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2014年1月18日 (土)

正しき國體観を基礎とした憲法であるべし

 日本の國體は約三千年の歴史を有し、それだけでも尊いわけですが、それを今日の合理主義、科学思想、近代民主主義でもって合致させたりすること自体やはり無理なことだと思います。西洋の合理主義と我が國の國體は次元が違うものだと考えなければなりません。日本の國體は、天皇という一人の人間が特別な存在になっており、これは民主主義の理念に反すると、平等社会を目指している進歩的考えに合わないとよく言われますが、よく考えておきたいのは、公平ということはあり得ても平等な社会とはあり得ないということです。

 

平等な社会を目指したのがマルクス・レーニン主義の集団であり國だったわけですが、国内の共産党、極左勢力にしても平等な社会を目指すという運動の過程で、内部で殺し合いをしているわけですから。ちょっとでも考えが違うとスパイだとか言ってリンチして殺してしまう。また共産主義國家ぐらい差別社会は、他にないのではないでしょうか。今でも北朝鮮では、金正恩は何をやっても許されるけど一般庶民は飢え死にしている。平等を目指している國家、集団ほど差別がひどく、殺し合いもしている。

 

理不尽で言われなき差別は排除すべきですが、天皇と國民の関係、即ち「君臣の別」というものは、神話以来の、信仰共同体としての麗しき歴史の形体であります。よその國と比較しても、日本の國が分裂國家にもならず、國民の苦しみも少なかったのも、天皇中心の國體というものが厳然として残ったからだと思うわけです。君臣関係・親子関係・長幼関係・師弟関係は当然あるべきであります。

 

 今日、近代合理主義、科学技術、グローバリゼーションはだんだんと國を不幸にしつつある。麗しい天地、山河を守り、日本の伝統精神を守り、天地自然の中におられる神々を拝み、祭りするという伝統信仰というものがますます大事にしていかなくてはならない。國體精神、日本の伝統に立脚した憲法に回帰すべきです。

 

現行占領憲法は、天皇は神聖でもないし、元首でもない。歴史伝統も書かれていない。こういう憲法では今後の日本を正しく導くことはないだろうと、私は思います。

 

正しい憲法としては、やはり日本國は天皇を君主と仰ぐ立憲君主國である、天皇は日本の國における歴史的永続性の体現者であり、日本國を統治する、天皇の皇位は萬世一系である、天皇は神聖であり不可侵である、などといったことをきちんと書かなければならない。

 

それから、天皇の御役目として、やはり國軍との関係も書く必要がある。國軍に栄誉を与えるということを大きな國事行為として明記されなければと思います。天皇陛下と自衛隊は関係を遮断されていると言っても過言ではありません。國賓が来ても、天皇陛下は閲兵できないということはおかしな話です。天皇様が平和を祈られることは事実ですが、國軍、武との関係全くなかったわけではありません。神武、天武、聖武と「武」という御諡号がある天皇様は何人もおられますし、天皇様は「武」が嫌いということではありません。三種の神器にも剣がある。剣の精神が地上を統治する一つの要素として存在するわけです。ですから武と切り離してはいけないわけで、このことも憲法に明記しなければならない。

 

さらに大事なのは、天皇が祭祀を行われることも、國事行為として明確に示すべきであります。

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