« 千駄木庵日乗一月二十七日 | トップページ | 千駄木庵日乗一月二十八日 »

2014年1月27日 (月)

日本國は天皇を祭り主と仰ぐ祭祀共同體

 

 人間が人間として生活するためには、多くの人々によって成立する共同體が必要不可欠である。そういう共同體が、発展し巨大化したものが、「國家」である。幾億人と存在する人間というものにもそれぞれ個性があるように、世界の多くの共同體としての國家にもそれぞれに個性があり特殊性がある。

 

 日本という國には民族的個性がある。と言うよりも民族的個性を離れては國家は存立し得ない。日本という國そして日本人という民族の主體的な歴史性、風土、信仰精神の意義正しき把握により、正しき日本國家観が確立される。

 

 人間の道義精神・道義に則った生活の実現も、そして道義國家・人倫國家の回復も、抽象的な「人類普遍の原理」によって実現され得るものではない。倫理・道義・信仰は、それぞれの國の歴史伝統・民族信仰の中から培われ、それぞれの民族の伝統精神として表現されてきている。民族的歴史性・個性を通して表現されない<普遍の原理>などというものはありえない。たとえあると錯覚しても、それは抽象的な観念に過ぎない。その意味において「人類普遍の原理」だなどと称する欧米民主主義思想を基本原理としている「現行占領憲法」は無國籍憲法である。 

 

 宗教上の神や仏も、それぞれの宗教教団或いはそれぞれの宗教の発生した地域において、特殊な個性ある神・仏として信じられて来ている。ユダヤ教・キリスト教・回教という一神教ですら、地域及び民族のよってそれぞれ個性ある神となっている。日本仏教も真言宗・日蓮宗・浄土宗・禅宗等々それぞれ各宗派ごとに個性ある仏を拝んでいる。

 

 日本という國家には日本の長き歴史の中から生まれてきた日本独自の<立國の精神>というものがある。それは、日本列島の豊かな自然環境と共に生きる生活・風土の中から生成して来た。

 

 日本民族の生活の基本は稲作であり、日本人の主食は米である。古代から現代に至るまで、稲作を中心とした農事を営む人々が、五穀の豊饒を神に祈り、豊作を神に感謝する祭祀を行って来ている。

 

 祭祀を中核とする共同體の統率者(祭り主)は信仰的権威を担っている。古代にける祭祀の祭り主(共同體を代表して神に祈り、神の意志をうかがい知りそれを國民に告げる役目の人)を中心とする信仰的な血族関係即ち共通の祭祀と文化を持つ村落共同體が、民族共同體へと自然に発展し生成してきた國家が、日本國なのである。つまり、稲作文化が祭祀を生み、その祭祀の祭り主を中心とした共同體の生成が、日本という國家の成立である。 

 

 稲作に欠かすことのできない自然の恵みが太陽であり大地である。その太陽と大地を神として拝んだ。その太陽の神が天照大神である。また大地の神は國津神として祭られた。また稲穂そのものも神の霊が宿っているものとして尊んだ。そして、古代日本人は太陽を最も尊貴なる神として崇めた。それが天照大神である。

 

 天照大神をはじめとする天津神、そして大地の神である國津神、および稲穂の霊をお祭りされ、國民の幸福と五穀の豊饒を祈られる祭り主は、天照大神の御子即ち日の御子として國民から崇められた。これが即ち日本天皇であらせられる。天照大神は、太陽の神であるのみならず、天皇の御祖先でるあると信じられた。そして、祭り主たる天皇を稲作を営む古代日本人の共同體の連帯の中心として仰いだ。

 

 つまり、古代日本の統一は、日の御子たる天皇が行われる太陽神・天照大神

の祭祀を頂点とし、その神聖なる権威が他の多くの地方の神々と祭祀を次第に全國的に統一されることによって実現したのである。つまり、古代日本の統一(日本國の生成)は、祭祀的統一である。各部族間の武力闘争はあったにしても、その有限的にして相対的な勝利は、最終的には神の祭祀によって聖化された。

|

« 千駄木庵日乗一月二十七日 | トップページ | 千駄木庵日乗一月二十八日 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/121949/59022538

この記事へのトラックバック一覧です: 日本國は天皇を祭り主と仰ぐ祭祀共同體:

« 千駄木庵日乗一月二十七日 | トップページ | 千駄木庵日乗一月二十八日 »