、イシ(石)・イハ(岩)・イツク(齋く)・イハフ(齋ふ)・イノル(祈る)の「イ」は、生命力・靈力を意味する名詞であり生命力の強い自然物(植物や岩)の称辞として用いられると共に、物事を神聖化することを意味する動詞にも用いられている。

 

何故古代日本人は石や岩に魂が籠ると信じたのかというと、石は地上にありながら、石の下即ち地下から湧出する深く大きな生命力と威力を包含し、地下の精靈や魂の具象であり象徴である考えたからであろう。つまり石とりわけ巨岩は神靈の依り代(よりしろ・憑代とも書く。神靈が現れる時に宿ると考えられている物、樹木・岩石・御弊など)であると信じられた。古墳をはじめ墓を石で造るのは、それが地下の死の世界にいる死者の魂が表出する依り代であるからである。この信仰は石器時代に端を発している。

 

『國歌・君が代』は古代日本から今日まで続く伝統信仰が歌われているのであり、「石が大きくなって岩になるなどといふのは非科學的である」といふ批判は日本伝統信仰を全く知らない誤った議論である。

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千駄木庵日乗三月十九日

午前は、諸雑務。

午後は、病院に赴き、母に付き添う。

午後二時半より、芝の駐健保会館にて、『大行社幹部会』開催。顧問の一人としてスピーチ。

午後四時より、赤坂の日本財団ビルにて、『東京財団フォーラム』開催。「米国ウォッチャーが語るオバマ大統領のアジア」と題して、クリス・ネルソン氏(サミュエルズ・インターナショナル上級副社長、「ネルソン・レポート」編集長兼発行人)が講演。高原明生東京大学大学院教授、渡部恒雄東京財団上席研究員がスピーカーとして発言した。なかなか興味深い内容であった。後日報告します。

帰宅後は、『萬葉集』解説原稿執筆。

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2014年3月19日 (水)

「深見東州バースデー個展」開幕式における登壇者の発言

本日行われた「深見東州バースデー個展」開幕式における登壇者の発言。

 

亀井静香氏「深見さんは、神社にお参りするし、クリスマスカートを贈ってくれる。宗教とは本来そういうもの。深見氏の創作活動は人間業ではない」。

 

鳩山邦夫氏「レモンを一日中食べると天才になれる。私の庭で収穫したレモンを持って来た。『深見先生の口に入る』と声をかけて育てた」。

 

鈴木宗男氏「深見先生は人間味がある。思いやりの心がある。立場を外した人を助けてくれる」。

 

伊藤憲一氏「ダビンチ以上思っている。ブレアやクリントンを日本に呼べる人は半田さんのみ。人が人に惚れるから出来る。金で出来ることではない」。

 

深見東州氏「三日間で百五十点仕上げた。自分の頭で描いてはこうは行かない。キャンパスを見ているとフォルムが浮かんで来る。追いつめられて作る。ヘンデルも「メサイア」を借金取りに追い詰められつつ作曲した。自分を追い込む。

人間の世界を超えている。三か月で描いた。岡野弘彦さんは、こつこつと歌を詠むのではなく、決められた日に一気に何百首の歌を詠む。私は、二十代から自分を追い詰めている。六十三歳になってもチャレンジして若々しさを保つ。

死んだ時に、何を悔やむかが問題。度胸と根性のない女々しい人生を送ったことを悔やむべきではない。生死を超えた度胸で実行力のない人間が悟っても、仕方がない。日本の男性はあまり和服を着ないが、外国に行くと、羽織袴をつけないと韓国人・中国人と区別がつかない。人と人とのフレンドシップがないといい仕事が進まない。外国語を知らない者は自国語も知らない。日本文化を知ってもらうため。度胸良く世界にぶちかます、根性で生きることが大事」。

              ◎

 「メサイア (Messiah)」は、ヘンデルによって作曲されたイエス・キリストの生涯を題材にした宗教音楽で「オラトリオ」と言う。約2時間半(各部60分、60分、30分)の大作。ヘンデル本人による自筆楽譜は259ページ。ヘンデルはこの大曲の楽譜を1741822日から914日までのわずか24日間で書き上げたと伝えられる。第2部最終曲の「ハレルヤ (Hallelujah)」(通称「ハレルヤコーラス」)は多くの人々に愛されている。私も中学校の音楽の授業で何回も聞かされ素晴らしいと思った。私は偶然にも昨日の夜、原稿を書きながらこの音楽を聴いた。小生の誕生日は三月十七日で、深見氏とは一日違いである。

 

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千駄木庵日乗三月十八日

朝は、諸雑務。

午前十一時より、ラフォーレミュジアム六本木にて、『第十四回深見東州バースデイ個展』開幕式開催。亀井静香・西村眞悟・鳩山邦夫・鈴木宗男・伊藤憲一の各氏が祝辞を述べた。そして、深見東州氏が謝辞を述べ、テープカットが行われた。この後、作品を参観。

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テープカット風景

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『龍』と書かれた作品の説明をする深見東州氏

帰途、木村三浩氏と懇談。

この後、病院に赴き、母に付き添う。ケーキを食べていただく。

帰宅後は、『萬葉集』講義原稿執筆。明日のスピーチの準備など。

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2014年3月18日 (火)

「第三十八回・日本の心を学ぶ会」のお知らせ

 

 テーマ「日本における保守政治とは何か」 

 

 

 

 

都知事選の後、田母神俊雄氏などを中心とした保守新党の結成が論じられています。また、都知事選で六十一万票を獲得した田母神氏とその支持者をマスメディアも無視できなくなっているようです。

 

 

 

しかし、田母神氏らによる保守新党結成が期待されていることは、逆説的に既存の保守政党即ち自民党が期待に応えられていないことを意味しています。

 

 

 

そもそも、保守政治とは伝統と慣習のなかに人知を超えた叡智を見いたし、理性で社会を設計することに懐疑的な立場からの政治を言います。さらに言えば、真の保守とは、天皇を中心とする日本國體を護持し、且つ、国家の独立と尊厳性を護るという事であります。

 

 

 

戦後日本で「保守」という立場から政権を担ってきたのは自民党です。そして、あらゆる保守勢力は自民党に結集し共産革命を阻止することを最大の目的としてきました。つまり、

 

自民党こそが保守政治の本流であった言われてきました。

 

 

 

しかし、戦後体制即ち護憲安保体制を守ることが保守ではありません。真の保守とは決して現状維持ではないのです。日本のあるべき姿を回復することによって現状を変革すること、即ち維新こそ真の保守なのです。

 

 

 

安部晋三総理は、「戦後レジームからの脱却」を主張しています。これは評価すべきですが、歴代内閣の「河野談話」「村山談話」を踏襲し、支那韓国に対して毅然とした外交姿勢を取ることができない自民党政府は決して真の保守政権とは言えません。また、今の自民党の中には、戦後体制・護憲安保体制を守ろうとする「似非保守勢力」が根強く残っています。

 

 

 

こうした状況下にあって、真の保守政治とは何か、維新とは何か、「戦後レジームから脱却」とは何かを、皆様と一緒に

 

議論したいと思います、みなさんお誘い合わせのうえご参加のほどよろしくお願いいたします。

 

 

 

(※今回は文京シビックセンター3階・会議室Bで開会いたします。文京区民センターではないのでご注意ください)

 

 

 

【日 時】平成26330日(日)午後6時より

 

【場 所】文京シビックセンター3階・会議室B 東京都文京区春日11621

 

 

 

(交通機関) 

 

東京メトロ 後楽園駅・丸の内線(4a5番出口)南北線(5番出口)徒歩1 

 

都営地下鉄春日駅三田線・大江戸線(文京シビックセンター連絡口)徒歩1 

 

JR総武線 水道橋駅(東口)徒歩9 

 

 

 

【テーマ】日本における保守政治とは何か?

 

【登壇者】講  四宮正貴 四宮政治文化研究所代表 

 

瀬戸弘幸氏 BLOG日本よ何処へ    

 

【参加費】資料代500 終了後、近隣で懇親会(3千円くらいの予定です)

 

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395

 

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わが国はグローバリズムを克服し国家民族の独立と栄光を維持してきた

米ソ二超大国による冷戦構造が崩壊した後、世界は平和になったかと言うと決してそうではなく、むしろ、民族問題・領土問題・資源問題・宗教問題などで冷戦どころか熱い戦ひが世界各地で起ってゐる。

 

また、多くの国家が世界を一つの市場として利害を共有すれば、世界規模の戦争勃発の危険性を大きく低下させ平和が実現するといふ考へ方がある。いはゆるグローバリズムである。しかし、現実には、各国の利害が衝突すると共に、持てる国と持たざる国との格差が広がってゐる。また無資源国が高値で資源購入を余儀なくされる状況になりつつある。

 

そしてグローバリズムの市場共有を放棄し武力行使をする国が再び出始める可能性も生ずる。つまり、再びブロック経済が第二次世界大戦を勃発させた時に近い状況になる危険がある。地球の一体化を目指すといふグローバリズムが逆に世界平和実現を阻む大きな要因になる可能性がある。

 

さらに、わが日本は、共産支那の中華帝國主義・アメリカ覇権主義・韓国の反日姿勢が渦巻く狭間にあって、祖国の独立と安全を守るために必死になって戦はなければならない。

 

