わが國の武士は太刀を「力と勇気と名誉と忠誠の表徴」として尊んだ
西川泰彦氏著『天地十分春風吹き満つ─大正天皇御製詩拝読』に収められた大正天皇御製詩及び御製を畏れながら掲げさせていただく。
大正天皇御製詩 大正四年
古ヨリ神州寶刀ヲ産ス
男兒意氣佩ビ來リテ豪ナリ
能ク妖氛ヲ一掃シ盡クサシメ
四海同ジク看ン天日ノ高キヲ
(わが神国日本は神代より宝刀を産して来た。日本男児の意気は日本刀を佩びて勇ましく、妖気を一掃しつくさしめ、高く昇った天日を四海の人々は同じやうに見るであらう、といふほどの意)
大正天皇御製 大正四年
刀
磨きあげしつるぎを床にかざらせて明暮に身のまもりとぞする
わが國の武士は太刀を「力と勇気と名誉と忠誠の表徴」として尊んだ。そればかりでなく太刀は神聖なものとして尊ばれた。太刀を御神体とする神社もある。日本武尊が「床の辺に 吾が置きし つるぎの大刀」と歌っておられるやうに、太刀は床の間に置かれた。太刀に対する侮辱はその太刀の持ち主に対する侮辱とされた。刀鍛冶は単なる工人ではなく、神聖なる職に従事するものであった。刀鍛冶は斎戒沐浴して工を始めた。太刀を作ることは神聖な宗教的行事とされた。
太刀(タチ)の語源は、「断(た)ち」であり、「顕(た)ち・現(た)ち」である。罪穢を断つと共に、罪穢を断った後に善き事を顕現せしめるといふ言霊である。罪穢を祓い清めた後、神威を発動せしめる意である。太刀によって邪悪を滅ぼし、穢れを清め、本来の清らかさを顕現せしめるのである。
太刀は「幾振り」と数へられるやうに、魂ふり(人の魂をふるい立たせ活力を与へ霊力を増殖させる行事)のための呪具でもあった。日本の剣は人の命を絶つための道具ではなく、人の命を生かす道具なのである。まさに「活人剣」なのである。
太刀・剣には魂が籠ってゐると信じられ、太刀を授受することは精神的・魂的な信頼関係が成立したことを意味する。敗者から勝者へ太刀・剣が奉られるのは、恭順の意を表する象徴的行事である。小野田寛郎氏がそれを行ったことは多くの人が記憶してゐるところである。小野田氏がルパング島で発見された後、当時のフィリッピンのマルコス大統領に軍刀を差し出した。軍人の魂であるところの軍刀を差し出すといふことは恭順の意を表するといふことである。小野田氏は昭和の御代において武人の伝統を継承した人物だったのである。
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