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2014年2月 8日 (土)

日本は、言葉の靈が栄える國であり、言葉の靈の力によって生命が豊かに栄える國である

 日本民族は、言葉を神聖視してきた。日本人は、萬物は言葉=神によって成ってゐると信じた。即ち言葉が事物の本質であるといふことを本然的に信じてゐた。

 

日本の國は、「言靈の幸はふ國」といはれる。日本は、言葉の靈が栄える國であり、言葉の靈の力によって生命が豊かに栄える國である、といふ意味である。日本人は、言葉に靈が宿ると信じ、言葉は生命を持ち、言葉を唱へることによってその靈の力が発揮されると信じた。

 

『御託宣』『神示』は神靈が籠り神威が表白された言葉である。『祝詞』は人間が神への訴へかけた言葉であり、『歌』も人間の魂の他者への訴へである。祝詞にも歌にも靈が込められてゐる。祝詞を唱へ歌を歌ふと、そこに宿る言靈が発動し偉大なる力を発揮すると日本人は信じた。神・人・天地自然にまでその力が及ぶのである。これが「言靈の幸はふ」といふことである。日本文藝の起源はここにある。

 

日本の古代信仰のみならずあらゆる宗教は、神や佛に対して祈りを捧げたり経典を読誦したり、題目や称名念佛など特定の言葉を唱へることが基本的行事である。

 

折口信夫氏は、「(言靈信仰とは)古くから傳っている言葉の持ってゐる靈力・魂というものを考へてゐるのであり、それが言靈、つまり言語の精靈である。祝詞には勿論これがあると信じてゐた。…言葉そのものに威力・靈魂があると考へた。それが言靈である。それは唱辭(トナヘゴト)以外、…抒情詩其他のものゝ上に皆あると信じたのである。古い物語を語るとその内の靈魂が動き出す、歌を歌ひかけると、その歌のうちにひそんでゐる靈魂が働きかけると信じてゐたのである。」(『古代人の信仰』)と論じてゐる。

 

「言靈のさきはふ國」といはれるわが國においては、祝詞や歌は何よりも大切な神への捧げものとされた。日本文藝の起源は、神への訴へかけである。やまとうた・和歌は神聖な文藝であると考へられてゐた。神に対してだけでなく、戀人や親や死者など他者に対する何事かを訴へかけが、日本文藝の起源である。

他者に対して何事かを訴へるものが「歌」であり、何事かを語りかけるものが「物語」である。「うた」の語源は、神様に何事かを「訴へる」といふところから来てゐる。神に自分の心・神への願ひ事を訴へることが歌の起源である。

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