しかし、日本がかかる危機的状況に陥ったのは、今が初めてではない。飛鳥・奈良時代も、江戸時代末期も、今日と同じやうな危機に遭遇した。そしてわが國はその危機を乗り切った。

 

飛鳥・奈良時代にも、今日で言ふグローバリズムの波がわが国に押し寄せて来た。しかし、日本はそんな波に呑みこまれることなく自立した国家を作り上げた。

 

飛鳥・奈良時代は、儒教や仏教をはじめとした外来文化・文明が怒涛の如く日本に流入してきた。日本は、さうした言はば当時のグローバリズムをたくみに対峙しつつ、日本独自の文化と政治を確立した。そして平安時代といふ長きにわたる平和の時代を招来せしめた。

 

日本の歴史の中で長期にわたって続いた平和な時代が二つある。平安時代の三五〇年と江戸時代の二五〇年である。これほど長期にわたって平和を持続させた国家は世界史的にも日本だけである。

 

また、江戸時代末期にも、同じような危機に際会したが、明治維新を成し遂げ、日本の独立を守り、近代化を遂げた。 

 

つまり、わが国の歴史は、今日で言ふグローバリズムと対峙し、それを克服し、国家民族の独立と栄光を維持し発展させてきた歴史である。

 

その最大の要因は、天皇・皇室を祭祀主と仰いで國の統一と安定を確保するといふ強靭なる日本國體精神である。日本民族がグローバリズムの波に呑みこまれることなく、外来文化・文明を自由に柔軟に受け容れ、自己のものとしさらに発展させた基盤の中核が、天皇・皇室のご存在である。 

 

わが國の建国の精神は、「八紘爲宇」の精神である。これは、世界は色々な民族・国家が連帯し共存する一つの家であるといふ精神である。また近代日本の父と仰がれる明治天皇御精神は、「四海同胞」の精神である。これは、世界の民は兄弟であるといふ精神である。日本は本来的に言葉の真の意味における平和国家である。 

 

日本はその傳統信仰の靈的精神の偉大なる包容力によって、よく他國の宗教・文化・文明を取り入れてそれを融和せしめ洗練して、強靱にして高度な日本文化として開花せしめる力を持ってきたのである。 

 

現代日本においても、この強靱にして自由な日本民族の伝統的な文化感覚を発揮して、危機的状況を打開していかなければならない。

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千駄木庵日乗三月十七日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理など。

病院に赴き、母に付き添う。リンゴを食べていただく。

午後六時半より、元麻布の明治記念館にて、『呉善花さんを励まし、励まされる集い』開催。渡辺利夫・渡部昇一両氏などにより即席シンポジウムが行われた。櫻井よしこさんが祝辞を述べ、呉善花さんが謝辞を述べた後、田母神俊雄氏の音頭で乾杯を行い、盛宴に移った。多くの同志・友人にお目にかかった。

帰途、赤坂にて、同志夫妻と懇談。

帰宅後も、資料の整理。

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2014年3月17日 (月)

石川県護国神社境内の『清水澄博士顕彰之碑』について

石川県護国神社境内に、『清水澄博士顕彰之碑』が建立されてゐる。清水澄博士は、明治元年金沢市に生まれ、東京帝国大学法科を卒業後、学習院大学教授となり、明治三十八年法学博士の学位取得し、宮内省、東宮御学問所の御用掛を拝命された。大正天皇、昭和天皇に御進講され、行政裁判所長官、枢密院顧問官を経て、敗戦後、最後の枢密院議長に任ぜられた憲法学者である。

 

碑文には大要次のやうに記されてゐる。「憲法学者清水澄博士(金沢市東山三丁目御出身)は占領軍司令部が強制した日本国憲法施行の日、日本国の天皇制(原文のまま)の将来を憂慮され、幽界よりわが國體の護持と皇室の御安泰、今上陛下の御在位を祈願しようと自決を決意され、憂国の至誠極まる所、汨羅(べきら)の淵に身を投じた楚の国の忠臣屈原の故事に倣い、九月二十五日、熱海の錦ヶ浦の波涛に愛国赤心の躯幹を投ぜられた。敗戦日本の正気阻喪の惨状は正視するに耐え難いものが連続的に生起した。博士はわが國の伝統・文化の変革し行く姿を見、祖国の将来を憂慮され、ことに建国以来、国の生命、民族の中心として連綿と存在する皇室の上に思いをいたされ、身の置き処が無かったのである。東京の青山墓地に眠る博士の墓石に記された嗣子虎雄氏の碑文の中に『ケダシソノ生涯ハ君國ニ対スル忠誠ノ念ヲモッテ終始シ』とある如く、博士の衷情はただ一つ祖国の道義を万代に堅持せんがための至情以外の何ものでもなかった。新憲法下ここに三十年、博士の憂慮された如く、この間政治 経済 文化 その他あらゆる分野において、正統の道義は地に落ち、全て自己中心の個人主義の思想が瀰漫し、国の伝統と民族の歴史に背反すること夥しく、まさに祖国の危機と言わざるを得ない。この亡国的惨状打開の途は、国の歴史と伝統に基づく民族の正気の恢弘、維新以外にあり得ない。云々 昭和五十二年九月 林屋亀次郎」。

 

汨羅は支那湖南省北部を流れる湘江の支流。江西省修水県の西南を源とし、西流して湘水に入る。林屋亀次郎氏は、明治十九年金沢市生まれ。昭和五十五年逝去。昭和二十二年以来、参議院議員三期。

 

 清水澄博士の『自決ノ辞』には次のやうに記されてゐる。

「新日本憲法ノ發布ニ先ダチ私擬憲法案ヲ公表シタル團体及個人アリタリ其中ニハ共和制ヲ採用スルコトヲ希望スルモノアリ或ハ戦争責任者トシテ今上陛下ノ退位ヲ主唱スル人アリ我國ノ將來ヲ考ヘ憂慮ノ至リニ堪ヘズ併シ小生微力ニシテ之ガ對策ナシ依テ自決シ幽界ヨリ我國體ヲ護持シ今上陛下ノ御在位ヲ祈願セント欲ス之小生ノ自決スル所以ナリ而シテ自決ノ方法トシテ水死ヲ択ビタルハ楚ノ名臣屈原ニ倣ヒタルナリ

元枢密院議長  八十翁 清水澄  法學博士  昭和二十二年五月 新憲法実施ノ日認ム

追言 小生昭和九年以後進講(宮内省御用係トシテ十数年一週ニ二回又ハ一回)シタルコト従テ龍顔ヲ拝シタルコト夥敷ヲ以テ陛下ノ平和愛好ノ御性質ヲ熟知セリ従テ戦争ヲ御賛成ナカリシコト明ナリ」。

 

 

 終戦後五十九年、占領憲法施行以来五十七年を経過した今日、「碑文」に書かれた憂慮すべき状況は愈々益々深刻になってきてゐる。憲法改正が現実の問題として論じられて来てはゐるが、肝心要の國體については、欧米の権力国家観・契約国家論に基づく『国民主権』といふ日本國體に合致しない『原理』を踏襲するのでは、真の「憲法改正」でもないし「自主憲法制定」でもない。

 

日本天皇は権力・武力を以って国家国民を支配される御存在ではない。また、天皇と国民は権力的対立関係にあるのではない。天皇と国民は精神的信仰的一体関係にある。これを君民一体の国柄といふ。主権が君主にあるとか国民にあるとかといふことは、わが國の國體には全く無関係なのである。したがって、「国民主権」などということを憲法に麗々しく憲法に記す必要はさらさらない。そのやうなことを記すことは天皇を権力者と仰ぎ奉ることになり、重大な國體破壊である。

 

 

『清水澄博士顕彰之碑』のすぐ近くに『大東亜聖戦大碑』が建立されてゐる。これは実に意義深いことである。自虐史観の払拭=大東亜戦争の意義の恢弘と占領憲法破棄・自主憲法制定とは一体の運動である。

 

『大東亜聖戦大碑』は、平成十二年八月四日建立。草地貞吾元陸軍大佐(関東軍参謀作戦班長)の書。高さ十二㍍。『銘』には草地氏の「大東亜 おほみいくさは 万世の 歴史を照らす 鏡なりけり」といふ歌が刻まれてゐる。背面には「八紘為宇」と刻まれてゐる。

 

 

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千駄木庵日乗三月十六日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理。

夕刻、病院に赴き、母に付き添う。食事の介助。母が拘束されているのが可哀想である。

帰宅後も、資料の整理。

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2014年3月16日 (日)

『日本美術院再興百年特別展・世紀の日本画』展を参観して

今日参観した『日本美術院再興百年特別展・世紀の日本画』展は、「平成26年は日本美術院の再興から100年にあたります。 これを記念して、前史としての東京美術学校設立から、現在に至るおよそ130年の活動を振り返ります。 狩野芳崖、横山大観、小林古径、安田靫彦、平山郁夫ほか、近代日本画の巨匠たちの代表作約120点が一堂に会する本展は、まさに近代日本画の精華というにふさわしいものです」(案内書)との趣旨で開催された。

 

