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2014年1月22日 (水)

「戦争犯罪」と「戦争責任」を混同してはならない

最近、安倍総理の靖國神社参拝に対する支那や韓国の「戦犯が祀られている神社に参拝することは許せない」という批判に関連して、「戦争責任についてわが国がきちんと総括していない」という意見が出されている。『月刊日本』今年二月号において、東郷和彦氏はそういう意見を述べ、且つ、「村山談話」は「戦後の日本の到達点として世界に誇れるもの」とまで言っている。これは全く受け入れることのできない議論だ。

 

私たちは「戦争責任」と「戦争犯罪」とを混同して議論してはならない。大東亜戦争開始そして敗戦について、東條英機・近衛文麿両氏をはじめ政治面・軍事面で責任を負うべき政治家・軍人はいるであろう。在野の人々にもいるだろう。

東條氏は明確にその責任を感じていた。それは、東條氏が、

 

「たとへ身は 千々にさくとも 及ばじな 栄し御世を おとせし罪は」

 

という辞世を遺されていることによって明白である。

 

しかし、今日、支那や韓国は靖国神社に「戦争犯罪人」が祀られていると言って非難攻撃し内政干渉してきているのだ。つまり、東條氏など靖国神社に祀られている「昭和殉難者」を「犯罪者だ」と言っているのである。

 

しかし、わが国には、大東亜戦争に関して責任を負う人々はいても、「戦争犯罪者」は一人もいない。「A級戰犯」といわれる人々は、人類の貴重な法文化たる法原則=「罪刑法定主義」の原則に全く反して被告を断罪した「東京國際軍事裁判」、つまり、裁判とは名ばかりの非常の野蛮で公平性を全く喪失した戰勝國による一方的な復讐劇=リンチの場において、「有罪」と断罪され、「絞首刑」に処せられた人々である。

 

 「平和と人道に対する罪=侵略戰争遂行の犯罪」「共同謀議の罪」を新たに作り、勝者が敗者を問答無用的に断罪した「東京國際軍事裁判」は、“法の真理”に照らして完全に間違ったものであった。東郷氏もそれに近いことを言っておられる。

 

 戰勝國は、「戰争は非人道的な行為だ」と主張しながら、「軍事裁判」の「法廷」では、かつてのわが國の指導者を罵倒し、拘置所に収容した「被告」たちには、それこそ非人道的な処遇を強要した。それはあまりにも残虐にして一方的な処遇であった。そして「絞首刑」という名の非人道的なリンチ虐殺が行われたのである。

 

 戰勝國は、復讐のためにいわゆる「戰争犯罪人」を捕らえ「裁判」にかけたのである。戰勝國による復讐の軍事裁判は、見せしめのための裁判であった。そして、わが國に侵略國家の汚名を着せそれを全世界に宣傳したのである。

 

「A級戰犯が祭られている靖國神社に総理大臣が参拝するのは侵略戰争を讃美することになる」などという議論は、戰勝國が行った法律なき「軍事裁判」即ち非人道的にして残虐無比な復讐を肯定することとなる。

 

「A級戰犯」という呼称はあくまでも戰勝國側の呼称であって、わが日本においては「昭和殉難者」と称するべきである。昭和殉難者は、敵によって死に至らしめられたまさに英靈であり戦没者である。だから、靖國神社においては「昭和殉難者」「戰死者」として祀られているのである。

 

その事と、戦争責任の総括とは全く別問題である。ともかく、「戦争犯罪」と「戦争責任」を混同して議論してはならない。

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