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2014年1月11日 (土)

近代合理主義の限界と超克

 これまで人類の多くは、「人間の技術と労力によって自然を征服し作り替えることによって幸福な人間生活が営むことができる」というニュートン及びロック以来の<科学技術万能主義>の考え方に立ち、社会の生産力を高め、物質生活を豊かにしてきた。「人類の快適な生活=幸福」のために、科学技術を駆使して未利用の資源を開発し自然を作り替えて来た。つまり自然や人間を、生命のない物質=機械と同じものと考えて来た。その結果、自然が破壊され、資源は枯渇し、地球及び人間の生命と心が蝕まれている。

 

 さらに、「人間が発見したとする物理科学の法則が天体の運行を予測するようにすべての物事には秩序があり、その秩序は数学的公式と科学的観察によって確かめることができる」という考え方が近代文明社会の基本にある。つまり、人間の発見したとする<科学技術の法則>によって人間社会の将来の予測を正確に行うことができるというのが近代人の基本的態度であった。これを<近代合理主義>という。

 

 しかし社会全般は、自然科学の世界においてすら「自然科学の法則」によって絶対的に支配されているわけではない。まして、我々人間の営んできた社会生活全般や人類の長い歴史においては、社会や歴史の「法則」に類するものを見つけることはできるかもしれない。しかしそれは、「法則」などという絶対的なものではなく、「傾向性」もしくは「確率」と称すべきものである。つまり想定の範囲外の事が何時起るは分からないのである。以上の事は、東日本大震災の地震・津波そして原発事故という悲惨よって日本国民は痛切に体験的に実感したのではないか。

 

 <イデオロギーの終焉>ということがいわれ、宗教対立・民族対立が激化してきている現代において、社会や人間の活動が混乱し、人間の不規律な行動、国家や世界の政治・経済の不安定な動向は、「合理的」「科学的」を自称する<近代合理主義>によってはとても説明も予測もできなくなっている。むしろ近代合理主義は、「真理を完全に所有している」という傲慢不遜な考え方を抱くことによって、かえって真理を見失ってしまったのである。

 

 政治思想・社会思想の面でも、マルクスやウェーバーなどの思想のような「合理的」「科学的」を自称する歴史哲学がヨーロッパに起こり、世界を支配する状況が作り出された。しかしその結果、今日の世界は、貧富の差が拡大し、人間の新たなる精神的経済的隷属が始まっている。さらに、組織の官僚制化によって、その組織の中に生活する人間の自由は、次第に奪われるようになった。

 

 現代人の生活全般にわたる「合理化・科学技術偏重思想」すなわち<近代合理主義>は、人間の精神の自由を無視した画一的な規則と機構による支配と束縛、悪平等の一律主義の横行、労働における非人間的扱いを生んだ。そして、社会主義体制は崩壊しつつあり、資本主義体制も重大な危機に瀕している。

 

 資本主義経済体制も社会主義経済体制も、科学技術の進歩を謳歌することによって、こうした危機的状況を作り出してきたと言える。これを救うことが今日の人類の緊急の課題である。それには、自然を神とおろがむ日本の伝統的信仰精神に回帰することが大切である。

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