横山大観「無我」「屈原、」、狩野芳崖 重要文化財「悲母観音」、前田青邨「京名所八題」「知盛幻生」「芥子図屏風」、安田靭彦「御産の祷」、今井紫紅 重要文化財「熱國之夕」、小杉未醒「山幸彦」、太田聴雨「二河白道を描く」、月岡榮貴「やまたのおろち」、小林古径「孔雀」、今井珠泉「飛翔」、近藤浩一路「十三夜」、小田野尚之「くつおと」、守谷多々志「無明」、北澤映月「女人卍」、馬場不二「松」、平櫛田中「禾山笑」、平山郁夫「京へ」橋本雅邦「龍虎図屏風」、小倉遊亀「コーちゃんの休日」などが印象に残った。

 

小田野尚之「くつおと」は、京成線博物館動物園駅に階段を上って来る人々と駅を題材にした作品。この駅は、今は廃駅になっている。大分以前に、この駅から京成線に乗って上野に行こうと思い切符を買おうとしたら、駅員さんが怪訝な顔をして売ってくれようとしなかったのを思い出した。上野駅は歩いて行ける距離だったからであろう。

 

馬場不二「松」は、この絵を完成した直後に作者が亡くなった。命懸けで描いということが実感できる迫力のある作品である。

 

月岡榮貴「やまたのおろち」は、西洋の絵画にように見えた。

 

前田青邨「知盛幻生」は、亡霊の姿を描いていて見事であった。

 

横山大観「無我」は、表情をよく観ると老人のように見えて来た。同じく大観の「屈原、」と作品を観ると、「昭和維新青年日本の歌」の「汨羅(べきら)の渕に波騒ぎ  巫山(ふざん)の雲は乱れ飛ぶ  混濁(こんだく)の世に我れ立てば  義憤に燃えて血潮湧く」という歌詞を思い出した。

 

 

小倉遊亀「コーちゃんの休日」のモデルは越路吹雪である。戦後の人気歌手をモデルにしている絵画は、笠置シヅ子をモデルにした「あめのうずめの命」という絵を以前見たことがある。

全体的にスケールの大きい、力のこもった文字通り大作と呼べる作品が多かった。

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千駄木庵日乗三月十五日

午前は、諸雑務。

午後は、上野公園の東京都美術館にて開催中の『日本美術院再興百年特別展・世紀の日本画』展の後期を参観。

この後、病院に赴き、母に付き添う。夕食の介助。

帰宅後は、資料の整理など。

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2014年3月15日 (土)

茂木貞純国学院大学教授の講演内容

一月二十九日に開催された『國體政治研究会』における茂木貞純国学院大学教授による「三島由紀夫と昭和二十一年元旦の詔書」と題する講義の内容は次の通り。

 

「敗戦後はじめてのお正月に、本詔書が渙発された。元旦に詔書が渙発されるのは異例。即刻、マッカーサーが歓迎の談話を出した。新聞は『神格否定』という紙面になった。冒頭に『五箇条の御誓文』が示されている。大半が国民への励ましのお言葉。多くの人が驚いた。三島由紀夫氏は二十歳で、大きな衝撃享けた。承詔必謹の論理でこの詔書を肯う人もいた。占領下であるので、屈辱の文献だという反応もあった。国学院の折口信夫先生は箱根の別荘に籠って深刻に悩んでいる。折口先生は戦前は『天子即神論』であったが、戦後は『天子非即神論』を主張。神道宗教論の主張をされるようになる。今、戦前と同じような事を言うと、天皇にご迷惑がかかるとした。神社界にも衝撃が走った。占領下で止むを得ない屈辱の時代の詔であると明記しなければならないという反応もあった。昭和三十年代になって、幣原喜重郎首相の伝記、前田多門の論文

などで渙発の経緯が明らかになった。昭和天皇から、『五箇条のの御誓文』を入れることができないだろうかとの御示唆があった。十二月二十九日、詔書の冒頭に『五箇条の御誓文』がそのまま入ることになった。昭和天皇の大御心によって加えられた。友人であった佐伯彰一の三島由紀夫に対する評価が的を射ている。戦後作家の中で最も西洋化した作家。相手の武器を奪い取って実践的に我がものとした。攘夷と開国を一身に我がものとした。明治維新の実行者の正統な継承者。自己のジレンマに向かい合っている。『潮騒』は神話物語のような素朴さ。キリスト教の影響を受けない多神教世界を描こうとした。『歌島』を日本に置き換えると良い。戦後は有無を言わせない開国。明治維新は自主的開国。防衛すべき窮極の存在・文化概念として天皇を把握した。『今上であらせられると共に原初であらせられる天皇』とはおよそ『人間宣言』とは遠い存在」。

 

以上の記録は、小生のメモと記憶によるものですので、大事なことを書き落としていると思います。ご容赦ください。

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千駄木庵日乗三月十四日

午前は、諸雑務。

午後は、『萬葉集』論の原稿執筆。

この後、病院に赴き、母に付き添う。どういうわけか、手を拘束されている。理由の説明なし。母が可哀想である。お菓子と果物を食べていただく。

午後七時より、ホテルサンルート高田馬場にて、『一水会フォーラム』開催。小林節慶應義塾大学教授が講演。活発な質疑応答が行われた。終了後懇親会。

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講演会風景

帰宅後も、原稿執筆。

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2014年3月14日 (金)

和歌はなぜ定型・韻律に則って歌われるのか

 「やまと歌」は自然に声調・調べが「五七調」あるいは「七五調」に自然に整えられた。これは「五七調」あるいは「七五調」という調べに、日本人の心を訴えることに適する何ものかがあるということである。これは「五七調」「七語調」に日本人の魂をゆさぶる何ものかがあるということである。「五七調」は対照的に素朴で力強い感じを与えることを特徴とし、『萬葉集』に使われている。「七五調」は優しく優雅な感じを与えることを特徴とし、主に『古今和歌集』に使われている。

『萬葉集』の九十五%が、短歌(五・七・五・七・七)である。短歌形式を古代日本人は、自分たちの抒情の文藝形式として獲得した。『記紀』『萬葉』以来今日まで千数百年にわたって、短歌形式が日本人の生活の中に生きてきて断絶がなかったという事實は非常に重要である。

それだけ、「五・七・五・七・七」の短歌形式には魅力があり、日本人の心を表現する形式として非常に適していたといふことになる。そして和歌が「五・七・五・七・七」という「定型」になっていったのであろう。

和歌は、なぜ定型・韻律に則って歌われるのか。それは日本人の生活が常にある一定の規則・リズムに則っているからであろう。日本の四季は規則正しく変化する。したがって農業を基本としてきた我が國民の生活も規則正しいものとなっている。わが國においては四季の変化と農耕生活とが調和しており、毎年一定の「型」が繰り返されている。規則正しい四季の変化と農耕を基本とする規則正しい生活が、定型詩である和歌が生んだということができる。

和歌は、人知の「さかしら」を超えて自然に生まれてくる「素直な心」(まごころ・もののあわれ)の表白であるから、規則正しい生活の中から、自然にある声調を生み、「五・七・五・七・七」の定型を生み出したのである。

「型」を大切にするのは日本人の特性である。歌舞伎などの演劇の世界をはじめとして茶道・歌道・書道などにおいて型の継承が、非常に大切なものとされる。武道もしかりである。「型」を継承することは、単に旧態依然としたものを墨守するというのではなく、新しい創造をともなう。典型をなぞっていくことによって新たなる進歩発展があるところに和歌の面白さがある。

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千駄木庵日乗三月十三日

午前は、諸雑務。この後、『政治文化情報』の原稿執筆。

午後、病院に赴き、母に付き添う。食欲がある。母の生命力の強さに驚き、感謝する。

午後四時より、西荻にて、『伝統と革新』の編集会議。活発な議論が行われた。終了後、出席者と懇談。

帰宅後も、原稿執筆、脱稿、送付。

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2014年3月13日 (木)

この頃詠みし歌

せめて五年若返りませと祈るなりベッドの上に横たはる母に

 

わが母の痩せ細りたる體をば見るに耐へ難き今日の病室

 

横たはる母を見守り祈るよりすべなき事は悲しかりけり

 

我が来るとああうれしいと言ひたまふ母の心は嬉しくも悲し

 

母上は我の差し出す食べ物を美味し美味しと食したまへり

 

スカイツリーを横目に見つつ急ぎ行く病院への道 母に会ふ道

 

六十七歳となれば老人か さもあらばあれ我は生き行く

 

轟々と風の音する春の夜 一人静かにもの書きてゐる

 

雨止みて星きらめける空仰ぎ さやかな心となりにけるかも

 

太りたるわが身いとしみ今日もまたのぼりゆくなりこの坂道を

 

朝の光明るくさし来るわが部屋に座して祈れり今日の平安

 

老人などと夢思はずに一日一日(ひとひひとひ)ただひたすらに生きてゆくのみ

 

白梅が咲きゐる園に人多く 経巡りてゐるゆかしき世界

 

甘酒を少しすすりたる後にして日のさす梅園を歩み行きたり

 

のどかなる春の湯島に日の光照らしかがよふ白梅の花

 

のぼり行く女坂には白梅が咲きて香れり夕暮の幸

 

白梅は夕暮時が似合ふなどと勝手に決めて女坂をのぼる

 

講談と新派の石碑が建ちてゐる湯島天神は親しかりけり

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千駄木庵日乗三月十二日

午前は、諸雑務。『政治文化情報』の原稿執筆。

午後は、今日の行う『萬葉集』講義の準備など。

夕刻、病院に赴き、母に付き添う。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究会』開催。小生が、長屋王(ながやのおおきみ)の御歌などを講義。

