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2014年1月21日 (火)

日本の「神」について

 「神」(カミ)の語源といふか、意義について書かせていただきたい。「カミ」のカは接頭語。ミとかムに意味がある。ミ・ムは霊的な力をいふといはれてゐる。ミは身であり実である。即ち存在の実質・中身のことである。このやうに強い霊力・霊威を持った存在のことをカミといふ。國語学上は上の方にゐるからカミといふといふ説は誤りであるといふ。

 

 本居宣長は、「凡て迦微(カミ)とは、古御典等(イニシヘノフミドモ)に見えたる天地の諸の神たちを始めて、其を祀れる社に坐す御霊(ミタマ)を申し、また人はさらに云はず。鳥獣(トリケモノ)木草のたぐひ海山など、其餘何(ソノホカナニ)にまれ、尋常(ヨノツネ)ならずすぐれたる徳(コト)のありて。可畏(かしこ)き物を迦微(カミ)とは云なり、すぐれたるとは、尊きこと善きこと功(いさを)しきことなどの、優(スグ)れたるのみを云に非ず、悪(アシ)きもの奇(アヤ)しきものなどをも、よにすぐれて可畏(かしこ)きをば、神と云なり」と述べてゐる。この考へ方が今日の神道学の神観となってゐる。

 

 

 神に掛る枕詞は「千早振る」である。「チ」は霊のことであり、「ハヤ」は激しいといふ意、「振る」はふるへる意。霊が激しく振ふことをいふ。

 

 漢字の「神」は象形文字で、偏の「示(しめすへん)」は、神へ供へ物を献ずる台の形を表す。つくりの「申」は稲妻の形を表す。即ち「神」といふ漢字は、雷を神として祀る信仰から発したのである。即ち日本でも支那でも「雷」は神として仰がれ恐れられたのである。

 

 古代人にとって、太陽のやうな有り難い神もをられるが、雷のやうな恐ろしい神もをられたのである。「カミナリ(雷)」といふ言葉は「神が鳴る」といふ意味である。歌舞伎にも「雲の鳴神上人」といふのが登場する。

 

基本的には、海の神、地の神は、基本的には人間に幸を与へまふが、時に、荒ぶる神となられ、大地震や大津波のやうに人間に大きな災厄をもたらすこともある。宣長の云ふ通り、「悪(アシ)きもの奇(アヤ)しきものなどをも、よにすぐれて可畏(かしこ)きをば、神と云なり」なのである。

 

日本民族は、人間にとって最も大切な自然である太陽を神と崇めた。天照大御神様である。天照大御神の祭祀主であり、地上における御代理即現御神が、日本天皇であらせられる。

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