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2014年1月23日 (木)

日本武尊の捨身無我・ますらをの精神

人間が命懸けになった時、素晴らしい歌が生まれる。それは明治維新の志士たちが大事を実行するに当たって決意を込めた歌を詠んだことや、大東亜戦争の時特攻隊員が和歌に自分の最後の思ひを託して死地に赴いて行ったことを見ればわかる。詩歌は「命懸け」の精神と行動の美的表現なのである。

 

 村上一郎氏は、文学及び詩歌を定義して「詩的な言語表現をもってする人間の生き死にの道の表現である」(『明治維新の精神過程』)と語ってゐる。人間の「生き死にの道」の表現を言語で行ふことは、言語といふものの価値を最高に認めるといふことである。

 

日本武尊御歌

 

「孃女(おとめ)の 床の辺(へ)に 吾が置きし つるぎの大刀 その大刀はや」(乙女の床のそばに私の置いてきた太刀、あの太刀よ)

 

 本朝最古の辞世歌である。日本武尊は景行天皇のご命令により九州の熊襲建を平定して大和に帰られるが、さらに東國を平定せよとのご命令を受け、それを終へた帰りに、尾張で結ばれた美夜受姫(みやずひめ)のところに、叔母君であった倭姫命から授けられた草薙の劔を預けて出発され、熊煩野(三重県亀山市)で急病になられた時の御歌である。

 

守護霊が宿る神剣を美夜受姫に預けたために、急病となられたことを嘆かれた御歌である。ご自分の命を見つめながら歌った哀切極まりない絶唱である。慎みの欠如・傲慢さから剣を置いて素手でも勝てると思って出発したのが間違ふのもとといふ物語である。

 

剣や玉など呪器に籠る霊力を振はせることによって、人間などの力を復活させることを「魂触り」と言ふ。御神輿が練り歩くのも、神体等を揺り動かすことにより神霊を活性化させる意義がある。それと同じく剣を振る事によって本来活力を失った魂を再生し活力を再生させる。鎮魂は、ミタマシズメ・ミタマフリと言ひ、枯渇した人間の魂を振り起し、復活させ、衰微した魂の生命力を再生し復活させる行事である。

 

「刀は武士の魂」として大切にされて来たばかりでなく、神社の御神体即ち祭祀と礼拝と祈りの対象となってゐる。

 

この御歌は乙女への愛と武の心が渾然一體となってゐる。そしてその奥に天皇への戀闕の心がある。日本武尊の悲劇の根本にあるのは、武人の悲劇である。神との同居を失ひ、神を畏れなくなった日、神を失って行く時の悲劇である。

 

英雄にして大いなる歌人(うたびと)であられた日本武尊の辞世の歌にふさはしいロマンと勇者の世界が歌はれてゐる。文字通り「剣魂歌心」の御歌である。

 この御歌には、恋愛詩と英雄詩が一つに結合融和して現れてゐる。この精神こそ、戦ひにも強く恋にも強い大和民族の原質的民族性であり、日本武士道の本源となっている。これを「剣魂歌心」といふ。

 

日本武尊は、上代日本の武人の典型であると共に詩人の典型であらせられた。日本の英雄は歌を愛した。「ますらをぶり」は優美さを否定するものではない。

もののふのこころ・ますらをぶりとは、清明心と表裏一體の精神であり、天皇のため國のためにわが身を捧げるといふ「捨身無我」の雄々しい精神でもある。その精神の体現者が日本武尊であらせられる。「たけるのみこと」とは猛々しさを表す御名である。

 

新渡戸稲造氏は、吉田松陰の歌「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」を引用して、「武士道は一の無意識的なるかつ抵抗し難き力として、國民および個人を動かしてきた」(『武士道』)と論じてゐる。

 

新渡戸氏はさらに、「(『武士道』については)精々口傳により、もしくは数人の有名なる武士や學者の筆によって傳えられたる僅かの格言があるに過ぎない。むしろそれは語られず書かれざる掟、心の肉碑に録されたる立法たることが多い」と論じてゐる。

 

日本武尊は武人の典型であると共に詩人の典型であらせられ、武士道精神の祖であらせられる。戦闘的恬澹・捨身無我の精神は後世の武士に強く生かされる。

 

余談であるが、日本国の政治も「ますらをの精神」「武士の心」「やまと魂」を保持した人が第一線に立つべきであ。そういう時に来ている。小賢しい学者や、一人で立つことのできないバカ殿では駄目である。

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