帰途、出席者の方々と懇談。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2014年3月12日 (水)

三月十日「東京大空襲」に思ふ

三月十日は、東京大空襲が行われた日である。無辜の東京都民・十万人以上がアメリカ軍によって焼き殺された日である。この空襲で一夜にして、東京市街地の東半部、実に東京35区の3分の1以上の面積にあたる約41平方キロメートルが焼き尽くされた。

 

初期の米軍のわが国への空襲は、軍事目標であったが、カーチス・ルメイ第21爆撃集団司令官の意見で、市街地を目標とする戦術に変更され、東京大虐殺が実行されたのである。

 

昭和三十九年一二月七日、カーチス・ルメイに勲一等旭日大綬章が授与された。理由は日本の航空自衛隊育成に協力があったためという。佐藤内閣の時である。推薦は防衛庁長官小泉純也と外務大臣椎名悦三郎の連名で行われた。勲一等旭日大綬章は、天皇陛下から皇居に於いて親授されるのが恒例であるが、昭和天皇は親授されなかった。

私は、佐藤氏を戦後の宰相の中で評価してゐるが、この一件ばかりはどうにも許すことは出来ぬ。また小泉純也、純一郎親子は二代にわたる媚米政治家であると考える。

 

昨日の夜、怒りに任せて次のやうな歌を詠んだ。充分に推敲していない歌ですが、

掲載させていただきます。

 

              〇

 

無辜の民十万が殺されし三月十日忘れることなく今を生きるべし

 

日本人は何ゆゑかくも寛大か原爆大空襲を責める声少なし

 

鬼畜米英といふ言葉に嘘は無しとしみじみ思ふ三月十日

 

三月十日何の抗議運動も起らざるわが国は恨み持たざる国か

 

大空襲を指揮せし鬼に勲章を与へしを日本の「大らかさ」と言ふか

 

全国民が今日こそ反米の戦ひするべき日なり 三月十日

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千駄木庵日乗三月十一日

午前は、諸雑務。

午後は、明日行われる『萬葉古代史研究会』における講義の準備。

夕刻、病院に赴き、母に付き添う。食事の介助。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2014年3月11日 (火)

日本民族・日本國家・日本傳統文化は、人類の理想の日本における顕現である

 今日、グローバリズムという言葉がはやり、國家とか民族を軽視あるいは否定する傾向が現れている。しかし、世界・地球・人類に共通して存在する思想・精神は、それぞれの國家・民族固有の思想・精神として発現する。言語一つとって見てもしかりである。世界共通語などというものは本来存在しない。各民族・各國にそれぞれ特有な言語すなわち國語がある。英語が世界で通用している便利な言葉だからといって、英語だけに世界の言語が統一されることはあり得ない。

 

 一定の共同體を形成する人々に共有される言語、生活様式、倫理観を総称して「文化」というのであり、固有の文化を共有する人々のことを「民族」と言うのである。

 

 言葉は文化そのものである。國家・民族は共通の言語(國語)を使う者によって成立する。各國各民族の國語を基礎とし言葉と一體である文化は、各民族・各國家特有のものとして創造され継承されてきている。各民族・各國家の固有の文化を否定することは、世界の文化・地球の文化全體を否定することになる。

 

 和辻哲郎氏は、「人倫の實現は、個人がいきなり抽象的な人類の立場に立つことによって、なされ得るものではない。それは個人がいきなり人類語を話そうとするようなものである。人倫は常に一定の形態を持つ共同體において、すなわち家族とか民族とかの形態において、實現される。」(近代歴史哲學の先駆者)「絶對精神がただそれぞれの特殊な民族精神としてのみ働くということ、すなわち特殊的形態において己を現わすのではない普遍的精神というごときものは抽象的思想に過ぎぬ。…真の絶對者はあらゆる特殊相對をも己とするものでなくてはならない。…生ける主體的全體性が特殊的民族的となることなしに活動したことは、かつて一度もなかったし、またあり得ぬであろう。」(続日本精神史研究)と論じている。

 

 人間は、民族とか國家とかを離れて存在するものではない。必ず何処かの民族に属し何処かの國の國民である。抽象的な世界人類というものは存在し得ない。血統・風土・地域性・言語・歴史・傳統・文化というものを離れた人間などというものは存在し得ないからである。

 

 日本民族・日本國家・日本傳統文化は、人類の理想の日本における顕現なのである。天皇國家日本の真姿顕現こそが世界的理想國家・真の自由なる國家の建設である。日本國に日本民族として生を享けた誇りと喜びを回復しなければならない。   

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千駄木庵日乗三月十日

午前は、諸雑務。

午後は、病院に赴き、母に付き添う。

一月末まで母が入院していた病院に赴き、書類の申請。

午後五時より、新宿にて『日本の建国を祝う会』の幹事会。今後の運動について討議。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2014年3月10日 (月)

古代日本人の「岩」への信仰

 古代日本人は、岩といふものを非常に神秘的に考へた。地下と地上とをつなぐものと考へた。大きな岩を墓に用いるのは、地下の靈が地上に出てくるのを押さへる役目を持たせたからといふ説もある。岩には死んだ人の靈が籠ると信じた。墓石には「新たなる使命を帯びて地上に再び蘇るまでそこに鎮まっていただきたい」といふ祈りが込められてゐる。萬葉時代は、かかる古墳時代の信仰がまだいきいきと生きてゐたのである。古墳時代の信仰を継承してゐる歌人が柿本人麻呂である。

 

 「岩」は「いはふ」から出た言葉である。「いは(齋)ふ」は、神に対して穢れと思はれることを謹み、淨め、敬虔な態度を持して神を祀ること。また、さういふ態度をとって穢れに乗じてくる邪悪を避けようとする行ひをもいふ。つまり、身を清めて神を祭ることを齋(いは)ふといふ。そして、人々が集まって籠るところをいへ(家)といふやうになった。

 

 岩や石は神仏や死んだ人の魂が籠ってゐると信じそれを拝むやうになった。特に巨岩は威力があり人格化され意志を持ち人間に語りかける靈妙なものと信じた。

 

 『國歌君が代』の

「君が代は千代に八千代にさざれ石のいはほとなりて苔のむすまで」

 は、石は靈が籠ってゐるので次第に成長して岩となるといふ信仰が歌はれてゐる。「天皇の御代は、千代に八千代に小さな石が次第に成長して大きくなり大きな岩となって苔がむすまで永遠であっていただきたい」といふ意である。

 

 「いは」のイは接頭語で、「いのち」「いきる」といふ言葉がある通り生命力を意味する。           

 

 『天の岩戸』の「岩戸」とは、大地のイメージであり、母のイメージである。大地の母に回帰する信仰があらはれたのが、天照大神の岩戸隠れである。

 

 「岩」が名前についてゐる女性には精神的・靈的に力が強い人が多い。その代表的ご存在が磐姫皇后(いはのひめのおほきさき・仁徳天皇の皇后)であられる。とても嫉妬深い皇后であらせられ、天皇にお仕へする女性のことが噂に上っただけでも、床に横になられて御足をばたばたさせて悔しがられた。また、天皇が寵愛された黒姫といふ女性を宮廷から追放された。黒姫が船に乗って故郷の吉備の國へ帰るのを皇居から見送られた仁徳天皇が、別れを惜しまれて、

 

 「沖邊には 小舟つららく 黒ざやの まさづこ吾妹 國へ下らす」(沖の方には小舟が続いてゐる。あれはいとしのあの子が国へ帰るのだなあ、といふ意)

 

といふ御歌を詠まれた。磐姫皇后はこれを大変お怒りになられ、人を派遣して黒姫を船から引きずり下ろして徒歩で故郷に帰らせたと、『古事記』に記されてゐる。

 

 鶴屋南北の『東海道四谷怪談』に出てくる靈的力の強い女性の名前は「お岩」である。

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千駄木庵日乗三月九日

午前は、諸雑務。

昼、病院に赴き、母に付き添う。食事の介助。

午後二時より、西新宿の京王プラザホテルにて開催された『呉竹会アジアフォーラム十周年記念祝賀会』出席。西部邁氏が講演。この後、西部氏、頭山興助氏、今村洋史氏などによるシンポジウムが行われた。さらに空手演武が披露された。そして、国歌斉唱の後、頭山興助会長が挨拶。平沼赳夫衆院議員、渡辺利夫拓大総長が祝辞を述べ、園田博之衆院議員の音頭で乾杯を行い、盛宴に移った。各界から多くの人々が参集し盛大な会合であった。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2014年3月 9日 (日)

東京財団フォーラム2014年の内外情勢を展望する〜東京財団研究員討論会」における登壇者の発言

一月十六日に行われた「第72回 東京財団フォーラム2014年の内外情勢を展望する〜東京財団研究員討論会」における登壇者の発言は次の通り。

 

亀井善太郎研究員「長い眼で見ると明るい見通し。政治の安定が極めて大きい。政権がこれだけ高い支持率を持っているのは、世界で日本のみ。政治はスケジュール。その中で何をしていかねばならないかが問題。消費税が一番大きな課題。この国は大変な借金をしている。介護や医療など社会保障を軸にして、そこで働いている人が多い。現役世代が支えている。政治は利害調整。政治は国会では行われず、自民党の部会で行われている。これが問題。政策決定プロセスが揺らいでいる。国民主権をどう考えるべきか。政府だけに任せる社会は弱い。地域社会や企業が関わるべし。行政・市民・企業が関わるべし」。

 

加藤創太上席研究員「四月の消費税導入までに駆け込み需要がある。日銀はさらなる量的緩和をするのではないか。投資で稼ぐのが先進国経済と言われる。民主主義とは当事者意識を一人一人が持つかどうかが問題。当事者意識を支えるコミュニティがなければ民主主義は動かない。日本のコミュニティを支えて来たのは農村共同体と企業共同体。」

 

冨田清行研究員「アベノミックスは長期的に構造改革をどうするのか。規制緩和はすんなりといくものではない。長期的展望が必要。医療介護は将来の予測が難しい。高齢化が進んでいる。不安が大きく消費増税で対応しようとしている。その後のプランが出来ていない。オランダは安楽死が制度として機能している。自分の最期を迎えるのかを対話しながら進める。尊厳死はどうするのか。法案の議論が続いている。尊厳死とは何かの国民的合意はできていない。」

 

三原岳研究員「病院中心から在宅にシフトしていく」。

 

坂野裕子研究員「ウルグアイ・ラウンドの結果、大量の金が農業に使われたが、農業の活性化につながらなかった。国内農産物への影響は少なかった。」

 

浅野貴昭研究員「二〇一三年にTTP交渉達成は出来なかった。ホワイトハウスが交渉する権限を議会から取り付けることができるのか。TTP交渉は今年前半にまとまる可能性無し。何時署名されるのか分からない。

 

渡部恒雄上席研究員「知的財産権をどう扱うか。医療品のライセンスをどれだけ短くするか。先進国と途上国で意見が違う。守るところを見るだけでなく、攻めるところを見なければ駄目。何で稼げるかを議論すべし。外交と防衛とは同じようで違う。自分の国を守るためにやるべき事をやる。その弊害を減らすための外交のツールが必要。新しいナショナリズムよりリアリズムで対応しよう。ソフトパワーとハードパワーは両方必要。」。

 

平沼光研究員「エネルギー政策はどうなるのか。エネルギー政策はまだ示されていない。多様なエネルギーを使い、選択肢を持たせるシステムを作っている。電技事業法を改正し、電力市場の完全自由化をする。十社独占を送電部分で公共インフラと言われるようにしていく。電力システムの改革は、再生エネルギーの開発。新たな産業が起きて来る。再生可能エネルギーと軍事とは大きく関わる。」

 

染野憲治研究員「極端な気候が増えて来て、災害が増える可能性がある。省エネではなく減エネが必要。何を削減するか。温泉旅館のエネルギーは無駄に使われている。コストカットできることがまだたくさんあるかもしれない。地に足をつけて考え直さねばならない。」

 

小原凡司研究員「経済環境は、安全保障と関係がある。日中関係は今年になっても良くなる兆候はない。中国は強硬姿勢を取り続けるだろう。中露は相互不信頼。しかしグローバルゲームには共同する場合が多い。使い分ける。日中関係は米中関係とよく言われる。中国に総理大臣の靖國神社参拝について理解を得るのは難しい。日本の右傾化、軍国主義化のストーリーの中に靖國神社参拝が隠されている。人口が減少して、GDPは上がるかもしれない。小さくて幸せな国になる。安保面で懸念がある。高齢者の割合が増えることが大きな意味を持つ。高齢者に働いてもらう。女性の職場を増やす」。

 

吉原祥子研究員「四百以上の離島の所有者を確認して、所有者がいない島は、国有化していく。自衛隊基地周辺の土地所有者の調査を行う。日本の土地制度の基盤は極めて脆弱。太陽光パネルを設置する。環境安保、国土保全をバランスよくやらねばならない。」

 

畔蒜泰助研究員「安倍総理は、昨年四月以来、プーチンと四回首脳会談をしている。領土問題に焦点が当てられがちだが、アジア太平洋の劇的変化の中で、日ロ関係をどう位置付けていくかが問題。戦略的観点から日ロ関係構築に着手すべし。」

 

秋山昌廣理事長「気温の上昇により氷が溶ける。海面が上昇する。北極海航路、環境問題が起こる。環境保全の問題は深刻。ロシアは国防体制を強化している。アメリカはそれに対応。日本も真剣に取り組むべし。情報公開と民主主義とは密接に関連。日本は情報公開制度が定着していない。日本は国民から要請があったことだけを出している。自己決定していく国民は情報公開を政府に迫って行くべし。」

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千駄木庵日乗三月八日

午前は、諸雑務。原稿校正。

午後は、書状執筆。

この後、湯島天満宮参拝。梅園散策。多くの人々は来ていた。ご祭神は、菅原道真公。新派の劇「女系図」(泉鏡花原作)の舞台にもなったなかなか情緒のある神社です。

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湯島天満宮女坂の白梅。

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女坂の白梅

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湯島天満宮境内の「講談発祥の地」石碑

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湯島天満宮『泉鏡花筆塚』

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湯島天満宮神殿及び参道

夕刻、病院に赴き、母に付き添う。食事を介助。母が喜んでくれるのが嬉しい。

帰宅後も、原稿執筆。

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2014年3月 8日 (土)

日本人の倫理観は、明・浄・直の心を理想とした

麗しい山紫水明の風土に育まれた日本人の倫理観は、明・浄・直の心を理想とした。「清明心」とは、私心の無い真心、くもりの無い清き心・明るい心のことである。すなわち穢れや闇さのない心である。古代日本人は、「キヨキ心」「アカキ心」(清らかさ・明るさ)を最高の道義的価値とし、「キタナキ心」「クラキ心」(汚さ・闇さ)を嫌った。「清は善」「穢は悪」という価値観である。わが国伝統信仰たる神ながらの道で「禊祓」が重視されるものこのためである。浄穢という美的価値観と善悪という道徳的価値観とが一体となっている。

 

天照大神は、高天原に上ってきた須佐之男命に「然(しか)らば汝(みまし)の心の清明(あか)きはいかにして知らむ」と宣(の)りたもうた。須佐之男命が高天原に上って来られた時に、命の「清明心」を証明することを求められたのであった。

 

天照大神が、天の石戸からお出ましになった時、八百万神々が一斉に「天晴れ、あな面白、あな楽し、あな清明(さや)け、おけ」と唱えたのも、日本民族が、天皇を明るく爽やかに晴れ晴れしく仰ぎ仰慕することを道義の根本として来たからである。

 

『宣命』には、明・浄・直という言葉が屡々使われている。今日残っている『宣命』で最も古い『文武天皇即位の宣命』には、「明(あか)き淨(きよ)き直(なお)き心以ちて、御稱(いやすす)み稱みて緩怠(たゆみおこた)る事無く、務結(つとめしま)りて仕奉(つかへまつれ)と詔(の)りたまふ大命(おほみこと)を、諸(もろもろ)聞食(きこしめ)さへと詔(の)る」と示されている。

 

明治天皇御製

 

あさみどり澄みわたりた る大空の廣きをおのが心 ともがな

 

さしのぼる朝日のごとく さはやかにもたまほしき はこころなりけり

 

この御製において、明治天皇は清明心の尊さをお示し下っている。わが国において古来、正直・真面目・潔さ・清廉潔白・光風霽月の心境・誠・真心ということが尊ばれたのは、「清明心」を道義の基本に置いているからである。 

 

日本民族の道義の根本である「清明心」の体現者として天皇を仰いだ。天皇を限り無く仰慕し、祖國を限り無く愛し、天皇及び國家のために私心無く奉仕する誠の心、即ち<滅私奉公>の誠を尽くすという道義精神が、親孝行・兄弟愛・夫婦愛・友愛・人類愛などの一切の徳目を包摂する。

 

神聖なる信仰共同体の体現者・中心者・統率者が天皇であらせられるから天皇への無私なる帰属意識が究極の道義なのである。それは権力への屈従ではなくして、柔らかな優しいおのづからなる仰慕の心・むすびの心である。混迷の淵にある祖國日本を起死回生せしめるには、わが國の伝統的な國家観と道義精神を回復せしめなければならない。

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千駄木庵日乗三月七日

午前は、諸雑務。

午後は、書状執筆など。

夕刻、病院に赴き、母に付き添う。食事の介助。

この後、湯島にて旧友と二十年ぶりの再会、懇談。

帰宅後は、原稿執筆など。

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最近寄贈していただいた書籍

最近寄贈していただいた書籍をご紹介申し上げます。
ご寄贈いただいた方々に心より御礼申し上げます。
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「犯韓論」 黄文雄氏著 幻冬舎ルネッサンス発行 著者より

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ご寄贈いただいた方々に心より御礼申し上げます。
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「編集長の年輪」 中島繁治氏著 株式会社ジャス発行 著者より

「対訳 國體の本義」 前田慶一氏著 著者発行 著者より
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2014年3月 7日 (金)

天皇を祭祀主と仰ぐ祭祀國家の本姿を回復することが現代の救済につながる

日本人の伝統信仰において祭られる神は、自然に宿る神と祖霊神である。日本人の信仰の基本は「敬神崇祖」と言われる。「敬神」とは自然に宿る神を敬う事であり、「崇祖」とは祖霊を崇めることである。

 

わが國の神々は、天津神、國津神、八百萬の神と言われるように、天地自然の尊い命であり、先祖の御霊である。わが國伝統信仰は、自然の中に生きる神の命と人間の命とが一体となって結ばれる信仰である。それと共に、自分たちの祖先の霊を崇め感謝し奉る信仰である。

 

その最も端的な例が、天照大神への信仰である。天照大神は、農耕生活にとって最も大切な太陽神であられると共に、その太陽神を祭られる祭り主であられる「すめらみこと」=天皇の祖先神であられる。そして天照大神は日本民族の親神として崇められて来たのである。

 

自然を大切にし、自然の中に神の命を拝ろがむ心、そして祖先を尊ぶ心が日本人の基本精神である。それはきわめて自然で自由で大らかな精神である。

 

今日、自然破壊が人間の心を荒廃せしめる大きな原因になっている。わが國の自然を大切にする心=自然保護の精神は、歴史的にも文化的にも『神社の森』『鎮守の森』がその原点である。我が民族の祖先は、古代から神々の鎮まる緑豊かな『神社の森』『鎮守の森』を大切に護って来た。それは鎮守の森には、神が天降り、神の霊が宿っていると信じて来たからである。鎮守の森ばかりではない。ふるさとの山や海に神や精霊が生きていると信じてきたのである。秀麗な山にも神が天降り、神の霊が宿っていると信じて来た。

 

天皇の御祖先である邇邇藝命は高千穂の峰に天降られたのである。そして、富士山・三輪山・大和三山・出羽三山・木曾山など多くの山々は神と仰がれ今日に至っている。

 

さらに、海の彼方にも理想の國・麗しい國があると信じた。それが龍宮信仰である。海は創造の本源世界として崇められた。

 

わが國の麗しい山河、かけがえのない道統を重んじ、日本の伝統的な文化を大切なものとする姿勢を取り戻し、祖國日本への限り無い愛と、國民同胞意識を回復しなければならない。我が國は神話時代(神代)以来の伝統精神すなわち日本國民の歩むべき道がある。それに回帰することによって現代の混迷を打開すべきである。

 

わが國の伝統信仰における最も大切な行事は祭祀である。祭祀は、自然と人の命を拝み、自然と人の命を大切にする精神の實践である。

 

天皇は日本国の祭祀主として、新嘗祭、春季皇霊祭、秋季皇霊祭などの多くの祭祀を行わせられている。そしてその祭祀は、自然に宿る神々と皇祖皇宗のご神霊へのお祭りである。天皇は、敬神崇祖の最高の実践者であらせられるのである。

 

祭祀は、自然を破壊し人の命を軽んずる現代の状況を救済し打開する原理となると確信する。日本伝統精神の価値は今日まことに大切なものとなっている。天皇を祭祀主と仰ぐ祭祀國家の本姿を回復することが現代の救済につながる。

 

天地自然に神の命が生きているという信仰が日本の伝統信仰である。そしてその祭祀主が天皇であらせられる。天皇を祭祀主とする信仰共同体が日本國の本姿である。それを現代において回復することが、大切なのである。これが道義の頽廃が根本原因である現代の様々な危機的状況を打開する唯一の方途である。

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千駄木庵日乗三月六日

午前は、諸雑務。『萬葉集』解説原稿執筆。

午後も、原稿執筆。

夕刻、病院に赴き、母に付き添う。食事の介助。

帰宅後も、原稿執筆。

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2014年3月 6日 (木)

後藤田正晴について

昨日の「朝日新聞」の報道によると、警視庁の外郭団体「自警会」が平成十七年に発注した東京警察病院(東京都中野区、415床)の建設工事の入札に絡み、後藤田正晴元警察庁長官と村井仁元国家公安委員長のそれぞれの秘書が、落札した西松建設(本社・東京都港区)から計2千万円の裏金を受け取っていた疑いのあることが分かった。秘書2人が西松側の依頼で自警会に口利きをした謝礼だったという。口利きを受けた自警会事務局長(当時)も、数十万円分のビール券を受領した疑いがある。

 

典型的な政官財の癒着である。たまたま露見したのであって、氷山の一角であろう。汚職という違法行為を取り締まるべき警察機構でこのようなことがあるということは重大である。国家公安委員長は、警察に対する指揮命令権は無く、お飾りに過ぎないと言われているが、こういうことでは力を持っているというのだからおかしな話だ。

 

特に後藤田の秘書が「いろいろ面倒を見た」と怒った様子で謝礼を要求したというのは重大である。後藤田事務所は、警察署など警察関係の箱モノの建設の発注に大きな影響力があったという。

 

戦後の官僚の最高位に昇りつめた故後藤田正晴は、「国務大臣などの政治家は天皇の臣下ではない」という意識の持ち主であった。後藤田は平成十二年十二月五日号の「日本経済新聞」で、中央省庁の再編に関するインタビューに答えて、「まず大臣という名前を変へたらどうか。誰の臣下ですか?。行政の長なんだから『長官』でいい」と述べた。

 

これは、天皇を君主と仰ぐ建国以来のわが国國體を否定し、現行占領憲法体制下においてもわが国は立憲君主制であるという自明の理を否定する許し難い発言である。社民党・共産党・極左分子がこのような発言をするのならまだしも、警察庁長官・内閣官房長官・自治大臣・内閣副総理を歴任し、官僚・政治家の頂点、即ち政治権力の頂点に立ったと言っていい人物が、このような発言をするのは許し難い。 

昨日の「朝日新聞」の報道によると、警視庁の外郭団体「自警会」が平成十七年に発注した東京警察病院(東京都中野区、415床)の建設工事の入札に絡み、後藤田正晴元警察庁長官と村井仁元国家公安委員長のそれぞれの秘書が、落札した西松建設(本社・東京都港区)から計2千万円の裏金を受け取っていた疑いのあることが分かった。秘書2人が西松側の依頼で自警会に口利きをした謝礼だったという。口利きを受けた自警会事務局長(当時)も、数十万円分のビール券を受領した疑いがある。

 

 

 

典型的な政官財の癒着である。たまたま露見したのであって、氷山の一角であろう。汚職という違法行為を取り締まるべき警察機構でこのようなことがあるということは重大である。国家公安委員長は、警察に対する指揮命令権は無く、お飾りに過ぎないと言われているが、こういうことでは力を持っているというのだからおかしな話だ。

 

 

 

特に後藤田の秘書が「いろいろ面倒を見た」と怒った様子で謝礼を要求したというのは重大である。後藤田事務所は、警察署など警察関係の箱モノの建設の発注に大きな影響力があったという。

 

 

 

戦後の官僚の最高位に昇りつめた故後藤田正晴は、「国務大臣などの政治家は天皇の臣下ではない」という意識の持ち主であった。後藤田は平成十二年十二月五日号の「日本経済新聞」で、中央省庁の再編に関するインタビューに答えて、「まず大臣という名前を変へたらどうか。誰の臣下ですか?。行政の長なんだから『長官』でいい」と述べた。

 

 

 

これは、天皇を君主と仰ぐ建国以来のわが国國體を否定し、現行占領憲法体制下においてもわが国は立憲君主制であるという自明の理を否定する許し難い発言である。社民党・共産党・極左分子がこのような発言をするのならまだしも、警察庁長官・内閣官房長官・自治大臣・内閣副総理を歴任し、官僚・政治家の頂点、即ち政治権力の頂点に立ったと言っていい人物が、このような発言をするのは許し難い。後藤田には尊皇心のかけらもなかったのだ。

 

 

 

後藤田正晴は、町村金吾氏亡き後、警察官僚のボス的存在であった。宮内庁は、長官・総務課長という中枢が旧内務省系官庁(厚生労働省・警察庁など)からの出向である。宮内庁首脳の人事などへの後藤田氏の影響力は強かった。國體否定とは言わないまでも國體に対する正しい理解を欠いていた人物が宮内庁に大きな影響力を持っていたのである。こうしたことが、「天皇の祭祀」の軽視、政治家による皇室の政治利用など、近年の皇室に関はる様々の憂へるべき事象の大きな原因の一つであると考える。

 

 

 

尊皇精神は、日本人の道義の基本である。尊皇精神が篤い人ほど道義感覚が篤い。逆もまた真なりで、尊皇精神が希薄な人物ほど、道義心が希薄である。後藤田正晴はその典型であった。

 

 

 

最近ある神道家の方から「四宮さんの故郷はどこですか」と聞かれたので、「私は東京ですが、父の故郷は徳島です」と答えた。その方は、「徳島選出の政治家にはどういう人がいますか」と聞かれたので、「三木武夫、後藤田正晴、仙谷由人です」と答えた。その方は、「相当御祓いをしなければなりませんね」と言われた。

 

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今日思ったこと

加藤紘一や山崎拓がテレビでいわゆる『従軍慰安婦問題』でおかしなことを言ったが、この二人や、村山富市、野中広務、後藤田正晴などの「媚中・媚韓姿勢」が、支那・韓国をつけあがらせたのである。この五人は、かつて政権の中枢にいた。日本の外交がおかしくなったのは当然である。あまり使いたくない言葉だか、売国奴・国賊と言って良い。

 

また、共産党の小池晃は、集団的自衛権をめぐる質問で、小松一郎内閣法制局長官を「安倍政権の番犬」と言った。ふざけた話だ。共産党こそ、旧ソ連、共産支那、北朝鮮の番犬だったのだ。

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日本國はまさに今に生きる祭祀共同体である

日本國はまさに今に生きる祭祀共同体である

 

日本は古代より言葉の真の意味における平和な國であった。伊勢皇大神宮の祭祀とたたずまひほど平和で清らかなものは無い。伊勢皇大神宮に限らず、全國各地の神社・神宮は清浄であり、穏やかであり、美しい。

 

國全体の祭祀主として、天皇がおはします。日本各地に神社があり、神社が無い共同体は殆どない。天皇は祭祀共同体日本の精神的中心者であり、神社は各地の共同体村落の精神的中心である。五穀の豊穣と民の幸福といふ共同体共通の祈りが捧げられ、願ひが訴へられる場が神社である。神社とは、常に村全体、共同体全体の神が祀られてゐる社(やしろ)である。そしてその神社に祀られてゐる神を「氏神」と申し上げ、その神社を崇敬する人々は「氏子」と呼ばれる。それぞれの共同体において日本の神々は「親」と仰がれ、民は「子」として慈しまれる。

 

小生が居住する東京下町の千駄木(旧町名・駒込坂下町)の周辺には古くからの神社があり、初夏から秋にかけて祭りが行はれる。わが家は、千駄木の隣町・根津に鎮座する根津神社の氏子である。根津神社の御祭神は須佐之男命で、景行天皇の御代に日本武尊が御東征の折この地に来られた時、千駄木の地に須佐之男命を追慕して創始したと傳へられる。文明年間(一四六九~八七)大田道灌が社殿を奉建した。徳川五代将軍・徳川綱吉は宝永三年(一七〇六)、根津の地に社殿を造営した。明治維新後、明治天皇により、勅祭社に准じられた。大東亜戦争で被災せず、徳川綱吉が造営した時の建造物が現存しており國指定の重要文化財となってゐる。

 

わが町周辺は日本武尊の遺跡が多い。近くの湯島には日本武尊と弟橘姫を祀った妻恋神社がある。駒込といふ地名も日本武尊があたりを見渡して「駒込み(混み)たり」と言ったことに由来すると傳へられる。馬がたくさん生息してゐたといふ地名傳説である。

 

南側の隣町・湯島には、湯島神社が鎮座する。御祭神は、天手力雄命・菅原道真公。雄略天皇二年(四五六)一月、勅命により創建されたと傳へられる。

 

北側の隣町・本駒込には、天祖神社が鎮座する。小生が通った中学校の隣にある神社で、御祭神は天照大御神。文治五年(一一八九)五月、源頼朝が奥州の藤原泰衡追討に赴く途次、靈夢により創建したと傳へられる。

 

本駒込には、さらに富士神社が鎮座する。御祭神は、木花咲耶姫命。加賀前田藩邸(今日の東京大学)に祀られていたが、寛永五年(一六二八)の現在地に遷座した。霊峰富士への山岳信仰の神社である。

 

東側の隣町・日暮里には、諏方神社が鎮座する。この神社はどういふわけが「諏訪」とは表記しないで「諏方」と表記する。御祭神は、建御名方命。元久二年(一二〇二)豊島左衛門尉経泰が信州諏訪神社より勧請して創建したと傳えられる。日暮里・谷中総鎮守である。

 

このやうに、わが家近くの神社には、皇祖天照大御神、須佐之男命、天手力雄命、木花咲耶姫命、建御名方命、菅原道真公などの神々が祀られてゐるのである。そしてこれらの神社を中心とした共同体が今も生き続けてゐる。有難き限りである。

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千駄木庵日乗三月五日

午前は、諸雑務。『伝統と革新』編集の仕事。

午後は、資料の整理。『萬葉集』講義原稿執筆。

夕刻、病院に赴き。母に付き添う。食事の介助。やや食欲がある。

帰宅後も、原稿執筆。

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2014年3月 5日 (水)

萬葉古代史研究會 のお知らせ

萬葉古代史研究會 

 

小生が講師となりて「萬葉集」を勉強する會が次の通り開かれます。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。

 

日時 三月十二日(毎月第二水曜日) 午後六時半より 

 

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

 

東京都豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 山手線駒込駅北口徒歩二分

 

會費 千円

 

テキストは、岩波文庫本『萬葉集』(佐佐木信綱編)上巻。

 

初めての方でも分かりやすい内容です。

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天皇陛下の「國見」について

「國見」とは、天から降臨された聖なる資格をもつ現御神日本天皇が高い所から國土を望まれ、土地の状態や農作物広くは民が豊かであるかをご覧になり豊作と國民の繁栄を神に祈られる神事である。舒明天皇は、天香具山といふ天から降った聖地に立たれて、國土の精霊や國民を祝福し繁栄を祈るするまつりごとを行はせられた。

 

 今日においても、天皇陛下におかせられては各地を行幸され視察される。この行事は今日における「國見」(現御神として國土と國民を祝福される行事)であると拝する。

 

日本天皇、権力によって國を支配されてゐるのではなく、現御神としての宗教的・祭祀的権威即ち御稜威(みいつ)によって國家を統治されてゐるのである。天皇は全國各地を御行幸されることによって「國見」をされ、日本各地の産土の神(うぶすなのかみ・土地を守る神)鎮守の神々を祝福され鎮められ、國土の新生と國民の幸福を實現されるのである。

 

 また、「國見」によって天皇の靈と各地の國魂(産土の神・鎮守の神)とが一体となって結ばれる。これを「魂触り」(タマフリ)といふ。この「魂触り」によって、天皇の神聖なる國家統治のお力が益々増幅されるのである。これを「食國天下のまつりごと」といふ。先帝昭和天皇におかせられても、全國を御行幸あそばされ國民を祝福された。これがわが國の戦後復興の基となったのである。

 

昭和天皇は、昭和六十年、『旅』と題されて、

 

遠つおやのしろしめしたる大和路の歴史をしのびけふも旅ゆく

 

と詠ませられた。

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千駄木庵日乗三月四日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。『萬葉集』解説原稿執筆。

夕刻、病院に赴き、母に付き添う。食事の介助

帰宅後は、資料の整理など。

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2014年3月 4日 (火)

武貞秀士氏の講演内容

 

一月十一日午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、『アジア問題懇話会』開催。武貞秀士氏が「張成沢粛清後の北朝鮮」と題して講演し次のように語った。

 

 

 

「張成沢粛清は今までの粛清と同列に論じてはいけない。過去の権力闘争とは異なり、シンプルな経緯で張成沢粛清が起きた。その後の軍の動向をも含め非常に静か。張成沢は中国との貿易の利権を自分の金庫に流していた。朴奉珠首相が重用されている。

 

 

 

中国は、去年の五月から張成沢の役割に変化があると把握していた。張成沢の命運を予見していた。『中国は張成沢粛清に対して怒っている』という偽情報に惑わされてはならない。

 

 

 

張成沢には権力は無かった。金正恩の後見人として支援する人物という役割から一歩出ると危険であった。厳しい処罰をしたのは、クーデター陰謀、暗殺計画があったとおもう。私腹を肥やしていただけではない。見せしめの写真を発表した。これまで野心のあった人は、交通事故で死んだことにしたことはある。今回は部下までが公開処刑。政策の誤りでもない。汚職でもない。あんな残虐な処刑の原因は、クーデターが暗殺しかない。

 

 

 

血筋を信ずる傾向が強まっている。金一家を指す『白頭の血統』による世襲政治を明文化した。

 

 

 

外資導入が増える。去年の六月十九日に張成沢をどうするか決まっていた。中朝協力の維持は続けるという意志表示をしている。一昨年の中朝貿易額は六十億ドルを超えた。中朝関係は緊密化する。大学教育の向上を画して韓国など外国の協力を求めている。

 

 

 

北朝鮮と日本が国交を結ぶのは、反日韓国への牽制になる。ピョンヤンに日本大使館が出来たら、拉致問題解決が遠のくのか。そうではない。数カ月で中朝関係は正常化する。しかし、首脳会談は難しい。拉致問題を解決したい安倍政権は、日朝問題で相当なことをする可能性あり。金正日より金正恩の方が日本への親しみを持っていると感じる。金正恩体制が確立した」。

 

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千駄木庵日乗三月三日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆。

夕刻、病院の赴き、母に付き添う。食事の介助。

帰宅後は、資料の整理など。

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2014年3月 3日 (月)

この頃詠みし歌

すやすやと眠れる母の傍らでわれも暫く寝てしまひたり

 

母の手を握り励ますことのほか為し得ることの無きが悲しき

 

わが母は我を見つめてうれしいよと言ひたまふなり悲しくもうれし

 

眠ります母の額に手を当てて安らかなれとただ祈るなり

 

われの手を握りたまへる母の手は細けれどやしさく暖かきかな

 

明日も来てねとの母の声 背中に聞きつつ病室を出る

 

帰るよと言へばさみしげな顔をして我を見つめる母上の眼(まなこ)

 

今日もまた母の笑顔を見てうれし リンゴを切りて口に運べり

 

東京に大雪降れり 千駄木の古りにし里も銀世界なり

 

雪道を転ぱぬやうに歩み行くわが人生もかくの如きか

 

朧月が雪道の上に浮かびをり あはあはとわが身も浮き上がる如し

 

元初よりの命のひびきわが内に鳴り鳴り続く永久のさはきはへ

 

大いなる御手に抱かれ生かされるわが身と思へば心やすらぐ

 

消え残る雪を踏みしめ道行けば古き軒端に白梅の咲く

 

消え残る雪を踏みしめ歩みなばサクサクといふ音がするなり

 

佳き人のつくりし蕎麦を食しつつ語らひてゐる湯島の夕暮

 

古式蕎麦と名付けられたる蕎麦食しうまき酒酌む夕暮の湯島

 

嫌な奴はやはり嫌な奴としみじみ思ふ我にしありけり

 

久しぶりに逢ひたる人は深々とお辞儀をしたり初対面の如く

 

朝起きて一本の牛乳を飲み干せり一日の元気の源として

 

痩せ細りし母の體を見ることは耐え難きかな口惜しきかな

 

帰り来ていざ原稿を書かむとぞ 思ひし時の一本の煙草

 

堂々男児は死んでも良いと口すさみ岡倉天心の肖像を仰ぐ(『日本美術院再興百年特別展・世紀の日本画』展)

 

小倉亀遊の描きし幼児の愛らしさ 見る人の心を慰めくれる()

 

横山大観描きし富士は神々しく雄大にして美しきかな()

 

苛立ちと怒りの心の湧きて来る何時までたっても大人にならぬ我

 

魂は鎮まらねばならず 激しくも怒ること多き我にしあれば

 

怒りやすき我が悪いと自らに言い聞かせるよりすべなかるべし

 

親子三人で切り盛りする酒房にて味噌汁呑みつつ酒酌みてをり

 

やさしき面の写真を仰ぎ幽り世に逝きませし人を偲ぶひと時(堤清二氏を偲ぶ会)

 

白菊を捧げて永久の安らぎを祈りまつれり晩冬の日に()

 

霞みたる空となりたる今日の朝 決意新たに生きゆかむとす

 

 

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千駄木庵日乗三月二日

朝は、諸雑務。

午前十時より、京橋区民会館にて『ジャパンライジングサン学習会』開催。メタル兄氏が司会。小生が「日本國體と大日本帝国憲法」と題して講演。質疑応答。

この後、病院に赴き、母に付き添う。

午後六時より、春日の文京区民センターにて、『日本の心を学ぶ会』開催。渡邊昇氏が挨拶。小生が「神武天皇建国の精神」と題して講演。質疑応答。

帰宅後は、『月刊日本』連載の『萬葉集』講義原稿執筆、脱稿。送付。忙しい一日でした。

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2014年3月 2日 (日)

日本天皇の國家統治および日本國體の特質

 「紀元節」の歌に、「天津日繼ぎの高御座 千代よろづ世に動きなき 基い定めしそのかみを 仰ぐけふこそ楽しけれ」(高崎正風作詞)とある。この「天津日繼ぎの高御座」」(天津日嗣とも書く)とは、天の神の御子即ち日の御子のお座りになる高い御座所のことである。

 

 「天津日繼ぎ」とは、「高天原の天つ神から伝達された日(靈)を繼承される」ということである。日本天皇は天の神(天照大神・日の大神)の靈統を繼承され、神の御心のままに(神ながらに)日本國を治められるのである。

 

 平野孝國氏は「このツギの思想は、元来個人の肉体を超えて繼承される系譜と見てよい。ヨツギという形で後代まで変化しつつ残ったが、『宮廷のツギは日を修飾して、ヒツギと言ふ。日のみ子、或は日神の系図の義で、口だてによって風誦せられたものである』という折口信夫説(古代研究・國文学篇)が、本義に近いものである」(大嘗祭の構造)と論じておられる。つまり、皇位の繼承は肉体的な血統のみによるのではなく、日の神の神靈を繼承するという神代以来の信仰に基づくのである。

 

 さらに「高御座」について折口信夫氏は、「高御座とは、天上の日神の居られる場所と、同一な高い場所といふ意味である。…御即位式に昇られる高御座は、…天が下の神聖な場所、天上と同一な価値を持って居る場所、といふ意味である。天子様の領土の事を天が下、天子様の御家の事を天の帝(みかど)といふのは、天上の日の神の居られる処と、同一な価値を持って居るところ、といふ意味である。…高御座で下される詞は、天上のそれと全く同一となる。だから、地上は天上になる。天子様は、天上の神となる」(大嘗祭の本義)と論じておられる。

 

 天皇が高御座に昇られることによって、天皇は天上の神と一体になられ、地上の國がそのまま天上の國となるのである。別の言葉でいえば、今が神代になり神代が今になるのである。日本伝統信仰においては、天と地とが隔絶した存在とはとらえていないのである。高天原を地上に持ち来たし、日本國を高天原のように清らかにして神聖なる理想國にすることが天皇の御使命である。

 

 今上天皇におかせられても、神代以来の伝統を繼承され、御即位の大礼において天津日繼ぎの高御座にお立ちになった。これは天の神の御代理(現御神)の御地位にお立ちになったということを意味するのである。「御即位の大礼」は、天照大神が皇孫邇邇藝命を天津日繼の高御座に即け給い、神器を授け給ひ、神勅を下し給ひしことを、新たに繰り返す行事である。

 

 このように、天皇の國家御統治の御精神は、常に、新たなる國家の生命の甦り、言い換えると國家の新生・再生を常に希求されているのである。しかもこの新生・再生は、それまでの伝統を断絶して行われるのではない。無限の過去から無限の未来にわたるまで、天皇による日本國の新生・再生、命の甦りは繰り返されるのである。ここに日本天皇の國家統治および日本國體の特質がある。

 

 我が國國民は毎年毎年同じように春から始まって冬に終わる周期的な生活を営んでいる。四季の移り変わりが規則正しく周期的であるので、お祭りも、農漁業などのなりわいも、周期的に繰り返される行事が多い。春夏秋冬の一年の暦の一巡りで、冬が終わり元の春に戻り新たな出発が行われるのである。

 

 そして、我が國民は、暦の移り変わる時、即ち新たなる年を迎えた時に、生活も万物も全て再び新生するという感覚を持つのである。その時が旧暦の睦月一日すなわち紀元節の今日である。

 

 日本民族は、物事は周期的に新生を繰り返すという生活感覚を自然に持っていた。神武創業の精神=物事の初め・國家統治の理想(すなわち)に回帰することによって革新を断行するという維新の精神は、ここから発生してきた。

 

 だからこそ、維新は「復古即革新」といわれて来たのである。「復古」とは決して反動ではないし、時計の針を過去に戻すことではないし、回顧主義でもない。古きがゆえに良いというのではない。「復古即革新」とは、いにしえの理想の復興によって現在を新たならしめることである。

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千駄木庵日乗三月一日

午前は、諸雑務。

午後は、明日の講演の準備。

夕刻、病院に赴き、母に付き添う。食事の介助。母は楽しそうにしてくれる。有り難い。看護師さんも良くやってくれている。感謝。

帰宅後も、明日の講演の準備。明日は、午後には憲法問題、夜には日本建国の精神についてお話しすることになっている。一日二回の講演というのは初めての経験。

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2014年3月 1日 (土)

日本天皇の宗教的・文化的権威が日本の安定と発展の基礎

 

今日、日本民族はその主体性・民族的一体感・愛國心を否定もしくは隠蔽し、わが國の伝統文化・道義精神を顧みなくなりつつある。わが國は政治の混乱・経済の停滞・道義の低下・外圧の危機が顕著になり、日本國民の心の中に不安と空虚感が広まっている。それは明治維新前夜よりも深刻な状況である。人心は乱れ、大人はもちろん幼き子供たちまで、常軌を逸した犯罪行為に走っている。敗戦後、日本文化の土台を無視或いは軽視してきた結果が現在の混迷である。

 

こうした状況を克服するためには、天皇を祭祀主と仰ぐ道義國家の回復を目指す皇道大維新運動を繰り広げねばならない。わが國は今日においても、神話の世界のままに、天の神の祭り主の神聖なる御資格を受け継ぎ給ふ天皇を、國家と民族の統合・統一の中心として仰いでゐる。

 

わが國が様々な変化や混乱などを経験しつつも國が滅びることなく統一を保ち続けたのは、天皇といふ神聖権威を中心とする共同体精神があるからである。

 

わが國において、民族的一体感・國民的同一性の中心は天皇以外にあり得ない。そしてわが國伝統信仰は包容力があり排他的はではない。日本神道は混迷する現代において極めて重要な役割を担う。

 

世界は激しく変化しても、日本は伝統を保持しつつ急速な変革を為し遂げて来た。それは日本國の中心・不動の核に天皇がおはしましたからできたことである。日本天皇の宗教的・文化的権威がこれからもわが日本の安定と発展の基礎である。

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千駄木庵日乗二月二十八日

午前は、諸雑務。

昼は、知人と懇談。内外の諸情勢について意見交換。

午後は、原稿執筆。『伝統と革新』編集の仕事。

夕刻、病院に赴く。食事の介助。母は私に会うと嬉しそうにしています。しかし、今は落ち着いて詳しく書くことができませんが、母が大変苦しい状況、悲惨な状況になっております。わたくしも息子としてただそばに見守っていることしかできない大変苦しい経験をしています。父の時も大変な思いをしましたが、再びこういう経験をするとは思いませんでした。

帰宅後はも、原稿執筆。締め切りが迫っている原稿が三本あります。

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